爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

拒絶の歴史(102)

2010年08月31日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(102)

 年末になってぼくはバイトを辞めた。結局は、3年半以上もここでお世話になってしまった。それほど、ここは居心地が良く、自分が自分らしくいられる場所だった。ラグビーの経験もあったし、それを中断してからはサッカーのコーチを自分の余った時間にした。幼いころ自分もそれを楽しみ、また同じように幼い子たちがそのスポーツに親しむことを、ぼくは喜びとしていた。それで、実際に店に買いにくるお客様とも知り合いでもあった。信頼できるひとから物を買うということは、何事によれ基本的な物事の捉え方だった。

 その最後の日も夕方の4時から夜の店を閉める前の8時まで4時間働いた。もう、翌日は年末の休みになるので店長の家族と外食を共にすることになった。まゆみちゃんは、そのことをとても喜んでいた。

 翌日は、少しましな服装をして、外食先に向かった。彼らは、もうテーブルについていてにこやかに談笑していた。ぼくはその場で最後の封筒にはいったバイト代をもらった。それは、ノートや文房具に消えたりもしたが、多くは遊行費として使ってしまった。好きなことをして稼ぐことが重要なものであれば、ぼくはそこで手にいれたことになる。

「今日は、楽しんで喰えよ」と店長は言った。彼は楽しむときには、とことん楽しむ人間なのだ。
「そうします」と言って、満たされたグラスを傾けた。

 それから、ぼくの学生時代の話や、バイト時代の話をした。もちろん、交際相手のことも訊かれた。それを、まゆみちゃんは理解しているような顔をして聞いたりうなずいたりしていた。彼女は外食が珍しいらしく、そのことがなにより楽しいようだった。

「いままで楽しかった?」と、店長の奥さんが訊いた。「もっと、活動的なものの方が楽しいかなと思ったものだから」と言葉を足した。
「いえ、充分楽しめました。和やかな環境で、必死に成績をあげるようなことも求められませんでしたし」
「近藤君のお陰で若い子たちがたくさん集まったし、すぐに店に還元されなくても長い目で見ればそれは、とても良かったことだよね」と彼女は夫に同意を求めた。そして、彼は納得したようにうなずいた。

 食事も終わり、テーブルにはデザートが並べられた。まゆみちゃんは選ぶのに困っていたようだが、結局は両親からも別の種類のケーキをひと口ずつ貰っていた。最後にぼくは、
「いままで、お世話になりました」と挨拶した。店長は、「こちらこそ、なんにもしてあげられなくて悪かったな」と言ったし、奥さんは、「いままで、ご苦労さま」と言ってねぎらってくれた。

「また、たまには会いに来てくれるんだよね」とまゆみちゃんは、いままでの笑顔を突然うしない急に泣き出してしまった。

「もちろんだよ、どっか遠くに住むわけでもないんだよ。近くにいるから、会いたいときには、また会えるよ」
「ほんとだよね?」と執拗に彼女は訊いた。ぼくは彼女の手を握り、何度も何度も説明した。

 店を出ても、彼女はまた同じ質問を繰り返した。ぼくは、その小さな肩を揺すり、違う言葉を使ったのではあるが、同じ内容を話してあげた。誰かが、ぼくのことをこんなに大切に思っていてくれることにぼくは感動していた。彼らと別れ、ひとり月の出ている夜を歩いていると、たまらなく孤独で不安な感じをいだいた。それは、自分が立ち止まっていた地面が急に奪われてしまったようだった。事実、ぼくはその足場を失ってしまうのだ。だが、学生のバイトなどいずれ終わりになることは間違いなかった。ただ、その瞬間を貴重なものとして自分の中に蓄えておけることは自分の人生にとって宝物になるだろうとの予感があった。

 家について戸を開けると、雪代が台所に立っていた。彼女のお店も今日で終わりだった。数日は二人でゆっくりできるはずだった。

「どうだった? 楽しかった?」
「最後にまゆみちゃんが泣いた」
「どうして?」
「感傷的になって、淋しくなってしまったんだろう」
「可愛いんだね」
 ぼくは、自分の孤独を忘れたく彼女を後ろから抱いた。
「どうしたの?」
「何かが終わってしまったような気がして」

 彼女は何も言わず、そのままの体勢でいてくれた。ぼくらは、しばらくの間そうしていた。そして、この人が地上にいることを感謝した。もしかしたら、彼女のいない世界だってありえたのだし、彼女をこのように抱擁する機会もなかったのかもしれない。そう考えると、ぼくの孤独感はいくらか軽減された。それを思うと、自分以外のひとがもっている温かさや優しさという感情をもっと受けたいとも思ったし、またそれ以上に自分のそういう感情を誰かに与えたり、注ぎたいとも思っていた。

 これがその年がまもなく終わりそうな時期に起きたことだった。大人になったまゆみちゃんは一体、どういう女性になるのだろうかと、ぼくは眠れないベッドの中で雪代のすこやかな寝息を聞きながら考えていた。

拒絶の歴史(101)

2010年08月29日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(101)

 秋も深まり、雪代の店に並べられている服も印象をかえた。ぼくは、たまに通りがかりその前に数秒立ち止まって見届けた。彼女は接客中であったり、また机に顔をうずめ何かの数字を眺めているようでもあった。いろいろな確認作業があるのだろう。ぼくがそうしているのをたまには見つけたが、ほとんどは他のことに没頭しているようで知らないようだった。

 ぼくは年末までバイトを続けることにしていた。ぼくは数字の心配をすることもなく、ただスポーツが好きなひとたちに品物を売った。実際的なアドバイスを高校の後輩たちに教えることもあったが、彼らはそれを体験的に覚えるしかなかった。また、小さなサッカー少年たちのスパイクのサイズを探した。それは、ぼくの数年を確かに彩ってくれた。

