問題の在処(17)
小さな子供にも金銭の感覚が生まれる。
何かを手に入れる代償として、いくらかのものを支払い、なにか生産的なことをすると、なにがしかのものを手に入れる。その付加価値として、喜びや痛みも伴っていくのだろう。
良い子でいる代わりにプレゼントが与えられ、悪い子にすると、利権をとりあげられる。簡単なものだったはずだが、大人になれば、そう無邪気さのままではいられなくなってもしまうのだろう。
ぼくは、簡単なものを書き、たまみの友人の母に会いに行く。元モデルのその人は、現在、出版関係に顔が利き、そのぼくの価値を試す基準として会いに行くことになった。誰しもが、自分に似合う以上の価値や、評価やその代償としてのお金にも飢えていた。そういう時代でもあったのだろう。
部屋に通され、ぼくの書いたものをちらっと読み、その人はテーブルの横に置いた。それの判断は直ぐにはなされなかった。あとで分かることだが、その書かれたものは、その人間以上のものにはならないという信念が彼女にはあった。それに賛成はしないが、表立って反対することもなかった。つまり、それぐらい魅力的な人でもあったのだろう。しかし、どこかに芸術のエネルギーの箱があり、そこにたどり着ける人は価値以上のものを発揮する機会もあるだろう。その証明としてのアマデウスとか。
「これから、あなたは一人前になるか、凡人になるかのスタートラインに立っている」
と、彼女は言った。そして、颯爽と立ち上がり、歩きだした。うしろを振り返り、ぼくにも付いてくるよう目で合図をした。ぼくは、書いたものに赤ペンでも入れられるのだろう、と覚悟をしていたが、まだ20歳前後の非天才にいったいなにが書け、また世間のさまざまな事象に対して判断ができたのだろう。
車の横に乗り、彼女の運転をそれとなく眺めた。かなり乗りなれているらしく、猫が狭い道の枠を知っているように、彼女の運転もとても動物てきだった。敏捷という言葉が似合っていた。
あっという間に箱根に着いた。そこでランチを食べることになる。とても上品な店でぼくの服装は、その場には合っていなかった。給仕をしてくれた男性は、表情をおもてに出さないようでいながら、とても好感がもてる振る舞いだった。多分、いままでで経験したことのない様子と素ぶりだった。
「わたしは、運転があるから飲まないのよ」
と言って、いかにも高価そうなワインが出された。
「これについて、あなたは何かが書ける?」
というようなことを言われた。産地にしろ、その生まれた環境にしろ、それを飲んだ思い出にしろぼくにはなにもなかった。薄っぺらな人間であることが痛感された。
「なにごとにも興味をもってね」当然のことのように言われた。こころの奥底では、いつかこのようなぼくの人生を導いてくれる人が出てくることを望んでいたのかもしれない。その現実化としての彼女の存在があったのだろう。
ぼくらは湖畔にでて、ちょっと歩いた。風になびいた彼女の髪は、とても優雅に揺れた。そのことに呆然としながらも、ぼくは家にいるであろうたまみのことも考えた。彼女の素朴なエネルギーのことも思い出さないわけにはいかなかった。
「経験を積めば、あなたは立派な人になるかもしれないわよ」と、下手な俳優にようにか、わざと棒読みのように言った。その宣言は当たっていなかったことを、いまのぼくは知っているのだが。
A君は、都会から離れお金を稼いでいた。その使い道はどういうものだったのだろう。B君は、金銭に好かれている人のようだった。ぼくは、きっと想像をエネルギーにするような人間だったのだろう。
妻が、最近幸太と約束していたことがあり、その代償として、ぼくにプレゼントを頼んだ。彼女はそういうことが好きだった。帰りにデパートに寄り、過剰なまでのラッピングをしてもらった。その袋をもちながら、ぼくは、10年もまえに宣言された預言の言葉が実現されていないことにショックを受けていた。
