爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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11年目の縦軸 16歳-13

2014年01月30日 | 11年目の縦軸
16歳-13

 ぼくには嫉妬がない。嫉妬される覚えもない。いつから、そんな醜い感情がぼくに訪れたのだろう。そもそも、その醜悪な種は、ぼくに内蔵されていたのだろうか。判断もできない。ぼくはまだ嫉妬というものに、さらされていなかったのだから。

 彼女が、誰か別の男性との恋を選ぶなど、ぼくは思っていなかった。だからこそ恋の渦中とも呼べた。彼女もおそらく同じ感情であると決めていた。女性が抱く心配や、感情の揺れや、無意味に到来する淋しさなど、その頃のぼくは知らなかった。知らないという点では、いまも等しかった。しかし、それをごまかし、言い訳することも少しながら覚えていった。もしかしたら、いらないものでも災害時のためにリュックのなかに備えておくことは悪いことではない。準備される容量による。必要だとしても日常つかっている家財道具のすべてなど緊急時にはいらない。大切なものは、ごくわずかなものだ。そうあってほしい。ぼくは長々と書く。彼女の抱いたかもしれない不安を、なかったものとしてごまかそうとして。

 しかし、反対のこともあったと仮定する。それほど彼女がぼくに夢中になっていないことも、判事のような冷酷な目を通して見れば、事実にもなり得た。偽証でもない。夢中にならなければ相手に嫉妬すら起こらない。起こす必要もない。ただの通りすがりの男性。そこに、ちょっとだけ好意が加わったぐらいならば。

 ぼくは嫉妬という感情をもっていない。このつながった手の先に不安の要素などない。だが、考えてみればぼくはほとんどの時間を彼女と過ごしてない。通学のために乗る電車内の彼女を知らない。短いスカートで。学校までの道のりの途中で親しい友人に会ったときの朝の軽やかな挨拶を聞いていないし、ほがらかな笑顔も見ていない。休み時間に笑い転げて、友人の肩を叩いたかもしれない姿も見ていない。友人たちと興味ある男性の話題に熱中することも知らない。起こり得た無邪気な可能性として、ぼくはその話題の中心人物になったかもしれない自分がいたことも知らない。十代の異性たちの気持ち自体が、途方もなく遠いものだった。彼女は自分の炎の対象として友人たちにぼくのことを話す。そして、説明する。親身な陪審員はある面では賛同するかもしれず、ある面では理解に苦しむかもしれない。その幼い友たちも有段者ではないのだ。誰かを無性に好きになるというジャンルでは。まだ、階段をのぼったばかり。畳に耳がこすれて固くなるほどの練習にも明け暮れず、経験もないひとの集団なのだ。つまらない例えだが。

 そんな状態でも、ぼくは嫉妬しない。見えない菌というものが解明される前の科学者のように、ぼくの周囲には悪いウィルスもない。

 彼女も同じようにぼくのすべての時間を管理し、把握しているわけではない。もっと突き詰めれば、ぼくの好物も見当がつかないかもしれない。カレーライスがそれほど好きではないこと。だが、その年代の若い青年の好みなど、大きな差はないのかもしれない。好みや趣味の変貌を遂げたり、自身で気付いたりするのは、もっと後なのだ。酒を飲むのには早過ぎ、小遣い以上の自由になるお金を手にするもの、もっともっと先のことだ。お金がもたらす自由と、限界と制約の枠を知るのも先。そのささいなお金で喜んだり、悲しんだりするのも未来のことだ。

 しかし、恋というのを妨げるのは、歯止めしようとするものは何もなかった。しつこいようだが、その恋に嫉妬はまぶされていない。原材料だけで手を加えずに完成に近いもの。それがぼくのあの日の恋だった。彼女は一日の勉強を終え、友人たちとの語らいも過ごし、ただひとり、ぼくと会うことになる。携帯電話で自分の居場所を知られる心配もない。当然、無遠慮な方法での中断もない。邪魔するものはなく、ぼくはありもしない異性との会話や着信履歴を心配することもできない。

 もしかしたら、彼女は学校で解けない問題に頭を悩ませていたかもしれない。ぼくは彼女のテストの時期も知らなかった。ぼくに会えるとなった約束時に彼女が発した喜びの声を、ぼくは正当な理由として、彼女と待ち合わせをしている。裏に大事な時間があったとしたら、ぼくには分からないぐらいにカモフラージュしていた。ぼくは見抜けない。ぼくの無知な動揺を彼女も見逃さない。しかし、そんなやりとりは起こらなかった。彼女は、進学したいのか就職したいのかも知らない。ぼくに進学という道はもうない。自分で選び、自分からはしごを外した。

 ぼくは他の人の優越性にも嫉妬しない。拘束もない自由には、嫉妬の断片も入り込まない。失い、それを手に入れた別の誰かに羨望を抱く。過去の自分の甘かった状況が途絶えたことを憐れむ。ぼくは定義する。定義するからには、その感情を知っている。把握というのは、つまりは悲しみであった。同情もない、欠如だらけで満載の憐みだった。ぼくらは手をつなぐ。ぼくはその手を誰かが握るであろうことも予測できない。その状態は神々しかった。ならば、神は嫉妬するのだろうか。あらゆる感情を作ったのは、いったい、誰なのだろうか。
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11年目の縦軸 38歳-12

2014年01月29日 | 11年目の縦軸
38歳-12

 ぼくは鏡面のように真っ平らに削られた固い石のうえに座り、通勤カバンから文庫本を取り出した。しおりが挟まれているのは本の厚みの後ろに近い。絵美を待っている間に、残りを読み終えられるかどうか考えた。ふと何気なく最終ページをめくると、そこに希美の特徴的な文字で名前と、読み終えたであろう日付が鉛筆で記されていた。文字はかすれていた。紙も真っ白とはいえず、黄ばみが急に感じられたようだ。退色。色があせるとはこのような状態なのだろう。きっと。だが、ぼくは反対に鮮明に彼女の姿が戻ってくるのを実感していた。

 ぼくは、この本を彼女に貸したことも忘れていた。家の本棚から数日前に取り出して、また読み直そうと決意しただけだった。その前に電波の悪いラジオでこの本が紹介されているのを耳にして、ふたたび読む気になったのだ。ぼくは支離滅裂に浮かび上がる希美の一貫性のない姿をいったん忘れ、集中力を取り戻してつづきを読もうとしたが、なかなかはかどらなかった。彼女に貸したことはおぼろげながら思い出せそうだったが、返してもらった日と状況はまったくぼくの頭のなかから抜けていた。いかに、自分は多くのことを忘れてきたのだろうと、わざと考え深げに腕を組み、なつかしもうとした。だが、なつかしむということにも具体的な取っ掛かりが必要であり、その指先をかけられる部分がぼくのなかには残っていない事実にもあきれていた。ぼくは別の機会の希美の姿で充当しようと、こころのなかの残像のいくつかをパズルのように素早く組み合わせた。彼女はこの本の感想を言ったはずだ。ぼくは、もうその感想を空想の力に頼り、創作するしかなかった。そうしている間に絵美がやってきた。ぼくはしおりを元あったところから次のページに移行しただけで終わった。時間があったのに、やっと一ページ。効率が悪い。しかし、ぼくはまだどれだけの本を読まなければならないのだろう。

「どうしたの? 顔色悪くない?」と言ってぼくの肩の辺りを優しくたたいた。女性に示される愛情というのは究極的にこの柔らかな接触に尽きるのだろうか。
「そうかな?」十一年前の日付け。十一年前の笑顔。それがぼくの上空を雨雲のように覆っていた。その世界は潤っていた。
「何の本?」ぼくは背表紙を見せる。「おもしろい?」
「まあまあね」

「終わったら、借りてもいい?」
「同じの買ってあげるよ」
「どうして? ここに、あるのに・・・」
「もう古くて、汚れているから」
「古い本の匂い、好きなんだもん」絵美はそういうと背表紙に鼻を近づけた。

 ぼくは読み終えることをためらう。もともと古本だと言って、名前や日付けも無視することは簡単だった。ぼくは希美などという架空の所有者のことを知らない。希美という名前の女性が直前にもっていたが読み終えたので売っただけだ。つながりなどない。さらには鉛筆での筆跡なので、消し去ることも容易そうだった。だが、ぼくはゴムでその文字をこすることを躊躇していた。彼女の写真はどこかに残っているのかもしれないが、文字となると話は別だ。ぼくは、彼女の書き記したものをすべて燃やしてしまったような記憶がある。すると、この数文字のみが、彼女のくせのある筆跡の名残りで、ぼくにとってだけ貴重なものだった。

「変な趣味」ぼくは、半ばあきれた声で突き放すように言った。
「変なにおいって、どこかなつかしげだよ。なんか、あるでしょう、好きな匂い?」

 ぼくは通勤カバンに本をしまって返事を探した。カバンのなかに希美がいた。ただの名前。また名前を媒介にして想起される思い出たち。ぼくのなかでゆっくりと穏やかに眠っていたはずの記憶が無理に揺り起こされてしまった。
「普通にラベンダーとか」
「ロマンチック。でも、違うよ、変だけど好きだということ」
「新聞に挟まれたつやつやした紙の広告の匂い」
「どんなだっけ?」

 絵美は鼻を上空に向ける。そこに対象物があるように。そして、目をつぶっていた。ぼくはカバンのなかに希美を入れている。ぼくはこのさわやかな夜へとつづくひとときを甘美に思いながら、台無しにすることも簡単なことだと認識していた。過去の重大さに気づいた自分は、同時に、未来の閉そく性を打破することも望んでいた。ぼくは壁を破る。ぼくの片手には絵美の手がしっかりと握られているべきだ。ぼくはその手を離せば、未来を失うのかもしれない。
「お店、着いたよ。いい匂い」

 店の外に通じている大きな換気扇から香ばしい料理やスパイスの匂いが自由に放たれていた。まるで意思があるかのように、ぼくらの鼻腔をくすぐって、食欲をつかさどる中枢を刺激した。ぼくはふとしたささいなことで充分、中枢などは刺激されることを今日だけでも感じていた。ぼくに意思はなく、過去の記憶に主導権があり、思う存分、デタラメにぼくを運び去ってしまう。ぼくは無抵抗であることを願い、連れ去られた捕虜以上にコントロールできない境遇を、意に反して歓迎してもいた。

