爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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拒絶の歴史(56)

2010年04月29日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(56)

 大学の帰りにバイト先に寄っている。その日はどう考えても暇だった。

 店の前には人が通るが、誰もスポーツをする必要がないらしい。店長はノートを開きお金の計算をしていたがそれにも飽き、配達をしてくるといって軽自動車の鍵を片手に出掛けてしまった。ぼくはひとり残り、店内で流しているバスケットボールの映像を見ていた。ある黒人選手が華麗なまでのステップをしてゴールを決めた。彼は引力のない世界にいるようだった。そのような世界には一体なにが見えるのか自分には分からなかった。

 夕方も遅くなり、部活帰りの学生たちが何人か入って来た。彼らは野球のグラブを手にはめ、その感触を味わっていた。しかし、今日買う必要はまったくないようなので、そのまま店を出て行った。そうすると、店長がまた戻って来た。

「何か売れたか?」ぼくは、首を横に振った。「今日は駄目みたいです」その言葉を合図に彼は店の奥に入っていった。それから何時間か過ぎ、ぼくはシャッターを閉め、店を後にした。家に着いてから服を着替え、夜の町をジョギングした。ほとんど決まったルートだったが、多少それは延びることもあり、また縮まることもあった。その日は長くも短くもならずいつもの見慣れた景色を走った。

 家に着くと雪代がいた。ぼくはそのことを聞かされていなかった。
「どうしたの? 突然に。教えてくれれば良かったのに」
「なんか急に帰ってきたくなった。2、3日休みが取れたし。急に帰ってくるとまずいことでもある?」
「そうじゃないけど。いつも電話で前もって言ってたし」

 ぼくは、そのままシャワーを浴び、たまっていた汗を流した。その間に雪代は焼きそばを2人前作っていた。身体を拭きながら、ぼくは冷蔵庫から缶を取り出し、ふたつのグラスにビールを等分に注いだ。テーブルに皿を置き雪代が前に座った。ぼくは、バイト先で見たバスケットボールの話をしたり今日の暇な時間のことを語ったりした。そこには大きな展開などなく、ただつまらない事実の集積のみがあった。彼女は何人かの友人の話をした。ぼくの知らない町の話があり、食べたこともない料理のおいしさを彼女は教えてくれた。

「今度、また東京に来なよ」と、彼女は言う。そういえば、と思い出し、ぼくは東京に行った帰りに後輩の山下の大学をたずねたことを言った。電話で話していたか思い出せなかったので口にしてみると、彼女は突然の話に驚いていた。ぼくがラグビー時代に築きあげた関係を損なうことなく、維持していることを誉めてくれた。

 彼はぼくの妹と交際しており、ぼくの家族と親しくなることの出来ない彼女はあまりそのことに触れなかった。しかし考えると、ぼくが話題にのせることをためらっていただけかもしれない。ぼくは、彼女の家族のこともあまり知らなかった。ぼくの高校時代の彼女は、妹とも家族とも親しくなってそのことはぼくを居心地よくさせた。しかし、それを捨ててしまった以上、もうもとの器には戻れないことをまた自分は知っていた。

 雪代はその後、シャワーを浴びTシャツと長めの部屋着のズボンを履いた。髪を丁寧に乾かし、ぼくのベッドの横に入って来た。そして、ぼくの胸の上に顔をうずめた。ぼくはラグビーをやめても身体を動かしていたので以前の体型を保つことが出来ていて、彼女の重みなど大して感じることはなかったが、その重みはぼくを幸せな気分にさせることは知っていた。

 ぼくは、東京での彼女の生活を不思議と心配することはなかった。彼女はそう器用に振舞えないだろうし、こうしてちょくちょく帰ってくるのでそれも安心させる要因だったのだろう。彼女がぼくのことをどう思っていたかは知らない。しかし、数年間ぼくが恋焦がれていた期間があったので、彼女もまた不安に感ずることはなかったのだろう。

 朝を迎え、ぼくはパンとコーヒーを雪代の声と姿をみながら食べる。大学に向かうため玄関を出て少し歩くと家の裏側が見えた。そこに雪代の姿があり、彼女はベランダから手を振り、ぼくもそれに倣ってかえした。ぼくはその夜、どのように過ごすかを考えていて、彼女が見えなくなるまでゆっくりと歩いた。

拒絶の歴史(55)

2010年04月25日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(55)

 そうこうしているうちに、ぼくは20歳の誕生日を迎えることになる。考えればあっという間の20年間だった。振り返ると、ラグビーで全国大会に行くという目標は叶わず、いまは大学で建築を学んでいる。交際しているひとは東京で仕事をしている。しかし、つながりは密に保たれたままだった。

