当人相応の要求(7)
例えば、こうである。
球を投げて、棒で打ち返すという競技がある。少年時代に、彼はそれに熱中する。
それから、数年も経ち、彼はその競技を自分ですることはしない。だが、それをテレビで見ることは好きである。たまには、そのスポーツ自体に哲学を感じたり、人生で訪れる成功に酔うことや、失敗にくじけないという生活自身を投影したりもしてみる。
彼は、知っている。そのアメリカとカナダの一部で行われている大金が動く、声援を受ける競技に、ある日、日本人が活躍する日が来ることを。そのはじめは、ピッチャーであることも知っていた。だが、その選手は無名のうちにアメリカに渡り、マイナー生活を経験し、その後、皆に知れ渡るという過程を経ていくはずだった。彼のこころの中では。
だから、日本のパリーグのエースがその役割を担うとは思ってもみなかった。
その選手、ドジャー・ブルーのユニフォームで、トルネードと名付けられた投法。
1968年生まれ。江戸の終末からおよそ100年。
ニッポンに文化が訪れる。ベーブ・ルースを通して。
その大選手。ボストン・レッドソックスでは20数勝もあげる大投手だった。だが、野手として頭角をあらわすもニューヨークに移る。「バンビーノの呪い」
アメリカの多様な人種を許容する文化は、世界中に広まるように出来ているのだろうか。
その選手は1934年に日本に来ている。対するのは沢村栄治。
主人公の彼は、子供の頃、物語を読む。戦争の犠牲者としての沢村。大人になって、一度の軍隊入りではなかったことに驚く。数回、沢村投手は戦地に出向き、役に立たなくなると所属球団は、あっさりと見切りをつける。現在の球団のように。
14という数字の物語。敗戦の8ヶ月前に、その投手は27で人生を終える。
そして、敵性の代名詞としてのスタルヒン。外国人投手。ロシアからの亡命で、本来は無国籍の人間だったと彼は、知る。無国籍の人間が、どのようにして敵性になれるのだろう。
それから、61年後の1995年のロスアンジェルスに表れた勇姿。
人は、すべて誰かの身代わりである。その前にいたハーシハイザーという優れた外科医のような容貌をもつ投手。彼が抜けた青いチームには、ぴったりの救世主のように思える。
だが、彼が見た歴史の中で最高のベースボールはハーシハイザーとマダックスの投げ合いだった。彼らこそが、そのスポーツの栄光を一身に受けるべき選手たちだった。ワールドクラスという陳腐になりはじめた名称に真に値する勝負があった。
日本人に戻る。そのドクターKという人物は黒澤映画の用心棒のように他球団を渡り歩く。誰もが成し遂げて、手に入れたいノーヒッターという勲章を自分のものにする。時差のある地で、彼も熱狂する。自分が、努力して勝ち取った結果のように。まあ、それがフアンというものだろう。
彼は、西海岸に行く。ドジャー・スタジアムの横を通り抜ける。さらに別の地にも行く。ネオンの洪水のようなギャンブルの町で、長谷川という投手を、スロットマシーンの横の巨大なテレビで、目にする。人工的な遊園地の近い町で、その投手は、どれだけのものに敵対し、どれだけのものを味方につけているのかと考えたら、彼は途方にくれだす。また、人間ひとりの力にも勇気づけられる。結局、意志があれば、人間なんてどこにいたって、自分の思い通りに人生を転がせるのだ、との確信を抱いて。
日本車が輸出されるように、それからは、守備やバッテイングでも、中南米だけではなく、東洋からも人間が入り込む。それから、数年が経つと、一人の選手の身柄を拘束し、交渉する値段として60億円という破格の金額が動く。バンビーノがいないチームで。だが、驚くには至らない。その国家は、中東で、同じように一人の人間を拘束し、命を操るのに、それ以上の金額と、多くの人数をかけているのだ。だが、彼は思う。武器を広めに行くぐらいなら、(世界を不安に陥れる武器を使わないようにすることが大前提であったはずだが)ベースボールを中東にも普及させた方が、どんなに人間の(一時、野球に熱中したことのある)心には、自然だろうかとも思う。
彼は、街を歩く。親子でキャッチボールをする姿を、さわやかさの、また幸せの象徴のように感じる。さらに、あの国家のフィールド・オブ・ドリームスという名作を心の中に投射する。