 ぼくらはメニューの文字を読む。手書きで暖かな筆跡だった。右はじにある値段もいくらか割高だったが、その記された数字もどこか滑稽で、そのために現実味を忘れさせるほど、優しく暖かだった。
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11年目の縦軸 27歳-12

2014年01月28日 | 11年目の縦軸
27歳-12

 ぼくは無数の本を読んだ。それでいながら何も理解できていないのは、十一年前と同じだった。およそ千冊の本は視力だけを無慈悲に奪い、内容を正確に思い出せるのも、どれだけの量の本の中身なのか皆目見当がつかなかった。設定したぼくのゴール自体も不鮮明になり、道中の足もともおぼつかなかった。生きるということは身の丈に合ったお金を稼ぎ、そのまま浪費することと近かった。多少、余剰が出れば成功で、かつかつになれば失敗と呼べた。けもの道を歩くという意気込みも、快適な砂浜に裸で横たわることに勝らなかった。実際、ぼくはけもの道を無断で抜け出してしまっている自分に気付いて当惑しながらも、もう戻る覚悟も勇気もなかった。楽であること、居心地のよいことを常に念頭に置いた。ぼくの若い気高い悩みを希美は知らない。そして、ぼく自身も底の抜けた袋に入れたまま歩きつづけていたようで、いつの間にか、後ろに置いてきてしまったらしい。青い野心を。尖ってもいなく、誰かを蹴落とすことも念頭にない野心を。

 その名残の本だけが、無残に征服された中世の都市の城壁のように、堅牢とも呼べずに本棚を埋めていた。希美はそこに立ち、うっすらとほこりを積もらせた本の数々を引っ張り出していた。彼女のきれいな瞳の焦点を、そんな小さな文字に合わす必要もない。犠牲者は自分だけで充分だ。希美は、弾痕の無数の穴を帯びているのと反対側の城壁内でゆっくりと微笑んでいればいいのだ。軽やかにダンスを束の間踊り。

「ねえ、どれがいちばん好き?」彼女は振り返って訊いた。
「うん?」
「読んだなかで、どれがいちばん好きなのかなって。感銘をうけるというの?」

「どれかな」無知なる響き。無知なる質問。だが、ぼくは軽蔑することもできない。アクセサリーを誇る女性にも、同じ質問をぼくは投げかけることだってあり得るのだ。食い道楽にどの料理がいちばんおいしいのかとも訊けた。食事の回数も量もそのひとにとって無限ならば、ぼくの本もそれと等しかった。どれか、ひとつなど・・・・・・。

 だが、答えがない訳でもない。ぼくは希美が望みそうな本を奥から一冊、抜き取った。彼女はおもむろに開き、最初のいくつかの文章を声に出して読んだ。本は絶対に手にすれば開かれ、文字を追われるのだ。宿命的に。ときには美しい声の響きとなって化け、他者の耳に達した。

「おもしろい?」
「と、思うよ」なにを基準におもしろいと訊いたのだろう。冒険活劇のような慌ただしい展開。アラビアのロレンスのような人生。勧善懲悪。「ぼくと、いっしょにいるときと同じぐらいに」

「ふふん」彼女は鼻だけで笑った。その際に鼻のあたまにしわが寄った。それから彼女は床にすわり、本を開いた。本を貸すという行為は押し付けだけの要素でできているようだった。ならば、自分との交際を求めるのもほぼ等しい行為とも言えた。自分といることを望み、自由を奪った。だが、ひとはなにかをして時間を埋めなければならない。そこに貴重も無駄もなかった。欲があり、淋しさがあった。人間のこころなど邪魔なもので大分できあがっているらしい。

 ぼくは自分の本棚を他人のような気持ちで見る。人生の秘密をこれらはこっそりと打ち明けてはくれなかった。だからといって読まない訳にもいかなかった。希美を前にして、素通りできなかったように。自分との時間を押し付けるように。

 希美は本を閉じる。途中にしおりを挟んで。ここまで読んだという確かな証拠。だが、それは簡単にずらすことができる確実性のないものでもあった。誰もしないが、誰もができる。
「もう、読まないの?」
「これから、盛り上がりそうな直前で止めた。借りてもいい?」

「どうぞ」ぼくは今後、開くことがないであろう本に囲まれて暮らしているのだ、とその時に思った。捨てることもせず、売り払うこともしない。かといって定期的に読むほどに夢中になっている訳でもない。内容も思い出せず、そこにあること自体が理不尽なような気がしていた。十一年前の女性。新たなページが加わることもないが、ぼくのこころから完全な意味で消え去ることもない。所有でもない。形がある訳でもない。ただ、遠いむかしに手放した子ども時代のおもちゃと同じ類いのものかもしれない。だが、ぼくはその玩具に甘い懐かしさなど感じていない。もう一度、取り戻したいとも思っていない。あの女性の変化を、ぼくは受け止められないであろう。すると、ぼくは再度、あの女性が欲しい訳でもなかった。あの当時の自分に戻ることを切に望んでいるだけなのだ。それも、どこかで違うとぼくのこころは訴えていた。希美は鏡で自分の髪形を見ていた。少しいじり、少し納得した。ぼくはこの時間も得たかったのだ。希美に自分の存在のすべてを押し付けたかったのだ。そして、彼女からも百パーセント、押し付けられたかったのだ。ぼくは本を捨てないということを考えているだけなのかもしれない。その正当化でさまざまなことを頭のなかで並べ立てていた。その一冊一冊がぼくを作ったのかもしれず、希美や、あの若い少女が、ここにいるぼくを作ったのかもしれない。もろさと堅牢さを兼ね備えて。
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11年目の縦軸 16歳-12

2014年01月27日 | 11年目の縦軸
16歳-12

 ぼくは、もう学校で学んでいない。それは結果としてゴールにあるのは勉強の有無だけではない。同世代の友人になる可能性のあるひとの枠を無制限に拡げるのを拒むことにつながり、同じグラウンドでスポーツに興じ汗を流す機会を避け、放課後の、若さにありがちな空腹を買い食いをして友といっしょに満たす誘惑を失うことでもあった。かつ、恋愛の対象となる異性のトランプの枚数が増えない、目の前のテーブルに配られないことでもあった。だが、ぼくは補う必要もないほどに充分、得てもいたのだ。彼女がいることによって。その面では。

 ぼくは誰かの考えや思想を注入されない立場にいる。教室に制服を着てすわっていないので。あの頃に感じた教師の目をかいくぐった午後の居眠りの幸福もぼくにはもうなかった。指図や美は、ぼくの頭だけが決めることになり、このことで、ぼくは命令されることがこの後、異常にきらいになった。副作用はどこにでもあるのだ。

 ぼくは代用品として本を読む。自分から知識を取得しようと意気込んだはじめてのことかもしれない。スポーツをすれば、そこそこに身体は動いた。勉強も真の意味で嫌いになることもできないぐらい、容易に頭に入って溶け込んでいった。その満点も取れないが落第には遠退いている自分自身の学生生活がぼくから反対に努力や、汗だらけの熱心さを奪ってしまっていた。だが、もう受け身ではなにも届いてはくれないのだ。自主的に取捨を決定する。

 本に飽きれば、ひとりで映画も見に行った。ぼくの休日は同年代とは違うのだ。暗闇にひとりで座る。外国の生活。ひとりの悩める主人公。世界にはさまざまな文化があり、ぼくはそれを活用という観点を抜きにして全身で浴びるように受け止めていた。容貌が大人っぽかった自分は、補導される心配もなかった。もちろん、サボる学校も自分にはもうなかったのだが。

 帰りの電車のなかで本を読む。誰かが、こっそりと人生の真実を教えてくれるような気がした。ページを開くたびに。だが、ぼくはそのきれいごとではない本質を自分のものにするには挫折も傷もなかったように思う。歓迎こそしないが、いつか、ぼくは世の裏側から世界を見るのであれば、多種多様な傷が自分には必要不可欠なのだと漠然と思っていた。

 ぼくは自分の町に戻れば、その架空で、空中に浮かぶガラス製の王国は直ぐに消滅した。ぼくは、あそこに住む、ちょっと生意気でやんちゃな十代中盤の青年未満に過ぎなくなる。他人の目はそう判断した。ぼくの成長の過程と経過を知っている友人の母親という目を仮に通せば。一般の整備された道路を走らない、でこぼこだらけの道を見つけた無限の未来を感じているぼくは、新宿や渋谷の映画館のなかだけにあるのかもしれない。遠回りで、きちんとした製造ラインにはいないながらも、ぼくはこの道を愛そうと思っていた。同時に、ぼくが愛さなければ、この道は誰にも愛されないことは証明されているのだった。

 ぼくは繭にくるまれている。そこから抜け出すのは自分自身に頼るしかない。世界は敵ではないながらも、味方でもなかった。彼女は繭の外にもいない。同時に中にもいない。彼女自身が繭の一部であるのだろうか? ぼくに女性という世界を見せてくれるのは、彼女であるべきなのか。同級生でもなく、母親でもなく、親戚のおばさんでもないスペシャルな何か。友人の姉妹でもなく、教師でもない女性。ぼくの周囲にいた女性たちは、そうすると異性がもたらしてくれるトキメキをいままでは誰も有していなかったのだ。バトンはなく、彼女が最初の走者だった。ぼくがひとりで住もうとしている架空の王国に彼女の椅子はあるのだろうか。このガラス製の王国はそもそも彼女の目には見えるのだろうか。ぼくは本を閉じ、眠い目をこすり、この地上での覚悟を忘れてしまう。とろけてしまう自分が主人であり、王様となる布団のなかで。