 その週末には何人かの大学の友人と、過去のラグビー部の友達がぼくのために集まってくれて、大いに騒いだ。同じ練習をしてきた仲間と再び会う時間は、ぼくにとって一番リラックスできるときだった。彼らは、それぞれ進路を変え、そのなかの数人はもう働いていて、世間のいくつかの荒波に揉まれていた。しかし、あの時の練習に比べれば、なにごとも辛いとは感じず、彼らが弱音を吐くことは少なかった。

 大学時代の友達といま学んでいることを話すことより、彼らといて会話をしたほうが、ぼくは和めることを再確認する。ぼくのありのままの姿で接した3年間ほど、ぼくにとって貴重なものはなかったかもしれないし、今後他人とそういう関係を簡単に結べるのかは自分にとっても謎だった。だが、誰かと仲良くなりたければ、過去のあの日のように自分のすべてをさらけ出すことが必要な気もしている。それも段々と大人になっていくにつれ、何かを防御することを覚えてしまうのかもしれなかった。それも残念なことだが、その両方の地点にぼくは足を置いているのだろう。

 何人かはお酒を飲み、ぼくの過去のさまざまな思い出をネタに話をつないでいった。ぼくの少ない美点と、ぼくの失敗談なども2つのタイヤのように両輪で回っていた。

 グラウンドにいて応援していたぼくのガールフレンドのことをまだみんなが覚えていた。
「あの子、可愛かったのにな」と誰かが言い、
「だけど、近藤のいま付き合っている人を考えてみろよ。だれもが羨ましい境遇じゃないの?」

 と、それぞれがぼくの人生の批評をしようとした。ぼくは、それを他人事のように聞き、その人の恵まれたいくつかを、改めて再評価した。それは、とてつもなく美しいことであり、またそのようなひとの未来もまた美しくなるような気がした。

 ぼくらは、その店をあとにして、その後バラバラになって別れた。2次会に行く人もいて、車に乗って送られていく女性たちも何人かいた。ぼくは、家に帰る途中で、ふと公衆電話をみつけ、頭にインプットされた女性の番号に電話をした。しかし、それは繋がらずぼくはそのまま切って家まで再び歩いた。そよ風が心地よい夕暮れで、ぼくは新鮮な木々のにおいを嗅いでいた。

「さっき、電話した?」家に到着すると、直ぐに電話がかかってきた。それは、あるサッカー少年の母だった。ぼくらは隠れた関係をつくっていた。
「分かりました?」
「なんとなく」
 ぼくらは、その夜会うことになっていた。その確認をしたかったのだが、ぼくから連絡を入れることはまれだった。その30分後には会い、ぼくらはただ惹かれあうことだけが目的のような関係を再度行っていた。

 次の日に目が覚めると、家の玄関のチャイムが鳴った。それは小さな小包をもった宅配業者のひとが押した音だった。ぼくは眠たげな顔を隠すこともせず、それを受け取った。

 雪代から送られたことは直ぐに分かった。包みを開けると中には携帯式の音楽プレーヤーが入っていた。あと数枚のCDも一緒に入れられていた。

 手紙も添えられており、「これで、移動中も音楽などを聴いて気分転換してください。わたしのことを思い出してね」と書かれていた。ぼくは、彼女の存在を忘れることなどないのは自分自身が知っていた。しかし、二人の距離を縮めることだけは、精神的にはおこなえたが肉体的には離れている以上、どう考えても無理だった。

 ぼくは耳にヘッドホンを突っ込み、そこから流れる音楽を聴いた。カーテンの向こうの日射しがいくらかこちらに流れ込み、外の明るさを予感させた。このような数日があり、20歳のスタートの頃の懐かしい思い出だった。

拒絶の歴史(54)

2010年04月24日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(54)

 大学の近くにあるホールでジャズのコンサートがあった。ぼくは、あまり系統だって音楽を聴いてこなかった。ただ、学生時代はスポーツに明け暮れていたことも大きな要因だろう。そのことを別に後悔していたわけでもないが、なにか隠された欲求が自分のなかにあるかもしれなかった。隠されていることだから、自分からそれを取り出すということも出来なかった。大学の女友達の斉藤さんからチケットを貰い、ぼくは彼女と二人で来ている。彼女の友達の中にはバンドを組んだり、音楽関係の仕事に携わっている人も多くいて、不思議と簡単にチケットが取れるそうだ。

 ぼくは、きれいな色のシャツとズボンを履き、スニーカー以外の靴を選んだ。そこへ、斉藤さんも向こうから歩いている姿が見えた。彼女もいつもより品の良い格好をしていた。ぼくらは建築を学んでおり、それはラフで砕けた格好が似合うと思い込んでいるのかもしれなかったが、着飾った彼女を見てまた別の一面を見たような気がした。

「そういう格好も似合うね。構内では不釣合いかもしれないけど」彼女は自分の足のほうに視線を落とし、その姿を改めて確認したようだった。
「近藤君もいつもよりましだよ」と返答した。

