爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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11年目の縦軸 38歳-42

2014年07月31日 | 11年目の縦軸
38歳-42

 支流だと思っていたものの、上流からの水が干上がり、放出する側も滞れば、もう流れとは呼べなくなった。堰き止められたものはゴミを貯め、透明度を失う。だが、ひとりの女性がいなくなっただけで、ぼくの世界がすべて消えると考えるほどには、夢中にはなっていなかった。手元にのこる趣味がある。カメラがあり、買い集めたCDやレコードのすべてが津波で流れ去ってしまったわけでもない。堰き止められたなかに大切なものも少なくない程度にあった。

 それらとは長い期間を通して親しくなっていた。手のひらや息という実際の温度で直になぐさめてくれるわけでもないが、ひとりの夜に無視するほど冷酷な媒体でもない。あるレベルまでにはときめきをもたらさないが、友人との酒を酌み交わす日々もあった。学ぶという作業もいまだにのこっており、また反対に学びえない事実というのも経験と結果をこうして提示され、有無を言わせず教え込まれた。

 ぼくはひとりの女性と永続させる関係を築けない欠陥品なのだ。それは、十六才のあの経験が刻んでしまった遺産だった。戻ってやり直しが利かない以上、抵抗も恨みも起こらない。若気の至りで自分の身に色を彫ってしまっても、その状態が長引けば、これが自分だと認めるしか方法も解決もなかった。

 誰も悪くない。ついでにおまけのように上手くまぶせて誤魔化してしまえば、ぼくも悪くない。みなどれも若くて青い時期に判断をくだした積み重ねであり、失敗したとしてもぼくの判断でそうなったために、慎ましい責任も生じた。親や教師のアドバイスもない代わりに、自分のこころが先頭を突っ走っての判断であるので、悪いことでも身軽な責めであると認められた。うまく説明できたとも思えないが、だから、ぼくも悪くない。ぼくの買い集めたレコードも悪い趣味ではないのだから。

 ある面では自分の子孫へバトンをつなぐのが人類たる個々の運命だとも呼べた。そう考えればぼくはレールからもコースからも外れた。六十億人以上がいれば、不具合がある人間がいても、ある程度は、計算のうちの誤差や妥当という大まかな意味合いで済ませることは可能であろう。

 ぼくは悪くない。

 十七才のある夜に人生を終わらすことだってできたのだ。ぼくは悪くない。

 希美と沖縄に旅行に行き、それをハワイの新婚旅行という思い出として重ねることもできたのだ。ぼくは悪くない。

 もっと音楽の趣味も悪く、つまらない曲に感動することも起こり得たのだ。ぼくは悪くない。一冊の本も読まない人生だって、ぼくの学力では当然かもしれなかったのだ。ぼくは悪くない。

 サリンを精製して、地下鉄にばら撒くことに喜びを感じる人生も、まったくなかった訳でもないのだ。ぼくは悪くない。幼児に必要以上の愛着をわかす趣味も植え付けられたかもしれなく、嗜好が芽生えることも皆無ではないのだ。ぼくは悪くない。

 だが、総じてぼくは悪かった。悪いということを認めるのが、これからの花を咲かす機会ともなるのだ。

 ぼくは悪い。

 あの少女に再会したときに、もう二度と離さないと口にしなかった自分は、誰よりも冷たく、愛が足りないという意味で悪かった。悪夢を彼女につくった。

 希美を成田で送った夜に彼女の友だちと過ごした夜も悪かった。世界は報いを与えたがり、罰の行使も容認という風には簡単にすすまなかった。どこかで痒い背中には誰かの手が伸びるのだ。神も悪魔もいなくても、どこかで水平と均衡というバランスを保つ物差しが世界を支配しようとしていた。ぼくは、いろいろなものから逃げおおせたつもりだった。

 ぼくは悪かった。買い集めたレコードと同じ列に絵美を置く自分は最悪だった。卑劣であり、人間の記録を書く権利も義務も有するはずもなかった。ひとりとなって淋しい未来を冷たく固い布団で迎えるのが当然だった。

 ぼくは悪くもなく、良くもない。いつもながら中庸だった。犯罪者にもならず、正義の使者でもない。絶えず寄付を念頭におくこともなければ、収賄や賄賂も知らない。失敗でなにごとかを学び、完全には失敗を生かし切れないということでも普通だった。その普通たる、圧倒的な美も絶大なる権力もない自分を少なくとも三人は一時的にせよ愛してくれた。全力で、愛してくれた。ぼくは勝利者である。

 ぼくはあるいは敗者である。

 その全力を闘牛の猛進でもあるかのように身体をひるがえした自分は、勝利をおさめたように見せかける敗者である。衣装を汚さないという面だけが華やかであると勘違いして。

 彼女らは鮮血を流した。

 ぼくは愛した女性たちを牛と同列に置く、悪人である。この文章が見事であるかどうかだけを大事にしている極悪人である。彼女らの涙にハンカチを差し出すことより、てにをは、だけを気にしている身勝手な自己中心的な悪人である。

 ぼくはひとりになった。親も子も血の遺伝も介在させないただひとりの人間である。

 数滴の液体を彼女らに居座らせようとしながら、結局は失敗した失笑されるべき恥にも無頓着になれる、貴重な潜在的な悪人である。これらをひっくるめて後天的な芸術家を目指したが、これもどうやら終わりになりそうだった。やっと肩の荷が降りる。
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11年目の縦軸 27歳-42

2014年07月30日 | 11年目の縦軸
27歳-42

 希美は帰省している間に、幼なじみと再会したようだ。もともと同じ風景を基礎とする相手を無意識に彼女は探していた。さらに外国での生活がより自分の周囲を、いわゆる原体験のようなもので覆いたかったのかもしれない。そうなると、ぼくは部外者として当然のこと、はじき出される。

 ぼくは淋しさが押し寄せてくるのに無防備でありながら、同時に重荷が降りたという解放感もあった。ぼくを思いの底辺のどこかで信頼していなかったのかもしれない。ならば、ぼくを心底から信頼してくれるひとを見つける必要があった。早急に。いないかもしれないが性急に道を変えないと、ぼくはだらだらと、間違った道であり、行き止まりが確実な道から抜け出せなくなってしまう。

 ぼくは自分に選択権があったようなずるい言い回しをしている。加害者であるような素振りだが、完全に受け入れられない恋のさらに受け身の立場だったのだ。ぼくは本気だったのに。

 ぼくは合併の直前で、破談になった会社のニュースを目にする。計画は棚上げされた。お互いの強みを結び合わせることによって収益も上がり、将来性も加速される。だが、どこかの小さな一点でも疑いがあれば、歯車は狂う。一致させるのは困難になるのだ。もとはお互いが異なった個性があり、特有の歴史もある変遷も別々の会社なのだ。利益のみを主体に行動することもむずかしくさせるときもあるのだろう。

 これは、ぼくと希美の話でもあった。

 好意だけではスタートを切るだけの勇気を得られなくなった年代の話なのだ。点検と事前チェックを怠ることを許さない性分は、もちろん、失敗を前提に結婚などできない。

 ぼくは無駄になってしまった期間のことを追慕する。ぼくは外国で働く希美を熱心に待っていた。あのときにぼくに告白してくれた女性もいた。彼女も素敵だった。ぼくは当然のこと断らなければならない。別の選択はなかった。今更、あの告白がいまだに有効であるのか確認する術もない。彼女の悲しみを癒すのは、もうぼくの役目ではない。憎まれているのか、とっくに忘れられているのかも分からない。ぼくはあの前に別れていることもできたのだろう。だが、しなかった。したくもなかった。

 ぼくは、共通の友人からふたりの写真を偶然に見せてもらう。特別、ハンサムでもないし、リッチそうでもない。ぼくも客観的にならなくても、同じグループだった。すると、ふたりに大きな差はない。しかし、幼少期の風景が一致するという土台は、かなり大きな要素でもあるのだろう。同じ過去を有している。それより、未来を同じ方向に向いている、という方がより大事だと思うが、ぼくらのその視野はカーテンでふさがれた。

 友人たちはぼくに気をつかう。ぼくの気持ちは隠さなくても知れ渡っていた。また、隠す必要もなかった。ふたりのした小さな約束はいつまで有効なのだろう。どちらも忘れられない類いのことも数種類あるはずだ。だが、関係が終わればどちらも踏みにじってよいのだ。非難するひとも、訂正を求めるひとも、行使をつめ寄るひともいない。ゼロ。

 希美の幸せをのぞみながら、ぼくのそれとは一致せずに、関わりもなくなってしまった事実にぼくは単純に驚いていた。それをすり合わすという行為をぼくらはずっとつづけていたはずなのだ。それが、まったくの無関係になった。その開いてしまった幅がぼくの胸の痛みと等しかった。

 スポーツでチームで戦ったこともあるが、基本的にぼくはひとりで訓練して、ひとりで負けから這い上がろうとした。その基準は失恋でも恋の終わりでも同じだった。ぼくは、自分を隔離して、束の間だが友人たちとも疎遠になった。その身分はどこかで安らかだった。気をつかうこともなく、やはり、いくらかの解放感があった。解放感を永遠に味わうことなど誰もできはしない。責任や役目を負ってこそ社会の一員として成り立つのだ。だが、ぼくは仕事が終われば腑抜けになった。翌朝に目を覚ますまで、そのことを責める資格あるひとはいなかった。

 写真のなかのぼくの後釜は、順番など一切無視して、とても幸せそうだった。希美にはそういう貴重な価値があるのだ。その宝石のようなものを認識しているのは彼だけではなかった。手に入れられなかったぼくもその気分だけは同じでいる。

 ぼくはひとりで残業していた。この状況は、常に捗るということを約束された時間だったのに、きょうはまったくぼくの側にいてくれなかった。少し先で消防車のサイレンの音がする。どこかで鎮火しなければならない場所があるのだろう。音は段々と大きくなり、その場所が近いことをあらためて教えてくれる。

