爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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2014年08月31日 | 悪童の書
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 ぼくの町には映画館があった。駅とつながっていたが、駅自体が高架になったり、近くの環状道路の計画にあわせて少しずつ場所を変えた所為か、分離する結果になり、結局は隣接という形におさまった。

 駅のそばにふたつのおもちゃ屋があり派閥とまでは行かないが、駅の場所によって、儲けが変わってくるだろうな、と大人の頭は考えるとしても、日常的に電車に乗らないころの年齢なので、意に介さない。

 いつ頃か明確ではないが、映画館の階段を登る途中に女性が接客してくれてお酒を飲ませる場所があった。左右あった階段の左側である。友人と違って行く気もなかった自分は、女性の年齢層や容姿も内装も知らないままで終わっている。媚というものが基本的に苦手なのだろう。この性分は直りそうもない。

 隣町にも小さな古びた映画館があり、通常は大人相手のフィルムを流していたが、ある時期になると子どものためのマンガ祭りと評するものを上映した。ロビンちゃんは大人になり、歌をうたった。ロボコンという無骨な格好のヒーローの話である。

 柴又の風来坊の新作ができると、町の名画座は活気づいた。ぼくらは、子ども時代なので、その通過儀礼を受け入れることもできず、ライオンズのキャッチャーのアニメでお茶をにごした。同時上映のスター・ウォーズを見逃しているので愚かであることも立証できる。裕福な友人のお小遣いで、「ガンダム」も見た。ある日、その場所で騒ぎ過ぎてこわい兄ちゃんに座席の背中を思いっ切り蹴られた。一時は、シュンとなったであろうが、それも良い思い出のひとつになってしまった。

 高校になり、学校をさぼる。「ライト・スタッフ」という長い映画を観ながら無駄にならないようにお弁当を食べて、片や、宇宙飛行士にあこがれる感情をいだいていた。勉強と医学と工学と、サボるということを同一に並べられないぐらいに愚かなままであった。「インドへの道」という不可思議な映画のことも深く印象に残っている。ある程度の時間になって、家に帰る。弁当箱は見事に空である。一日分の知識は放り込めなかった。

 別の隣町にも映画館があった。ぼくらは週末、酒を飲み、時間を潰すためにそこに入った。牛乳を飲むと欲情する外国女性が出てきて、意味も理解できないまま数日間の楽しい話題になった。

 学校の体育館で生徒を相手に映画会が開かれた。どこかで迷った少年の隔絶された過酷な生活が描き出されていた。食糧の調達もままならず、記憶が定かであれば小型の可愛らしい愛犬の肉を食べていた。その後のいたいけな少年たちには待ち遠しい給食の時間が待っており、ぼくらは当然、ブーたれる。教師も厄介な問題を軽々しく持ち込むものである。外的な要因で食欲を殺がれるという経験のはじめてのことかもしれない。体験したくもなかったのに。

 計画していた環状道路が完成する。ぼくらの小学校の真ん前である。公害と騒音が話題になったが、勉強の集中力の低下は自分には起こらなかった。しない理由は、たくさん生み出される。電車の駆け込み乗車を防ぐアナウンスがあっても、するひとは永遠にするのだし、しないひとは行儀よくずっとしないものだ。ひとは聞きたいものを聞く。

 記憶というものは不確かなものだ。あの町の名画座のポスターが町角にあった所為か、「テルマ&ルイーズ」という映画をあの場所で観た気になっているが、違う機会にビデオという代用で鑑賞したのかもしれない。安い値段で映画を二本見ることができた。時間もゆっくりと流れていたのだろう。

 女性とデートのときは場所を変えることになる。イベントになれば町という背景が重要なことになる。ぼくは新宿でひとりで新作の映画を観て、それほど多い機会でもなかったが渋谷では女性といた。もっとマイナーなものを期待すると、どこかの隠れ場所のようなところで堪能することになる。そのための雑誌があった。わざわざ誰かの調査が加わった努力の結晶の雑誌が発刊されている。ぼくはあの表紙のイラストになることをいつか願うが、もう廃刊である。もちろん継続中でも、表紙を飾ることなどない。

 同じ町のなかで引っ越し、小学校に近くなったのもつかの間、中学までは元の家より遠退いた。そのために、床屋の場所を変える。子どもにとってはエポック・メーキングなできごとである。前の主人は腕の毛が濃いのに、頭髪はさびしかった。その反比例な姿を髪を切られながら理不尽に思っている。自分は腕の毛が濃くなることも同時に恐れるようになる。

 前の家から駅までは一本の道であった。友人や一つ上の生徒の父たちの商店がいくつかある。母は駅の近くの商店街の途中まで歩くだけで大勢の知り合いと会話をした。兄は面倒くさがり付き合わないが、ぼくは小遣いで足りない分を同行することによって補い、買ってもらうことにしていた。弟が生まれる前のぼくがヒーローを占有していたころの家族の話だ。無口な女性を潜在的に求める前の時期でもある。砂漠には針ぐらい落ちているだろう。

 無数の映画を観てきた。この町で観たのは、割合からするとほんのわずかになってしまった。またもや、隣町には映画館ができるが、ショッピング・モールのなかの一角で、陰気な顔のもぎりの女性などサービス業にふさわしくないと思われている時代になってしまった。ポップコーンも、もうむかしの味付けではない。


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2014年08月30日 | 悪童の書
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 幼稚園のメルヘンチックな名称であろう何とか組の扉のカギを閉め、ひとり閉じこもっている。それが自分本来の頑固さの最初のあらわれとして最愛の弟を見るようになつかしんでいる。許せない理不尽が起こったのであろうが、もう原因すら思い出せない。面子がつぶれたような気もするが、そんな幼児の面子など、大して重くない。いま、ここにこうして自由な生活を送っているので、最終的にあの一室でのみ寝起きを強いられる今後の生活を、奥底から望んでいるわけでもなかった。ただの見過ごすことのできない、一時しのぎでまかないきれない理不尽さがあっただけだ。

 成長して中学の球技大会をしている。メインの試合が校庭で行われている。サッカーのゴールが校庭のグラウンドの南北の両端を占めている。その西側の隅で別のミニサッカーの試合が行われており、ぼくはいまはそこにいる。

 ぼくらはいつもの仲良しメンバーである。共同体で遊び、共同体で叱られる。別の機会のガラスの弁償も四等分で支払った。消費税がなかったころで、一人頭、二千四百円相当。

 相手には別のクラスの小柄な、もっといちばん小さいと評してもいい生徒がいる。スポーツなど得意でもなく、興味もなく今後も生きるであろうというタイプだ。

 もしかしてぼくらの地域の「はずれ」としてふさわしい卓球ぐらいが興味の上限かもしれない。

 白黒のボールがラインを越えそうになる。

「いま、線、越えたよ!」

 彼は冷静にそう言った。ぼくはアドレナリンを出すことを楽しんでいる。スポーツはアドレナリンと冷静な判断のせめぎ合いであり、ぼくらの土地はアドレナリンの放出を歓迎する方の地域だった。

「越えてないよ!」

 アドレナリンと恫喝でこの場を収めようとしてつめよる。結果はぼくらの利益になった。彼は、つまらなそうな顔をしている。さらにいっそうスポーツにたずさわることを拒否するだろう。

 この現在まで、不満げな表情をかくせない少年の顔をおぼえているぐらいだから、ぼくに非があり、彼が正しいのだ。だが、スポーツでアドレナリンを出さないことなど、何が楽しいのだろうか。どこかで違った自分になる。それが、やましいドラッグなら間違いだが、自分の脳と体内をかけめぐる血流という全身でつくりだした物質なら、責められはしないだろう。

 理不尽を許さないという頑固な自分がつくられるのだ。かといって、その自分も加担していた。どちらにせよ、ルールに従うことに素直になれない自分になった。客観的にいることが正しいルールの立場なのに、主観的なルールを生み出す。

 結局、この試合に勝ったかどうかも覚えていない。不満な顔の少年とアドレナリンの発散のすがすがしさを知る少年の対照として終わる。ワールドカップでハンドを認めないのも、この放出の成せる業なのだ。

 扉のなかに戻る。ぼくの頑なさは説得されようとしている。男の子はちょっとぐらいの傷で泣かないの、という甘いことばが誘い水になり、泣く子もいる。ぼくは、そこに母の顔もあったように記憶している。家からそんなに離れていないが、サンダルでちょっと、という距離でもない。兵糧攻めまではいかないが、少しは抵抗したのだろう。

 幼稚園の女の先生はいまでいう斜視だった。名前も忘れてしまいそうになり、優しかったよなという事実も過去のものになりながらも、この容姿の末席だけはなぜだか覚えている。だからでもないが、ぼくはこの視線の持ち主に好意的な印象を以後ももっている。すると、関連した証拠をつなぎ合わせれば、ぼくに対して優しいひとだったのだろう。

 そういう面々を敵に回している。排斥される覚悟もある。ぼくにいったい何が起こったのだろう? 原因は謎のままだ。

 別の日。小さなカラフルなプラスチック製のスコップを穴を開けた砂場に橋渡しにして落とし穴をつくる。うっすらと砂を表面にだけかける。翌日、楽しみにしていた結果を見に行くと、猫いっぴき落ちていない事実に驚愕する。穴はきちんと埋め立てられ、スコップもいつものところに置いてある。どこかにスパイがいるのだ。誰かが、ぼくらを売ったのだ。懲りずに落とし穴をつくるが、翌朝も同じことだった。先生たちは残業代をきちんと請求したのだろうか。砂場だから、ブラウン企業とでも、自分の勤務先を呼んでいたのだろうか。

 最初の日も最後の日も覚えていない。いつの間にか小学生になって、中学にも通いだしている。もう扉の内側に閉じこもることもしない。その代わりに肩を小突き、自分を正当化させる。穴を掘る面倒を省き、腿の外側の痛いところをひざで蹴る。

