拒絶の歴史(68)
冬になるにはまだ早かった。
またラグビーの後輩たちは快進撃を遂げている。ぼくはもうその頃になると冷静に観戦できるようになり、自分の叶わなかった目標とは別の形で存在しているものを理解できるようになった。彼らもそれぞれ頑張って自分の能力を伸ばしているはずだった。その苦痛と逆のかたちでの歓喜を思い出せそうな気持ちもあったが、それでもやはり忘れている部分も多かった。あの頃の自分とは、もう人間自体が入れ替わっていた。
こちらに戻ってきた雪代とスタンドで観戦している。その試合をハラハラしながら、またある面では安心しながら見ていた。ピンチの場面やトライが決まったときなど、ぼくの後ろで大きな歓声が聞こえ、その当時の集中していた自分は何も聞こえていなかったはずだ、と思っている。隣では雪代も同じように悲鳴のような声をあげた。あまりにも感情を奪われすぎている彼女はぼくのひじを握り締め、そのことで耐えようとしているようだった。
ぼくの母校はそれでも余裕で試合に勝ち、次の段階へすすんだ。ぼくは彼らの休憩室まで入り、お祝いの言葉を述べた。ぼくが三年生のときに一年だった後輩が、いまはその立場になっていた。同じ練習をしてきた仲間も、もう来年にはいなくなるのかと思うと淋しい気もしたが、その三年のサイクルがなにか自分にはぴったりと気持ちが入れ替わる丁度良いタイミングのようにも思えた。
待っている雪代のそばまで戻った。彼女の存在を後輩たちは知っていた。ぼくが全国大会に行けなかった挫折と裏切りの象徴として彼女がいた。しかし、罪の甘みのようなものを彼らは感じ取っていたのかもしれない。ぼくにとってはただの憧れの存在であったにしてもだ。
「ひろし君が行けば、後輩たちも喜ぶでしょう?」と、彼女は言った。
「もう来年には、ぼくの存在を知っている人もいなくなるんだよ」追憶の感情に包まれ、ぼくはいくらか感傷的になっていたのだろうか。彼女は寒くなったのか、身体をすり寄せぼくにもたれた。
過去に泥だらけになって帰った道を、いまはきれいな女性と並んで、高い木々のしたを歩いている。足の裏には落ちた葉っぱがあり、それが適度なクッションになっている。ぼくの耳はこすれた葉っぱのカサカサという音と同時に、彼女のヒールの音を聞いている。駐車場までその音を聞き、彼女はバックから車の鍵を出した。車内に入りドアを閉めると、秋のにおいが急に消えた。その代わり、いつもの彼女の香水のうすい香りがした。
大声を出したためかぼくらは空腹をいつもより感じていた。彼女の運転でなじみのレストランに向かった。彼女はその店の雰囲気と過剰ではないサービスを好んでいた。ぼくにとっても、彼女がそのような気持ちでいることが、とても居心地よくさせた。
「またラグビーをやってみたい?」
「もう、無理だよ。サッカーのコーチでいるぐらいが限界だよ」と正直なことを告げた。
「今日はわたしも飲みたくなったから、車を置いてきていい?」と、彼女は尋ねた。ぼくは、もちろん同意することになり、いくらか遠回りをしたが、いっしょに歩いていった。普段、歩きなれている道も彼女と歩くと違った感じがした。あまり頻繁に会うこともなくなってきたが、こうして再び会えばそれはそれでより新鮮な気持ちを抱いた。
その間にぼくは先日の学園祭の話をし、能力ある人々への思いを告げた。ぼくからラグビーを抜いてしまえば、そこにはただの平凡な男性が残っているだけのような気もした。若者特有の自信のなさと傲慢さがぼくの中にも同居しており、その日は自信のなさが勝っていたようだった。
「そんなことないよ。ひろし君は自分が思っているより能力のあるひとだよ」と、彼女は言ってくれた。ぼくはまだ16歳で、ある日目の前に突然表れた年上の女性のことを思い出している。その人に釣り合うような人間になるよう努力してきた日々がなつかしく感じられた。いま彼女は横にいて、誰よりもぼくの味方であった。
レストランのドアを開けた。店主はにっこりとぼくらを迎え入れてくれた。カーテンの向こうの日差しは弱まり、夜の前兆のような気配が漂っていた。彼女は椅子に座り、テーブルの上で両方の指を重ねて組んだ。ぼくはメニューを眺めている。その自分の無骨な指と彼女のそれを対比させて見つめている。そのきれいな彼女の指がメニューのある欄を指差す。ぼくは、小声でそれを口に出して言い、彼女が同意の証拠として頷くのを眺める。髪の間から、彼女の不思議な形の耳が見えた。それは一体どのような言葉を聞いて育ってきたのかをぼくは想像した。今日のスタンドでの大歓声を聞き、それは昔のぼくへの声援に化けていった。そう考えていると後ろに立っているウエイターの存在に長い間気付かずにいた。