 ぼくは窓のそばまで行き、出火や煙の所在を確認しようとした。突進する車上からの信号を無視する放送まで聞こえてきた。たどり着くべきところは、このぼくの胸の奥なのだと思おうとした。ぼくのこころを鎮火させるのだ。無駄になってしまった愛の灰をどこかで蒔かなければならない。その灰は何かの栄養になる。ぼくの栄養では決してない。ぼくの腐敗。ぼくの澱み。ぼくの堆積。どう呼び替えても、美しくはならなかった。いつか、それでも美しいものと変化する確率はある。彼女がぼくを選ばない理由を見つけるぐらいと同等の確率なのだろう。出火は止んで。
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11年目の縦軸 16歳-42

2014年07月29日 | 11年目の縦軸
16歳-42

 会うこともなくなり、うわさも聞かなくなる時期になる。

 最後のうわさは結婚したというようなものだった。それから、早い年齢で子どもの母親になる。うわさすら、ぼくはもう手に入れることができない。

 未練を下敷きにしたような本もたくさんある。反対に人間の再生を謳う本も負けずとある。ぼくは、いつかこのことを書かなければいけないと勝手に宿題にしている。何度も焦るが、結論を急ぎ過ぎて失敗に陥ってしまう。克服も、ぱさぱさに乾いた未練もぼくにはなかった。どこかで見たものを滑稽にマネしただけのものになった。後世にのこすに値しない及第点に満たないもの。また、後世の読者としてイメージできるのは、さらに年齢を増した自分自身の忠実な姿のみだった。

 いま、こうして、書いている。もうあの日々を詳細に書き写すことを先延ばしにする限界が来ていた。そして、きちんと整理が済んだうえでの解決も、完全なるピリオドを打てる決着もないことを知っている。丁寧にプレゼントを用意したが、移動のうちに揺られた結果、包装紙とリボンが少しぐらいずれても、渡された相手は文句を言わないだろう。でも、誰が受け取るのだろう。これを、首を長くして待ち望んでいるのだろう。ぼくですらどこかにこの箱を置き忘れる可能性だってあるのに。

 ぼくは自分の気持ちが、あの日々に、あれほどまでに高揚したことを確かめる手立てもない。中味はすっかり入れ替わってしまっている。充電式の電池のように中は別のところで補充したエネルギーなのだ。この目盛りはあの当時から変化をしたが、同じレベルを保っているのに、高揚感だけが他人の素振りをした。

 ぼくはあの恋と、別れた後に費やしたエネルギーではどちらが分量として多いのか比較しようとしている。結果は問う前から分かっている。あの亡霊を払い除けるのにぼくは我が生命のかなりの部分を消耗したのだ。努力の甲斐なく、完全には亡霊は消えなかった。その亡霊と折衷して、ときには壁を通過して出現することまで許したのだった。

 実物は、どこかで幸福になっているのだろう。娘か息子がいる。ぼくの耳にできるうわさも中断した。これ以上、物語を進行しても彼女はもう関係者ですらなく、登場する資格さえ失うのだ。そこから派生したぼくの副次的なつまらない物語として終始することになってしまう。さらに読み手は減少する。ぼく自身も、もう執着も未練もないぼくの人生だけが長々とつづられる。

 そろそろ終わりに近付く。現実はとっくのむかしに終止符を打っている。蘇生させるように何度も胸にショックを与える器具で衝撃を加えた。これも役に立たなくなる。絶命。

 ぼくは病院のベッドで横たわる自分を、横に置いた背もたれもない固い椅子にすわり、見守っている。この死んだ青年に再度、命を吹き込む女性があらわれるかもしれない。生きることを謳歌し、賛美するのをためらわせる余地などもたない女性が。そのときまで、ゆっくりと目をつぶっていてもらう。記憶を抜くこともできず、ひとつのキーであっさりと消去することも不可能だ。段々としぼませるしか方法はない。風船は小さな元の形状になる。あのなかの密度は霧散する。

 ぼくは悲しみという元手を利用して賢くなろうとしていた。横たわる自分の耳元で本を読んであげる。数百冊の本から自分の歩むべき未来の回答を探してあげようとした。ヒントもあれば、その正体の近似値あたりをさまよえる幸運もあった。だが、どれも永続はしない。一時的な睡眠薬と同じで、結局、悲しみは目を覚ました。

 着替えをさせ、食事を与える。おしゃれという観点もなく、自分の身を覆うのは白いTシャツと古びたジーンズで充分になった。女性を笑わせるとか、楽しませるという目先の利益に通じることもぼくにはできなくなってしまう。誰にしたらいいのだ?

 ぼくはひとがスタートを切る年代にゴールの切なさを味わってしまった。表彰も喝采も王冠も祝杯もない、ひとりぼっちのゴールを。だが、終わっていると思っていることも、実際には終わっていない。スパイクの汚れを取ったり、ロッカーを片付けたりするのも試合の一部であるのだ。勝てば、インタビューがある。負けチームは無視されるという覚悟を得なければならない。ぼくは勝ったつもりで感想をあらかじめ組み立てていた。それを披露する機会など決してないのだ。

 だが、これは語られなかったヒーロー・インタビューで、ぼくの不屈の格闘でもある。だいぶ、時間が過ぎてしまった。冷凍して、解凍させて、また凍らせてという鮮度をなくすことを何遍も繰り返した。しかし、新鮮さを完全に奪うことだけを願ってもきたのだ。博物館の薄暗い照明のもとで、ほこりをかぶらせることを念頭に置いてきたのだ。ある意味、成功して、その成功自体に不満をいだく。ぼくのあの日々だけが、ぼくの栄光でもあり、高揚した時間だったのだ。保管も保存も要しない、まっさらな熱々の記憶として保つのを求める時間だった。

 横たわる彼に告げる。あとどれぐらいの時間がかかるか。その先にあるものは。君は幸福になるのか。不幸のどん底に突き落としたのは? 答えはない。麻酔はまだ効いている。その麻酔は強烈で、副作用を起こす。
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11年目の縦軸 38歳-41

2014年07月27日 | 11年目の縦軸
38歳-41

 子どものころ友人と山道で水たまりのような、ほんのささやかな小川のような場所で遊んでいた。流れといっても葉っぱ一枚を運ぶのがやっとのような水流だった。ぼくらは小石でわざわざ流れを堰き止め、支流を指と爪を利用して新たに掘った。努力とも呼べないものだが、働きは実って簡単に支流が本流となった。このことが絵美にも起こった。自分が本流だと思っているのも最初から間違いで、本流と本流をつなぐためのわずかなダムのようなところが自分だったのかもしれない。

 ぼくは悲しまなければいけない。後悔と嫉妬に苦しまなければならない。そう本能は答えと役割を導き出そうとするが、結局はそんな気分にならなかった。いつか、ひとりになることは知っていた。確保が必須な必要以上の預金をあえて散在してしまうように、身の丈に合った残金だけがぼくの手元にのこった。

 その手元では、ひとりであることを望んでいた。ぼくに永続する関係はふさわしくなく、さまざまな無言の理由がこの状態の採点を居心地良く、かつ甘くした。

 自分はひとりを愛するのかが唯一の問題であり、ある女性は何人かから口説かれたうえでチョイスするのが、愛の形だった。そもそもの形態が違う。焼き魚ではなく、アボカドの気分にもなるのだろう。すだちではなくドレッシングを要するのだろう。ぼくは、もてないタイプの男性の代表者のような気分になっている。

 世界の終わりに直面した気にもならずに、普段通りに仕事に出かける。彼女とは近くの定食屋で昼を食べたりする仲でもあった。まだ電話で仕事の進捗を相談することもした。そのうちに彼女のグループ内で異動があったのか、その範疇からも消えた。普通の声音を出すことをとくに苦にも感じなかった。ぼくを選ばなかったことに立腹することもなかった。ぼくは、もっと前にそうするタイミングを別の女性で逸していた。だから、今更また同じことがあったとしても決断を後悔したり、鈍いこころを恨んだりすることができなくても大事にすべきでもなかったのだ。

 いくつかのものを整理する。歯ブラシだったり、化粧品の小さな瓶を捨てる。このような行為はもう最後かもしれないとぼんやりと考える。宣言ではない。ただの与えられた事実だ。

 ぼくのものも彼女の部屋で同じような憂き目にあうのだろう。一時、合流して、結局は別々の道筋になる。世の中はだいたいのものがそうなのだ。一時、スポーツでその国の代表になる。ずっとはいられない。そこに定位置など決められたものはないのだ。誰もが一時的な住まいとしている。そこで力を、そのときに発揮するだけでいい。発揮しなくても、永続した罪にはならない。みな、忘れる。

 だが、ぼくは、この女性の全体とか、この部分とか、いくつかの角度で自然と照らし合わせ、「絵美に似ているな」と感じている。尺度や物差しが、絵美を見つめる目になってしまっているのだろう。将来の相撲取りの候補者をスカウトする親方が、体格の良い男の子を見逃すこともないように。基準とはそういうものなのだ。

 ぼくに備わっていた恨むとか嫉妬したい感情はどこに捨てられたのだろう。もっとむかしは、漠然とした空想にすら確実に嫉妬できたというのに。つかむということができなくなってしまったからか。手放すとか、猶予を与えるという状況が本筋であり、正常である。

 ぼくは仕事を終え、改札を抜けた。ホームまでエスカレーターで下る途中、定期が明日で終わることをそのときに知った。どこで買おうか悩む。途中下車して食事でもして、その帰りについでに更新してしまおうと考えた。すべてはついでにできることなのだ。ぼくは吊革につかまり、胸のなかでそう言った。

 思いがけなく人混みだった。そのなかにも絵美に似ている背中があった。おおよその身長と肩のシルエット。髪の長さと色。横には男性がいた。もしかしたら本物かもしれない。だが、ぼくは確認する地点までたどりつけなかった。わざわざ、本人だったと認識できたところで、なにも変わらないのだ。そして、重要なこととして、もう変わってほしくないとも思っていた。

