出店業者58社と言うと、催し物の規模としては最大級である。その為、ここでしか会えない方も沢山いる。ブラシ屋の「榎本」さん、この人と会うのも1年ぶりである。以前、「大学生になった息子に、大学在学中、毎日、毎日、絵手紙を出し続ける男」として紹介したことがある。継続は力なり で、その絵手紙も1400通を越えたそうだ。何気なく、平凡な駄洒落しか言わない変なオッサンに見えるのであるが、人は見かけによらず、何処にどんな思いを持って生きて いるのか?判らないから、世の中面白い。今日は彼の手紙のイラスト部分を撮らせて頂いた。2050年になった時の「ヤンキーズ・マジイ」と「マリナーズ・ジジロー」だそうだ。今から40年後の時事評論をしながら、ヨボヨボになった二人のイラスト。こんな絵手紙を実演の合間をぬって、こそこそと書いている。彼にとっては、今回のように朝から晩までヒッキリなしにお客様が来る所では、この絵手紙が書けないのでちょっと困っていた。
朝起きたら、どんよりと曇り空。朝のウォーキングに出るべきか?止めるべきか?一瞬、ちゅうちょしたが、せっかく初日、調子よく行っているので、縁起を担いでなるべく普段のペースを守り、出かけることにした。人形町のホテルから皇居方面に進む。途中に三越のある日本 橋を通るのだがここには日本の道路の基点となる場所がある。
「日本国道路元標」江戸時代からここが53次の基点となっていたのだろうか?明治時代に入ってここが基点と定められたのだろうか?とそんなことを考えながら通り過ぎる。ホテルから皇居まで丁度2キロ、今にも、雨が降りそうである。いつもだと皇居を1週して戻るのであるが、今日はコースを変えて南に進む、晴海通りを左に曲がり、有楽町を過ぎ、銀座に出た。昔、映画でゴジラが壊したビル「銀座マリオン」の下を通り、日本橋方面に八重洲、日本橋、兜町、築地とうろうろし ながら帰ってきた。何処に行っても、犬の帰省本能と一緒でピタリと出発点のホテルに戻ってくる。これは我ながら大した物だと思う。
朝6時だというのに、有楽町のガード下では結構たくさんのサラリーマンがお酒を飲んでいた。