爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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当人相応の要求(36)

2007年10月29日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(36)

例えば、こうである。
 戦略としての聖火。ベルリンという名前の都市。一人の人間の権力への執着。
 彼は、知る。そして、知るという作業と行程には、いつも痛みがともなうことと。
 ベルリン・オリンピックというものが、一人の人間の野望というもので語られてしまうこともある。聖火リレーというのが平和の象徴として語られる。それぞれの民族に、結果として橋をかけなければと。しかし、その聖火がたどった道を、今度は、それを完璧な地図の複製として、武器と銃弾が流れ込む。ドイツの周辺には、恐るべきことが起こる。あんな風に、かんたんに土地を通らせることはなかった、と悔恨の情は残るのだろうか。
 その人間の野望、極限までにはりつめたある種のむなしい美。苦痛がともなうスポーツ選手の最後のもがき。
 そのスポーツの祭典を圧倒的なまでの美しさを含んだ芸術作品として残した女性があらわれる。本人は、ただ自分の美意識を映したまでだが、歴史に足をすくわれる人は、必ず出てくるもので、そのレニ・リーフェンシュタールというひともナチスとの関わりをとがめられ、ある面でこの小さな世界から追放される。人間の形の美を追求しただけであって、その思想を良いかどうかをどう判断していたかまでは分からない。ましてや、未来の人間は、なお一層分からない。しかし、その資金の出所が問題なのだろうか。
 その資金のもとの、ひげを生やした男性。自分の民族が勝れていると考えている。ここでも、マイノリティーの憂鬱。
 その民族の優越性をかけた戦いで、本当の勝利者の数人。ジェシー・オーエンスという黒い肌の男性は、100メートルと200メートル走のメダルを手に入れている。
 日本人としては、棒高跳びと3段跳びで、もう一つ下のランクのメダルを手にしている。しかし、世の中は、まだ侵略したり奪い取ったりする風潮がはびこっていたので、金メダルをとったマラソン選手も、その時は日本人として、メダルを手にした。もちろん、今では、そんなことを誰も考えていない。1988年のソウル、ある一人の男性が聖火を手にし、スタジアムを走っている。歓喜とか自由は、ああいう形でしか表現できないのかと思えるほどの、見事な喜びようだった。彼も、それをテレビで目にして、胸の中に凄まじい感情が流れた。そして、どんなことがあっても、人の優劣を足場のしっかりしない民族で考えることだけは、やめようと誓う。
 そのベルリンが平和と和合の象徴として、一緒になる。ソウル・オリンピックの次の年には、両民族は解放される。ヴィム・ヴェンダースの映画の主人公の天使は、そのことを望んでいたのだろうか。白黒の映画の中で、うつろな視線でその町をながめる主人公。決壊した壁をあとにする国もある。しかし、アジアの国は、まだ二つに分かれている。
 オリンピックを映像に残すという作業。東京でのオリンピックを市川昆という監督が残している。失われゆく、前次代の美しい東京。小さな身体の、今後電気製品などで経済発展を遂げる国。
「白い恋人たち」という冬季のオリンピックを撮影した映画もある。信じられないほど可憐なフランシス・レイの音楽をバックにして、スキーは軽やかにすべる。
 そして、最後は旗。そして国家戦略としての聖火。中国という国と台湾という場所のいがみあい。もう、そんなことは目にしたくないと思っている、彼だった。
 モスクワで行われたオリンピックに足を踏み込めなかったチャンスある人たち。仕返しとして、ロサンジェルスに行かなかった東側の人たち。
 いつか、それらの記憶が彼の頭の中で居場所を失えば良いと思う。
 ひとりの女性が、映像も撮れる女性が40代前半で終戦を迎える。その後、60年も生き、数々の変貌を遂げるが、いつも過去の悪癖をとがめられるようにレッテルを貼られる。作品を、作品自体として、受け止められなくなってしまう、彼女の人生。ある時代と、深く密接に結びついてしまう不快さと、やりきれなさ。そして、正当に判断する材料を見失ってしまう民衆たち。
 彼は、来年もテレビでオリンピックを見ているのだろう。目頭を熱くする瞬間もあるかもしれない。ある人たちは、幸運をいつのまにか失っていたことに、あとで気付いて驚愕することもあるだろう。しかし、そのようなことも含めた人生を愛おしく感じようとも、考えている。
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当人相応の要求(35)

