爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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当人相応の要求(29)

2007年08月29日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(29)

例えば、こうである。
 弟の物語。
 誰かの弟であることの物語。2番目。
 そこには、前例があり、具体的な形として、洋服やおもちゃや、自転車などもある。
 2番目には、見本がある。追いかける対象が出来ている。その反面、比較の恐怖もあるのかもしれない。兄は、ああだったのに・・・。
 彼にも兄がいた。多少、いや結構な悪いことを外で行っていても、彼の兄の素行が酷かったので、親や周りから見ても、その行為は軽減される。追い越せない目標。
 しかし、そこはいくらか自立した他人で、女性への視点も大幅に違う。彼の兄は、自分が住んでいた地域の卒業アルバムをすべて一揃え持っていて、どのように手中にしたのかは疑問だが、そこからピックアップした女性に電話をかけていた。そのため、彼の家には、無数の地域限定だが、かなりの美女が訪れることになる。アクションを仕掛けること。
 それを目にする彼。反動なのか、もって生まれた性分なのか、純粋にも、自分にあっている女性は、世界中にひとりしかいないのでは? という確信的な疑問がもたげ、それが勝手に成長していく。しかし、そんな簡単におとぎ話が訪れるわけでもなく、確信を、崩れゆく砂のように、意図的にか、それとも自然にか崩していく。
 もう一人は、彼の同級生の話。
 野球をすることに秀でた兄。その才能は、全国的な大会に出場するほど。それは、とても素晴らしいことだと思うし、普通の気持ちで応援しもした彼。だが、問題は、あらゆる角度から眺めないといけない。その優秀な兄を持つ弟から聞いた話によると、比較される辛さを、その同級生は、そのことで惨めな気持ちを持ったということだった。その人は、かなり若く(そんな年齢で? というぐらい)家を出て、ひとりでアパートに住んでいた。感情移入がすきな彼(好きでなかったら、本など求道みたいな形で読んでいないだろう)は、問題を大きくしているのかもしれない。そんなに酷いことはなかったのかもしれないが、なんとなく、そういう大事業を遂げた人のそばにいる憂鬱を感じてしまう。
 
 大統領の兄がいる。革新という言葉がぴったりの姿と口調。ベトナムの問題も取り上げる。公民権運動にも関わる。アメリカがそういう時代だった。
 かなりな時代が過ぎても、もしかしたら数々のことを生き続けていたとしたら、その人は成し遂げたのではないだろうか、と希望を持つ。それを断ち切るアメリカの現実。
 弟がいる。1917年5月29日生まれの兄。その八年半後に生まれた弟。
 アイドル性のある兄より、もっと実務に向いていそうな容貌を持つ。弟が38歳と2日目の日、その男性の兄は銃で撃たれる。大切なものを失くすこと。家族内のヒーローの欠乏。
 その弟が、どういう気持ちを持ったかまでは分からない。しかし、兄が成し遂げたことは、多少の努力で、自分も近づくチャンスがあると思ったのだろうか。その地位への執念。選ばれし家族。
 選挙のため、あらゆるところを廻る。温室内とは、違う実際の日のあたらない人たち。そういうものに影響されたのだろうか?
 感情移入の好きな彼は、考える。もう一つの安易なストーリーを考え付き、それに溺れる。
 最初は、自分の権威やプライドが一人歩きしていたようなものだが、アメリカの国内中を廻り、未来を信じられない人々。もう直ぐ、ベトナムに行く人。クラスが違うように同じ架空の教室に入れない2流の人種の人々。
 そのような出来事や事実を目の当たりにして、普通の柔らかい心を持った人は、良い意味で動揺しないものだろうか? それとも、頑なに自分の育ってきた環境の意識を持ち続けるのだろうか?
 その人は、階段を登り始める。期待と、肩にかかる重荷。しかし、実務者は、実際的な方法を見つけ、解決していくのだろう。
 だが、歴史は悲劇的に流れを求め、1968年、その弟は6月5日に撃たれ、その翌日の6日に息をひきとる。明治から100年。暴力てきな回答。兄に追いつけない? いや模範どおりの弟。
 
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当人相応の要求(28)

2007年08月18日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(28)

例えば、こうである。
 誰かが、箱というものを発明している。中に物を封じ込めるものとして。その中にあるものは、自分のものだという確約として。
 子供の頃、大切にしていた宝箱。誰もが一時、持っていたものかもしれない。その人にしか分からない大切なもの。彼にも、そのような箱があった。壊れかけのプロモデルや、なにかの一部、正体不明なネジやボルトなどもあった。
 ある日、学校から帰ると、いとこのお兄さんがいて、その中の破片をつなぎ合わせ、ロボットを作り上げていた。その奇跡のような作業に驚いたとともに、所有権の問題がからみ、その完成品がどうなったかまでは覚えていないが、いくらか不愉快に感じたことを、彼は幼いこころながらも覚えている。つまりは、誰かの所有権。
 その箱が建物になり、中味も豪華なものに変貌していく。
 上野にある東京国立博物館。その裏側にある碑。初代館長の思い。
 町田久成は天保9年(1838)薩摩(現在の鹿児島県)に生まれました。19歳で江戸に出て学び、慶応元年 (1865)に渡英、大英博物館などを訪れ日本での博物館創設を志し、帰国後初代博物局長として日本の博物館の基礎を築きました。文化財調査や保護を提唱 し、自らの財産を投げうって書・古美術品を買い求め文化財の散逸を防ぐことにも尽力しました。明治15年に退職、仏門に入り、明治30年9月15日上野で 没しました。

