爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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悪童の書 ca

2014年10月31日 | 悪童の書
ca

 好きなものも嫌いになり、嫌いだったものも好きになる。

 実例。

 カナヘビやジグモ。袋状の薄い物体に潜んでいる蜘蛛をぼくらはよく捻りだした。安楽の消滅である。散りぢりになり、住居を追われる。

 まだあった空き地で爆竹を鳴らすのも流行る。際限をこえる。ぼくらは手に持ち、点火してから投げる。しかし、世の中にはミスが付き物で、ふたつの指の間で破裂させてしまう。しびれる指。しかし、消費だけが唯一の楽しみであると思えば、物質の無駄遣いの最たるものである爆竹は、資本主義社会をどれほど理解させる糸口になったであろう。とくに子どもにとって。いささか理論の展開に自分自身が苦しんでいるが。配給というものや、その長蛇の列を経験しないで死ねる幸福。

 犬もこわかった。こわがるから吠えられるそうである。好きな側からの意見によると。悪循環。負の連鎖。いまは、通りですれ違う散歩中の犬も触れる。世界中で、いちばん好きなものかもしれないと思うも、直ぐに酒があったと訂正を入れる。このアルコールの摂取という悦楽も、いつの日かきらいになってしまうのだろうか? 意志ではなく、体調が物申してという感じもする。

 犬に噛まれたという無意識下のできごとがあり、現実世界にトラウマとなってあらわれる。家族がぼくの賛成という挙手を得ず、同意の点呼もなく勝手に飼いはじめていた。家にいれば可愛いものである。そして、犬世界との和解が生じる。奴らはめったに噛まないようだった。好きになってしまえば、吠えられてもなだめる喜びが生じる。

 空き地には、肥溜めというものがあった。ぼくらの土地にはひとつしかない。落ちた、という面白い話を展開したいが、世界はそうコメディーに傾いていない。マンションが建てば、あらゆるものは埋め立てられる運命にあるのだろう。

 仕事が終わって家に着く。玄関のカギを開けようとすると壁面にヤモリのようなものがいる。引力をまったく無視している。ミッション・インポッシブルの主演もできるかもしれない。こちらはぞっとする。のけぞるという態度はとらないが、気持ちはそうである。寿命がどれほどあるのか知らない。数年間、ある季節になると同じ色合いの同じ大きさぐらいのものを目にする。家に不法侵入すれば、住民税を督促する気でいる。支払いにも行ってもらう。

 カナヘビは困った状況になると、尻尾をいさぎよく切って捨てた。男女の別れとしても見習う価値がある。「秘書がやったことなので……」という風にも現実世界であらわれる。だが、この生物は元通りに再生させる力を有していた。見事なものである。虫歯もこうならないかなと考える。抜いたら生える。これが高等生物の理想とすべき姿であった。男性の頭頂部も似たものかもしれない。

 ハムスターはくるくると走り回っている。母はその姿とネズミを同一視して毛嫌いした。次の電車待ちの地下鉄の線路の奥でウォンバットぐらいの巨大なものを目にする。栄養が充分なのだろう。形状は大まかには同じだ。

 デザインとしての造形物は馬が最高峰であると推すひともいる。まったくの空想でああした姿を発明できそうにもない。深海にはもっと驚くものもいるかもしれないが、好きになるのにも、嫌いになるのにも参考とする資料がない。だから、無感情でいられる。

 ミミズやゴカイという棒状の生きものを釣りの餌として使った。魚は選り好みをしない。好んでではないが、あれらも触れた。迷信なのか、我が体内の液体をかけてはいけないそうだが、したのか、あるいはしていないのか、もう覚えていない。多分、今後はしないであろう。

 セミも無数に獲った。あの形もじっくりと眺めれば気持ちの悪いものだった。あるタレントは言う。「あのセミの体積であれだけの大音量をだせば、人間も同じことをしたら確実に一週間で死ぬ」と。その通りだなと思う。先ず、あの轟音を三日も出せない。

 だが、ひとを苦しめるのは、大きな音だけではない。今年、三日連続で真夜中に蚊の小さな羽音で安眠を脅かされた。姿も分からない。潰すには、再度、明晰な意識に戻らなければならない。結果、寝不足の朝が訪れる。睡眠に好きも嫌いもない。必要なものだった。

