
水澄むや日記に書かぬこともあり 杉田菜穂
季語は「水澄む」。こうして読んでみるとこの季語は、「日記」という語によく似合います。水が澄んでいるかどうかを確かめるために水面にかぶせた顔と、日記を書くために過ぎた一日にかぶせた顔が、どこか重なってきます。大串章さんはこの句の選評で、「日記に書かれないのは、忘れたいためか、それとも秘密にしておきたいためか」と書いています。どちらにしても、読者の想像は心地よい刺激を受けます。でも、どちらかというと秘密のほうなのかなと、ぼくは思います。自分のほかにはだれも読むことのない日記の中にさえ、明かしたくないことがあるなんて。そんなに秘めやかなことがあるんだなと、それだけで感心してしまいます。なんだか日記が、旧来の友人ででもあるかのように感じられ、静かな呼吸をしながら、秘密をいつ明かしてくれるのかをそばで待っているようです。昨今の、未知の人にさえ公開して、コメントを待っているブログ日記とは、なんと大きな隔たりがあることかと、思われるわけです。『朝日俳壇』(朝日新聞・2009年9月21日付)所載。(松下育男)
秋(三秋)・地理
【水澄む】 みずすむ(ミヅ・・)
秋は夏に比べ水が澄んでくる。夏の間濁っている沼なども、底の石まで透けて見える。河川、湖沼、池から井戸水まで水が澄む。
例句 作者
水澄むや竜神今は留守らしく 東浦佳子
水澄みて金閣の金さしにけり 阿波野青畝
やうやうに水澄む思ひありにけり 藤田あけ烏
山荒れののちの白樺水澄めり 辻 直美
さざなみをたゝみて水の澄みにけり 久保田万太郎
これ以上澄みなば水の傷つかむ 上田五千石
水澄みて四方に関ある甲斐の国 飯田龍太
水澄むやとんぼうの影ゆくばかり 星野立子
故山いよよ日強くいよよ水澄めり 中村草田男
水澄むは蒼天映す身ごしらえ たけし
水澄むや素顔を見せぬ面ばかり たけし
水澄むを胸の芥が澱ませる たけし