爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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雨の月曜

2022年12月05日 | Weblog
新聞でも、テレビでも、きょう一日、クロアチアというワードがひっきりなしに使われる。

その文化や風土を考えることもない。

ただ、目の前の倒すべき敵として。

パールハーバーにもひとがいた。

キエフにもひとがいた。

大連にもひとがいた。

満州にもひとがいた。
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ジーンズを買いに

2022年08月19日 | Weblog
もう学校に通っていない。

劣等感もないが、それを補うように無数に本を読む。

17歳。1986年。

町屋で乗り換え、表参道で降りる。

古着屋とアンティークショップ(値打ちのある骨董品ではなくアメリカの大衆雑貨)を巡り、渋谷から帰ってくる。

ハウスマヌカンという名称があり、彼女らの眉は太かった。

アンニュイという言葉が健康的な女性というのを凌駕する。

しかし、そんなことはない。

表参道で地下から地上に出る。

森英恵ビルがあった。

一生、入らないお店だが、その存在は知っている。

あの頃の、勢いのあった日本ももうない。

サイズの合う、良い感じに色落ちしたジーンズを買う。

その頃の、ぼくの制服。

コカ・コーラとリーバイス。

会社名であり、若さの特権的ななにかでもある。

タワーレコードの黄色い袋と輸入盤の匂い。あの長細い箱。あれは、翌年以降か。

空は、なぜか晴れている。

取り戻せないなにかでもあり、本のなかに書かれていたような過去の記憶でもある。それをパッケージしたものが青春と呼べそうなものかもしれない。
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最後の晩酌

2022年08月14日 | Weblog
見知らぬひとから友人になる途中、空いた時間があると、いわゆる「最後の晩餐」を訊ねる。

本心を知りたいわけでもなく、空白の時間を埋めるべく、会話の導入を質問という形にしたもの。

しかし、お酒というものに傾きがちな自分が、なぜ、「最後の晩酌」というお題を持ち出さなかったのか、いまになって理解ができない。

さて、どんなものがいいのだろう。

それは、酒の種類や量ということではなく、場所や空気感や日射しや昼や夜など、さまざまな背景が影響されるだろう。

南国のホテルからビーチを見下ろし、ソルティドッグみたいな冷えたものを。

イタリアのあまり有名でもなく、きれいでもない店で、ソフィア・ローレンみたいな引力に反発する凹凸ある服の中身を想像させる方の給仕を受けながら、赤いワインを飲んだり。

いまは、トップの力量をもたないサッカー選手のそれでも頑張る雄姿を見ながら大きなジョッキでビールを飲んだり。

大きな波が打ち寄せるのを室内で鑑賞しながら、鋭い味覚を感じる日本酒を選んでみたり。

秋が店じまいするころ、どこかの小さな店でためにならないラジオを聞きながらおでんでぬるめのコップ酒で手を温めたり。

ひとりでの妄想という頭のなかの会話。

そう考えるだけで、答えも得ないまま、なにか飲めそうである。

最後は点滴になるであろう、という未来を予測できる若者でもない自分の実感。

情景描写大会。

最後というより、経過とか未来が見えてしまう。

明日への英気という観点があるものなので、致し方ない。

この最高の一杯のシチュエーションというお題としての落第。
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店主

2016年09月16日 | Weblog
源泉資源枯渇のため、しばらくの間、休業します

あるいは、本日準備分のスープが終了しました。
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ビートルズで好きな曲は?

2016年02月14日 | Weblog
You've Got To Hide Your Love Away

アルバム「ヘルプ!」の3曲目。

ジョン・レノン作の歌。

メイン・ボーカルも本人。

当時のアメリカのヒーローでもあるボブ・ディランの影響が強い。

片方は現在も音楽を作り、ライブ活動も活発である。

当然のこと、もう片方のイギリスのヒーローはニューヨークで銃弾に倒れる。

心情を吐露することか、アイドル性を保つことか。

もっともっと深く自分の思考を歌にしていく。

40代の彼が作った音楽はどんなものだったのだろう?

再結成の誘惑に勝てたのだろうか?

