拒絶の歴史(93)
1月になったが、大学はまだ休みだった。ぼくは、21才で、雪代は24才ぐらいだったはずだ。彼女の東京での生活もあと数ヶ月を残し、そうなればぼくが東京に行く機会も減ってしまうことが考えられ、この土地に執着しすぎてしまうことを心配したのだろうか、彼女はぼくを誘った。それで、車に荷物を積み込み、最初はぼくが運転し車を出発させた。
直ぐに高速に乗り入れ、車は快適に景色をかえ進んでいった。普段、雪代が聞いている音楽がダッシュボードに詰め込んであり、それを聞いてもよかったが、ぼくはそのままラジオのニュースを流し、ひとびとの不幸や突然おとずれた思いがけない出来事を知った。彼女はなんどもこの道を往復し、見慣れた景色にもう興味が持てないようだった。それで、思いついたいくつかのことを、ぼくに話しかけた。
「戻ってきたら、もう少し広い部屋に移ろうか?」
「ぼくが、働くようになってからでもいいんじゃないの?」ぼくは前を見つめたままだ。「店の家賃とかも増えてしまうだろうし」
「でも、うまく店のほう、お客さんが来てくれるかな?」
「だって、自信があったんじゃなかったの?」
「そうだけど・・・」
渋滞がそろそろ起こり始めたころ、サービスエリアで少し休憩した。コーヒーや軽食を食べ、リラックスしてぼくは足を投げ出し、身体を延ばした。彼女はトイレに行き、運転しやすいように髪をまとめなおしていた。普通のひとがすれば個性をなくすような髪型だったが、雪代がそうするとよりいっそう彼女の顔の陰影が引き立った。
休憩所のドアを開けると、冷たい風がぼくらを襲った。ぼくの耳や手の先は痛みを感じるほど凍えた。だが、車の中にもどると風からも守られ、静寂が戻ってきた。ぼくは助手席にすわり、聴くべき音楽を探した。ミュージカルの主題歌を集めたテープがあり、ぼくはそれを無造作にカーデッキに入れた。それが鳴り出すと、雪代は小さな音でハミングした。彼女は、このような音楽が好きなのだ。ぼくも何曲か覚え、後にジャズを聴くようになってそれらの土台があることが参考になって役立った。
ぼくより車に乗り慣れている雪代の運転は世間と歩調が合っているようだった。後方を鏡で確認し、両足の微妙な力の入れ具合により、ズボンが揺れた。ぼくも前を見ていたはずだが、横目でそれらの情景がうつった。
段々と空気は清浄さを失い、身体や車にまとわりつくような印象を与えた。高速道路を降り、彼女の住む家に向かった。近くになると、ぼくも見慣れた景色が目に入った。その辺になると、ぼくの運転では道に迷ってしまうかもしれなかった。
車は駐車場の確保されたスペースに入り、エンジンを止めた。バックを取り出し、歩いて彼女のアパートまで向かった。5月には青く繁っていた葉は、いまではどこにもなく外観をまともに見せていた。部屋に入り暖房器具をつけ窓を少し開けて空気を入れ換えた。そのままベランダに残って東京の空を見上げた。もうすでに日の入りの時間が迫っており、夕焼け空にかわっていた。多くの電線が空をさえぎり、自分のこころを窮屈な気持ちにさせた。
「そとは寒くない? 部屋に入って温かいものでも飲みましょう」と雪代は言って、カーテンを少し閉めた。
しかし、そうしながらも暗くなるまでの数分をぼくはそこにたたずんで暮れ行く空を眺めていた。
部屋に入ると、紅茶のにおいがした。全体的に彼女の荷物もいくらか少なくなった印象をもったが、気のせいという範囲であったのかもしれない。
紅茶を飲み終え、ぼくらは、少なくともぼくは少しましな洋服に着替えて、外出した。東京の気温はぼくらの町よりいくらか暖かかった。外灯の明かりの量や光の強さもぼくらの町とは違っていた。その下にいる雪代は、こちらにいる方が輝いているような印象もあったが、その分、自分との距離は離れてしまったようだった。
あるアジア料理を食べさせてくれる店に入り、不思議な味のビールを飲んだ。
「ここでの生活もあと数ヶ月で終わりになるのね」と雪代は言った。
「そうだね。楽しかった?」
「楽しかったし、淋しかった。どう?」
「うん」ぼくはビールを飲んだ。彼女は自分の目標に向かって、突き進んでいた。ぼくも、自分の未来を構築させる必要を感じていた。それが出来るかどうかはたいした問題ではなく、雪代がそばに戻るということをより大切なことだと感じている子どもっぽい自分がいた。
そうしていると何品かの料理が並んだ。シタールの音だろうか不思議な音楽が店内に流れていた。それに身を任せていると自分の小ささや、それに対してのこの大きな都会の雑踏の一部である不安ともいえない、また安心感ともいえない寂寥感を自分は感じていたのだ。
東京での残された夜が一日一日と減り、ぼくはまた電車で自分の場所に戻ることになる。数ヵ月後は、また彼女もそうするであろうということを信じて。