 ぼくらはホール内に入り、コンサートが始まる前の緊張とリラックスが入り混じったノイズを聞いている。前目の席にぼくらは座り、もらったパンフレットを見るともなく見ていた。ぼくは、解説やあらすじというものがなんとなく苦手だった。受け手として先入観もなにもなく、すべての装飾を払拭して対峙してみたかった。だけど、彼女は簡単なグループの説明をした。ぼくはぼんやりと耳を傾け、実際の音楽を聴くまではなにも知らないでいようとしてみた。

 きちんとスーツを着た4人組が左側から入って来た。そして、それぞれの持ち場に着き、演奏をはじめた。ぼくは最初からその彼らが作り出す天上のような音楽を聴き、圧倒されたような気持ちになる。それをたくさんの聴衆と聴きながらも独り占めしたような満足感を抱いている。彼らの音はぼくの胸にすっと飛び込み、未来や過去のない場所に連れて行ってくれた。そうしながらも矛盾のようだが過去のある場面の映像がぼくの頭のなかに宿っていたことを再認識する。ぼくの高校時代のある面ではすべてだった女性がいた。彼女と過去にコンサートを聴きにいったことを思い出している。彼女もどこか知らないところからぼくのために連れてこられたような無垢な女性だった。肌に傷がないように彼女のこころにも穢れや憎しみなどもなかったかもしれない。その彼女を裏切った自分がおり、そのために彼女のために余分な負の要素を与えてしまったかもしれなかった自分が決定的な形としていた。本来は、どのような気持ちになったか分からないが、それはどうしようもないぼくの間違った歩みであった。それを取り戻すことが出来ないと思うと、そのことを悔しがったのか、音楽に感動したのか、やはり両方が入り混じった所為なのか、ぼくの両目から涙がこぼれた。

 ぼくの感情が詰まっているボックスは破れ、そこからさまざまなものが出てきた。彼女を失わないと雪代という女性と結ばれないことを知っている。雪代はぼくにとってもかけがえのない女性だった。しかし、ぼくはその高校生時代の象徴として存在していた彼女を失った辛さをはじめて知った。それは、失ってはならなかったものかもしれない。そうしながらも音楽はつながっており、ぼくの感情は音楽を聴くことと、自分の過去の痛みの双方へ行ったり来たりした。だが、ステージにいる音楽家は黙々と演奏をして、失うことも人生の一部なんだよ、と教えてくれているような気もした。

 音楽は終わり、何回かのアンコールがあり、ぼくらは座席から離れる。しかし、ぼくの両耳はその音楽が途切れることがなく鳴り響いていた。

「感動していたみたいだね。連れてきてよかったよ」と斉藤さんは言った。

 ぼくは、返事もせずたくさんの人が歩いている後姿を見ながら自分もそれに着いて行っていた。そこに、過去の自分と裕紀という女性が数年前のかたちのまま歩いているような幻想を抱いている。それは終わったことなのだが、ぼくにとって簡単に終止符を打つというような問題ではないのだろうと思いながらまた歩いている。

拒絶の歴史(53)

2010年04月18日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(53)

 そのまま家に帰ろうと思っていたが、なんとなく自分の脳裏のなかで後輩の山下を訪れたい気持ちが芽生えていることを知る。途中、乗換駅でちょっと変更すれば良いだけなので、予定を変えて別の電車に乗り込んだ。スポーツに力を入れている大学で、駅からその場所まで商店街がつらなり、安そうな定食屋などもたくさんあった。ぼくも腹が減ってきたので、そのひとつに入った。横には、そこの大学生らしい女性3人が恋の話などをしていた。それは、現実に起こっているわけではないらしく、あまりにも架空な話のようだった。それでも、彼女らはそれを種に話が尽きてしまう心配はないようだった。ぼくは、そんな話をしない雪代のことを思いながら、出された料理をきれいに食べ尽くした。

 別に約束をしていたわけでもないので、会えるかどうか分からなかったがグラウンドのある方に向かった。門をくぐり、見知らぬ人々とすれ違っていく。同年代でありながらもぼくはそれらの人と共通のなにかを持っていないような気もしていた。歩みをすすめるとグラウンドのあたりから活気ある声が聞こえてきた。ラグビーの練習も行っているようで、ぼくは見慣れた一人の身体を見つけた。

 そのまま1時間ぐらい高い場所に座って、練習を見ていた。途中で休憩があるらしく、ぼくは水を飲んでいる彼に近寄って話しかけた。
「山下、頑張ってるね」
「あ、近藤さん。どうしたんですか?」
「東京にいったついでに何となく途中下車した」
「あと1時間ぐらいで練習が終わります。まだいますよね?」

 ぼくはうなずき、またさっきの高台にのぼり飽きることなく彼らの練習やフォーメーションを見ていた。練習が終わると、山下はぼくのことをチームメートに紹介してくれた。彼らの何人かはぼくのことを知っており興味をもったが、いまはもうスポーツを続けていないことを知ると、急に熱が冷めてしまったようによそよそしくなった。彼らもラグビー以外の話題をみつけることを困難に感じていたのだろう。そう思うことにした。