小さな子供にも金銭の感覚が生まれる。
何かを手に入れる代償として、いくらかのものを支払い、なにか生産的なことをすると、なにがしかのものを手に入れる。その付加価値として、喜びや痛みも伴っていくのだろう。
良い子でいる代わりにプレゼントが与えられ、悪い子にすると、利権をとりあげられる。簡単なものだったはずだが、大人になれば、そう無邪気さのままではいられなくなってもしまうのだろう。
ぼくは、簡単なものを書き、たまみの友人の母に会いに行く。元モデルのその人は、現在、出版関係に顔が利き、そのぼくの価値を試す基準として会いに行くことになった。誰しもが、自分に似合う以上の価値や、評価やその代償としてのお金にも飢えていた。そういう時代でもあったのだろう。
部屋に通され、ぼくの書いたものをちらっと読み、その人はテーブルの横に置いた。それの判断は直ぐにはなされなかった。あとで分かることだが、その書かれたものは、その人間以上のものにはならないという信念が彼女にはあった。それに賛成はしないが、表立って反対することもなかった。つまり、それぐらい魅力的な人でもあったのだろう。しかし、どこかに芸術のエネルギーの箱があり、そこにたどり着ける人は価値以上のものを発揮する機会もあるだろう。その証明としてのアマデウスとか。
「これから、あなたは一人前になるか、凡人になるかのスタートラインに立っている」
と、彼女は言った。そして、颯爽と立ち上がり、歩きだした。うしろを振り返り、ぼくにも付いてくるよう目で合図をした。ぼくは、書いたものに赤ペンでも入れられるのだろう、と覚悟をしていたが、まだ20歳前後の非天才にいったいなにが書け、また世間のさまざまな事象に対して判断ができたのだろう。
車の横に乗り、彼女の運転をそれとなく眺めた。かなり乗りなれているらしく、猫が狭い道の枠を知っているように、彼女の運転もとても動物てきだった。敏捷という言葉が似合っていた。
あっという間に箱根に着いた。そこでランチを食べることになる。とても上品な店でぼくの服装は、その場には合っていなかった。給仕をしてくれた男性は、表情をおもてに出さないようでいながら、とても好感がもてる振る舞いだった。多分、いままでで経験したことのない様子と素ぶりだった。
「わたしは、運転があるから飲まないのよ」
と言って、いかにも高価そうなワインが出された。
「これについて、あなたは何かが書ける?」
というようなことを言われた。産地にしろ、その生まれた環境にしろ、それを飲んだ思い出にしろぼくにはなにもなかった。薄っぺらな人間であることが痛感された。
「なにごとにも興味をもってね」当然のことのように言われた。こころの奥底では、いつかこのようなぼくの人生を導いてくれる人が出てくることを望んでいたのかもしれない。その現実化としての彼女の存在があったのだろう。
ぼくらは湖畔にでて、ちょっと歩いた。風になびいた彼女の髪は、とても優雅に揺れた。そのことに呆然としながらも、ぼくは家にいるであろうたまみのことも考えた。彼女の素朴なエネルギーのことも思い出さないわけにはいかなかった。
「経験を積めば、あなたは立派な人になるかもしれないわよ」と、下手な俳優にようにか、わざと棒読みのように言った。その宣言は当たっていなかったことを、いまのぼくは知っているのだが。
A君は、都会から離れお金を稼いでいた。その使い道はどういうものだったのだろう。B君は、金銭に好かれている人のようだった。ぼくは、きっと想像をエネルギーにするような人間だったのだろう。
妻が、最近幸太と約束していたことがあり、その代償として、ぼくにプレゼントを頼んだ。彼女はそういうことが好きだった。帰りにデパートに寄り、過剰なまでのラッピングをしてもらった。その袋をもちながら、ぼくは、10年もまえに宣言された預言の言葉が実現されていないことにショックを受けていた。