 ほんのたまには実家に帰り、妹と実りのない会話をした。それは何も生み出さない代わりに、自分にとっては安心感や安堵を与えるようなものだった。そう考えると、何ものかを生み出しているのかもしれない。

 両親はぼくや妹の学費を払うために働いていた。そのぼくの分はもう終わろうとしている。それで、すべてが片付くわけでもないが、いくらかは楽になるのだろう。言葉には出さなかったが、もちろんのこと感謝の気持ちは持っていた。

 日曜になれば隔週だったがサッカーの練習をした。働くようにもなれば、日曜も潰されそうなので続けられるか分からなかったが、それに関わることをぼくは望んでいた。しかし、それもどうなるか分からなかった。それが変化するということなのだろうと思い、自分を納得させた。

 考えることが増えると、自分は口数を減らした。意識していないことだったが、雪代にそう言われて気づくことになる。

「なんか、難しい顔してるよ」とか、そのときどきに言葉は変わったが、基本的にはもっとわたしに話しかけて欲しいという内容だった。それの変化形である。

 彼女の休みのときに、ラグビーの試合を見に行った。ぼくの後輩たちがグラウンドを駆け回り、それを応援するためだ。ふと、ぼくは見覚えのある顔を発見した。島本という別の学校の先輩で雪代と以前、交際していた相手でもあった。

「島本さんがいるよ」
「え、どこ?」と彼女は首を左右に振った。それは、ぼくが知る前の彼女が持っていた表情のようだった。彼女は彼を見つけ、「ほんとだ」と言った。だが、それっきり感想のようなものまでは口をついて出てこなかった。

 試合は、ぼくの母校が勝ち、彼らが底力を身につけているという事実を印象付けた試合だった。ぼくは、スタンドを降り、以前お世話になった監督と話すべきロッカーに入った。数分だけで終わろうと思っていたが、話は長引き数十分もそこに留まってしまった。

 席に戻ると、雪代と島本さんが話していた。彼らはにこやかに近況を話しているようだった。ぼくは、そこに戻って挨拶をした。以前、尊敬していた相手でもあったのだ。

「元気にしてるか? お前たちと戦った頃が懐かしいな。あの頃がオレのピークでもあったのかな」と彼は自嘲的に言って、それからその場を去った。
「遅かったんだね?」
「ごめん。監督に引き止められてしまって、いろいろと盛り上がったものだから」
「そう、良かったね」
「彼は、どうしているの?」
「社会人のラグビーをしていたけど、また怪我が続いて、もう辞めるかもしれないんだって」
「そう。それであんな弱気なことを言ってたのか。懐かしい?」
「まあ、それは」
「いろいろと大変だったんだな」とぼくは言い、彼の輝ける過去の瞬間を頭の中に思い出していた。ぼくらがいつも勝てない高校があって、そこの中心選手として彼が存在していた。そのころの憧れでもあった彼と、女性としての憧れだった雪代も当然のごとく思い出していた。

「寒くなったね。なにか暖かいものでも食べよう」と言って、彼女の店の買い物客でもあるひとのお店の名前を言った。自分は、自分が戦っていたときには見えなかった試合のフォーメーションなどを頭の中で反芻していた。そして、今のような頭脳があれば、なんとか島本さんのいた学校に勝てたであろうかと考え続けている。しかし、過去というものは同時に変えられないものだと痛感している。もし、変える機会があったとしても、同じような過ちを繰り返していくのだろう。きっと、そうなのだ。

 店に着いて、彼女は親しくなったそのお客さんと話していた。洋服のことを話し合い、ちょうど彼女の店で買ったものらしく、似合うとか、もっとほかのアクセサリーの方がいいかしら、とか際限もなく会話は続いていくようだった。その間にぼくはメニューを広げ、料理の内容を頭の中でイメージした。その人は、急にぼくに興味を持ち出し、

「まだ、大学生なんだ」と言って、雪代とぼくの顔を交互に見て、なにか分からないがひとりで納得したようにうなずいた。

拒絶の歴史(100)

2010年08月28日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(100)

 バイト先にいると、そこの娘のまゆみちゃんがあまりにも大きく見えるランドセルを背負って帰ってくるタイミングがよくあった。
「今度、運動会があるんだ。ひろし君も見に来てくれるよね?」と、彼女は快活に言った。
 それは日曜だったが、臨時にスポーツショップである店をたたみ両親ももちろんのこと見に行く予定になっていた。
「ちゃんと、練習した?」
「したよ」
「じゃあ、行こうかな」

「うれしい」と言って、彼女はぼくに飛びついた。ぼくは、もうそこで4年近くも生活していた。彼女はその分目に見える形で成長し、まっすぐな性格をそのまま伸ばしていた。その町では小さなころから塾に行くなどという経験はせずに、学校が終われば野原を走り回っている。それで、彼女もこの夏を通して肌が真っ黒になるまで妬けていた。

 何日か経って、日曜のその日を迎えた。町には不思議な活気があり、高揚した気持ちが高まっていた。

「今日、お客さんが来るかな? 心配だな」と雪代は言った。子どもをもつ母親たちは、当然のこと寄り付かないだろう。ぼくは、なんと返答してよいやら思いつかなかった。
 ぼくは、店長と奥さんと待ち合わせ、歩いて学校まで行った。

「近藤君も、いつもこうした緊張感と戦っていたんでしょう?」と奥さんは自分が走らされるような不安な表情でぼくに訊いた。
「そうでしたね。だが、途中からは集中するとほかのことなど心配する余裕も消えてしまうんですよ」
「まあ、お前と普通の母親の気持ちは違うよ」としたり顔で店長は言った。

