爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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拒絶の歴史(68)

2010年05月31日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(68)

 冬になるにはまだ早かった。

 またラグビーの後輩たちは快進撃を遂げている。ぼくはもうその頃になると冷静に観戦できるようになり、自分の叶わなかった目標とは別の形で存在しているものを理解できるようになった。彼らもそれぞれ頑張って自分の能力を伸ばしているはずだった。その苦痛と逆のかたちでの歓喜を思い出せそうな気持ちもあったが、それでもやはり忘れている部分も多かった。あの頃の自分とは、もう人間自体が入れ替わっていた。

 こちらに戻ってきた雪代とスタンドで観戦している。その試合をハラハラしながら、またある面では安心しながら見ていた。ピンチの場面やトライが決まったときなど、ぼくの後ろで大きな歓声が聞こえ、その当時の集中していた自分は何も聞こえていなかったはずだ、と思っている。隣では雪代も同じように悲鳴のような声をあげた。あまりにも感情を奪われすぎている彼女はぼくのひじを握り締め、そのことで耐えようとしているようだった。

 ぼくの母校はそれでも余裕で試合に勝ち、次の段階へすすんだ。ぼくは彼らの休憩室まで入り、お祝いの言葉を述べた。ぼくが三年生のときに一年だった後輩が、いまはその立場になっていた。同じ練習をしてきた仲間も、もう来年にはいなくなるのかと思うと淋しい気もしたが、その三年のサイクルがなにか自分にはぴったりと気持ちが入れ替わる丁度良いタイミングのようにも思えた。

 待っている雪代のそばまで戻った。彼女の存在を後輩たちは知っていた。ぼくが全国大会に行けなかった挫折と裏切りの象徴として彼女がいた。しかし、罪の甘みのようなものを彼らは感じ取っていたのかもしれない。ぼくにとってはただの憧れの存在であったにしてもだ。

「ひろし君が行けば、後輩たちも喜ぶでしょう?」と、彼女は言った。
「もう来年には、ぼくの存在を知っている人もいなくなるんだよ」追憶の感情に包まれ、ぼくはいくらか感傷的になっていたのだろうか。彼女は寒くなったのか、身体をすり寄せぼくにもたれた。

 過去に泥だらけになって帰った道を、いまはきれいな女性と並んで、高い木々のしたを歩いている。足の裏には落ちた葉っぱがあり、それが適度なクッションになっている。ぼくの耳はこすれた葉っぱのカサカサという音と同時に、彼女のヒールの音を聞いている。駐車場までその音を聞き、彼女はバックから車の鍵を出した。車内に入りドアを閉めると、秋のにおいが急に消えた。その代わり、いつもの彼女の香水のうすい香りがした。

 大声を出したためかぼくらは空腹をいつもより感じていた。彼女の運転でなじみのレストランに向かった。彼女はその店の雰囲気と過剰ではないサービスを好んでいた。ぼくにとっても、彼女がそのような気持ちでいることが、とても居心地よくさせた。

「またラグビーをやってみたい?」
「もう、無理だよ。サッカーのコーチでいるぐらいが限界だよ」と正直なことを告げた。
「今日はわたしも飲みたくなったから、車を置いてきていい?」と、彼女は尋ねた。ぼくは、もちろん同意することになり、いくらか遠回りをしたが、いっしょに歩いていった。普段、歩きなれている道も彼女と歩くと違った感じがした。あまり頻繁に会うこともなくなってきたが、こうして再び会えばそれはそれでより新鮮な気持ちを抱いた。

 その間にぼくは先日の学園祭の話をし、能力ある人々への思いを告げた。ぼくからラグビーを抜いてしまえば、そこにはただの平凡な男性が残っているだけのような気もした。若者特有の自信のなさと傲慢さがぼくの中にも同居しており、その日は自信のなさが勝っていたようだった。

「そんなことないよ。ひろし君は自分が思っているより能力のあるひとだよ」と、彼女は言ってくれた。ぼくはまだ16歳で、ある日目の前に突然表れた年上の女性のことを思い出している。その人に釣り合うような人間になるよう努力してきた日々がなつかしく感じられた。いま彼女は横にいて、誰よりもぼくの味方であった。

 レストランのドアを開けた。店主はにっこりとぼくらを迎え入れてくれた。カーテンの向こうの日差しは弱まり、夜の前兆のような気配が漂っていた。彼女は椅子に座り、テーブルの上で両方の指を重ねて組んだ。ぼくはメニューを眺めている。その自分の無骨な指と彼女のそれを対比させて見つめている。そのきれいな彼女の指がメニューのある欄を指差す。ぼくは、小声でそれを口に出して言い、彼女が同意の証拠として頷くのを眺める。髪の間から、彼女の不思議な形の耳が見えた。それは一体どのような言葉を聞いて育ってきたのかをぼくは想像した。今日のスタンドでの大歓声を聞き、それは昔のぼくへの声援に化けていった。そう考えていると後ろに立っているウエイターの存在に長い間気付かずにいた。
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拒絶の歴史(67)

2010年05月30日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(67)

 日曜も夕方になった。上田さんに誘ってくれたことと泊めてもらったことの感謝を述べた。彼は照れたように頷いていた。見るべきものもなくなり後は帰るだけになったが、そこへ昨日歌をうたった女性が通りがかった。上田さんと会話をし、ぼくも行き掛かり上、声をかけなければならなくなり、2、3言話しかけた。彼女は、それぞれの言葉を理解するのに通過すべき場所がたくさんあるかのように返事まで時間がかかった。それが独特なリズムを彼女に与えていた。ぼくはこころに不自然な気持ちを抱きながら、その返答を待った。また、いつか会えるのか分からなかったが、誰かの聴くべき立派な聴力がある世界ならば、彼女の声は放っておかれないだろうと思っていた。しかし、生存とか伸し上がるとかいう言葉は、彼女にとって似つかわしくなかった。ただ、あるべき姿で留まっていてほしかった。

 智美という幼馴染みが車で来ていたので、ぼくも今更電車で帰るということは不自然だった。「同乗していけよ」と上田さんが言ったので、彼女の方を見ると、「どうぞ」という表情をしていたので、それに甘えることにした。彼女と二人きりになるのは、かなり前のことだったので、その機会を思い出すこともできなかった。

 ぼくらは上田さんが見守る中、いっしょに車に乗り、窓を開けて彼に最後の別れの言葉を告げ、そこを出発した。車は思ったより順調にすすみ、直ぐに高速道路に乗っかった。
 話さない重苦しい雰囲気もあったが、彼女の方から口を開いた。

「あのひとと、まだ続いているんだ?」
「もちろん」
「喧嘩一つせず?」
「あんまりしないよ。彼女も大人だし」
「ずっと気持ちも変わらず」
「そうだね」

 そのように会話はすすんでいるような印象をもったが、両者の間には一人の女性が無言で留まっていた。
「あの子のこと、思い出す?」
「思い出さない日の方が少ないよ」
「でも、河口さんの方がいいんだよね」
「そういう選択をしたのは、自分だよ」

