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斎藤知事に対する告発文を報道機関、議員たちに送った西播磨県民局長。
告発文を書いたのはどんな人? そしてどんな考えなのか興味が湧き、局長のコメントを読んだ事があります。
昨日の拙ブログで紹介しようとしたところ、残念ながら過去記事は削除済みでした。
しかしXに投稿された方がいましたので、ご紹介したいと思います。
国立国会図書館デジタルコレクションに、2月までの局長メッセージが全部アーカイブされている。
— 竹輪無罪 (@chikuwamuzai) July 14, 2024
(ないのは最後の3月のメッセージのみ)
渡瀬局長が遺したメッセージを、一つ一つかみしめながら読ませていただく。https://t.co/MD2lLAPM05
※竹輪無罪さんによると、最後のメッセージ3月の分はないとの事です。(告発文を送付したのは3月12日頃)
兵庫県/令和6年2月 県民局長メッセージ(西播磨県民局長 渡瀬康英)
渡瀬氏が言いたかったのは次の事だと思います。
これからの兵庫県は、志ある次世代の若者達に選ばれ続けることが出来るでしょうか。職員達が働いていたいと思う組織であり続けられるでしょうか。いわゆるビジネス書系では、山口周さんの書籍をわりと読んでいます。著書「劣化するオッサン社会の処方箋」という本の中には、“組織は必然的に劣化する”という仮説を人間行動学、組織論、歴史的事実などから論理的に説明しようとされています。組織の劣化はひとえに権力者の取り巻きの劣化が原因である。自分より優秀な者を讒言により権力者から遠ざけ、真実に蓋をし、判断を誤らせる。その組織はどんどんと腐敗し落ちぶれていく。そんな論調です。歪な人事は組織を蝕んでいきます。そして、一握りの者たちが自らの栄達と保身に明け暮れ、気がつけば、権力者の周囲には二流、三流のイエスマンが主流を占めている状況に。権力者は好き嫌いで人を評価します。既に一部の者だけが居心地よい組織になってしまっていたとしたら末期ガンと同じです。余命はあと何年でしょうか。そして、そのような組織の腐敗・内部崩壊も外部にはなかなか伝わりにくく、不祥事、事件の発生といった出来事でようやく世間の知るところとなるのです。いや、これ、兵庫県のことを言ってるのと違いますよ、念のため(笑)
告発者を探すよう、腹心である片山副知事に指示した斎藤知事。
そして告発者を見つけた時点で公用PC内の履歴を調べ抜いた片山副知事でしたが、
その前に、県民局長のこのメッセージを読んでもらいたかったです。
最後の渡瀬氏の一文、「これ、兵庫県のことを言ってるのと違いますよ、念のため(笑)」
いえいえ、これは兵庫県の事であり、斎藤知事の事ではありませんか。
そして渡瀬氏は常々部下たちの不満を聞き、そして自分も知事に対する不満があり、
県庁を去る前に告発文を各方面に送ったのだと想像します。
※最後の纏めとしての太字は斎藤知事へのメッセージと想像できます。
一応、自分への戒めとしての言葉ですが、このまま知事に対する言葉だったのかと思います。
○上に立つものの矜持(出来ているという訳ではないですよ、もちろん)
手柄は譲り、責任は取る
仕事に厳しく、人に優しく
好き嫌いで人を選別するな
人を育てる視点を失うな
信用しない人は信用されない
任せたら、待つ
過去の自分と部下を比較するな
来る者拒まず、去る者追わず(頼られたら応え、軽視されても怒るな)
考え過ぎない(心配事の80%は起こらない。起きてしまう20%のうち80%は解決可能。つまり、全体の4%が本当に問題)
拙ブログの読者様はご存知だと思いますが、私は保守です。
立憲民主党の批判をし、れいわ新選は存在自体否定的です。
ところが斎藤知事擁護者は保守層が多く、反斎藤派は立憲民主党系の様です。(それが不満と言えば不満ですが)
ですから保守系有名インフルエンサーはほぼ斎藤知事派です。
その代表格が須田慎一郎氏であり、浜田聡氏であり三枝玄太郎氏でしょうか。
彼らに渡瀬氏のメッセージを読んでもらいたい。
そして読んでもやはり斎藤さん擁護なのか問いたいです。