 だが、酒を飲みはじめると、その自分の確固たる意志も揺らぐことになった。一定しないということも常に正しいのだ。状態も変動する。ぼくの気持ちも変動する。絵美の選択も変わる。地球ですら思いの外、動くのだ。岩盤だろうと、プレートだろうと、どう呼び名を変えても動くときは動くのだ。ぼくだけが、一定である必要もない。くよくよしても、はじまらないが無理強いして終わらすことも、またなかった。

 ぼくは定期を買う。ひと月だけ生き延びる。そのひと月後に誰かを好きになることは可能だろうか。これは、意志ではない。衝動と覚悟なのだ。いや、ぼくに選択肢はない。カメレオンがその舌を伸ばすことと同様の本能の一環の作用なのだ。ぼくはひとりでにやける。その様子を後ろで静かに並んでいた女性が見とがめ、怪訝な顔をする。このひとかもしれない。しかし、あまりにも絵美に似ていなかった。希美にも、あの十代のときの少女にも似ていなかった。その事実だけで減点であり、正直にいえば失格に値した。
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11年目の縦軸 27歳-41

2014年07月26日 | 11年目の縦軸
27歳-41

 希美はふたたび東京にいる。

 最初の日、ぼくは仕事で会わなかった。次の日に久しぶりに会う。ぼくはその瞬間を、やはり貴重なものとして覚えている。これから、また新たなページをめくる日々。ふたりには希望もあり、恥じらいのようなものもあった。その恥じらいには相手への理解というエッセンスがなくなってしまったためともとれた。ぼくらの過去は一回、間違って清算されてしまったかのように。

 待ち望んでいたものなのに、それを手にしてみると、小さな違和感があった。期待外れと宣言するほど、目に見えて大きなものではない。ぼくの空想力は会わない間に別の形に変化を遂げていた。希美の美点があまりにも膨らみ過ぎ、本人の実体とわずかだがかけ離れてしまった。長年、使用に耐えるはずだった精密機器がほんの狂いを生じさせるとがっかりという印象しかのこさないようにぼくは自分にか、あるいは希美になのか分からないまま澱みのようなものを見つけていた。

 だが、ここからスタートだと思えば、小さな違和感より、大きなこれまでの幸福感の方が主張が強いのも事実だった。清算前の思い出がレシートにもきちんと記載されていた。その項目のひとつひとつの気持ちが部屋を占有していた。だが、彼女にはご褒美として長い休みが与えられ、彼女は新しい東京での住まいも決めないまま実家に帰って、そこで時間を過ごすことにしたのだ。ぼくらはまた離れている。暮らしは距離を挟めば、問題が生まれるというのを知らないままのふたりではなかったのに。

 それでも仕事と隔絶した生活をつづけられるわけもなく、細々とした決定を彼女はその期間にすることになった。すべてが重大事でもないが、小さな決定は見栄えが小さいだけで、意外と大きなものであるということをぼくらはその後、知るようになる。

 希美は会社が用意した住まいに移ることに決めた。費用は軽くて済んだ。その場所はぼくの家から遠かった。別の方法もあるのかもしれないが、ぼくには相談もなかった。彼女はぼくが聞いていなかっただけだと言ったが、それほど重要なことであれば、念入りに説明することが必要であることも疑うこともない事実だった。

 ぼくは浮気だとも思っていないぐらいなささいな関係を不意に友人の口がもらすことになった。ぼくはそれすらも忘れていた。ぼくは待つだけのマシンでもなかった。会社と自分の家を往復するだけで満足するほど若くもなかった。友人は楽しそうにそのエピソードを披露する。ぼくの相手は誰かに言い、その誰かが彼に話したのだろう。彼の妻は、その状態に不満をもち、文句をいうこともできたはずなのに、ぼくのことだけ笑っていた。夫にも同じような罪への疑惑があるのだろうが、なぜか、ぼくだけが不本意な立場に置かれた。

 希美はこの隔たった期間をこのようなことが明らかになるならば、正しかったのだという位置におさめた。離れていた期間に行われたことは、彼女の決定をする材料として与えられた。ぼくは、ふたりが離れることなど、よくないことだったのだという材料だと思って機能させようとした。同じものを両側から見れば、角度なのか、光の照射なのか別物になるという基本中の基本を体験として教えてくれた。

 ぼくらはそれでも夜をともにした。泊まりで彼女はぼくの家にいた。ぼくが仕事の間に、家事をしてくれて家の中は片付いた。食器棚も整理され、グラスが背の順に並べ替えられている。スプーンやフォークは頭の向きが揃っていた。ぼくは無頓着な人間だとも思っていないが、こうして客観的に家のなかを覗けば、雑にできていることも否定できなかった。

 数日で彼女は帰る。希美の手でたたまれていた洋服も、また着て洗濯され、もとの状態にもどった。不在という形をこのような周囲のものまで熱心に伝えてくれた。

 ぼくは今後、彼女のいない生活というものを意図もしていなかったのに頭の片隅に入れてしまっている。侵入という表現が近い。手慣れた泥棒のように痕跡ものこさずに、家のなかのあるべきものを空にして、別のものが充填されていた。

 彼女がいない期間もあれはあれで幸福だったのだと認定する。いっしょにいてケンカをするのは、居ないことで不満をぶつけあうほど楽しいものではなかった。いないということで問題を棚上げできたが、いればぼくらのどちらかに問題があることは必然的に明らかになった。

 ぼくはひとりになって映画を観ている。この暗闇は逃げ場となり、雨と風をおそれる原始の人間の洞窟とも呼べた。他人の生活に起こる幸運も悲恋も、ぼくに生身の傷を加えることはなかった。別れなければならないのか? それは薄い生地をさらに引き剥がすことのように思えた。薄い層のひとつひとつに感情と思い出が染み渡っていた。期間が長引けば、その分、痛みも加算されることを知る。ぼくの十六才は意識して引き剥がすという行為は未体験で終えられたのだ。どちらの痛みがより痛切なのか、意味もなく比較しようとした。いや、終わらせてはならない。ぼくらは気が合い、未来を話し合った仲なのだ。ぼくのこの大切な日々を知っており、分け合ったのは希美だけなのだ。あの服のたたみ方を愛し、家のなかでの仕草も好きだった。ぼくは映画とはまったく別のことを考えている自分を発見する。だが、これも含めて映画の鑑賞法のような気にもなっていた。
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11年目の縦軸 16歳-41

2014年07月25日 | 11年目の縦軸
16歳-41

 ひとつのイメージ。

 ノースリーブの彼女。黄色い服。

 コマーシャルに与えられるのはたったの十五秒というわずかなもので、集中力が途切れたための無関心さや、他にもさまざまな制限と制約のなかで挑まなければならない勝負だ。映像や音楽などのあらゆるものを駆使して印象をのこさなければならない。彼女がもし、きらびやかな製品ならば、ぼくにきちんと植え付けられた。その短い時間で。同じ秒数で。夏の夜の喫茶店のドアを開け、店内に入ってきた瞬間で決まった。潜在された意識に訴えかけ、ぼくは購買をすすめられる。内なる衝動から。不本意に違いないが、わずかな間で手放してしまったとしても、その魅力が減る訳でもない。ぼくはそのためにローンを払っている。いつ、支払が終わるという最終の期限も、当人のことなのに分かっていない。

 ぼくの悲しみはローンと等しいのだ。定額をずっと納めている。債務があり、本当はどこに払っているのかも分かっていなかった。だが、元をただせば、あのわずかな時間に決定権があった。

 ぼくは分析している。自分のこころを粉々にして、選り分けている。それは二十数年後だからできることであり、当時は理解していない。ただ、積もりに積もっている借金を払うのに必死になっているようだった。これを返さないことには未来を、新しい未来を構築できないのだ。

 減っているのか増えているのかも考えられない日々。ぼくのこころをあのように奪ってくれる機会と次の相手を切に望んでいた。だが、同じことは繰り返されるのだ。ヤドカリが住まいである貝を微妙に変えていくだけなのだ。総体としては、結局はヤドカリのままだった。そして、別の債務がかさむ。

 コマーシャルはそれでも流れつづける。たくさんの魅力あるもので世の中は満ちている。目に飛び込むものはコマーシャルだけに限定されていない。町角のショーウインドウの中に。雑誌にまぎれた広告のなかにも。

 しかし、ぼくはあのローンすら支払っていることを正当だと思っていた。魅力もあり、ぼくの越えるべき問題点でもあり、いつか、このこと自体が昇華され、何事かに結実されるのだ。

 これも二十数年後だから冷静に分析できているのであって、あのときは、正直にしんどかった。美しいものがショーケースにまだあることを知っている。それを再度、手にする権利はぼくにはないのだ。同時に簡単に抜け出すこともぼくは辞めなかった。執拗さにとらえられ、結局は辞めなかった。

 ほんの数秒の残像がぼくの宝物になる。誰も奪えない。ぼくのこころの奥の隔離された部屋に居場所がある。これを手つかずの状態のまま、いつまで、きれいに維持できるのであろうか。ぼくは矛盾をはらみながら永続してほしいと思っている。いつまでも。年老いても。別の誰かを仮に、不本意に好きになってしまっても。普通、これを初恋と、ほとんどのひとは定義するのかもしれない。その可憐な表現とは程遠いぐらいに、ぼくの気持ちは熱いものだった。ひりひりするほどの、火傷の後遺症のような不快感が生じているとしても美化する必要があるのだろうか。

 あの数秒が逆になかったとしたら。

 あの日、彼女は用ででかけていたり、夏休みの旅行で不在であったり、そもそも、来たくなかったりすればぼくの運命も変わっていた。火傷の、この傷もない。だが、あの姿を幻で終わらせるのも、もったいないことだった。コマーシャルは十五秒ながら、普段の生活を切り取ったものより異常に美しく、または、インパクトを与えられる可能性を有しているのだ。ぼくのこころは確実に打撃される。あの数秒はだからぼくの所有物であり、大げさにいえば財産だった。