 言葉を挟まないときには、音楽が静寂を打ち破り、いつのまにか窓の外も暗くなって、車の後部のライトが色鮮やかになっていく。彼女の運転はきちんとしており、隣にいる自分に不安感を与えなかった。ブレーキのタイミングが違うひとの車に乗ると、その分だけ余計に疲れたが、そのようなこともなかった。

「上田さんとはどう?」
「今日見た通りのままだよ」その答えならば自分の視力で知っていた。それから、彼女は自分の生活のことを話し、またぼくの家族のことも話した。妹や自分の母とも彼女は交友があって、ぼくのうわさもそこで出るらしい。あまり、家族との縁を薄くしているような自分に彼らは不満をもっているらしい。しかし、河口雪代という存在を認めない以上、ぼくらの間は平行線をたどるのだとも思っていたし、その結果がどのようになるかを覚悟しなければならなかった。自分の選んだ過去の問題で、ぼくらの間に溝が作られ、それを誰も修復する気もなかった。

 車は高速を降りて、一般の道に入った。ぼくらはお腹の空き具合を考え、小さな大衆的なレストランに入った。彼女はサラダとハンバーグを注文し、ぼくは魚のグリルと、アルコールを飲んでもいいかと彼女に訊き、了承されたので白ワインを頼んだ。

 そうしていると、ぼくらの間のわだかまりも消え、以前のような関係になったような感じだった。しかし、許すべき問題があり、人間関係が複雑になっていく大人に移行していく段階なので、昔のままの状態など当然のようにありえなかった。それで、失うなにかもあれば、もっと形態を変えても維持していく間柄もあるのだろう、と考える。ぼくはグラスを傾け、もう会わなくなってから時間が経過したいく人かの顔を思い出そうと努めた。しかし、何人かは、もう薄ぼんやりとしか思い出せない事実に今更ながら驚いていた。
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拒絶の歴史(66)

2010年05月29日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(66)

 上田さんの家に何人かが来て、何人かが飲み飽きたのだろうか出て行った。それで、中にいる人数としては7、8人という一定の数に保たれていた。そこに、ある少女とでも呼べそうな小柄な子が入って来た。

「あの子だよ」と、また誰かが言った。
「えっ?」ぼくは、あまりにも華奢でエキセントリックなところのない彼女に拍子抜けした。あんなにも自信に満ち溢れていたステージ上の彼女は一体どこに消えてしまったのだろう、と逆に心配にもなった。うつむき加減で自分の座るべき場所を見つけ、それでもどこか居心地の悪そうな彼女の姿がぼくの目の端にあった。

「あけみちゃんのこと、こいつ誉めていたよ」と、上田さんが口火を切った。「オレがラグビーをしていたときの後輩だけど、それは優秀だったんだぜ」
 彼女はぼくの方をちらっと見た。まるで、ラグビーという言葉を生まれて始めて聞いたような表情をしていた。その言葉を何と結び付けてよいのか分からないような表情でもあった。

「いまは、もう辞めてしまったけど、母校はぼくがいなくなってからの方が強くなっています。上田さんがいなくなってからでもありますが」と、いくらか自虐的に言った。その皮肉なユーモアだけは解したかのように彼女はちょっと笑った。酔い始めた上田さんはもっと笑っていた。そこから、上田さんがラグビー時代の話をかいつまんで披露した。彼の話術にかかると、それはとても美しく愉快なものに変貌した。最後にはぼくの話になり、

「高校のころのガールフレンドを捨て、いまは東京でモデルをしている人に誘惑されて同棲をはじめた無謀な勇気あるやつ」と、締めくくった。単純に考えれば、ぼくの生き方の表紙にはそう書かれるのが必然だったのだろう。ぼくは酔った頭でひとごとのようにその話をきいていた。

 あけみという子は透き通った目でぼくのことを見た。そのレッテルは正しいものか一瞬にして判断してしまおうという勢いがあった。どう思われても良かったがなるべくなら違った面も見てほしかった。しかし、彼女の目には、そんな人でもないんじゃないのかしら? というように映っているらしかった。ぼくは、その視線がいささか気詰まりで冷蔵庫から新しいビールを取りに行った。

 何度かは笑い合う時間があり、静まる時間もあった。その起伏は時間とともに段々と少なくなっていった。

 その後、何人かは足元をふらつかせながら帰っていき、何人かはまったくの素面のような足取りでそこを出て行った。ぼくと上田さんは空いた缶をビニール袋に突っ込み、部屋の窓をちょっと開けて換気をして空気を入れ替え、お互いシャワーを浴びて布団に入った。

「どうだった? オレの大学や友人たちも楽しいだろう?」と彼は横で言った。答えを待つでもなく、彼のすこやかないびきが暗くなった部屋でぼくの耳にまで届いてきた。

 翌日もきれいな秋の空が上空にあった。ぼくらは簡単な食事を済ませ、彼の家を出て大学に向かった。昨日、見尽したものは除外し、何点かの作品を見た。午後には演劇があるらしく、その前に用事のあった上田さんのガールフレンドが車で来てぼくらと合流した。ぼくとその智美という女性は幼馴染でもあり、ある日ぼくと上田さんと一緒に食事をしてから仲が発展し交際をした。ぼくも智美の友人と付き合っていたが、楽しくない別れ方をしたのでいつの日かぼくらの間には溝ができていた。そのことを今は棚に上げ、ぼくらは一緒に演劇を見ている。ぼくは、そのステージに馴染めない自分を感じていた。彼らはいささか張り切りすぎているようなきらいがあった。そのことに気づいてから、ぼくのこころは高揚することもなく他人の人生を傍観的に眺めていた。昨日の、あの女性のステージをもう一度見たいものだと思っている自分がそこにはっきりといた。だが、それは不可能だろう。それから、その長い劇は終わり、もっと軽いコメディアンの卵のような学生たちが何人か現われた。ぼくは気楽な気持ちに戻り、腹をかかえて笑った。横で、上田さんも智美も同じようにしていた。笑いの効用なのだろうか自然とお腹も空き、高級なものではないが秋の空のしたで食べるものは不思議とおいしく感じられるものである。

 上田さんは横を通る友人たちと会話をして、ぼくらの席に引っ張り込んだ。彼の社交的な面を知ってはいたが、こういう場面に多く遭遇すると、あの泥だらけになっていっしょに運動していた頃の彼もなつかしく感じられた。また、自分の社会を広げることもぼくにも求められているということが動かない証拠として実感できた。
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拒絶の歴史(65)

2010年05月28日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(65)

 高校時代のラグビーの先輩だった上田さんが通っている大学で学園祭があった。そこは芸術を扱っている大学であり、たくさんの未知なる才能の卵の作品が出展されているので、ぼくにも見に来るようにと彼が誘った。ぼくは週末の土日をつかって行くことにし、電車に乗った。関東近郊にあるその大学まで車窓を眺め、たまには読書をして、そしてときには様々なものを空想しながら車内で揺られていた。