 バタバタと観覧しやすい場所から席は埋まっていった。ぼくらも比較的よく見えそうな場所を確保した。小学生といっても、身体の大きさは一年生と六年生ではまったく違っていた。大きな子が突進してくれば迫力があり、小さな子たちが走ってくれば、微笑みとある種の心配で緊張する両方の気持ちを自分に与えた。

 そして、まゆみちゃんが走る番になった。彼女の父もスポーツが得意だったので、それを受け継いだのだろうか彼女は見事に走りぬき一位になった。

「凄いですね。誉めてあげなきゃ」とぼくは言ったが、店長は当然だという顔をして、喜びを表に出さなかった。だが、他の子が頑張れば、大きな声で声援をしたりした。そこに複雑な気持ちをぼくは感じていた。その反面、奥さんは喜びを全身で表現し、涙のようなものもうっすらと浮かべた。

 お昼になって車座でおにぎりや料理を食べた。そこにはある一日を祝う儀式のような気持ちもあった。小さな子たちが成長し、自分の能力を発揮する機会を与えられるのだ。それを証人として見届ける義務と歓喜のようなものがその場にあったのだ。

 午後になって主に上級生が活躍した。彼らはもう既に大人のような体格を持ち、騎馬戦などは迫力があった。ぼくは当然のように自分が身体をぶつけ合った日々などを思い出していた。そして、その中の数人がラグビーという競技を選んでくれないものだろうかと想像していた。

「凄いね、一位を取ったんだね」
 すべての競技が終わり、まゆみちゃんが戻ってきたときに、ぼくはそう言った。彼女は父とぼくの両手をつかみ挟まれて歩いていた。
「だって、いっぱい練習したもん」
「じゃあ、ぼくより早く走れるようになるかな?」

「分かんない。なるかもしれない」両親はそれをきいて笑った。もうぼくがグランドを走り回っている姿など人々の記憶から消えていくのかもしれない。だが、店長はぼくが相手の脇をすりぬけるのを覚えていてくれたらしい。彼女の4年前にぼくは存在していなかったのだろう。

「ひろし君は、誰よりも早く走れたんだぞ」
「ほんとに?」
「ほんとだよ」ぼくは何人かの女性がぼくのその姿を覚えてくれていることを祈った。雪代は知っていたが、もうひとりは確認することもできなかった。

「ひろし君も子どもができたら応援しに行ってあげる?」とまゆみちゃんは好奇心を膨らませ、ぼくに質問した。
「どうだろう? そんな日が来るのかな」と漠然とした未来を考えている。

 ちょうど良い分かれ道でぼくらは別々になった。ぼくは自分の家に戻り、窓を開けビールをベランダに持って行き飲んだ。しばらく、自分が運動していた時期のことや、まゆみちゃんぐらいの子どもを持っている自分のことを考えてみたりした。解決を求めている考え事ではないので、そこに答えなどなかった。ただ、終わったこととこれからの未来の接点はどこにあるのだろうかと思っていた。それは、いまかもしれないし、昨日や明日かもしれなかった。

 そうしていると、雪代が帰ってきた。
「どうだった? まゆみちゃん。早かった?」
「うん、一位だったよ」
「わたしも見たかったな」
「また、来年もあるよ。それで、店のほうは?」
「やっぱり、あんまり来なかったけど、若い子達と数人仲良くなった」
 彼らは、ちょっと憧れるお姉さんのような存在を探しているのかもしれなかった。それに雪代はぴったりと当てはまりふさわしい存在として受け入れられていくのだろうか?
「ひろし君もいっぱいのひとに応援されていたこと、知ってた?」
「10代の男性なんて自己中心的に生きているもので、気づきもしなかったかもしれないし、あって当たり前とか思っていたのかもしれないね」
「でも、緊張した様子も見せてたよ」
 ぼくは、語られるべき内容の伴った自分の過去をいまさらながら振り返っていた。

拒絶の歴史(99)

2010年08月27日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(99)

 大学最後の夏休みになった。長い休暇を取れるのもこれが最後かもしれなかった。雪代は、毎朝同じような時間にコーヒーや朝食を取り、さまざまな洋服や靴に着替え、出掛けていく。雨になれば店への客足は鈍り、季節の変わり目になれば、それはまだ数回しか訪れていなかったが、新しい衣服をさがして人々は出掛けてくるようになっていた。

 その日も雨が降っていた。彼女は乾かない髪を嘆き、それでも発色の良い傘を手に持ち、玄関を出た。ぼくも遅い食事を取り、それを台所までもって行き、洗って伏せた。ぼくは、バックに必要なものを詰め込み、図書館に出掛けた。調べることがたくさんあり、それをなるべくなら休暇の前半に片付けたかった。家の鍵を閉め、傘を開こうとするともう雨は止んでいた。そろそろいつも通りの強い日差しにかわるような予感がした。

 図書館に入り、必要な本をテーブルに載せ、大切な箇所をノートに書き移した。指は汚れ、消しゴムのカスが端の方にいくらかたまり、目は遠くの景色を見たがっていた。そして、昼を近くの食堂で食べたり、図書館の地下のメニューがあまりない中から選んだり、パンを図書館の庭で食べたりした。睡魔と闘いながらも午後も同じような行動を繰り返し、夜になると店を閉める雪代を迎えに行った。最後の客が残っていたりして応対している彼女を眺めたりすることもあった。自分は学生身分の最後を楽しんでいたが、彼女はその行動自体が今後の将来を作っていくことになった。