 ぼくは自転車を漕いでバイトに行く。雨が降れば片手で傘をさして。晴れならばヒット曲を小さな声で口ずさみながら。その恋の歌の対象となる女性は、彼女になった。短絡的な価値観の頭脳。ぼくは食材を焼いた匂いを衣服につけ、帰り道をまた走って通る。ぼくにはストレスなどない。大人がいうストレスというものが、ぼくには心底、分からなかった。世界は彼女がいることによって輝いており、ぼくは自分が歩むべき、けもの道の入口に立っていた。あとは迷おうが行方不明になろうが進む勇気を失わなければよいだけだ。ぼくは服を着替え、彼女に会いに行く。彼女も自転車をこぐ。病気などまだ一切なかった世界。無知であり、同時に世界の賢さを身に着けてうまれた当初のふたり。彼女は自転車から降りる。小さな身体。所得も学問も、親の仕事も家柄も、どんな基準も含まれない世界。そこに彼女がいて、ぼくも住む資格を得ている。判断となるのは、ぼくのこころが決めた好きというものだけだった。だが、それもぼくが決めたのではない。徐々に芽生え、そして、突然にあらわれた感情。彼女が自転車から颯爽と降り立ったように。ぼくらは自転車を置き、公園のベンチにすわる。缶コーヒーをふたつ買う。彼女はコーヒーが好きなのだろうか。あのときに訊いて置くべきだった。もっと好みを、もっと頻繁に。
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11年目の縦軸 38歳-11

2014年01月25日 | 11年目の縦軸
38歳-11

 昼ご飯をいっしょに食べながら、原島さんは太ったと言った。ぼくは日中、仕事で関わるので「原島さん」ときちんと読んだ。頭のなかでもそう思い込むように仕向けていた。ひとの神経の反応というのは不思議なものだ。電話に出る場面では、きちんとその場に応じた名称を名乗って受話器を取る。家では、自分の名前。職場では、会社名と所属部署を先頭に置き、実家では、それらしい声音で。計算もしていないのだが自然と振る舞う。それに関連するのか分からないが定食屋のテーブルの前にすわる女性を原島さんと呼ぶ。

 ぼくは、昼に彼女がぼそっと言った「太った」というひとことを夜に検証している。まったくそのようなことはなかった。広大な平野のように見渡す限り平らなお腹だった。中心に湖のような穴がある。おへそ。もしかしたら、中禅寺湖。先には滝があるのかもしれない。いろは坂も。だが、そうなるともう平野ではない。

「ぜんぜん、太ってなんかないよ。絵美は」
「そう?」満ち足りた猫のように彼女は身体をくねらせた。

 物事の基準として、あらゆるサイズがある。センチメートル。キログラム。ガロン。リットル。インチ。しかし、ぼくは両手の感覚だけで、いろいろなものを認識する。質感も、手触りも含めて。正確さも完全に帯びていないが、ミリ単位での精細さなどここでは重要ではない。しっくりいくか、いかないか。でも、ぼくは何を判断材料にして、しっくりきたなどと決めているのだろう。そして、これが丁度よいサイズなのだとの基準は、より少ないとか、より膨らんでいるからといって、あやふやさが仮に生じたとして、ぼくにどんな不都合な結果があり、正すべき誤謬があるというのだろう。何もない。皆無だ。しかし、同時にこの日の絵美のお腹はぼくにしっくりときたのも事実だ。計るべきスケールが手元になくても。

 彼女の頭のなかにも、ぼく(男性という総体を含め)に対する基準となるべきサイズがあるのかもしれない。ぼくは自分の身体を見回す。ほとんど手入れというものをされたことのない肉体。それでいながら、今日まで充分に働き、機能してくれていた。人間の五感も不思議で複雑であれば同様に身体も摩訶不思議なものであった。摩訶不思議なもの同士がぶつかった。そこに作用のようなものがあり、歓喜も少なくないぐらいにあった。

 最高の体験。最高の音楽。もっとも好きな映画。感動したシチュエーション。そこには経験による手応えがあった。複数の情報を処理した積み重ねからすくい取られたものたちだった。はじめて、ということはいかに危うく、おぼろげなものだろう。はじめてで最後の海の波ということは絶対にあり得ない。ほんとうの意味で数えられない波が、岸辺を襲った。波打ち際は形状を常に変える。ぼくは、何度か道を踏み外しそうになりながらも、ここまで生き、絵美のことを知った。知ったというのも、もう外面的なことばかりではない。そこに、はじめてという物差しは介入されない。たくさん知り、たくさんのことを忘れ、気づいても気づかなくても素通りしてこの場に至る。だが、新鮮さが完全に奪われるということもあり得ない。胡椒などのスパイスは、いつも微量に分量を間違え、新鮮さを思い起こさせてくれるものだった。

 ぼくは絵美のお腹に自分の耳を当てて横たわる。内臓が働いている音がする。ぼくはこの痩せたお腹が好きだった。なぜ、好意をもつのかほんとうの意味での理由は分からない。もう自分のルーツや先祖をたどれないように、ぼくの根源的な好みなど解明できないのであろう。音がする。ぼくは絵美の中身も好きになるが、その中身というのは感情のことだけであるらしい。数々の管でできている人体。ぼくは絵美の血管を愛しているわけではない。その血がめぐる感情は好きなのだ。ならば、ひとを好きになるというのはどこのことなのだろう。管。管の入口。出口。

「ねえ、太ったんじゃない? 洋介さんさ・・・」彼女は普段、さん付けで名前を呼ぶようなことはなかった。
「そうかな?」
「お昼、おかわりし過ぎじゃない?」
「ひとりで食べるより、おいしいからね」

「でも、ひとりのときより、ゆっくりと食べているはずなのにね、不思議」そう言って、数度、彼女はぼくのお腹を軽く叩いた。犬がお腹を見せるのは安心と信頼と服従との組み合わせであるならば、ぼくらもそれぞれ似た気持ちになっているのだろう。背を向ける、という表現もあった。ぼくは、絵美のなだらかな背骨の両脇に位置する稜線を見る。そして、なぞる。背中の中心など自分で見ることはできない。左側にほくろがあった。自分では絶対に見ることができない部分や、理解できない性格の一部など、発見しないまま自分の人生も終わってしまうこともあり得るのだろう。誰かが指摘したので、存在するようになった科学の法則もある。指摘されなくてもあることにはあった。それを解明して、名付けられ、皆に知れ渡るようになってある列の順番に並ばされる。はじめは最後列で。先頭にいたものも、いらなくなれば忘れ去られる。石炭のように。絵美の背中の黒い点。ぼくは知っている。前の交際相手も知っていたのだろうか。発見者はいちばんであることが望まれる。だが、はじめてなどどこにもない。どこにもないので憧れるという範疇に入れることもできない。
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11年目の縦軸 27歳-11

2014年01月24日 | 11年目の縦軸
27歳-11

 ぼくは会社の用件で伺ったので、請求書を希美に手渡し、そのまま直ぐに帰る予定だった。どこかで待ち合わせて、ふたりで会おうともしていた。だが、思い通りにはいかず、その流れで希美の職場のメンバーと食事をすることになった。ぼくらの交際はまだ知れ渡っていない。どちらの社内のことにも無頓着であったが、別にばれたからといって困った状況になる訳でもなかった。こうしたことはすべてタイミングにかかっている。言いそびれたことは、いつまで経っても言いそびれたというレッテルを貼られて機能する。つい、うっかりとした失言をするひとは、いくら無口になっても、お調子者という役割を以後つかまされることになる。ひとは一度、してしまった判断をあえて覆そうとは努力しない。ぼくは寡黙に自分の業務だけをして、顧客のために愛想をつかうタイプでもないらしい。ある店で打ち解けていく段になって、そうやんわりと言われた。

「国代さん、誰かと付き合ってないの?」希美よりいくつか先輩らしい女性がそう率直に質問を投げかけてきた。
「どうなんでしょう」ぼくはあいまいな返事に終始しようと大して考えもなく決めていた。
「どうでしょうって、自分のことなのに。希美ちゃんなんか、どうなの?」ぼくは、その女性と希美のことを交互に見つめた。「希美ちゃんのこと、下の名前も知ってるんだ? 見たぐらいだから。目は口ほどに・・・ね」

「だって、名刺にも書いてあるし、それにお客様だから」
「前の担当者のことは、いつまで経っても覚えなかったのに」
「そうでしたっけ」奥の席にそのひともいた。静かにすわっている。趣味も家族構成もまったく知らない。仕事で付き合うだけの間柄だから。そこに感情が入る余地はなかった。あえて、いれる類いのことでもない。高速道路の料金所で働く男性の座右の銘など知らないのと同じく。
「希美ちゃんは、どうなの?」

「どうなのって?」希美の白い顔は、いくぶんか染まっていくようだった。
「満更でもない。でも、満更って何かしらね?」その女性はこの場の主導権を一手に握っていた。自分の口から出た言葉も直後に関心をなくして次々と興味のあることに移っていった。そういうひとの例に漏れない如くに視線も忙しく動いていた。ご多分に漏れず。ご多分って、何だ?
「あ、店員さんが来た。ねえ、お兄さん、このピザのお皿を下げてね」
ぼくは希美の恥ずかし気な態度を注視しないよう気を遣い、ひざの上のメニューを見ていた。
「国代くん、もっと食べてね。業績が良いのはそちらの会社のお陰なんだから」

 先輩にもてば、これほど頼りになり、同時に厄介にもなりそうな女性はいそうになかった。ぼくは自分の職場内で似たようなひとを探した。とくに見当たらない。ならば学生のときに? しかし、若いときにこういう風格を身に着けることは女性にとって減点になりそうだった。希美を見ると、いつものような肌の色になっていた。それでもお酒によるのか、まだ紅さが肌の薄さの奥底から自然と浮き上がってくるようだった。そして、今後も居直るような風格を希美は身に着けることはないだろうとぼくは予想した。同じ会社にふたりもいらない。

 ぼくのグラスは空く前から次のビールが注文されていた。先にひとりで帰ることも許されそうになかった。テレビ番組の録画のことを考え、自分が予約の準備したのかどうかも、もう思い出せなかった。そこにいなくても見られる番組。過去に愛した女性は、もうどこにいるのかも分からないのに。

 ぼくはトイレに立つ。途中の通路で希美とすれ違った。
「ごめんね、急にこんな立場にならせてしまって」
「いいよ、希美は大丈夫?」
「平気だけど。明日、質問攻めに遭うのがこわいな」
「なんか、できること、言っておくことがあれば、直ぐにするよ」
「大丈夫、大丈夫。ほら、もう次の獲物を見つけているから」