冬になるにはまだ早かった。
またラグビーの後輩たちは快進撃を遂げている。ぼくはもうその頃になると冷静に観戦できるようになり、自分の叶わなかった目標とは別の形で存在しているものを理解できるようになった。彼らもそれぞれ頑張って自分の能力を伸ばしているはずだった。その苦痛と逆のかたちでの歓喜を思い出せそうな気持ちもあったが、それでもやはり忘れている部分も多かった。あの頃の自分とは、もう人間自体が入れ替わっていた。
こちらに戻ってきた雪代とスタンドで観戦している。その試合をハラハラしながら、またある面では安心しながら見ていた。ピンチの場面やトライが決まったときなど、ぼくの後ろで大きな歓声が聞こえ、その当時の集中していた自分は何も聞こえていなかったはずだ、と思っている。隣では雪代も同じように悲鳴のような声をあげた。あまりにも感情を奪われすぎている彼女はぼくのひじを握り締め、そのことで耐えようとしているようだった。
ぼくの母校はそれでも余裕で試合に勝ち、次の段階へすすんだ。ぼくは彼らの休憩室まで入り、お祝いの言葉を述べた。ぼくが三年生のときに一年だった後輩が、いまはその立場になっていた。同じ練習をしてきた仲間も、もう来年にはいなくなるのかと思うと淋しい気もしたが、その三年のサイクルがなにか自分にはぴったりと気持ちが入れ替わる丁度良いタイミングのようにも思えた。
待っている雪代のそばまで戻った。彼女の存在を後輩たちは知っていた。ぼくが全国大会に行けなかった挫折と裏切りの象徴として彼女がいた。しかし、罪の甘みのようなものを彼らは感じ取っていたのかもしれない。ぼくにとってはただの憧れの存在であったにしてもだ。
「ひろし君が行けば、後輩たちも喜ぶでしょう?」と、彼女は言った。
「もう来年には、ぼくの存在を知っている人もいなくなるんだよ」追憶の感情に包まれ、ぼくはいくらか感傷的になっていたのだろうか。彼女は寒くなったのか、身体をすり寄せぼくにもたれた。
過去に泥だらけになって帰った道を、いまはきれいな女性と並んで、高い木々のしたを歩いている。足の裏には落ちた葉っぱがあり、それが適度なクッションになっている。ぼくの耳はこすれた葉っぱのカサカサという音と同時に、彼女のヒールの音を聞いている。駐車場までその音を聞き、彼女はバックから車の鍵を出した。車内に入りドアを閉めると、秋のにおいが急に消えた。その代わり、いつもの彼女の香水のうすい香りがした。
大声を出したためかぼくらは空腹をいつもより感じていた。彼女の運転でなじみのレストランに向かった。彼女はその店の雰囲気と過剰ではないサービスを好んでいた。ぼくにとっても、彼女がそのような気持ちでいることが、とても居心地よくさせた。
「またラグビーをやってみたい?」
「もう、無理だよ。サッカーのコーチでいるぐらいが限界だよ」と正直なことを告げた。
「今日はわたしも飲みたくなったから、車を置いてきていい?」と、彼女は尋ねた。ぼくは、もちろん同意することになり、いくらか遠回りをしたが、いっしょに歩いていった。普段、歩きなれている道も彼女と歩くと違った感じがした。あまり頻繁に会うこともなくなってきたが、こうして再び会えばそれはそれでより新鮮な気持ちを抱いた。
その間にぼくは先日の学園祭の話をし、能力ある人々への思いを告げた。ぼくからラグビーを抜いてしまえば、そこにはただの平凡な男性が残っているだけのような気もした。若者特有の自信のなさと傲慢さがぼくの中にも同居しており、その日は自信のなさが勝っていたようだった。
「そんなことないよ。ひろし君は自分が思っているより能力のあるひとだよ」と、彼女は言ってくれた。ぼくはまだ16歳で、ある日目の前に突然表れた年上の女性のことを思い出している。その人に釣り合うような人間になるよう努力してきた日々がなつかしく感じられた。いま彼女は横にいて、誰よりもぼくの味方であった。
レストランのドアを開けた。店主はにっこりとぼくらを迎え入れてくれた。カーテンの向こうの日差しは弱まり、夜の前兆のような気配が漂っていた。彼女は椅子に座り、テーブルの上で両方の指を重ねて組んだ。ぼくはメニューを眺めている。その自分の無骨な指と彼女のそれを対比させて見つめている。そのきれいな彼女の指がメニューのある欄を指差す。ぼくは、小声でそれを口に出して言い、彼女が同意の証拠として頷くのを眺める。髪の間から、彼女の不思議な形の耳が見えた。それは一体どのような言葉を聞いて育ってきたのかをぼくは想像した。今日のスタンドでの大歓声を聞き、それは昔のぼくへの声援に化けていった。そう考えていると後ろに立っているウエイターの存在に長い間気付かずにいた。