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好きなものも嫌いになり、嫌いだったものも好きになる。
実例。
カナヘビやジグモ。袋状の薄い物体に潜んでいる蜘蛛をぼくらはよく捻りだした。安楽の消滅である。散りぢりになり、住居を追われる。
まだあった空き地で爆竹を鳴らすのも流行る。際限をこえる。ぼくらは手に持ち、点火してから投げる。しかし、世の中にはミスが付き物で、ふたつの指の間で破裂させてしまう。しびれる指。しかし、消費だけが唯一の楽しみであると思えば、物質の無駄遣いの最たるものである爆竹は、資本主義社会をどれほど理解させる糸口になったであろう。とくに子どもにとって。いささか理論の展開に自分自身が苦しんでいるが。配給というものや、その長蛇の列を経験しないで死ねる幸福。
犬もこわかった。こわがるから吠えられるそうである。好きな側からの意見によると。悪循環。負の連鎖。いまは、通りですれ違う散歩中の犬も触れる。世界中で、いちばん好きなものかもしれないと思うも、直ぐに酒があったと訂正を入れる。このアルコールの摂取という悦楽も、いつの日かきらいになってしまうのだろうか? 意志ではなく、体調が物申してという感じもする。
犬に噛まれたという無意識下のできごとがあり、現実世界にトラウマとなってあらわれる。家族がぼくの賛成という挙手を得ず、同意の点呼もなく勝手に飼いはじめていた。家にいれば可愛いものである。そして、犬世界との和解が生じる。奴らはめったに噛まないようだった。好きになってしまえば、吠えられてもなだめる喜びが生じる。
空き地には、肥溜めというものがあった。ぼくらの土地にはひとつしかない。落ちた、という面白い話を展開したいが、世界はそうコメディーに傾いていない。マンションが建てば、あらゆるものは埋め立てられる運命にあるのだろう。
仕事が終わって家に着く。玄関のカギを開けようとすると壁面にヤモリのようなものがいる。引力をまったく無視している。ミッション・インポッシブルの主演もできるかもしれない。こちらはぞっとする。のけぞるという態度はとらないが、気持ちはそうである。寿命がどれほどあるのか知らない。数年間、ある季節になると同じ色合いの同じ大きさぐらいのものを目にする。家に不法侵入すれば、住民税を督促する気でいる。支払いにも行ってもらう。
カナヘビは困った状況になると、尻尾をいさぎよく切って捨てた。男女の別れとしても見習う価値がある。「秘書がやったことなので……」という風にも現実世界であらわれる。だが、この生物は元通りに再生させる力を有していた。見事なものである。虫歯もこうならないかなと考える。抜いたら生える。これが高等生物の理想とすべき姿であった。男性の頭頂部も似たものかもしれない。
ハムスターはくるくると走り回っている。母はその姿とネズミを同一視して毛嫌いした。次の電車待ちの地下鉄の線路の奥でウォンバットぐらいの巨大なものを目にする。栄養が充分なのだろう。形状は大まかには同じだ。
デザインとしての造形物は馬が最高峰であると推すひともいる。まったくの空想でああした姿を発明できそうにもない。深海にはもっと驚くものもいるかもしれないが、好きになるのにも、嫌いになるのにも参考とする資料がない。だから、無感情でいられる。
ミミズやゴカイという棒状の生きものを釣りの餌として使った。魚は選り好みをしない。好んでではないが、あれらも触れた。迷信なのか、我が体内の液体をかけてはいけないそうだが、したのか、あるいはしていないのか、もう覚えていない。多分、今後はしないであろう。
セミも無数に獲った。あの形もじっくりと眺めれば気持ちの悪いものだった。あるタレントは言う。「あのセミの体積であれだけの大音量をだせば、人間も同じことをしたら確実に一週間で死ぬ」と。その通りだなと思う。先ず、あの轟音を三日も出せない。
だが、ひとを苦しめるのは、大きな音だけではない。今年、三日連続で真夜中に蚊の小さな羽音で安眠を脅かされた。姿も分からない。潰すには、再度、明晰な意識に戻らなければならない。結果、寝不足の朝が訪れる。睡眠に好きも嫌いもない。必要なものだった。
いや、確かに眠ることが好きなひともいる。
薬剤を散布する。皆殺しだ。そう願うも、多少のタンパク質がメスには必要なようだ。自分が病気をつくる。ガンすらも自分が生み出したのだ。
病気で学校を休むとプラモデルを買ってもらえた。治りかけの布団のなかで作り出す。いまは、もうまったくしない。もちろん、将来どこかで入院してもベッド・サイドのテーブルに組み立て式のおもちゃなどないだろう。ガンを克服した手記などが載せてあるかもしれない。しかし、目も読書を遠くに置いてしまう。あんなに好きだったのに。
電話のなかの番号やメール・アドレス、履歴を消す。あんなに好きだったのに。好きという幻のなかにいたのに。催眠術にうまくかかっていたのに。あばたもえくぼ。旧いことばもまだ生存している。