 いや、確かに眠ることが好きなひともいる。

 薬剤を散布する。皆殺しだ。そう願うも、多少のタンパク質がメスには必要なようだ。自分が病気をつくる。ガンすらも自分が生み出したのだ。

 病気で学校を休むとプラモデルを買ってもらえた。治りかけの布団のなかで作り出す。いまは、もうまったくしない。もちろん、将来どこかで入院してもベッド・サイドのテーブルに組み立て式のおもちゃなどないだろう。ガンを克服した手記などが載せてあるかもしれない。しかし、目も読書を遠くに置いてしまう。あんなに好きだったのに。

 電話のなかの番号やメール・アドレス、履歴を消す。あんなに好きだったのに。好きという幻のなかにいたのに。催眠術にうまくかかっていたのに。あばたもえくぼ。旧いことばもまだ生存している。

 小じわも勲章。肯定的なやばいと否定的なやばい。小じわコナーズ。

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悪童の書 bz

2014年10月30日 | 悪童の書
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 話題に窮すると、「最後の晩さん、何にする?」と訊くことにしていた。それぞれの美学と食欲。答えのなかに、玉子かけご飯という提示により、自分にとって究極の軽蔑を感じさせてくれるひともいる。ぼくの(無駄かもしれなかった)質問は、食用となるエサの話を導き出すためじゃない。残念である。和食の美学も空中分裂だった。せめて、最後の前にしてほしい。ぼくは会話をしたいだけであって、すなわち本心の回答が、会話の延長に終止符を打つ役目しか生まないことも起こってしまう。この場合のように。

「そうすると?」と、追加の質問も用意できるのに、他の品々なら。
「じゃあ、あなたは?」

 ぼくは具体的な内容を用意していない。ただ、頭のなかにイメージがあるのだ。

 ある店に行った。居心地の良い場所である。夫婦でお店を切り盛りしている。開店直後のカウンターに座っている。メニューを見て適度に頼み、あとは、何かのケースの上に無雑作に置いてあるスポーツ新聞を読む。

 それも飽きると店内の様子を見回して確認する。ぼくは、どこにいるのだ? 相撲の写真などもある。いくつかの質問をして、ぼくもされ、会話もすすむと店主は元相撲取りであることが分かる。体調を整える役目、身体を機能的に大きくすることが彼らには求められるのだ。味付けも体格と反比例して繊細でもある。だが、具材のひとつひとつは大きい。ぼくはカウンターにひとりでいる。休日は徐々に暮れていく。

 妻であるらしい給仕をしてくれる女性もさばさばしてさらに加点する。ふたりの年齢は、ちょうどぼくの両親より少しだけ下というぐらいだ。店をあとにする。完璧というのは意外なところで自然に、突然にやって来た。ぼくは、二軒目に寄る。あとは、もう意識も感度も低下するのみであった。

 また行きたくなる。実家にいるようだ。まさにその証明のように、ぼくという客がいるのに本気の夫婦喧嘩をはじめる。ぼくには馴染みの怒声であり、ただ新聞に顔を埋めれば良かった。だが、調理された品に手抜きもなく、サービスも悪くない。

 次の店に行く。バル風の場所でワインを飲んでいる。さっきの店にいたお客のひとりが、そばに遅れて入ってきた。ぼくらは会話をはじめる。ぼくは先ほどの店を誉める。彼女も当然のこと気に入っていた。意気投合して、次の店で飲み直す。連絡先は聞けたが、彼氏との遠距離恋愛の話をされ興ざめだった。楽しい笑い声のひとであった。

 ぼくは最後の晩さんをこの店に決めている。そのことを伝え、友人を連れて行く。関取はちゃんこ鍋であった。さすがに、ひとりで鍋は胃袋が悲鳴をあげる。とにかく、何でも量が多い店なのだ。そろそろ暑くなる時期だった。Tシャツの下の背中にぼくはびっしょりと汗をかいている。店内は空調がきいている。

「そのままだと風邪、ひくよ」と言って、配るためのものか新品の店名入りのタオルを取り出し、ぼくの背中に裾の方から手を突っ込んで、丁寧に拭いてくれた。実家以上の、母以上の扱いをされる。鍋もうまかった。永遠ということを信じるようになる。ぼくの最後の晩さんという話はこれぐらいに長くなった。卵を割ってポン! グチャグチャという簡単でセンスもない返答とは違う。長いストーリーが生まれている。物語こそ生きる糧だった。