2007年10月23日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(35)

例えば、こうである。
 女性たちの書き記した文章が残っている。その中で、優れているのは、一体誰が書いたものだろう。文章というのは無名性なものだろうか、それとも個性が確立できるものだろうか。
 ジェーン・オースティンという人物がイギリスにいる。40年とちょっとの人生。1775年12月16日から 1817年7月18日までの限られた足跡。その中でも、6作ほどの小説を、それも立派な小説を残している。
 しかし、描かれているのは、田舎の中での限られた生活。アクション映画に洗脳された思考によれば、それは事件というものが、あまりにも起こらなさ過ぎるかもしれない。また、その人々の感情の揺れも表面だっては、表れにくいかもしれない。しかし、彼は、その手の作品を、大切にしているハンカチのように労わりながら読んでいる。
 もしかしたら、いや、確実に最高の文章を書く人の一人だろう。
 イギリスから、大陸に渡る。フランスに入ると、フランソワーズ・サガンという作家に出会う。場所も変われば時代も変わる。その中に現れる女性の態度も一変する。歴史の変化のポイントは、受動的なことを止めることなのだろうか。その人が18歳にして残した傑作がある。写真などを見ると、こつこつ机に向かって、文章を刻む作業になど不向きな人間のように見える。しかし、彼は似たような年齢で、その小説を読み、1954年のフランスと、そこにいる可憐でありながら、とても残酷に見えるような女性に惹かれていく。
 軽いおしゃれな恋愛をし、チープに見えながらも高性能なスポーツカーに乗り、繰り広げられる日常生活。そして、日本も迎える泡状な世の中。
 さらに場所を移動する。新大陸へ。ハリウッドに潜む成功。
 1924年に生まれた「ルック」と呼ばれた女性。眼差し、とか視線とかに訳せばよいのだろうか。ローレン・バコールという女優の自伝がある。彼は、ふとしたことで、それを手にする。都会に生まれた女性が、女優という職業に魅せられ、共演者であるハンフリー・ボガートと真剣な恋におち、やがて結婚し、そして辛い死というものが挟む辛い別れを経験する。それが、リアルに等身大で、さらにガッツある文章で書かれている。実際の作家ではなく、自分の生き様をスクリーンに映すと同じように完璧なまでの、本質を感じられる姿がそこにある。これも、彼に与えた女性への畏怖と尊敬への一歩だったのかもしれない。
 彼の生活にある、身近な女性の文章。
 男ばかりの子供に囲まれた母親がいる。彼の母もそうである。子供たちは、家事を手伝うこともしなければ、暖かい言葉をかけるわけでもなく、もちろん、そのことをわざわざ手紙に書き記すようなことも、誰一人としてしなかった。それを、当然のように考えていた生活。
 ある日、彼の隣の家の女性が、車の免許を取ることになり、彼の父親はその方面に顔がきくこともあり、さまざまな時間のやりくりや融通などを働かせてあげたみたいだった。そして、念願の免許をその女性は取ることになり、感謝の気持ちとして、彼の母親を通して、手紙をくれた。そうしたことをしてもらったことのない母親は、そのことだけでいたく感動し、また自分には男の子供しかいないことに、軽く不満をもらした。
 もう一つは、彼の交際していた女性からの手紙。ある日、食事を一緒にして、数日後によく気のきくその女性は、多分、「この前は、ご馳走になって、ありがとうございます」という文面だったのだろうと彼は、想像する。その時も、彼の母は、その女性の心配りと、(ある日、入院した母に、彼には内緒で花まで贈った。当然のように、彼は、そんなことまでしなくていいよ、と冷たく言った)きれいな文字と、文面の素晴らしい内容に胸を打たれた様子だった。それを、タンスの中にしまっていたようだが、その後のことを彼は知らない。
 ワープロというものが発明され、日に何通もメールがやりとりされ、会話の糸口はたくさんでき、コミュニケーションのツールは発達したような錯覚におちるが、一体、その中でどれほどの数の文章が、貴重なものとして残り、また人生を変えてしまうような感動を与えてくれるのだろう。
 彼は、今日もまやかしのような文章を編み出そうとしている。それは、他人への伝達ということでは、まったくないのかもしれないが、しかし、些細なつながりを夢見て、思いを綴る。
 