 駅まで着き、待ち合わせていた上田さんがそこにいた。過去にともに汗にまみれてラグビーを励んでいたなかだが、ふたりとももうそのスポーツに携わってはいなかった。彼の容貌ももうそれのようではなく垢抜けていて、いかにも芸術方面に目が向いているという服装になっていた。ぼくは、ただの大学生のような格好をしていた。厚めの生地のシャツを着て、チノパンを履いていた。足元には自分のバイト先で安く買ったスニーカーを履いていた。雪代はもっと洗練された服装をしているぼくと歩きたかったが、普段の自分は気取らないこのような服装が好きで、居心地が良かった。

 大学の敷地に入ると、ぼくが通っているところとは明らかに雰囲気が違っていた。派手な服装をした人や、突飛な格好をした人も多くいた。その出で立ちで自分をアピールすることに魅力を感じているようだった。ぼくらの大学はもっと人目を気にしているような地域にあった。

 上田さんは地図を渡し簡単に説明した後、ぼくから離れた。彼も何かの役目を負っているようで忙しかったらしい。ぼくは、先ずは上田さんが撮った写真から見始めた。彼といっしょに行ったパリの町並みが白黒で写されており、建物も不思議な感じで斜めに切り取られていた。それでバランスが悪いかというと決してそうではなく均衡がはかられ見たものを安心させた。また、未来のどこかの架空の都市のような印象もあり、彼の潜在的な能力の一端を知った。

 他にも、絵画の部屋があり、彫刻の部屋もあった。それぞれ素晴らしい作品もあったが、作者の顔が見えない分、ぼくの気持ちにしっくりとしたインパクトもなく、しっかりとした痕跡を残さなかった。次は、洋服のデザインの部屋があった。奇抜なデザインが多くありながらも、それは作品として見る分には申し分がなかった。ぼくは、それらに包まれているここにはいない雪代の存在を意識した。彼女なら、これらのどれも着こなせるような気がしていた。また、何点かは実際に着ている彼女を想像した。

 昼になって、また上田さんと合流しホットドックや焼きそばを食べた。彼が、
「オレの写真はどうだった?」と、訊いてきたので率直な感想を述べた。彼のラグビー時代の思い出が多くあった自分は、その変化についていけない部分もあったと告げた。彼は、なにも返事をせずただ黙々と食べていた。いつもの能弁の彼とは違い、ただありのままの自分を楽しんでいるようだった。

 その後、また別れ講堂に入ってビックバンドのジャズを聴いた。そのレベルがどの程度であるの分からなかったが、どこかで聞き覚えのある曲をぼくも口ずさんでいることに気付いた。となりの演奏している人の友人たちなのだろうか、そのうちの誰かに声援をおくっていた。

 楽器が片付けられ、何組かのバンドが次々に演奏した。ロックがあったりパンクの真似事などもあった。総じてアマチュアの楽しみの範疇から抜け出ていなかったが、それでも素人の音楽はその程度で良いような感じももった。そう考えていると上田さんの写真の美しさをつくづくと感じていたのも事実であった。

 最後のミュージシャンのひとりまで結局聴いてしまい、その選択は正しいことであったと後に知ることになる。現れたのはある女性の歌手で薄手の布を身体に巻いていた。遠くからでは分かりにくかったが足は裸足のようでもあった。ピアノのイントロが流れ、彼女がそれに合わせて歌いだすと会場全体が一瞬にして静まった。ぼくの体内にも電流のようなものが走った。ただ呆然とその曲の最後まで聞き終えると、いつの間にか上田さんが横に来ていた。

「彼女、凄いだろ?」と彼も正面を向いたまま言った。ぼくは彼に見えているのか知らないが、首だけ動かして答えの代わりにした。

 その夜は上田さんの家に一泊することになっていた。きれいに整頓された彼の部屋で、ぼくらはビールを飲み、何人かの友人たちに紹介された。

「あの子も来るよ」とぼくがさっきの歌手への衝撃を話していると、誰かがそう言った。

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拒絶の歴史(64)

2010年05月26日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(64)

 何人かがぼくの前に現れ、そのまま素通りし、何人かは決定的な印象を残した後に退場した。そして、何人かはいまだに嬉しいことに留まっている。ある関係を連続した形で取り出してみると、自分の成長や失敗を克服する方法などが見えてきた。また、自分の残酷さの記憶もそこにあった。だが、数回しか会わなかった人々も何らかのことを教えてくれた。だが、それぞれの出会いが貴重なものだったと認識するのは、もっと後のことでそれを取り出したいと思ったとしても、今となってはもう何をすることも、関係性を変化させることもできなかった。

 こうして段々と大人になっていくのだろう。もう、誰を傷つけたりしない覚悟や、1度しか会わない人々にも優しく接しようとかと決めて。だが、それは往々にして守れないことの方が多かったような気もする。それも、人間が現在形で生存している以上、ある程度は仕方がないことだった。

 大学の講義が終わり、バイト先に向かう途中に斉藤という女性の友人と歩いている。彼女とは1年半ぐらいの交友があった。おなじ建築を学んでおりお互いの知識を共有することを目的とした関係だった。ぼくは、大学での勉強とは別にスポーツ用品を売ったり、また休日にサッカーの練習を小さな子たちに教えている時間もたまらないほど好きだった。だが、そのときはそれぞれの知識の習得度合いを話し合っていた。いつかそうした就職口を探すとしても、好きなだけでは仕事にならず、ある程度以上の専門知識を有し、他の人の点検する視線や資格を通して証明しないと役立たないことが多かった。先生ももちろんそういう目を持っていたが、お互い率直な意見を言い合うことで、ぼくらは最初の検査をした。

 いつも、そういう話をしていたばかりではない。彼女の恋人の話もぼくは聞いた。男の人の気持ちが分からない、と彼女はよくこぼした。ぼくも女性の気持ちなど分からなかったが、それでも困ることはなかった。ただ、彼女らはぼくにとっても異次元のような存在で、感情が別の機械のような動きであったとしても、それに惹かれてしまうぼくの感情がある限り、それをどうこうすることも考えられなかった。斉藤さんと建築のことを話している限り、ぼくは性差を感じることもなかったが。

 結局、彼女とは店の前まで歩いて別れた。スポーツをしたことのない彼女にとって、どういう人間が店の中に入るのか想像できないらしい。ぼくは奥にカバンを置き、店での対応を店長と交代した。彼は、そのまま軽トラックの鍵を握り締め、どこかに配達に行った。
 店の奥から店長の奥さんが出てきて、ぼくにグラスに入ったジュースを運んでくれた。これから、幼稚園に娘を迎えに行くらしい。ぼくは、斉藤さんと話した内容を彼女に相談してみた。

「そういう心配をするのも恋をしている証拠なのね。もう忘れちゃったよ」と、なんの解決策も与えてくれなかったが、彼女の自然な笑顔でぼくの表情もほころんだ。そして、彼女の出て行く背中を見つめ、ぼくは冷たい飲み物を飲んだ。

