当人相応の要求(1)
ここに1968年生まれの男性を登場させようとする。なぜ、その年を選ぶのかというと、約100年前に明治というものがはじまり、やはりそれは、一言でいえば西洋化していくプログラムだったと思う。価値観をリセットして、というかきれいに上書きをされてしまったようなものかもしれない。
その100年の間に、祖父や祖母は、それぞれの人生を戦い抜き、途中で他界したり、また彼の父や母は、物心ついたときからその西洋化のミサイルを浴びたあとの荒廃した土地を歩いてきたのかもしれない。そして、彼が登場する。その生い立ちの幾つかのパートを振り返り、外国に憧れたり、嫌ったりする振り幅があったのかもしれないが、人間はそもそも、その時代や環境の賜物であり、鳥の巣から落とされた卵であることを実証できたらと思う。
その価値観も大幅に否定しない限り、時代の要求を必要以上に疑わないかぎり、ある人間をスポイルするとか、しないとかを考えなければ、思い込みのやり場は自然と、大衆と同調していくだろう。かといって典型的な人間のことなど、誰しもが分かるものでもない。ただ、ギャップを抱えて生きていきながらも、その時代の雰囲気や空気は、焼肉店での食事をした後のにおいのように、その人々に付着していく。洗濯するまでは服にも、風呂にはいるまでは、髪や身体にも。
その彼の弟は小さな頃、多くの子供の才能を過大視する家族を喜ばせるものだが、テレビのコマーシャルを見て、アルファベットを並べた企業名を見て、それをすべて言い当てた。横文字の羅列が普通のものであることの象徴として、このエピソードを出す。それは、その小さな国の企業の技術力が、世界でもある程度、地盤をつくり認められていったことへの、私たちへのアプローチかもしれない。普通の2,3歳の子供も読めるローマ字の企業名。
こうした断片的な生活のエピソードの積み重ねを通して、薄い皮膚の層が身体を守るように、ある記憶ある人間を形作っていく。でも、逆に普段送られている伝統的な行事や、その日々が作りなすことへの気持ちの対処の仕方も誰に教わるわけでもないが、してしまったり、不思議な気持ちに包まれたりもする。遠くに聞こえる寺の鐘の音に対するときの、あの不思議な憧憬はどこからくるのだろう。誰が、解説したり、説明したりしてくれるのだろう。
またしても逆に、世界のどこでも、行われている日常的なことには、そう相違もないのだろうか。家族で食事をとったりすることには、誰しもが懐かしみや労わりの気持ちを持つものなのか。地震がおきて家族を失ったときの気持ちなどは環境に影響されないかもしれない。
しかしである。この日本に育って、それもある年代に、商社の輸入の力なのか、全世界のものが東京に集まり、さまざまなものを楽しめ、観賞し、手触りを感じ、ということも出来るのは、全世界でも数ヶ所の都市だけであろうか。その中に東京が入っているとも思いたい。
こうして、まあヒーローらしくない登場人物だけは決まり、彼が感じたことの思い出やエピソードの薄い層を積み重ね、物語らしくないものを仕立てていく。それは、スーツというものに初めて手を通した東洋人のように不恰好でさまになっていないのかもしれない。でも、2本の腕と、2つの足をもっていることには変わりない。多少の長短はあるのかもしれないが。
ここで、電話がなる。知識として、ベルさんという人の発明ということを含んだ音の響きとして。そして、暗い中で、蛍光灯があれば読書や、パソコンの前にも座れる。そこには、エジソンという人がいたのだろうか。電話を終える。映画をみに行こうということに決まれば、フイルムを発明した誰か。そのフイルムのなかに表れた、ひげを生やした滑稽なイギリス人。生活を完璧なものにできないために行われるドタバタ。もし、鎖国という政策がなかったら、どこかの時点で植民地化されていったのだろうか。そうして、使っている言語も、いまのように保つことができなかったのだろうか。そうすると、何事も奇蹟のように感謝できるものにも思えたりする。
チャンネルをころころ変えるように私たちはすぐ飽きたりするのかもしれない。ここにでてくる登場人物はどうだろうか。彼は、自分の人生を、どう掌握し、理解し、トラブルを解決していくのだろうか。
服装は、ジーンズで、上にはタートルネックのセーターを着込み、日本人というアイデンテティーもなく、与えられた人生をただ受け入れていく。あまり疑問を持たなければ人生は。