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当人相応の要求(34)

2007年10月22日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(34)

例えば、こうである。
途中で折られる枝。与えられた命の閉じ方。
誰しもが通過する俗にいう「青の時代」。当惑や葛藤の入り混じった自分の生命の 存在意義。半ばはもてあまし気味に、なかばは不確かな自信を有して。いのちに対して無頓着になる時期。それからは、たえられないぬかるみに足を踏み入れるような死への魅力。誘惑と戦慄。
短編の名手がいる。人間の顔の一部である鼻だけを題材に、大傑作を残す男。神経症的な主人公。もちろん、滑稽さもだいぶ有しているが。
いまは前ほどには贔屓にされないのかもしれないが、日本語の魅力にあふれている。それは、若い女性が身にまとうこともなくなった自然体としての着物のようなものかもしれない。
その人の残した最後の言葉。「人生のぼんやりとした不安。」
現代人が抱えている胸の奥を、このような見事な言葉で言い尽くせるだろうか。将来的に、圧倒的な繁栄は、一時に崩れ去ることを知っていた、彼が10代後半のころ。特別に分析にすぐれている人間でもなかった。しかし、もくもくと自然発生的に太陽を覆いつくす将来の不安な雲。もしかして、人間の生きる価値というものはあるのか。それは、どういったものだろう、と頭を悩ます。
心中や自殺をくりかえした作家がいた。人間失格や斜陽という、信じられないほどの繊細さを兼ね備え、また完成度の高い作品がある。彼は、人に会うのが辛くなっているころ、それを読んだ。そして、当然の帰結として、より一層、自分の内部の探求に走っていく。もちろん、薄い人生経験で深みなど、まったくない時期でもあったのだが。
その一方で、ハリウッド映画の影響として、自分の身体を鍛えようとする彼。内面は憂鬱な人格を住まわせていたが、外なる肉体は、筋肉で固めようと矛盾した考えをもっていた。
ある日、河原で皮膚を日に焼きながら、太宰という人の活動の中盤の、いたく愉快な小説を読んでいる。彼は、文章で、こんなに笑わせてくれるものを読んだことがなかった。そして、一人の人間を簡単にジャンル分けする恐怖も感じる。
「自己優越を感じている人だけが、真の道化になれる」
 という言葉を知り、彼は、自分も滑稽さを身につけようと努力する。もちろん、生まれつき面白い人間でもないが、それは努力のし甲斐があるようにも思える。
 それからは、内面に不安を抱えようが、ユーモアというものですべてを包みだす。しかし、長い間それを続けていると、悩みの共有という青年特有の愛撫から遠ざかってしまい、そのユーモアがかえって、自分と廻りの人間を遠ざけていることを知った彼だった。
 彼は、いつの日か美術館の内部に居場所を見つける。アルルで鮮烈な色彩を見つけた男を発見する。社会と自分の接点を、見つけられない男。金色に輝く麦畑。そこでの最後の銃声。
 弟に頼りきりになっていた、ある種の社会不適合者。
 その人の日記が残っている。恐い動物に片手をそっと伸ばすように、社会と和合を求める人間がそこにいる。しかし、あまりにも生真面目すぎ、真摯すぎ、自分の人生を、ひとつの成功者というイメージに近づけようとする努力のむなしさ。リハーサルを何度もして、有能なる画家と共同生活を求める人間。あまりにも、きちんと生きようとすればするほど、破綻していく人生。
 人生の閉じ方。彼も、自分が若い時に、この世に別れを告げるはずだった。だが、ある日、床屋で髪の毛を切っているとき、髪の両側にパウダーを塗られ、それが白髪のようにうつり、自分の数十年後を垣間見たような気がした。それを見た瞬間に、長生きしても良いかな、と考えるようになった。
 彼は、思う。繊細さも、若い社会と妥協しない真剣さも、いつのまにかポケットから無くした鍵のようなものだったと。それでも、良いとも思っている。
 この厭な、ときには不快な、眠れないようなストレスがあったとしても、理想とは格段に離れている人生だったとしても、それでも、人生は生きるに値すると思っている。
 根底から、なにも変えられない力のない存在だと理解しても、多少のご馳走と、スポーツ選手の活躍と、少数の燃え尽きた芸術家の力の発露を感じられるこころが、自分の体内に残っているとしたら、残っていなくても構わないが、年をとっていくのも、そんなに悪くないものだと彼は知る。
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当人相応の要求(33)