 途中でスーパーで買い物をして、早ければ妹が働いている酒屋によって物色した。そのようなシーンをその季節と空気を背景に覚えていた。その記憶の数々は当然ながら年ごとに増えていった。6年前の彼女がラグビーの練習のあとに声をかけ、自動販売機の前でぼくらは少しだけ話した。それがそもそもの最初であり、記憶のはじめでもあった。それから考えればぼくらは長い時間をかけて安定した関係を築いていった。それを若かった自分は当然の帰結とも考え、彼女が払ったであろう努力に気付きもさえしなかったかもしれない。

 ぼくは、スーパーの袋を抱え、隣にいる彼女の一日の話を聞いていた。ぼくは何も変化のないような毎日を数週間送った。彼女は8月の終わりにビルの定休日を含め、3日だけ休むことにした。普段、アクティブさを好む彼女だったが、そのときは涼しいところでのんびりしたいと言った。ぼくらは彼女の店の向かいに入った旅行代理店で旅行のプランを考えてもらった。考えてもらったといっても、北海道のはずれの方にあるホテルを取ってもらい、航空券を2人分とレンタカーを借りただけだった。ぼくはその分、バイトの時間を多くした。店長や彼の家族との生活ももうじき終わろうとしている。別れるということは当然ありえる状態だったが、ぼくはまだそのことを受け入れることを難しく感じている年代だった。だが、当分はその場所は、スポーツショップの一角は、まだまだぼくの居るべき場所だった。

 その後、ぼくが辞めたあとはぼくの学校の後輩たちを店長は雇ってくれた。そうすることによって、店は地域とよりいっそう緊密な関係を作り、安定した収入をその店にもたらすらしかった。それは、だが、まだ未来の話だった。

 8月の終わりになって、ぼくらは地元の小さな空港から飛行機に乗った。彼女は日々の繰り返しに少し疲れていたようだった。以前は、写真を撮られるためにあちらこちら飛び回っていたのだ。一箇所の店を守り、そこに定住することは自分で望んでいたことにしろストレスもあったかもしれない。だが、飛行機を降り、車でまっすぐな道を走っていると彼女は快活さを取り戻した。

「同じ大学生のガールフレンドがいたら、もっと自由にいろいろなところに行けたかもしれないのにね?」と雪代は外の景色につぶやくかのように言った。
「本気で思っているわけでもないんだろう」とハンドルを握ったまま、ぼくは返答した。
「少しは本気だよ。毎日、仕事ばかりに時間をとられてすまないな、とか思ったりする」
「だったら、きちんと毎日会社に懸命に通う男性の方が魅力的だと思わない?」

「どうなんだろう? ひろし君以外のことはもう考えられなくなったかもしれないしね」

 北海道の道は沈黙が似合うほど長く終わりが見えなかったが、ぼくらが離れていた時期や、もう一度いっしょに暮らすようになって言うことを避けていたさまざまな問題をあらためて取り出してみても問題ないぐらいにそこは広大だった。

 道の真ん中で車を止め、地図をひろげてホテルの場所を確認した。距離感がぼくらの町とは違っていて、ぼくらは何度もそうする必要を感じた。

 しかし、最後にそうしたときはもうホテルの近くまで来ており、目を上げると看板が見えた。車を駐車場に入れ、カウンターでぼくは名前を告げた。これも、記憶のページに挟まれる印象ある瞬間だった。

「ゆっくり休もうね」と、眠そうな目をして彼女は部屋に向かう途中に言った。


拒絶の歴史(98)

2010年08月15日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(98)

 まわりの大学の友人たちはどんどんと自分の将来を決めていった。理数系のひとはあるメーカーに入ったり、教職員になるための免許を取ったり、それなりの納まるところはまだまだあったのだ。不景気になる前だったので、ぼくらはそんなに必死になることもなく、当人なりには確かに必死だったかもしれないが、総体的にみればそれは現在とは様子が違っていた。

 斉藤さんも自分の未来を決めた。優秀な彼女は、とある有名な設計事務所にはいった。

「それで、自分はどうするつもり?」
 ぼくは思案する顔をした。だが、上田さんの父のところで働くことは確定していないが、ほぼ決まってしまっていた。そのことを回りの人は賛成しなかったが、どれもこれも賛成ばかりされてきた自分ではなかったのだ。ある女の子は、ぼくのことを「とても頑固に思えます」と過去に言った。何かを選択したり、逆に捨てたりする場合、自然と彼女が発した言葉がぼくの耳のそばによみがえった。
「じゃあ、お祝いするよ。バイト代も入ったし」
「あそこ行きましょう。きれいなひとのいるお店」

 ぼくと彼女の頭の中には、同じ店があった。そこの店をひとりで切り盛りしている女性のひとり息子はぼくらのサッカーチームにはいった。練習を見に来る彼女は、普段の店での印象とは違い活発な態度を見せた。人一倍声をあげて応援し、優勢になればもっとそうなるように応援し、逆境になれば自分のことのように苦しんでいた。そうしながら、ぼくらの間には会話が増えていった。その反面、店に近寄ることは減っていった。

 何日かして、ぼくがバイトの休みの日だったので斉藤さんを誘った。
「久し振り。もう来てくれないのかと思った」
「個人的な付き合いをサッカーチームのメンバーの子とすると、なんか面倒くさいことになるんですよね」
「そうなんだ。今日はいいの?」
「今日は、彼女の就職祝いです」
 ぼくは斉藤さんの方を振り向いて、そう言った。
「おめでとう」
「彼女はこう見えて優秀なんですよ」
「近藤君は?」
「ぼくは、スポーツしかしてこなかったんで」と、自嘲的だか、それとも優越的な気持ちか分からないような気持ちでそういった。

