当人相応の要求(29)
例えば、こうである。
弟の物語。
誰かの弟であることの物語。2番目。
そこには、前例があり、具体的な形として、洋服やおもちゃや、自転車などもある。
2番目には、見本がある。追いかける対象が出来ている。その反面、比較の恐怖もあるのかもしれない。兄は、ああだったのに・・・。
彼にも兄がいた。多少、いや結構な悪いことを外で行っていても、彼の兄の素行が酷かったので、親や周りから見ても、その行為は軽減される。追い越せない目標。
しかし、そこはいくらか自立した他人で、女性への視点も大幅に違う。彼の兄は、自分が住んでいた地域の卒業アルバムをすべて一揃え持っていて、どのように手中にしたのかは疑問だが、そこからピックアップした女性に電話をかけていた。そのため、彼の家には、無数の地域限定だが、かなりの美女が訪れることになる。アクションを仕掛けること。
それを目にする彼。反動なのか、もって生まれた性分なのか、純粋にも、自分にあっている女性は、世界中にひとりしかいないのでは? という確信的な疑問がもたげ、それが勝手に成長していく。しかし、そんな簡単におとぎ話が訪れるわけでもなく、確信を、崩れゆく砂のように、意図的にか、それとも自然にか崩していく。
もう一人は、彼の同級生の話。
野球をすることに秀でた兄。その才能は、全国的な大会に出場するほど。それは、とても素晴らしいことだと思うし、普通の気持ちで応援しもした彼。だが、問題は、あらゆる角度から眺めないといけない。その優秀な兄を持つ弟から聞いた話によると、比較される辛さを、その同級生は、そのことで惨めな気持ちを持ったということだった。その人は、かなり若く(そんな年齢で? というぐらい)家を出て、ひとりでアパートに住んでいた。感情移入がすきな彼(好きでなかったら、本など求道みたいな形で読んでいないだろう)は、問題を大きくしているのかもしれない。そんなに酷いことはなかったのかもしれないが、なんとなく、そういう大事業を遂げた人のそばにいる憂鬱を感じてしまう。
大統領の兄がいる。革新という言葉がぴったりの姿と口調。ベトナムの問題も取り上げる。公民権運動にも関わる。アメリカがそういう時代だった。
かなりな時代が過ぎても、もしかしたら数々のことを生き続けていたとしたら、その人は成し遂げたのではないだろうか、と希望を持つ。それを断ち切るアメリカの現実。
弟がいる。1917年5月29日生まれの兄。その八年半後に生まれた弟。
アイドル性のある兄より、もっと実務に向いていそうな容貌を持つ。弟が38歳と2日目の日、その男性の兄は銃で撃たれる。大切なものを失くすこと。家族内のヒーローの欠乏。
その弟が、どういう気持ちを持ったかまでは分からない。しかし、兄が成し遂げたことは、多少の努力で、自分も近づくチャンスがあると思ったのだろうか。その地位への執念。選ばれし家族。
選挙のため、あらゆるところを廻る。温室内とは、違う実際の日のあたらない人たち。そういうものに影響されたのだろうか?
感情移入の好きな彼は、考える。もう一つの安易なストーリーを考え付き、それに溺れる。
最初は、自分の権威やプライドが一人歩きしていたようなものだが、アメリカの国内中を廻り、未来を信じられない人々。もう直ぐ、ベトナムに行く人。クラスが違うように同じ架空の教室に入れない2流の人種の人々。
そのような出来事や事実を目の当たりにして、普通の柔らかい心を持った人は、良い意味で動揺しないものだろうか? それとも、頑なに自分の育ってきた環境の意識を持ち続けるのだろうか?
