例えば、こうである。
弟というものが、この世に生まれる話。兄弟関係の成立があり、兄という存在が確立される物語。また、その様々な余波と影響。当然のように、お茶碗と箸が増え、布団が一枚、多く敷かれる話。
彼は、そのことにいつ気がついたのだろう。いつの間にか、自分に似た存在が増えていた。その子は可愛かったので、無条件に彼も愛した。なにかを奪ったりすることもなく、分けられるものは、ならべく分けてあげた。
だが、段々と成長していくと、具体的な結果として、変化が日常的に見られていく。八年間も末っ子として育ってきた彼は、両親の視線を充分に注がれていることを知っていた。それでも、ある日、家族の写真を見返すと、中心には、可愛げな弟が座っていたりする。一家団欒でかまってもらうのも弟になっていく。
衝撃というものではない変化だが、彼の成長過程で大きくクローズアップされるのは、そのことかもしれない。人格形成後、ふとした時に、ある人たちの愛情の流れや移行に敏感になっていく。
その後の応対や、表れる態度には、「そんなのなくても平気だもんね」という心の動揺を表面上に出したくない軽い強がりや、また逆に「愛情の永続的契約書」みたいなものを、こころの一部で必要としたりもしてきた。手に入るか、入らないかは別としても。
それで、男だけの兄弟というものに話をかえる。
アメリカに、サーフィンとそれに乗っかる人たちの音楽を作った人がいる。その軽快でいて、ときには切なすぎるバラードの名曲がたくさん残っていて、当人は、舞台(車の上には、ボードがあり、日焼けした髪を持つ子との恋などなど)を借りてきただけらしいが、圧倒的なまでに美しい音楽の群れたちだ。
弟と友人や従兄弟たちとバンドを作り、本人はどれほどの自信や名声への憧れがあったのか知れない。しかし、ある立場に自分の場所を据え、そこを安住の地と定めると、ライバルたちへの強迫観念も生まれてくる。この地位は、いつか奪い去られてしまうのではないのだろうか?
その頃、大西洋を渡り、リヴァプールから世界のアイドル(陳腐すぎる表現)になった音楽家たちがいる。そのドラマーは、
「ヴェートーベンの音楽は好きですか?」とのインタビューを受け、
「好きだよ、とくに彼の詞がね」という愉快な受け答えをする。
彼らより、音楽的に優れ、またいかに大衆的に受けるのかを両立する必要に迫られる。
また、おなじアメリカの地には、スタジオに潜り込み、その性能を最大限に知っていて、数十人のスタジオ・ミュージシャンを自分の手足のように使える人物がいる。風変わりな成功を導いた「音の壁」
プレッシャーがあるなら、それが間違いなく前途に横たわる壁ならば、負けてしまうのも人生だろう。十代の子たちの憧れのイメージ「願えばなんとかなる」という、そういう薄い決断が入り込まない時間。
その、ミュージシャンもライブ活動をさけ、必死にスタジオで強迫観念を払拭する作業をする。そして、あるときに壊れる。父親への愛と反抗を描いた自伝があり、それは、彼の心を強く打つ。
といっても、兄弟関係の被害者でこの話を終えることも恐く、才能ある兄弟を、いとも簡単かのように生み出す女性たちがいる。
ネヴィル・ブラザーズというニューオリンズを拠点にして立ち上がり、そのメンバーの4人の子供を生みながら、喝采も受けずに、金メダルのようなご褒美も勝ち得ず、それでいながらとても立派な母親がいる。彼は、青春期に感動的な「イエロームーン」というアルバムを聴いたので、そのことに、とても感謝している。
ジャズには、その偉業を成し遂げた人たちの中に、ハンク・ジョーンズという人がいる。もう90歳近い年齢だが、はじめてピアノに触れた少女のように初々しい音が、そこからする。トランペットの名手の弟がいて、人の倍ほども、手数の多いドラマーの弟がいた。兄は、そのことに触れ「彼には、直ぐに亡くなった双子の弟がいて、その子の分まで叩いていたんじゃないかな」と話す。もちろん、その母親は、カーネギーホールで表彰されることもなく、どこかの地面に埋まっている。
