爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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問題の在処(17)

2008年12月27日 | 問題の在処
問題の在処(17)

 小さな子供にも金銭の感覚が生まれる。

 何かを手に入れる代償として、いくらかのものを支払い、なにか生産的なことをすると、なにがしかのものを手に入れる。その付加価値として、喜びや痛みも伴っていくのだろう。

 良い子でいる代わりにプレゼントが与えられ、悪い子にすると、利権をとりあげられる。簡単なものだったはずだが、大人になれば、そう無邪気さのままではいられなくなってもしまうのだろう。

 ぼくは、簡単なものを書き、たまみの友人の母に会いに行く。元モデルのその人は、現在、出版関係に顔が利き、そのぼくの価値を試す基準として会いに行くことになった。誰しもが、自分に似合う以上の価値や、評価やその代償としてのお金にも飢えていた。そういう時代でもあったのだろう。

 部屋に通され、ぼくの書いたものをちらっと読み、その人はテーブルの横に置いた。それの判断は直ぐにはなされなかった。あとで分かることだが、その書かれたものは、その人間以上のものにはならないという信念が彼女にはあった。それに賛成はしないが、表立って反対することもなかった。つまり、それぐらい魅力的な人でもあったのだろう。しかし、どこかに芸術のエネルギーの箱があり、そこにたどり着ける人は価値以上のものを発揮する機会もあるだろう。その証明としてのアマデウスとか。

「これから、あなたは一人前になるか、凡人になるかのスタートラインに立っている」
 と、彼女は言った。そして、颯爽と立ち上がり、歩きだした。うしろを振り返り、ぼくにも付いてくるよう目で合図をした。ぼくは、書いたものに赤ペンでも入れられるのだろう、と覚悟をしていたが、まだ20歳前後の非天才にいったいなにが書け、また世間のさまざまな事象に対して判断ができたのだろう。

 車の横に乗り、彼女の運転をそれとなく眺めた。かなり乗りなれているらしく、猫が狭い道の枠を知っているように、彼女の運転もとても動物てきだった。敏捷という言葉が似合っていた。

 あっという間に箱根に着いた。そこでランチを食べることになる。とても上品な店でぼくの服装は、その場には合っていなかった。給仕をしてくれた男性は、表情をおもてに出さないようでいながら、とても好感がもてる振る舞いだった。多分、いままでで経験したことのない様子と素ぶりだった。

「わたしは、運転があるから飲まないのよ」
 と言って、いかにも高価そうなワインが出された。
「これについて、あなたは何かが書ける?」
 というようなことを言われた。産地にしろ、その生まれた環境にしろ、それを飲んだ思い出にしろぼくにはなにもなかった。薄っぺらな人間であることが痛感された。
「なにごとにも興味をもってね」当然のことのように言われた。こころの奥底では、いつかこのようなぼくの人生を導いてくれる人が出てくることを望んでいたのかもしれない。その現実化としての彼女の存在があったのだろう。
 ぼくらは湖畔にでて、ちょっと歩いた。風になびいた彼女の髪は、とても優雅に揺れた。そのことに呆然としながらも、ぼくは家にいるであろうたまみのことも考えた。彼女の素朴なエネルギーのことも思い出さないわけにはいかなかった。

「経験を積めば、あなたは立派な人になるかもしれないわよ」と、下手な俳優にようにか、わざと棒読みのように言った。その宣言は当たっていなかったことを、いまのぼくは知っているのだが。

 A君は、都会から離れお金を稼いでいた。その使い道はどういうものだったのだろう。B君は、金銭に好かれている人のようだった。ぼくは、きっと想像をエネルギーにするような人間だったのだろう。

 妻が、最近幸太と約束していたことがあり、その代償として、ぼくにプレゼントを頼んだ。彼女はそういうことが好きだった。帰りにデパートに寄り、過剰なまでのラッピングをしてもらった。その袋をもちながら、ぼくは、10年もまえに宣言された預言の言葉が実現されていないことにショックを受けていた。
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問題の在処(16)

2008年12月21日 | 問題の在処
問題の在処(16)