 ぼくらは授業で剣道をしている。防具をつけ、通常とは違うルールで不格好な手の拳で面と胴を叩くというボクシングをつくりあげる。竹刀を握る道具は、グローブとしても役に立つ。爽快な汗が出る。この汗だけは理不尽ではない。小さな彼はやはり不本意だったのだろうか。だが、そこにいたかも思い出せない。いまも白線のそばに陣取り、出入りを確認しているのかもしれない。正しさを立証するために。


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2014年08月29日 | 悪童の書
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 人の考えまでコントロールできない。

 備品になった時点から、へこみや塗装の剥げ具合いなどの形状を変えつつある、これぞ、ゴミ箱というゆがんだ金属製の角張ったものを抱え、ぼくは廊下を歩いている。教室の後ろの出入り口からは十メートルほど先。さらにその先に体育館がある。ぼくは大掃除という雑踏を抜け出す小学生。バスケット・ボールで二、三十分だけ遊ぼうと計画している。

 それも終わり、ゴミ箱をもちかえると、案の定、掃除も終わっている。ミッションは完遂したのだ。

 数日後、母は父母だけが集まる学校の行事で思いがけなく、息子が褒められ、恥ずかしそうにして帰ってくる。それに値しないことは当人がいちばん知っているのだろう。腹の痛みという甘くなる採点を度外視しても。誇大広告にさらされる我が息子。

 教師は、みなが嫌がるであろうゴミ捨てを、誰の指示も受けずに率先する子などいないというのを主張する。教師生活二十五年。ぼくは横の体育館に用事(私用)があって、そのカモフラージュがゴミ箱であったのだ。そのことを母に告げたかはもう思い出せない。世の中は、意外と厄介なところであるということをおぼろげに理解する。真実にはたどり着くのが困難な世界なのだ。

 学校が始まって二日目か、さらには、終わる前の二日目には、きまって、大掃除がある。ぼくはいつも休む。学校は学力を学ぶところなのだという規定から外れたくなかった。掃除の専門学校に入学したのではない。

 高校の入学試験を受け、合格して、入学金も払う。しかし、掃除から解放されるわけではない。そこは中学部も併設されていた。ぼくはそこの掃除を任されるグループの一員だった。担当の中学の先生であった女性はきれいなひとであった。やるべきことを指示して、終わったころに再確認しにきた。そこで厳しい点検のもとに注意されることもなく、だいたいは十分にも満たない時間で終わった。女性がキャリアを積む可能性も、女性の性欲の有無もどちらも知らない十代の半ばの話だ。ぼくは疑惑の褒め言葉をおそれている。

 ぼくは町を歩いている。

「わっ、格好いい!」

 後にも先にもぼくがきちんとした容姿に対する褒め言葉をもらったのはそのときだけだ。だが、その女性は見かけは女性のようにしていても、声やその発声する機能がある首元は確実にぼくと同じ性の部類に属するひとだった。ぼくはすれ違い、振り向くこともできずに、逃げるようにして早足になる。褒め言葉をおそれている。無性におそれている。彼女も、あるいは彼も、若い男性に採点を甘くするふりかけを所持しているのだろう。常に。

「きれいだよね」

 と、ぼくは恋人たちに言いたいが、それに見合った女性はついに居ないような気もする。科学者の視線は正確であることを前提とするのだ。

 ぼくは、何度も面接を受ける。ある程度の関係があれば、深まれば、ぼくの何たるかを知ると、低い評価を下すひとは稀にしかいなかった。だが、とっつきにくさの最たる遺伝を受け継いだ自分は、第一印象の悪さを克服することができない。そもそも、初対面が牛耳る世界に自分は居ないのだ。覆面レスラーよりも自己を喧伝できない。

 ある観光地。酒蔵で試飲という休日のイベントをする。酒を供する店員と話す。ぼくと友人はその町をあてどなく一周する。ぼくは話すことを望んでいる。無駄話こそが人生を彩る路傍の花なのだ。だが、ぼくの顔は能面以下だ。特徴もない。メガネという部品だけがぼくなのだ。もう一度そこに戻り、時間差のおかわりをする。友人と店員はこの町の情報を共有する。ぼくはここでも門外漢であった。はじめて入店する客だった。かりそめのパッセンジャー。何か、こころに浸透する、あるいはくさびを打ち込むようなことをしなければならなかった。打破することが男の子の役割だった。

 第三者のこころにぼくの存在を刻むには、劇薬が必要になる。必要は発明の母。ウルトラの母のボディは、素材上、あらゆるテクニックに抵抗する。

 ぼくの答えは絡むという安易さに導く。

 誉め言葉をおそれ、実態との評価が食い違う話だったのだ。そこにぼくはいる。前提として。

 結局、大人になりアルバイトで掃除をしている。菌というものを滅亡させる役目が与えられた。評価は月に一度、銀行の個人口座に振り込まれる金銭がすべてだった。

 評価するにはたくさんのサンプルと比較対象が存在する。その上で、ましとか、不可が際立ってくる。

 個性という甘いささやき。むかしテレビで見たことがある。多数の「ブス」と呼ばれる女性を合成するとひとりの普通の美人になった。特徴のない美人に。個性や特徴は、必要不可欠なものであろうか。

「あの子、個性的な美人だよね!」

 それは誉め言葉に該当するのか、やんわりと非難されているのか。目立つということがなければ、ひとの話題にならない。ぼくは目立たないようにゴミを捨てに行く。すべてはカモフラージュする世界なのだ。

 部屋が汚れていく。掃除機にすらほこりがかぶっている。カビとか菌の方が、人間より生存に適しているのだ。薄い皮膚一枚で身を守っている人類。そのうちのひとり。背中にファスナーもなく。ゴミの集積所に週に何度か不要物となったものを運ぶ。アルコール中毒患者のようにビンや缶が我が家からもちだされる。そのことを誰かに褒めてもらいたいと願う。平均というまっとうな場所を探す。だが、これで精神の病からも柔軟に、縦横無尽に逃げているのだ。逃げていくのだ。


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2014年08月28日 | 悪童の書
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 家のうらの塀を歩いている。別の家の敷地を何軒も通過し、行き止まりになる。

 そして、また戻ってくる。とがめられることも、注意されることもない。あの自分の足の幅ぐらいしかない塀を落ちもせずに、縦横に歩き回った。ときにはターザンのような雄叫びをあげるマネをして。

 この幅はドブ河でも鍛えられていた。落下したときの不安などぼくらになかった。たまに紙芝居が来て、その前後に暇をつぶすため、ドブを横切る四角い棒を渡る。危険に満ちた平均台のように。あそこに落ちた子どもも皆無なので、あの地域で育った子どもたちの特技でもあるのだろう。当然、もうふたがある。あるいは名残りらしいものは跡形もなく、足腰の弱い高齢者でも歩けるふつうの舗装された歩道になっている。

 野蛮さと危険を克服したのが男の子である。しつけも系統だった訓練もなく、周りにいる兄と兄たちのような存在の背中がすべての見本だった。誰も跡取りではないし、約束のポストもない半ズボンの子たちである。その他大勢の意地。

 紙芝居も、いつしかアニメになり、手のひらのゲームになる。ヒーローの象徴もベルトを腰に巻く作業から、超合金というしっくりとした重さのおもちゃになる。そこにはあまり金銭というものは主張していなかった。

 ある日、塀の突き当りの向こうの一角に、おもちゃの残骸があることを発見する。子どもにとって宝の山だ。おもちゃ屋というきちんとした場所に、スポットライトを当てられて整然と並んでいるのではなく、無造作に置かれていた。大人の観点になれば産業として町工場のようなところで作られていたのだと理解できる。よくよく調べると完成品には少し足りないものがほとんどだった。正確にいえば、全部だった。しかし、この足りないものと足りないものを合わせると結果として一になった。数学の世界である。

 ぼくは近所の友人と連れ立って、また塀のうえを歩く。まだひとりでは戦利品としてもちかえるのには勇気がなかった。

 宝の山の上に寝転び、驚愕する。石油が噴出したなかを真っ黒になりながら喜ぶように、ぼくらはいくらか煤けた衣服で喝采した。取るべき行動は決まっており、選別したそのなかのきれいな二、三個を持ち帰る。

 だが、家に帰り部屋に並べると、歓喜がまったくなくなっているのに気付く。やはり、それは廃棄をまっている姿だったのだ。どこかで完成とは程遠い、色褪せたものとなった。大人は、お金になるものをそんなに簡単に見つかる場所に放って置いたりはしない。ある一定量になるまでそこに保管され、一気に廃物となり、それぞれの短い運命を終えるのだろう。ぼくらは、間もなく、塀にのぼって出歩くのを楽しいとは思わない年頃になる。近隣の工場が魅力ある風景ではないことも知ってしまう。

 場所を広げる。行動範囲が変わる。隣駅の商店街の存在を知る。

 プラモデルの在庫や、野球のグローブのそれ、区民プールの場所、評判のよい医者。それらは少しずつ離れた距離にある。東西南北の観念はなくても、あらゆるものが目印となった。世の中が無数の塀で分断されても、子どもの自由を奪うことは誰もできない。だが、友人は同じ学校に通う範囲にしかいない。母には節約という心掛けもあまりないらしく、隣町の洋品店で選び、その当時では変わった服装をぼくにさせてくれた。兄は、見栄えにこだわるには身体も足も大きくなり過ぎた。帰りには父のつまみのためにうなぎを買った。ぼくはその見た目に抵抗があった。そして、意味もなく似たような形状であるため、ナスの焼いたものも当時は箸を避けるようになる。どちらも、いまでは好きなのに。

 何の後悔もなく、自分の周囲にも引き出しにもおもちゃという類いのものがなくなっているのを知る。愛の対象はグローブになり、漫画になった。たくさん保有したはずの消しゴム製の人形や車はなくなっている。弟の箱にはまだまだある。夏になると、花火を手にして公園のなかで友人を追いかけて、その背中に向けて発射させた。あまりにも騒いだためか近隣の住人が注意しに来るが、今度はその正義の騎士に向かって火を向けた。激怒してさらに追いかけられるが、つかまることもなく逃げおおせる。怪我をしなかったことをいまになって祈るが、もう遅いのかもしれない。