例えば、こうである。
球を投げて、棒で打ち返すという競技がある。少年時代に、彼はそれに熱中する。
それから、数年も経ち、彼はその競技を自分ですることはしない。だが、それをテレビで見ることは好きである。たまには、そのスポーツ自体に哲学を感じたり、人生で訪れる成功に酔うことや、失敗にくじけないという生活自身を投影したりもしてみる。
彼は、知っている。そのアメリカとカナダの一部で行われている大金が動く、声援を受ける競技に、ある日、日本人が活躍する日が来ることを。そのはじめは、ピッチャーであることも知っていた。だが、その選手は無名のうちにアメリカに渡り、マイナー生活を経験し、その後、皆に知れ渡るという過程を経ていくはずだった。彼のこころの中では。
だから、日本のパリーグのエースがその役割を担うとは思ってもみなかった。
その選手、ドジャー・ブルーのユニフォームで、トルネードと名付けられた投法。
1968年生まれ。江戸の終末からおよそ100年。
ニッポンに文化が訪れる。ベーブ・ルースを通して。
その大選手。ボストン・レッドソックスでは20数勝もあげる大投手だった。だが、野手として頭角をあらわすもニューヨークに移る。「バンビーノの呪い」
アメリカの多様な人種を許容する文化は、世界中に広まるように出来ているのだろうか。
その選手は1934年に日本に来ている。対するのは沢村栄治。
主人公の彼は、子供の頃、物語を読む。戦争の犠牲者としての沢村。大人になって、一度の軍隊入りではなかったことに驚く。数回、沢村投手は戦地に出向き、役に立たなくなると所属球団は、あっさりと見切りをつける。現在の球団のように。
14という数字の物語。敗戦の8ヶ月前に、その投手は27で人生を終える。
そして、敵性の代名詞としてのスタルヒン。外国人投手。ロシアからの亡命で、本来は無国籍の人間だったと彼は、知る。無国籍の人間が、どのようにして敵性になれるのだろう。
それから、61年後の1995年のロスアンジェルスに表れた勇姿。
人は、すべて誰かの身代わりである。その前にいたハーシハイザーという優れた外科医のような容貌をもつ投手。彼が抜けた青いチームには、ぴったりの救世主のように思える。
だが、彼が見た歴史の中で最高のベースボールはハーシハイザーとマダックスの投げ合いだった。彼らこそが、そのスポーツの栄光を一身に受けるべき選手たちだった。ワールドクラスという陳腐になりはじめた名称に真に値する勝負があった。
日本人に戻る。そのドクターKという人物は黒澤映画の用心棒のように他球団を渡り歩く。誰もが成し遂げて、手に入れたいノーヒッターという勲章を自分のものにする。時差のある地で、彼も熱狂する。自分が、努力して勝ち取った結果のように。まあ、それがフアンというものだろう。
彼は、西海岸に行く。ドジャー・スタジアムの横を通り抜ける。さらに別の地にも行く。ネオンの洪水のようなギャンブルの町で、長谷川という投手を、スロットマシーンの横の巨大なテレビで、目にする。人工的な遊園地の近い町で、その投手は、どれだけのものに敵対し、どれだけのものを味方につけているのかと考えたら、彼は途方にくれだす。また、人間ひとりの力にも勇気づけられる。結局、意志があれば、人間なんてどこにいたって、自分の思い通りに人生を転がせるのだ、との確信を抱いて。
日本車が輸出されるように、それからは、守備やバッテイングでも、中南米だけではなく、東洋からも人間が入り込む。それから、数年が経つと、一人の選手の身柄を拘束し、交渉する値段として60億円という破格の金額が動く。バンビーノがいないチームで。だが、驚くには至らない。その国家は、中東で、同じように一人の人間を拘束し、命を操るのに、それ以上の金額と、多くの人数をかけているのだ。だが、彼は思う。武器を広めに行くぐらいなら、(世界を不安に陥れる武器を使わないようにすることが大前提であったはずだが)ベースボールを中東にも普及させた方が、どんなに人間の(一時、野球に熱中したことのある)心には、自然だろうかとも思う。
彼は、街を歩く。親子でキャッチボールをする姿を、さわやかさの、また幸せの象徴のように感じる。さらに、あの国家のフィールド・オブ・ドリームスという名作を心の中に投射する。