 ぼくらがいた席から歓声がきこえる。希美はそこに戻り、ぼくはトイレの扉を押した。洗面所の鏡には赤い顔があった。それは照れという要素ではできていない色だった。ただのビールの飲み過ぎ。証拠の空のグラスたち。しかし、来月から仕事がはかどりやすくなりそうなのは事実だったし、希美がどのような環境で働いているのか又聞きではなく具体的なものが見られたので、とても良かった。
 席にもどると八割ほどがもう消えていた。ぼくは二軒目にも付き合わされ、「いっしょに帰りな、こうして」と言われて先ほどの女性にむりやり希美と手を握らされる形になった。

 ぼくらは角を曲がるまで命令に背くのがこわいかのようにそのままの状態を保った。でも、彼女の視線が消えても手を離す理由も必要性も感じないでいた。でも、世界にはあらゆる目が隅々まで網羅されているらしい。翌日、希美の振る舞いはうわさになっており、自分の弁護もできない彼女はとうとう白状した。最初の店だけで帰ったはずの同僚が、あの角の先に偶然にもいたのだった。酔い覚ましのコーヒーを飲んでいたのか、甘いケーキが食べたいタイプなのか分からないが。

「あの時に、なぜ、もっと、早く言わないのかと思ってたのに。国代くんは意気地も度胸もないのね」と、希美は責任の一端を負わされていた。それでも、希美はその疑惑に抵抗し、ぼくの男らしさを述べ立てたらしい。ぼくはその話を電話で聞き、見抜くことに長けた目というものが確実に存在することを知った。存在を確認して、あらためて怖さが倍増することも世の中には多々あった。
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11年目の縦軸 16歳-11

2014年01月22日 | 11年目の縦軸
16歳-11

 ぼくらはケンカをしなかった。だから、彼女が泣いた姿も、怒った素振りも容易に見ることができなかった。そのことは例えれば昼の世界にいるだけで、夜の闇も、月をのぼらせた空間も知らないままで満足しているほどの未完成な半分だけの世界だった。しかし、ぼくは彼女を悲しませるという罪から自由でいられた。もし、そんな災いを招くことを自分に許せば、その当時は耐えられなかったかもしれない。もちろん、ぼくはその後、別の女性の姿を借りて、何度も罪を犯す。だが、罪という言葉の定義や重さには到達しないだけではなく、充分な痛みも、罪悪感の欠けらもないほどのちっぽけな事柄であっただけなのだ。驚くことも当惑することもできない。たまには、泣きたいんだろう、とさえ突き放すように丸い背中に向かってぼくは不機嫌に思っていた。距離が限りなく遠い世界の、さらにはガラス越しの隔たった姿のように現実味にも乏しかった小刻みに揺れる背中たち。

 あの当時ですら、手紙のやり取りをするような時代にもいない。同じ学校のときは、書かれたものを見たことがあるかもしれないが、そこには美もはにかみもなかった。ただの黒板の文字の丸写し。数式の記述。親しいというのは受けなかった授業のノートの交換であるならば、ぼくらは親しくない。同じ教室内に存在したこともないのだ。ふとした先生の言い間違いで同時に吹き出すこともできず、給食を食べられないぐらいに笑わすこともできなかった。もちろん、無神経なひとことで傷つけることもできない。ぼくの奥底にそうした小さな破壊に導く感情があることも誰にも発見されていない頃のことだった。だが、大陸が発見されたと年号で記憶されたとしても、そこには人々が既に存在していたのだ。ぼくが彼女だけを傷つけなかったとしても、無数にその前兆の風を友人には振り撒いて浴びせ、その後、異性にも同じ風は、簡単に万遍なく達した。

 ぼくは彼女の声を思い出している。いや、思い出そうと努力している。録音機器もまわりにはあったし、映像をそのまま記録するカメラも世の中には出はじめていた。ぼくは、いくら高価だろうと、それを買っておくべきではなかったのだろうか。あるいは、親にでもねだって入手すべきことが絶対に必要不可欠だったのだろうか。ぼくは何ももっていない。後世に引っ張れない。縄の片方をつかんでいながら、もう片方には何も結ばれていなかった。ただ、いっしょにいた、もしくは電話で話した内容の記憶を時間の経過とともに薄まらせることに同意もなく加担していた。人間とはそういう生き物に過ぎないのだろう。

 しかし、半分の世界ながらもぼくには短い貴重な昼の期間があった。それさえも与えられないことも考えられる。彼女が笑おうが泣こうが目の前にいることが、いちばん重要なことであった。感情の起伏が表面にでてこなくても、ぼくといっしょにいるという事実が、ありのままの好意だったのだ。彼女は電話で会う約束をすると軽やかに喜び、期間が空けば淋しそうな口調になった。簡単なありふれた証拠だった。ぼくは、このいくつかの勝利に似た小さな事実を大事にしようとしていた。埋もれていた小さなビー玉が地中から掘られ、外の空気に触れて淡く輝くようにぼくの記憶も世界一の輝きではないながらも、傷にも摩耗にも耐えながらもなんとか持続しようとしていた。ぼくの願わないところで勝手に埋まっていたのだが。

 風呂の湯船の温度に敏感な身体でも、ぼくは彼女の手のひらの体温の差も気づかない。足先より劣る手のひらの感度。差に気付かないぐらいだから、一定の体温が保たれていたのだろう。高熱を発すれば、もちろん会うこともできない。そして、彼女の部屋でぼくは寝室の床にすわり看病することもできないのだ。病気を願っているわけでもないが、一度ぐらい、そうした機会があってもよかったのかもしれない。ぼくは自分の睡眠を削り、彼女に奉仕する。代償はいらない。いるとすれば、もう一度元気になってもらうだけだ。しかし、ぼくにはその資格はない。彼女の母は、いままでの間に数十回もしたはずだ。ぼくらが、ある年代のときにできることなど、いかに限られているのだろう。そこを突き抜けることは誰にも叶わなかった。

 ぼくは無駄なことばかり考えているようだ。あの尊かった時間を、わずかでも伸ばせばよかっただけなのだ。別れる時間を毎回、一分ほど、いや、二分ずつ引き延ばすだけで、ぼくの思い出は増えるはずだった。だが、日没も日の出も、潮の干満も一切、変更ができないように、ぼくの力の及ぶ範囲のそとの話だった。

 ぼくは月がある世界に行こうとする。

 彼女はそこで泣き、ぼくの衣服の胸の部分が濡れる。ぼくはその涙を瓶に集め、空中にばら撒く。詩の世界なら、その粒は星となって、きれいにまたたき、闇夜を打消して輝くことだろう。彼女はどんな理由があって泣いているのだろう。家に帰るのが遅くなって注意される。ぼくは彼女といっしょにいたいと思いながらも、ある時間までに送り届けることをきちんと命令されたわけでもないのに厳守している。彼女はぼくのために叱られるべきではない。ぼくといることで満ち足り、美しくなってもらわなければならない。ぼくは、ひとりの女性のことを愛そうと思いながら、いまになって知らなかったことばかりで囲まれているのを認識し、その羅列を米粒に書き記すほどの熱心さで懸命になって励もうとしていた。ぼくは思い出すごとに彼女への記憶の影の部分を鮮明にして、その少ない記憶すら失おうとしていた。書けば消え、思い出せば反対の知らないことが膨らんでいった。
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11年目の縦軸 38歳-10

2014年01月20日 | 11年目の縦軸
38歳-10

 何をするでもなく、ぼくは原島さんの家でテレビを見ている。酔わなければ絵美となかなか言わなかった。たがが外れることが前提条件にある関係だったのだろう。その関係性を打破できないことに愛想をつかすかのように、ぼくはつまらないことを考えている。前の男性の名残はほとんどないのだが、もしかして、このグラスやカップや皿もその男性は使っていたのだという空想に近い事実を受け止めることを拒もうとした。しかし、実際は洗剤できちんと洗えば、新品同様になることも知っていた。指紋ひとつ残っていない。鑑識も見抜けないぐらいに。

 テレビのなかでは前の結婚相手とのなれそめや顛末を若さを失いはじめた女性が語っていた。ぼくはその女性の数年前の華やかな状態が好きであったことを思い出していた。その経験が彼女の価値を増し加えることは決してなく、ここに映し出されている彼女は自分の魅力をあえて目減りさせているために励んでいるようだった。ぼくは、番組を変えてくれるよう絵美に頼んだ。

「おもしろくないの?」
「なんだか、哀れだよ」
「潔癖症。精神の」そう言いながらも絵美はリモコンを手にする。ぼくはグラスをつかむ。もしかして、これも・・・。

 この地域に流されている番組を一巡しても見たいものがなかったので、結局、テレビの電源を消してしまった。絵美は代わりに音楽を流す。空間をなにかの音で埋めなければならない。外は強風なのか、風が窓にぶつかるような音がした。ぼくらはこの後、この部屋を一歩も出ないだろう。彼女はいつもの会社の周辺で会うような格好ではなく、部屋着を身に着けていた。「テロン」という表現にしか結びつかない布地だった。そのため、彼女の本来の肩のラインが浮かび上がり、胸のなだらかな膨らみもあらわになっていた。膝を抱えてすわっている。足首から足の爪の形状まで見える。ぼくはこうして外側だけを見ているのだ。彼女の蓄積した喜びや悔しさなども多くは知らない。涙をながしたあとになぐさめた男性もどこかにいるのだろう。もし、その男性の記憶が宙に舞っているようなことがあれば、ぼくは強くつかんで自分のものにするのだろうと、これまたどうでもよいことを考えていた。

「もっと、そばに来れば?」

 彼女はそう言いながらも自分から寄り添ってきた。ぼくの肩に彼女の首がのる。見知らぬ誰かにされたら嫌悪感が生じることだってある行為なのだ。電車のとなりの席の見知らぬ誰か。酔った匂い。同じことでも、そのひとによって印象が変わる。ぼくの胸はかすかに高鳴る。もうガッツポーズをする年代でもない。男と女が同じ部屋にいれば当然の帰結なのだろう。彼女は決してひとりではいられない。たまたま、ぼくがこの部屋に入る資格を手に入れただけなのだ。ぼくは彼女の足首に近い部分のズボンの裾に触れる。手触りが心地いい。