映画のアイ・アム・サムでもカヴァーされている。

ビートルズの多数の曲がテーマでもある。

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フランスパン(バケット)でサンドウィッチ

2015年06月08日 | Weblog
フランスパン(バケット)でサンドウィッチ

パリの最後の日。同行者も自分も節約という観点がなかった。

大いに食べ、大いに飲む。

雨に降られ、美術館をいくつも回った。

モナリサを眺め、ベルト・モリゾを見つめる。

それらの楽しみも終わり。あとはホテルに戻って、荷物をぶらさげ空港に向かうだけ。仁川を経由して、なぜここに、という成田エアポートへ。

「もう一本ぐらい飲んでおきます?」ということは赤ワイン。

ホテルの場所は中心から外れた、ちょっと下町っぽいところ。

店に入る。店主は若々しく見える。祖父がいて、男の子がいる。店の立ち位置がいまいち分からないが、近所のひとたちがちょっとたむろするような定食屋とバルの中間のような場所だった。

つむじ辺りを隠すような小さな帽子をかぶっている。

だが、自分にとってすべては異人さん。

ショーケースを覗く。

鶏肉がある。フランスパンもある。

赤ワインで喉を潤し、これを頬張ったらという近い未来を予測して、頼んでみる。

「これ挟んで、サンドイッチみたいにできる?」メニューらしきものがない。見ていないのかもしれない。そういう調理法をベースにした店づくりなのかが具体的に分からないが、取り敢えずは交渉の世界である。

気楽にうけたまわってくれる。

真ん中を切り裂き、パプリカのようなものも入れ、ちょっと表面を焼いて、適度な大きさに切ってくれる。

満点。

白身魚のソテーに白ワインも旨かったし、ビーフ・シチューも絶品だったが、なんだか最終的にこれだった。

気取らない生活。気取らない人々。

いろいろお店にやってくる。

常連らしき、近くの学校の新米先生のようなタイプがにこやかに微笑む。(薄れた記憶の美化傾向により、瀬戸内海の夏目雅子さんと化している)

排他的なものは一切、なかった。

お金を払って、ホテルまで歩く。

この瞬間がいつも悲しい。

またオフィスでPCに向かう生活と再対面になるのだ。

バスは揺れ、飛行機も揺れる。機内食のクオリティーにげんなりして、映画を見る。

仁川でシャンプー・セットのようなものを買って、待ち時間にシャワーを浴びる。剃らなかった髭は一週間ほどで、むさ苦しくボウボウになっている。

成田から自宅まで。

すべてを記憶しておいて、すべてを忘れてしまうだろうというシーソーに乗っている。

時間が経って、2015年のいまである。

ネット上の地図は便利であり、危険でもある。なんとなくあの店を探す。ここかな、という見当をつけるが、あの日に簡単に戻れるわけでもない。

そして、排他的なニュースを見守る。

ボルドーを紹介する映画を見て、予想と反して、現在の市場を買い占めているのは中国の富裕層であり、その儲けのひとつの稼業は大人のトイザラス(パートのおばさんが無表情で組み立てている)であることを知り、文化もなにもなく、げんなりとしてしまった一夜のことを追記する。

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ムーブメントを記録する異国人

2015年06月06日 | Weblog
ムーブメントを記録する異国人

交換可能ならば、自分は誰になりたいのか?

即座に否定して、自分がやっぱりいちばんだな、と湯ぶねに浸かりしみじみ考える。今更ね。

気難しい顔。ひねくれた性格。ひりひりとした緊張感を愛好する。窮鼠猫を噛むを実践する主義だとしても。

そんなんでも、自分がいちばん。

しかし、このひとなら充分変わる価値があるというひともいる。

ドイツを離れる。船に乗って。貿易の仕事の傍ら、ニューヨークでレコード会社をつくる。

ジャズは変遷する。良いものと悪いものとの差が分かる。黒人音楽を愛好する。

ロックは68、9年が全盛でジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、スライ、ファンク、グッド・ヴァイブレーションズがあって、その後、消える。