 ぼくは、東京で雪代と会い、そのまま帰るのももったいないのでここに寄ったと言った。山下は、ぼくの妹と交際しており彼らの距離が離れてしまって関係がどう変わるのか、ぼくはなにも知らなかった。崩壊なのか、それともより親密になっているのか、段々と話しているうちに分かってきた。彼らの距離はそう遠く感じているわけではないらしい。ぼくは、雪代と自分の距離をとてつもなく遠く感じていたので、それは腑に落ちなかった。

 彼らは、いまだに雪代とぼくの関係に馴染めないでいるようだった。ぼくの前のガールフレンドの良さだけを基準に生きていこうとしているようだった。それは、仕方のない選択かもしれないが、ぼくはぼくなりの生き方があったのだろう。ぼくは、山下と話し最後に「妹をよろしくな」と言い残して別れた。

 ぼくは、また電車に乗り込み、東京で買った本を読もうとページを開くと、そこには雪代が書いたメモがあった。「わたしを愛する以上にひろし君は誰かを好きになることができるのかしら。わたしもひろし君以上に誰かを好きになることができるでしょうか」と呪文のような言葉が書いてあった。その言葉を見て、ぼくはより親密に彼女をすきになってしまうらしい。その後、20分ほどは本が読めなくなり、その言葉を窓外の景色を見ながらも反芻していた。

 数日振りにアパートに着き、ぼくは身体をベッドに投げ出した。ぼくは過去に関係のあったそれぞれの顔を思い浮かべる。それを未来まで引っ張っていく作業に追われているような気持ちを抱く。何人かを失い、何人もこれからも発見することだろう。決定的に失った数人もいた。それは、人生の在り方として仕方のないことだと思いタンスの奥に詰め込むようなイメージをもった。その時に、電話が鳴った。それは、妹からだった。

「大学に寄ったんだって?」
「まあ、なんとなくあの才能を見届けることに自分の責任があるような気がずっとしてね」と言った。

「ありがとう」と彼女は言った。ぼくは過去に知っていた人々から言われたありがとうという言葉を数えようとした。彼女は、その後家族のはなしをいくつか並べた。ぼくは、雪代との関係をもってから、自分の世界の領域を意図的にではないが狭くしてしまったらしい。それは、それほど彼女を必要としていたからでもあり、ぼくが彼女の前の女性を疎遠にしたことで良く思っていない人々に接するのを苦痛に感じていたせいでもあった。ぼくは一通り彼女の言うことを聞き、そして電話を切った。静かな空間に車内で見たメモの言葉が壁一面に浮かび上がってくるような錯覚を抱いていた。

拒絶の歴史(52)

2010年04月17日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(52)

 ぼくも何日か連続して休みが取れると、雪代のいる東京に向かった。電車を乗り継ぎ、地図で知った彼女の家を目の前にする。彼女は、その日は休みで部屋にいた。チャイムを鳴らすと部屋着すがたの彼女がでてきた。髪の毛を器用に小さくまとめて、その格好からは彼女の髪の長さを想像できないでいた。

「直ぐ分かった?」
「大体は、つかんでいたので分かったよ」と答えたが、何回かは道を訊いた。
 彼女はフライパンの上に具材を放り込み、なんどか揺さぶっていた。ぼくは、そんなに広くないベランダに出てビルばかりの群れを眺めている。そこには景色と呼べるようなものはなかったが、無言のエネルギーを感じさせてくれた。そうしているとテーブルの上に皿を並べる音がして、ぼくは振り向いた。彼女はにっこりと微笑み、こちらに来るよう合図をした。

「お腹、空いたでしょう?」
 その答えのように、ぼくは料理をたいらげていく。久々に食べる彼女の料理をぼくの舌はやはり覚えていて、その味付けに魅了されていることも知った。満腹になったぼくは、見るともなく彼女のこれまでの仕事上の写真をぺらぺらとめくっていた。彼女はその間に着替え、化粧をした。垢抜けていき洗練されていく彼女をぼくはそこで見つける。

「さあ、でかけましょう」と言って先ほど降りた地下鉄の駅にまた向かった。途中の大きな公園では少年たちがサッカーをしていた。ぼくはその輪の中に入りたい衝動に駆られる。身体を動かすことによって互いが分かり合える何かがあるのだ。

「まだ、サッカーを教えているの?」と雪代がたずねる。ぼくは、自分でもそれを楽しみにしていることを告げた。彼らの成長が、ぼくの成長でもあるのだという風に。「後輩に教えるのも好きだったもんね」と彼女はぼくの高校生時代のことを念頭に浮かべているのだろう、そう言った。

