最後の火花 2
ぼくの彼女は浮気を辞めたくないらしかった。ぼくが彼女に示せる愛情は、誰かの病気ですら無言で受容することも含まれることになる。なぜか、ぼくは結論を先延ばしにしている。別れるということはとても簡単であり、それゆえにかなり困難なことでもあった。ぼくは母と山形さんとの関係を踏襲しようとしている。押し退けても意識の奥深くで望んでいるのだった。
もし科学者ならばサンプルの採取の方法や場所を、複数にすることを検討するだろう。ぼくは敢えてひとつに限定してしまう。それが幸福の見本であるからでもなく、川の底に沈んでいるもの、取り除けない沈殿した物質のようにぼくの最深部に潜むのだ。
宗教を衣替えのように簡単に変えられない民族。ぼくが光子に対して抱いている感情はそれほどの高みを有していないが、似たようなものであることも否定できない。裏切られても信じる。裏切られるからこそ信じる。手っ取り早い変化など決してないのだ。救済の手立ても自ら断ち切る。
だが、関係など常に問題ばかりが起こっているはずもない。最初もいまも好き同士であることには間違いない。ただ、ちょっとだけ光子は愛情に溢れているのだ。抑え込めない欲望があるのだ。ぼくらは旅先にいる。大きなダムを見ていた。山形さんは水の循環を教えてくれた。それこそが地球だと。人間はもっと複雑にする。水を堰き止め、飲料用や、工業用に水を貯め込んだ。そして、吐き出す。ぼくは下を見ながら、台風や洪水を封じ込めない世界のことも考えている。ぼくは原理も分からない。たくさんのパワーが集約され、溢れた力は破壊をもたらす。破壊と感じるのは、このぼくの側からの勝手な感覚で、たまにはどこかを均す力が働くこともあるのだろう。
水しぶきが光子の頬にあたる。ぼくらは何度か別れた時期がある。しかし、いまはこうしている。永続を信じているが、生きているのは今という突端だけである。オゾンやアルファ波など意味も分からないまま、音の響きだけで声に出してみる。ひとは快楽に導く物質を出すらしい。快楽を追い駆けることで人生は成り立っていないが、たまにアクセントのように割り込ませることは可能だ。もちろん、反対の悲劇も音符と音符の間に挟まった。
ぼくらは旅館に戻る。彼女は温泉に行っている。ぼくは部屋のなかで川のせせらぎを聞いていた。水は循環する。ひとの記憶も行ったり来たりした。ぼくは自分の肩幅が山形さんより劣っていないことをある日に知った。暗くなりかけている窓の外の反射により、ガラスは鮮明さのない鏡となってその姿を写した。
没個性のはずの浴衣が、光子が袖を通した結果、女性であることを無言で濃厚に主張した。風呂上りの匂いがそれに加わる。一片の布が立体になる。地球というものの設計図をぼくは頭に浮かべた。平面にどれほど詳細に書いても、いまのような形にはならないだろう。そこには象がいて、クジラもいる。無数にひとびともいる。大量に殺される運命の一団があった。ぼくも人類の一員ならば加害者の芽を有しているのだ。ぼくがアウシュビッツを管理して、エノラ・ゲイのどこかにあるひとつのスイッチを押した。押す形式か未確認だが。
極端な思考に傾く自分を光子の身体が和らげる。脳は溶ける。ぼくに快楽の芽があるならば、彼女にもあった。ぼくは自分の運動を山形さんに照らし合わせる。これは彼の行為なのだ。人類の一部である自分は、おおよそ山形さんに類似する。
ぼくらはそれぞれの布団に戻る。ふたつのセットは密着していたのだが。お互いの匂いが混ざり合っていることを認識する。ぼくは、はだけた浴衣を着て、温泉に再度、向かった。まだ入っているひとがいた。旅館の従業員のようにも思える。ぼくはゆっくりと浸かり、日頃の疲れを癒そうとした。ぼくは山形さんの年齢を越えてしまうのかもしれないと考えていたが、実際のところ、彼の年を知らなかった。母は二十代の半ばだったから、年齢的にいまのぼくぐらいだったのだろう。
ぼくには闇がある。同時に光もある。光の子という名前の女性と交際している。
とうとうぼくひとりになった。湯はなめらかで、さっきより温度は下がっているようだ。ずっと入っていられそうな気分だった。湯と一体化する。水は人間の味方であり、勢いが強ければ拷問になり、量が多ければ洪水になってしまう。その恐れがある。ぼくという物体は絶対に狂気に、ときには凶器にならないと言い切れるのだろうか。恋人を愛しすぎた結果、その方向と出口が危うくなる可能性は皆無なのだろうか。
ぼくは立ち上がる。ひざまでしか湯はなかった。湯ぶねを出て、身体をぬぐう。ぼくの身体から光子の匂いが消える。消えたのは匂いだけだった。存在がまったく消えることなどない。ぼくは山形さんの残像を育てている。彼のことばをある時期まで信じていた。物語を伝えた声の調子を信じている。あの声をなつかしんでいる。あのさっきまでいた湯にも溶け込んでいる。