ここに1968年生まれの男性を登場させようとする。なぜ、その年を選ぶのかというと、約100年前に明治というものがはじまり、やはりそれは、一言でいえば西洋化していくプログラムだったと思う。価値観をリセットして、というかきれいに上書きをされてしまったようなものかもしれない。
その100年の間に、祖父や祖母は、それぞれの人生を戦い抜き、途中で他界したり、また彼の父や母は、物心ついたときからその西洋化のミサイルを浴びたあとの荒廃した土地を歩いてきたのかもしれない。そして、彼が登場する。その生い立ちの幾つかのパートを振り返り、外国に憧れたり、嫌ったりする振り幅があったのかもしれないが、人間はそもそも、その時代や環境の賜物であり、鳥の巣から落とされた卵であることを実証できたらと思う。
その価値観も大幅に否定しない限り、時代の要求を必要以上に疑わないかぎり、ある人間をスポイルするとか、しないとかを考えなければ、思い込みのやり場は自然と、大衆と同調していくだろう。かといって典型的な人間のことなど、誰しもが分かるものでもない。ただ、ギャップを抱えて生きていきながらも、その時代の雰囲気や空気は、焼肉店での食事をした後のにおいのように、その人々に付着していく。洗濯するまでは服にも、風呂にはいるまでは、髪や身体にも。
その彼の弟は小さな頃、多くの子供の才能を過大視する家族を喜ばせるものだが、テレビのコマーシャルを見て、アルファベットを並べた企業名を見て、それをすべて言い当てた。横文字の羅列が普通のものであることの象徴として、このエピソードを出す。それは、その小さな国の企業の技術力が、世界でもある程度、地盤をつくり認められていったことへの、私たちへのアプローチかもしれない。普通の2,3歳の子供も読めるローマ字の企業名。
こうした断片的な生活のエピソードの積み重ねを通して、薄い皮膚の層が身体を守るように、ある記憶ある人間を形作っていく。でも、逆に普段送られている伝統的な行事や、その日々が作りなすことへの気持ちの対処の仕方も誰に教わるわけでもないが、してしまったり、不思議な気持ちに包まれたりもする。遠くに聞こえる寺の鐘の音に対するときの、あの不思議な憧憬はどこからくるのだろう。誰が、解説したり、説明したりしてくれるのだろう。
またしても逆に、世界のどこでも、行われている日常的なことには、そう相違もないのだろうか。家族で食事をとったりすることには、誰しもが懐かしみや労わりの気持ちを持つものなのか。地震がおきて家族を失ったときの気持ちなどは環境に影響されないかもしれない。
しかしである。この日本に育って、それもある年代に、商社の輸入の力なのか、全世界のものが東京に集まり、さまざまなものを楽しめ、観賞し、手触りを感じ、ということも出来るのは、全世界でも数ヶ所の都市だけであろうか。その中に東京が入っているとも思いたい。
こうして、まあヒーローらしくない登場人物だけは決まり、彼が感じたことの思い出やエピソードの薄い層を積み重ね、物語らしくないものを仕立てていく。それは、スーツというものに初めて手を通した東洋人のように不恰好でさまになっていないのかもしれない。でも、2本の腕と、2つの足をもっていることには変わりない。多少の長短はあるのかもしれないが。
ここで、電話がなる。知識として、ベルさんという人の発明ということを含んだ音の響きとして。そして、暗い中で、蛍光灯があれば読書や、パソコンの前にも座れる。そこには、エジソンという人がいたのだろうか。電話を終える。映画をみに行こうということに決まれば、フイルムを発明した誰か。そのフイルムのなかに表れた、ひげを生やした滑稽なイギリス人。生活を完璧なものにできないために行われるドタバタ。もし、鎖国という政策がなかったら、どこかの時点で植民地化されていったのだろうか。そうして、使っている言語も、いまのように保つことができなかったのだろうか。そうすると、何事も奇蹟のように感謝できるものにも思えたりする。
チャンネルをころころ変えるように私たちはすぐ飽きたりするのかもしれない。ここにでてくる登場人物はどうだろうか。彼は、自分の人生を、どう掌握し、理解し、トラブルを解決していくのだろうか。
服装は、ジーンズで、上にはタートルネックのセーターを着込み、日本人というアイデンテティーもなく、与えられた人生をただ受け入れていく。あまり疑問を持たなければ人生は。