 ぼくらは渋谷に行き、彼女が買い物をするのを手伝った。相変わらず2年で地元に戻り、洋服屋を始めるプランのことを話した。それは段々と具体化され、現実味をおびていくようになった。彼女は店員さんたちと話し、なにかを収集しているようだった。そして、ぼくにも服を買ってくれた。もっと自分を信じて洋服を選ぶようにと語る。自己表現の場であり、そのサンプルの集合体として渋谷という町があるようだった。

 表参道のほうまで歩き、ぼくらは歩き疲れ食事をとることにする。彼女はその近くで撮影をしたことがあり、この店に入ってみたかったと言った。きれいな女性には店員さんも親切なようだった。ぼくは少し自分のなかに居心地の悪さを感じている。

 翌日、仕事のある彼女と別れ、ぼくは東京の町をひとりで散策する。東京駅近くの本屋で地元で買えないような本を探し荷物を増やした。ビルからビルの中を歩き回り、ゆっくりしたいときはビルの隙間のような緑の中ですわり、のどを潤した。こうしてひとりで歩いていても決して退屈させない東京のまちを実感する。そして、ひとりで懸命に働いている雪代のことも知ったような気でいた。

 ぼくは、彼女のアパートに戻り、途中のスーパーで買った野菜を煮込み、馴れない手付きで簡単なスープを作った。部屋でそうして彼女の帰りを待っていると、どうしょうもないぐらいの孤独感をもっている自分を意識した。ぼくは会話らしい会話を誰ともしていないことを知った。そして、もう一度スニーカーを履き、公園でサッカーをしている少年たちの姿を見ようとした。ぼくの少年時代もああだったし、高校に入ってから種目をかえても身体だけを武器にして、泥んこになっていたのだ。あの時の自分と決裂してしまったが、その糸を取り戻すかのようにぼくは小走りになった。

 夜遅くなって彼女は帰ってきた。ひとりにしてすまなかった、というようなことを言った。それでも、ぼくは楽しかったよと返事をしたが、いささかの孤独感はぼくの体のなかにのこっていた。それを払拭するようにぼくは彼女の身体をやさしく抱いた。彼女特有のにおいがして、ぼくは安らかな気持ちをいだく。だが、また離れ離れになってしまうことも頭から去らないでいた。

拒絶の歴史(51)

2010年04月11日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(51)

 部屋の中の空間も、こころのなかの空白にもいくらか馴れ、自分自身のシステムを作り始める。バイトがない日は、図書館にこもり建築の勉強をしている。それに身体も、もっと奥の心身にも変な疲れが残れば、サッカーを教えいろいろなものを克服する少年たちをみて、自分も癒され成長していく。それが、ぼくが19歳を間もなく終える時期の出来事だった。

 一才後輩の山下は関東にある大学に好条件で呼ばれた。ラグビーをそこで続け、いずれもっと自分を必要とするところに誘われていくのだろう。それを、やはり自分のことのように喜んでいたが、それでも、彼の人生は彼の人生だけのものだった。そこから、自分がおこぼれをもらう訳にもいかない。彼は、ぼくの妹と交際しており、それはまずまず順調のようだった。彼女も高校の3年になり、自分の進路を考える年頃になっていた。それぞれの目標があり、それぞれの生活があった。

 本屋に寄り、雪代が載っている雑誌をたまに立ち読みした。彼女のことをよく知っていると思いながらも、それは幻想ではないのかという気持ちをもつようになる。しかし、それを閉じてしまえば、もとの通り彼女はぼくのこころの中に納まっていた。ぼくはその年代特有の不安定な気持ちに足を踏み入れていたのだろうか? 他の人は優秀に見え、自分はそこそこの才能すらもっていないのか? それともラグビーで自分の能力を消費し尽くしてしまったのか? だが、それは一時的な迷いでもあるのだろう。

「ひとりでご飯を食べるのもつまらないでしょう? たまには付き合ってあげるよ」と、同学年の斉藤という女性に話しかけられる。ぼくは、そのような様子を見せていたのだろうか。

 二人で家庭的な店に入り、そこでご飯を食べていた。彼女はいつもよりしおらしくしていた。何か、言いたいことが胸につかえているような感じもした。

「何か、あった?」とぼくは、訊いた。
「わたしにも、彼氏ができた」と言った。そういうことだったのか、とぼくは思っている。「もっと、喜んでくれてもいいんじゃない?」
「誰が? ぼくが?」そう、という感じで彼女は首を下に動かした。「喜んでいるに決まっているじゃん」とぼくは言ったが、本心はどこにいっているか自分でも分からなかった。

 話をきくとそのひとはもう働いているひとらしかった。彼女は同年代の学生を子どものように見ていたので、それはちょうど良い選択であったのかもしれない。しかし、自分の本心だけで突き動いてきたような彼女にとって、男性がどのような気持ちで自分の発言をしているのか本心が分からないといって困っていた。それをぼくに訊いて確かめたいようでもあった。

