(61)
多分、この日を忘れることはないだろう。
1993年5月15日。Jリーグが開幕した日だ。ぼくもテレビの前に座っている。
観客席が映されている。そんなに熱狂した人たちが集まっているとは思っていなかった。2つのチームはプロ化がはじまる前から、ライバル同士だった。そのチームが、きちんと陽の目を浴びた場所で戦っていること自体に感動した。希望をもって待つことへの、正式な回答のような一日だった。
登録しているのは10チームしかないので、合計5試合が行われるのみだ。
土曜に、開幕戦があり、マリノスが結果として勝った。ある人たちがまだ現役で活躍できる間に、プロ化が実現して、なぜかぼくは、ほっとしていた。
だが、本当の開幕は翌日だったのかもしれない。鹿島といういままで聞きなれない町にもチームができる。彼らは赤いユニフォームを着ている。過去に何度も栄光の舞台に立ったブラジルの選手が、魅力的なチームを作り上げ、さらに自身の最後のステージをそこに決めているようだった。
その40歳の選手は、若手の誰よりも多く走っているように見えた。見えただけではなく、実際に3得点を取り、それ以上にグラウンドを我が物としていた。過去の遺物としてではなく、現時点でも全力を尽くすことを体現しているような美しさがあった。また、短い間にチームをトップレベルに持ち上げた手腕により、その方面での能力も買われていた。
結局、アントラーズは5対0で勝ち、見るものに衝撃を与えた。華やかな未来が日本には待っているという、皆が無邪気に望んでいた幻想を与えた。そのともしびを抱えていたのは、40歳の選手だったような気がした。
みどりもその鹿島にいた。試合後、興奮した彼女と電話をした。その気持ちは痛いほど分かった。ぼくもその場にいたかった。しかし、なぜか遠く離れたテレビの前で時間を過ごしている。
ぼくも興奮の気持ちをどこかにぶつけたかったように思う。試合後、誰かとビールでも飲みながら話したかった。そこで、由紀ちゃんとの約束を実行していないことを思い出し、彼女の家に電話した。偶然にも、その日は暇だったらしく、彼女の家に行くことになった。その前に買っていた、帰国祝いのようなプレゼントを持って、さらに食料をちょっとだけ仕入れ、家に向かった。
玄関を開けると、彼女のいつもと違うリラックスした顔が見えた。このときに、多分だが、もう後戻りができない感情が芽生えたのだと思う。いままで隠そうとしていた感情が自分に内在されていたのを知ることになるのだ。知って存在が分かれば、ないことにすることは出来ず、はっきりとその存在は主張をはじめる。そして、それを育つままにさせたのだと思う。
部屋で彼女は簡単な料理を作っていた。そうしたことを目にしていなかったので、自分には意外な気がした。そして、自分は今日見たサッカーのことを話し、彼女はニューヨークの雑誌社での経験と語学学校での生活と友人などの話をした。それを、アルコールの入ったゆったりとした気持ちで聞いていた。
普段、社内では以前とは違いよそよそしい関係だった。それと、彼女の家族の関係もあり、将来的に高い地位に立つことを、彼女は確約されていた。その面では、あきらかに自分は部外者だった。
酔いがまわり、遅くならない時間に自分は帰ろうとした。このまま居続けたら、自分の気持ちは終わってしまうような気もした。だが、答えはもう出ていたのかもしれない。
いくらか涼しくなった外気を感じながら、途中まで送ってもらった。そこで少し立ち話をして、別れた。
自分は迷っていたのだろう。二つの道があった。若いころから知っているみどりとの関係を永続させること。それとは反対に由紀ちゃんとの新しい関係をはじめること。もう気持は後者に傾いていた。が、しかし、それを打ち明けるエネルギーが自分にはあるのだろうかということが先ず心配で、その次にみどりは簡単に納得してくれるかということが、さらにそれ以上の心配の種だった。
家に着いて、眠りに就こうとベッドに入るも、なかなか眠れなかった。そのような時に、みどりとの過去の楽しかった出来事が、断片的に思い出された。それを断ち切ってまで、自分の幸せの追求は正しいことなのだろうか、と悩みだすとさらに眠りは遠くなった。眠りの導入口は缶詰の中に入っているように、自分からは隔絶されていた。