2007年10月17日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(33)

 例えば、こうである。
 彼は、東京の街を歩いている。実際に歩くことによって、脚の筋力が増すように、東京という街並みのひょろひょろとした肉体が、ある瞬間、見事に青年に達したような筋肉を持っていることに気付きだす。建物とそのデザインによって。
 彼は、ある冬の重いコートを脱いだように一気に桜が咲き出した町を歩いている。江戸の名残のような王子にある飛鳥山公園。江戸の庶民たちの憩いの場であったことを知っているかは分からないが、歴史が流れても桜の下で憂さを晴らしたい人々。
 その奥にひっそりと建っている建物。
 青淵文庫という名前。渋沢栄一という有力者のために贈られたもの。田辺淳吉のデザイン。浮かれ騒いでいるときに、こっそりその場を離れ、このような建物に遭遇すると、自分の酔った頭が捏造したものであるかのような錯覚に陥る。しかし、確かにある。そのわけは、やはり有力者には、後世になにかを残す余力がある。
 正義感のある人間が、革命の根を抱え込むようにその人物も、現況の政府をよく思っていない。しかし、ふとしたことで最後の江戸の権力者側に立場を定め、その影響と、またフランスに渡る要人のお供をし、資本主義社会と経済人の考え方に平手打ちされる。その後、日本に戻ってきて、数々の会社を起業し、またホテルの建設にも携わり、さらには現在の有名な学校のもとまで作り上げる。株式というシステムを輸入した人。
 彼は、湯島を歩く。岩崎邸という三菱財閥の館がある。設計者はコンドルという人物。奇抜でありながら、どんな場所にも不思議としっくりくる建物を作り上げる。鹿鳴館という歴史の塵のしたに埋まっているものも作ったが、彼は、その言葉しか知らない。しかし、現存しているその人の作品を網羅することを夢見る。また、その旧時代の財閥という響きに恐れをなす。自分が、ジーンズをはいてアメリカ南部の綿花畑で働いているようなちっぽけな人間という感情をもつ。そっちの側に席がない自分を痛感しているのかもしれない。
 彼は、三田という町を歩いている。そこに急に表れた三井倶楽部という建物。その厳かな雰囲気が宿っている場所。スーパーマーケットで食材を買う平均的な暮し。ふらっと入ることも出来ない会員制という名前の敷居。しかし、その美しいデザインをショーウィンドウの向こうにあるトランペットをのぞきこむ黒人の子供のように憧れをもって眺める彼。
 調べていくと、ここもコンドルという人物が手を貸した。明治という時代。即席な西洋化。しかし、野球やサッカーの助っ人外国人が、どういう心境で(遊び半分もいたのか?)働いていたかは知らないが、それぞれの心に忘れられない印象を残し、また活躍自体を置き忘れるようにこころの中に留めてくれるが、社会的にそういう人々に頼らざるを得ない状況だった。
 彼は、さらに渋谷から電車に乗り、駒場東大前という駅で降りる。前田侯爵という方の屋敷。大名という立場から侯爵という肩書きへのスライド。いまも残っている洋館。その美しさは、彼の目を圧倒する。
 彼は、その中に足を踏み入れるも、なんとなく落ち着かない気持ちがある。最終的には、もし仮に住む機会があるならば、一番小さな部屋で充分だと思ってしまう。しかし、経済的に裕福であろうとなかろうと、戦局という大きな事件に遭遇すれば、もろもろ蒙る影響は大差がなくなるだろう。
 その素敵な洗練された住まいは、アメリカの軍事力の前にひれ伏す。昭和20年の9月には戦勝国のものとなり、第5空軍司令官ホワイトヘッドが仮に住み、それから26年4月からは、極東総司令官リッジウェイの住まいとして利用されることになる。
 彼は、そうした事実を覚えておこうとも思うし、なにより、すべてが更新されアップグレード? される東京にあって、残っている期間が骨折した人のギブスのような短さでなくなっていく、この町のはかなさを、記憶に残していきたいと渇望している。
 さらには、そうした物を建てられた財力を、自分は一生持つこともないことも予感している。ロシアのサンクトペテルブルグには何があるのだろう? エカテリーナという女王の財力か、それとも一時レニングラードと呼ばれた人の思想なのだろうか? この地上を永久に愛せるのだろうか?
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当人相応の要求(32)