 そのひとつひとつの発言を聴き取り、それに丁寧に解答した。彼女は別のことを求めているかもしれず、恋の最初の不安感がそれで解消されたかしれないが、彼女がそれを自分で解決する問題でもあったのだろう。ぼくは、その面ではまったくの個人主義であった。男性の共通の気持ちなど自分にも分かるわけがなかったし、自分の好きな女性が共通のなにかをもって話しているなど思いたくもなかった。ただ、個性的な存在であってほしかった。実際のところ、雪代は誰にも似ていなかった。そういう気持ちをもっている自分は良い相談相手でもなかったのかもしれないが、斉藤さんは、そのことにすら気づいていないようだった。

 こうして、自分の不安感は自分の不安としてきちっと残っており、またひとの心配事も引き受けたようで前より疲れた気持ちになった。

「ひろし君、なんか疲れている?」と電話の向こうで雪代がたずねた。ぼくは、今日の状況を簡単に説明した。女性は、個性的であってほしいとか、ぼくは誰かの代表として男性の気持ちなど話せない、とか言ったりした。もしかしたらただ淋しいだけなのかもね、と冗談まじりにもいった。「わたしもこうして平気なようだけど、同じ気持ちなんだよ」と言葉が返ってきた。ぼくは、こころが停まってしまったように、この瞬間を大切なものとして記憶に留めようとした。そうは思っていなくても、結果としては同じ状態になることを浅はかな自分は知らないでもいた。

拒絶の歴史(50)

2010年04月10日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(50)

 3月も終わりになり、雪代は東京に住む場所を見つけた。そこを足場にしてモデルの仕事を続けることになった。いままで、ぼくらが住んだアパートは、そのままぼくがひとりで暮らすことになった。そのアパートの一室は、段々と女性の匂いが消え、男性の部屋のような風貌をもつようになる。

「でも、安心して。マンションは更新しないで2年で戻ってくるから。貯金をいっぱいして、こっちで洋服屋をはじめる」と雪代はなんどもそう言った。別れ離れになるのではなく、暇があればたびたび雪代は戻ってくるといったが、その空白にぼくはいくらかの憂鬱な気持ちをもち、またすこしの安堵も感じていた。

「浮気しないでね。本気に誰かをわたし以上に好きになったらしかたないけど、やっぱり浮気をしないでね」そう言われると、思い当たるふしのある自分は、どう答えてよいか分からなかったが、しかし、心配するほうは、より多くの気持ちをもっているのは自分の方かもしれなかった。

 8割方の彼女の荷物がなくなり、当の本人もいなくなってしまった。ぼくは、感情を共有することに馴れていっていたのかもしれない、なにか面白いテレビをみては彼女に話し、また同時に笑い転げることも多かった。だが、いまは話しかけようにも相手がいなかった。ひとり大声で笑ってしまうと、その後の寒々とした雰囲気が無暗にのこっていた。

 また春になり、ぼくはジョギングをして、サッカーのコーチもたまにした。そこで、グラウンドを小さな子どもたちと駆け回っていると、普段話し足りない言葉や、孤独感が一掃され消滅した。汗をながし冷たいものを飲み、その後夜はひとりで食事をすることが多くなる。時間を持て余すとビデオを借り、本を読んだ。

「ひとりになってみてどうだ?」
 と、バイト先のスポーツショップの店長に訊かれる。
「なんか、なかなかうまく馴染めないですね」
「そうだろうな。ラグビーという共同体で育ってしまったんだから」と彼は、そう言った。それを心配してなのかどうかは分からないが店長の奥さんが、料理をたまにバイトが終わる頃用意しもたせてくれた。それは、とても助かった好意だった。

 何日かにいっぺんはぼくは電話をかけ、また同じように雪代からも電話がかかってきた。ぼくらはお互いの姿が見えないところで話すことになれていなかったのだろう。ぼくは、そうした時に彼女を強く求めていることを知った。彼女の髪や指先の繊細さを思った。

 同時に清廉潔白な人間の子孫でもない自分は、たまには肉体的な欲求にも負け、ある関係をもっていた。大学が終わり、バイトまで時間がある時は、サッカー少年のひとりの母と待ち合わせをした。
「彼女に悪いことをしたと思っている?」とぼくはそのひとに訊かれる。
「さあ、どうでしょう? 悪いことなんでしょうね」と曖昧な返事だけをした。そのような時に「浮気をしないでね」という雪代の残したセリフがぼくの耳のなかでこだました。

 雪代は宣言どおり一月に2回ぐらいは、自分の運転する車で帰ってきた。ぼくは、その瞬間を楽しみにし再び自分のこころのなかにある気持ちに気づくのだった。こんなにも自分は彼女を愛していたのか。そういう気持ちだ。だが、彼女は東京で疲れていたのだろうか、いつも以上に睡眠をとった。起き上がると野菜中心の食事を作り、ぼくも身体のなかで不足していた事実も知らずに栄養分を取り入れた。