 それから数時間はたらき、店を出ると今日も閉まったシャッターの前で、ひとりのギターを抱えたミュージシャンが演奏をしていた。聴いているひとも徐々に増え、拍手をしたり手や足でリズムをとっていた。誰かの熱烈な声援を学生時代に聞いた自分は、なぜかそれをうらやましく感じ、そしていまの生活をかすかにさびしくも思っていた。そうした思いでちょっとだけ立ち止まり聴いていた。

 その歌は、多くがそうであるように男女の出会いと別れが歌われていた。女性は背伸びをして男性に合わせようとしていた。その無理はいつか破綻につながり、こころもいくらか疲れ果てていく。そして、「もっと優しい男性を探すように」という男性の言葉で終わる。ありふれた内容だと思ってはいたが、そのときのぼくにとっては重大な宣言のようでもあった。ぼくは、まだ恋がなんであるかを知りもしない高校生を楽しくない感じでいたぶっていた気がする。それは誰にも見つからない罪であったが、罪であることには間違いがなかった。自分が犯した間違いを認めることは簡単であったが、実際に頭を下げたりすることは会えない以上できなかった。そして、ぼくもずるくはあるが、もっとまともな男性を探してくれ、ということしか解決策はないのだろう。

 ぼくは、雪代以上のひとを探すという必要もない変わりに、その位置をひとに譲る気もなかった。ただ、現状維持かすこしの上昇を求めているだけだった。その代わりに誰かのこころを犠牲にして、それを歌を聴いて、心地良い感情移入を通して陶酔しているのだった。ずるいとも言えたし卑怯だとも言えた。

 そんなに責めることもなかったかもしれないが、高校生のまだ未完のこころを傷つけてしまったという予測かもしくは誤解に怯えていた。ミュージシャンの周りには暖かな感情が行き交っているようだった。ぼくは、その曲の印象を捨てたくなかったので、次の曲のイントロが始まると、自然と自分のアパート方面に足を向けた。
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拒絶の歴史(63)

2010年05月23日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(63)

 秋にもなって、受験勉強のためだろうか、いつものコンビニエンス・ストアからゆり江という子の姿が消えた。同じような時間帯にしか行かないが、その子も同じような時間しか働いていなかったので、シフトが変わったとかいう問題ではなかったのだろう。ぼくは、そのことを淋しく感じていた。そして、自分の都合にとってみれば、そのことは良かったことなのだろうとも思う。目にすることも減れば、それは当然なこととして、また比例して愛情が膨らむ機会もなくなった。そもそも膨らむ余地などぼくのこころに空いていたのだろうか。

 だが、日曜にサッカーの練習があり、ぼくはコーチのアシスタントをしていて、そこに弟の練習風景を見学に来る彼女だったが、そこにも表れなくなった。ぼくは、様子をその子に訊いてみたが、
「勉強が忙しいみたいですよ。ぼくと遊ぶ時間も減ったみたいだし」

 と、最近の移り変わりを教えてくれた。それで、元気なのか落ち込んでいるかなど繊細なことは、もうそれ以上その男の子に訊けなかった。しかし、ある日妹から電話があり、直接的にではないが、
「お兄ちゃん、間違ったことをしていない?」と不意に訊かれた。ぼくは妹が何を指してそう発言したのか確かめることはできなかったが、そう問われれば自分は間違いを重ねて生きているようだった。その頃に、何度か直ぐに切れてしまう電話が部屋でなり、ぼくはそれを取る暇もなくそれは鳴り終わった。誰なのか決められなかったが、本当のところは自分は気付いていたのかもしれない。

 ゆり江という子は復讐だと言った。その切れてしまう電話をかける行為を通して、裕紀という女性の復讐が完結したのだと思おうとした。彼女は、ぼくにそうする機会も与えられなかったのだ。いっそなじられたり恨まれたりした方が、いまの自分にとっては簡単なような気がした。何を思っていたのか、思っているのか分からないことの方が、大人になりつつある自分にとって、より一層不安な気持ちにさせた。

 こうして数週間が過ぎ、それが月単位になり、段々と風化していった。ほかのいくつもの記憶と同じ経過をたどるように。その弟である男の子は、それ以降なにも情報を与えてくれなかったので、ぼくは過去の記憶のボックスに彼女のある一日を形あるものとしてしまいこんだのだろう。だが、いまこうして思い出してみれば、彼女のすべてが取り出せるような気もするし、欲張りすぎたゆえの自分の冷酷さもあらためて思い出される。生まれたての大人になる前の少女だけがもつ短くはかない時間を彼女は教えてくれた。それは、もっと前に裕紀が教えてくれたことであったのだろうが、その時は、ぼくはむなしく気づかずにいたのだろう。ただ、残念であるがそれはそれで仕方がなかった。

 そうしながらも、ぼくには大切な雪代の存在があり、なにをしても彼女を手放したくなかった。それはあまりにも自己中心的な考え方であり、現在の自分はぞっとしてしまうが、当時の自分はそう結論づけていた。しかし、あるサッカー少年の母と相変わらず間違った関係ももっていた。そのひとは、こう言った。

「あの高校生、最近姿を見せなくなったね? ひろし君、なんか知っている?」
 ぼくは、首を横に振るしかなかった。知っているような気もするが、実際はまったくもって知らなかったのかもしれない。ぼくのアパートに直ぐに切れない電話もかかり、それは大体は雪代だった。彼女と離れて半年近く経ったが、こうして連絡を取り合う間隔が伸びてしまうことはなかった。彼女は説教じみたことは言わなかったが、ぼくが勉強をおろそかにする傾向を心配した。世の中で直ぐに役立つことをするような勉強の中味ではないので、自分をしっかりと保っていかないと、流れやすくなってしまうだろうと警告した。言われる前にも分かっていたが、そう言われれば納得できることが彼女の発言には多かった。そこは、社会に出て計画と約束を遂行することが求められていく人間の進歩だった。

 ぼくは、それで削れる時間もなかったが、暇があれば図書館で勉強した。そうするとサッカーを教えている時間も魅力があり、バイト先でお客さんと意思疎通を図っている自分の時間もより貴重なものに思えてきた。なによりも、雪代と電話をしたり、戻ったときにどこかへ出掛けることも好きだった。それは削るという考えがはいらない問題だった。

 ゆり江という子が勉強のためにバイトを辞めるならば、同時に妹もそういう状況になっていた。めったに家に帰ることもなかった自分だが、たまにのぞくと、部屋にこもって勉強をしていた。ぼくは家族と食卓を囲み、彼女の勉強の進み具合の様子をきいた。それは、順調なようでもあったが、いつもの受験のように自分の問題とまわりの生徒との兼ね合いでもあるので、どれが順調の基準であるのかはあいまいでもあった。ぼくは、なにか応援するような言葉をのこしたはずだが、それは当人にとってみれば要らない言葉だったかもしれない。