ジャズのピークはその10年前辺り。真っ黒な音楽が記録される。

ブルーノート・レーベル。

その当事者のアルフレッド・ライオンになりたい。

生々しい音楽をレコードではなく聴ける。

途中で辞めてしまった演奏もあったかもしれない。

リハーサルにもギャラを出したとも言われている。

友人もやってくる。カメラマンとしての技術があり、自分のデザインを発揮する才能あるひとも加わって、レコード・ジャケットもアートになる。

すると、録音技師がいちばんなのかなとも考えられる。

リバーサイドやプレステッジの演奏も生で余分に聴ける。

だが、どのグループにするかチョイスして、誰をメンバーに選ぶか、その妙も楽しそうだ。

それも上手かったのがブルーノート。

後年、倉庫にある膨大な録音を発掘するマイケル・カスクーナというひとも登場する。ジャズ界のシュリーマン。古代への情熱。

その恩恵を自分も受ける。

販売と未発表にした差がそれほどない。別バージョンも聴ける。

衰える部分も機能もあるが、耳だけはなんとか持ち応えている。

低音を愛好する。オスカー・ピーターソンがブルーノートで録ったら、どうなっていたのだろう。趣味ではないのかもしれない。

自分も本末転倒でレイ・ブラウンのがっちりとした音を聴くために彼の音をかける。

ブルー・ミッチエル、ジーン・アモンズ、グラント・グリーン、トミー・フラナガン、ジョージ・タッカー、几帳面で哲学のないアート・テイラーというメンバーを集めてブルーノートで録音してくれてたらな、とも思う。黒いけど、ひとりピアノだけが可憐にまとめてくれる。

いまは、900円ほどでネットで買える。

月々、1,000円ぐらいで世界の音楽が聴き放題というプランもサイトもある。

しかし、あの時代のあの音楽と熱気をそのままで聴ける術がない。

トランペットのつばきがかかるぐらいの近距離で。

いくらお金を積んでも、できないものはできない。

そして、自分の着ぐるみも脱げないのであった。

湯で、その皮膜を一部、取り去るのみが限度であった。

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ラクリマ・クリスティ

2015年06月03日 | Weblog
ラクリマ・クリスティ

いつ、人見知りという鉄壁の要塞を跳び越えて、あるいは最高の防寒具を脱ぎ捨ててしまったのだろう?

短い連休をむりやりつくりツアー旅行の一員になる。

ローマにいた。男性が三人であった。

ふたりは別行動をして、ぼくはポンペイという埋もれた街のオプションに参加するため、同じホテルの新婚さんと、さらに出発地のホテルのロビーに向かうため、タクシーに乗っている。

寡黙とか物静かということが許されない環境である。

お荷物になってしまう。まあ、過剰に自意識過剰なのだが。

ほぼ他人に等しい新婚さんはタクシーの後部座席。独り身はドライバー横の助手席へ。

ローマではじめてシート・ベルトをつかった人間かもしれない。

「乱暴な運転だな!」とこころのなかで思いながらも無言のまま身体は左右に揺られている。それでも、ローマの早朝の街並みは驚くほどきれいだった。すこぶる、アメージングとか形容詞を順番に頭にうかべる。

バスに揺られ、南下する。ナポリに寄って海をバックの坂道で写真を撮る。新婚さんの美人妻ともパチリであった。後々、このときの写真を郵送し合う間柄も構築したが、それ以降の関係性を深めることをためらった。