 ぼくは自分なりのアメリカン・グラフティを書こうとしている。

 中学生になると、その公園で美術の時間に写生をすることになる。もちろん、言いつけを守ることなく近くのコンビニで時間を過ごして、こっぴどく叱られる運命を受け入れる。恋する相手と夜の時間を過ごすのもその公園である。兄は小山の頂上の時計台のようなものの壁にスプレーで何かを書き、大問題になった場所でもあった。この兄のため、相対的にぼくは静かでやんちゃをしない方という立場と役割を与えられつづけることになる。彼らの沸点はどこにあるのか、という教師や両親の怒りのボーダー・ラインを見極める結果も得られた。だが、おそらくそこまで達するのは、最初から困難だった。しかし、幼少時に遊園地の回転する乗り物に顔面蒼白になった彼を覚えてもいるので、ちょっとぼくはそこまで悪い人間だとも思えないことも、ほんのたまにだがある。乗り物の券のつづられたものをその前後に兄は失くし、父は文句も言わずに新しいものを購入してくれた。


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2014年08月27日 | 悪童の書
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 軽蔑の起源を目撃する話。

 ゴミ捨てという行為が日常に組み込まれている。指示どおりに動かなければならない。

 ぼくは片手に通勤バッグ。もう片方にはゴミと化した品々が入った袋をぶら下げている。緊張感も意気込みもない、普段の日常の一部となってしまった作業。歯磨きやひげそりと同等の無意識の魔術。

 空き缶を選別しているおじさんがいる。反社会的な行為と糾弾するほど、ぼくも冷酷にできているわけでもない。横にそっとぼくの分を置く。これも彼の食費の一部になるのかもしれない。

 赤とピンクの中間のようなランドセルを背負った小学生が横を通りかかる。表情なんて演技の学校にでもいかなければ教えられるものではない。おそらく想像の範疇だが、母か、それとも父が空き缶を拾うおじさんを見たときに軽蔑しなさいとも、いたわりなさいとも教えられていないと思う。だが、このときまさにこの少女は生まれてはじめて軽蔑という確固たる表情を身につけたのだ。自分がその表情を浮かべたことも悟ってはいないだろう。人間の悲しさである。目は口ほどにものを言うのである。

 ただ観察ということを止められないもうひとりのおじさんに見とがめられてしまっただけなのだ。当然、ぼくもこの日以外に何度もしている。あるときは意図的に、あるときは「がっかり」という調味料をどっさりと追加して。

 ひとは成りたかったものだけに成るのではない。そうすれば、野球やサッカーの選手や宇宙飛行士で溢れてしまうかもしれない。成りたくない立場にもなる。社会の椅子取りゲームは過酷で野蛮なのである。ぼくは蔑視できない。こっそりと視線を送らないというのが、せめてもの愛情の最大限の義務である。自分も生活の糧を何かで得なければならない同じ人間なのである。

 あのランドセルの少女は一度も給料というものをもらったこともないだろう。ランドセルはどちらかの祖父母が買ってくれたのかもしれない。給食費の滞納もない。世界は優しい場所である。きょうの夕飯の心配もない。

 請求書や領収書は誰かが受け取ればいいのだ。自分は高いところで軽蔑の表情と斜めからの視線の練習をしておくだけで済む。簡単だった。

 反対に立つ。大人は軽蔑されないところに自分を隔離しなければならない。わざわざ見せることもない。遊園地から出たゴミはどこかに消え、タバコを吸う休憩所など密室にあれば終わる。

「トゥルーマン・ショー」という映画のことをぼくは思い出している。現実の人間のリアル・タイムを刻々と流している。だが、そこは操られた世界なのだ。現実だと認識していないのは主人公だけのようだった。

 現実はふてぶてしい。野良ネコやカラスも漁る。彼らの生存の欲求がある。ぼくらは破かれた袋を見ながら、軽蔑とは違う段階にいる。すると、軽蔑というのは選択に負けた結果のようにも思えてきた。宇宙飛行士になれなかったので仕方なくという風に。

 息を吸って二酸化炭素など出すもの、みな、潔白ではない。自分の手も視線も汚れている。

 自分もまだ無知のころ、同じようなまなざしを誰かに向けたときがあるのだ。

 当時、水洗便所というものがまだ行き渡っていなかった。インフラ整備などという言葉も一度もきいたことがないころのことだ。ここまで書けば大体は想像がつく。みなも自分の胸に手をあてるのだ。向田邦子女史も短編だか、エッセーで書きのこしている。

 すべてが、したいことだけをして生きるのではない。ハムレットだけで舞台は成立しない。狂える女性も必要なのだ。

 職業に貴賤などない。金の出所も経緯も札には書かれていない。ぼくはきれいごとの虜となっており、ひとが誰かにどのような視線を送るのも、また勝手であった。侯爵やら伯爵という地位も黒人の音楽家以外にも冗談ではなく生真面目につけていた世界なのだ。命令する側も指示を待つ側もいる。そして、労働を必要とする側がいて、何か手仕事をしないと時間をもてあます側もいた。

 だが、してはいけないこともたくさんある。中毒患者を生み出す側の一員にはなりたくないし、ひとを殺す武器も作りたくないし、売りたくもない。ひとつの視線を大げさなものとしてしまう。ひとの些細な視線など気にしていたら身がもたない。その注意力と観察する意識を失った自分も、また自分ではなくなる。

 ぼくは横たわる。女性が蔑視の目を向ける。悪いものだけではない。共存させるのが世の中でいちばん大切なのだ。嫌悪と快楽を共存させる。忙しい人間、夢中になっている人間は他人の目など気にせずにすむ。集中する。集中すると逆にあらゆるところを注視できる人々もいる。

 ランドセルの少女は宿題を忘れたかもしれない。先生は軽蔑感をにじませる。少女は自分の勉強机のことを思いだす。昨日、早めに仕上げたのに詰め込むのを忘れてしまったのだ。その言い訳は、言い訳としてだけ機能する。締め切りに間に合っても、ここまで運ぶのが彼女の勉強の一環だった。

 少女は不良になる。学問を怠る。うまく会社になじめない。アウトローのなんたるかを知る。結果、なりたくないものになる。ぼくは数メートル先で、手にしているのが正真正銘のゴミ袋で、通勤バッグではないことに気付く。どこで、左右が入れ替わったのか。ネットの網の目の下に置かれているぼくの大切な品。想像力を減らさないといけない。電車の時間にまだ間に合うだろうか。


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2014年08月26日 | 悪童の書
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 粋と無粋の物語。

「平等」という観念が生きる指針としてもっとも尊く、誰もが不可侵の状態に高めて置いておくべきものなのだ。頭では充分過ぎるほど理解できている。見知らぬ誰かの奥底に侮蔑と、その侵入の気配が見え隠れすると直ぐに見抜き、不快な気持になる。チャンスはすべてのひとに等しく与えられ、同じ報いを受けるべきなのだった。

 酒を飲んでいる。自分の飲み物も付属のおつまみも自分が支払う。当然の成り立ちだ。サービスする側も給料だか時給だかで己の時間を売って、正当な代価を受け取る。経営者はその狭間で喜んだり、嘆いたりする。野菜の価格も天候で左右されるのだ。海も時化る。

「いっぱい、よかったら、どうぞ!」

 給料日の直後はひとを寛大にする。言いかえれば、ルーズにする。
「いただきます」

 若い娘でも礼儀正しいひとは確実にいるのである。
「いただきます」
「あれ!」

 奥の方から別のベテランの女性や、厨房にいるこれまた長めの人生を歩んできた女性もなぜだかお礼を言っている。多分、このぼくに。ぼくは友人といる。「ババアにおごったつもりもないんだけど」口は災いのもとである。愚かである。ぼくは平等という観念に夢中になり、その支配する国の第一番目の住人であったはずなのだ。なのに、なぜ。

 粋ということを見よう見真似でしたアマチュアに過ぎないのだ。慣れてないというのは、必ず間違いを引き起こすのだ。別にその若い女性をどうこうする意志などさらさらなく、ただ、この自分がいる前面や小さな宇宙を美しくしたかっただけなのだ。別の惑星から女性が来た。言い訳はたくさんできる。だが、無粋というのは消え去らないものである。銀座の一等地でその行為をした訳でもない。ただのきれいでもない川に挟まれた低い土地での話である。

 ぼくはトイレに行ったのであろう。そのむりやりおごられ、むりやり難癖をつけられる運命になった女性たちは、ぼくの友人に慎ましくお礼の視線を送っていたそうである。恥というのを呼吸のようにして生きなければならない。

 ある高級な酒場に勤める、あるいは経営する女性は出世する男性を見抜けるそうである。その豪語を本にもする。そうなろうと、理想に向かうアドバイスを健気に読むひとがいるともまったく思えないのだが、世の中に送り込まれる。力とお金は常に善である、という思考もある。

 職場にいる。ケンカというのはルールのもとに置かれてやるべきなのだ。一方的な恫喝など決してあってはならない。イベンダー・ホリーフィールドのような仕留めるパンチは口げんかに持ち込むことも許されない。軽いジャブの応酬こそ、大人のするケンカなのである。

 お客という立場が強いのか? ここを仕切る現場の人間に主導権があるのか。常連さんとなれ合いの環境を長い時間かけて作り上げた努力を勝手に崩壊させてよいのか。ぼくは翌朝、反省する。反省を持続させることもこの年齢になると難しい。反省の山がここやあそこにたくさんある。そして、この文で立証させる。

 粋というものと、感謝を別の次元に置きたい。そもそも、ひとにおごるほどの身分でもないのだ。なれないことをした為に、反作用でいつもの自分が正直に顔を出しただけなのだ。すると、いつものままの自分でいれば、勝手に高貴な自分もこっそりと顔をのぞかせるのだろうか。高貴にも気品にも充分な訓練が必要であった。一朝一夕で身につく代物ではない。

 行きづらい場所が増える。恥かしさと赤面を失った時点で老化に向かう。あの可愛い子もいつか命令する。指導する立場になる。我が技に不満をもらす。反動として誰かに八つ当たりする。結果、ババアという言葉が安易に口から出る。

