Untrue Love(1)
ぼくは、まだ小学生の高学年で、田舎に帰省している。そこには、いつも遊んでいる友だちもいなく、退屈さを持て余していたが、物置に放置されていた釣竿を見つけてそれを片手に、きれいな小川が流れる土手をうろちょろしている。
鮒が2、3びき釣れたが、永続して住む家でもないので、飼うことは念頭にもなかった。それで、それら数匹を持ち帰ることもなく、またその川の中に逃がす。自由になった魚影は透明な川の水を通しても、はっきりと見えた。ぼくが、いま住んでいる場所ではありえない風景だった。
夕刻になり、その遊びにも飽きて、また空腹を覚え、田舎の家に戻ろうとしている。釣竿はぼくの手の平のなかで途端に棒切れと化し、伸びきった草を切る刀の役目もする。
そうして、気づかぬうちにその狭い土手の向こうから少女が歩いて来る。
彼女は、東京から来た見慣れぬ少年にはにかみを覚え、声をかけられずにいて、ぼくは逆に東京の女の子と違う原始的な魅力のため、声をかけられないで互いに無言で通り過ぎる。
それに加えて、すれ違う際に、どちらも、気難しい顔をしている。ぼくらが認識していた世界は違うのだ。
食事を終え、祭りの音を追いかけるようにおじさんたちといっしょに、夜の闇から明るい方に歩いていく。
そこに、先ほど会った原始的な少女がいて、昼とは違う風貌で、色鮮やかで、華やかな浴衣を着て、幾分、白っぽい顔に変わった姿で、またぼくとすれ違う。
彼女は、ぼくが地元のひとといるためか、明らかな他人という領域から抜け出たことを確認して安心した様子で、にっこりと微笑む。
おじさんも同じように笑い、その子の名前を呼ぶ。ぼくは、そこでおじさんの声を通して彼女の名前を知る。正確にはあだ名を知る。
ぼくがその場所で部外者ではなくなった一瞬だった。
暑い昼間、陽炎のようにぼくは幻影を見る。東京の空調を控えたオフィスの中。
だが、田舎に帰ったことは記憶から遠く、そんな甘い思い出もむかしのことになって近くにはない。
ただ、指先がキーボードを打つのを追いかけるように、ぼくの頭の中の記憶は流れて行った。カタカタという音とともに。夏休みという思い出のくくりの中で。
しかし、ぼくらは再会することになり、その機会は彼女が東京の大学に通うため、上京してからになるのだ。
おじさんは、心細げな彼女に対して、ぼくを頼るようにいうが、ぼくは東京にいるガールフレンドとの浮ついた関係のため、そんな女性と会うことを疎んじてしまう。母はおじさんとの電話の内容をぼくに言ったが、ぼくはただ面倒なので頷いただけだった。
華やかさを求める年代があれば、ぼくは、完全にそこに埋没していた。
誰にも、洒落た会話もできない女性と歩いているところを見られたくなかった。誰にも。
しかし、思春期になると両親といっしょに帰省する機会もなくなったので、現在の彼女の姿を知らない。
「山本さん、ぼうっとしてますね? 終わったらビールでもどうですか?」
「そうしようっか」
ぼくは首の向きを変え、ある職場の同僚にそう言う。彼女は手帳になにかを書き込む。ぼくは、それを見ながら空想に戻る。
盆踊りの翌日、ぼくは咲子というその女性の家に使いを頼まれる。なにかを持たされ、それを渡して、何かを持ち帰るのを待つ間にジュースを与えられた。ぼくは、瓶に口をつけ首を後ろに反らせてそれを飲んでいる。すると後方から、ある少女の声が聞こえる。
「いつまで、こっちにいるの?」
「あと、2、3日だと思うけど」
「楽しかった?」
「どうだろう。でも、絵日記になら書ける」
「宿題?」
「うん、それが残っている」ぼくは、この地にも同程度の宿題があるか理解しようとしたが、結局は分からなかったし質問もしなかった。
「なんの? 盆踊り?」
「川で釣りをした話とか、川辺でマスを食べたとか」
「あれ、おいしいでしょう?」彼女は得意げに言う。ぼくはそれに対してなぜだか裏切りたくない気持ちをもった。でも、実際にもおいしかったのだ。
「うん、おいしかったよ」
「東京、楽しい?」
「来るといいよ。いつも、自分がいるところは分からない」
「女の子も可愛い? テレビに出る人みたいに」
「さあ、分かんない。分かんないよ」異性に対して強烈な衝動など、多分、まだぼくは持っていなかったのだろう。
「ごめんね、待たせて。これ、重いけど、男の子だからね、大丈夫よね」咲子の母は、ぼくをどのように見ているのか分からないまま、そう言った。そして、荷物を手渡した。「咲子、途中まで送って行きな」
「いいです、平気です」
「いいのよ、さあ」と、言って彼女の背中を押して促した。
ぼくは縁側から腰をあげ、彼女は玄関に回り、サンダルを履いてこちら側に廻ってきて、いっしょになって歩いた。ぼくはどこか気恥ずかしかったが、彼女はこうした経験になれていそうもないようだが、それでも、無頓着のような顔をしていて、いっしょに隣について来た。
「今年の夏のこと、いつか、忘れてしまうのかな?」彼女はなにかをむしり、握った手を開きそれを放った。ぼくには、まだ時間の観念というものがとぼしかった。それを前後して、振り返ったり忘れたりという意味が分からなかった。それゆえに、ぼくは返事をせず、彼女も返事を期待しないまま、また小さな手の平の中になにかを掴んでいた。