いろいろ、がんじがらめの世の中である。

ポンペイに向かう前だと思うがランチになった。三人でテーブルを囲むといういびつな関係である。

夫も痩せ型で姿よろしく、その常でガッツクという無様な振る舞いをしたこともなさそうだった。

せっかく輪に入れてもらったのだから、それなりに会話でサービスをしようと決める。

お道化、幇間。

やれば、できるものだった。

そして、ワインはラクリマ・クリスティというその辺りでは定番のものを頼んだ。

このときの会話が楽しかったので(もちろん、お世辞分を差し引く覚悟)、また東京でも会いましょうという手紙が写真に同封されていた。住所は練馬だった。

どのぐらいの割合でひとびとは離婚をするのかも分からないが、初々しいふたりはとてもお似合いだったので、あのままずっとつづいてくれたらいいなと願う。

ひとり、おじさんは誰かの涙を飲む。

ローマの駅前で別れ、ふたりはおそらく夜のオプションに向かい、自分は止まってしまった地下鉄に戸惑うのだった。

だが、なんとか帰って、また男性三人で夕飯を食べることになりました。

途中、「タクシーひろってあげようか?」との親切な兄さんとも会う。

その善意の行為もむなしく、混雑した道路は空きのタクシーなどない。少しすると、電車はゆるゆると再開したようでもあった。

自分はイタリア語などには無頓着だが、どうにかこうにかやっているみたいだ。

こうしたツアーの連続で、人見知りも消えたように思う。

最近は初対面のひとに会うたびに、「人見知りでちゃうんだけど……」と言うが、自分自身で信じられなくなっている。コルクを抜いたワインと同じで、もうフタは戻らないのだった。

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かわはぎ

2015年06月02日 | Weblog
かわはぎ

クラシック音楽を聴いた。作曲者の名前も思い出せない。自分が高等な人間になった気がする。そのメッキは限りなく薄く、剥がれやすいことは当人がいちばんよく知っている。

夕方の入口。

酒場に向かう。例えば、ひとりで入ったときの店員の接する態度を偏差値50と仮定する。失礼でもなく、王子様でもない。ここが普通。突っけんどんでもなければ、うやうやしさもない。

ふたりで入る。あれ? 対応悪くないという場合もある。偏差値が下がる。ところで、この日にいっしょに行った女性といると、なかなか丁寧な対応をされる。特別な何かがあるわけでもないが、特別、何かが足りないとも思えない。

自分といっしょにいるぐらいだから金銭目当てでもない。ただ、いっしょにお酒を飲んで旨いつまみでも喰いたいだけ。

ある店は夕方なのに、もう満員。こうなるリスクをあまり考えてもいない。王子と王女でもないので歩いて別の店を探すことにする。

味覚も似ている。好物も似ている。

間もなく、能登料理という看板があった。それほどの繁盛店とも思えないが、ここにしようと決める。

飲み物を頼み、料理を考える。

男性の主らしきひとは、テーブルの横で愛想よくお勧めを声で並べる。

現地から空輸しているとのこと。かわはぎがあるともいった。味が想像つかない。ではということで頼んでみた。

大きな円い皿に切り身が盛られる。淡泊そうな色合い。

真ん中に肝が入った小皿もある。淡泊そうな切り身をこれにつけて食せとのご指示。

やってみる。

一気に濃厚な味になる。試しに切り身だけだと、やはり淡泊。

結果、はずれではなかった。さっきの店に断られて良かった。

他の刺身も注文する。しかし、あの濃厚な味を知ってしまうと、すべてが物足りなくなる。すべて、いったん肝にバウンドさせる。すべて、おいしい。チキン・ナゲットのソースともいえる。上品な例えではなくなる。

いろいろな店で日本酒を飲む。チョコの日に黒ビールをプレゼントしてくれた。

そして、そのうちに会わなくなる。

やり残したこともあるような気もするし、やり直したいともまったく思っていない。

花火の夜に青い浴衣をきていた。その後、飲みに行く。可愛い店員は自分が働いていることを呪うような口調で、「わたしも花火を見に行きたいな」と言った。

自分は恵まれていたのかもしれない。その割に、別の華やかな人生を、手に入らないアナザー・ライフを求めていた。肝の濃厚さにも似た。

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サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会

