
いくたびか馬の目覚める夏野かな 福田甲子雄
この馬、どういう状態にいるのか。行軍の記憶のようでもあり、旅のイメージも感じられるし、夏野を前景として厩の中にいる馬の様子のようでもある。目覚めという言葉から加藤楸邨の代表句で墓碑にも刻まれている「落葉松はいつ目覚めても雪降りをり」が浮かぶ。手術後の絶対安静の状態で見た夢ともうつつともつかない風景というのが定説だが、僕には墓に刻まれていることもあって、楸邨が墓の中で眠っては目覚めの繰り返しを永遠に重ねているようにも思える。そういう目覚めを考えていたら、甲子雄さんの句は人に尽くしたあげく野に逝った無数の馬の霊に思えてきた。馬頭観世音の句だ。『金子兜太編・現代の俳人101』(2004)所載。(今井 聖)
夏野(なつの) 三夏
【子季語】
夏野原、夏の原、青野、卯月野、五月野
夏野といえば美ヶ原とか富士の裾野など、広々としたところが思い描がかれる。風が渡ると青々と生い茂った草が、いっせいに靡いて大海原のようでもある。
【例句】
巡礼の棒ばかり行く夏野かな 重頼 「藤枝集」
馬ぽくぽく我を絵に見る夏野かな 芭蕉 「水の友」
もろき人にたとへむ花も夏野かな 芭蕉 「笈日記」
秣負ふ人を枝折の夏野哉 芭蕉 「陸奥鵆」
我ひとり行くかと思ふ夏野かな 二柳 「やまかけ集」
一すぢの道はまよはぬ夏野かな 蝶夢 「露の一葉」
絶えず人いこふ夏野の石一つ 正岡子規 「子規句集」
夏の行きつくしぬ大河横たはり 石井露月 「露月句集」