 それから、ぼくらは3年間ぐらいに経験した思い出話をしたり、これからの未来のことを話したりした。店はその日は繁盛しており、ぼくと斉藤さんはみっちりと個人的に話した。酔ってくれば、彼女のボーイフレンドのことを訊いたり、また逆にぼくと雪代のことも話しに出た。あの店が評判になっていると彼女は言った。確かに数字的に見ても、その店は良い出発をしたようだった。

 店もだんだんと空いて行き、ぼくと斉藤さんだけが残っていた。使われた食器などもきれいに片付いていき、加藤さんという店の女性もぼくらの話しに加わった。斉藤さんのためと言って、高価なお酒をグラスに3杯注ぎ、ぼくらにおごってくれることになった。そして、加藤さんもそれに口をつけた。

 彼女は息子とサッカーの話をした。ぼくが自分では考えたこともない良い一面があることを教えてくれ、それを斉藤さんに告げた。斉藤さんはぼくが誉められると、いつもいつも即座に否定した。それが的をえた答えなので、三人ともが笑った。

 閉店を少し過ぎた時間にぼくらは店を出た。駅まで斉藤さんを送り、ぼくは少し遠い道を歩いて帰った。

「今日は、どこに行ってたの?」家に着くと雪代が言った。前もって話していたが、もう一度同じことを説明した。大学の同級生の就職祝いがあったんだという風に。

 何日か経って、ぼくは上田さんの父に会いに行った。何度か、自分のところで働けよと誘われていたのに解答するためだった。ぼくはお世話になることになります、と言ってその後の取るべき段取りを聞いた。その会社は地元でも徐々に株を上げ、他にも就職を望んでいるひとたちがいた。その手前、同じようにテストと面接があったが、当然のようにぼくが落ちることはないらしかった。

 ぼくはそこを出て、今後何年も生活の基盤になるであろうその会社のことを考えて、少しの不安と多くの安堵を手に入れた。そこには、開放感があると同時に、自由が欠けていくイメージもあった。

 ぼくは、帰ってから雪代に報告した。その前に、実家に寄り両親にも告げた。彼らは自分の息子はもう少し優秀だと考えていたのかもしれなかったが、当人が一番自分の力を知っていた。

「ひろし君が決めたんだから」と、雪代は言った。「わたしのことを選んだのもひろし君だしね」
 そこに対等な選択があったのかは分からなかった。彼女は誰でも選べたはずなのかもしれないが、ぼくは、ある日、彼女が目の前に表れた瞬間から、選択の余地などなかったのかもしれなかった。ただ、進むべきゴールを最初に見せられ、それにのっとっただけかもしれない。
「お金を稼いで、いっぱいわたしを楽しませてくれる?」と彼女は言ったが、特別そのような感情を持ちすぎている人間だとも思えなかった。

拒絶の歴史(97)

2010年08月14日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(97)

 5月になって東京へ遊びに行くことになった。以前なら雪代の家に泊まっていたが、彼女は毎日、こちらで働いており、連休中も当然のように店を開けなければいけないので休むことが出来ず、ぼくだけ上田さんに厄介になることになった。

「楽しんでらっしゃい」と彼女はぼくを送り出してくれた。ぼくより生活にかける費用が多かったにも関わらず、彼女はぼくを随分と甘やかしたものだと回想する。ぼくは片手に納まるバックの中に荷物を用意し、彼女が車で駅まで送ってくれ、そのまま次の特急電車に乗った。

 毎日、誰かと暮らしているとひとりになったときの寂しさと、また逆に自由になったという複雑な入り混じった要素がぼくのこころに芽生えた。何か話さなければならないという義務感と、何かを伝えたいという気持ちのどちらもそがれた。それとは別に自分の耳を喜ばせる楽しい言葉もぼくから一時的に消えた。ぼくは本を読み、車窓のそとの景色を疲れた目にしばし見せた。

 東京に着き、教えられた上田さんの家に向かうためぼくは地下鉄に乗り換えた。そこは、雪代が住んでいた家と同じ路線で数駅しか離れていなかったのでだいたいのことは予測がついた。

 彼は自転車に乗り、駅まで迎えに来てくれた。Tシャツにジーンズというラフな服装で、髪も乱れたままの姿だった。
「なんか喰おうよ。いま、起きたばかりなんだ」

 ぼくらはある店に入った。ぼくは電車内でお弁当を食べてしまっていたので、ビールだけ頼んだ。彼は、サンドイッチを食べビールを飲んだ。幾分、彼の外見は社会と慣れ親しんでいくためか容貌を少し変えた。
「彼女の店、順調なのか?」
「そのようですね。妹がこの前行ったとか言ってました」
「生活感を見せなかったあの女性が、しっかりと大地に立っているんだもんな、凄いよな」と彼はうまそうに最後の一口を食べ、汚れた口のまわりをナプキンでぬぐった。

 ぼくは、第三者の評価をそのまま受け止めた。なんだかんだ間違っていたとしても、それが世間の目なのだ。もちろん、上田さんの下した評価をそのようなうがった見方はしなかったが、その移り変わりを身近に感じすぎている自分は客観的に見るという冷静な判断を失っていた。
「じゃあ、うちに行こう。途中を案内するよ」

 勘定を払い、ぼくらは店を出た。季節はぼくの町より一回りだけ進んでいるような気がした。彼の自転車にぼくの荷物を載せ、ぼくはあたりを眺めながらそこから10分ぐらいの道を歩いた。

 途中に小学校があり、青い木々がぼくらの上にあった。その下にはいると涼しい空気がぼくらを覆った。そんなに離れていないので雪代がいた町ととてもよく似ていた。すれていない小学生が公園のなかの遊具の上に乗って、なにかを叫んでいた。