小じわも勲章。肯定的なやばいと否定的なやばい。小じわコナーズ。
好きなものも嫌いになり、嫌いだったものも好きになる。
実例。
カナヘビやジグモ。袋状の薄い物体に潜んでいる蜘蛛をぼくらはよく捻りだした。安楽の消滅である。散りぢりになり、住居を追われる。
まだあった空き地で爆竹を鳴らすのも流行る。際限をこえる。ぼくらは手に持ち、点火してから投げる。しかし、世の中にはミスが付き物で、ふたつの指の間で破裂させてしまう。しびれる指。しかし、消費だけが唯一の楽しみであると思えば、物質の無駄遣いの最たるものである爆竹は、資本主義社会をどれほど理解させる糸口になったであろう。とくに子どもにとって。いささか理論の展開に自分自身が苦しんでいるが。配給というものや、その長蛇の列を経験しないで死ねる幸福。
犬もこわかった。こわがるから吠えられるそうである。好きな側からの意見によると。悪循環。負の連鎖。いまは、通りですれ違う散歩中の犬も触れる。世界中で、いちばん好きなものかもしれないと思うも、直ぐに酒があったと訂正を入れる。このアルコールの摂取という悦楽も、いつの日かきらいになってしまうのだろうか? 意志ではなく、体調が物申してという感じもする。
犬に噛まれたという無意識下のできごとがあり、現実世界にトラウマとなってあらわれる。家族がぼくの賛成という挙手を得ず、同意の点呼もなく勝手に飼いはじめていた。家にいれば可愛いものである。そして、犬世界との和解が生じる。奴らはめったに噛まないようだった。好きになってしまえば、吠えられてもなだめる喜びが生じる。
空き地には、肥溜めというものがあった。ぼくらの土地にはひとつしかない。落ちた、という面白い話を展開したいが、世界はそうコメディーに傾いていない。マンションが建てば、あらゆるものは埋め立てられる運命にあるのだろう。
仕事が終わって家に着く。玄関のカギを開けようとすると壁面にヤモリのようなものがいる。引力をまったく無視している。ミッション・インポッシブルの主演もできるかもしれない。こちらはぞっとする。のけぞるという態度はとらないが、気持ちはそうである。寿命がどれほどあるのか知らない。数年間、ある季節になると同じ色合いの同じ大きさぐらいのものを目にする。家に不法侵入すれば、住民税を督促する気でいる。支払いにも行ってもらう。
カナヘビは困った状況になると、尻尾をいさぎよく切って捨てた。男女の別れとしても見習う価値がある。「秘書がやったことなので……」という風にも現実世界であらわれる。だが、この生物は元通りに再生させる力を有していた。見事なものである。虫歯もこうならないかなと考える。抜いたら生える。これが高等生物の理想とすべき姿であった。男性の頭頂部も似たものかもしれない。
ハムスターはくるくると走り回っている。母はその姿とネズミを同一視して毛嫌いした。次の電車待ちの地下鉄の線路の奥でウォンバットぐらいの巨大なものを目にする。栄養が充分なのだろう。形状は大まかには同じだ。
デザインとしての造形物は馬が最高峰であると推すひともいる。まったくの空想でああした姿を発明できそうにもない。深海にはもっと驚くものもいるかもしれないが、好きになるのにも、嫌いになるのにも参考とする資料がない。だから、無感情でいられる。
ミミズやゴカイという棒状の生きものを釣りの餌として使った。魚は選り好みをしない。好んでではないが、あれらも触れた。迷信なのか、我が体内の液体をかけてはいけないそうだが、したのか、あるいはしていないのか、もう覚えていない。多分、今後はしないであろう。
セミも無数に獲った。あの形もじっくりと眺めれば気持ちの悪いものだった。あるタレントは言う。「あのセミの体積であれだけの大音量をだせば、人間も同じことをしたら確実に一週間で死ぬ」と。その通りだなと思う。先ず、あの轟音を三日も出せない。
だが、ひとを苦しめるのは、大きな音だけではない。今年、三日連続で真夜中に蚊の小さな羽音で安眠を脅かされた。姿も分からない。潰すには、再度、明晰な意識に戻らなければならない。結果、寝不足の朝が訪れる。睡眠に好きも嫌いもない。必要なものだった。
いや、確かに眠ることが好きなひともいる。
薬剤を散布する。皆殺しだ。そう願うも、多少のタンパク質がメスには必要なようだ。自分が病気をつくる。ガンすらも自分が生み出したのだ。
病気で学校を休むとプラモデルを買ってもらえた。治りかけの布団のなかで作り出す。いまは、もうまったくしない。もちろん、将来どこかで入院してもベッド・サイドのテーブルに組み立て式のおもちゃなどないだろう。ガンを克服した手記などが載せてあるかもしれない。しかし、目も読書を遠くに置いてしまう。あんなに好きだったのに。
電話のなかの番号やメール・アドレス、履歴を消す。あんなに好きだったのに。好きという幻のなかにいたのに。催眠術にうまくかかっていたのに。あばたもえくぼ。旧いことばもまだ生存している。
小じわも勲章。肯定的なやばいと否定的なやばい。小じわコナーズ。