爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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当人相応の要求(1)

2006年12月30日 | 当人相応の要求
当人相応の要求(1)
 ここに1968年生まれの男性を登場させようとする。なぜ、その年を選ぶのかというと、約100年前に明治というものがはじまり、やはりそれは、一言でいえば西洋化していくプログラムだったと思う。価値観をリセットして、というかきれいに上書きをされてしまったようなものかもしれない。
 その100年の間に、祖父や祖母は、それぞれの人生を戦い抜き、途中で他界したり、また彼の父や母は、物心ついたときからその西洋化のミサイルを浴びたあとの荒廃した土地を歩いてきたのかもしれない。そして、彼が登場する。その生い立ちの幾つかのパートを振り返り、外国に憧れたり、嫌ったりする振り幅があったのかもしれないが、人間はそもそも、その時代や環境の賜物であり、鳥の巣から落とされた卵であることを実証できたらと思う。
 その価値観も大幅に否定しない限り、時代の要求を必要以上に疑わないかぎり、ある人間をスポイルするとか、しないとかを考えなければ、思い込みのやり場は自然と、大衆と同調していくだろう。かといって典型的な人間のことなど、誰しもが分かるものでもない。ただ、ギャップを抱えて生きていきながらも、その時代の雰囲気や空気は、焼肉店での食事をした後のにおいのように、その人々に付着していく。洗濯するまでは服にも、風呂にはいるまでは、髪や身体にも。
 その彼の弟は小さな頃、多くの子供の才能を過大視する家族を喜ばせるものだが、テレビのコマーシャルを見て、アルファベットを並べた企業名を見て、それをすべて言い当てた。横文字の羅列が普通のものであることの象徴として、このエピソードを出す。それは、その小さな国の企業の技術力が、世界でもある程度、地盤をつくり認められていったことへの、私たちへのアプローチかもしれない。普通の2,3歳の子供も読めるローマ字の企業名。
 こうした断片的な生活のエピソードの積み重ねを通して、薄い皮膚の層が身体を守るように、ある記憶ある人間を形作っていく。でも、逆に普段送られている伝統的な行事や、その日々が作りなすことへの気持ちの対処の仕方も誰に教わるわけでもないが、してしまったり、不思議な気持ちに包まれたりもする。遠くに聞こえる寺の鐘の音に対するときの、あの不思議な憧憬はどこからくるのだろう。誰が、解説したり、説明したりしてくれるのだろう。
 またしても逆に、世界のどこでも、行われている日常的なことには、そう相違もないのだろうか。家族で食事をとったりすることには、誰しもが懐かしみや労わりの気持ちを持つものなのか。地震がおきて家族を失ったときの気持ちなどは環境に影響されないかもしれない。
 しかしである。この日本に育って、それもある年代に、商社の輸入の力なのか、全世界のものが東京に集まり、さまざまなものを楽しめ、観賞し、手触りを感じ、ということも出来るのは、全世界でも数ヶ所の都市だけであろうか。その中に東京が入っているとも思いたい。
 こうして、まあヒーローらしくない登場人物だけは決まり、彼が感じたことの思い出やエピソードの薄い層を積み重ね、物語らしくないものを仕立てていく。それは、スーツというものに初めて手を通した東洋人のように不恰好でさまになっていないのかもしれない。でも、2本の腕と、2つの足をもっていることには変わりない。多少の長短はあるのかもしれないが。
 ここで、電話がなる。知識として、ベルさんという人の発明ということを含んだ音の響きとして。そして、暗い中で、蛍光灯があれば読書や、パソコンの前にも座れる。そこには、エジソンという人がいたのだろうか。電話を終える。映画をみに行こうということに決まれば、フイルムを発明した誰か。そのフイルムのなかに表れた、ひげを生やした滑稽なイギリス人。生活を完璧なものにできないために行われるドタバタ。もし、鎖国という政策がなかったら、どこかの時点で植民地化されていったのだろうか。そうして、使っている言語も、いまのように保つことができなかったのだろうか。そうすると、何事も奇蹟のように感謝できるものにも思えたりする。
 チャンネルをころころ変えるように私たちはすぐ飽きたりするのかもしれない。ここにでてくる登場人物はどうだろうか。彼は、自分の人生を、どう掌握し、理解し、トラブルを解決していくのだろうか。
 服装は、ジーンズで、上にはタートルネックのセーターを着込み、日本人というアイデンテティーもなく、与えられた人生をただ受け入れていく。あまり疑問を持たなければ人生は。

雑貨生活(1)

2006年12月21日 | 雑貨生活
 そして、今日もぼくは終わらない小説を書いている。
 人生とは、まったく華々しい所ではないと思いながら、固い椅子にすわり。この場だけでも、運命という季節の花が咲けばよいと考えている造園家のように。
 それが、短編で終わるのか、それとも、長編に化けるのかとも判断がつきかねながら。
 
