木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

阪神・淡路大震災

2010年01月18日 | 日常雑感
17日は、阪神・淡路大震災の15周年にあたる日であった。
私自身は関西に10年住んだが、向こうに移り住んだのが、大地震のあった年の4月からだった。
引っ越したのは、西宮。地震の被害も大きかった土地である。
被災後、3ヶ月しか経っていない西宮は、何箇所にも仮設住宅が建てられ、空き地の目立つ地であった。
道路などインフラの復興は目覚しく、神戸も急速に再開発された。
皮肉なもので、震災後、神戸の街角や伊丹の駅は新築でとても綺麗なものとなった。

まだイチローがオリックスに在籍していた頃で、「がんばろう神戸」の刺繍を腕に縫いつけ戦ったブルーウエーブには感動したし、夏の甲子園で岡本真夜の「tommorow」が入場曲に選ばれたときも歌詞の内容に感動した。
それから、何年も1月17日付近になるとNHKを中心に報道特集が組まれた。
それが、次第に報道されなくなり、人々の記憶から薄れつつある。
その事実が一方的に悪いと言っているわけではない。
だが、この地震からは学ぶところが多く、地震大国日本では、決して「過去のもの」と片付けてはいけないと思っている。

災害など非常時には、各人の人間性がもろに現れる。
どんなに奇麗事を言っていようが倒れた人から物を盗むような人もいるだろうし、普段はおとなしいと思っていた人が中にいる人を助けに燃えている家のなかに飛び込む場合もあるかも知れない。
なるべく、日ごろ言っている事と、非常時の行動に乖離がないような生き方や考え方を持って行きたいと思う次第だ。

初めて住んだ西宮のマンションの歩いて1、2分のところにあった公園に仮設住宅があった。
高齢の人もいたように思う。
新参者である自分も何か手助けをしたいと心の中で思うだけで、実際はなにひとつできなかった。
手助けをしようと申し入れたところで、先方はありがた迷惑だったかも知れないし、こちらの自己満足に過ぎなかったかも知れない。
だが、今考えると声をかけるべきだった思う。
なぜだと言うと、それが自分の考えている正しい道だからだ。
自己満足やありがた迷惑であったら、先方に拒絶してもらえば済む話だった。

自分は被災者ではないし、当時は東京に住んでいたのだが、近い当時を知る者として機会があればこの地震のことを語って行きたい。

阪神電鉄で三宮から一駅目の岩屋から徒歩10分のところにある「人と未来防災センター」は、ビジュアル面でも迫力があり阪神・淡路大震災について色々な情報が得られる。もし、神戸方面へ行くことがあったら、ぜひ寄って頂きたい場所である。

人と防災未来センターHP

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