ぼくの彼女は浮気を辞めたくないらしかった。ぼくが彼女に示せる愛情は、誰かの病気ですら無言で受容することも含まれることになる。なぜか、ぼくは結論を先延ばしにしている。別れるということはとても簡単であり、それゆえにかなり困難なことでもあった。ぼくは母と山形さんとの関係を踏襲しようとしている。押し退けても意識の奥深くで望んでいるのだった。
もし科学者ならばサンプルの採取の方法や場所を、複数にすることを検討するだろう。ぼくは敢えてひとつに限定してしまう。それが幸福の見本であるからでもなく、川の底に沈んでいるもの、取り除けない沈殿した物質のようにぼくの最深部に潜むのだ。
宗教を衣替えのように簡単に変えられない民族。ぼくが光子に対して抱いている感情はそれほどの高みを有していないが、似たようなものであることも否定できない。裏切られても信じる。裏切られるからこそ信じる。手っ取り早い変化など決してないのだ。救済の手立ても自ら断ち切る。
だが、関係など常に問題ばかりが起こっているはずもない。最初もいまも好き同士であることには間違いない。ただ、ちょっとだけ光子は愛情に溢れているのだ。抑え込めない欲望があるのだ。ぼくらは旅先にいる。大きなダムを見ていた。山形さんは水の循環を教えてくれた。それこそが地球だと。人間はもっと複雑にする。水を堰き止め、飲料用や、工業用に水を貯め込んだ。そして、吐き出す。ぼくは下を見ながら、台風や洪水を封じ込めない世界のことも考えている。ぼくは原理も分からない。たくさんのパワーが集約され、溢れた力は破壊をもたらす。破壊と感じるのは、このぼくの側からの勝手な感覚で、たまにはどこかを均す力が働くこともあるのだろう。
水しぶきが光子の頬にあたる。ぼくらは何度か別れた時期がある。しかし、いまはこうしている。永続を信じているが、生きているのは今という突端だけである。オゾンやアルファ波など意味も分からないまま、音の響きだけで声に出してみる。ひとは快楽に導く物質を出すらしい。快楽を追い駆けることで人生は成り立っていないが、たまにアクセントのように割り込ませることは可能だ。もちろん、反対の悲劇も音符と音符の間に挟まった。
ぼくらは旅館に戻る。彼女は温泉に行っている。ぼくは部屋のなかで川のせせらぎを聞いていた。水は循環する。ひとの記憶も行ったり来たりした。ぼくは自分の肩幅が山形さんより劣っていないことをある日に知った。暗くなりかけている窓の外の反射により、ガラスは鮮明さのない鏡となってその姿を写した。
没個性のはずの浴衣が、光子が袖を通した結果、女性であることを無言で濃厚に主張した。風呂上りの匂いがそれに加わる。一片の布が立体になる。地球というものの設計図をぼくは頭に浮かべた。平面にどれほど詳細に書いても、いまのような形にはならないだろう。そこには象がいて、クジラもいる。無数にひとびともいる。大量に殺される運命の一団があった。ぼくも人類の一員ならば加害者の芽を有しているのだ。ぼくがアウシュビッツを管理して、エノラ・ゲイのどこかにあるひとつのスイッチを押した。押す形式か未確認だが。
極端な思考に傾く自分を光子の身体が和らげる。脳は溶ける。ぼくに快楽の芽があるならば、彼女にもあった。ぼくは自分の運動を山形さんに照らし合わせる。これは彼の行為なのだ。人類の一部である自分は、おおよそ山形さんに類似する。
ぼくらはそれぞれの布団に戻る。ふたつのセットは密着していたのだが。お互いの匂いが混ざり合っていることを認識する。ぼくは、はだけた浴衣を着て、温泉に再度、向かった。まだ入っているひとがいた。旅館の従業員のようにも思える。ぼくはゆっくりと浸かり、日頃の疲れを癒そうとした。ぼくは山形さんの年齢を越えてしまうのかもしれないと考えていたが、実際のところ、彼の年を知らなかった。母は二十代の半ばだったから、年齢的にいまのぼくぐらいだったのだろう。
ぼくには闇がある。同時に光もある。光の子という名前の女性と交際している。
とうとうぼくひとりになった。湯はなめらかで、さっきより温度は下がっているようだ。ずっと入っていられそうな気分だった。湯と一体化する。水は人間の味方であり、勢いが強ければ拷問になり、量が多ければ洪水になってしまう。その恐れがある。ぼくという物体は絶対に狂気に、ときには凶器にならないと言い切れるのだろうか。恋人を愛しすぎた結果、その方向と出口が危うくなる可能性は皆無なのだろうか。
ぼくは立ち上がる。ひざまでしか湯はなかった。湯ぶねを出て、身体をぬぐう。ぼくの身体から光子の匂いが消える。消えたのは匂いだけだった。存在がまったく消えることなどない。ぼくは山形さんの残像を育てている。彼のことばをある時期まで信じていた。物語を伝えた声の調子を信じている。あの声をなつかしんでいる。あのさっきまでいた湯にも溶け込んでいる。