 自分の使用した言葉だけでそれぞれの辞書ができたりすると仮定する。ボキャブラリーが豊富であることは文明の証しである。反対に少ない言葉数は安楽の成果である。ひとりで畑を耕し、妻には自分の欲求だけを口にする。新聞。風呂。寝る。

 会社にいるとそうもいかない。期限や納期をきちんと決め、意志の疎通に限りない言語を費やす。エレベーターにも話しかけられ、さまざまな機械も自分の主張を述べる。

 週末になる。ただ、気の置けない友人と飲むだけのはずだったのだ。財布はこの月の後半だけは潤っているのだ。この楽しさを誰かに分けたい。酒をおごる。自分の意図より周囲にひろまってしまう。「ババアにはおごったつもりもない」と言いだす。卵が先なのか。オレは失礼と不平等の国の住人だったのか。

 次の店に移る。反省はない。さらに加速させる。誰を味方にするか、その判断もできない。結果、一先ずすべてを敵に回しておく。酒を勝手におごる。優しさというものにずっと抵抗しようと思う。その甲斐もなく初対面のひとに改札まで送られている。手を振られている。すべて、後から聞いた話をうまく編集しているだけなのだ。

 悪童でいようと思う。決意ではない。優しさにほだされる。自分は、これでも許されるのだと思っている。迷惑という観念と、友情や愛を同列に、あるいは同じ袋に入れようとしていた。あながち間違いでもない。友情は相手のために自分の時間を割くこと。迷惑と定義すれば、そうも化けるのだ。どこに中心を置くのかだけが問題で、そのシーソーの片側で、きょうもぼくは揺れる。

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2014年08月25日 | 悪童の書
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 スタンドの斜面を利用してぼくらはスカートの中味を見ている。この段差が有効なのだ。五合目から日の出を見る。御来光。ぼくらは、陸上の選手という仮面をかぶっている。いや、いままでも、これからもぼくの受け取る真実は、走るという行為から教えられ、勝ち取ったものだけなのだ。

 ほんとうは見たくないのだ。昆虫が花の蜜を吸わなければ我慢できないように、ぼくの視線と脳の間に交わされたプログラミングに操られているに過ぎないのだ。ぼくに意志もない。常に、苦し紛れの言い訳というのは、華々しく、香ばしい。

 女性たちは無防備だった。その服装も無防備を助長していた。閉じる、ための機能ではなく、広がる、というのを基本のスタイルにしていた。

 ぼくは走者だ。その証拠にリレーの第四走者として走る準備をしている。ウォーミング・アップも済み、号砲が鳴る。それはぼくを動かすきっかけではない。三人も前の、四十五秒ぐらい前の同級生のための音。ぼく自身の合図は、もうしばらく待たなければいけない。ぞろぞろという表現では遅過ぎる。勇者たちのそれぞれのバトンは手の平から手の平へと確実に渡り、分業の作業が遂行される。連動の美しさ。

 だが、いくら待っても来ない。待ちびと。ぼくはグラウンドでひとり取り残される。なにが、あったのだ?

 孤独というものの本質を、言いかえればあるべき姿を、全員が走り去ったグラウンドでぼくはぽつんとひとりたたずみ味わい、理解したのだ。早く、隠れなければならない。スカートのしたの暖かな世界へ。

 理由はあとになれば簡単だ。スタートの選手が足をつったかどうかで、走ることができなくなった。彼はぼくらのチームのために何度も頑張ってくれた。反対に最後の走者は各校のもっとも速い選手が準備されている。ぼくは何度も追い抜かれる。チームを構成した彼らに随分と迷惑をかけていた。一度ぐらいの失敗を懇々と追及するほど、ぼくは自信がついていなかった。

 スポーツなど一位にならないからこそ、貴く、かつ賢い逃げ道を考えさせるのだ。

 中央線の遠い場所。新宿まで戻っても、さらに地元の町は遠かった。

 ぼくは趣味としてスカートなど好きではないのだ。根本的に。女性はパンツ姿に限る。だが、ぼくの視線は勝手にピントを合わせてしまう。数点の場所に、ズームが寄る。胸の谷間。スカートの奥底。お尻のライン。

 ときに、年齢を度外視して、見誤ってしまう欠点もあった。あっと驚いたときには、もう遅い。ぼくの視力よ、呪われよ! 末代まで呪われよ!

 あそこに何があったのだろう。ぼくらはなぜ、あの暗闇を、あのトンネルを探求することを望んだのだろう。

 そして、ときには難しく、ときには簡単にぼくの盗撮器は合法に侵入の試みを許された。

 なんだ、がっかり、ということも稀で、最終走者は見事、バトンをそこに落とした。

 あの女性たちもバトンの受け渡しが好きだったのだ。遠い場所に出向かなくても。前の走者の失態を待ち侘びることもなく。

 見るで、完結ではない。リレーの選手も家に帰り、風呂に浸かり、走らなかった疲れをとり、母の手料理を食べる。

 時間はバトンなんかの受け渡しに依存することなく勝手に流れてしまう。しつこいが見るというものがゴールラインで胸で切る最後の地点ではない。目があり、手があり、なんだかんだ。

 ぼくはある女性と会話をしている。終わった関係の女性への対処が求められることなどぼくは知らなかった。陸上選手のころなど特に。彼女は短いスカートを履いている。横から、その足の大部分が見えている。

「油断すると、ほら、スカート、めくれちゃうよ。見えちゃうよ!」
「もっと、中も、見たことあるくせに」

 ぼくは、我が耳を疑う。美しく、かつ軽やかなシンフォニーを聴くために取り付けられた耳なのに。せっかくの。だが、こんな恐れるべき下品なひとことを聞かなければならない。アランフェス協奏曲のすばらしさも知っている耳なのに。無闇に叱責できない。過去というものをある日、ふたりは作ったのだ。だが、陸上選手の段差の答えはここで得られる。その走力をただ逃げるために使いたい。無心に。あるいは絶叫して、この場を去りたかった。行き場所は、あのスタンドなのだろうか。ぼくらには犯罪という感覚もない。欲求の捌け口という缶のフタを開けてしまった。

 ぼくの耳はあるいはスタートの合図を聞くためだけに備わっていたのか。誰がスタートを決めるのだ。目覚まし時計だけが許されている唯一の恩恵なのか。

 ぼくの視線はきょうもプログラミングに従う。部品が古くなっても交換もきかない。目の焦点も甘く、反射神経も段々と摩耗する。だが、大元の装置はきょうもきっちりと運行しているようだ。ぼくはピノキオで、おじいさんは意図せずに、ぼくに真理を組み込んでしまった。それで、段差を利用していた。もうあの日々は帰ってこない。山手線だと思っていたのは別の路線だったのかもしれない。その行き先も当然のこと悪いだけでもなかった。見知らぬ、という一点だけを考慮の部屋に入れるだけでも。見知らぬ中味。

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悪童の書 p

2014年08月24日 | 悪童の書
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 天才というのはレンブラントとゴッホのふたりだけという仮説を立て、その立証に力を注ぐ。

 なぜ、ふたりを天才と認定しなければならないのか。彼らがいなければ、いた未来より少ない幸福しかもたらさないからか。すると、クレジット・カードというものを作ったり、郵便というもので世界に手紙をとどける仕組みを考えて実行したり、あるいは指紋認証などというシステムを発明したひとたちの方がより天才という名に値するのだろうか。

 ならば、アップルという企業の有名なひげを生やした故人が、いちばんの天才なのだろうか。もし、あの道具たちが机のうえの一角や手のひらになかったら。

 ぼくにとっては、どれもみな、しっくりとこない。

 下町の人間の表現。
「くその役にも立たない」

 ふたりの画家が、まさにこの表現に合致するからふさわしく、貴いのだろうか。

 天才とは何なのか? ある一種類の技能に秀でたひとなのか。万能の天才、という言葉もあった。思い浮かぶのはレオナルド・ダ・ヴィンチ。彼を凡人という役柄に抑え込むほど、ぼくは愚かではない。

 複雑なものが、より簡素になる。

 では、天才というのはそもそも必要なのか? なぜ、あこがれを抱くように人々は作られているのか。仮定には答えがはっきりと明示されることも要求されないのか。

 みなが楽しむ遊園地とそのキャラクターを生み出したひとこそ天才なのか。天才というのは軽々しく口に出してもよい言葉なのか。

 段々と狭めていく。頭のなかにアイデアが先ず浮かぶ。それを実現化することになる。ノウハウと技術と経験が前段階にある。では、訓練の賜物が天才にと通じるのだろうか。それは、職人に過ぎない。同じものをコピーしつづける能力ともまた違う。もっと、開花の期間の短いものを望んでいる。そして、線香花火の終幕のようにぽとりと落ちる。その時点で名声とか、預金額の残高で評価を曇らせてはならない。その落ちた炎は永続性をもつのだ。

 するとシステムの更新を要求するもの、新しいアトラクションを創造することは、天才と相容れない。もう既に終了とともに完成していなければならない。完成にはその後の発展も加味されない。努力の余地や、ある種の余力ものこされない。完全燃焼がお似合いだ。麦畑のもとでの銃声が引き裂くような、圧倒的なまでのエンディング。

 自分の内面の絶対的な誇らしさを汚すことは誰にもできない。いや、誰も眠る誇りを見抜いていないのだ。あそこに絶対に通じる扉があった。永遠性を忍ばせる秘薬があった。

 多くの笑顔を手にする。幸福な気持ちにさせる。その場を提供する。このひとをどう表現したらよいのだろうか。経営者とも違う。エンターティナーとも、芸人とも違う。毎年、通いたくなるような場所。ぼくらは、毎年、オランダに行ってふたりの画家の作品を堪能するほど余裕もないし、切羽つまってもいない。

 オルセーにいる。外は雨だった。肌寒い。

 画家たちの一室がある。商売の材料にならなかった(存命中と、その後しばらくに限定。輸入や輸出に長けていたオランダ人の伝統を受け継がない)絵の群れが、きちんと部屋を確保していた。壁一面に。自画像。世界をその目で見て、その指で描き、その耳を切り落とす。その世界は生きている間、彼を無視した。麦畑にひそむいっぴきの昆虫ぐらいの価値しか与えずに。