 彼は、思う。自分は人の顔を覚えるのは得意だが、その逆に名前が覚えられない。もしかして、造形を印象付ける何かの方が、脳の中に多く組み込まれているのだろうか。
 博物館や美術館でなにかを見る。作品と対峙する。形や印象は、こころに残っているのだが、その作品名が記憶にないため後で困った状態になる。
 しかし、その所有の仕方。日本も一時、お金が膨らんでいく時代があった。不動産の無謀な価格の急上昇もあった。そんな時代に彼も成長した。そのお金を政策として地方にばらまき、箱を作り、中味をどこからか買ってきた。しかし、あまりにもそれは、収穫の少ない、実りの小さいものではないのか。
 大英博物館。巨大化していた大英帝国。その子供や孫のような植民地を世界のあらゆるところに抱え、そこから、根こそぎ所有権を訴え、持ってきている。その収穫の多さ。利回りの素晴らしさ。ある時代の国家の繁栄の仕方と、許されてきたものの違いと、傍若無人とが入り混じったもののように考える。そうした方法でしか、手に入れられない有数のもの。
 彼は、夢想する。その箱にまとめて、集約された形で所有されているものを出来るだけ見ること。こころは、ウイーンに飛んでいる。
 ハプスブルク家という王様の意地とプライドの400年間の記録として、まれにみる美術コレクションを保存している美術館がある。1891年、一般公開され、王様(もちろん女王がいれば含む)以外の庶民の好奇心ある目にも解放される。古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品を収蔵している、ということになっている、そのなかでもブリューゲルの名作の数々、『雪中の狩人』『農民の踊り』『子どもの遊戯』など(彼は形はあれね、ということで記憶にはあるのだが、資料で調べてみないと全く名前はわからないのだが)、美術全集でおなじみの傑作が一室に納められている部屋があるらしく、彼はそこに足を踏み入れられる日がくることを、自分の人生に期待している。
 その名前は、端的にも美術史美術館。
 民衆の土臭い繁栄の土台(底辺として)のような生活に、郷愁と愛着と誇りをもっている彼。もし、格差というものが如実に、なくならないものとして世界に存在し続けるならば、その下側に居場所を見つけたいと思っている彼だが、ある多くの人々の手の技による世界の遺産に触れる機会を作ってくれるのは、植民地を有した国家や、ヨーロッパの繁栄の頂点としての王様や、一億円のばら撒きの結果としてであることを知る。その、アンバランスな世の中に、所有権の有無を計る。
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当人相応の要求(27)

2007年08月09日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(27)

例えば、こうである。
 自分のことは、自分できちんとアピールしなければならない社会。
 そこには、過少とか過大とかが、当然のように棲家を見つけるのかもしれないが。
 ご利用は、計画的に。
 健康のため、吸い過ぎには注意しましょう。
 一人の人間が表れる。
光永 星郎という人物が熊本で生まれる。時は、1866年。あらゆる日本に生まれる男性の通過経路として、いろいろの成長過程に夢や挫折があり、それでも一つのイメージを勝ち得ていく。
通信事業に目覚め、外国からの記事があまりにも遅れたり手違いがあったのだろうか、そこでのトラブルの経験をもとに、その記事にも広告という媒体を挟み込めば、ある手間賃を相殺できるのではないのかと考える。
考えれば、成功するためには実行するしかないわけで、1901年に会社を設立し、それが以後、電通という会社に引き継がれる。宣伝すること。アピールすること。広告という付加価値。
現代になれば、あらゆるものが宣伝マンの手にかかり、イメージを大衆に広めていく。選挙活動さえ、そうしたいくつかの企業がかかわっているというのも事実みたいだ。
ケネディに負けるニクソンの戦略。
しかし、この物語の彼も、何も取り柄もなく、得意分野を自分で見つけることもできず、それでも収入の必要から、仕事の面接をしにいく。そこで、痛感するのは、もしかして自分をアピールすることではないのか? 持っているもの以上に、大風呂敷をひろげることなのか、とまで考える。
しかし、本当に、そんなことは必要なのだろうか、という疑問も頭の片隅に沸く。そこまでして、勝ち得るものってなんなのだろう? そして、得ることによって失うものもあるのだろうか? と不安にもなる。だが、その時点で失うものなどなかったはずだ、といくつかの年を経た彼は、知っている。もちろん、経験を通して、知らなければならない遠回りなわけでもあるのだが。
いくつかの象徴的なものが、映像を通じ、世間と握手をする。
ライオンが吠える映画のスタート。それを確認すれば、ある程度のクオリティの確約として。それと同じくして、波が砕ける日本映画。それは、過去の日本人が持っていたはずの情緒的気持ち。
ある電機メーカーのロゴ。故障もしない、ゆえにアフターサービスも少なくてすむ製品。
数行の言葉によって、その新たに産まれた製品のイメージを作り上げていく人。その命名によって、健康な子供の成長が決定したように、世の中に流通していく品々。
彼は、考える。その数行の言葉の選び方を。そして、最高のものとして、いつも思うのは、
「お尻だって、洗ってほしい」というシンプルな言葉の打撃。
 陽の目をみる言葉。海岸での砂で作られたお城のような、はかない言葉のイメージ。永久に残るものとして大作家の小説があるとしたら、その反対にこのようなコピーライターがいるのかもしれない。実際は、まったくの見当はずれのことを彼は、考えているのかもしれない。彼は、自分自身を宣伝が必要なものとして、考え出す。指針として、電通という会社の4代目の社長の訓戒。
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
 
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