定期更新の土日は職場のバレーボール部の合宿でお泊り練習でした。
当然、夜は大酒飲んで楽しく過ごしましたが。
日曜に帰宅してからなんとなく更新気分にならずパス。
週中日の水曜日、久しぶりに丸1日の有給休暇をとってのんびり過ごすことにした。
丸1日休むなら、土日の前後にとって3連休としたほうがいいのでは…と以前は思っていたし、そうしてもいた。
去年だったか、些細な用事で水曜日に休んで木曜日、金曜日の2日仕事に出たら、また休みだ~、
という経験をしてから金曜日か月曜日以外に水曜日を休むというのも意外といいもんだと感じたのである。
思うに、日本全国的に休みとなる土日は既製、規正された休日、
学校も休みなら親は子供と過ごす時間を持たなくてはならない日、お父さんは奥様にもサービスしなければならない日、とされているような感覚
平日にとれる休暇は、そうした既製されたものでなくて自分だけの自由な時間、どう過ごそうと誰にも文句は言わせない
家族には申し訳ないが、贅沢に過ごしたいな~と思う。
録画していた映画を見放題、時間や音を気にせずに弾きたいだけピアノを弾く、
通勤電車では読めないハードカバーの小説を思う存分読んでやる…などなど
結局のところは、その何分の1かもできはしないのだけど。
ま、私の場合、家族といっても妻だけなのだが…それでも精神的気楽さは全然違う。
そう考えると、既に成人して家を出ている息子が子供の頃、既製された休日の過ごし方も満足にしてやらなかったな~という後悔の念も湧いてくる。
一緒に遊んだり、どこかへ出かけたりもしたが、何んの彼んのと言い訳をして我慢させたり諦めさせたりしたことのほうが強く思い出される。
そんな申し訳なさを埋め合わせようという気持ちがどっかにあるのか、息子が帰省したら、一緒に飲んで食べて過ごそうと楽しみに思ったりする。
帰省中、幼かった頃にできんかったことをする訳はないし、息子は息子で地元の友人と遊ぶのに忙しかったりして、親と付き合うどころではない。
これから先も親子であり続けるものの、今思えば、自分の庇護下にいたことの何と短かったことだろう。
愛情を注がなかったわけではないと思いつつも、甘えてきたときにはそれに素直に応えてやればよかった。
などと、平日休暇を好きに過ごしながら思った。
さて、平日の休暇、結局は仕事から帰ってからも計画的に時間をやりくりしてやりたいことをしていくのが結局は一番だと思った次第。
唯一でもないが、昼下がり、手挽きのコーヒーミルでゆっくり豆を挽いて入れたコーヒーを味わいながら映画を観たことが心の栄養となったようである。
これから晩飯の準備など主夫業をやらなくてはならない。
ねこまる様:そう、大自然の姿には鳥肌が立つほどの感動を覚えたりしますが、
違う姿も見せられて、鳥肌が立つほどの恐ろしさも感じます。
人間も自然界の生き物の一つだという自覚を無くしてはいけないと、自然と関わる度に思います。
日々の「食事」はまさに自然や生き物からの恵みですね。
百歳までには・・・
私の人生は人と比べたら考えてる量はかなり少ないと思えまーす。
内容も薄いものだと思えまーす。
美味しいもん食べたーい・・・
\(^ ^)/
寒いけど風邪気付けなはれやー
やがて、息子様も伴侶をめとられ、お子さまをもうけられる頃には父の都合もわかられるかと・・・。。