 でも、時間を生き延びた芸術作品は、雨の心配もせずに空調の効いた部屋に陣取っている。

 片や、目の原則。基本中の基本。両目は絡み合ってものを立体化させる。その自然に備わっている仕組みがある画家にはないと言われている。

 しかし、描かれた絵は、光の効果にもよっていっそう立体的に思える。

 ぼくの両目は大人になるまで視力が偏っていた。そのことで絵が好きになったのか分からない。現実は、立体であり、生身であり、潤いで、匂いである。絵も、本も平面で、乾燥で、無機質で、より生々しさも表現できる。

 レンブラントの、この小さなハンディ・キャップこそ天才へと導いたのだろうか。より先鋭化させるため、より才能をある一点に絞るように。虫メガネで光を一点に集めるように。

 これも、美化と誤解の狭間なのだ。サングラスの音楽家や作曲家のトリックのように。

 天才とは詐欺師とも呼べるのか。ぼくは自分が誰かを騙した機会を探る。騙すというのは最終的に利益がともないそうだ。あるいは損失や損害の免除。これも、どちらかといえば自分の利益である。ぼく自身がこういう欲求がないため、判断できない。

 ゴッホとレンブラントが、自分を大きく見せていることなど想像できない。

 しかし、同時代には無名の同じようなふたりが無数にいたのだろう。永続につながるものは何なのだろう。誰かが発掘したからなのか。弟の援助の力なのか。画材にこそ、永続するべき秘密が含まれていたのだろうか。

 子どもと手をつなぐ。休日にはどこかに出かけなければならない。教育も施さなければならない。ある親のひとことが美術館のなかで、ぼくの耳に入る。

「こういう絵のことを知っておくと、面接のときに役立つかもしれないから」

 それでも、退屈さを隠せない子ども。やはり、夢の国につれていくべきなのだろう。楽しみ方を手のひらの端末で確認し、電車の運行や乗り換えも同じもので調べる。耳のついた帽子を無邪気にかぶる。京葉線に乗り遊び疲れて眠る。新たに付け加えられたキャラクターを生み出す企業にも黒のタートルネックの故人は関与していた。知らなかった。迂闊だった。天才とは、大衆に楽しみを与えること。ぼくは論理の展開に失敗する。敢えて、失敗したかったのだとも思う。


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悪童の書 o

2014年08月23日 | 悪童の書
o

 むかしの父親というのは何だか恐かったものである。

 プラスチックというのは劣化する。冬場はとくに固くなっている。

 友人の家で遊んでいた。裏庭のようなほんの小さな一角にゴミ用の大きなポリバケツを利用して魚が飼われていた。横からは透明度がないので見えない。上の水草をもちあげ、魚影を見つける。背中と呼ぶのか、後ろ姿と呼ぶのか背びれ側を見ている。こころを奪われていた所為か、ぼくか友人のどちらかのひざが軽くバケツに触れてしまった。もちろん、悪意もまったくない。ちょっと当たったぐらいの感覚だろう。感触もぼくにはないのだから、友人の足かもしれない。だが、やはり、ぼくのひざがいつもおとなしい魚の住処にとって狂気に変貌したのかもしれない。正解としては、丁度、こわれるタイミングと合致してしまっただけだろう。バケツは裂け目を見つけ、そこからちょろちょろと水がこぼれはじめる。そして、父親が参上する。

 ぼくらの振る舞いの是非も知らないのに、怒れる首輪を放たれた彼は、
「こうしないとこわれないんだよ!」

 と、半ば絶叫しながらバケツを足の裏で粉々にする。大人になった自分の視点から彼の行動を判断すれば、そもそも子どもの遊ぶ甲高い声が耳に響いて腹立たしかったのかもしれず、また、会社でおもしろくないことがあったのかもしれない。ぼくらはノアと反対に水がなくなることを見守るしかない。その後、どう解決されたか、魚の行く末はどうなったか、まったく覚えていない。ただ、しばらく経って友人と遊ぶときに、ぼくは彼の父の行動をふざけてマネした。レオンという映画のなかの狂える捜査官のように。

 理不尽も許されていた。学校の教師にもしばしば横頬を叩かれた。

 母親たちも、悪かったら、どんどん叩いてください! と、人質の人権を無視してよく言っていた。アムネスティなど知らない子どもたちなのに。

 暴力などまったくない世界を想像することすら困難になる。だが、どうあっても弱い立場に手を上げることは許されてはならない。強いものに挑むときのために行使するのだ。

 ある会話の再現。

「恋人とか妻とか、なぐったときある? そういう奴、たまに、いるよね…」
「あの行為の最中に、ケツを叩くのは別ですよね?」

 全世界の女性たちに謝らなければならない。まじめな質問をした自分のことを、どこかに埋葬しなければならない。趣味の問題ではなく、生き方を問おうとしたのに、結果がこれだ。

 自分が誰かを理由があって、あるいは理由もなくて殴ったことの方が、同じ理由で殴られたことより少ないようだ。収支が合えばいちばんよいのだろうが、0回対0回ならば、スポーツとして最もおもしろくない試合になってしまう。記憶にものこらない。生きている証しというのは記憶だけなのだ。多少の身体についた傷も、思い出のサンプル品になり得る。もちろん、程度による。後遺症になるほどまでに行われるのは決してよくない。

 怒りの沸点はひとそれぞれだ。どうやって解決させ、自分自身の怒りを鎮め、納得させるのかも、ひとそれぞれだった。あの友人の父の気分はおさまったのかもしれない。ぼくらには数時間、動揺がある。謝るということも正しくない。

「バケツ、割って、すいません」

 なんと理不尽な世界なのだろう。結局、謝りもしない。ぼくは家に帰ればいいだけで、友人がその後、軒下にぶら下げられて鞭打たれようが、ぼくになす術もない。ビリー・ホリディが歌ってくれるよう望むしかない。

 そんな自分も同様な父が家にいるのだ。スポーツでもそこそこの成績をあげ、学力も自慢できるほどになったが、ついに彼にも、同じく母からも誉め言葉を受け取らなかった。ある日、大人になり、よその家で食事に招かれている最中に、自分の子どものことを誉めるということがこの地球にあることを知り、心底、驚く結果につながる。でも、どこかでうらやましいと思いながらも、本心ではないようにも感じられる。鉄を熱して叩き、水で冷やし、また熱し、という繰り返しの工程をした方が、のちのち自分の身になった。手加減を間に入れてしまえば、完成品としては無様なものだろう。ぼくは程度の話が分からない。どちらかという問題にしてしまっている。白か、黒。

 彼らも負けた戦争の最中に生まれ、ドタバタしたなかで大人になったのだ。完全なる方法論も教育されず、親になったのだ。その子どもに責められ、こうして指摘されること自体、間違っており、当然、不本意でもあるだろう。

 ぼくは理不尽に馴れようとする。魚だって、そもそもポリバケツのなかで暮らすよう産み落とされていない。きれいな水槽ならまだましだ。

 最終的にぼくは福島のいわきの立派な水族館の水槽のなかにいるアロワナの前に立つ自分を発見する。同じ仕打ちが待ち受ける。暴虐的な津波の前で水槽も何もかもが破壊される。あの父親は正しかったのだ。ぼくのために、預言者の役割を全うしていただけだったのだ。彼は、あのポリバケツを蹴り壊すことによって、ぼくに訪れる未来を、避けられない破壊を教えようとしていたのだ。

 ぼくは悲しむ。なにを悲しんでいるのか、よく分からないながらも。謝りに行きたいと思う。誰に謝るかも分からない。友人に尻を叩かれた女性のもとへとか。暴力は喜びの源泉にもなるのだろうか。


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悪童の書 n

2014年08月22日 | 悪童の書
n

 夏休みの直前に学校を休む。小学生の最終学年か、その前ぐらいの年だ。六回しかなかった夏休み目前の解放感の記憶のひとつ。その前になぜだか学校を休んでしまっている自分。体力しか、つきつめれば自慢できるようなものはないはずなのに。そのほんの短い間に友だちたちに何が起こったのか? 事件の闇を暴くのは誰なのか?

 彼らはぼくにプレゼントを差し出す。休み明けの、長い休み前に。よかれと思って。

 ぼくは数ページの紙の束を見る。まさか、夏休みの宿題のドリルの解答のすべてが手に入る幸運なども知らずに。

 だが、簡単に受け取ってしまったとはいえ、ぼくは嬉しさが殺がれている。こんなことがあってはいけないのだ。実力以上の自分を世間にアピールしてはいけないのだ。でも、このまま返却とか、先生に告げ口するという選択もぼくにはない。ただカバンに仕舞い、学校の教室を去る。何はともあれ、明日からは夏休みなのだ。

 適当に答えを当てはめ、適当に間違える。こちらの作為でどうにでもなるのだ。間違いも正解も自由自在。ぼくは四十日間だけ小さな全能者となる。

 大人になる。解答なんか与えられず、そもそも回答なんてひとつとは限らないのだ。近似値に可能なまでに膨らませたものを期限内に納めるというシーソーの片方のはじで落ちずに居残れれば大正解だった。もう片方には発注者や上司が乗っていた。どちらかはひやひやして、どちらかは安心して。或いは、どちらもひやひやしながら。

 でも、宿題のドリルはひとつだけで、他にもしなければならないことはあったように思う。絵を描いたり、毎日の天気をどこかに記したり。気象庁でもないのに。そして、総じて印象というものは、夏休みの宿題に苦しめられたとしか記憶されない。あれをもう一度するぐらいなら退屈な仕事をして、満員電車で汗まみれになったほうがましだった。

 聖なるものへのあこがれ。俗なるものへの誘惑。

 聖なるものへの誘惑という言葉はふさわしくない。誘惑というのは、どこかで下降がともなっている。ぼくの正直さは廃棄され、代わりに「ずるさ」という札をもらった。その札を御守りのように肌身離さず身につける。