「なにしてるの?」
「気持ち良さそうだなって」

 同じことでも場所と相手によって罪に問われたりもする。それを決めるのは法律だ。いや、個人の裁量だ。いや、了承の結果次第なのだ。

 絵美はリモコンでステレオの音量を小さくした。テーブルの上にはいくつかのリモコンが整然と並んでいた。離れた所からでもいろいろな変化を起こし、設定もできる。電池が残っていればの話だが。ぼくらは会い、印象を感じ取り、好悪を決め、決断をくだす。誤った決断もたくさんして、間違っていることを指摘されても突っ走って誤解を正当化させようともする。してきた。だが、大局から眺めてみれば、ぼくの成功も失敗もどれほどの価値もないのだ。消されてしまったテレビ番組や、先ほどの過去を切り売りする女性ぐらいの値打ちしかないのだ。離れていた相手を、生身の存在として受容して密着する。リモコンなど一切、介在させずに。価値というものを体系付けようとして。

 しかし、絵美の魅力には疑うことのない価値があった。その証拠として、ついこの間までこの部屋を往き来していた男性がいたのだ。ぼくは後釜になる。後釜以外にぼくにはもう選択肢が残されていない。そして、後釜だって充分、魅力ある価値が充満していた。ぼくはその沼に足を自分から絡め取られるように意気込んで飛び込み、あえて溺れようとした。大人は、誰かといっしょにいるものだと思っていた子どものころの感情が無闇に内面から突き上がってきた。友人も必要だが、こころも身体も一致に近い状態にいられる異性が、このような夜のひとときに必要なのだと思っていた。そして、居なくなった誰かへの復讐として、あの女性はテレビに出ているのだろう。対価か見返りか、価値の目減りの損得に失敗したとしても果たすべきなにかのために。

「どういう格好で寝る?」
「このままの下着姿で」ぼくは嘘でもないことを言う。本当は下着もぼくから離れ床にあるのだ。

 ぼくは翌朝、歯ブラシも必要になる。石鹸やシャンプーは代用が効く。ひげは一日ぐらい剃らなくてもなんとかなった。生きるということは思い出だけでは足りなく、実用的なものにかこまれて暮らさなければならない。定期もいる。財布もいる。もちろん、その中身だっている。だが、今夜ぐらいはすべてを忘れ、絵美という存在だけに没頭しようと思った。願いは完全に満たされそうでもあった。
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11年目の縦軸 27歳-10

2014年01月19日 | 11年目の縦軸
27歳-10

 旅行の間に撮りためた写真を希美がくれた。一週間ほどでは何も変わらない。ぼくの髪型も希美のそれもほぼ同じだった。日焼けだけがいくらか変化を与えていたが、もともと色白である希美は元通りの色になっていた。写真のなかだけがつかの間の異常なのだ。大まかにいえば一週間では何も変わらない。だが、十一年間では変化がある。ぼくの表情から固みのようなものがとれ、柔和とも呼べなくとも、いくらか近いそれが四角のなかに映る表情から読み取れた。

 写真を撮る。それを見ることは過去を懐かしむときに手っ取り早い方法で、手段の一部となった。人間は永続せず、微妙な変化を日々、増し加えていくようであり、時間の経過をまざまざと見せつけられると自分自身のことながら、驚くことになる。本人は眠りで中断されるとはいえ、ずっと継続して生きているので自分に微細な男らしさや、いくらかの成長(峠を越えれば衰えである)が発見されると困惑する。ぼくは、これも未来のある日、どこに閉まったのか忘れない限り、懐かしむことになるのだろうかと、表面上は喜んでいながらも、こころのなかのいくらかではそう否定的な気持ちが働いた。

 また反対に夢のようなことをいえば、ある日、息子か娘に対してもこの写真を見せられることも可能なのだという判断も働いた。そこには時間軸があった。明日の生活のよりどころのために計画したり、勤勉になったりする人間の本質があった。本能と呼ぶには重すぎ、執念ではもっと薄気味悪く、チャレンジではいささか軽すぎた。ぼくはその息子か娘をぼくのために産んだ希美をイメージした。髪質は彼女に似ており、気難しさはぼくに酷似している。ぼくもいらないながらも遺伝とDNAの役割を甘んじて相続し、さらには無報酬で受け取ってしまったように。耳や鼻の形も希美に似ている子ども。ぼくは自分に似たものを必要としたくないようだった。なぜか分からないながらも。

「黙って、なに考えてるの?」

 ぼくが何度も繰り返し写真を順々に見ているので、希美は疑問を口にしないとおさまらない性分を発揮してそう訊いた。
「時間軸のことをね。もし、仮に子どもができたら、この楽しいときの写真をいちばんに見てもらいたいなって」
「ケンカもしたし、少しやつれもしたけど、このころは幸せだったって」
「それは子どもではなく、孫にでも使う言葉だよ」
「そうだね」

 ぼくは交互に見ることも止め、写真の端をそろえて袋にしまった。同じものが少なくとも地上には二枚ある。ネガもあるので、現像をすれば無制限にある。だが、希美は無制限にいない。ここでぼくと話していれば、誰か別の男性といることはできない。ぼくはそれを小さな奇跡だとも思い、中ぐらいの達成だとも思っていた。
「もっと、写真をいっぱい残せるようなことをしよう!」と無邪気に希美は言った。
「どういうこと?」
「やだな、たくさん旅行したり、なにかの記念日を祝ったり」

「そういうの、結構あるの?」ぼくは嫉妬もなくただの事実を知りたかった。
「あると思うよ。え、写真ないの?」
「さあ、どうだろう」ぼくは過去のことを考える。写真に残っているものは絶対に過去なのである。思い出も昨日までの出来事で占められている。ぼくは未来に目を向けようとする。将来のものを作るのに図面を必要とする分野がある。設計図。しかし、青写真という言葉もあった。それでも、未来の多くは頭のなかだけで日に日に監視の目をくぐり抜け作られていくようだった。「希美の小さなころの写真も見てみたいな」
「いいよ、今度、うち来たときに用意しておく」

 ぼくはその小さなころの姿をもとに未来につづくなにかに導けそうな気がしていた。漠然としたものが発酵を待っているようにぼくのなかにあった。こうすれば、こうなるという日常の当然の公式があり、ぼくはそれ自体に束縛されている。経験の積み重ねが自由な気持ちを容赦なく奪った。だが、二十代の中盤の男性に自由は分量として多くは必要ではないものであった。生身な現実をどれほど多く蓄積したかが、後々の人生に響くのだろうという予感もあった。そして、この現実の先頭に希美がいた。現実にいちばん遠い容貌でもあったのだが。太陽の強さも、はねつけることができないような薄い肌。瞳もそれに準じて淡い色だった。ぼくは自分の肩の筋肉に触れる。希美の身体の厚みのなさ。これをしっかりと守るのだというたくましさと野蛮な気持ちの両方が自分に芽生えていた。

「次、どこに行きたい?」ぼくは深い意味もなく問いを発した。
「どっか、連れて行ってくれるの?」
「機会とチャンスがあれば」
「ひとごとみたいな口振り」

「そうだ、明日また希美の会社に行くよ」ぼくの会社と希美の会社は取り引きがある。
「また、知らない振りをしなければならない。もう、やだけど、仕方ないか。あのひと、紹介してってこの前いわれたよ」
「誰に?」
「興味があるの?」
「だって、希美以外に会ったこともないじゃん」
「宣言したいな。このひと、わたしのものだから、そのつもりで。わたしとケンカする覚悟があるひとだけ、前にでてきてって」

 ぼくは、自分がそんな言葉を言われるとも、その価値もあるものだとも思えなかった。ぼくは袋におさまっている写真に手をのせる。写真だけが能弁な現実であり、ぼく自身は訥弁な釈明もできない被疑者なのだ。その疑いを晴らしてくれるのは、この希美の笑顔だけだった。
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11年目の縦軸 16歳-10

2014年01月18日 | 11年目の縦軸
16歳-10

 大人になると、誰かにこうあってほしいなどと、期待を開けっ広げではないが、膨らませている。意識下で強要もしているようだ。しかし、ひとがどう振る舞いたいかなどの予測もできず、はっきりといえば相手の自由だ。ある種の関係性が深まっていけば、強要も妥当なことに思えてくる。できる部下は、癖や好悪を学習し、かつ先回りして準備しておく。当たれば快感で、外れれば罵声かもしれない。だが、それはもっと大人になってから経験することなのだ。

 ぼくは何も期待していない。もちろん、今日の夕飯の献立をお願いする立場にもいない。彼女がそこにいるだけでいいのだ。後にも先にもこんな感情のままでいられるのは稀でもあり、とくにこの時期のノウハウがない男性だから起こり得たのだろう。もちろん、自分の性質もあり、彼女への期待なき愛があったからだ。こう振る舞ってほしいという願望もなく、女性はこうであるべきだという押し付けもなかった。彼女がどう育てられたのかも分からない。どこかに父と母が確かにいる。疑うことのできない事実。彼女の口から、そのような人物の生きた話題が提供されることはなかった。影響もたくさん受け、反発も少しはしたかもしれない存在なのに、ぼくは何も知らない。ひとつも知らない。

 ひとのことを歴史の本でも読むように知ることは可能なのだろうか。歴史書に書かれるような著名な方の人生であるならば、そこには策略があり、失望がある。権力にしがみつき、ふるい落とされる事実がある。日陰の身になってはじめて知る恩があり、その底辺の時代を慈しみをもって助けてくれるひとが登場する。だが、すぐに歴史の闇に葬られる。普通のひとの場合。

 ぼくの記憶は葬ることをしない。良しとしない。端的にいえば、得ているものも少ない。全部を知っているので愛する。全部を知ってしまっても愛さない。そのどれもが当てはまらなかった。どこから自分の愛ははじまったのだろう? 好みというものが自分にプログラムされているのだろうか? 優しくされた覚えもない。ぼくに好意を寄せたからでもない。勝手に好きになった。その見返りは充分すぎるほどある。こうして、横にいてもらえるだけでいいのだから。