 ほかに匹敵する瞬間がぼくにはどれほどあるのだろうか。学校のソフトボールの大会でヒットが遠くまで飛んだこと。運動会で数人を追い越したこと。みな、ぼくの淡い物語の一部となった。身を焦がすまでには、どれも至らず、思い出す頻度も少なかった。

 いずれ、ぼくは黄色い服を着た彼女を忘れてしまうようなことがあるのだろうか。別の女性がその地位を簡単に奪ってしまうのだろうか。ヒット曲が生産され、数か月で入れ替わるように。

 だが、ずっと印象にのこるのも、鮮明さを帯びつづけるのも、きっとわずかな曲だけだった。おそらく、彼女も絶えず先頭にいる。ゴールは切らないかもしれないが、スタートは彼女がいたから成り立ったのであり、巻き起こったのだ。スタートはうまくいったが、それは長持ちしなかった。その理由はぼくにあるのかもしれず、やはり、あっけなく終わったからこそ美を生存させる仕組みが魔法のように含まれていったのかもしれない。

 十五秒を思い出すことを何度もすれば、いつか分になり、時間になった。水増しというずるい方法ではない。一コマ一コマの映写をつづける映画のように、ぼくは自分の特等席でその時間を堪能する。胸は焦げなかった。火傷のあとものこっていない。別の誰かは、別の映画になったため、オリジナルのフィルムはそのまま保存されて生き延びた。ぼくの作為も信念もなく、勝手に生き延びた。定義するなら、初恋、という言葉でしかあらわせそうにない。だが、その言葉が伝えるものとは雲泥の差がある。そう解釈したり、わざわざ分けようと思っているのは自分だけかもしれないという気持ちも完全には拭えないでいる。もちろん、拭わなくてもいいのだけど。

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11年目の縦軸 38歳-40

2014年07月24日 | 11年目の縦軸
38歳-40

 渇望というものが自分のなかに見当たらず、一切、なくなってしまった。妥協と調整の複合で体内は占有されており、平均値の産物と化す。

 鮮烈ということに憧れをいだいたこともあったような気がした。センセーショナルと言い換えてもいい。だが、そうした日々はもう来ないし、よくよく考えれば一度もないようだった。それは疲れをともなうだけのもののような気もする。疲れはなるべく避けたかった。すると、変化もない方がいいと判断する。日々も小さな些末な変更すらいやがるようにもなる。極端に考えれば。だから、結婚も同棲も、もう自分にとってふさわしいものではない。大きく変わるのは常に悪なのだ、と思考は求める。悪までいかなくても、好ましくはない。

 だが、ほんとうにそうであろうか。それほど、臆病になってしまったのだろうか。今後もチャレンジを打ち消す作業に忙殺するのか。もうこうなると自分自身ではないようだった。無我夢中もなくなり、小手先で解決する。経験はあらゆることに対処できる。また対処できることしか巡ってこない。こうして若さを失ってしまう。若さははじめてすることの連続だった。そのひとつひとつの山をどうやら切り抜け、成長してきた。成長というのは怠惰の状態を、横たわることを許すための賭けだった。賭け金が戻ってくれば、やはり安泰という体たらくに舞い戻った。

 もう一歩、思考を戻せば、結婚も同棲も過去のあの日々に終えておくべき事柄だった。真冬にひまわりは咲かないし、あじさいはあの雨とともに終わった。ぼくは雪かきの道具を準備するべきなのかもしれない。しかし、それも早過ぎた。準備も雪が降ってからで遅くないのだろう。売り切れてもかまわない。売り切れというのも何度か味わったが、そう悪いものでもなかった。流通するのは余剰か、品切れしか身分として与えられないのだ。ぼくのエネルギーも減少していく。スタンドのような場所で簡単に給油することもむずかしかった。

 渇望がない。欲しくて胸が苦しくなることがない。同時に失ってそれほど困ることもない。ぼくはすべてのものをこの立場に置く。もうぼくに必要なくなったものしか、失われない。だから、なくすものは、その直前から段々とぼくのものではなくなりはじめていたのだ。別のふさわしい居場所を探す。これは恋には当てはまらないかもしれないが、達観した気持ちが入りだすのも大人への証しだった。

 なくす過程に入っていた。手放さないと新しいものもなく、中古店は手放したものも別の誰かには貴重な品であることを痛切に教えてくれる。

 ぼくはレコード屋で長年、欲しかったものを手にした。むかしほど、暇もお金もかけないが、たまに入った店で偶然、目にしてレジに運ぶのは楽しかった。店の外での足取りも軽く、早く流れる音を聞きたかった。この前向きな感情は久しぶりのようであった。だが、これも誰かが手放さないと生じない事柄だった。

 ひとは物ではない。だが、仕事を変えるのは究極的には罪ではなかった。スポーツで違うチームに移るのも悪いことではない。活躍する場は需要と供給でも決まるのだ。恋というものが入り込むと一気に複雑になる。愛は、育んだからこそ貴重なものになったのだ。いくつかの試練を乗り越え、頑丈になったのだ。鉄のチェーンで組み合わさったような強固なものとなる。ぼくはまだ幻想を抱いている。

「レコード?」

 と、あきれたように絵美が言う。ぼくは、古臭いものを収集したいわけではない。この数年間だけでも楽しませてくれるものを求めているのだ。時期がくれば手放すこともあるだろう。飽きもあれば、金銭の必要をまかなうために売ることもある。喪失の悲しみも忘れてしまう。ぼくの耳はその音楽を覚えている。あるいは、音楽を聴いた状況を覚えている。そのため込んだ景色がすなわちぼくだった。

 ぼくは自宅に帰り、いくつかの電源のボタンを押す。レコードを取り出す。ゆっくりと回転する。見た目にも傷はない。針の落ちる音。スピーカーはただの箱であることを辞める。全身に信号を通して空気中に波を送る。

 ぼくは冷蔵庫を開け、ビールを取り出した。絵美はベッドの端にすわり、電話をいじっていた。そして、ひとりで笑う。ぼくはこの音楽が彼女に伝わっているのか分からなくなる。熱心に聴こうと思わなければ、ただのノイズ。いや、まじめに聞こうとしても望んだものでなければ、こころは動かないのだ。たくさんの音楽。たくさんの感動。たくさんの女性。そのなかのトップ・クラスの三人の女性。それはぼくにとってのという注釈がいる。女性だけではない。すべてのことにとって、ぼくのという注釈が太文字でもなく刻まれているのだ。

 半分が終わる。ぼくは裏側を聴こうと思ったが、絵美が覆いかぶさり、ぼくが裏側になった。もしかしたらこの状態は表かもしれない。スピーカーはまたもとの箱になった。黙っていれば、大きめの役に立たない家具に過ぎない。タンスの用途にもならず、皿も靴もしまえない。だが、自信もありそうだった。これを所有している年月は意外と長かった。この絵美よりも関係が深いものだった。あの前の女性のときもここにいた。おとなしく自分から能動的に自己主張しないが、ぼくが音源を引っ張り出せば、常に忠実に応えてくれた。これこそが、愛すべきもののような気もした。
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11年目の縦軸 27歳-40

2014年07月23日 | 11年目の縦軸
27歳-40

 羨望が恐かった。

 ひとは自分がもっているものより、もっていないものの方の価値に重きを置いた。

 ぼくは友人の家に行き、別の友人の女の子と男の子を交互に自分のひざの上に載せた。彼らの母は離れたところで世間話に興じていた。希美もいずれ母という存在になるのだろうか。そのとき、父親の役目を負うのは、このぼくなのだろうか。彼女は肥満ということではなく、生命を宿すという過程で、腹部の形状を変える。ぼくはその瞬間ごとの変化を目にする幸福にあずかる。ぼくは、目にしていない未来をぼんやりと構築する。子どもたちはテレビ画面を見て驚いたり、一喜一憂したりしている。途中、トイレに行った。ぼくはその間に手料理を頬張った。母は料理を作り、子どもを宿した。希美は外国で自分の会社のために働いている。

 うらやましい、というのはこれぐらいの小さな差のことだった。いや、小さな重みのことだった。

 彼らはトイレから戻り、ふたたびぼくのひざの上に載る。そこが定位置だと発見したかのように。

 ひとりは居眠りをする。ぼくの役目は終わる。座布団を並べたうえに場所が変わる。ぼくは新たな酒を求めて、寝顔に変わった様子を横目で見る。泣いたり、笑ったりして忙しいのが子どもだった。その一日一日を見守るのが親だった。

 友人のひとりが希美のことを訊く。ぼくのもっている、つかんでいる情報は段々と彼らのそれと差異がなくなっていく。このことは何かに似ているな、と考えているが具体的な答えは見つからなかった。恋人と知人の間のようなものに彼女はなっていく。恋人と妻との中間という存在もあり得るようだし、この場にいるひとりも妻になったり母になったりした。ただのスカートを履いた泣きべその少女のはずだったのに。

 同じように先生に叱られて泣いた少年も父になっていた。その当時の男の子にさせるために稼いでご飯を食べさせた。いま、その対象は寝ている。恋もなにもなく、当然、別れも失望も知らない。ただ、ぐっすりと寝ている。酒を飲んで忘れる努力もなく、利益の追求や蹴落とすことも知らない。羨望というのは、この小さな存在にも抱けるのだ。

 ぼくも寝るが、夜中にふと目を覚ませば、希美の不在のことを考えることになった。毎夜ではないが、頻度としては少なくもなかった。

 ぼくは途中まで車で送られる。家の近くで下ろされ、結構、酔っていたはずなのに人恋しくなってある店に寄った。ぼくは座って熱いおしぼりで手を拭く。自分の身体が乳臭いような感じがした。それは普段とまったく違うことなので、わずかなにおいが珍しさを運び込み、大げさに思わせたのだろう。