 その食卓の話題には決まって雪代の存在はでてこなかった。彼らは、いつものように彼女を抹殺するようだった。ぼくを、ラグビーの優秀選手の道から逸らし、幸せな高校生のカップルを壊し、誉められるべき姿の息子を取り除いたとでも思っていたようだった。ぼくは、その問題を掘り返そうとも思っていなかった。彼女に対しては申し訳ないような気もしたが、二人の仲がそれで覆されるようなことがなければ、むしろそっとしておいた方が得策だとでも考えたのかしれない。ぼくは、いつもこころが爽やかな状態にならず、実家をあとにした。アパートに着くと、取れない電話がなったが、多分そのぐらいの時期からかかってこなくなった。
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拒絶の歴史(62)

2010年05月22日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(62)

 哀しげな音色のトランペットを、適度な音量で家のステレオから流していた。ぼくは文庫を手のひらに載せ、ゆっくりとしたスピードで読んでいる。外の世界ではなにが行われているのか意識もせず、部屋の中だけでぼくは充足していた。夜も10時を過ぎており、眠る前のひと時として、これ以上落ち着いた時間もなかった。その時に意外なことに家の玄関のチャイムが鳴った。一体、こんな時間にぼくを訪ねてくるのは誰だろう? と何人かの顔が浮かんだが、結局のところひとりには決められなかった。

 大して広くもない部屋なのですぐに玄関に着き、ドアを半分だけ開けると見覚えのある顔がうつむき加減だったが、部屋からの明かりに照らされ映し出された。

「どうしたの? バイトの帰り?」そこにはゆり江という子が立っていたので、ぼくはそう声をかけた。
「ひとりですか?」
「そうだけど・・・」
「わたし、謝らなければならないと思って」
「なにを?」
「わたし、あんなことをするべきじゃなかったんです。馬鹿みたいに河口さんの仕事場の住所まで調べて、つまらない手紙なんかを送りつけて」そこで、彼女は自分の声が出ているかを心配するように言葉を止めた。その代わりのように彼女の両方の瞳から涙がこぼれ、それはうっすらと彼女の頬を濡らした。

「泣くことなんかないよ。誰も傷ついていないし」ぼくは、その場を繕うために嘘のような真実のような言葉を吐いた。しかし、彼女の登場でちょっとだけぼくと雪代の関係が変化したのも事実だったかもしれない。そこに立ち尽くしている彼女の涙の量は次第に増え、そのままの姿で立たせているのはあまりにも憐れに感じたので、ぼくは彼女を玄関の中に入れた。そうだ、暖かいものでも飲んでもらえば気が休まるだろうと思い、ぼくはそのまま奥のソファまで彼女を案内しそこに座らせ、流しで水を注ぎそのままケトルをコンロにかけた。しばらくすると静寂とは遠い音が鳴り、中味が沸騰したことを報せた。

 ぼくは、カップを両手に持ち、彼女の前のテーブルに置き、その前の床にじかに座った。そうすると彼女の顔はぼくの視線よりいくらか上になり、まつげの濡れた部分がまだ乾いていないのがよく見えた。

「なにも話さないでいいよ。なにも悪いことをしていないから」と、思いつくままぼくは言った。彼女はいま気付いたとでもいうようにカップを手に取り、唇のそばにそっとくっ付けた。

「でも、あんなことをするべきじゃなかったんです」
「でも、しちゃったんだよね?」とぼくは笑顔でからかうように言った。そうすると彼女もやっと笑顔を取り戻した。その笑顔のせいで、いままでよりずっと幼く見えた。ぼくも経験が少ないが、彼女もやっと歩み始めたばかりなのだと思えば、なにも彼女に責めを負わせることはできなかった。

「裕紀さんのためとか思っていたんですけど、それも本気であったのは最初のうちだけだったかもしれません」彼女にハンカチを手渡すと、それで目のふちを拭いた。「わたしの方がお兄さんのこと、好きになり始めていました」
「何度も言うけど、ぼくには決まった人がいるんだよ」
「知っているから、あんな手紙を・・・それと、デートにも付き合ってもらっちゃったし」
「それは、ぼくも悪かったよ、反省するよ」
「そうですよね」

 音楽はいつの間にか軽やか過ぎるサックスに変わっていた。あまりにも淀みない音の流れは、練習のあとなど微塵も感じられなかった。

 ぼくは目の前から横に場所を移動する。「ごめんね。ゆり江ちゃんはまだまだ若いことを忘れていたよ」彼女をそっと抱き、ぼくは続けてあやまった。彼女はそれに抵抗もせず、ぬいぐるみのような形体で抱かれていた。ぼくは雪代をなんどかこのような形で安心させて来たので、彼女にも通用するかと思い、そのような手をつかってしまった。しかし、それは不用意な行動だったかもしれない。彼女の若さの好奇心への無頓着さだったかもしれないし、また自分の欲望への無防備さだったかもしれない。

 ぼくらは、もっと強めに抱き合い、唇のありかを求めた。いくらか彼女の涙の味がしたような気がした。そして、結論としてぼくは彼女の最初の肉体的な男性になってしまった。それは、やはり裕紀の初々しさを追体験する作業であり、ぼくは2度とそういうものに足を踏み入れたくないと思っていたはずだ。しかし、卵の殻はいつかは割れるようにできており、結果として彼女の肉体や記憶に痕跡をのこしてしまうのだろう。
「ごめんなさい、裕紀さんや河口さんにも謝ることが増えてしまった」またこうして、ぼくは彼女のちいさなこころに責任感を植えつけてしまった自分を恐れた。やはり、誰かの最初の男性などになるべきではないのだ。ぼくは、自分への約束として、そのことをこの日に脳裏に刻み込んだ。

 彼女は、ぼくの部屋から外に出る。ぼくは途中まで見送る。自分のそうした欲望に負けたいくつかの記憶をどこかに払拭できるならば、どれほどの対価が必要なのだろう、とあきらめの気持ちをもって考える。

「わたしが会いたくなって連絡しても、もう会わないと言ってください」となにかを決意したかのような表情で帰り間際に彼女は言った。
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拒絶の歴史(61)

2010年05月16日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(61)

「女の子から、なんだか変な手紙が来たよ」
 ぼくが大学から戻ると、帰省していた雪代が思い出したかのようにそう言った。
「どんな内容だった?」自分は胸の鼓動のおかしな動きに驚いている。
「もう捨てちゃったので分からない。東京の事務所宛てにわざわざ出すぐらいだから、なんか思ってのことなんでしょう。ひろし君は本気じゃないんだよね?」
 ぼくは内容を推察するしかなかった。ただ、その間も二人の関係がギクシャクすることはなかった。

