高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

日本橋三越 3

2007年07月05日 06時37分08秒 | 職人仲間

_028_6 出店業者58社と言うと、催し物の規模としては最大級である。その為、ここでしか会えない方も沢山いる。ブラシ屋の「榎本」さん、この人と会うのも1年ぶりである。以前、「大学生になった息子に、大学在学中、毎日、毎日、絵手紙を出し続ける男」として紹介したことがある。継続は力なり で、その絵手紙も1400通を越えたそうだ。何気なく、平凡な駄洒落しか言わない変なオッサン_029_2に見えるのであるが、人は見かけによらず、何処にどんな思いを持って生きて いるのか?判らないから、世の中面白い。今日は彼の手紙のイラスト部分を撮らせて頂いた。2050年になった時の「ヤンキーズ・マジイ」と「マリナーズ・ジジロー」だそうだ。今から40年後の時事評論をしながら、ヨボヨボになった二人のイラスト。こんな絵手紙を実演の合間をぬって、こそこそと書いている。彼にとっては、今回のように朝から晩までヒッキリなしにお客様が来る所では、この絵手紙が書けないのでちょっと困っていた。

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日本橋三越 2

2007年07月05日 04時45分50秒 | 出張

20070704053214朝起きたら、どんよりと曇り空。朝のウォーキングに出るべきか?止めるべきか?一瞬、ちゅうちょしたが、せっかく初日、調子よく行っているので、縁起を担いでなるべく普段のペースを守り、出かけることにした。人形町のホテルから皇居方面に進む。途中に三越のある日本 橋を通るのだがここには日本の道路の基点となる場所がある。

「日本国道路元標」江戸時代からここが53次の基点となっていたのだろうか?明治時代に入ってここが基点と定められたのだろうか?とそんなことを考えながら通り過ぎる。ホテルから皇居まで丁度2キロ、今にも、雨が降りそうである。いつもだと皇居を1週して戻るのであるが、今日はコースを変えて南に進む、晴海通りを左に曲がり、有楽町を過ぎ、銀座に出た。昔、映画でゴジラが壊したビル「銀座マリオン」の下を通り、日本橋方面に八重洲、日本橋、兜町、築地とうろうろし20070704060606 ながら帰ってきた。何処に行っても、犬の帰省本能と一緒でピタリと出発点のホテルに戻ってくる。これは我ながら大した物だと思う。

朝6時だというのに、有楽町のガード下では結構たくさんのサラリーマンがお酒を飲んでいた。

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