 ぼくはそのことを目の前のカウンター内の店員に訊いた。彼は否定する。仕事柄、鼻は敏感であるだろうが期待外れに終わった。その代わりに、彼も希美のことを訊いた。雨がやんだけれど傘を忘れないようにと注意するような口調で。

「知ってたら、こっちが教えてほしいぐらいだね」
「連絡しないんですか?」
「たまにはするけど、毎日ってわけにもいかないよ」

「毎日しないと、心配?」
「まさか」
「でも、きれいなひとですよね。うらやましい」

 彼はぼくに羨望する。ぼくより自由も裁量もありそうなのに。女性からも人気がありそうな容貌なのに。ひとは正確に自分の等身大の姿を測ることができない。鏡も、ぴったりと一致させるには、微小な歪みがあった。根本的な問題として、そこは逆さまの世界だった。羨望をはき違えても大問題にはならないだろう。

 ぼくはやっとひとりになって徒歩で帰る。子どもからうつった匂いは別の種類の酒場の匂いに変わっていた。これが、自分らしい匂いだった。深夜のコンビニで飲み物を物色する。喉の渇きが増したためスポーツ飲料を手にする。横で同じように立ち止まって飲み物を探している女性がいた。希美と同じような匂いがした。だが、外見はまったく異なっていた。けばけばしい風貌は会社という枠組みを忘れさせるには充分だった。それで、魅力が減るわけでもない。太陽の下にいない人々。

「もう、いいですか?」彼女は冷蔵庫の扉を開けようとしている。
「あ、ごめん」

 ぼくは一歩ずれる。彼女はアセロラのような派手な色のボトルを手にした。色が薄いということは間違っていると信奉しているかのようだった。

 商店街の時計は動いていることも気にしたことはなかったが、いまは十二時を越えていた。ひざにのぼった子どもの重みを既に忘れそうになっていた。希美はどれほどの重みをぼくに与えてくれたのだろう。いまは精神的なものの方が大きかった。買い物を終えた派手な女性も外に出てきた。ぼくは女性の体重を正確に当てることなど、いまも、今後もできそうになかった。彼女たちはグラムでもないし、数字だけでもない。もっと複雑に長所も短所も入り混じった生き物だった。涙を流しただけで体重が減るわけでもない。ぼくの思考には糖分が必要でもあった。歩きながら大口を開ける。今日、何度したであろうあくびか考えたが、日も変わってしまったので、おそらくはじめてのあくびだった。そう思うと二回目も出た。家のカギをポケットのなかで手探りする。

「手探りで、手繰り寄せる」と、ひとりごとを言う。そのことを責め立てるひともおらず、みな、それぞれの夢の主人公になっている時間帯であった。
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11年目の縦軸 16歳-40

2014年07月21日 | 11年目の縦軸
16歳-40

 希望の存在が鼻についた。いつまでも、どこまでも半永久的に絶望の毛布で覆われていたかった。希望を高らかに歌い上げる夢見るミュージカル・スターの卵が憎らしかった。そうする根拠も恨みもないのに。ぼくの夢は過去のあの日、棺桶のなかに無雑作に放り投げられ、四隅を釘で頑丈に打ちつけられていた。さらに漆喰が何重にも塗られ、開けることも取り出すことも不可能だった。

 だが、若者にとって、希望は常に善なのだ。春は新しく、その勢いに負けないエネルギーを自分自身が発していることに気付きもしないのだ。

 すると夢は他人に依存しているのか? 責任と加担をどこで区分けするのだろう。厳密には分からない。ぼくは分からないものを自分のこころに問いかけている。

 ぼくと彼女は他人になっている。いま、自分自身で言ってしまった。口にしたことには責任が生じる。つい、という軽薄さをともなっていたとしても。

 反対にまったくの絶望もなかった。死のために、あの時代のあの場所で隔離されたユダヤ人のひとりも希望についての書をのこしているのだ。ぼくはそれに感銘を受ける。同じ境遇に置かれることなど絶対に否定したい気持ちをもちながら。

 ぼくの絶望も、ぼくの隔離も、囚人服の着用がないために周りには理解されないでいる。数字のタトゥーも腕やその他の場所に存在しない。自由に近い感覚がある。拘束はひとりの女性が作った。ずっとその拘束内にいることもまた望んでいた。

 だが、Tシャツの襟周りは伸び、ベルトもひび割れたり、穴もダメになったりする。永久というのもどこにもない。天国や地獄という観念は永久なのだろうか。ぼくはこの場をどうにかしなければいけないくせに、どうでもよいことを考えていた。

 挫折、失敗、絶望、焦り。月夜。マイナスに導く言葉を並べ上げる。

 成功、希望、承認、未来、明滅。太陽。普段の若者はこれらの具体的な現象を信じているのではないのだろうか。希望は常に正しい側にいる。失恋というのは、では正しくないのか。不当なことなのか。深い穴に放り込めば済む話なのか。ぼくは、やはり、これも正しい状態だと思っている。そう思わなければ、このぼくの存在は無になった。無でもかまわないが、ぼくには、もう少しやることがありそうだった。

 やること? やるべきこと? 真っ先に浮かぶのは、彼女を取り戻すこと。でも、ぼくはそれに通じる道を知らない。いや、やろうとしていない。急にホームランが打てるわけではない。地道な素振りが必須なのだ。それを怠っている。結果、空振りする。さらに分析してこころの奥をたどれば、空振りする機会さえ与えようともしていないのが事実だった。立ち止まることも不可能で、不得手な若者たち。

 絶望は鼻につかないのか? そんなこともないだろう。否定的な言葉ばかりを口に出せば疎んじられる。どんな行為も報酬を、プラスともマイナスとも変更させる融通性のあるものを報いとして得る必要がある。ぼくはそれを事前に、自身に害が及ばないように防御する。ぼくは滑稽さの鎧と仮面を手にしているのだ。誰をもこころの奥に入らせないため、冗談をカーテンの役目にする。ある種の皮肉屋になり、何事も真正面から受け止めなくなった。斜めや裏側から世界を見れば、ぼくを傷つけるほど力が有りそうなものは何一つなかったのだ。めでたし。

 こういう状態でぼくは友人たちと遊んでいる。新しい恋人をすすめるような類いは皆無だった。みな、どれほどの真剣さで相手を求めているのかがぼくにはもう分からなかった。周囲は欲求だけで、成り立っているようだったし、若者には、欲求もある程度は善の側にいた。修道院にいる女性を愛そうとしている訳でもなかった。

 ぼくは隔離されている。不本意ながら、見えない修道院のようなものに住まいを変えている。出入りを許されたのはある種の本や映画だった。ぼくはページを開く。自分がどれほどの紙をめくり、どれだけの数の印刷された文字を読んだかを夢想する。そして、ぼくはいまこうして加害者の側に立つことになった。欲求の亜流を希求したわけでもなかったのに。

 本は善だった。失敗も失恋もその世界では充分に存在意義があり、許されていた。成功体験と努力(自慢に陥る傾向が常にある)の有意義性はあるときまでビジネス書だけに留まっていたが、そのうちに、本屋の陳列台の中心にまで居場所を広げることになった。物語は、もっとやぶれかぶれでいいのだ。血と汗と涙がまぎれても、滲んでもいいのだ。

 絶望を肯定する。失敗に衣装を着せる。耐えられる程度の失敗のストックは、ぼくのこの日には財産に化けてしまっている。やはり、損害ばかりではないのだ。失敗の土壌ですら高貴な希望の芽が含まれているのだ。

 そう思っても物事を斜にとらえることは完全にぼくの一部になってしまった。賢さを皮肉のフィルターを通さないことにはレンズも有効にならなかった。そこにも希望がある。絶望はとなりの畑の養分にでもなるため流れ出てしまった。絶望からも唄がうまれる。ブルースもいつか、希望の歌に聞こえ出す。泣いたカラスも笑う。壁のなかに閉じ込めた抑圧者の権力も崩れる。だが、傷も傷でそれなりに機能する。
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11年目の縦軸 38歳-39

2014年07月20日 | 11年目の縦軸
38歳-39

 完璧さという言葉に憧れながらも、その完璧さなどどこにもないと教えられるのが人生だった。その実体に近付きそうになるが、いつの間にか、しぼんだり、割れたりした。また懲りずに夢中になって百点満点を目指すが、それはそもそも理想の最終形でもなければ、究極の美でもないのだ。そう見えているだけなのだ。完璧という言葉に結果としてまどわされている。辞書には、この世に歩む限りないもの、と率直に定義したらよいのだ。

 ひと本来の性格がある。世間的に認知されたり、金銭や肩書の上昇をのぞむものもいる。ぼくは内面だけという小さな枠で、自分自身を上方にもちあげたかった。すると、完璧というものが、馬のためのにんじんのようにぶら下がってしまう。

 しかし、しないこともある。もう少しだけ優しくなれるのは簡単だった。思いやりにあふれた人間になることも、いまの地点を考えれば伸びる余地は充分過ぎるほどあった。だが、結局はしない。あの少女や、希美を失った時点で完璧さなどないと教え込まれていたはずなのだ。だが、ぼくは、冤罪に苦しむ犯罪者の判決を覆す正義の弁護士のように、あいまいな証拠として過去の血痕に目をつぶる。あれだけ血が流れていれば、犯罪は成立していたのだ。いまも、あの当時も。

 では、絵美は完璧ではないのか? ぼくは反論ができない。避けるということではない。この現在のぼくにとっては満点をつけたくなる。もう一度、では、欠点がないということなのか? それも違う。欠点などあることは、四十手前の人間が知らないはずもない。ひとは小さな嘘をつき、小さなごまかしをする。ぼくらは生きているのだ。生きているというのは、それらを許されることなのだ。できないなら、未然に自殺か、もしくは製造そのものがされる理由がない。

 ここに完璧などない。だが、ぼくはましな人間にならなければならない。設定をして、それを果たし、別の基準を設ける。その繰り返しを到達してやり過ごすことが、まだ、ぼくにとって生きるということなのだ。今後、その基準を捨てたり、うやむやにするかもしれない。そうなれば、ぼくの悩みも根絶されるだろう。その地点のぼくは、もうぼくと呼べるのだろうか。ぼく自身は、なにでぼくと成らせているのだろう。