 仕事場では、お金の計算ばかりをし、数字のあやつり人形となり、完全なる宗教はないものかと夢想し、イスラム教徒の4人の妻のことを愛慕し、結局は傷を負って、野垂れ死に寸前を迎え。

 小出楢重を知り、やはり芸術こそが最高の手作業と胸を打たれる。ぶきっちょな少女の手編みのセーターのように、滑稽でありながらも、実働が感じられる瞬間。

 言い訳ばかりを考え、利益のことを追求し、結局は、少ない労力で最高の成果をあげようと必死になっている人間。必死という言葉を間違って使っているのか。一度も死に物狂いになったことなどないのかもしれない。暖かい布団のなかの温もり。ただ、それを求めているだけなのか。

「考えることをやめられない頭」(25)

2006年12月13日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(25)

 やはり、自分の確固たる居場所や土台もなく、ぼくは町の中や、自分自身においてさえ流浪している。そして、はっきりとしたゴールも、当然のように見つけられないでいた。
 兄の子供と遊ぶ数時間、それも終わると彼らは自分の家に戻っていった。ぼくも、常に自分の終着駅である落ち込んだ定まらない心に戻っていった。
 ホテルで稼いだ金は、かなり量のCDと、数着の洋服と、何回かの美術館通いなどで消えていった。そうなる、運命をその金銭は持っていたように、いまの自分は思えたりもする。結局、自分の知りたいことや使いたいことはこうだったような薄い確信みたいなものまで芽生える。
 だが、そろそろはっきりとした方向性を見出そうと、人生において舵取りだけはしっかり取ろうと思ったが、なかなかぼくの人生はゆっくりとしすぎ、そのスピードを上げなかった。
 また、もう一度、東京を捨て、どこかで働こうと考え出す。以前と同じように履歴書が郵便で送られ、電話で答えがある。また、荷物をつくり、いくつかのものにさよならをする準備をする。今度は、きっちりと目的や居場所を何人かに告げ、すこし大きくなって帰ってこようと思っている。何度も、こうして何かから逃げ、いくつかのものを拾い、義理を避け、少数のこころに傷をつけてきたような気もする。だが、生きることは、つまり他人への迷惑で成り立っているのではないだろうか? そして、多かれ少なかれ自分のこころにも、傷をうみだし化膿する前に、大事になるまえに癒したりしている過程だけではないのか? いや、もうすこし地上はましなところだよな。
 ダンボールに入った何十枚かのCDを梱包し、それをレコード屋に送ったら、いくらかの金が銀行に振り込まれた。それで、航空券を買い、目的地に向かう準備は整った。どんな運命が自分をまっているのだろう。
 あさ、通常のように起きるが、これで東京で、それもかなり端で起きる最後の朝だ。荷物を整理し、そして点検し、家族が使い古したカメラを潜ませ、完全に荷物は整った。
 最寄りの駅で電車に乗り込み、神奈川の方まで続く路線に乗る。すこし感傷的になる。なんだかんだ20数年も、この汚い空気の町で暮らしてきたのだ。心の痛みも許されるだろう。それから、乗換駅でモノレールに換えた。
 チケットを握り、ラウンジで飛行機を待つ。観光シーズンでもないので、あたりは閑散としている。それでも、数人の忙しそうなビジネスマンは携帯でなにやら交渉し、小さな何も入りそうもないバックを持った女の子は、はしゃぎながらもお母さんのスカートのすそを真剣につかんでいた。これを離すと、すべての社会との関係が断ち切れてしまうとでもいうように。
 そして、待っている。人間の通常の営みの「待つ」という出来事。ぼくらは、幸運を待ち、溶けた角砂糖のような小さな希望を待ち、来るかもしれないが多分、来ない確立のほうが多そうな勝利の女神の微笑を待っていたりする。
 やっと、アナウンスの声が、そこにすわっているぼくの耳に響く。もしかしたら、ずっとここで座って、うなだれて待っていた方が良かったのか? しかし、腰をあげ、自分を幸福に連れてってくれる偽者の予感を服のポケットにでもしまうようにして、そこを立ち上がった。
 飛行機内の座席に座る。新聞や雑誌に目を通し、ラジオの放送の曲を調べる。レイ・チャールズの特集があるようだ。
 その狭い中を、人気のあった職業の女性たちが忙しそうに働いている。そうしている間に目をつぶっていたら、眠くなった。それから、気がつくとアナウンスがあり、すべての飛行機の蓋がしめられ、密室になった。自分には幸福がいつか訪れるのだろうか。安心して眠る猫のように、自分らしくいられる空間を逃さずにつかみ取れるのか。そもそも、自分の居場所は、この地球上にあるのだろうか。自分の象徴的にいって、居心地のよい座布団や、身体を伸ばせるソファはあるのだろうか。もし、あるなら抱え込んで離さないようにしなければ。
 ある種の爆音が耳につんざく。もう、この物体は飛ぼうとしている。その準備は完了したようだ。手元には、イヤホンがある。もう少しで、視力は持たずとも、その唄で世界をとりこにし、自分の人生を表現できたソウルフルな歌声が待っている。自分は、健康なのだし、まだ年齢も限界にきているわけでも、まったくないのだから、この世界ともう少し格闘する勇気が湧く。そうしていると、不思議な重力の変化があり、ぼくを目的地まで運ぼうとする。
(終)