 歴史には暗殺があり、画期的な発見があった。栄光があり、失意があって、失墜もあった。ぼくは過去から学ぶという段階にはいない。現在のみから教えられ、生きた心地になった。幻想とも夢見心地とも違う現実感にあふれた幸福だった。汚れのない純粋な幸福だった。ピアニストが自分の作り出すメロディーに恍惚とするように。

 同時に彼女にもノウハウがないのだろうと思う。男性の優しさの具合など、大して情報もないだろう。それが新鮮さという意味合いで使われるすべてかも知れない。いずれ、手を放さなければならないものたち。二度目、三度目の風化。でも、一度目で完璧なものをいともたやすく手に入れることなどできないことを、いまのぼくは知っている。失敗や思考錯誤を通過してこそ、本物により近付けるのだということを。同時に、ぼくはあの最初のものを失わなければ、完璧で終わり得たのだという幻のような偶然のことも感じていた。

 しかし、世の中は一瞬で終わるものではない。繰り返しと、日常と、飽きないぎりぎりのラインでの日々の惰性の連続のなかにいる。いつづける。毎日、つかむ電車のつり革が違うことぐらいが変化なのかもしれない。ぼくは愚痴を言うために、この時期のことを書いているのではない。もっと、より真実を。

 彼女は、だから男性の優しさなど、未経験に近い状態にいるのだろう。おそらく。プレゼントはぼくの知らない両親からか、親しい友人からのもので完結していた。それがはじめて異性にプレゼントをもらう。期待もない。参考とすべきものもない。いつか、二度目や三度目になる。やっと、自分が欲しかったものを知るようになるのかもしれない。その相手は、ぼくであるべきだったのだろうか?

 ひとりの人生は簡単に終わらない。ある伝記は終わったものを客観的に眺めて書いている。ぼくも、いまの自分が、あのときのことを振り返っているに過ぎないのだ。来年になってみれば、ぼくはこの文を嘘の集大成として抹殺したくなる衝動にかられる可能性だってあった。おそらく百年後にはできない。ぼくも、ぼくの記憶も、彼女の存在自体、歴史の彼方のものとなる。歴史の一ページにも載らない。いまのぼくでさえ、あの新鮮さと別の次元で暮らしているようになっている。Tシャツはまっさらで、青空は澄んでいた時代。自転車には錆もなく、軋む音もしなかったあの時。

 今日も彼女の顔にはにきびひとつなかった。ぼくが見えるところでだけかもしれないのだが。彼女が家で鏡を見ている姿を想像する。ぼくに最大限の愛らしさを見せようと願っているのかもしれない。ぼくはたまにひげを剃る。声変りはとっくに済ませた。もう身長も伸びそうになかった。弟や妹が増えないのと同じ意味で。彼女もこの背丈のままで変わりそうにない。ぼくらの差や、釣り合いがぼくはいたく気に入っている。もっと彼女の身長が高かったらとも、低かったらとも思わない。このままでいいのだ。このままで世界は満ち足りているのだ。ぼくは手をつなぎながら、たまに腕を組みながら歩きそう思う。変化はなくていい。未来も来年もなくていいのだと願っている。もし、あるとすれば、確実に訪れるとすれば、継続してその世界に彼女を持ち込まなければならない。そうなることを知っていた。手放すことなどないことをぼく自身がいちばん知っていた。
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11年目の縦軸 38歳-9

2014年01月13日 | 11年目の縦軸
38歳-9

 原島さんと交際相手は些細なケンカをして、関係は密着度を失い、そもそもどれほど緊密であったのかはぼくの問題でもなかったのだが、隙間がのこってしまったらしい。そのつかず離れずの状態が一日一日と伸び、穴埋めも修復の改善も望まないので、あるいは面倒なので連絡を取っていなかった。ぼくは自分が粘着質でできているように思えていた。交際相手は紙の付箋をはがすように原島さんとの関係を終わらせたいのだろうか。もっと終わる過程の破壊をぼくは熱望していた。だが、きちんと過去を考えれば、そうしてもこなかったらしい。原島さんの彼のように簡単な解決に頼ることが相応しいのかもしれない。

 例えていえば、ぼくらの関係性も直ぐに変わってはいかなかった。原島さんの運転する車の後部座席にぼくはたまに乗り込んでいるぐらいだったのが、助手席が空いたのでそこに座れることもできた。かといって定位置になったわけでもない。猫が塀の上に優雅に寝ていたからといって、そこに所有権がないのと同じぐらいに仮の住処だった。安住の場所ではない。だが、いまのぼくは安住を要望することもなかった。たまたま横にいるだけ。たまたま知り合いになっただけ。それを継続させるのも中断させてしまうのも、そう大きな違いはなかった。寝ても覚めても誰か一人のことを考えつづけることなど、自分の能力の所為なのか分からないが、とにかく、不可能だった。

 不可能でも甘みも旨味もある。女性一般のことなど知らないが、彼女は誰かといっしょにいたがった。ぼくはこの日から彼女を絵美と呼んだ。原島絵美。ぼくは音でも文字でも、彼女の姿を想像することができる。

 ぼくらは食事を終え、誘い会ったわけでもないが、次の店に行き、彼女のつい身近な過去の関係のいきさつを聞いた。終わってもいないが、終わりは間近である。悲しみもなければ解放感もない。彼女は着なくなったタンスのなかの洋服のことを話したとしても同じような口調とトーンであっただろう。彼女は靴を半分ほど脱ぎ、足先でブラブラとさせている。そのこと自体がいま話していることの象徴のようであった。脱ぎもしないし、きちんとかかとまで納まってもいない。

「でも、絵美のところに連絡があったら、どうするの?」ぼくは、ここではじめて絵美という呼び名を使ったようにも思う。
「さあ、相手の態度や出方や口調じゃない」

「柔道の組み方の話しみたいだね」彼女は笑い、その後、ぼくの襟元を軽くつかんだ。さらに揺さぶるような仕草をした。ぼくは彼女の細い腕に降参の合図のように二度ほど自分の手の平で叩いた。
「参った?」
「参ったよ。となりのひとも笑ってるし」

 絵美は、ぼくの肩越しにそのひとに笑いかけた。彼女は境界線というものを作らないらしい。だから、ぼくの本気度合いも薄まってしまうのだろうか。このひとを独占しているという誤解がつくる自分への摩擦を軽減させて、そして、及び腰を正当化させようと計っているのだろうか。だが、酔いも昂じて回答も必要なくなる時間だった。

「国代さんの家の中、見せてよ」
「これから?」
「これからだよ。なに、その覚めた言い方・・・」彼女はまた店の外でぼくの襟をつかんだ。普段のきちんとしている様子は脱ぎ捨て、闘争心を燃え立たせている格闘家のような態度になった。それもぼくにとって悪いことではなかった。恵まれた瞬間でもあった。

 実際に家の中を観に来たわけでもない。ぼくらは大人なのだ。服を無造作に投げ捨てる。準備も下ごしらえもない。生命の根源の欲望は、歯止めとなるものを捨て去ることなのだ。捨てたから逆に得られる。捨てないとなにも戻ってこなかった。

「やっぱり、前の関係、終わりにするよ」原島絵美は、自分に言ったのか、やはり、ぼくの耳に聞こえるように言ったのか分からないまま、そう口から告げた。だからといって、ぼくとの密な関係は望んでいないようだった。ぼくのような人間が数人、彼女のそばにはいるのかもしれない。ぼくは嫉妬というものがないと思いたかった。しかし、その感情は根絶というものに近寄っているとも感じていた。根絶するからには絶対的な意味であった。目を向けないようにしようとも考えられた。それを完全になくすためには、ぼくがひとりで楽しんでいる時間も放棄する必要があるのだろう。だが、ぼくはその放棄するものに、大きな価値がないことも知っていた。さらには、彼女はもっと大きなものを与えてくれるだろう。ぼくは自分が大人になりすぎてしまったことを恥じていた。女性など、もしかしたらぼくの前で服など脱ぐべきではなかったのだ。彼女は洗面所に立つ。音をさせないように爪先立ちで歩いている。もしかしたら、その歩き方も単純に彼女の癖であるのかもしれない。ぼくはカーテンを薄めに開け、街灯の明かりか、月の満ち欠けか、それとも、翌朝の朝日の未熟な勢いを探そうとしていた。ぼくは、絵美と呼びかけようとして、「希美」と間違って言ってしまっていた。

「え?」と、彼女は訊き返す。
「君は原島絵美」とぼくの口は言う。

 彼女は飛び掛かるようにベッドに寝そべっているぼくの上に乗った。重さは大してない。もっと重いものであったらとぼくは願っていた。自由も奪われてしまうほどの重みだったら、ぼくの判断も簡単なものなのだ。
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11年目の縦軸 27歳-9

2014年01月12日 | 11年目の縦軸
27歳-9

 ぼくらは空港にいた。上にある電光掲示板のようなもので羽田行きの飛行機の時間をなんども繰り返し見ていた。刻々と数字は変わることがないのに。

 世の中というものが、ちょっと先にある楽しみとなる予定をなし終える作業の連続のようにも思えていた。ぼくはここで彼女が生まれた日をともに喜び、彼女はひとつ年齢を重ねた。なにかの書類に自分の名前や住所や年齢を書き加える必要が生じた場合、その最後の年齢の欄には変更があった。引っ越せば住所も変わる。女性の方が多く名前も変わる可能性があるのだという未来の事実も予想した。だが、当面は年齢だけがひとつ加わるのだ。最初のうちは慣れなくて間違うかもしれない。小学生のときにそのようなことがあったような記憶もあるが、自分で書類に文字を記入することなど起こりえたのだろうか? テストぐらいかもしれない。しかし、答案を集める先生が自分の学年を知らない訳もない。彼(彼女)こそがぼくの学年を証明する最適任者でもあったのだ。ぼくはまた羽田という文字を見上げる。あと一時間ほどあった。ぼくらは名残惜しく地元のそばを食べるために空港の奥にあるレストランへ向かった。

