(65)
その日をどこで迎えるか思案をしたが、米沢先輩が仕事上で付き合いのある会社の人たちがアジアでの最終予選の最後の試合をみるために、スポーツ・バーを貸し切ったとのことなので、ぼくもそこに誘われ観戦することにした。ひとりで見ることが怖かったのだろうか。それとも、大勢で、その歓喜の瞬間を受け止めたかったのだろうか。
日付けは1993年10月28日。その日の夜のことだった。
仕事を終え、米沢先輩と待ち合わせ、そのバーに向かった。彼女は、いつものように隙のない化粧をしていた。その反面、無防備さをあらわすような態度も兼ね合わせていた。いつも、不思議な印象を与える女性である。
サッカーの試合がはじまる前から、くつろいだ雰囲気でお酒や食事を楽しみ談笑した。その会社はとある金融機関で、米沢先輩はそのうちの一人と交際しているようだった。そのままでいけば将来は、銀行家の妻になることが予想された。そのことは、とても彼女に合っているようにも思えた。
もっと別の日であるならば、そのことで盛り上がったはずだが、頭の中はその日に行われる試合で一杯だった。彼女は、ぼくの冷淡な態度を横目で見、あんたの批評もききたいんだぞ、という表情をした。その男性が新しいグラスを取りに行っている間に、良い人そうですね、と簡単な相槌とともに語り、詳しくはまたの機会に言いますから、とその場はお茶を濁した。
やっと試合は始まった。数々のプレーに一喜一憂し、自分の声援で余計に盛り上がり、興奮しているのが分かった。そこにいるほとんどの人が、そのチームを無心に応援していた。
レギュラーは、ほぼ固定化され、誰が見ても納得のいく布陣だった。だが、逆にいえば、その選手たちを追い抜くことができないほど、選手層は薄かったのかもしれない。しかし、ベストであることは間違いない。
試合の経過を追いかけてはいるが、その前の長い歴史のことにも思いを馳せる。ちょっと前までは、プロ・リーグが発足すること自体、信じられないことだった。たくさんの海外の有力選手をじかに見ることもできるようになった。グラウンドに立っている当人たちはファンより身近に接するので学ぶことも多いのだろう。
後半戦になった。あと45分の忍耐の問題である。
時間は確実に過ぎ、終了のホイッスルを待ち望んでいる我々は日本が2‐1で勝っていることを知っている。きっと、そのままの点差で試合が終わることと決めていた。だが、勝負のちょっとした油断は、決定的にチャンスを狙っている。10代の残酷な美少女のように、求愛の申し出を断ることだけを望んでいるみたいだった。高くゴール前にあがったクロスボール。それに合わせたヘディングシュート。そのボールは、動くことのできないゴールキーパーを笑うように、ゴールの隅に吸い込まれていった。この瞬間をぼくらは待っていたのだろうか。
テレビの中の選手たちは表情を失い、試合は終わった。崩れ落ちる選手たち。グラウンドの中も、グラウンドの外も。スパーツ・バーで観戦していた人たちも一気に現実に戻され、だれもが落胆していた。ふと意識が戻ると、時間も遅いこともあり、ひとりひとりと静かに消えていった。みどりは現地でどうしていることだろう、とふと脳裏をよぎった。
「あんた、大丈夫? 帰るよ」と米沢先輩に、肩を揺すられ言われた。
「うん。はい。そうしましょう」と、元気もなく返答した。
タクシーの数は少なく、ぼくが奥に座り、彼女もそれに続いて乗車した。彼女は、落胆と不甲斐なさのまじった言葉を発した。多分、ぼくは答えることもせず、首だけを暗い車内で前後に動かした。最終予選に負けたことは事実だが、あのメンバーは最強だった、ガッツある面子だった、といまの自分は知っている。
米沢先輩の家の前で、車はいったんとまり彼女は降りた。そのまま、ぼくは乗ったままの姿勢で誘ってくれたお礼と、彼女の交際がうまくいくことを望んでいることを告げた。彼女は、少女のような表情で、「ありがとう」と言い、車は扉をしめ発車して別れた。
車内の固い座席に頭をもたせ、運転手から先程の試合をラジオで聞いていたのですが、残念ですね、と問われた。無視するのも悪いと思い、きっと4年後はどうにかしてくれるでしょう、と希望のあらわれのようなことを言った。頭の中では、ドーハで取材をしているみどりのことを絶えず考えている。選手と同じように、彼女の長年の夢も崩れ落ちたのだろう。その気持ちを抱えて、みどりは無事に日本に帰って来られるのだろうかと、そのことだけをぼくは心配していた。