 いや、それほど深く考える問題ではないのだ。ただ、ラッキーだったのだ。ぼくは手を汚してもいない。いつのまにか口座に数字が増えていただけなのだ。そこには税金すらかからない。

 実力で満点を取るという努力とその後の喜びも同時に奪われる。喜びというのは、その前の工程が大事なのだ。歓喜は一瞬のものだが、あの辛い汗と涙が混じった結果としての小さな褒美であり、勲章だった。だが、いくらかの割合で楽になったのも本当のことだった。それで、学力が大幅に劣ったとは思えない。概ね、同じ上空にただようものなのだ。自分なんて。

 その当時の小学生はみな夏になると黒かった。そのなかでもぼくは上位だった。自慢にしたこともない。ただ、外で遊んでいたに過ぎない。目の前にはゲームも少なく、我を忘れさせるようなマンガもたくさんない。たまに上野でカンフー映画を見た。タルコフスキーも、ウディ・アレンの洒脱さも知らない頃だ。もちろん、上野以外の都会を縦横に歩くことも。

 その後、同じ友人たちの間で廻るものも変わっていく。異性の身体に興味を示すことになる。紙が映像になり、あるときは文字になった。音だけというのもあった。部屋で小さなラジカセにつなげたヘッドホンでそれを聞く。ジミ・ヘンドリックスもエリック・クラプトンもまだぼくの前にはあらわれていない。

 ある日、教室にいて、「女体の神秘」という文字を黒板にチョークで落書きし、担任の女性教師にこっぴどく叱られた。それは、冒涜に値するそうだ。

 月に一度の女性の道具を、カバンの内側の持ち手の裏あたりにシールを剥がして、貼り付けた。このときも呼び出されて叱られた。当然のことだ。なぜ、あんなことをしなければいけなかったのだろう。やはり、汗を流しながら夏休みに勉強をしなかった所為であろうか。

 俗なるものへのあこがれ。憧憬。

 夏休みの宿題の解答集より光沢のある紙は、隠し場所が必要になる。女性には性欲がないとかたく信じ、議論したり、友人たちと審議もした。みな、むなしい時間である。取り返すことのできないひとときでもある。こんなことを繰り返しながら、大人になる。やはり何度もいうが正解はひとつではない。

 宿題の詐欺は見つからない。異性の身体は、ときに見つかる。男三人兄弟がそれらに使った費用は、馬鹿にならないだろう。あれも真実であり、また異論もないだろうが同時に幻である。

 聖も俗もなく、また両方が混在し、回答らしきものを自分で提出し、自分自身が採点する。満足もあれば、不満もある。ゴールもあれば、オウン・ゴールもある。あんなに長い夏休みだけはもうない。だが、いつかそう遠くない日にいくら行きたくても、所属を許してくれる会社もなくなるのだ。学生ももう一度できない。成長するという過程よりも、緩やかな降下に入ってしまう。日焼けの後遺症はいまごろになってでてくる。資本となってくれた勉強の時間も、またできるかもしれない。だが、賢くなっても達成すべきものは、もう過去にしかない。名声も、比較も、順位もない地点にぼくは向かう。もちろん、解答集を渡してくれるような優しい、共同体としての友人ももういない。


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悪童の書 m

2014年08月21日 | 悪童の書
m

 エキストラのバイトをする。多分、十七か八ぐらいだろう。

 片岡鶴太郎さんがまぎれもなく素晴らしい芸人だったころ。

 すすんでその他大勢になり、わずかばかりのバイト代を手にする。末端にいながらも役得として有名なひとの顔をちらっと見るが、拘束時間がやたらと長かった。楽しみというものをもちこむのもむずかしい。主体的になにかアクションを起こす立場でもない。ひたすら、ゴドーを待つ。当面の役割もなく、やっと待ちに待った昼の休憩になる。支給された弁当を抱え、外でも食べられそうな公園のベンチを見つける。

 何人か同じようなバイトがいた。数回、目にしたこともある女性がいる。

「ひとりで、食べてるんだ」とふたり組の片方の女性が訊いた。見れば分かることを敢えて訊く、ということが人間社会に対しての好意の第一歩である。誰も、洞窟でひとりで暮らせない。

 彼女の姿はぼくのこころに響く。彼女も近づいて声をかけるぐらいだから、不愉快とは思っていないだろう。たまに、そこに居るだけで不愉快な気持ちをもよおさせるひともいる。経験を通じた真実の開示というのは辛いものである。

「うん。もう食べ終わったの?」
 だが、会話は数語で終わる。また、じっと待つ。

 彼女の特徴を文字で具体的に述べることにする。このような時代に、写真でもなく映像でもなく文字であらわすことに意味があるのだろうか。さらに、ぼくは一瞬だけでも彼女がテレビの映像として流れている姿を見かけてもよいはずなのに、その記憶も皆無だ。その他大勢の悲劇。

 彼女の容貌は、大陸的という表現に似つかわしいように思う。アジアのどこかの奥で、少数民族のもっとも美人とうわさされてもよさそうだった。もしくは台湾のどこかの奥地で。

 ぼくはいまという観点から見ている。もっとシャイさを早めに我がこころから退出させ、異性から見て魅力的な態度を習得していれば、この数語で話題を尽きさせることもなくデートぐらいに誘うこともできたのかもしれない。しかし、この時点でぼくは失恋後の自分という防護服を自分に着させていた。

 未練たっぷりだった自分は過去にばかり目を向け、未来に待ち受けている新鮮な幸福を拒んだ。もちろん、そのことを彼女は知らない。知っていても、応じてくれたかもしれないと勝手に想像するのは、範疇の外であることももちろん知っている。

 ぼくはその生産性のなさに飽きて直ぐにバイトを辞めてしまった。そして、関係も生まないまま立ち消えになった幸福の煙をぼくはいまこうして吸い込んでいる。やはり香ばしい。

 しかし、一歩足を出していれば、彼女は前の傷など簡単に忘れさせてしまうぐらい魅力的だったし、官能的だったかもしれない。ぼくは事実と空想を天秤にかけ、空想のほうが余っ程、楽しい媒体であることをとっくに気付いていた。また手にしなかった可能性をあれこれ彩色するのも楽しいことであった。

 失恋というのは自分の魅力への信頼を軽減させられてしまうことなのか。なぜ、戻らない過去にあのような強引な力で引き寄せられてしまうのだろう。ぼくにあの経験がなく、率直にそのまま、幸せの予感を受け入れていたら、もっと深いところで彼女の魅力を知っていたかもしれない。もちろん、耐えられないぐらいにイヤなやつということも可能性として否定しきれない。しかし、振り回されるのを恐れる十七、八がいるだろうか。ぼくはアジアの原石のような彼女を思い出す。せっかく言葉も通じたのに。

 バイトがおそくなると、タクシーで乗り合わせて帰ることになった。世の中というのを景気だけで判断すれば、ぼくの十代は恵まれていた。だが、ぼく自身が半端な仕事ばっかりしていたため、恩恵は遠かった。若さの疑問もある。世の中の大切なことを金銭で計ることを躊躇してしまう。その分、両親は信仰のように疑うこともなく働いている。

 このようにかなり長い時間が経っても覚えているぐらいだから、彼女の姿や容貌はぼくの潜在的な主旨や意図と根本的に合致しているのだろう。しかし、なにも始めない代わりに、なにも終わらないという起伏のない安心感だけがある。ぼくは起伏や気持ちの高低がこわかった。それを差し出し、どこかで勝手に失った。奪われでもしたら楽しいものだろう。前後も考えずに、髪を振り乱してぼくはなにかに挑んだことがあるのだろうか。対象としてひとつもない。主役ではない。いつも傍観者であり、端役であった。観察だけが上手になった。

 付き合うことに踏み切らないということはあのときの姿をそのまま保存させることである。真空状態で。思い出の代わりに、一枚の無菌のピンナップが脳に置かれる。好かれることもなければ、嫌われることも憎まれることもない。ぼくはたくさんの法則を信じ、たくさんの主義を疎んじた。実際に行動に移すひとには、主義も法則もない。ただ、もぐらが自分の頭部で穴を掘り進めるような本能が究極の実行を司るプログラムである。

 ぼくはその本能が薄いらしく、後日、文字でその姿を再現するということを別の本能で信奉していた。くすぐることも笑わすこともできない。少しぐらい、傾いていてもよかったかもしれない。

 こうして自分以外になれないことを知る。俳優という職業は誰か別のひとの人生を短時間ながら生きることになる。この短い人生でそうすることは、ただもったいないなと感じてしまう。このぼくという矮小で、優れた存在にならなかった人間だとしても。

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悪童の書 l

2014年08月20日 | 悪童の書
l

 優しさという概念がどうも理解できない。

 虫歯をつくるほど子どもに甘いものを与えつづけ、中毒、もしくは惑溺して、結果、歯医者でドリルの痛みを受容することの一連の過程が優しさの定義だろうか。

 そのことを絶対にさせないために、子どもに甘いものを一切、与えないことが一時的には辛くても優しさの本質を意味しているのだろうか。

 子どもは大人になり渇望の幼少時代という物語をひねりだすようになるかもしれない。
 程度の問題でもありそうだ。

 優しさへの理解のひもを引き寄せる。綱引きで負けないぐらいの勢いで。

 手っ取り早く、ぼく自身に優しさを示されたことを思いだすことにする。これなら、簡単そうだ。

 多分だが、ある町でCDを買ったのだと思う。むかしの長いパックに入った輸入盤だ。LPではなかったように思う。それを無造作に電車の網棚にのせ、ぼくは手にある本を読む。山手線の車窓から見る景色は晴れている。

 吊革につかまっているひともちらほらといる。ある男性が通勤カバンを網棚にのせる。ぼくのCDのうえに何かの弾みなのか、あるいは、気を配らないことを信条にしているためかの理由で、たまたまのってしまったらしく、無頓着なのか、はたまた意図的か彼はそのことにまったく気付かない。ぼくはとがめるほど大して気にもとめていなかった。簡易でもケースに入っているぐらいだから簡単には割れたりしないだろう。