 注文を終えると、ぼくらは話すこともなくなってしまう。希美はなんだか眠そうにしていた。そばが持ってこられればまた違うのだろう。

 ぼくは先ほどの空想に戻る。計画していたものを満足して終えるか、不満足で終えるかが生きるということの最終的な争点であるようにも思えていた。ぼくは、この数日間を満足のみで終えることになりそうだった。しかし、満足というものは記憶として残りやすいものだろうかとの疑問も同時にあった。その場が満足であれば、問題はないはずだ。楽しみの究極の追及は完全に満たされた。不満はまったくない。これほどの喜びの解放もない。勝利者。トロフィーを片手で頭上に突き上げ、満足のもたらす名誉や栄誉に酔い痴れる。

 反対に不満足で終わることも多々あった。ぼくはあの最初の少女のことを考えていた。突然、中途で終わったものだからこそ、それは逆に永続性を手に入れた。不満足な終わり方。ひとことで言えば未練なのだろうか。やるせなさ。どちらがぼくの記憶にとどまるのだろう。そして、記憶というものがぼくにとってそれほど大切で、重大事なのかという問題もあった。ぼくは、この空港の片隅で満足感を浴びている。この終息こそ待ち望んでいたものではなかったのか。そこで、注文の品が届いた。

 空腹が満たされたことなど一々覚えていない。飽食の時代なのだ。だが、大事なお小遣いで買った食べ物を誤って地面に落してしまったとしたらどうだろう。それは記憶に残りやすかった。大事な宝物をなくしてしまったら。自転車をぶつけて廃品にしてしまったら。その最後には失恋や誰かとの死別というものがあった。記憶に残るのは失くしたものたちなのだ。だとしたら、ぼくはこの美しさを過剰に持て余しているような希美を失う必要もあった。

 彼女は薄着でいる。空港のなかは暑かった。太陽のしたにいる彼女。水着の彼女。そばを箸ですくう彼女。鼻の先を日焼けしている彼女。そのすべてをぼくは記憶しなければならない。だが、その選別はぼくの意識が、どうやら無意識でしているようだった。ぼくという存在のためこんだ思い出など、決してぼくの主導では行われていない。ぼくの意識や決意とは違うところでそれはコツコツと勤勉な人格も姿もない製造ラインで成し遂げられているかのようだった。

「早く食べないと、のびちゃうよ」と希美はぼくのそばを指差し、そう言った。「でも、この麺、のびないのかな」さらに箸で持ち上げた麺を裏側からのぞくようにして付け加えた。

 ぼくはスープをすする。満足と不満足の境界線にぼくはまだいた。一塁から二塁への盗塁を試みるランナーのようにおそるおそるリードを広げる。投手はぼくの動きを肩越しで気付かれないように確認している。もちろん、ぼくはその様子と、ぼくの足と、それ以上に、捕手の肩や腕の強さの潜在能力を計っていた。ぼくはピッチャーを葬り去れない過去から呼び戻した少女だと思おうとした。彼女はぼくの次の恋の行末を見守っている。それを阻止しようとしているので応援ではない。ならば、キャッチャーは誰であるのか。ぼくの未来を阻もうとしているのは一体、誰なのだろう。ぼくは麺をすすり、その想像をもっと、もっと、膨らましていった。

「もう搭乗時間になるね」希美のひとことでぼくは現実に連れ戻される。

 希美は飛行機のなかで少し寝た。二時間ぐらいであっさりと羽田に着いた。いくつかのゲートを抜け、駅に向かう。ぼくらはそこで別々の鉄道会社の路線の駅に向かう。希美は手を振る。ぼくは床に置いてあったカバンを重そうに担ぎ、反対側に歩きだした。身体の一部が太陽の後遺症で服と擦れ痛みを生じさせた。改札を抜けるとぼくはひとりぼっちになった。電車に乗り込み目をつぶる。青い空のしたの希美。ある年齢の最初の日。翌年。三六五日。もしくは六日。ぼくは満足をこの数日で手に入れた。誰も勝利者インタビューをしてくれない。それでも、幸福は確かにそこにあったのだ。第三者の指摘など本音を言えば必要なものではまったくなかったのだ。ぼくは動じない。電車の揺れでも、こころという範囲のなかでも。
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11年目の縦軸 16歳-9

2014年01月11日 | 11年目の縦軸
16歳-9

 たまたま姉妹というものを有していなかった自分は、女性がどれほどの数の服を所有しているのか具体的な把握ができていなかった。ぼくがその女性を深く知るようになったのは秋という季節以降だ。段々と身体は布をまとい、肌は外気から隠されていく。暖かなもので身を覆い、彼女も愛らしく見える。

 ひとに対する興味や関心も服装や髪形を加味しての話だ。四六時中、裸に近い姿で暮らしている場所も、まだどこかにはあるのかもしれない。だが、ぼくらはほとんどの時間を何かを着て暮らしている。その姿で誰かのことを記憶にとどめている。

 彼女のクローゼット。タンス。いまは冬物が入っているのだろう。薄い下着もあるのかもしれないがぼくは見ていない。ぼくが所有しているのは彼女の外側と唇ぐらいなのだ。好きというものと欲というものがぼくは一致しない気質なのだろうか。深く疑問として提示しているわけでもないが、ほんのちょっとだけそう思っていた。

 ぼくもなるべくなら薄着で一年を過ごしたかった。だが、いまの季節はそうもいかない。暖かな上着を着て、彼女に会いに行く。その日だけがすべてであり、ぼくはこの日も彼女が春になったら見せるであろう様子も、格好も頭のなかに微塵もなかった。

 夜のひと時、手をつないで町を歩く。ぼくが幼少のころから過ごした町。隅々まで知っている町。兄や弟の友人たちの家までも知っている。もちろん、自分の友だちならば部屋のなかに入ったこともある。そこでゲームをして、音楽も聴いた。マイケル・ジャクソンは奇妙な生き物としてよみがえり、集団でダンスを踊っている。音楽というジャンルには真摯なメッセージもなく、あるいはぼくはまだ気付かず、アパルトヘイトの反対を主張するような音楽も皆無か、少なくともぼくのところまで電波は伝えてくれなかった。しかし、すでにアフリカの飢餓のためにアメリカのお金持ちの音楽家たちは数十人でつくった音楽を映像を通して流していた。ぼくは友人たちの家のブラウン管のテレビで、それらを見ていたのだ。彼女がいて、その子と手をつないでその家の前を歩くことなど数年後に訪れることを希望はしていながらも予感はしていなかった。もしかしたら、彼女はそのぼくの友人のことを好きになる可能性もありえたのだという当然の疑問が湧く。しかし、実質というものは、ぼくのこの歩行の途中の一歩一歩が証明するものであり、覆されることのない一コマの連続でもあった。ぼくは死なないし、よみがえりもしないのだ。もちろん、その代わりにダンスを踊ることもできないのだが。

 ぼくはこの頃の音楽を未来のある日にふと聴き返せば、その情景が戻ってくることも知らないぐらいに若かった。今日の連続の集積が過去という形で積み上げられていくことにも気付かないほどに愚かに若かった。その若さの横には、若い女性がいた。女性は年をとり、母になり、おばあちゃんという役目も課されるであろうことは知っていた。だが、この横にいる彼女がその姿に移行することなども想像できず、なぜならば、ぼくは彼女が桜の下にいる春のころのことも予想できなかったのだ。そうなれば、彼女は薄い服を着るのだろう。ぼくらの関係ももっと深まっているのかもしれない。ひと冬をじっと耐えた草花のように新たな芽を開花させる準備を終えているのかもしれない。だが、ずっと遠い先だ。来世紀になるぐらいの遠い向こう側の塀の外にそれはあるようだった。

 ぼくは彼女の家まで送る。国道から一本離れた道は人通りが少なかった。ぼくは彼女の唇をさがす。将来、自分の歩いている場所や地面がインターネット内の画面で確認できることなど知らないでいる。音楽もそこで売買されることも知らない。レコードという四角い大きなジャケットを眺め、それも借りることさえした。傷というものと無縁でいられない媒体。自分自身も傷というものから受ける影響や、彼女を失った代償の深みなどまったく知らなかったときのことだ。ぼくは彼女の服の数も知らなければ、もっている口紅やアクセサリーのことも知らなかった。そういう些細なものを店員にすすめられるままプレゼントとして購入する前の時期のころだ。ぼくは戻れないころの話をしている。だから、自分で嘘を作りつづけているという疑いも当然のこと生じている。アフリカの飢饉は解消されるのか回答のないままに。

 止めていた自転車にまたがり、ぼくは家までの道をこいでいる。手や耳は寒い。雪などそう降る地域でもない。桜のしたにいる彼女。雪のなかでぼくを待つ彼女。夏に浴衣を着るかもしれない彼女。可能性というものが限界を設けず、自分自身を襲ってきた。だが、もう彼女がなにをしているのかも分からない。姉妹でケンカをはじめているのかもしれない。家には犬がいると言っていたので帰ったついでに頭をひと撫でしたのかもしれない。自分の部屋で犬に向かって相槌も期待しないままにぼくの素晴らしさを話しかけているのかもしれない。ぼくは見慣れた町にいる。赤信号のため止まっている。兄の友人の車らしき存在を見送る。彼らにもぼくの知らないガール・フレンドがいる。ぼくらよりもっと深い関係になっているのかもしれない。しかし、青になり、ぼくはまた自転車を動かす。始動。一度、動いてしまったものを坂道にすすめてしまえばあとは勝手にスピードと勢いを増しつづけるのだという事実をぼくは愛そうとした。だが、その前に衝突を避けられないものがあれば、衝撃として返ってくるのも間違いなのない事実であった。ぼくは新品であるかのようにその事実の封を開ける。実際には、自転車を止め、家のドアを開けただけなのだ。
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11年目の縦軸 38歳-8

2014年01月05日 | 11年目の縦軸
38歳-8

 ビルの横の機械で給料日に振り込まれた残高を早速のこと減らしていた。ぼくと原島さんは昼ご飯もいっしょに食べた。夜の予定も入れた。ふたりは同じ食材で作られている。少なくとも今日だけは。かといって身長も違う。体重もだいぶ違う。その差をぼくは求めているのだろう。未知なるものは神秘的なことにつながり、差を埋められることを喜んだ。だが、実際には差など埋まらないことも知っていた。兄弟でも、ましてや双子でも差は歴然とあった。異なった場所で育ち、たまたまここで偶然にあったひとびとに共通性など求められない。似たような仕事をして、ほぼ同じ時間だけ仕事に拘束されているだけなのだ。その拘束も先ほど終わり、ぼくは戻したカードが収まっている財布を後ろのポケットに入れた。

