Untrue Love(45)
「順平は、誰かと寝ているんだろう? 彼女がいないと言ったって」
そのように早間がぼくに訊ねた。純粋な好奇心というより会話の糸口を求めたかのような問いかけだった。また、その質問に答えるようぼくに促しているようでもなかった。ただ、咲子とそういう関係になったということを暗にほのめかしているようでもあった。それで、ぼくにも同じ状態になるよう立場を設定したかったのかもしれない。同様の問題に悩み、喜びに浸る友人として。また、もしかしたら、彼にしては珍しく咲子に拒まれ、手間取ったということを伝えたかったのかもしれない。しかし、ぼくはどちらにも興味がなかった。それも違う。興味を自らかきたてないように努力をしていたのだ。
「いないこともない」
「でも、きちんと付き合ったりしないんだ」
「絶対にそう思っているわけでもない。ただ、そういう次の段階に行くことが恐いのかもしれないね」
このようにぼくは、ぼくの問題を語っている方が安心できた。結果として、自分のことを語ることによって、彼の口を閉じられてもいたのだ。
「恐いって、いったい、どういうことだよ? 女なんか恐くないだろう?」
「そうだろうね、早間から見たら。そろそろ、バイトに行かなければ・・・」ぼくは、腕時計を確認してからそう言いのこして大学の構内を出た。そこを出ればぼくは自由になり、自分自身が規定する尺度の領域の住人だった。女性をたぶらかすこともなければ、征服者として自分を君臨させることもない。
しかし、頭は拘束されていた。先ほどの会話が脳の底に残留し、ぼくの頭のなかで主張をする気でいた。封じ込める決心をしていたが、なかなか手強い相手でもあった。だから、ぼくは努めて別のことを考えようとした。
ユミは先日、またぼくの家に来てぼくの髪の毛を切った。それにかかる費用を捻出しなくなったので心配は減ったが、まったくの無料という訳にもいかない。彼女にプレゼントを買い、食事もおごった。結局は同程度のお金はかかったが、自分の資質を、美容院という限られた時間しか共にしないひと以上にぼくを知っているということで、おざなりという感じからは隔てられていた。
「専属のひとがいるって、いいことじゃない?」
それはぼくとユミとの関係そのものも含まれているような意見だった。だからといって、ぼくは素直に同意しなかった。それをするとぼくはすべてを失ってしまうという仮説に脅えていたのだ。また、それをすべて継続させることも、やはり等しく失うことにつながるのだということは知らなかった。
「むかしの男性のことって、思い出したりする?」ぼくは髪をいじられながらユミに訊く。
「なに、それ? もしかして嫉妬してほしいと思っているの? 違うね、嫉妬しはじめてるの?」
「そうじゃないよ。まじめな疑問」
「なんだ、違うんだ」彼女は首を傾げる。その質問を考えているのか、ぼくの髪型をどうハサミで処理すれば様になるのかを検討してもいるようだった。「思い出したりするよ。風とか日射しとか、ひんやりとした空気とかで、思い出って結び付いているものでしょう?」
「なんだ、詩的なことも言えるんだ」
「バカにした。俗物みたいな扱いをした」彼女のふくれた表情が鏡にうつった。それが若い女性の放つ儚い輝きであることをぼくは知らない。「そうだ、この前、咲子ちゃんが急にここに来たとき、あとで何か言われた?」
「とくには。いや、まったく。興味もないし、照れた様子もなし」
「そうなんだ。クールね」彼女は沈黙してぼくの頭を点検した。「はい、できあがり」
「うまいね。それとも、ぼくが才能を引き出しているのかな」
「いいよ。そう、シャワーでも浴びちゃいなよ。そうだ、わたしもいっしょに入っていい。汗、かいた」
彼女は切った髪の黒い束をゴミ箱に捨てに行った。一瞬だけ姿が消えた。それから、服を全部脱ぎ、またそこにあらわれた。ぼくは早間の問いかけをいまごろになって思い出した。「誰かと寝ているんだろう?」と彼は訊いたのだ。
「むかしの男性とも、こうやって入った?」
「バカみたい」彼女はそう言い、ぼくの肩の辺りを強くこぶしで殴った。ぼくはちっとも痛くなかった。だが、ユミはその行為を詫びるように同じ箇所に唇を近づけた。「バカみたい」
ぼくは軽くなった頭をシャンプーの泡で満たした。その白い泡を、片手を高く揚げ、シャワーヘッドを掴んだユミがお湯で流した。その勢いのある流水があらゆるものを流そうとしたが、脳の内部に執拗にこびりついている様々な記憶の断片や、自分の犯したミスや、傷ついた過去の端くれや、早間の質問などが下に落ちることはなかった。その断片の集合体だけが自分のような気もした。太い幹ではなく、ささいな小枝だけで出来上がっている自分。組み立てられたものはあまりにも薄っぺらなもののようだった。
すると、目の前にユミの背中の産毛が水を弾こうとしているのが目に映った。彼女の芯にある躍動感だけではなく、いまのユミもその数本の細い毛だけで構成されているようにも思えて来た。