「誰かの復讐とか書いてあったけど、あの子ひろし君のことが好きなのね。わたしもあのような純粋な気持ちのころに戻ってみたい」と雪代はそう言った。

 彼女は洗濯物をたたんでいる。彼女の手が魔法のような動きで、すべてのものが、とくにぼくの散らかしたものが丁寧に片付けられていく。

「ちょっと散歩しましょう」と動きを止め、彼女は口にする。「都会の空気の汚れをはやく捨てたい」と言って、立ち上がった。ぼくもそれに従うことに依存はなかった。ぼくは、いつものスニーカーを履き、彼女も低目のかかとの靴を履いた。外ですれ違う何人かの男性は彼女のことを意識しないようにして見ていた。それには気づかれていないことだと無関心の様子を見せていたが、それぞれの態度やこころの動きを自分は感じた。

 ぼくらは土手の芝生の上を歩き、時間という観念を忘れたかのような川の流れを眺めている。彼女の髪は、そう強くもない風に吹かれ、揺れていた。それを払うこともなく無心に彼女は下の川を見つめていた。

「また、毎日ずっといっしょに暮らしたいな」と、どこから声がでたのか分からないような音声で、彼女はつぶやく。ぼくも、「そうだね」と言って、彼女の肩に手を置いた。その手の甲に彼女の髪が優しげに触れた。

 ぼくらは再び歩き、彼女が戻ってくると必ず立ち寄る喫茶店に入った。静かな店内にはちょうど良い音量でピアノ曲が流れている。レッド・ガーランドの日もあれば、知らないクラシックのピアノ・ソロの曲もあった。その日は、グレン・グールドの気分なのかマスターは熱心に聴き入っていた。店の奥にその背中が見えた。邪魔されて迷惑だとも思わない顔で、彼はこちらを振り向く。そして、直ぐに商業的な顔になった。彼の息子は野球をしており、ぼくのバイト先にもよく来てくれ、ぼくの対応も知っていた。

 彼女はコーヒーを頼み、ぼくはミルク味の紅茶を飲んだ。そして、二人の前には二つのケーキがあった。横には繊細なフォークがあり、彼女は細い指で、それを丁寧に扱った。
「ひろし君の前のガールフレンドのこと、みんな好きなのね」彼女は、前の手紙を思い出してなのか、そう言った。「だけど、分かって欲しいんだけど、その子以上に、わたしも好きで、ひろし君を奪われたくないと思っている」

「分かってるよ。ぼくも同じ気持ちだし」ぼくの気持ちはある意味で誠実な気持ちから出た言葉であり、またある面では不誠実な固まりとなって自分自身を貫いた。彼女は気弱さをあまり出さなかったが、この日は珍しく感傷的になっていたので、それが鮮明な形で自分の記憶に残っている。だが、あまり感情移入をできなかった過去の自分がそこにいた。東京でひとりで暮らしているところに、復讐のためだという手紙が、それがあまりにも幼稚な体裁を取っていたとしても、女性の感情としては受け取りたくない形のものだろう。

 ぼくは、たくさんの感情が体内を行き交ったが、外面は静かに音楽を聴いているという風に見られた。彼女は、それをいささか不服に感じた。それが、表情にでていた。だが、失いたくないとしたら、その当時のぼくぐらい彼女に執着していたものはなかっただろう。

 彼女のこころの動きを気に留めないまま、静かにグレン・グールドを聴いている。飲み物を干したぼくらは夕暮れのなかをスーパーに寄り食材を買った。その頃には、彼女は快活ないつもの様子を見せ始め、おいしいものを食べさせてあげるね、と言って笑った。ぼくは袋を2つ持ち、彼女は小さな袋を一個もった。家に着き、彼女は空いた手で、ドアの鍵を開けた。ぼくは靴箱の上に荷物を置き、彼女をきつく抱きしめた。それは、後悔や会えない時間を埋めるためのすべての感情が含まれた抱擁だった。彼女は驚いた様子をしたが、それでも、そのままぼくに身体を預けるような感じでもたれかかってきた。その重みの確かさを、ぼくはまた記憶することになる。
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拒絶の歴史(60)

2010年05月09日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(60)

 ぼくは二年前の自分を思い出そうとしている。その当時ぼくの横には、裕紀という女性がいた。その子を敬愛している女の子と知り合い、ぼくはデートをする羽目になった。その時とは違い、ぼくには車の免許があり、実家にもどり車を借りた。

 待ち合わせの場所にゆり江という子が立っているのが車の中から見えた。彼女に高校生の最後の夏休みの思い出を作ってあげるのも悪くないだろうと考えている。ぼくは憧れ続けた女性と交際しており、その気持ちが変わるわけはないという自信があった。ただ一日を穴埋めするぐらいの気持ちだった。

 ぼくは、車を降り彼女に話しかける。秋の気配はまったくなく、このまま永遠に夏が続くのではないかという不安を感じさせるほどの日差しがそこにはあった。その下で彼女はまぶしそうな視線でぼくを見た。きれいなデザインのワンピースを着ており、普段のバイトのときの格好とは大違いだった。そして、ぼくはそのことを誉める。うちの父もなにかと自分の妻を誉めていた。母は照れくさそうにしながらも、いつもそのことを喜んでいた。ぼくは、その気持ちを受け継いでいるのだろうな、ということを実感したケースだった。

 彼女は車の横に乗り、いろいろなことを訊きたがった。訊かれれば答えているが、その答えを通じて自分自身の過去を思い出す過程になっていることを自分自身が知る。ぼくの高校生時代の象徴のような女性がいて、その人は誰からも愛され裏切られた経験なんていままで無かったのかもしれない、ということを改めてぼくはそこで知る。ゆり江という子も、そのような彼女の存在を覚えていた一人で、小さなころに習い事の空いた時間に遊んでもらったことを貴重な体験のように胸に刻んでいたらしい。それを奪ったぼくを許さない一面もあるらしいが、だがそれも一部だっただけかもしれない。彼女の発言から推察するに、ぼくのことをある面では気になっていたらしい。ぼくはラグビーで活躍した時代があって、そういう真っ直ぐな栄光を浴びそうだったけど途中で夢は頓挫し、またその敗北が彼女らの頭のなかにあるストーリーと照らし合わせてきれいに映るらしかった。結局は、手に届かないところにはいかなかったのだというぼくにとっては敗北感だが、彼女らにとっては魅力ととれるもののようだ。また、裕紀という子が気に入るのなら、その人は素敵な人間かもしれない錯覚もあった。彼女は、そのごちゃ混ぜになった感情を、そのまま猶予もつけずぶつけてきた。

 ぼくらは遊園地に行く。いくつかの乗り物に乗り、ソフトクリームを食べる。ぼくは数歳うえの女性と交際するために背伸びをしていたのだな、とそこで感じていた。彼女は憎しみやら憧れという感情を一瞬のこと見失い、ただこの一日を楽しんでいるようだった。ぼくもその気持ちに付き合うことにより、自分も本当の笑顔を見つけていく。最後には観覧車に乗り、さすがにその頃は前ほどの暑さを忘れさせるような予感があった。

 そこを出て、車を飛ばし、港町に行った。大きな船が停留しており、それが風景の一部となっていた。ぼくらは車を降りて散歩し、座れそうなベンチの前で長くなっている陰を探しながら、そこに場所を決めた。

