竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

まつすぐの道に出でけり秋の暮  高野素十

2018-09-16 | 


まつすぐの道に出でけり秋の暮  高野素十

なんだい、これは。おおかたの読者は、そう思うだろう。解釈も何も、それ以前の問題として、つまらない句だと思うだろう。「で、それがどうしたんだい」と、苛立つ人もいるかもしれない。私は、専門俳人に会うたびに、つとめて素十俳句の感想を聞くことにしてきた。私もまた、素十の句には「なんだい」と思う作品が多いからである。そんなアンケートの結果はというと、ほとんどの俳人から同じような答えが帰ってきた。すなわち、俳句をはじめた頃には正直いって「つまらない」と思っていたが、俳句をつづけているうちに、いつしか「とても、よい」と思うようになってきた……、と。かつて山本健吉は、この人の句に触れて「抒情を拒否したところに生まれる抒情」というような意味のことを言ったが、案外そういうことでもなくて、このようにつっけんどんな己れの心持ちをストレートに展開できるスタンスに、現代のプロとしては感じ入ってしまうということではあるまいか。読者に対するサービス精神ゼロのあたりに、かえって惹かれるということは、何につけ、サービス過剰の現代に生きる人間の「人情」なのかもしれないとも思えてくる。みんな「まつすぐの道」に出られるのならば、今すぐにでも出たいのだ。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)

【秋の暮】 あきのくれ
◇「秋の夕暮」 ◇「秋の夕」
かつては、秋の日の暮れ方、或いは、秋の終りと受け取ったり、また両義を内包しながら曖昧に用いられたりした。今は大方、「秋の夕暮」の意で用いられ、秋の終りをいう「暮の秋」と区別している。『枕草子』でも「秋は夕暮れ」としているように、日本人は秋の夕暮や夜には特別な趣を感じ取り、実に多くの句や歌が詠まれている。
例句 作者
夢さめておどろく闇や秋の暮 水原秋櫻子
童部の独り泣き出て秋の暮 許六
泣けば子が何故に泣くかと秋の暮 野見山ひふみ
此道や行人なしに秋の暮 芭蕉
門出でて十歩すなはち秋の暮 安住 敦
引く浪の音はかへらず秋の暮 渡辺水巴
水入れて壺に音する秋の暮 桂 信子
乗り替へるだけの米原秋の暮 北川英子
山見ても海見ても秋の夕かな 一茶
一人湯に行けば一人や秋の暮 岡本松濱

たけし 秋の暮


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