 数日間いるだけで、部屋は女性の匂いをまた思い出したかのように発し華やいだ。ぼくらは春の公園の日差しを浴び、バトミントンのラケットを振り回したりした。彼女はぼくにぴったりのひとで、いっしょにいるととても落ち着いた気持ちになれた。夜は、以前していたようにビデオを見て感動しあったり笑い転げたりした。ぼくは、感想を言う相手がいることにこころが和んだ。

 だが、数日過ぎれば彼女はまた荷物を積み込み、車の運転席に座った。
「楽しかった。また」と、彼女は手を振り、その姿は坂で小さくなりそして消えた。部屋の中は何日かは女性の匂いがあったが、それでもそれははかないもので直ぐに男性の部屋のような面影だけが残っていく。

拒絶の歴史(49)

2010年04月04日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(49)

 雪代は大学生活を終えるにあたり、どこかへ旅行をしたいと言った。いくつかの候補があったが、2番手は大きく離され、最終的にアメリカの西海岸に行くことになった。
「いっしょに行くでしょう?」と、問われれば否定することもできず、もちろん楽しみであるので付いていくことになった。飛行機は飛びつづけ、身体の窮屈さを実感した。しかし、着いてみればそこは別天地であった。

 サンフランシスコではケーブルカーを背景に写真を撮り、彼女は写真に撮られなれているので不自然なポーズはしなかった。その反面、ぼくは違う人物のように写っていた。

 港では海の幸がはいったクラム・チャウダーを食べ、彼女もおいしそうに食べていた。
 サンディエゴという奇跡的に美しい町にも滞在し、たくさんの日射しを浴びた。夜はバーで静かにお酒を飲もうとしたが、アメリカン・フットボールの最終試合が間近にあるらしく、その影響で店は混雑し、盛り上がっていた。ぼくは、野球をスタジアムで観たかったが、それはシーズン・オフだった。にぎわった歓声がきかれる中で、何本かの冷たいビールを飲み、ぼくらはホテルに戻っていった。ホテルに戻ってテレビをつけると、アメフトのいままでの勝ち進んだチームの経緯が放映されており、ぼくも見入ってしまった。前進することの困難さを多少の違いがありながらも、ぼくも似たようなスポーツに興じてきて知っていたのだ。

 彼女は、相手にされないことに不服の表情をしたので、ついテレビのスイッチを消してしまったが、いくらか後ろ髪がひかれる思いが残った。

 その後、ロスアンジェルスに移り、遊園地に行ったり、彼女の買い物に付き合ったりした。

 いくつかの洋服を試着し、その中のいくつかのものが袋に入り、彼女は財布から抜き取ったカードで支払っていた。ぼくは、店の前のベンチで余りにも大きすぎるカップに入ったコーラをストローですすっている。彼女は大きな袋を片手で握りながら出てきたので、ぼくはそれを受け取った。

 ホテルに戻り、温水プールの中で数十分泳ぐと、たまっていた疲れがとれた。彼女もそれから着替え、調べてきた少し高級なレストランへ行った。

 その店はいままで食べてきたアメリカの料理とは違い、洗練されたものが出てきた。ぼくと雪代は無心に食べ、急な睡魔とたたかいながらも、歓談し楽しい時間を過ごした。

 旅行は予約をとり行くまでの時間は長いが、きてしまえばあっさりと時間は過ぎ去ってしまう。来たときより少し荷物の増えた自分と、大幅に増えた雪代のバックがあった。最後のロスアンジェルスのきれいな町並みを送迎の車の中で眺め、目に焼きつくそうとしていた。そこは楽園にいるような太陽に包まれ、日本にいるときより数倍も開放的な気持ちにさせてくれた。雪代もとてもくつろいだ自然な表情をしていた。

 空港に着き、時間があまったのでコーヒーを頼み、その小さな店内に座っている。行き交うひとを見るともなく眺めていた。彼らはきびきびと歩き、小さな男の子はぼくらに何か話しかけたそうな表情をしていた。そのとき、ぼくはある姿を目にしたのだ。彼女は、シアトルの学校にいるかもしれなかった。距離的にどれほど離れているのか、ぼくは知らない。だから、いてもおかしくないがありえない状況とも同時に思っていた。だが、少ないアジア人を目にしたことでただ単純に見間違えたのかもしれなかった。

 しかし、そのひとはあまりにも裕紀に似ていた。彼女は、知らない土地で迷う様子もなく、自分の進みたい道をまっすぐに歩いていた。そのときに、
「あの子、ひろし君が高校生のときに付き合っていた子じゃない?」と雪代が言った。
「どこ?」とぼくは気づかないふりをして、そう返答してしまった。なにが自分をそうさせたのだろう。

「向こうにいたけど、もうあの柱で見えなくなった」と雪代はありのままの様子を述べた。

 ぼくは胸の鼓動の不自然になった規則を感じていた。彼女の記憶にはまだぼくという存在が消されていないのか、それが疑問としてぼくの前に示された。

拒絶の歴史(48)