 彼女は遠くを見ている。
「楽しい一日になったかな?」と、ぼくは尋ねた。
「裕紀さんも幸せだったのかもしれないですね」
「さあ、どうだろう。君にももっと素敵なひとが現われるんじゃないの?」
「そうだと、いいんですけどね」
「復讐っていうのはあれはどういうことなの?」
「もう気にしないでください」と言って、ぼくの方を振り向いた。「また学校にもどって勉強をする日々が直ぐ待っているんですよね」
 ぼくは頷くしかなかった。自分にもそういう日々が待っていた。そこはもう自分で計画し、社会に役立つためのノウハウを取得して旅立つことを約束させられていることだった。大学に行くための詰め込める勉強とは違うものだった。

 なんとなく彼女の頬にキスを自分はした。彼女は、もっと本気のことを望んでいた様子で、それも自分はした。このぐらいが、思い出の一部になるだろうと、ぼくは考えていたのかもしれない。だが、なにも考えていなかったのかもしれない。ぼくは、裕紀という存在を忘れ、雪代という自分の大切なものをほかに置き、ただ目の前にいる少女のことだけを考えていた。いずれ大人になり、この日も忘れてしまうんだろうなと思うと淋しい気もしたが、大きな夕日を見ていたら、思い出も憎悪もなにも自分のものではなく、今日この瞬間だけが自分のもののような気がした。
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拒絶の歴史(59)

2010年05月08日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(59)

 ぼくは、夏の昼下がりクーラーで快適な室温が保たれているスポーツショップでバイトをしていた。小さな子どもたちならば薄い布団をかけられ昼寝をしている時間帯だろう。横で店長は新聞を読んでいる。今日の高校野球の話を誰にきかせるともなく話していた。彼は、高校のころ野球をしていたので、この時期になるとそわそわし出した。そして、テレビの前にかじりついた。商店街で品定めをする主婦たちと同じような目付きで、彼は球児たちを眺め品定めをしていた。

 子どもたちはぐっすりと眠っていたのかもしれないが、大人はそうもいかなかった。日々の活動は崩れ去ることもない。そこへ、ゆり江という高校生が入って来た。ぼくの近所のコンビニエンス・ストアでバイトをしており、ぼくも最近はそこを利用することが多くなり、彼女と二言三言は、話すようにもなっていた。

「やっと、思い出したよ。そういえば、うちに来たね」ぼくは、いらっしゃいの後、直ぐそう言った。「なぜ、忘れていたんだろう。受験の勉強はしなくてもいいの?」
「今日は弟にプレゼントを買おうと思って。あいつ、サッカーが好きだから、それに関連したものがいいかもしれないかなと思ってここに来ました」
 店長は、誰だろうと一瞬いぶかしげにこちらを見たが、餌から目が離せない大型犬のように直ぐにテレビの前に視線を戻した。

「そうかもね。喜ぶと思うよ。バイト代で? 偉いね」彼女はゆっくりと首を傾けた。
 ぼくは店内を自分のステージのように案内し、なにかを引っ張り出したり奥に戻したりしながら彼女の気に入りそうなものを探した。だが、サッカーボールはあり、スパイクも気に入ったものを履いていて、ユニフォームはもうサイズが合うものを持っていた。いつも肩からかけているバックの端がほつれてきているので、それの新しいのにしようかなとカラフルなバックのいくつかを手にとってファスナーを開けたり閉めたりした。

 結局、グリーンのきれいなバックを彼女は購入した。これなら大人になりかける時期になっても使えそうだと言った。ぼくはそれを袋の中にいれ、おつりとレシートをぼくは数えて、彼女に手渡した。こうして商品が誰かに渡り、それが最善のチョイスかもしれないという感覚がぼくは好きだった。

「近藤くん、休憩していいよ」と店長は相変わらず、テレビから目を離さない姿勢でぼくに言った。「ほんとうですか? じゃあ、行ってきます」とあれで、お客さんの対応ができるのか心配しながらも、買い物を終えたゆり江という子と連れ立って店を出た。どこで、休憩するのかたずねられたので、近くのファースト・フードの名前を告げた。彼女もそこに行っていいか訊かれたので、ぼくは断る理由もみつからず頷いた。

 話す内容も大して浮かばないまま、ぼくはストローでジュースをすすっている。彼女は目が輝いて、窓から見える商店街の中を往き来するひとびとを見ていた。急にこちらを振り向き、なにかを言おうとしていた。

「お兄さんは、裕紀さんと付き合っていたんですよね?」
「前にはね。そういえば、彼女と幼い頃、同じ習い事をしていたんだよね?」彼らは、その問題を常に自分に突きつけた。ぼくは、それをうまくかわそうとしたが、そう簡単にいくものでもなかった。

「彼女のこと、思い出したりします? わたしは良く思い出すんです」正義を振りかざしている自分を知らないまま、彼女はまっすぐに質問した。ぼくはその正義の感覚に戸惑った。
「それは、たまには。なかなか良い思い出って消えないものだよ」

「ちょっと代わりに復讐しようかなとか思ったりもします。これは、冗談ですけど」と、笑顔で言った。ぼくは、次になにを語るのかを心配しながら、それと同時に店内のようすも気になった。彼女は泣いたりするのだろうか? しかし、彼女はなにも喋らなかった。どのような方法を取り、ぼくに復讐する気があるのか、そのことを怖いというより好奇心が先立っていた。

「今度、一回デートに連れて行ってください。あの日、裕紀さんはどういう気持ちでいたのか知りたいんです」
「ぼくには真剣に考えているひとがいるんだよ?」
「知っています。でも、こんな高校生に嫉妬するような子どもっぽいひとじゃないですよね。そのひと?」
 ぼくは、判断に困りながらも、彼女の論説に負けていた。こうしてなにかの契約書に判子を押してしまう間違ったひとびとのひとりのように、ぼくは高校生の夏休みの最後を楽しませることを約束させられた。
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拒絶の歴史(58)

2010年05月05日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(58)

 ぼくもサッカーを教えながら、自分の身体が次第に黒くなっていくことに気づいていく。大学が休みになった午後の数時間をそういう風に使っていると、有意義な感じがとてもした。身体から汗を失い、心地よい風が流れると、自分の肌が快感の媒体でもあるような印象があった。

 途中に休憩を挟むと、そこにはお母さんや家族が差し入れをしてくれたものがあった。ぼくは一人の少年が10代らしい女性と話しているところに視線が向かった。
「あっ、昨日のコンビニの子?」
「山田ゆり江です。この子の姉です。なにか飲みますか?」と言って彼女はきれいなコップを探した。

「なんだ、君のお姉ちゃんだったのか?」とぼくはひとりの少年の頭を撫でた。
「妹さんの家で、近藤さんにも会ったことあるんですよ。覚えていません?」
「さあ、若い子の顔は直ぐ変わるから」と安心を与える言葉も見つからず、自分はそう言った。彼女はふてくされたような表情をしたが、直ぐに前の愛嬌のある顔にもどった。