 幸太が靴ひもを結ぼうとしている。そのたどたどしい素振りは、まだまだ上達していないことの証しだった。代わりに妻がいつものように、幸太の小さな靴を引き寄せ、きれいな形に結び直した。その様子をみている自分は、誰かの援助がない世の中のことについて考えだす。

 A君は遠くの場所にいた。その頃を振り返ると、もう少し緊密に連絡をとっておいたら、といくらかの後悔をいだく。その後悔はもちろんあとになって分かるわけだが、多分、いま進行中のことに頭は占領されるように人間は、できているのだろう。

 人類の一部であろうとする自分も、そうした無責任であり盲目的な選択に日々、追われる。

 たまみの天真爛漫なところに影響されないように、ぼくは規律よく生活したいと望みはじめていた。勤勉に大学で授業を受け、家でシナリオの真似ごとのようなものを書き、夜は飲食店でバイトをした。

 そのようなバイト先で働いていると、自然と交友関係が広がることがあったが、それでメリットがあるようなことはなかった。そんなに夢中でなかったはずのたまみとの生活も勤勉さの一部として、壊さないようにしたかったのかもしれない。それでも、彼女は、ときにはどこかに飛び立っていたのだろう。そうした事実があろうとなかろうと、ぼくは運命的なものなどは、必ず手からこぼれおちるような印象を抱きだしていた。もし、道が2つ目の前にあるのなら、必ずメリットがない方向を選ぶだろうことぐらいは、自分の運命の予感を肌が知っていた。

 それで、なにがあっても、彼女の生活の部分を追求しつくすということがなかった。彼女は、絵を描き、たくさんのデザインを考えだした。生活も自分のデザインの現れであるということを象徴するように、楽しく過ごせればよいとでも考えているらしかった。そんな彼女なので、うまく自分の生活が回らないときは、当然のようにいらだった。たまみの家に住んでいた時分だが、彼女は時折帰ってこないこともあった。はじめは心配したが、ときにタイヤの空気をいれるかのように定期的に彼女は、いなくなった。

 最初のときに、彼女の家に電話をした。彼女の両親の行動様式として、しつけというものがないらしかった。それなので、心配しすぎるぼくのことを奇異な感じで見ているらしいことが分かった。それ以来、そうした経験もしたくなかったので、焦って彼女の家族に連絡することもなくなった。

 かわって彼女の大学のともだちに、こっそりと居場所ぐらいは知っているのかと質問した。彼女は、知ってはいるらしいが、教えてはくれなかった。そのうち、戻ってくるから心配しないでいいよ、といった。実際に、そうなることにはなったが、人生を共有しているという感覚は、次第に薄れていく。

 たまみの、その友達は大学でカメラを専攻していた。

 父親が有名なカメラマンで、母は、もともとそのモデルになっていた人ということで有名なひとでもあった。なので、彼女も、とてもきれいな容貌を有していた。ぼくのバイト先にもたまに寄り、バイト先の友人たちは、誰もが彼女を紹介してもらいたがった。だが、彼女は、そのことを告げても、なにも関心がないように2度と、その話は持ち出してくれるな、という顔をした。従順な番犬のように、ぼくはそのようにした。ぼくも、働きながら、そのようなきれいな人を見られる誘惑は、けっこうあったのだと思う。たまみからぼくがシナリオを書いていることを教えられ、それも読んだらしく、能力を伸ばすようにアドバイスもしてくれた。彼女の母は、仕事がらか出版社にも顔が利き、優秀な若い子を探すのが趣味ともいった。

「一度、会ってみるのも悪くないかもよ?」とある日、彼女は言った。

 誰かが、自分の生活に入り込み、力になってくれるということを幸運か、それとも過剰な関係か判断はしかねていた。しかし、段取りさえ上手くいけば、車輪は転がるようにも出来ている。

 幸太は、結ばれている靴でボールを蹴っている。

 ぼくもその相手をしている。芝生には、きのうの雨の水滴が残っていて、すこしぬかるんだ箇所もあった。妻は離れたベンチで、本を広げていた。独身時代から、祐子は、それが好きだった。
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