その人は、階段を登り始める。期待と、肩にかかる重荷。しかし、実務者は、実際的な方法を見つけ、解決していくのだろう。
だが、歴史は悲劇的に流れを求め、1968年、その弟は6月5日に撃たれ、その翌日の6日に息をひきとる。明治から100年。暴力てきな回答。兄に追いつけない? いや模範どおりの弟。
例えば、こうである。
弟の物語。
誰かの弟であることの物語。2番目。
そこには、前例があり、具体的な形として、洋服やおもちゃや、自転車などもある。
2番目には、見本がある。追いかける対象が出来ている。その反面、比較の恐怖もあるのかもしれない。兄は、ああだったのに・・・。
彼にも兄がいた。多少、いや結構な悪いことを外で行っていても、彼の兄の素行が酷かったので、親や周りから見ても、その行為は軽減される。追い越せない目標。
しかし、そこはいくらか自立した他人で、女性への視点も大幅に違う。彼の兄は、自分が住んでいた地域の卒業アルバムをすべて一揃え持っていて、どのように手中にしたのかは疑問だが、そこからピックアップした女性に電話をかけていた。そのため、彼の家には、無数の地域限定だが、かなりの美女が訪れることになる。アクションを仕掛けること。
それを目にする彼。反動なのか、もって生まれた性分なのか、純粋にも、自分にあっている女性は、世界中にひとりしかいないのでは? という確信的な疑問がもたげ、それが勝手に成長していく。しかし、そんな簡単におとぎ話が訪れるわけでもなく、確信を、崩れゆく砂のように、意図的にか、それとも自然にか崩していく。
もう一人は、彼の同級生の話。
野球をすることに秀でた兄。その才能は、全国的な大会に出場するほど。それは、とても素晴らしいことだと思うし、普通の気持ちで応援しもした彼。だが、問題は、あらゆる角度から眺めないといけない。その優秀な兄を持つ弟から聞いた話によると、比較される辛さを、その同級生は、そのことで惨めな気持ちを持ったということだった。その人は、かなり若く(そんな年齢で? というぐらい)家を出て、ひとりでアパートに住んでいた。感情移入がすきな彼(好きでなかったら、本など求道みたいな形で読んでいないだろう)は、問題を大きくしているのかもしれない。そんなに酷いことはなかったのかもしれないが、なんとなく、そういう大事業を遂げた人のそばにいる憂鬱を感じてしまう。
大統領の兄がいる。革新という言葉がぴったりの姿と口調。ベトナムの問題も取り上げる。公民権運動にも関わる。アメリカがそういう時代だった。
かなりな時代が過ぎても、もしかしたら数々のことを生き続けていたとしたら、その人は成し遂げたのではないだろうか、と希望を持つ。それを断ち切るアメリカの現実。
弟がいる。1917年5月29日生まれの兄。その八年半後に生まれた弟。
アイドル性のある兄より、もっと実務に向いていそうな容貌を持つ。弟が38歳と2日目の日、その男性の兄は銃で撃たれる。大切なものを失くすこと。家族内のヒーローの欠乏。
その弟が、どういう気持ちを持ったかまでは分からない。しかし、兄が成し遂げたことは、多少の努力で、自分も近づくチャンスがあると思ったのだろうか。その地位への執念。選ばれし家族。
選挙のため、あらゆるところを廻る。温室内とは、違う実際の日のあたらない人たち。そういうものに影響されたのだろうか?
感情移入の好きな彼は、考える。もう一つの安易なストーリーを考え付き、それに溺れる。
最初は、自分の権威やプライドが一人歩きしていたようなものだが、アメリカの国内中を廻り、未来を信じられない人々。もう直ぐ、ベトナムに行く人。クラスが違うように同じ架空の教室に入れない2流の人種の人々。
そのような出来事や事実を目の当たりにして、普通の柔らかい心を持った人は、良い意味で動揺しないものだろうか? それとも、頑なに自分の育ってきた環境の意識を持ち続けるのだろうか?
その人は、階段を登り始める。期待と、肩にかかる重荷。しかし、実務者は、実際的な方法を見つけ、解決していくのだろう。
だが、歴史は悲劇的に流れを求め、1968年、その弟は6月5日に撃たれ、その翌日の6日に息をひきとる。明治から100年。暴力てきな回答。兄に追いつけない? いや模範どおりの弟。