 また練習を再開し、2組に分かれて試合をした。ぼくは後ろのほうでディフェンスをしながら全体を見ていた。もうひとりのコーチも相手側で同じポジションをしていた。彼は数回、自分の攻撃の選手のために的確なパスを送り込んだ。ぼくが三年間ラグビーに明け暮れていた間も彼は、サッカーを行っていただけに、その優秀さを実感させるボールの動きだった。

 何回かのパスを途中でさえぎり、何回かのパスは小さなストライカーがゴールを決めた。決めたのは、ゆり江という子の弟だった。彼は、お姉ちゃんに手を振った。そっちを向くと彼女も嬉しそうに手を振っていた。18歳がもてる最高の笑顔を彼女はもっていた。

 練習も終わり、汗まみれのTシャツを脱いでいた。タオルで身体を拭き、またきれいな服を着た。そこにゆり江という子が近寄ってきた。
「あの子、決めたね」とぼくは言った。
「ありがとうございます。久し振りにみたら、上達していた」
「じゃあ、もっと頻繁にみにくるといいよ」
「ありがとうございます。いろいろ」
「お礼はメインのコーチに言って。ぼくはただのアシスタントに過ぎないし、3年間はラグビーしかしてなかったから」

 彼女は、そのまま立ち去り弟と連れ立って歩き出した。ぼくはある視線を感じている。ぼくは、サッカー少年の母のひとりとある関係があった。彼女は、今日そこに来ていた。ぼくが歩く方向に彼女がいた。誰からも適度な距離があり、ぼくらの会話は誰の耳にも入らないだろうな、という安心感があった。

「いつも、ありがとう。今日は若い子がいるから張り切っていたの?」彼女は、特有の笑顔でぼくに挑むように話しかけた。
「そんなんじゃないですよ。ただの妹の友人みたいです」
「ひろし君は、油断が出来ないからね。今度いつ会えるの?」
「当分は暇なんで決めてください」そこに彼女の息子が現われ、ぼくらの会話は彼の耳に入れてもよいような話題に変わった。

「近藤さん、さようなら」と、その少年は大きな声で言った。彼女も振り向き、ぼくに手を振った。ぼくは小さく会釈をし、その場の動揺が去ったことを喜んでいた。

 ぼくは年長のコーチとビールを一杯だけ飲むことに決め、そばの店に入った。彼女は今日のゆり江という子の評価をあれこれ巡らし、ぼくに同意を求めたり、相槌や反論を要求した。ぼくもそれに参加しながらも、自分がどうしようもない考えで世の中を渡っているような嫌悪感をかすかに覚えていた。そして、ビールのグラスはぬるくなることもなく一瞬で消えてしまい、そのまま店を出た。
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拒絶の歴史(57)

2010年05月04日 | 拒絶の歴史
拒絶の歴史(57)

 ぼくらは、基本的にはまだ日にやけた肌に美徳を感じる社会にいたのだ。たとえ、それが女性であったにしろだ。ぼくは、そのことを思い出している。

 雪代は、南の島へロケで写真をとりに行った。ぼくは、その前に電話を貰い、帰ってきて「楽しい経験ができたよ」という電話を貰った。電話だけなので、彼女がどのように変化したのかは視覚的には確認できなかったが、その口調から、とても楽しそうだった雰囲気が伝わってきている。自分のなにかを解放する過程というものがあるならば、その口調にはそれが伴っていた。

 ぼくは、ある日旅行会社の前を通りかかって彼女の姿を目にする。あるパンフレットの表紙に彼女の笑顔と日にやけた肌が載っていた。それは、若さとこれからの成長と、という感じでみずみずしさのすべてがあった。その笑顔を見れば、どのひとも爽やかな青空を体験したくなるような晴れやかな気分が襲ってくるのだろう。

 1枚の写真で伝わる何かがあり、また音声や体温がなければすべては、とくに彼女を知っている自分にとっては伝わってこない何かがあった。だが、ふと目にしたひとには、彼女の笑顔の影響力というものは大きいのだろう。彼女の地元にいる自分たちにとっても、それは象徴的な出来事だった。

 大学の休みに入った上田先輩といっしょに過ごす時間が多くなった。ぼくらは、彼の運転する車で海や湖までドライブしたり、夜は夜で連れ立ってお酒を飲んだ。たまに、そこに幼馴染の智美がいた。彼は、上田さんと長く交際していた。ぼくは、ラグビーを通してたくさんの友人がもてたことを今になって感謝していた。あの大変だった練習を乗り越えた共同意識というものは、もうどうやっても拭い去ることができないのだろう。

 智美は、自分の友人をぼくが裏切ったことで、良く思っていない節が残っていたが、最近になって考え方を変えたようだった。大人になる通過儀礼として、誰かのこころを壊しかねないことも人間はするのだ、ということを知りたくもないが理解したのかもしれない。自分にとって、そのようなものはないにこしたことはないが、過去に作ってしまった以上は、それはもう取り返しがないことだった。

「あの旅行会社のパンフレット見たよ。あのひととまだ続いているんだろう?」
「ええ、まあ」
「羨ましいな」と上田さんは言った。

「そうなんだ」と、つまらなそうに智美は、行き慣れた居酒屋でグラスを傾けながら、そう言った。上田さんは返答するのも面倒くさいのか、聞こえないふりをした。「そうだよね」とそれで、智美は自分の声が届いたのか確かめるかのように、ぼそっと口にした。
「連絡を頻繁にとりあっているの?」と上田さんに尋ねられ、
「ちょくちょく電話で話しますし、なにかあると直ぐ帰ってきますんで」とぼくは、答えた。

「じゃあ、オレとはタイミングが合わないんだな」とひとりごとのように言った。彼の帰省するときは決まってしたし、ぼくが彼と過ごすときは、ぼくも時間的に暇をもてあましているひとりのときが多かった。

「でも、羨ましいよな」と言いながらもその言葉を掻き消すように、次の飲み物の注文を店員さんに告げた。

 帰りは、アルコールを摂らなかった智美の運転で家の近くまで送ってもらった。ぼくは喉の渇きを覚え、途中の店に入りスポーツドリンクを買った。店員であるアルバイトの女子高生は妹の友達であった。ぼくが、お金を差し出すと、

「近藤さんのお兄さん、ちょっと飲みすぎですか?」と気軽に声をかけてきた。
「そうみたいだね。いや、そうみえる?」彼女は何も答えず、小さく笑った。「うちの弟もサッカーを教えてもらっているみたいで、たまに噂してます」
「ぼくが、教えてる子は小さい子たちだよ」

 彼女は首を傾け、肯定の合図をした。彼女は困ると喋らなくなるのだろうか? と、考えていた。ぼくは歩きながら小さな小学生の何人かを頭に浮かべ、いまの子と似ているような子を探したが、結局は思いつかなかった。店を出て買ったものを飲みながら、坂を下っていくと平面の雪代の姿がある美容室の店の前にあった。ぼくは、なぜか監視されているような感じを酔った頭の中で思い浮かべることになる。
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