 しかし、横にいた別の男性が声を出す。

「それCDだから、上に荷物のせるのまずいですよ」

「あ、そう、ごめん」というようなことを会社員は言う。ぼくは誰に感謝を述べればいいのだ。ぼくという存在が抜きに物語は進行してしまっている。

 優しさをためらわない彼は音楽を愛していて、不作法を許せない性質だったのだろうか。優しさはにこやかな表情をともなってこそ相乗効果となり、親切は倍増されるのではないのか。彼は不機嫌な様子でそう言った。ぼくの品物はこうして彼のひとことにより破損もなく守られた。

 のちのち、優しさの代名詞としてこの瞬間を殿堂入りさせる。

 車内での義務としての沈黙。

「あ、いたっ!」

 という声がする。おばさんが網棚に荷物をのせようとして、反対に下ろそうとして誰かの頭のうえに落とす。悪気はまったくない。沈黙が破られ、みんなの視線がそちらに向く。あわれというのはああいうことを指すのだろうか。おじさんの頭には防御するものがない。直に触れる。かわいそうだが、なぜだか、失笑したくなる雰囲気があった。ぼくは、ああならないだろう。きっとだが。

 話を戻す。では、自分がした優しさの最上の行為はどこにあったのだろう。ぼく自身がこの地上に生まれたことだろうか。ぼくはそれほど肯定的にもなれない。

 犬を散歩させている。途中の道でガラスの破片が散乱していた。ひとりと一匹は避けて歩く。散歩を終える。足の裏も無事だ。彼は用と責務を果たした。毎日の出金を通帳にも記帳した。ぼくはそれを拾った。

 犬を家に入れ、水でも飲んでいる頃だろう。ぼくはほうきとチリ取りを手にして、別の犬のためにガラスを集める。優しさというのは報いのない無料の行いであり、代償を手にするべきではないのだ。

 ひとは代償で動く。時間と能力を切り売りして、いくばくかの金銭を手にする。詐欺も騙すこともしたくない。なるべくなら受け取った以上のものを提供したい。これは性分とプライドだ。

 CDやコンサートの妥当な値段というのを慣習をなくして考えればどれぐらいなのだろう。機材を買うだけでも相当の費用がかかる。プラスチックを製造するには、どこかのオイルを必要とするのだろう。土中や海中から発掘する。こう考えると自分は音楽を聴く資格がないということに結論は至る。いつもながらの極論に達する。

 エビデンスを求める社会。証拠の提供を促すソサエティー。

 髪の毛、一本自力で生やすことができない。優しさというのは見て見ぬふりをすることなのか。はっきりと指摘することなのだろうか。例えば、襟が曲がったままのスーツを着ているひと。反対に優しさとは滑稽な自分の姿を大衆と同時に笑ってしまえる律義さだろうか。たとえ、悲鳴があがるほど落下したものの痛みが大きかったとしても。

 そうすると優しさというのは対人的な関係性でしか生じないという結論に至る。これがそもそも面倒だという性分もある。誰かの腹を借りて、およそ一年近くも栄養を摂取した自分。それから、数年間も自分で計画も立てず、与えられたものをただ受け取るしか能のない身分。ある日、電車に乗っている。お気に入りの音楽を手に入れた。破損を心配してくれる見知らぬひともいる。やはり、同じ程度かわずかばかり上回るぐらいの優しさを自分も発揮するしかないようだ。

 ベビーカーを階段の上で持ち上げ、下ろそうとしているひとがいた。ぼくは片方をもつ。これは悪童の記録だったはずなのに。彼女はぼくが優しさをもっているか瞬時に判断しなければならない。これは賭けなのだ。疑いや怪訝は彼女も捨てなければならない。ぼくは善意をしてしまった自分が悔しく、恥ずかしそうに逃げる。優しさとはぼくがこの世にいることなのか。そのぐらいの厚かましさを有していないと、逆に生きることも厳しい世界なのだろうか。


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悪童の書 k

2014年08月19日 | 悪童の書
k

 兄が提案する。このビーチ・ボールを彼女らに当てようと。

 ぼくはいたいけな十才ぐらいの男の子。兄もまだ小学生かもしれない。もしくは次の義務教育の段階のはじめあたり。場所は横浜にあったプール。親戚のおばさんの家に遊びにいったときの話だ。

 彼女たちというのは十五、六才ぐらいのこの地球にまだ確固たる地位を築いていない数人の少女たちだった。そして、兄の提案は功を奏しぼくらはその後の時間、楽しく遊ぶことになった。ぶつけたり、ぶつけられたり。そうされても痛くもないやわらかなクッションの利いたボールを。

 ここに兄の今後の萌芽があり、弟のような存在として軽くなぶられる自分を発見する。

 立場の違い。

 ぼくは小学生のときに将棋クラブというところに入る。授業の一環として。計画だって、先々を読んでというのがいたって苦手なので上手でもないし上達の余地もない。ただ、学校にいるわずかな時間を、なるべくなら努力という範疇にいないということだけを無意識に念頭に置いているための選択だった。王手もない。

 数才年下の子たちとも自然と仲良くなる。関係性を有効にするには、お兄さん的な立場のひとをからかえるかどうかの才能にかかっているともいえる。とくにぼくらの地域は。できる子が数人いる。ぼくはからかわれる。そのことを楽しむ。

 数年後に時間をスライドさせる。

 ぼくは中学生の最終学年で腕白ざかり。まだ小学生を引きずっている過去の少年たちが慣れない制服に身をつつみ登校する。そして、ぼくを発見する。あのときのままの慣れ親しんだ状態を忘れていないで。無心にふところにとびこんでくる。だが、数日も経つと様子が違っていることも彼らは認識しだす。ぼくは、もうあのときの気さくさを売り物にしている人間ではなかったのだ。一線をひける地位を確立しだした。その狭間にいる年(栄光の年代の中二)の後輩たちからはきちんと権威を帯びた視線と挨拶を勝ち得ている。制服が親しみだす頃にはこの男の子たちもぼくとの間柄を認識する。ぼくは敬意を得て、無邪気な交遊を失う。まあ、一切、後悔もしていないのだが。

 ところで、なぜ、兄はあの楽しさを勘付いていたのだろう?

 ぼくは敬意などもらうことに喜びも感じてはいなかった。正直にいえば。ただ、自分は弟のような存在として強いものたちに挑みたかった。マンガの「キャプテン」のような弱小という甘美な貴さで。接待されるという立場も魅力ではなく、賄賂をおそるおそる差し出される側でもなく。結果、収賄というもののありがたみを今でも知らない。

 このときもそうだが、兄はその後、恵まれた体格を有することになった。自分の両親に似ず。ぼくは遺伝子というものを信じることもつかみきることも懸命にためらう。彼は、家の間取りの尺度で使用する「一間」という単位ぐらいに身長が伸びた。朝、寝起きには頭が桟にぶつかりそうになっている。夕方はちょっと離れるそうである。

 体格も似ていなければ、内なる性質もぼくらは似ていない。提案型と、模索型。チャレンジ精神と、拘泥するタイプ。でも、潜在的には同じものを受容しているのだろう。

 弟の面と兄の面を社会で出せるようにならなければならない。先輩や上司に可愛がられること。反対に面倒見のよいこと。みんなどこで訓練するのだろう。小さな町での小さな敬意など、誰も履歴として認めない。正当なる資格ではないのだ。額に入れて飾ることもできない。

 記憶という不確かなものを捉えようとする。あの夏の日のプールの情景は覚えているが、もちろん、彼女たちの顔のひとつひとつを思い出すのは不可能だ。彼女たちの特徴や長所は若いということですべてであり、あの輝ける一日の数時間をぼくたちに手渡してくれたのだ。感謝しなければならない。

 大人になる過程で、それなりの役割や地位を手に入れる。その大まかな名称で呼ばれる場合もある。先生、大家さん、課長、すいません、ちょっと。水着をきた少女たちの役割は、ほとんどないようにも思える。十代の中盤というだけで。ある役割を押しつけられ、まっとうするように勤勉になりはじめると、ぼくらは老いていくようにも思える。日焼けをおそれ、もし、ボールをぶつけでもしたら失礼にあたる。菓子折をもってお詫びに行かなければいけない。若さは無防備であるから美しいのだろう。跳ね返す力が有り、肩書きもいらない。

 彼女たちもいずれ誰々くんのママと呼ばれるのだろうか。プールに子どもを連れていき、気になりだしたウエストを覆うような水着をきている。肩には大きめのタオルを羽織っている。子どもは足首ぐらいまでの水さえも恐れている。彼女は若き日に空想をもどす。見知らぬ男の子たちからビーチ・ボールをぶつけられたっけ。ある日、自分の息子もするようになる。時間も経てば、成り行き上、相手のお腹は大きくなる。妥当な順番を間違えたり、早まったりして。相手の両親にお詫びに行く。菓子折どころでもないような気もする。なにを手にぶら下げるのが最善なのだろう。だが、いまは絶対におぼれない地点であそんでいる。恐れる必要はない。

 ぼくは当然、空想に頼っているだけで彼女らが実在したことも証明できない。だが、この日の兄をはっきりと思いだすことができる。なんだかんだ、時間を多く接してきたのだから。接するということには愛着もあれば、嫌悪も生じさせる。そのうち、どちらもなくなる。別々の屋根があるだけだ。親から受け継いだものはおそらく同じであるという仮定のもとで。彼には兄という役割からの解放があり、ぼくも弟という立場を抹消させた。また、誰かの葬儀にでもいけば(めでたいことも等しく)その衣装を自分にあてがうかもしれない。みんな、そうして生きているのだろう。そのときには、ビーチ・ボールの空気はきっと抜けているのだろう。


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悪童の書 j

2014年08月18日 | 悪童の書
j

 記憶をなくすことしか念頭になかった。手っ取り早くはアルコールの効用をつかって。血管に流れるのは、安手の液体。品評会などに出展されることもない日々の味付け。

 ある時まではメモなど必要もなく、頭脳のまっさらな象徴的な白いノートにがむしゃらに肉筆で書き込んでいった。余白がなくなったのか、ノートを使い果たして新しいものを購入できないからなのか、もう不可能になってしまった。記憶をなくすことをひたすら望み、反面、記憶できない事実を切迫しながら拒んだ。