 ほんとうの愛はないが、理想の愛はある。理想の女性はいるが、人間に完全さなど求めてはいけない。かたつむりが完全な生物ではないように。カエルが、どの変態の場面でも完全さなどあきらめているように。

 ぼくらは息をして、病気になる生物なのだ。最後は死を迎えるのを拒めない生命体なのだ。頭脳も劣ることを傾向としてもっており、体力も、気高さも失わせようとすることに何度も直面させられる。ここにも完璧さなどない。だから、それに近いひとに会えただけで幸運だと思わなければならなかった。欠点を探している余分の時間もないのだ。

 このようにいつも思考のために思考する。人間はカエルでもないし、アヒルでもない。沼には飛び込まないし、冷たい湖に裸で、裸足で入りもしない。

 この思考を無理して止めれば、ぼくでいられなくなる。ぼくの性格や性向を直そうとしたひともいたが、あれはぼくのために成ったのだろうか? ぼくを、ぼく以外の何にしたかったのだろう。ぼくは怠けることを正当化させるためだけに、こんな発言をしているのだろうか。それとも、あのときに直さなかったから、ぼくは絵美と幸せになれないのだろうか。

 結論などない。ぼくが決めるものでもない。死後に、ぼくの棺の周りで友人たちが語り合えばいいのだ。ゆっくりと。頑固さと妥協の産物としてのぼくの生存した日々のことを。必死さと倦怠の中間にいるぼくを。ぼくは両極端にいない。誰もいない。川上から下流にながれ、いずれ海へとでる。みな、その間に角が摩耗されていく石なのだ。完璧の角もどこかですり減っていく。その小さな芯が、そのひと自身でもあるのだろう。

 ぼくは砂浜にある小石をつかむ。そして、遠くに投げる。だが、十メートルぐらいしか飛ばなかった。絵美も同じことをする。それは、海水のところまでもたどり着かず、波打ち際の手前で落ちた。彼女は普通に右利きであった。

「もしかして、左利きだったんじゃないの?」
「じゃあ、もう一回、投げてみる」

 彼女の投球フォームはさらに不格好になった。それにならって飛距離も減った。歩幅でも数歩という感じだった。
「だまされた。おなじことしてみ!」

 ぼくは左手で小石を拾う。左利きには冷たい世界。彼らにとって、この世界は反対でもあり、逆にできている。ぼくは勢いよく投げる。さっきよりもちろん遠くにはいかなかったが、それほど悪いこともなかった。ぼくは反対の世界に足を踏み込む。そうなれればよかった。絵美ももう一度、行う。ふたりは完全ではない社会に住み、完全ではない政府とその機能に従っている。覆すことなど想像もせず、歴史のなかでそうした人々にあこがれを抱いたのも、かなりむかしのことだった。反対を数回もくりかえせば、もちろん正面であり、裏側などどちらかも分からなくなった。そして、絵美の姿勢のよい背中が見えた。
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11年目の縦軸 27歳-39

2014年07月19日 | 11年目の縦軸
27歳-39

 未来の恋人。

 現在、遠い地にいる恋人。

 ひとは、ひとを、断片的にしか追えない。連鎖も、変遷もみな無駄な試みだった。ずっと親しい関係のままだと思っていた友人とも、いつの間にか疎遠になった。また会えばあの状態に簡単に戻れることは知っていたが、家族や付属物が変わっていって、その状況に置くこと自体もむずかしくなるのがしばしばだった。家のローンをもう抱え込んだ友人もいる。仕事などそのひとを測る物差しではないころからの知り合いも、もう社会という仕組みの一員に正当に、完全に組み込まれていた。彼らがその社会でどれほどの能力を見せるのか、役立っているのかなど、もう友人でも分からなかった。

 それでも、男同士なら、あのときの状態にまだ戻りやすかった。男女の間ではそうもいかない。終わったものは終わったものだし、はじまりそうなものは、はじまりそうな嬉しい予感が男同士では味わえない類いのものとして分かたれていた。

 ぼくはアンドロイドにもサイボーグにもならなかった。人間という失敗と傷つきやすさをたっぷりと備えたものから外れなかった。その生身である限り防ぎようもない失敗を、拒否することもできずに受容し、繰り返すことを余儀なくされており、取り出せない機能として埋め込まれている自分を希美は選んでくれた。たまにかかってくる電話でその信頼の裏側のようなものが口振りから充分に理解できた。

 こうなると、離れたことがまったくの無駄だとは思えなくなってくる。新鮮さというのは距離と時間のずれ(タイム・ラグ)を必要としていた。同時に誤解もそのずれが好きだった。電話の向こうで彼女は疲れていた。慣れない環境の疲労感というのは時間差で襲ってくるらしい。自分は新しい環境に足を踏み入れていないなと気付かされた。しかし、希美がいないというのも新しい環境に違いなかったのだが。

 彼女の疲労を取り去ることも、なぐさめることも、笑わせることも遠くにいればできなかった。それも、言い訳のように聞こえたが、正直な気持ちだった。

 ぼくらは気持ちが通じ合って電話を切ることもあれば、ケンカの最寄りという場所で会話を打ち切らせることもあった。終わったのは通話だけで、その後も不愉快さと謝罪したいという気持ちはそのままのこっていた。こんなときに、気まぐれに希美がアイスをスプーンですくって食べたなと、幸せの一瞬の幻想のようなものを思い出していた。

 ぼくは窓を開けて夕日を見る。一軒家とアパートだらけの細切れの空は、海の向こうの国への思考を阻んだ。その点ではぼくの思いもアラジンのランプのころから具体的な情報を更新せずに、大まかには変更させていないようだった。ふたりは同じ町を歩く。十代の半ばのぼくらには渋谷という場所も、未知な事柄がたくさんあった。通うようになれば未知は遠退き、店の形態が変われば気付くという風になじむようにもなっていく。希美のいま見ている場所はどういう光を放っているのだろう。そこで疲れるということは、どのように身体やこころを蝕んでいき、かつ跳ね除けられる、成長させる力をぼくらにもたらすのだろう。夕日に答える義務もない。ぼくにも問い詰める権利はなかった。

 味気ない夕飯を食べに外にでる。希美の部屋はいまは誰が住んでいるのだろう、とぼくは口を動かしながら考えていた。もちろん、知る権利もない。すると、ぼくが足を踏み込んではいけない場所や、考えが、たくさんあるように思えた。

 孤独という状態は悪でもなかった。割合と程度による。放課後や日曜に、家の前まで自転車に乗って友人たちが集まる環境をなつかしんでいる自分もいた。約束も、計画も何一つない。ただ、友人の家の前に行くだけだ。こちらも準備も、用意も、算段もない。ただ、家のドアを開けて友人の姿を見つける。その行為がすべてだった。

 あそこに孤独も思案もなかった。いつから、無頓着になれなくなっていくのだろう。

 会うということは遠退いていた。ぼくらは会わないひとに関心をもつことなどできなかったはずなのだ。そこに電話が介在し、テレビの女性タレントに興味を抱き、架空のことにも幻想を覚えるようになる。だが、いまは生身のものだけが欲しかった。ただ、ここにあるもの。手で触れるもの。会話ができて、無愛想でもいいから返事をしてくれる相手。なぜ、大人はこの複雑さに耐えていけるのだろう。こんなものを文明だと信じて、持ち込んでしまったのだろう。ぼくは料理の代金を払った。思いがけなくクーポン券がつかえた。ひとはさまざまなものを発明するのだ。発明することにより距離が生じ、その距離を埋めるためにさらに別のものを発明する。それを売るために世界に出向き、それを作るのもどこか別の国なのだ。ぼくは満腹になっていた。自分が支配できるのはこの気持ちだけのような心細い感じを払い除けられなかった。休日の夜の駅は家族連れをたくさん吐き出した。同じ湯ぶねに浸かり、同じ炊飯器からご飯をよそう。目覚まし時計は家に何個、あるのだろう。ぼくには家族というものが等身大で分からなかった。そうしたかった相手は、いまは別のところにいた。
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11年目の縦軸 16歳-39

2014年07月18日 | 11年目の縦軸
16歳-39

 継続して何かを身につければならない年齢なのに、既に十五、六にして半年間の短い間ですら保たせているものがひとつもなかった。しかし、この苦しみだけが永続性を与えられるようだ。負の勲章。人間という矛盾した生き物。

 それだけ本気だったのだ。失わないと大事なことすら分からなかった愚かな生き物でもあった。

 この引き摺り、かつ晴々れとしない鬱々とした感情はいったいどこから来たのだろう? ぼくと同じであろう血液が流れている兄弟には、薄められて投入されているのだろうか? 開けた自室の横の廊下を通る兄の何番目かの彼女を眺めながら、ぼくはそう思う。レンガで家を作ったりする側もいれば、もっと燃えやすい素材で目論見もなく、堅牢ではないことに甘んじる兄弟もいるのだ。それも含めての受取りを拒否できない個性だ。

 はっきりと終わっているという事実は認めている。認めないほど自分は意固地でもなければ、賢くないわけでもなかった。だが、もし賢いならば、やり直すなり、立ち直る方法をたくさん見つけられるはずだった。その点ではずっと愚かでありつづけようと思っていた。

 ぼくは自分自身の記憶を厄介払いする、という変な表現を頭に浮かべる。放すということは、簡単なはずだった。つかまえていないから、もう放しているとも説明できた。手放したものを、放せない。するとぼくの苦しんでいることの対象はどこにあるのだろう。実体は、どういうものなのだろう。

 ぼくは本を読んでいる。自分に起こった悲恋と同じようなものを探して。生きるというのは、どれほどの不幸の分量が混ざっているのが妥当なのかと、サンプルを探して。しかし、表向きの理由とは別に、その行為自体に永続性が生じる。