1月になったが、大学はまだ休みだった。ぼくは、21才で、雪代は24才ぐらいだったはずだ。彼女の東京での生活もあと数ヶ月を残し、そうなればぼくが東京に行く機会も減ってしまうことが考えられ、この土地に執着しすぎてしまうことを心配したのだろうか、彼女はぼくを誘った。それで、車に荷物を積み込み、最初はぼくが運転し車を出発させた。
直ぐに高速に乗り入れ、車は快適に景色をかえ進んでいった。普段、雪代が聞いている音楽がダッシュボードに詰め込んであり、それを聞いてもよかったが、ぼくはそのままラジオのニュースを流し、ひとびとの不幸や突然おとずれた思いがけない出来事を知った。彼女はなんどもこの道を往復し、見慣れた景色にもう興味が持てないようだった。それで、思いついたいくつかのことを、ぼくに話しかけた。
「戻ってきたら、もう少し広い部屋に移ろうか?」
「ぼくが、働くようになってからでもいいんじゃないの?」ぼくは前を見つめたままだ。「店の家賃とかも増えてしまうだろうし」
「でも、うまく店のほう、お客さんが来てくれるかな?」
「だって、自信があったんじゃなかったの?」
「そうだけど・・・」
渋滞がそろそろ起こり始めたころ、サービスエリアで少し休憩した。コーヒーや軽食を食べ、リラックスしてぼくは足を投げ出し、身体を延ばした。彼女はトイレに行き、運転しやすいように髪をまとめなおしていた。普通のひとがすれば個性をなくすような髪型だったが、雪代がそうするとよりいっそう彼女の顔の陰影が引き立った。
休憩所のドアを開けると、冷たい風がぼくらを襲った。ぼくの耳や手の先は痛みを感じるほど凍えた。だが、車の中にもどると風からも守られ、静寂が戻ってきた。ぼくは助手席にすわり、聴くべき音楽を探した。ミュージカルの主題歌を集めたテープがあり、ぼくはそれを無造作にカーデッキに入れた。それが鳴り出すと、雪代は小さな音でハミングした。彼女は、このような音楽が好きなのだ。ぼくも何曲か覚え、後にジャズを聴くようになってそれらの土台があることが参考になって役立った。
ぼくより車に乗り慣れている雪代の運転は世間と歩調が合っているようだった。後方を鏡で確認し、両足の微妙な力の入れ具合により、ズボンが揺れた。ぼくも前を見ていたはずだが、横目でそれらの情景がうつった。
段々と空気は清浄さを失い、身体や車にまとわりつくような印象を与えた。高速道路を降り、彼女の住む家に向かった。近くになると、ぼくも見慣れた景色が目に入った。その辺になると、ぼくの運転では道に迷ってしまうかもしれなかった。
車は駐車場の確保されたスペースに入り、エンジンを止めた。バックを取り出し、歩いて彼女のアパートまで向かった。5月には青く繁っていた葉は、いまではどこにもなく外観をまともに見せていた。部屋に入り暖房器具をつけ窓を少し開けて空気を入れ換えた。そのままベランダに残って東京の空を見上げた。もうすでに日の入りの時間が迫っており、夕焼け空にかわっていた。多くの電線が空をさえぎり、自分のこころを窮屈な気持ちにさせた。
「そとは寒くない? 部屋に入って温かいものでも飲みましょう」と雪代は言って、カーテンを少し閉めた。
しかし、そうしながらも暗くなるまでの数分をぼくはそこにたたずんで暮れ行く空を眺めていた。
部屋に入ると、紅茶のにおいがした。全体的に彼女の荷物もいくらか少なくなった印象をもったが、気のせいという範囲であったのかもしれない。
紅茶を飲み終え、ぼくらは、少なくともぼくは少しましな洋服に着替えて、外出した。東京の気温はぼくらの町よりいくらか暖かかった。外灯の明かりの量や光の強さもぼくらの町とは違っていた。その下にいる雪代は、こちらにいる方が輝いているような印象もあったが、その分、自分との距離は離れてしまったようだった。
あるアジア料理を食べさせてくれる店に入り、不思議な味のビールを飲んだ。
「ここでの生活もあと数ヶ月で終わりになるのね」と雪代は言った。
「そうだね。楽しかった?」
「楽しかったし、淋しかった。どう?」
「うん」ぼくはビールを飲んだ。彼女は自分の目標に向かって、突き進んでいた。ぼくも、自分の未来を構築させる必要を感じていた。それが出来るかどうかはたいした問題ではなく、雪代がそばに戻るということをより大切なことだと感じている子どもっぽい自分がいた。
そうしていると何品かの料理が並んだ。シタールの音だろうか不思議な音楽が店内に流れていた。それに身を任せていると自分の小ささや、それに対してのこの大きな都会の雑踏の一部である不安ともいえない、また安心感ともいえない寂寥感を自分は感じていたのだ。
東京での残された夜が一日一日と減り、ぼくはまた電車で自分の場所に戻ることになる。数ヵ月後は、また彼女もそうするであろうということを信じて。