「考えることをやめられない頭」(24)

2006年12月11日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(24)

 もうひとつの方面、車を買うことについて考えてみる。
 その地区では遅めに、19才のときに免許を取った。本当は、どうでも良かったのかもしれないが、ある面接に行き、何度も断られたが、またその回数を増やすときに、会社からのお断りの電話をうちの父が取った。理由は、免許をもっていないということにされていた。
 そのことがあってか、父親の知り合いのいる教習所で免許を取ることになった。だらだらと、時間をかけそれを取得した。家には兄が、車を持っていたが、一度も運転させてくれることもなく、毎日のように乗り回していた。もちろん、非難の余地もなく彼自体がローンを払っていたので、文句のつけようもない。
 ある日、母のこれまた知り合いの人は、車を買い替えるらしく、必要なくなった車を安く下取る話が計画されたが、いつの間にか泡のように、その話は消えた。
 こうして、あまり縁もなく、車を所有できずにいた。自分が育った近辺では、例外的に珍しいことだった。年齢がくれば、バイクに乗り、またある年齢に届けば、車に乗り換えるような場所だった。
 しかし、本当のことをいえば、あまりエンジンがついているものに興味がないのも事実だろう。それより、運転もしないで酒も飲みたかったし、電車内でもいいから本を耽読したかった。もっと深く言えば、一緒に乗って空間を共にする人も、ある時期にいなかったのも大きいのだろう。
 そうして、一人暮らしもかすかにあきらめ、じゃあ、ということで車に乗ることを考える。安いワーゲンなんかおしゃれで良いかもしれない、と考えていた。だが、駐車場代や家の近くに場所を確保することもなかなか難しかったらしい。それにしても、そんなに乗らないのだろうか?
 まだ、もっと若かった数年前、友達はすでに免停になっていた。しかし、朝まで飲み続け、明るくなった空の下、その友人の兄の車を勝手に持ち出し、結構遠くまで乗り回した。警官に見つかることもなく、第一、そんなことを思いの端にも浮かべなかった。少し残った酔いが自分の気持ちを大きくし、自由な気持ちを持っていた。
 計画ということが、すべて叶わないようなあの一時期。本当に所有したいものも見つからず、将来の足がかりも探せず、迷っていたような数年だった。だが、ある日、ふとした幸運で、自分の才能が花開き、誰かの目にとまり、自信と勇気を勝ち取れそうな予感はあったはずだが、それさえも汚い川に浮かぶ洗剤のあぶくのように、いつしか消滅しそうになった。
 合宿で免許を取りにいけば、彼女を作ってきた友人。自分は、どうしても一人の幻影から離れられなかったのかもしれない。ある夜、友人の家で寝ていた。その時に、うなされて女性への懇願の言葉を吐いていたと言われた自分。大体は、誰のことを指しているのか、自分が一番よく知っていた。そんな亡霊から逃げ惑い、だが振り切れずにもいた。
 友人たちの車に乗り、家まで送られ、その代償としてなのか、彼らには、それ相応の女性たちがいた。自分は、やはり、芸術とかをあきらめられずにいた。近くの公園に、ジーンズの後ろのポケットに文庫をいれ、そこまで歩く。強い日差しのときもあれば、曇りのときもある。犬を散歩させている人もいれば、鳩にえさを投げ与えているお爺さんもいる。自分もいつしか、過剰な欲もなく、そういう存在になれればいいが、と本気で願ったりもした。だが、そう簡単には、こころの奥の曲がった野心を打ち消せずにもいた。荒みはじめた自分がいる。あきらめかけた自分がいる。絶対的な知識を渇望している自分がいた。そこには、神という存在が手を差し伸べてくるのか。
 真面目な考えの昼間とは別に、夜は、あまり腹の割れなくなった友人たちに電話して、つかまえようとしたが、それぞれ違う道を進んでいるようだった。誰も止められないものが、自分にも訪れようとしていた。
 使いたくなくても、金はいつしか目減りしてくる。お金のないときの発想。こつこつとではなく、大金をということか。自分もある種、不安な将来と、薄い財布を心配し始める。家族の中で、とびきり強く感じる孤独。自分の才能の片鱗に気づかない人たち。
 そんな時に、まだ若い兄に子供が出来たのだろうか。それにつられて、我が青春も終止符を打とうとしているのだろうか。すべてが、自分の奥からの発動ではなく、他者との関係で成り立っているのだろうか。