 ぼくはスポーツに興じ、衝突や諍いごとを腕力で片付けている頃より、当然、思案深くなった。生意気な気持ちは影をひそめ(程度の問題)、簡単に解決しないことが世の中にあることを知る。これが本来の自分だと思い込もうとすれば、そうも言えた。生き別れの双子の兄弟の異なった成長した姿のように。

 自分はどういう人間になるべきなのだろうかと空想した。空想の範囲を超えることはないが、それでも、考えない訳にはいかなかった。見返すという発想などぼくにはなかった。ぼくは捨てられた立場にもいない。なんだか、終わらせてしまったという中途半端な立地点から離れられなかった。靴のひもがいつの間にか緩んでほどけてしまったみたいなあっけなさで。

 既に学問を習得するレールにはいなかった。女たらしになるには生真面目過ぎた。そして、行動的ではなくなり、思索のほうに向きはじめてしまっていた。

 不運は賢くなるきっかけとしては構造としても、動機としてもよくできていた。すべて台無しにする可能性も充分に内包しているが、ぼくは悲観的になりながらも肯定する術を知っていた。身体は元気で、苦しみは内部にだけとどまっていた。

 ぼくの十六才を知っている女性は、これからも話すことはないが確かにいた。ぼくの十七才を知る女性はいまのところはいない。ぼくの思案も、どこにも書き留めなければ、きっとないも同然だった。ギターを弾けるわけでもない。音程のない鳥は鳴けない。自分の痕跡をのこすにはどういう媒体が似合っているのだろう。なぜ、ぼくはそもそも自分の生きた証をのこす必要性を感じているのだろう。運命の岐路に立つカエサルでもなく、歴史の危うさを熟知したチャーチルでもないのに。

 ぼくは模範を探そうとする。若者は兄貴分のような存在から吸収するのだ。だが、ぼくが向かいたい場所には前例となってくれるひとが近場にいなかった。模索する日々。ぼくは段々と芸術という分野に惹かれていく自分を感じる。

 遅いということはない。反対にすれば、早いということもなかった。タイミングというのはすべて丁度なのだ。ぼくを思案深くするための段差や石は、その役目をきちんと果たしてぼくをつまずかせた。もっとひどかったかもしれない。転んで、すり傷をいたるところに作った。ぼくはこうして進路を阻まれて立ち止まらなければならず、うめきながらも賢さへとつながる道の切符をつかみながら、手当も受けずに立ち上がろうとしていた。これは誰のためでもなかった。彼女にまた会った時に立派な男性になっていようという思いもなく、先ほども言ったが、見返すというあわれな気持ちにも該当せず、ただ自分のこころに灯った炎のふさわしい帰結点と予兆だった。ぼくはこれをきちんと管理し、制御し、消えないようにしようと願った。大人というのはただでは起き上がらないのだ。ぼくも大人への第一歩をやっと踏み出すのだ。

 ぼくは未練というものを抹消し、根絶できないであろうが、もう彼女に電話することはないであろうと考える。ぼくの青い日々を知る異性も見つけられなさそうだが、低空飛行の時代だと自分の焦りをむりやりに納得させる。ぼくはその埋められた土管のなかのような場所で何かを習得しなければならない。ぼくの身の回りでは、この価値の正当な地位を判断できるひとは皆無かもしれない。だが、味方など、もうおそらく必要ではなかった。ぼくの味方はひとりだけだったのだし、そのひとりもぼくとは縁が切れてしまった。いつか、ふさわしいひとと出会えるかもしれないが、この時以前のぼくとは別人であり、こころだけでも整形(美へなのか醜へなのか)されてしまったぼくのアンドロイドのようなものかもしれない。不満足でも、その未来の恋人には我慢してもらうしかない。
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11年目の縦軸 38歳-38

2014年07月17日 | 11年目の縦軸
38歳-38

 絵美のすべてを憶えておきたいと思っている。一挙手一投足。あらゆる形状。

 物忘れがはびこる年代にはまだ早過ぎた。でも、生活のなかで忘れてしまったものも多くある。忘れた事実も忘れる。だから、本当は忘れていないともいえる。

 約束や記念日を覚えていないと注意され、男性は自分の大ざっぱさに気付かされる。あのときは、ああ言ったと台帳を調べられるように過去のひとことを押さえられた。昨日のぼくからも自由でありたいという自分の願いは絵美の前では許されなかった。彼女はぼくのことやふたりのことを必死に憶えておきたいと始終、考えつづけているわけでもないのだろう。だが、細かな部分の情報をもっていた。ぼくはすべてを自分の掌中につかんでおきたいとの願望がありながら、細切れな部分はまったくあやふやだった。

 昨日の新聞やニュースの内容を忘れ、口にしたものも忘れる。やりかけの仕事は別の緊急な仕事の陰で、むっつりと黙ったまま、ぼくの記憶の奥でひざを抱えて座っている。反対に時間の作用の影響を受けずに、立ち止まるものもいる。砂時計の中味が重力にさからい、上に吸い込まれるように。

 ぼくと絵美はテレビでクイズ番組を見ていた。あの当時はみなが話題にしたものも時間が経てば自然の淘汰を避けられないことを知る。名前を思い出せない元有名人。大金を思いがけなく拾った人。金メダルを公共の場所に忘れるひと。みな、した(あるいはしない)ことは覚えていても、名前という個人を特定する分類までは到達しなかった。ぼくは絵美をそういう境地には決して置かないだろう。ある面では身近過ぎ、ぼくはその名前を自分の声で何度も呼んだ。彼女はその響きを聞き、振り返った。これまで忘れてしまったら、それこそ人間失格だろう。

「覚えてないもんだね!」

 と、感嘆のような、同情のような、嘆きのような声を絵美はもらした。ぼくは火の粉がふりかかる、という表現を思い出す。ぼくの記憶はゆるやかな下降の段階に入ってしまった。

 それだけが理由でもない。男性と女性の差もあった。もちろん、個人の得意や不得手という問題も加味された。

 ぼくらはクイズの答えを聞き、分かったような気になったが、明日にでもなれば、また忘れてしまうだろう。もう、重要ではないのだ。ぼくらの若いときは友人たちの電話番号を覚える理由があった。いまは、ひとつの器械を持ち歩く億劫と便利さを引き換えに、番号からも自由でいられる。

 写真は思い出をある形で保存するが、生身の人間の肖像を必要ないと宣べるほど有効ではなかった。もう行けない場所の景色や、いなくなった人間の当時の映像とかをまかなうことはできる。だが、現在という観点こそがいちばん重要であった。

 そして、ぼくは絵美の一挙手一投足を憶えておこうと願っている。憶えているのは会っていた状態のことや、会話した内容のことだ。不機嫌なときもあれば、上機嫌な時間もある。その感情も憶えておく必要ができる。しかし、時というのは忘却に傾いている。坂の下の方に忘却の部屋がある。

 だが、ぼくはその部屋を漁っている。中からは当然、絵美以外のものも含まれているので意図せずに引っ張りあげられる。腐敗も劣化もない。見事に当時のままの状態を保っている。色褪せないものたち。

 ぼくは忘れている。希美を送った成田のあとのあの女性を。忘れようと努力したことも、忘れまいと執拗に暗記帳に書き込んでめくった覚えもない。でも、いま不図、思い出している。先ほどのクイズに出題された人々のように。

 手順は忘れない。靴のひもの結び方も忘れない。ネクタイも結べる。自転車にも乗れる。体得したものは、減らすことも消し去ることもできない。名前や思い出が忘れられる運命にある。すると、ぼくは絵美をそういう分野から解放する必要がある。

 無駄な努力をいくつも考える。

 今日も新たな情報を入手する。これも記憶の一部になる。ついでに過去の一部を忘れないようにと計画して、実行しようとしている。ふたつの別々の流れが同じ脳でどう区分けされているのかぼくには分からない。一度、覚えたものをなぜ忘れてしまうのだろう。ぼくは二次関数が解けるかどうか想像する。ぼくはあれでなにを導き出そうとしていたのだろうか。

 何年もデパートの洋服売り場で働いたひとが、大体のサイズの見当をつけることを不得意とすることはないだろう。視力を測る電子機器はおおよその数値を当てる。それは数々のデータを通過し、インプットした結果なのだ。ぼくは無数のデータを欲しているわけではない。いまはこの絵美の分だけでいいのだ。そのひとつですらぼくには困難なようだった。

 彼女の生まれた年を口にする。その当時、ぼくは何才だったかも直ぐに浮かぶ。ふたりは会わないということもあり得た。だが、会った。会うまでにどれほどの日数が過ぎ、その日々を越えるには、ぼくらはそれぞれどの年齢になるのか計ろうとした。ふたつの数字が重なる。これが関数なのか。ぼくには分からなかった。ぼくも、絵美もグラフの上にはいなかった。碁盤上の四角いものではなく、さまざまな角度でぼくらはできていた。まっすぐに見える絵美の髪の毛一本も、詳しく見つめると、ゆるやかに曲がっていた。黒と思っているものも、もっと違う表現ができそうな色だった。
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11年目の縦軸 27歳-38

2014年07月16日 | 11年目の縦軸
27歳-38

 忘れるという自意識で解決すべき問題ではなく、簡単に会えないが彼女は別の国にいた。離れていても考えることが多くあれば、頭のなかには絶えずいた。きらいなひとのことさえたくさん目に付く部分をあげつらえば、もうそれは好意と同等になった。ぼくはそれ以上に好きなのだ。身悶えという言葉をあてはめてもいい。思考の巡りのなかにこそ、強力な対象への興味が生じた。

 いったん別れるということもできたのにな、と相変わらず身勝手な考えを押し込めないでいる。好きということは連絡を取り合い、会うことなのだ。深夜になっても別れを先延ばしにする方法を探すことなのだ。もう門限をせまる両親のもとにもいない。自由というのは勝手に決められる権利をたくさん有しながらも、決めるということはぼくだけが持っている裁量でもない。数限りない決定を、不本意な決定を含めて周りの人間や相手がする。それを受け入れるのが大人であった。おもちゃを買ってくれない決定にダダをこねる子どもではない。その決定がもし間違っていても、その間違いの報いは彼女に帰ってくるのだ。ぼくは、どうすればいい?