 彼は玄関の鍵を開け、ぼくを中に入れた。正面のカーテンは開いていて、背の高い木と電柱がそこから見えた。男性一人にしては掃除が行き届いていてきれいな印象を与えた。見たこともなかったスーツが壁にかかっており、ぼくが知っている彼とは違う道を歩んでいることも知った。
「仕事、疲れますか?」
「まあ、いろいろだよ。だが、お前も知っていると思うけど、あの練習に耐えられれば、あとは大したことないよ」それは、ぼくらの共有財産でもあるのだ。「まあ、くつろげよ」

 ぼくは、ソファに座った。彼は飲み物を用意しテーブルに運んだ。その間にぼくは預かっていた荷物をバックのなかから引っ張り出した。彼は、ぼくの幼馴染みの智美という女性と長い間、交際を続けており彼女はぼくが彼のところまで遊びにいくことを知り、それをぼくに手渡していた。
「きれいで、商才もある女性といると、プレッシャーにならないか?」
「そんな風に感じたことは一切ないですね」
「おれらの知っている河口さんと、お前の見ている彼女は違うのかね?」彼は答えを必要としていないように、独り言のように言った。それで、ぼくも返事をしなかった。客観的に判断をするということが出来るほど、ぼくは大人でもなかったし、愛情を持ち過ぎていた。
「智美とはどうですか?」

「あいつも今度、遊びに来ると思うよ」それから、彼は仕事の話をした。そこには言葉には出ないが、ぼくの未体験な責任の重さみたいなものを感じた。ぼくは、ただバイトで気軽に少年たちにサッカーシューズやテニスのラケットを売っているぐらいだったのだ。それとは違う世界のことも彼のことばを通して垣間見えた。

 夕方までそうして話し、外の明るさが部屋まで達しなくなってきたころだ。

「飯でも食いに行こうか。このそばに親切なおばさんのいる店を発見したんだ。出身地をいったら、その人もとなりのあそこだった」とぼくらの良く知る町の名前を彼は言った。ぼくらは練習試合でよくそこに出掛けたのだ。
「いいですね」と言って立ち上がり、その前にぼくは公衆電話に寄り、雪代に到着の連絡を告げるのを忘れていたため、彼をそこに少しだけ待たせた。

拒絶の歴史(96)

2010年08月08日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(96)

「今日、美紀ちゃんが友だちを連れてお店に遊びにきてくれた」
 と、雪代はぼくの妹の名前を出し、そのことを報告した。
「それで、なにか買って行った?」
「友だちがアクセサリーだとか、細々としたものを」
「また誰かを連れてきたりするのかな、その友人も?」
「どうなんでしょうね。ひとの耳に入るだけでもいいんだけどね」

 彼女は、疲れた様子でソファに座った。いままでと方向を転換して新たなことを始めるのにはエネルギーがいるのだろう。それが早ければ良いだけとも思えなかったし、ちょうど良いタイミングを見計らうのが難しいことなのだろう。それでも、何人かはやってきて、またそのうちの何人かは買い物をしていくそうである。まだまだ、ぼくらの町には、若い子達がちょっと背伸びをしていくような店が少なかった。そのせいもあるが、彼女の店はうわさにのぼった。ぼくも、何人かの大学の女性の友人からその店の話をきいた。雪代とぼくを結びつけるひともいれば、まったく知らないひともいた。ぼくは自分の正体を明かさずに、遠巻きにそれらの話をきいた。総じて悪くないうわさだった。

 ぼくはいつも通り、勉強した。ある資格を取得するためにも勉強したし、またそれとは別に自分の知識を満足させるためにも勉強した。知識と知識はぼくの意識とは関係なく、そっと交流を取り結びつくような感じをもった。それで、なんだそういうことだったのか、とある日ふと気づくことになる。

 隔週ぐらいにはサッカーのコーチを続けた。新しい年代の子が増え、中学に入るとそこでサッカーを続けるためある年代の子は減った。たまに道端ですれ違うと急に男性へと成長している子もいて驚くことがある。彼らの声はもう少年のような高さを持っておらず、以前よりシャイさを増し、軽く会釈するだけの子もいた。前はゴールを決めれば、ぼくの胸に飛び込んで来て喜ぶような子たちでもそうであった。それを寂しさというよりも大人になるための通過儀礼とぼくは考えた。彼らの活躍も耳にするようになり、その年代の子たちへの成長を手伝ったことによる報いを自分は充分に受けた。

 ときには、大人の目から見れば道を踏み外すような子もいたが、ぼくの中にはあの頃の純粋な少年がまだまだ眠っているので、彼らを無心に信用できた。母親が心配し、ぼくともうひとりのコーチを呼んで説得してくれと頼まれたことがあった。バイクを勝手に乗り回し、事故寸前までいった子だった。喫茶店でそのコーチはいろいろと説教じみたことを言ったが、ぼくは二人で責めてもはじまらないので、彼と同じように自分のことを怒られている様子で聴き入っていた。

 直ぐに解決するかは分からないが、数年間を少年たちと過ごした月日は、嬉しさとともに、こうした問題にも足を突っ込むことになった。だが、ぼくはそれでもそのこと自体を楽しいものだと考えていた。自分の考えもなく無個性な人間なんか、自分は興味がなかったし、そういうひとにもなりたくなかった。それで、多少の迷惑がかかろうが、多かれ少なかれそれはお互い様だった。生意気にも、当時の自分はそう考えていた。社会で働いてもいない余裕があったのだろう。