弟というものが、この世に生まれる話。兄弟関係の成立があり、兄という存在が確立される物語。また、その様々な余波と影響。当然のように、お茶碗と箸が増え、布団が一枚、多く敷かれる話。
彼は、そのことにいつ気がついたのだろう。いつの間にか、自分に似た存在が増えていた。その子は可愛かったので、無条件に彼も愛した。なにかを奪ったりすることもなく、分けられるものは、ならべく分けてあげた。
だが、段々と成長していくと、具体的な結果として、変化が日常的に見られていく。八年間も末っ子として育ってきた彼は、両親の視線を充分に注がれていることを知っていた。それでも、ある日、家族の写真を見返すと、中心には、可愛げな弟が座っていたりする。一家団欒でかまってもらうのも弟になっていく。
衝撃というものではない変化だが、彼の成長過程で大きくクローズアップされるのは、そのことかもしれない。人格形成後、ふとした時に、ある人たちの愛情の流れや移行に敏感になっていく。
その後の応対や、表れる態度には、「そんなのなくても平気だもんね」という心の動揺を表面上に出したくない軽い強がりや、また逆に「愛情の永続的契約書」みたいなものを、こころの一部で必要としたりもしてきた。手に入るか、入らないかは別としても。
それで、男だけの兄弟というものに話をかえる。
アメリカに、サーフィンとそれに乗っかる人たちの音楽を作った人がいる。その軽快でいて、ときには切なすぎるバラードの名曲がたくさん残っていて、当人は、舞台(車の上には、ボードがあり、日焼けした髪を持つ子との恋などなど)を借りてきただけらしいが、圧倒的なまでに美しい音楽の群れたちだ。
弟と友人や従兄弟たちとバンドを作り、本人はどれほどの自信や名声への憧れがあったのか知れない。しかし、ある立場に自分の場所を据え、そこを安住の地と定めると、ライバルたちへの強迫観念も生まれてくる。この地位は、いつか奪い去られてしまうのではないのだろうか?
その頃、大西洋を渡り、リヴァプールから世界のアイドル(陳腐すぎる表現)になった音楽家たちがいる。そのドラマーは、
「ヴェートーベンの音楽は好きですか?」とのインタビューを受け、
「好きだよ、とくに彼の詞がね」という愉快な受け答えをする。
彼らより、音楽的に優れ、またいかに大衆的に受けるのかを両立する必要に迫られる。
また、おなじアメリカの地には、スタジオに潜り込み、その性能を最大限に知っていて、数十人のスタジオ・ミュージシャンを自分の手足のように使える人物がいる。風変わりな成功を導いた「音の壁」
プレッシャーがあるなら、それが間違いなく前途に横たわる壁ならば、負けてしまうのも人生だろう。十代の子たちの憧れのイメージ「願えばなんとかなる」という、そういう薄い決断が入り込まない時間。
その、ミュージシャンもライブ活動をさけ、必死にスタジオで強迫観念を払拭する作業をする。そして、あるときに壊れる。父親への愛と反抗を描いた自伝があり、それは、彼の心を強く打つ。
といっても、兄弟関係の被害者でこの話を終えることも恐く、才能ある兄弟を、いとも簡単かのように生み出す女性たちがいる。
ネヴィル・ブラザーズというニューオリンズを拠点にして立ち上がり、そのメンバーの4人の子供を生みながら、喝采も受けずに、金メダルのようなご褒美も勝ち得ず、それでいながらとても立派な母親がいる。彼は、青春期に感動的な「イエロームーン」というアルバムを聴いたので、そのことに、とても感謝している。
ジャズには、その偉業を成し遂げた人たちの中に、ハンク・ジョーンズという人がいる。もう90歳近い年齢だが、はじめてピアノに触れた少女のように初々しい音が、そこからする。トランペットの名手の弟がいて、人の倍ほども、手数の多いドラマーの弟がいた。兄は、そのことに触れ「彼には、直ぐに亡くなった双子の弟がいて、その子の分まで叩いていたんじゃないかな」と話す。もちろん、その母親は、カーネギーホールで表彰されることもなく、どこかの地面に埋まっている。