2010年04月03日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(48)

 後輩たちが走り回る姿をバイト先のテレビで見ていた。みなその町の人は同じようにテレビを見ているらしく、誰もお客は来なかった。店長と奥さんの入れてくれた紅茶を飲みながら、一喜一憂していた。結局、その日は勝ち進み、ぼくらの声はいくらかかれた。

 試合が終わると、お客さんも戻って来た。とくに何かを買う目的のないひともふらっと立ち寄り、ぼくに声をかけていった。なんだかんだ、ぼくもそこに所属していたことの証明が誰かの言葉を借りて、立証されていくのだ。小さな男の子のサッカーシューズのサイズを探し、倉庫と店先を何回か往復した。彼らのスパイクは直ぐに小さくなってしまうのだろうと考えると、買うタイミングも難しいが、そのことで成長を実感として両親は理解してくのだろう。ふとそんなことを靴を小さな足に入れながら考えていた。

 いくつか散らばったスパイクをまた箱にしまい倉庫に戻すと、店先には妹が友人と一緒にいた。その友人のテニスのラケットを選ぶため、彼女も来たらしい。妹がいれば気さくにぼくも応対するのだろうと考えていたのかもしれない。

 友人が何本かラケットを振り回している間、妹が近付いてきてぼくに話しかけた。
「ラグビー、勝ったね」
「山下も活躍したよな」彼女は、そのぼくの後輩と付き合っていた。ぼくが二年間かけて教え込んだことを彼は吸収し、もともと持っていた素材が良かったのだが、さらにたくましくなっていった。ある意味では、ぼくと監督がつくった作品なのだ。その見事な活躍を自分のように見守っていた。
「もっと、勝つかな?」
「さあ、そこそこ行くんじゃないの」

 友人も近付いてきて、2本のうちどちらがいいだろうとぼくにたずねた。テニスのことはあまり分からないが、雪代が使いやすいと言っていたほうをぼくも持ち、「こっちの方が評判がいいみたいですよ」と答えた。しかし、彼女は迷い、また明日くると言って帰ってしまった。「予約ということで、取って置きますね」と愛想よく背中に声をかけた。その友人はくるっと振り返り、「そうしてください」と言った。

 その日は、いろいろなものが売れた。ぼくは何枚かの札を受け取り、いくらかの小銭を返した。最後に店長がお金を計算し、「お疲れ」と言ってぼくをシャッターの前まで送ってくれた。

 その日は雪代と外で食事をすることになっており、彼女が来るのをそこで待った。アーケードの中でぞくぞくとシャッターが閉まり、その音をきいていた。ある店の前では決まったミュージシャンがギターをケースから取り出していた。その風景はその場所の一部となりはじめていた。しかし、彼がここに定住すればするほど、道は開けていかないのだろうとぼくは考え、ふと彼と目が合ったので会釈をした。彼もまた同じようにした。

 遠くで一曲聴いている間に雪代が来た。
「いい歌だね」と彼女は素朴な声の持ち主をそう評した。冬の寒い風が彼女の頬を自然と紅くしていた。「ラグビー勝って良かったね。見たの?」
「その時間は暇だったので店長と奥で見たよ」と答えた。
 ぼくらは手をつなぎ歩いた。彼女はリズムよく歩き、まるで重力がないかのように動いていた。

「なに食べたい? お腹空いたね」ギターの音はいまでは小さく耳に届くだけだった。彼女は卒論を書き終え、もう大学生活も終わりにはいった。いままでしてきた仕事をそのまま続け、どこかに就職するということはなかった。彼女の持っているそういう自由な雰囲気が失われないで良かったとぼくは考えている。その考えている横で彼女は、いつも口にする曲を小さな声で歌っていた。

 店に入り、彼女はテキパキとメニューを選び、ワインを頼んだ。店員が注ぐ間、それを彼女はじっと見ていた。薄いあまりにも淡い黄色を彼女はじっと眺めている。ぼくもにおいを嗅ぎ、それを口にした。

「ひろし君の果たせなかった夢に」と彼女は冗談っぽく言った。「手に入れた幸福に」とぼくももっと冗談っぽく言った。ぼくはアルコールの力で饒舌になり、今日のラグビーの戦術を解説した。話せば話すほど、ぼくは自分が嫌いになりかけていたラグビーへの愛情を、まだ体内にとどめていたことに驚いている。つまりは話すことになる題材が愛情の証明なのだ。その後、彼らは数試合勝ち、そして負けた。結論としては、失敗でしか人間は成長の度合いを測れないのかもしれない。そして、ぼくの母校は決まって全国大会に出場するチームになっていった。強かった学校のコーチが変わってしまったのも大きかったが、やはり習慣の力も忘れられない要因のひとつなのだろう。