ぼくは、まだ小学生の高学年で、田舎に帰省している。そこには、いつも遊んでいる友だちもいなく、退屈さを持て余していたが、物置に放置されていた釣竿を見つけてそれを片手に、きれいな小川が流れる土手をうろちょろしている。
鮒が2、3びき釣れたが、永続して住む家でもないので、飼うことは念頭にもなかった。それで、それら数匹を持ち帰ることもなく、またその川の中に逃がす。自由になった魚影は透明な川の水を通しても、はっきりと見えた。ぼくが、いま住んでいる場所ではありえない風景だった。
夕刻になり、その遊びにも飽きて、また空腹を覚え、田舎の家に戻ろうとしている。釣竿はぼくの手の平のなかで途端に棒切れと化し、伸びきった草を切る刀の役目もする。
そうして、気づかぬうちにその狭い土手の向こうから少女が歩いて来る。
彼女は、東京から来た見慣れぬ少年にはにかみを覚え、声をかけられずにいて、ぼくは逆に東京の女の子と違う原始的な魅力のため、声をかけられないで互いに無言で通り過ぎる。
それに加えて、すれ違う際に、どちらも、気難しい顔をしている。ぼくらが認識していた世界は違うのだ。
食事を終え、祭りの音を追いかけるようにおじさんたちといっしょに、夜の闇から明るい方に歩いていく。
そこに、先ほど会った原始的な少女がいて、昼とは違う風貌で、色鮮やかで、華やかな浴衣を着て、幾分、白っぽい顔に変わった姿で、またぼくとすれ違う。
彼女は、ぼくが地元のひとといるためか、明らかな他人という領域から抜け出たことを確認して安心した様子で、にっこりと微笑む。
おじさんも同じように笑い、その子の名前を呼ぶ。ぼくは、そこでおじさんの声を通して彼女の名前を知る。正確にはあだ名を知る。
ぼくがその場所で部外者ではなくなった一瞬だった。
暑い昼間、陽炎のようにぼくは幻影を見る。東京の空調を控えたオフィスの中。
だが、田舎に帰ったことは記憶から遠く、そんな甘い思い出もむかしのことになって近くにはない。
ただ、指先がキーボードを打つのを追いかけるように、ぼくの頭の中の記憶は流れて行った。カタカタという音とともに。夏休みという思い出のくくりの中で。
しかし、ぼくらは再会することになり、その機会は彼女が東京の大学に通うため、上京してからになるのだ。
おじさんは、心細げな彼女に対して、ぼくを頼るようにいうが、ぼくは東京にいるガールフレンドとの浮ついた関係のため、そんな女性と会うことを疎んじてしまう。母はおじさんとの電話の内容をぼくに言ったが、ぼくはただ面倒なので頷いただけだった。
華やかさを求める年代があれば、ぼくは、完全にそこに埋没していた。
誰にも、洒落た会話もできない女性と歩いているところを見られたくなかった。誰にも。
しかし、思春期になると両親といっしょに帰省する機会もなくなったので、現在の彼女の姿を知らない。
「山本さん、ぼうっとしてますね? 終わったらビールでもどうですか?」
「そうしようっか」
ぼくは首の向きを変え、ある職場の同僚にそう言う。彼女は手帳になにかを書き込む。ぼくは、それを見ながら空想に戻る。
盆踊りの翌日、ぼくは咲子というその女性の家に使いを頼まれる。なにかを持たされ、それを渡して、何かを持ち帰るのを待つ間にジュースを与えられた。ぼくは、瓶に口をつけ首を後ろに反らせてそれを飲んでいる。すると後方から、ある少女の声が聞こえる。
「いつまで、こっちにいるの?」
「あと、2、3日だと思うけど」
「楽しかった?」
「どうだろう。でも、絵日記になら書ける」
「宿題?」
「うん、それが残っている」ぼくは、この地にも同程度の宿題があるか理解しようとしたが、結局は分からなかったし質問もしなかった。
「なんの? 盆踊り?」
「川で釣りをした話とか、川辺でマスを食べたとか」
「あれ、おいしいでしょう?」彼女は得意げに言う。ぼくはそれに対してなぜだか裏切りたくない気持ちをもった。でも、実際にもおいしかったのだ。
「うん、おいしかったよ」
「東京、楽しい?」
「来るといいよ。いつも、自分がいるところは分からない」
「女の子も可愛い? テレビに出る人みたいに」
「さあ、分かんない。分かんないよ」異性に対して強烈な衝動など、多分、まだぼくは持っていなかったのだろう。
「ごめんね、待たせて。これ、重いけど、男の子だからね、大丈夫よね」咲子の母は、ぼくをどのように見ているのか分からないまま、そう言った。そして、荷物を手渡した。「咲子、途中まで送って行きな」
「いいです、平気です」
「いいのよ、さあ」と、言って彼女の背中を押して促した。
ぼくは縁側から腰をあげ、彼女は玄関に回り、サンダルを履いてこちら側に廻ってきて、いっしょになって歩いた。ぼくはどこか気恥ずかしかったが、彼女はこうした経験になれていそうもないようだが、それでも、無頓着のような顔をしていて、いっしょに隣について来た。
「今年の夏のこと、いつか、忘れてしまうのかな?」彼女はなにかをむしり、握った手を開きそれを放った。ぼくには、まだ時間の観念というものがとぼしかった。それを前後して、振り返ったり忘れたりという意味が分からなかった。それゆえに、ぼくは返事をせず、彼女も返事を期待しないまま、また小さな手の平の中になにかを掴んでいた。