 ぼくは矛盾している。海外に働きの場を変えたスポーツ選手を応援している。一喜一憂している。その勇気を賞賛している。希美の選んだことも同じではないのか?

 ぼくは仕事をしている。相変わらず、希美の会社に用事で出向いた。その場所は希美とある意味で同義語だった。その景色のひとつひとつに希美が溶け込んでいた。柱に刻んだ我が子の身長の伸びの痕跡のように。

 そこで仕事が終われば待ち合わせて彼女に会った。ぼくはその楽しい作業を省かなければならない。ひとは話し相手を必要としているのだと痛切に感じる。誤解やすれ違いがあっても、そうすることは喜びなのだ。口は作られ、言語も発明されている。希美はいま違う言語を話しているのだろう。ぼくはそれをうまく操ることができただろうか。現場では通訳など介在させる余裕はないのかもしれない。より誤解や、小さな摩擦が生まれるかもしれない。それを潰さないと利益が発生しない。

 ぼくはひとりでビールをゆっくりとすすり、美人と自由との兼ね合いを考えていた。ぼくは希美に監視されることはないが、そばにいる美人と会話をすることを後ろめたく感じている。いったん別れていればぼくの選択は無制限になった。別れで自分のこころが傷つくことは無視したことにするが。

 だが、二十代も後半になれば、自由など狭い通路しか与えられていない。本道は、日々の雑務が占めることになる。給与と約束とノルマと月々の支払。ロック・スターが歌う内容などもうどこにもなかったし、彼らも契約という拘束のなかにいるのだろう。多少の幻覚的な薬が入手しやすい立場にいこそすれ。

 ぼくはビールの軽い酔いで自由になっていた。すると、いままでの経緯が頭のなかを縦横に駆け巡った。彼女は本気になった二番目だった。だからといって新鮮さが完全に奪われることなどなかった。そして、重要なこととして自分は次を探すことも、新たな恋を見つけることからも解放された。ぼくの体内の深くに埋もれていたその種は、ようやく芽を出した。まだ何個のこっているのか知らない。これが最後でも良いのだ。間違いではないのだ。その確信に似たものがぼくにはあった。正直にいえば成田空港で見送る前日まではあった。読みおわった本を時間が経った後にふたたび開くと内容がまったく思い出せないことがある。そこまで非道くはないが、大まかにはあれだった。出来事や質感はおぼえているが、あの小さな確信は、小さすぎて探すのも困難になってしまった。

 思いの外、自分の歩行はまっすぐにならなかった。いくぶん揺れていた。地球は丸いからだ、という意味のない論理をもちだしていた。駅に行くには希美がいた会社の前をまた通らなければならない。まだ窓ガラスには明りが灯っている部屋もあった。ぼくの肩書もぼくを証明するにはいたらず、ぼくの両親もぼくの最近のことを知らない。友人は入れ替わるようにできていた。十代の地元のファミリーレストランで管をまいていた日々が懐かしかった。野望も大それた考えも、同時に責任もなかった自分も恋しかった。あのボートは転覆したのだ。ぼくはいま、別の少し大きくなったボートに乗っている。希美を乗せるぐらいの余裕もあった。彼女は勝手に湖に飛び込み、ぼくはその余韻としての波紋を見ている。

 警備のひとが不可解な視線を送る。ぼくはここでも部外者だ。昼間に受付の女性はにこやかに通してくれたのに。腕時計を見る。希美がいる時間は針の場所が違う。今度の休みには帰ってくると言った。ぼくは鵜呑みにする。先ず、ぼくに会いに来ると思っている。希美はいくつもの決定をする。大人は、決定の重なる部分を探す。重ならない部分が繁殖する。

 ぼくは駅に着いた。電車を待つ。生涯、どれだけの時間がこのホームで待つという行為に費やされるのだろう。行為といったが、ほぼ何もしていない。待つというのは何もしないことなのか? ぼくは希美を待っている。彼女の承諾を待っている。明日というのは幸せだけを運んでくるのだ、というおとぎ話のようなことを考えていた。電車は遅れている。もう一度、ホームにアナウンスがあった。途中の経過を伝えるということも愛情と仕事の一環なのだ。ぼくは状況を知る。その状況を変化させることも、覆らすこともできない。混雑のなか、多くのひとも同様にできなかった。
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11年目の縦軸 16歳-38

2014年07月15日 | 11年目の縦軸
16歳-38

 彼女のことを忘れなければならない。過去を葬る努力をはじめなければならない。うっかりでも常習的にでも忘れるということは善の側には常にいなかった。これまでに起こったなにかを忘れて叱られた体験を思い出す。宿題や絵の具や音楽の授業で用いる笛を忘れ、注意される。家に電話して学校までもってきてもらうよう叱責される。忘れるということは不注意の結晶であり、いつでも誤りの領域にあった。今度は、まったく反対のことをしなければならない。ぼくの生存は、彼女を忘れることを要求しているし、必須だった。

 だが、つい先日までぼくの一部以上のものだったのだ。それを簡単に忘れるなんて。

 代理という考えも入り込む。ぼくはバイトの帰りに、コンビニエンス・ストアに寄る。レジにいるのは一学年下の女性だった。小柄な身体。エネルギーがみなぎっているような溌剌さ。ぼくは缶の紅茶を買う。充分に雑誌を立ち読みしたあとに。デート・コースや会話の方法など、いまさら仕入れるには遅過ぎたのに。ぼくはお金を払う。この子でも、間違いではないのではないのだろうか。もう、ぼくの目から見ても子どもではない。

 彼女はソフトボールをしていた。ぼくは下から投げる球が意外と早いのに驚く。野球の劣化版という態度では、バットで前に運ぶことすらむずかしかった。その女性。遊びでピッチャーをしてくれた。

 だが、もし仮に、前の彼女が万が一でもやり直したいと思ってくれたときに、ぼくの身体もこころも、誰のものでもなく、絶対的に自由であるべきなのではないのだろうか。いまの継続の関係をすんなりと終わらす手間すらあってはいけなかった。束の間の猶予も。そこを通過することは新しい相手にも失礼にあたるのだ。サブスティチュート。代理。野球やソフトボールなら代打は正式なルールの範囲だった。しかし、この場合は確実に違う。

 だからぼくには新たな関係を見つけて育んだり、構築することは許されなかった。忘れようと努力することも解決にと道は通じていなかった。まっすぐでも、曲がりくねっていなくても。

 ぼくは一学年下の卒業アルバムを借り、別の女性にも目を留めた。彼女らも高校生になる。垢抜けない制服の少女たちではもうなかった。その姿をぼくは駅で目にした。もちろん、ほんとうに出会いたかったのはひとりの女性だけであったのに。

 ぼくはアルバムのなかに書かれている電話番号をメモする。そして現物は返した。自分にチャレンジする能力があり、多分、本気にならなくても交際のスタートぐらいには立てるだろうという確信のない自信があった。それを証明する機会を設けようともせず、ぼくは手足をもがれたひとのように傷を隠せないでいた。隠せないのは自分自身だけで、この胸中の葛藤を友人も、もちろん以前の彼女も知らないでいるのだろう。このアンバランスさは、どこかでひとを遠ざけ、自分を気難しい人間へとその後、導いた。だが、それはもっと遠い未来であり、ただ種だけがここで蒔かれていた。さらに、ぼくは水を与えつづけた。日陰でもそれは充分に育った。

 こうして被害者のフリをしている。あまりにも居心地が良いので。

 ぼくは、同じ年から選ぶということをまったくしないことに数十年経ったいまになって気付かされている。ライバルだったチームからトレードしたひとをブーイングする観客のことを思いだす。ぼくが、もし彼女以外の同年齢のひとを見つけたら、ぼくの耳にはそうしたノイズが激しく、厳しく、こだまするだろう。

 どれも思案と模索で終わる。代理などなかった。だが、災害でもあれば線路のうえの障害物は直ぐに取り除かれ、通行を再開する。ぼくも、きっとそうするべきだったのだろう。模造のダイヤだって、偽のブランド品だって愛着をもてば、本物より好きになることもあるのだろう。あとは自分の気持ちだけが問題だった。

 ぼくは付き合いもしなかった少女たちをいまになって傷つけようとしている。だが、当時、ぼくは代わりだと言って傷つけた訳ではなかった。しかし、同等の罪と悪意がある。誰かを好きになった報い(あるいは、報われないもの)がこれだった。この状態から早く抜け出したかった。

 ぼくは待っている。待つということが恒久的になっている。携帯電話がない時代で良かった。そのなかに電話番号やアドレスがあれば、我慢という火あぶりにも似た事実を胸に突き付けられので、これも地獄にも等しかったろう。ぼくは家の電話にかかる電話を四六時中、待つことなど決してできない。家にいつづけることは不可能で、友人たちと夜通し遊ぶことも多かった。

 彼らもそれぞれ愛を見つける。何度目かもある。ぼくだけが二度目がない。夜が長すぎる。月の領分も多すぎる。橋の上で別の年下の女性を見かける。いつの間にか大人に成りかけていた。そして、重要なこととして、いつの間にかぼくの彼女と似た容貌をもちはじめていた。代理になりそうだった。次の打者としてサークル内で素振りも充分に果たしたかもしれない。ぼくは失礼なことをずっと考えている。ぼくは生きなければならなかった。どうしても、生き延びなければならなかった。そこには忘却が絶対に必要だったのだ。そして、自分でもとっくに知っているのだが、絶対に忘れることなどできるはずもなかった。忘れるなどはあってはいけないのだ。だから、低空飛行のまま軌道に乗らずに間違った行路を、ぼくはずっと、たゆまず、ずっと、進んでいった。
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