 その点、雪代は自分の力で自分の未来を切り開いていた。そして、そのことをぼくは尊敬していた。彼女が疲れた様子を見せながらも、きれいな洋服で世の中を埋めたいと考えて実行していることを後押ししたい気持ちがあった。できれば、自分も見渡す限りきれいな建築物で埋められた町々を創造してみたかった。醜さや悪意のない部分が少しでも減ればよいと考えている。話し合ったりはしなかったが、ぼくらにはそうした共通の思いもあったのだろう。

「どう? またいっしょに暮らせるって楽しい?」ぼくが大学の食堂でひとりで食事を摂っていると斉藤さんがトレイになにかはいった食器を載せ、こちらに近付いてきてとなりにすわった。
「まあね」
「浮気ができなくっても?」
「したことないよ」
「まさか」

 ぼくは困った表情をしている。彼女はなにを知っているのだろう?
「それより、食べ終わったら、あそこの部分教えて」と言って先程の講義の内容について話し出した。彼女は分からないことをそのままに放っておけるひとではなかった。それは自分ともよく似ていた。しかし、自分の発言を忘れたかのように彼女はゆっくりとご飯を食べた。ぼくは窓の外を見ている。春はいままさに始まっていて、これから成長が楽しめる少年や少女のように未来がたくさんあった。ぼくはそのまま鳥の声を聴き、彼女が食事を終えるのを待った。あと一年後には、自分はどのような形態をとっているのだろうと頭のなかにかすかに浮かんでは消えていた。

拒絶の歴史(95)

2010年08月07日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(95)

 3月になった。ラグビー部の先輩でもあった上田さんは東京のデザイン会社に就職を決め、いったんこちらに戻ってきていた。その会社がどのようなことをするのかぼくは理解できなかったが、当人に説明されても知識はなんら変わることはなかった。

「いっしょに九州でも一周しよう」と、いつも思い立ったら直ぐ実行する彼は、飛行機のチケットを取り、レンタカーを予約した。大学は休みであったので、バイトとサッカーのコーチは断り、ぼくも同行することにした。

「若いときは友人と旅をするものだよ」とバイト先の店長は自分に言い聞かせるように語り、娘のまゆみちゃんは九州という場所の説明を求め、分かったのか知らないが最後には、「お土産お願いね」と自分のなかにある語彙のなかからもっとも適切な言葉を選んだ。さらに、「そこ暖かいの? 寒いところなの?」と好奇心は止むことがないらしかった。

「いっしょに行くひとが写真が好きなんで、まゆみちゃんにも見せるね」と約束し、その日のバイトを終えた。翌日から、1週間ほどの日程でぼくらはそこを廻ることになる。泊まるところは安い民宿もあったし、まともなホテルもあった。彼の友人の家にも泊めてもらい、また彼の父の仕事仲間の家もあった。興味が八方に拡がっている彼にとって変化のないことは苦痛でもあるのであろう。

 福岡から佐賀を通り、長崎から鹿児島へ、つぎは右回りでいろいろなところをまわった。交代で運転し、それぞれの未来や自分の恋の相手の話もした。それは、ぼくにとって貴重な7日間になった。それらの日のあれこれを考えると、そのまま楽しかった日々という箱を作って閉まっておきたくなるような毎日だった。

 彼の友人と夜を徹してお酒を飲み、きれいな海岸線や荒々しい山を見た。何枚か上田さんに写真をお願いし、まゆみちゃんに見せることを忘れてしまうことを避けた。そのうち、彼も「ここも、その女の子に見せた方がいいんじゃないの?」と自分から言ってくることになる。

 ぼくは罫線のないノートに自分で建物をスケッチした。基本的に鉛筆の感触が好きなのだろう。それは、写真より時間がかかるが、自分にとってはよりリアルなものだった。

 また飛行機に乗り、自分の家に戻った。何日かして、雪代も最終的に東京のアパートを引き払い、こっちに帰ってきた。そこから忙しげに建ったばかりの駅前のビルの1階にある自分の店舗を掃除したり品物を並べたりした。ぼくも暇なときには手伝ったが、役に立ったかは分からなかった。彼女は友人に手伝ってもらいそのままそのひとを雇った。結婚していたが、まだ子どもはなくかなり時間に余裕のあるひとだった。だが、なにかをしたいという希望も持っていた。いろいろ習い事もしていたが、いくつかを削り仕事を最優先にするようだった。

 ぼくは、東京に行く前の上田さんの家に寄り写真をもらった。小さな子が見るには、いささか芸術的過ぎるような気もしたが、アートが理解できるもできないも年齢ではないだろうと考え直し、それをバックにしまった。

「お前も勉強たいへんだろうが、暇なら遊びに来いよ。そこそこ広い家だしさ」彼は、ぼくらより数段裕福でもあったのだ。ぼくは、それに好意的に答え、長い休みのときにはお世話になるでしょう、と言った。

 そのままバイト先に行き、まゆみちゃんに写真をあげた。一枚一枚解説を要求され、すこし辟易したがそれでも丁寧に時間をかけて説明した。

 彼女は、4月から小学生になる頃だったと思う。ランドセルを背負い、それを店の前で両親に写真を撮らせた。彼らも加わるため、ぼくがカメラのレンズを彼らに向けた。その後、ぼくも彼女と一緒に写ったが、その写真は実家にでも残っているのだろうかと色褪せていく記憶のことを考えている。

 ぼくは、大学の最終年になるが、こうしてぼくの周りの三人は象徴的にスタートを切るタイミングの時期だった。ぼくはそのことを喜び、またそれゆえに自分の人生に起こることや起こらないことに焦っていた。焦っても意味もないことだが、その年齢のころの自分には言い聞かせることもその気持ちを抑えることも難しかった。