多分、この日を忘れることはないだろう。
1993年5月15日。Jリーグが開幕した日だ。ぼくもテレビの前に座っている。
観客席が映されている。そんなに熱狂した人たちが集まっているとは思っていなかった。2つのチームはプロ化がはじまる前から、ライバル同士だった。そのチームが、きちんと陽の目を浴びた場所で戦っていること自体に感動した。希望をもって待つことへの、正式な回答のような一日だった。
登録しているのは10チームしかないので、合計5試合が行われるのみだ。
土曜に、開幕戦があり、マリノスが結果として勝った。ある人たちがまだ現役で活躍できる間に、プロ化が実現して、なぜかぼくは、ほっとしていた。
だが、本当の開幕は翌日だったのかもしれない。鹿島といういままで聞きなれない町にもチームができる。彼らは赤いユニフォームを着ている。過去に何度も栄光の舞台に立ったブラジルの選手が、魅力的なチームを作り上げ、さらに自身の最後のステージをそこに決めているようだった。
その40歳の選手は、若手の誰よりも多く走っているように見えた。見えただけではなく、実際に3得点を取り、それ以上にグラウンドを我が物としていた。過去の遺物としてではなく、現時点でも全力を尽くすことを体現しているような美しさがあった。また、短い間にチームをトップレベルに持ち上げた手腕により、その方面での能力も買われていた。
結局、アントラーズは5対0で勝ち、見るものに衝撃を与えた。華やかな未来が日本には待っているという、皆が無邪気に望んでいた幻想を与えた。そのともしびを抱えていたのは、40歳の選手だったような気がした。
みどりもその鹿島にいた。試合後、興奮した彼女と電話をした。その気持ちは痛いほど分かった。ぼくもその場にいたかった。しかし、なぜか遠く離れたテレビの前で時間を過ごしている。
ぼくも興奮の気持ちをどこかにぶつけたかったように思う。試合後、誰かとビールでも飲みながら話したかった。そこで、由紀ちゃんとの約束を実行していないことを思い出し、彼女の家に電話した。偶然にも、その日は暇だったらしく、彼女の家に行くことになった。その前に買っていた、帰国祝いのようなプレゼントを持って、さらに食料をちょっとだけ仕入れ、家に向かった。
玄関を開けると、彼女のいつもと違うリラックスした顔が見えた。このときに、多分だが、もう後戻りができない感情が芽生えたのだと思う。いままで隠そうとしていた感情が自分に内在されていたのを知ることになるのだ。知って存在が分かれば、ないことにすることは出来ず、はっきりとその存在は主張をはじめる。そして、それを育つままにさせたのだと思う。
部屋で彼女は簡単な料理を作っていた。そうしたことを目にしていなかったので、自分には意外な気がした。そして、自分は今日見たサッカーのことを話し、彼女はニューヨークの雑誌社での経験と語学学校での生活と友人などの話をした。それを、アルコールの入ったゆったりとした気持ちで聞いていた。
普段、社内では以前とは違いよそよそしい関係だった。それと、彼女の家族の関係もあり、将来的に高い地位に立つことを、彼女は確約されていた。その面では、あきらかに自分は部外者だった。
酔いがまわり、遅くならない時間に自分は帰ろうとした。このまま居続けたら、自分の気持ちは終わってしまうような気もした。だが、答えはもう出ていたのかもしれない。
いくらか涼しくなった外気を感じながら、途中まで送ってもらった。そこで少し立ち話をして、別れた。
自分は迷っていたのだろう。二つの道があった。若いころから知っているみどりとの関係を永続させること。それとは反対に由紀ちゃんとの新しい関係をはじめること。もう気持は後者に傾いていた。が、しかし、それを打ち明けるエネルギーが自分にはあるのだろうかということが先ず心配で、その次にみどりは簡単に納得してくれるかということが、さらにそれ以上の心配の種だった。
家に着いて、眠りに就こうとベッドに入るも、なかなか眠れなかった。そのような時に、みどりとの過去の楽しかった出来事が、断片的に思い出された。それを断ち切ってまで、自分の幸せの追求は正しいことなのだろうか、と悩みだすとさらに眠りは遠くなった。眠りの導入口は缶詰の中に入っているように、自分からは隔絶されていた。