2015年06月01日 | Weblog
悪いことをしたなと思っている。

ただ、歩かせ過ぎてしまった一件についてだけである。

ローマ3泊5日とかいう無謀なプランである。

基本、無駄に歩けるので、そう広い町でもないから、こことここは歩いてしまおう、という簡単な解決策。

同行者にも有無を言わせない。

普通に能天気に、「真実の口」にも手を突っ込む。

お前の気持ちは、どうなんだと問われれば、手がのこっていることを証明の事実とするしかない。

サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会には、ミケランジェロ作の「モーセ像」がある。

関係ないが、フクロウとミミズクの差は、尖った部分があるかなしかの差であるようだ。耳があるズク(フクロウ)なので、ミミズク。

この像には、角がある。

その前に、午後がはじまったばかりの中途半端な時間なので、教会は午前の部も終わり閉まっている。

では、その間に昼ご飯でも食べておこうと、直ぐ近所にあるあまり上品とも呼べない定食屋風情のところへ。

感じとしては、日本橋の裏路地にある商売を度外視したいくらか家庭的なところ。

アラビア風のペンネが好き。だからそれを頼み、赤ワインも。同行者がなにを注文したかは失念している。ただ、たくさん食べる性質だけは知っている。食べ放題なんて店を選ぶ基準にないが、この時期だけはそれを考慮した。

後出しじゃんけんのような悪口とも思える。

男性は、関与した女性のことについてあれこれ言わずに無言で通すというしきたりを守ったほうがいい。

だが、観察と饒舌を後天的に、まさしくイタリア人になろうと決意した事実により取得した自分は黙っているわけにもいかない。キーボードこそが、ぼくの魔法の杖なのだ。

ところで、料理のことだった。

この期待もしなかったペンネこそが絶妙の味だった。まさに庶民の胃袋を満たすための味。ワインもスノッブ的には無関係な命の水の味。

食べ終わる。そして、時計を気にする。

もう教会は開いているだろう。

ミケランジェロを見る。いくらか賽銭を入れると、ランプが数秒だけ着く。

邂逅というのは短時間であるものなのだ。

その後、歩いたかもしれないし、地下鉄に戻ったのかもしれない。コロッセオの大きさを確認したのかもしれない。

しかし、どの遺跡よりも、高級そうではまったくないあの店でペンネをもう一度、食べたいなと思っている。

ガイドブックには今後も載らないであろう、歴史的裏付けもまったくない店。

ここが自分らしいといえば、とっても自分らしい。

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リゾット・パルミジャーノ

2015年05月29日 | Weblog
リゾット・パルミジャーノ

 上野は馴染みの場所だった。

 幼少時には最初の行くべき都会として君臨する。盛り場。いまは美術館と昼酒の町である。

 どちらに属さない経験もある。女性と歩けば景色も変わる。ビルの地下の異質な食材ですら美しく感じられる。香辛料の強そうな缶詰も小道具としての役割を充分に発揮した。気分は、ミュージカルの主役である。

 あとにもさきにもあの料理をここでしか食べていない。ビルの上階にあったイタリアン・レストラン。ワインも飲んだ気がする。大人になってからアルコールを一滴も入れない夕飯など、そうそうもない。日常は安い缶チューハイであったにしても。

 前菜もおいしかったはずだ。しかし、かなりの時間が経っても記憶にのこっているのはひとつだけだ。

 大きな固まりのチーズにスコップで掘ったような窪みが真ん中にある。それがワゴンで運ばれてくる。テーブルの横に鎮座しても、その後の近い未来の結末を知らなかった。すると熱々のお米が運ばれてきて窪みに落とす。衛生的にどうかと思うほど潔癖にはできていない。

 その凹みのなかでチーズと格闘である。熱にほだされたチーズは自分の襟元を緩め、ご飯とからまる次第であった。包容力と溶解のチームワークだ。

 スプーンですくって熱々のタッグを舌にのせる。誰がこの乱暴な方法で、繊細な味を発見したのだろう。

 この場面は赤ワインを抜きにして考えられない。

 お店自体がいまもあるのか把握していない。興味もなくなった。いや、その女性との思い出を今後ものこそうと願っていないのだ。夢よ、さらばであった。

 そして、お米というのをできるならば食べたくない。赤貝と日本酒、貝と白ワインが理想であった。胃というのは思い出とはまったく無関係に縮こまる運命を有していた。

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やっぱり

2006年12月01日 | Weblog
冬の朝 ガムの堅さで 知る寒さ
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メルへン信仰

2006年11月22日 | Weblog
ときめきを 覚えた夜と あの匂い
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あのスメル

2006年10月30日 | Weblog
銀杏かぎ 靴の裏まで 心配し
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な!

2006年10月07日 | Weblog
伝票と 金のカードと その夜と
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