2007年10月11日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(32)

 例えば、こうである。
 映像に音をつける作業。それに、従事する人たち。卵が先なのか?
 彼は、暗い中で、椅子に座りながら映像を追い求めることを、そのくつろいだ時間に、人生のわりかし多くの時間を割いてきた。目線の先にあるもの。それは、ハリウッド製のモノクロの映画かもしれない。男女が出会って、危機を迎え、ときには解決したり、よりが戻ったり、永久に離れ離れになったりするときもある。
 また、別の機会には、フランスの都市を舞台にした華麗なる逆転劇が描かれているときもある。その、途中や最後の盛り上がる場面に印象的に挟まれる音楽があることについて知識を増やしていく。
 そういうことに長けている人たちがいることも知っていくようになる。例えば・・・
 「太陽がいっぱい」というフランスの美しい顔をもつ男性が主人公の映画。完全に別の人間になりきるチャンスがある。その犯罪が、これまた美しく完成される寸前で、すべての愚考が暴かれていく。その後ろに哀切に鳴る音楽。これを、一体、誰が作曲したのだろう?
 その同じ人は、大作と呼ぶに相応しい、アメリカのイタリア系のマフィアの歴史劇のテーマソングも書いている。
 だが、本人の弁では、映画の音楽を作ることは、本職ではなく、実際はクラシックの作曲家だと自分で語る。しかし、かれは、その本職の技を知らない。すべては仮初めだと思っている音楽に、胸を焦がしていく。ニーノ・ロータというイタリアの人。
 ロシアのひまわり畑。そこで記憶をなくした男性が、家庭を作っている。もしかして、過去に一度、結婚したことがあるのだろうか? そして、以前の妻は、生きているその男性を探す旅に出る。そして、やっと本物を見つけるが、その時に流れる音楽。ヘンリー・マンシーニという多作な人。その口ずさめる情緒的な音楽。彼は、もっとその作曲家のメロディーを知りたくなり、数枚組みのCDを買い集める。
 それで、その人は1994年に、この世での歩みを止める。70年で、おそらく多くの耳とそこから入る記憶により、称えられる人。
 しかし、彼が誰より好きな映画音楽家は、フランシス・レイだ。甘酸っぱい、永久に手に入らないものを追い求めるような、柔らかい羽毛のような音楽。いつか大人になって、可憐さを失う少女の一瞬の輝きを写真に納めたような音楽。
 あるレーサーがいる。命の危機にさらされ、それが元で妻を失う。自分には、可愛い一人の男の子が残っている。休みには、寄宿舎にいるその子と遊び、日曜が終わると、その子に別れを告げ、次の一週間を待つ。同じように、一人の女の子を持つ母親と知り合うようになる。彼らは、それぞれ痛手を負っているが、それを忘れるかのように恋に陥る。しかし、昔に負った傷が深くこころに入り込んでいるため、ある瞬間に、それ以上すすむのを躊躇しそうになる。だが、それで本当によいのだろうか?
 その時に流れる音楽。クロード・ルルーシュという映画監督の画期的な作品。男と女。まだまだ、そのチームは、たくさんの鮮烈な映像と、哀愁ある音楽を組み合わせて名作を連発する。
 まだまだいる。全編のセリフを歌にした、ミシェル・ルグランという人。
 それらの人の考え出した音楽が、完全なる映像をより一層、豊かなものにしていく。さらに、サスペンスを盛り上げたバーナード・ハーマンというひとの先鋭的なサイコの音楽。
 彼は、街中を歩いている。ふとした時に店やアーケードから音楽が流れてくる。そういえば、この音楽を聴いたときには、あんなことをしていたっけ? と自分のささやかなる半生のバックに流れていた音楽たちと邂逅する。
 例えば、シンディー・ローパーという80年代的な音楽家がいる。その人のハスキーな高い声を聴くと、彼は、自分が10代であった時に、簡単に戻れることを知っている。
 大人になれば、そういう鮮烈な印象深い事件と決裂してしまうのだろうか、あまり思い出せなくなる。その為に、もっといろいろ思い出を増やしておけばよかったと思うと同時に、いや、いままで確保してきた思い出で、その小さな集合体でもう充分なのではないかと相反する気持ちの中を揺れる。
 