 ぼくは手が離せない両親のかわりに、まゆみちゃんの小さな手を握り、学校のそばまで使うことになりそうな文房具を買いに行った。まだ分度器も三角定規も必要ではなく、数本の鉛筆とノートと消しゴムなので事足りるのだろうと考えている。しかし、教育の大事な一歩が始まるのだということがまざまざと理解できた。

 ぼくは、買ったものが入った袋を手にして、
「この道、毎日通うことになるんだよ」と言った。
「分かってるよ」と、彼女はぼくを友だちのように見ているかのような視線をした。
「幼稚園へのみちとは違うし、お母さんも迎えに来なくなるけど大丈夫?」
「平気だよ。運動会とかあったら、ひろし君も見に来てくれる?」
「一位を取るならね」みなスタートラインに立っているのだ、と実感した数日でもあった。

拒絶の歴史(94)

2010年08月05日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(94)

 雪代は東京に残っている。

 ぼくはいつものように勉強し、その合間にはバイトをした。斉藤さんと建築の話をして、松田とはサッカーと成長過程の子どもたちの両方の話をした。そして、数日に一度は雪代と電話で会話した。実りのある時間となったが、新たに彼女のいくつかのことを大発見するということはなくなっていた。しかし、それでも互いの関係を少しずつ深めていくという楽しみは確かにあった。そして、彼女の声をきけば、実際の姿がぼくの目の前に現れ出るようだった。

 それで、1月も過ぎ、2月も半ばになった。今年もぼくの母校のラグビー部は全国大会に出場し、そこにいることが当然のような地位を確保していた。それが雪の残っているぼくらの地方で放送されれば、ぼくは過去の頑張った歴史をもつひとりとして、声をかけられたり誉められたりした。それが過ぎれば一年間、彼らは忘れた。ぼくは何回か勝ち、その後負ける試合を見ては胸を痛めた。その気持ちは誰にも分からないほど、ぼくのこころを傷つけた。それが毎年1月に起こることだった。

 2月も半ばになって、大学もひと段落してぼくはバイト先にいる。
「今日は何の日か知っている? まゆみちゃん」とスポーツショップの店長の娘にぼくは声をかけた。
「知ってるよ。チョコを誰かにあげる日」
「それで?」彼女は、ちょっと困ったような顔をした。
「ごめん。ひろし君にはないの。だってわたし好きなひとができちゃったし、ひろし君には大切なもうひとりがいるんだよね」と言い残し、奥に進んでいってしまった。その小さな背中に、どのような愛情が詰まっているのかを考えた。
 その後から、頬を寒さで紅くした店長の奥さんが入ってきた。店長が、ぼくとまゆみちゃんが交わしたやりとりを彼女に説明し、ふたりは笑った。つられてぼくもこころ細げに笑った。

「ごめんね、いつもませたこと言っちゃって。これ、わたしたちから」と言い、小さな包み紙を差し出した。ぼくは両手で受け取り、
「なんですか?」と訊ねた。
「開けてみろよ」と店長が言ったので、ぼくは袋を破いた。

 中には、きれいなデザインのシャツが入っていた。それは着飾ってどこかに行くための服だった。ぼくが日常的に着ている服はどこで寝転がっても良いような服だったので、それを見て背伸びが必要な感じもした。

「雪代さんと釣り合うような男性になるのも大変だよね」と奥さんは言って、そのシャツを取り出し、ぼくの前に当てた。「似合いそうだね」とまた服をたたんで、袋にしまった。
「すいません、いろいろありがとうございます」とぼくは感謝のことばを述べた。
「こちらこそ。ひろし君のお陰でこの店も繁盛しているしね」奥さんはそう言葉を残し、奥に進んでいった。

 それからの午後、ぼくの母校のラグビー部の後輩が店に訪れた。彼らは高校三年で、もう卒業する時期だった。何人かはその能力を買われ、どこかの大学に行き、何人かは地元で就職し、また何人かは大学で違った道を歩んだり、もうひとつかふたつある目標にすすむ子もいた。彼らは、この店で用具を揃えたり、用がとくべつなくてもやってきた。それが終わるひとつの段階だった。

 ぼくの三年も前になる活躍を彼らは代々、語り継げてくれ後輩の山下の潜在能力を伸ばしたことすらぼくの力だと勘違いしていた。ぼくは、肯定も否定もしなかった。多くの真実より幻想が楽しいように、彼らにそれをもてあそばせる余裕を与えた。

「いろいろ、近藤さんありがとうございました」と言葉を残し彼らは去るのだが、ぼくにとってプレゼントの多い日だったと思う一日だった。そして、彼らの言葉の方が、より深いところまで影響を与え、簡単にいえば感動したのだった。
「飯でも食べていけよ」と店長は言い、シャッターを閉めたあともぼくはそこにとどまっていた。

 テーブルの上にはシチューが湯気を上げており、その他の料理も所狭しと並べられていた。店長はビールの瓶のふたを開け、3つのグラスに注いだ。
「まゆみちゃんは、誰にチョコをあげたの?」と、しつこいながらもぼくは訊いた。
「内緒だよ」

 彼女は答えてくれそうになかったが、奥さんは「言ってもいい?」と笑いながら訊いたが、彼女はかたくなに首を振って、小さな指でスプーンを握って器用に口に運んだ。
 食べ終わって、ぼくは玄関でスニーカーを履いている。そこにまゆみちゃんがやって来て、ぼくの背中を突いた。

「これ」と言って、小さな包みをくれた。普段、自分がおやつに食べるようなチョコをぼくに渡した。「べつに、ひろし君が嫌いなわけじゃないから」と少し難しい顔をして、ぼくの顔をみつめた。なんだか自分の行動が子どもっぽ過ぎたと反省しドアを開け、寒い夜空の中へ歩き出した。