国は「西へ逃げろ」と言うだけ全町避難の福島・大熊前町長
2021/03/07 16:34
全町避難を振り返る福島県大熊町の渡辺利綱前町長=7日午後、福島県双葉町
東電福島第1原発事故で全町避難した福島県大熊町の渡辺利綱前町長が7日、同県双葉町で講演し、「国は『西へ逃げろ』と言うだけ。避難先は各自治体が自分たちで決めねばならなかった」と当時の混乱ぶりを語った。 当時約1万1千人が暮らした大熊町は発生翌日、西隣の田村市の体育館などに避難。その後、さらに西の会津若松市に町民用の住まいを確保し、2019年4月に町の一部が避難解除されるまで仮役場も置いた。
避難開始から10日が過ぎても国や県から指示は無く、会津若松市とも独自に交渉。渡辺氏は「同じことをまたできるかと言われると分からない。火事場のばか力でした」と述べた。
福島原発事故には日本中、いいえ世界中の人は驚いたでしょう。
そしてテレビでは枝野氏が「直ちに影響はない」と繰り返したことを覚えています。
しかし原発近くの住民たちは不安の中、政府の指示により西に逃げました。
何を根拠に西だったのか。
風向や山などの地形を考えなかったのか。
当時、海外の気象庁の情報を色々見たことを思い出します。
それだけ日本国内の情報は乏しかったのです。
ところが政府の「西に逃げろ」がとんでもない事でした。
米国からの情報では北西の方向に放射性物質は流れていたからです。
★2012年6月18日の朝日新聞の記事 ↓
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201206170453.html
東京電力福島第一原子力発電所の事故直後の昨年3月17~19日、米エネルギー省が米軍機で空から放射線測定(モニタリング)を行って詳細な「汚染地図」を提供したのに、日本政府はこのデータを公表せず、住民の避難に活用していなかったことがわかった。放射性物質が大量に放出される中、北西方向に帯状に広がる高濃度地域が一目でわかるデータが死蔵され、大勢の住民が汚染地域を避難先や避難経路に選んだ。
★2012年7月4日の西日本新聞の記事 ↓
https://www.nishinippon.co.jp/item/o/16388/
「運命の日」-福島第1原発から漏れた放射性物質が風雨によって運ばれ、福島県の広い範囲が汚染されたとされる3月15日はそう呼ばれる。SPEEDIの予測は15日時点で、原発から北西部の方向に放射性物質が飛散する可能性を示していた。その事実も官邸中枢には伝わらなかった。
事故初期、緊急対応を迫られた政府が同心円状に避難区域を設定したのはやむを得なかった、という見方もある。とはいえ、放射性物質が風向き次第で同心円状に広がるとは限らないことも専門家の間では常識だ。
「(SPEEDIの予測で)少なくとも北西部の方向に流れそうだということは分かるわけです」
当時の菅内閣はSPEEDIの存在を知っていたのか、風向や地形の影響を理解していたのか。。。
ただ同心円に放射性物質が広がると誤解していた可能性もあります。
ではSPEEDI運営団体の長は文科省に報告をしたのか、
そして当時の文科相の責任はないか等々考えてしまいます。
米国からの情報、SPEEDIの予測。。。
これらの貴重な情報を生かせなかった民主党政権でした。
10年前の東日本大震災は津波、そして原発爆発で大混乱でしたが
私たちはあの大災害から学んだことを将来に生かせねばなりません。
そんな中、原発事故による処理水問題が解決されていません。
この問題については韓国が特に問題視していますが、世界の原発での例を参考に速やかに解決してもらいたいです。
韓国の激しい反発というか言いがかりによって、日本は判断を誤った歴史があります。
同じ誤りを繰り返さない為にも、冷静に判断してもらいたいです。
拙ブログでもこんな投稿をしていました。 ↓
https://blog.goo.ne.jp/ta6323blue/e/69a44c8c9ddaedff52f852b749adcc19