高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

30年前のからくり

2012年06月17日 06時41分17秒 | 友人

先週に引き続き、レストランの店長をしていた頃のアルバイト生が集まった。
大分県で学校の先生をしている「広パッチ」、長崎県で花屋をしている「井手爺」、九州松下電器に就職した「林田」、現在は松下本社に変わった「穴井健二」が大阪から参加した。私を入れて5人で集まりました。

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今から30数年前、私が24~25歳の時、外食産業の店長時代、大学生のアルバイトを使っていた。学生たちも3年生4年生だったので、21~22歳、年齢的にはそれ程違わないが、社会経験の無い彼らから見れば、お店の店長と言えば、神様のような存在だったのだろう。
30数年経った今でも、みんな私の事を「社長」と呼ぶ。

何年経とうと、昔の序列は変わらないもので、彼らも学校を卒業し、社会人んに成り30年も経てば、その会社でも、いっぱしの地位に付いている者も居るが、社会的地位はまったく意味を持たない!
アルバイト時代の序列に戻ってしまう。

10年ほど前、集まった時に、彼らも世の中の事がだんだん判って来て、25歳くらいでは、若僧の部類に入る事が実感として判って来るのだ。
酒の席で、「世間知らずのオレ達をダマクラかして、社長と呼ばせて!今、考えたら、25歳なんて言ったら、まだガキじゃんか!」と、当時を振り返っていた。
しかし、カラクリが判っても、一度刷り込まれた関係は何年経っても変わらないのだ。彼らが大手企業の重役になって居ようが、私の前では、相変わらず奴隷の様なものなのである。

何故、30年経った今でも、こんなに集まるのだろう?
普通であれば、「ただの学生時代のアルバイト先」でしか無い筈なのに・・・・・

当時を振り返ってみると、上から目線で、アルバイトを管理するというような意識は全くなかった。

私は「任せて育てる」教育をしていた様だ。彼らに随分と権限や、決定権を持たせて、殆どの事は彼らの判断でやらせていた。

(彼らに言わせると、「俺らに任せて、どっかに遊びに行きよってー!」と言っていたが・・・・)

立場は、店長とアルバイトであったが、人生相談・恋愛・将来の夢・生き方・・・・閉店後、いつも彼らと語り明かしていたものだ。彼らにとっても、人生の中でこのアルバイト時代が一番勉強になったという。

私は、この頃に「褒めて伸ばす、任せて育てる」という事を学んだのだろう??

久しぶりの再会に本当に楽しい時間を過ごしました。また、集まろうな!

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コメント (1)
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