(終)
その日をどこで迎えるか思案をしたが、米沢先輩が仕事上で付き合いのある会社の人たちがアジアでの最終予選の最後の試合をみるために、スポーツ・バーを貸し切ったとのことなので、ぼくもそこに誘われ観戦することにした。ひとりで見ることが怖かったのだろうか。それとも、大勢で、その歓喜の瞬間を受け止めたかったのだろうか。
日付けは1993年10月28日。その日の夜のことだった。
仕事を終え、米沢先輩と待ち合わせ、そのバーに向かった。彼女は、いつものように隙のない化粧をしていた。その反面、無防備さをあらわすような態度も兼ね合わせていた。いつも、不思議な印象を与える女性である。
サッカーの試合がはじまる前から、くつろいだ雰囲気でお酒や食事を楽しみ談笑した。その会社はとある金融機関で、米沢先輩はそのうちの一人と交際しているようだった。そのままでいけば将来は、銀行家の妻になることが予想された。そのことは、とても彼女に合っているようにも思えた。
もっと別の日であるならば、そのことで盛り上がったはずだが、頭の中はその日に行われる試合で一杯だった。彼女は、ぼくの冷淡な態度を横目で見、あんたの批評もききたいんだぞ、という表情をした。その男性が新しいグラスを取りに行っている間に、良い人そうですね、と簡単な相槌とともに語り、詳しくはまたの機会に言いますから、とその場はお茶を濁した。
やっと試合は始まった。数々のプレーに一喜一憂し、自分の声援で余計に盛り上がり、興奮しているのが分かった。そこにいるほとんどの人が、そのチームを無心に応援していた。
レギュラーは、ほぼ固定化され、誰が見ても納得のいく布陣だった。だが、逆にいえば、その選手たちを追い抜くことができないほど、選手層は薄かったのかもしれない。しかし、ベストであることは間違いない。
試合の経過を追いかけてはいるが、その前の長い歴史のことにも思いを馳せる。ちょっと前までは、プロ・リーグが発足すること自体、信じられないことだった。たくさんの海外の有力選手をじかに見ることもできるようになった。グラウンドに立っている当人たちはファンより身近に接するので学ぶことも多いのだろう。
後半戦になった。あと45分の忍耐の問題である。
時間は確実に過ぎ、終了のホイッスルを待ち望んでいる我々は日本が2‐1で勝っていることを知っている。きっと、そのままの点差で試合が終わることと決めていた。だが、勝負のちょっとした油断は、決定的にチャンスを狙っている。10代の残酷な美少女のように、求愛の申し出を断ることだけを望んでいるみたいだった。高くゴール前にあがったクロスボール。それに合わせたヘディングシュート。そのボールは、動くことのできないゴールキーパーを笑うように、ゴールの隅に吸い込まれていった。この瞬間をぼくらは待っていたのだろうか。
テレビの中の選手たちは表情を失い、試合は終わった。崩れ落ちる選手たち。グラウンドの中も、グラウンドの外も。スパーツ・バーで観戦していた人たちも一気に現実に戻され、だれもが落胆していた。ふと意識が戻ると、時間も遅いこともあり、ひとりひとりと静かに消えていった。みどりは現地でどうしていることだろう、とふと脳裏をよぎった。
「あんた、大丈夫? 帰るよ」と米沢先輩に、肩を揺すられ言われた。
「うん。はい。そうしましょう」と、元気もなく返答した。
タクシーの数は少なく、ぼくが奥に座り、彼女もそれに続いて乗車した。彼女は、落胆と不甲斐なさのまじった言葉を発した。多分、ぼくは答えることもせず、首だけを暗い車内で前後に動かした。最終予選に負けたことは事実だが、あのメンバーは最強だった、ガッツある面子だった、といまの自分は知っている。
米沢先輩の家の前で、車はいったんとまり彼女は降りた。そのまま、ぼくは乗ったままの姿勢で誘ってくれたお礼と、彼女の交際がうまくいくことを望んでいることを告げた。彼女は、少女のような表情で、「ありがとう」と言い、車は扉をしめ発車して別れた。
車内の固い座席に頭をもたせ、運転手から先程の試合をラジオで聞いていたのですが、残念ですね、と問われた。無視するのも悪いと思い、きっと4年後はどうにかしてくれるでしょう、と希望のあらわれのようなことを言った。頭の中では、ドーハで取材をしているみどりのことを絶えず考えている。選手と同じように、彼女の長年の夢も崩れ落ちたのだろう。その気持ちを抱えて、みどりは無事に日本に帰って来られるのだろうかと、そのことだけをぼくは心配していた。
(終)