 スーパーにいる。自分の家の冷蔵庫のなかの飲み物のパックの残量すら不確かになっている。まだあるのか、もうないのか? そもそも買おうと思いながら忘れることもある。メモなどいらなかった時代がなつかしい。そして、酔って眠ってしまった脳の状態で買い物をしている。翌朝、レシートを見ると、きれいに小銭を合わせておつりをもらっている自分がいて、なんだかうっとりとする。三つ子の魂のそろばんの恩恵である。

 そして、朝になり汚れた匂う身体をシャワーのお湯で清潔にして冷蔵庫を開ける。コーヒーはなくなっていた。ぼくはわざと水道水を飲む。自身へのいましめのように。むかし、この地域の水はもっともまずいという評判だった。でも、いまでは科学の力を応用しておいしくなったのだ。味覚というのは清涼さがあって加算される。とくに冷たい飲み物ならば。どろっとした煮込まれたスープというものはまた別だ。ぼくは腹を無意識にさする。その部分を全身が映る鏡に向ける。ひとはこれが自分ではないなどと判断しない。文明というのはつまりは鏡に映った自分を認めるということに過ぎないのだろうか。

 前はもっとこうだったという比較もできる。日々、目にするものの移り変わりをジャッジすることには向いていない。久々にあう知り合い。ある期間が経過した写真。それらと対面したときに記憶という無節操な媒体の複雑な仕組みと、その泥沼から導き出すひとつの答えに感謝することになる。

 ぼくは玄関を出て、自動販売機であらためて缶コーヒーを購入して喉をうるおす。これも、一々むかしは九十円だったなとか思わない。万人に流通されるものとして規定の価格があり、安いものもあるんだな、という多少のラックに一喜一憂する。

「あれ、ストーブ消したっけ?」

 と、ひとりごとを言う。意識もせずにカギをしめ、ガスの栓を閉めている。コーヒーの缶を捨てたかどうかは悩まない。もう手の平にないのだから。室内のティッシュやゴミ箱の定位置が変われば、探す羽目になる。ひとは探すという行為にも多くの時間を費やす。真理とか、絶対神とかそういう問題のことではない。形而上的なことは一先ず度外視する。

 ぼくは電車の停まる位置を確認もせずにおよその目安でドアの前に立ち、なかに入ればある面々の顔を覚えている。このひとの降りる駅はここだから、もうそろそろ席が空く、といういらない情報もぼくの脳は取り込んでいく。名前も知らない。ただの降車駅を知っている面々。顔と顔。

 そのときが来るまでは視線を右往左往させ、週刊誌の吊り広告でスキュンダルを知り、電車を降りるころにはきれいさっぱり忘れている男女の関係を鵜呑みにして、赤面をみなが克服したからもう病院の情報がないのかと安堵する。

 ある日、これらすべて、もくろみも心配の両方とも消えてしまう日がくる。ならば、この毎日、追加される情報自体に深い(あるいは浅い)意味などあるのだろうか。この記憶装置は使われなくなった方程式を惜しみなく見事に忘れていき、頭蓋骨のなかの引き出しやレールは固くなり、書類の端が引っかかったのか中味が取り出せなくなる。大体、中味の整理もあやふやなものとなる。乱雑になった脳のなか。

 おそらくストーブは消えている。トイレの電球ぐらいはついているかもしれない。時が経てば自然とスイッチが切れる省エネの仕組みもある。人体も七、八十年を経てそうなるようになってしまったのだ。ぼくは抵抗しない。そして、保険の契約内容を吟味する。紹介している女性もいずれいなくなるのだ。見事な受給内容を饒舌にしゃべったとしても。

 ぼくが死ねば誰かが金銭を受け取る。これは家族というある種の屋根のしたにいる人々のためのものなのだ。ぼくは誰に金銭をのこすのか。そして、誰のために文字を書いているのか。近い将来に読もうとして書いていたが、その近くはぼくの背中に過ぎ去ってしまうようでもあった。

 仕事を終える。ノートを閉じると言いたいところだが、パソコンの電源を落とすだけだ。さようなら、今日という一日。ひげと髪と爪は一日分の収穫を勝ち取ったはずだ。この三点も最後に切った日を思い出せない。いや、ひげは毎日の通常のことだから今朝が正確な唯一の答えだ。

 エレベーターのボタンを押す。間違って上に行くものにはなぜだか乗らない。一階に着く。頭のなかで記憶をなくせる場所を探す。記憶をなくせるところを覚えているというパラドックス。おそらく数時間後には定期を改札でタッチして出ているのだろう。コーヒーの残量は? 買い足すものはなかったのか。もう遅い。闇という唯一の光のなかにいる。


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悪童の書 i

2014年08月17日 | 悪童の書
i

 世間の目を気にする。

 自分の作為のない行動が誤解を受け、憐みや賞賛をまねく。

 普段は給食が出ている。ぼくは中学生だ。その日は代わりにお弁当を持ってくるようにと伝えられる。ぼくは家に帰ってそのことを告げる。でも、弁当など手がかかるものは要求しない。

「菓子パン、二、三個買ってきてくれたら、それで、いいよ」
「ほんとに、いいの?」
「いいよ、全然」そんな会話があっただろうことが想像される。

 翌日の昼になる。みな、お弁当を広げる。お手製ということが分かる中味。ぼくは袋を開いてパンを食べ、飲み物を飲み干す。意外にも、ぼくは同情の目を向けられている。まるで、親がいないとでもいうように。ぼくの空腹を気に掛けるひとがこの地上にひとりとしていないとでもいう風に。世間というのはこういう疑いの視線の集積でできあがっていることを知る。そもそも、このなかの何人もが、ぼくの母の存在を知っており、そのうちの何人かはぼくの家でぼくの母の手料理を食べているはずだった。ぼくは簡単に済ませた昼食のあと校庭にでて、身体を動かす。世間と同調する必要がある場合は、同調するべきだとの教訓を知る。サッカー・ボールを蹴る。オフサイドの説明をするサッカー部員が、理解できない手強い相手にいじめられている。待ち伏せ禁止令。要約すると。

 ぼくのうわさが流れている。あまりにもリアルな真実味を帯びた情報なので、ぼくはその偽の映像を自分に起こったこととして照射し信じそうになる。

 とある放課後。ぼくは教師と夕暮れがせまる教室にふたりでいる。そこにはいつもの反抗の成分を味付けした自分はおらず、しみじみと高齢の女性の教師と語り合っている。ぼくはいつもの悪びれた態度を詫び、彼女もぼくのその素直な態度に感銘して許そうとしている。これが、ぼくに起こったことなのだろうか?

 ぼくのその情報が一人歩きして、ぼくが何か悪いことをしても、あの夕焼けをともなう映像があるため、とくに女生徒たちはぼくの採点を甘くする。本音は分かっているのよ。ぼくはむずがゆいながらも否定すれば否定するほど、嘘か、あるいは誠は遠退くという事実を教えられる。もう、否定もしない。ひとは信じたいような事柄を信じ、陰にかくれたものを自分が知っているという優越にかられたいものなのだ。誰の口が出所なのだろう? 謎は謎のままだ。

 ぼくはその毅然としている先生に何度も叱られたが、ある日、もう定年後の彼女とすれ違った時に、ぼくの存在などまったく知らない世界にいるようで、ここはそっとしておく方が良いのだと理解する。ふたりしか本当の情報を知らない。そのふたりはあの枠組みを抜ければ他人以外の何物でもなかった。彼女の脳は一部だろうが、もう働きをやめているようでもあった。

 さらに比較の問題でもある。ぼくにはやんちゃな兄がいたので、相対的にみれば、ぼくのほとんどの悪い行いは善に近く、足を踏み外しても水たまり程度にしか浸からなかった。ぼくらのグループは悪いことをする。教室内で叱られる専門の役目のひとがいて、ぼくは注意にすら矢面に立てない。実際に怒られないと理解しないひとがいて、ひとへの注意で喚起し自分の行いを振り返れるというひともいるようだ。ぼくは幸いにも後者の扱いを受けている。

 ぼくは部活動を終え、だらだらと自室で着替えて塾に向かおうとしている。いっしょに連なる友人たちは階下のテーブルでご飯を食べている。ぼくはゆっくりと着替えている。このひとたちは少なくともぼくの証人にならなければいけなかったのだ。母には料理をつくる才能があり、ぼくはみなし児ではないという事実を。その後、大人になり、このときの献立がテーブルに並べられると、ぼくの母はぼくの友人の名前を出し、「あの子、これが大好きだった」と他人の赤ちゃんに乳をふくませたような感じでなつかしそうにもらしていた。子どもは、その代償として、お弁当もつくってもらえないという立場に甘んじていた。ぼく自身が、この料理を目にすると、もうその友人抜きにして考えられなくなってしまっている。不思議なものだ。

 そして、塾に行く。ぼくはいま考えれば方法だけを教えてもらっていたのだ。勉強の技術。だから、通ったのはそう長くはない。きちんとして管理された塾でもない。小さなテーブルがいくつか並べられた畳敷きの部屋。ぼくは車のボディだけを与えられ、あとはひとりになってドアを取り付けたり、色を塗り付けたりすればよかったのだ。それは、当然ひとりでやれた。だから、ぼくは塾をやめ、自室でひとりで勉強した。後年の自分のように。代わりに母の手料理を食べる機会をのがす友人たちの姿もある。彼らも自分らの母の味付けを捨て、恋人や妻の味を覚えていくのだろう。世の中は変化を求められる。同調し、順応すること。菓子パンの味になれるよりましなことかもしれない。ぼくもいまになって、友人たちの母がつくった料理やおにぎりを食べてきたのだというある日の情景を自分の思い出の一部としている。脳が働きをやめなければ、いつまでも覚えていられる。愛をもって叱った生徒ですら理解できなくなる日もくるのだ。そう遠くもなく。

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