「順平は、誰かと寝ているんだろう? 彼女がいないと言ったって」
そのように早間がぼくに訊ねた。純粋な好奇心というより会話の糸口を求めたかのような問いかけだった。また、その質問に答えるようぼくに促しているようでもなかった。ただ、咲子とそういう関係になったということを暗にほのめかしているようでもあった。それで、ぼくにも同じ状態になるよう立場を設定したかったのかもしれない。同様の問題に悩み、喜びに浸る友人として。また、もしかしたら、彼にしては珍しく咲子に拒まれ、手間取ったということを伝えたかったのかもしれない。しかし、ぼくはどちらにも興味がなかった。それも違う。興味を自らかきたてないように努力をしていたのだ。
「いないこともない」
「でも、きちんと付き合ったりしないんだ」
「絶対にそう思っているわけでもない。ただ、そういう次の段階に行くことが恐いのかもしれないね」
このようにぼくは、ぼくの問題を語っている方が安心できた。結果として、自分のことを語ることによって、彼の口を閉じられてもいたのだ。
「恐いって、いったい、どういうことだよ? 女なんか恐くないだろう?」
「そうだろうね、早間から見たら。そろそろ、バイトに行かなければ・・・」ぼくは、腕時計を確認してからそう言いのこして大学の構内を出た。そこを出ればぼくは自由になり、自分自身が規定する尺度の領域の住人だった。女性をたぶらかすこともなければ、征服者として自分を君臨させることもない。
しかし、頭は拘束されていた。先ほどの会話が脳の底に残留し、ぼくの頭のなかで主張をする気でいた。封じ込める決心をしていたが、なかなか手強い相手でもあった。だから、ぼくは努めて別のことを考えようとした。
ユミは先日、またぼくの家に来てぼくの髪の毛を切った。それにかかる費用を捻出しなくなったので心配は減ったが、まったくの無料という訳にもいかない。彼女にプレゼントを買い、食事もおごった。結局は同程度のお金はかかったが、自分の資質を、美容院という限られた時間しか共にしないひと以上にぼくを知っているということで、おざなりという感じからは隔てられていた。
「専属のひとがいるって、いいことじゃない?」
それはぼくとユミとの関係そのものも含まれているような意見だった。だからといって、ぼくは素直に同意しなかった。それをするとぼくはすべてを失ってしまうという仮説に脅えていたのだ。また、それをすべて継続させることも、やはり等しく失うことにつながるのだということは知らなかった。
「むかしの男性のことって、思い出したりする?」ぼくは髪をいじられながらユミに訊く。
「なに、それ? もしかして嫉妬してほしいと思っているの? 違うね、嫉妬しはじめてるの?」
「そうじゃないよ。まじめな疑問」
「なんだ、違うんだ」彼女は首を傾げる。その質問を考えているのか、ぼくの髪型をどうハサミで処理すれば様になるのかを検討してもいるようだった。「思い出したりするよ。風とか日射しとか、ひんやりとした空気とかで、思い出って結び付いているものでしょう?」
「なんだ、詩的なことも言えるんだ」
「バカにした。俗物みたいな扱いをした」彼女のふくれた表情が鏡にうつった。それが若い女性の放つ儚い輝きであることをぼくは知らない。「そうだ、この前、咲子ちゃんが急にここに来たとき、あとで何か言われた?」
「とくには。いや、まったく。興味もないし、照れた様子もなし」
「そうなんだ。クールね」彼女は沈黙してぼくの頭を点検した。「はい、できあがり」
「うまいね。それとも、ぼくが才能を引き出しているのかな」
「いいよ。そう、シャワーでも浴びちゃいなよ。そうだ、わたしもいっしょに入っていい。汗、かいた」
彼女は切った髪の黒い束をゴミ箱に捨てに行った。一瞬だけ姿が消えた。それから、服を全部脱ぎ、またそこにあらわれた。ぼくは早間の問いかけをいまごろになって思い出した。「誰かと寝ているんだろう?」と彼は訊いたのだ。
「むかしの男性とも、こうやって入った?」
「バカみたい」彼女はそう言い、ぼくの肩の辺りを強くこぶしで殴った。ぼくはちっとも痛くなかった。だが、ユミはその行為を詫びるように同じ箇所に唇を近づけた。「バカみたい」
ぼくは軽くなった頭をシャンプーの泡で満たした。その白い泡を、片手を高く揚げ、シャワーヘッドを掴んだユミがお湯で流した。その勢いのある流水があらゆるものを流そうとしたが、脳の内部に執拗にこびりついている様々な記憶の断片や、自分の犯したミスや、傷ついた過去の端くれや、早間の質問などが下に落ちることはなかった。その断片の集合体だけが自分のような気もした。太い幹ではなく、ささいな小枝だけで出来上がっている自分。組み立てられたものはあまりにも薄っぺらなもののようだった。
すると、目の前にユミの背中の産毛が水を弾こうとしているのが目に映った。彼女の芯にある躍動感だけではなく、いまのユミもその数本の細い毛だけで構成されているようにも思えて来た。