
スリッパのまま誰ぞすててこ穿かんとす 大住日呂姿
季語は「すててこ」で夏。命名は、明治期に三遊亭円遊が寄席で踊った「すててこ踊り」に由来するという。汗を吸い取ってくれる、だぶだぶの男物の下穿きだ。最近はズボンの線が崩れるとかで、穿(は)かない男が多い。最初に公然と「ダサい」と言ったのは、デビュー当時の加賀まりこだった。それはともかく、作者は「誰ぞ」ととぼけてはいるけれど、むろん自分だろう。よほどあわてていたのか、普段はこんなにおっちょこちょいではないのに、何故かなあと苦笑している。温泉場などでは、よくやってしまいそうな失敗だ。作者の本意はこれまでだろうが、私は笑ったと同時に、笑ってすまされないものも感じてしまった。還暦くらいの年齢になってくると、この種のことをしばしば引き起こすようになるからだ。身体が自然に覚えているはずの手順が、ときとして狂ってくる。そのたびに苦笑しながらも、だんだん笑い事でもなくなってくるのだ。そこで、あらかじめ手順を頭の中で組み立てて反芻しながら、いかにも自然を装いつつ行動に移す。温泉場なら、すててこを穿いてからスリッパを履き、穿いたら使ったタオルなどをきちんとして……。こういう手順をあらかじめ想定しておかないと、何かをやらかしたり忘れたりしてしまう。もちろん一事が万事ではないが、こういうことが徐々に増えてくる。そんな自分を思いつつもう一度掲句を読むと、「誰ぞ」はまぎれもなく「私」であることになる。『埒中埒外』(2001)所収。(清水哲男)
【甚平】 じんべい
◇「甚兵衛」(じんべえ) ◇「じんべ」
「陣羽織」「陣兵羽織」の転用といわれる。男子用の袖無し羽織の名称で、形は冬期のちゃんちゃんこなどと同じ。現在は麻や薄手の布で作られ、夏期に関西地方で、老人や子供用に多く用いられる。
例句 作者
甚平を着て今にして見ゆるもの 能村登四郎
甚平を着て今にして見ゆるもの 能村登四郎
甚平やこころざしなほ衰へず 佐藤 忠
酢の飯を扇ぐ余生の甚平かな 河西みつる
甚平着て何やらゆとりとり戻す 藤田柾実
酢の飯を扇ぐ役目の甚平かな 河西みつる