 原島さんはぼくを見つけると手を振った。手足が随分と長いんだな、という印象をぼくの脳はぼく自身に教えようとしていた。理解と判断するものはいっしょのはずなのに、別々のことを行おうとしているようだった。

「待って、わたしもお金を下ろす」と原島さんは言い残して少し混んでいる銀行の機械の前に並んだ。

「デート?」ぼくを見つけた同僚はちょうど原島さんが出てきたのを見とがめ、そう訊いた。ぼくは無言でいる。ただ、少しにやけた顔をしているようにも自分でも思えていた。しかし、答えを求めていた問いかけでもないので直ぐに消えた。ぼくか、そいつのどちらかが、あるいは両方がその質問を月曜の朝まで保たせているかは単純に分からなかった。そして、ぼくと原島さんの関係性がその時刻まで変化を与えているのかも同じように不明だった。かといって急速に変化をさせたい事柄でもない。ゆっくりと発展するかもしれず、その前に原島さんの気持ちもあった。交際している相手もいた。その相手との関係がきっぱりと終わるわけでもないし、反対にずっと永続するものかも分からない。永続させるには努力があって意志の力もあった。その力の効用をほとんど信じていない自分もいた。そんな力があれば、ぼくは希美が待っている家に帰ることもできたのだろう。ぼくは原島さんと希美の似ている点を探し、女性の好みなど大幅に変わるものでもないのかと、意味もなく自分を安心させようとした。

 ぼくらはある店に入った。ぼくは原島さんの手首を見る。ぼくはその手首の太さを計りたい衝動に駆られる。希美の太さ、いや、細さという方が正しい表現のようにも思えるのだが、いっしょぐらいだった。ぼくはセンチという単位で言うことはできない。ぼくの親指と人差し指の丸めた長さと一致していれば、ふたつは同じ長さだった。ぼくは口にして許可を取り、その部分に触れる。原島さんは怪訝な表情をする。ぼくはこれもまた無言で納得する。さらに原島さんは不思議な顔になった。

「誰かと、比べてたでしょう、いまの?」と、自分でも確認するようにそう言った。
「きゃしゃできれいだなと思って・・・」
「答えになっていないよ」原島さんはなぜか照れたようにそう言った。「彼女とかできた?」自分のはにかみをごまかすように付け足した。
「いない。この年になると、最初の一歩の衝動を生かすのがむずかしい」
「打算できない?」

「打算とかじゃないよ。打席に立って、相手の最高のスピード・ボールのことを考えたり、自分の弱点のことを考えたり」ぼくは意味もなく、会話をはぐらかす目的のためだけにどうでもよいことを伝えていた。しかし、核心など言う必要やタイミングなど、いったいどこにあるのだろう。では、核心とは? 好きとか、嫌いになったとか。妊娠したとか、やっぱり生理が来たとか。もっと低レベルのものは? 賢い買い物をしたとか、保証人になったとか。買い物を失敗したので返品したいとか。この関係をつづけたいとか、どこかでわだかまりが消えないとか。

「それ、食べないの?」ぼくの皿にあったアスパラガスを原島さんは指した。「嫌い?」

「嫌いじゃないけど、どうぞ」ぼくは皿を原島さんの方に押した。昼の定食屋でお互いの好みをいくらか知るようになってはいたが、定食屋の定番メニューにはあまり出てこないものもあることをぼくはそこで知った。知らないことはたくさんある。好きな歌とか、絶対に見逃したくないスポーツの放送の有無とか。知ったからといって愛という感情が膨らむかなどもぼくはいまだに分からなかった。

 ぼくのアスパラガスが残っていた皿は片付き、店員が運んでいった。直ぐに別の皿が持ってこられた。原島さんはお代わりのアルコールを頼んだ。いらなくなったものは取り除かれ、必要になるものが持ち込まれる。ここにいる限り、世の中は単純なものだった。ぼくは持って行かれた皿のことなど思い出さない。それはきれいに洗われ、次に頼まれた同じような料理をのせるまで棚に置かれているのだろう。いつか割れたり、はじの部分が欠けてしまうかもしれない。大量生産されているものなら頼めば納品される。簡単なことだ。ぼくのグラスも空き、店員はめざとくぼくらの席に来た。ぼくはゆっくりとメニューを開く。その向こうに原島さんの視線を感じる。夜は若く、という文をぼくはむかしに読んだような気がしていた。ぼくはこれを飲み、次にあれに移行するだろう、と順番を頭のなかで決める。逆であってはならない。すると、ぼくのこの選択も、原島さんを含め正しいようなこころもちになっていた。また、正しくないことも誰も指摘しない。ぼくは飲み物を頼み、店員さんは満足したような口調で復唱した。別のものを頼んだからといって不満足な声音にもならなかっただろう。メニューの向こうに原島さんの目があった。ぼくはその横幅をはかりたい気持ちになった。その物差しをぼくは自分のどこで計るのだろう。具体的なものはなにもなかった。具体的なものは周囲には、あるいはどこにもなかった。
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11年目の縦軸 27歳-8

2014年01月04日 | 11年目の縦軸
27歳-8

 三つの視点。

 誰かと一致するということを楽しみながら願う。ぼくらは溶け合い、限りなく同一であろうとする。誰かを好きになるということは二つの物体がひとつになること。仮にならないとすれば好きになることも無意味に属する。ぼくらは、だが離れている。

 ぼくは素晴らしい景色を見ている。圧倒されている。この同じものを希美にも見せたいと思っている。それはぼくらが別の場所に存在しているから成り立ち得るものだった。その希美の視線を独占する。

 しかし、それでも希美はどこを見ているのだろう。焦点を合わせているのだろう。ぼくは希美の目を通して世の中をのぞき見、把握しようとしていた。不可能に近いことは知っているが、同一になるという願いは結局はそういうものなのだろう。ぼくらは身長も違う。もうその時点で同じ風景など見られないのだ。さらに、厳密にいえば視力も違う。ぼくらは同じピントでものを見ることもできない。レンズの性能も異なっているのだろう。カメラの会社の売りがあり、自然と守備範囲や得意なものを住み分けて製造されているように。

 ぼくはプールサイドで横に希美がいることを意識しながら、そんなことを考えていた。同じ太陽を浴び、同じものを飲み、同じ気温のなかにいた。同じ子どもの歓声を聞き、同じスコールを浴びた。ぼくの願いは叶っているのだという実感があった。

 希美の身体が、もっと上だ、首が揺れている。彼女は居眠りをしているようだった。もうそこでぼくらの同一という観点は終わった。ぼくは眩しさをサングラスを通して軽減しながらも、それを直視しようと思っていた。ぼくは数年前の女性のことを考えている。彼女をこのように、もっと直視すればよかったのだ。そして、彼女の愛らしさはやはり別の世界から来たのだとそのプールサイドであらためて気付くのだった。だから、彼女と等しくなることなどできない。一致という幻も手にする努力などしなくてもよかった。ただ崇めれば、おののけば、驚けばよかったのだ。簡単なことだ。横で希美は呻きのような音を出した。耳を澄まさなければ、さまざまな喜びの音にかき消されるものだった。ぼくは小さな萌芽を見つけるように、その音を確認した。しかし、やはりこれもぼくとは別個の生命体があることを認識したに過ぎないのだ。

 ぼくらは太陽の威力に疲れて部屋に戻る。冷たいものを飲み、希美はシャワーを浴びた。ぼくとは別の肉体があることをぼくは利己的に喜んでいる。彼女は乾いたタオルで水滴を拭いている。完全になくなることはない。腕の裏や、首の後ろに滴はまだあった。永遠にありつづけることは決してない。ぼくの存在もその水滴と大きな違いはないのかもしれない。反対に滴は別の生命を生み出す可能性もあった。だが、いまはその可能性もまったく感じられないまっ平らな腹部が彼女にはあった。ぼくの凝視に気付いた希美は恥ずかしそうな様子を見せる。その部分を隠すように彼女はわざとぼくの背中に体当たりをした。ぼくは小さな衝撃を受ける。これも別の肉体を有している証明であった。自分自身にぶつかることなどできないのだ。

 ぼくは物理の証明をしたいわけでもないが、その後の時間をその実践にあてた。

 その前の時間、希美はぶつかったままの姿勢で自分の胸の小ささをはじめて気付いたかのようにその事実に触れた。それは途中で成長をやめた夏休みの朝顔についての考察のようでもあり、土のなかで一生を終えたカブトムシの話でもあるようだった。ぼくは自分とは別の視点があることを楽しんでいた。好きになることは一致とは別物であった。だが、限りなく一致することも望んでいた。ぼくは一致になり得る証明を果たそうとするが、男女の肉体の喜びの先には、別の結果がうまれた。放出と受容の定義の話であり、献身と奉仕の実務の作業の映像だった。ぼくは窓を開ける。まだ波の音と子どもたちのざわめきがあった。音は下から上に駆け上がるようでもあった。ぼくらは三階にいた。水分の蒸発が海の波の上で行われているようだった。希美は寝そべっている。倦怠というものを望んでいた。病気とは明らかに違う自堕落な疲れ。彼女は明日、新たな自分の一年をはじめる。ぼくは彼女の旅行カバンにまぎれた荷物のようなものとして自分を意識する。歯ブラシやくしと同価値なもの。いや、それらも毎日、必要になるのだ。毎日。毎時間。ぼくらは好きという感情や愛をどのように判別し、自分自身との距離をはかっているのだろうか。ぼくは希美の横にすわる。彼女の髪を触る。ぼくと希美の髪の色も同じではない。長さも違う。またもう一度、ぼくは異性をまったく別の惑星の住人として見ることになる。彼女の平らなお腹が見えた。白いシーツからはみでている。おへその形状。ぼくはなぜ同一なものなどと感じようとしたのか。この窓のそとの景色を誰かに見せることなどできるのだろうか。希美のある年齢の最後の一日。それさえ得られればぼくはこの人生に文句も言えないことを知った。いや、知っていた。
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