「考えることをやめられない頭」(23)

2006年12月04日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(23)

 多少、手元にホテルで働いたお金が残ったので、一人暮らしの資金にしようか、それとも安い中古車の元手にでもしようかとの、どちらかで迷った。せっかくなので、何かのきっかけを生み出すように、その金銭を使いたかった。
 目星はついているのだろうか? 東京だと家賃も高くなるので、住まいのことを優先するなら千葉方面を考える。柏あたりは、どうだろうか。駅前も、賑わっていることだし、都心に出るのも、もうそんなに憧れを抱いてもいなかったが、まあこの辺りが妥当かなとも考える。
 もう一つは、手賀沼というところへ、子供の頃に釣りにいったが、あの辺も良いかな、と候補にあげる。なんだかんだ自然にも触れた帰りなので、いくらかでも自然の名残みたいなものを掴みたいとも思っていた。
 散策がてら、一つの不動産にはいる。予算などを相談し、忙しそうにも見えなかったが、鍵と地図だけ渡され、そこに行くよう言われる。その地図を頼りに迷いながらも、我が新居になるかもしれないところを見つける。鍵をあけて中に入る。そこの部屋の真ん中に風呂のボイラーのようなものが陣取り、くつろげるような雰囲気は皆無だった。部屋と呼ぶにはあまりにも、みすぼらしく、また不動産屋の自分にたいするあつかいも邪険だったので、その間取りの載っている書類を部屋に置き、トイレに入り用を足し、また鍵を閉めて出てきた。今度は迷うこともなく、不動産に戻り鍵を返した。
「ちょっと、違うみたいでしたね」
「そう、東京の人は離れないほうがいいよ」と不動産の店主はぼくに声をかけ、その関係は終わった。
 もう少し不動産を廻ってみた方がよいのかもしれないが、なんとなくその気が失せていく。また、あのような部屋に自分の身体を持っていきたくもなかったし、その部屋に首を突っ込みたくもなかった。
 まあ、ここまで来たので、そのあまりきれいでもない沼でも見て帰ろうと思い、また電車に数駅のる。子供たちの成長を祝う儀式のシーズンだったのか、きれいな服につつまれた子供が近くの神社にいた。すこしばかり微笑ましく感じた。
 なだらかな傾斜のある道を歩くと、子供の頃に感じたより長いような気がしたが、目の前に水面がひろがる。それを見て、こころの中の憧れの箱のようなものが開いて、自己を解放したような気がした。なんだ素敵な場所ではないか、との箱の中味が喜びの声をあげる。でも、もしかしたらたまに訪れるから、こういう場所は居心地がよいのかとも思い出す。一人で自分を主人に暮らしてみたかったが、その気持ちが減少しはじめる。いくばくかの新鮮な空気を胸に取り込み、包み、いま通った道をあとにする。
 途中に落花生を売っている店がある。母親が夢中で食べることを思い出し、なぜかお詫びのように買っていこうと考える。親の感情を喜びで満たすのも、たまには必要だよな、とあまり自然に湧きあがった気持ちでもなかったが、なんとなく納得する。拘泥しすぎる肉親との関係。
 家も決まらず、冬の日は傾きはじめる。
 自分を慰めるように、もと来た駅に戻り、時間を潰そうと映画館にはいる。どのような未来を作りたいのか、自分でも謎だった。もしかしたら、自分はものにならないまま、この人生を終えるのだろうか。自分が生きようともがいたりすることには、なんの価値もないのだろうか。暗い映画館を出て、冬の到来を待ち望んでいる外気にさらされても、自分の頭脳は火照ったように、その価値のない生涯を思い描き、さらに必死におぼれる人のように空中をかき乱したいような気がした。
 電車に乗る。大きな幅の川を越える。そして、東京の端。メキシコとカリフォルニア。南米と北米。その一本の川を、自分はそのように大層にかんがえているのだろうか。東京の落ちる滝の手前のような場所に住んでいる自分。そこで、自分の頭脳とわだかまりと、煩悶をこしらえた自分。
 来たときと落花生の分だけ荷物が増えた自分だった。そして、少しだけ普通に生活をするだけで、金は消えていく。自分の成長のために使いたいが、どうなるのだろう。目減りしていくのか。
 家に着き、ちょっと千葉の方に行ってきたよ、と告げ、部屋を探したことは言わずに、手にもった袋を投げ出し、「好きだと思ったので」と母に投げた。