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当人相応の要求(31)

2007年10月08日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(31)

例えば、こうである。
 地面のなかにひっそりと潜り、その存在を消して、誰かが通過するのを気長に待つもの。攻撃的な武器の範疇のなかでは、まぎれもなく受身である。でも、その意義や威力は、立派過ぎるほど効力がある。
 地雷という名前がついている。負荷がかかる重さによって、人間や戦車などに細かく対応も出来るようだ。いま、現在も、地上のどこかで、誰かの到来を待つ。夢や希望に捉われた、はかない人間の自信のないこころのように。
 1984年のサラエボ。自由な競技者の象徴としてのオリンピック。一先ずは、五体満足の身体と集中力でアピールするもの。もちろん、その裏表のように、ハンディを持つ人の大会もある。
 何人かに一人は、メダルを手にする。何人かは、こちらの方が多いが、練習の甲斐もむなしく、敗北感に覆われる。勝利者の割合はどれくらいのものだろう? いたって少ないはずだ。
 その自由の理想ある町が、戦場となる。オリンピックの2回ほど開催される期間の後に、そこはきれいな街並みだったらしいが、廃墟と銃声の絶えない町になる。誰かが、望んだのだろうか。ある人の命は無くなり、ある人たちは生き延びる。その割合は? 勝利者がいるのか? もし仮にいたとしたら、勝利者の手にするものは?
 現実はつづく。ほころびたジーンズの膝や裾の部分のように。
 いまだに、ひっそりと地中に眠るもの。割合は、人口の6人に一人の割り当てで、まだ残っているそうだ。急に訪れる不安と現実化される、役割を全うする武器。いつか、お前を追いつめてやるぞ、という決意。
 もちろん、それらの武器が残るなら、廃絶や撤廃を考える人たちがいる。実際に行動を起こす人も少なからずいる。その表舞台に立つ人。
 プリンセス・オブ・ウエールズ。選ばれしもの。ボスニアが戦場となっている頃に、別居する。庶民という立場を揺るぎない足場として育った日本人の彼は、テレビのインタビューで、自分の半生を語った彼女の声を聞く。しかし、その伏し目勝ちな表情は強く印象に残るが、肉声のイメージがなく、すぐにその声を忘れてしまう。
 ひっそりと、誰かの不幸をぴったりと背中に張り付き、そのチャンスが到来する時期を待つもの。ある日、大切な誰かの存在がなくなる。ボスニアの町で、地雷を踏んだためか、もしくは、1997年、8月の末にパリの道路の車の中でか。
 理解するきっかけが必要である。彼は言葉による具体的な答えが欲しくなるような心がある。ある瞬間、それを求めてもいないときに、不意に分かるときもある。
ヘレン・フィールディングという人の書いた「ブリジッド・ジョーンズの日記」という書物のなかで、イギリス人があまりにも彼女のことをいじめたものだから、神様が取り上げてしまった。ということが書かれていて、その本を読んだ彼は追悼の言葉としては、最高のものと考えた。だが、実際に、本物の弟は、葬儀の中で、
「狩猟の女神の名を持つあなたが、人々に追い掛け回されるのはなんという皮肉であろう」と弔辞を残す。
 アンゴラを歩く彼女。世界的な名声を、良い意味で利用する活動。まだまだ、カンボジアにも、誰かの命を消極的な形で狙っているものが見つけられずにいる。
 誰しも、急に世界の中でささやかながらも自分の居場所を失うときがある。ある人は、友人を失ったり、働く場所をうしなったり、家や貯えをなくすことも当然のようにある。そのことに積極的にか、間接的にか関わってもよいのだろうか?
 36歳で、美しさの陰りもない最中で、その小さな足場を取り外されてしまった人。彼は、いつの日か、自分の年齢が彼女のストップした年齢を上回っていることを知る。
 しかし、誰かの存在、その存在が象徴的であればあるほど、無くなった瞬間には、こころの中で理解する時間が必要になる。結局は、その理解したい気持ちも、知っていて負け戦をしているようなことかもしれない。国が分かれる。サッカーを見ながら、新しい国家の名前を必然的に覚えさせられる憂鬱感。その逆に、妖精というニックネームを与えられた存在を、彼は日本の地で知る。
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