 ゲンコツ大の焼き鳥。刺身の鮮度も充分だった。お酒の仕入れ先も気を使っていた。力強い男性。媚をしらないさばさばした女性。

 すると、ぼくは早めに自分の人生を切り上げなければならなくなる。この店主たちや店より先に。

 給料が減り、飲食費をカットして、数年が経つ。高くて旨い料理というのはどこかにあるのかもしれない。ぼくには政務活動費がない。だから、いけない。安くて、うまいというところを探す。

「まずくない?」という根拠も言い訳も非難もぼくにはない。ない方がさっぱりとして男らしいとも思っている。大体が失恋したての乙女のように女々しく酔うのを最終的な目標にしているのだが。

 給料日後の休み。久々にバルに行く。アイドリングである。黒と白のオリーブでワインを飲み、イワシのオリーブオイル漬けのようなものも食べる。店をあとにする。再放送のテレビ画面はまたネイマールが四点入れていた。計八ゴールである。

 通りを駅に向かうのではなく、反対を目指す。多分、この辺だった。

「あ、ない!」本当は分かっていたのだ。大好きだった子が別の男性と腕を組んで歩いているのを見てしまったようにショックであった。そして、その衝撃をかくす。

 ぼくは傘をさしてトボトボと歩く。靴のなかに水が浸みてくる。いまのぼくにはふさわしい。

 いや、見誤ったのだ。もう一度、通りを戻る。どちらにしろ、駅はそちら側にある。どこかを通らなければならない。やはり、別の店舗が営業をしている。中もガラス張りで店自体も働いているひとも変更していることが一目瞭然だった。

 ぼくは、早めに最後の晩さんを食すべきであった。そうならなかったので、これから別の物語を生み出さなければならない。お茶漬けをサラサラでは味気ない。ある女性は名古屋で「ひつまぶし」と言った。これも、ありである。ふさわしくないものを消去方式でさがす。ロコモコ丼。スパムのおにぎり。立ち食いソバ。香川でうどん。

「うるさいな、黙って、好きなものを食え!」

 高倉健は出所後にスタッフといっしょにおいしくいただきました、というテロップがテレビに映る。

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2014年10月29日 | 悪童の書
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 人見知りという重厚なコートを脱ぐ。えりまきも外して。

 大人になっても人見知りという成分を保持しているのは、随分と我がままで身勝手で傲慢であるなと思う。自分もそうした覆いをなかなか捨てなかった。捨てる機会もなかった。

 見知らぬひとがいる。共通点も見いだせない。会話もしなければ分かりようもなかった。そもそも他人に興味がない状況も存在する。自分と少数の周囲で我が国土は成り立っている。その小さな世界をわざわざ壊すこともない。

 急に暇ができる。社会人になっている。いくらか預金がある。もしくは、何かの賭け金が戻ってくる。海外旅行のツアーにでも参加するかと思いめぐらす。手っ取り早い。恋人も友人もいない。少なくとも、いても急な休みがとれるほど会社員は甘くない。ぼくは、ぼくに対して限りなく甘い。休んだ期間に滞りがないために励むときだけ、自分に厳しくなる。

 夕食のテーブルにひとり座る。周りの顔を一通り見る。凡その年齢と性別しか判断材料がない。そのひとらに、「友人もいない、恋人もいない」と思われているんじゃないかとの被害妄想が勝手に生まれる。ワインをボトルで飲みたい。休暇なのだ。我慢してもデキャンタ。一杯ぐらい差し出してもいい。ぼくは雄弁になるよう変身を強いられる。作ろうと思えば友人など無数にできるキャラクターなのだと演じる。必要が発明の母であった。結果、やり過ぎる場合もある。

 誰かを笑わせて、ガードを下げさせるという役目もある。新婚夫婦の観光客の写真ぐらいは撮ってあげる。やろうと思えばできるものだった。

 不慣れなことをしてしまった末端に芽生える恥というしずくの賞味期限も、どんな醜さも百年で潰える。本人も、覚えているひとも、糾弾したいひとさえ誰もいない。しかし、当然のこと、自己嫌悪もある。二日酔いと同じだ。翌朝は、じっとりと変な汗をかいている。

 本質はひとりで本でも読んで過ごしていたい。無言で、静かに。妻も、これまた静かにピアノを弾いている。若き日の空想は常に美しい。現実は正反対の映像となって結実する。きょうも、どこかの酒場で管を巻いている。大臣である女性を、空想のなかでどうこうであった。生きていることが恥ずかしい。ちなみに、うちわを有していない方である。注解、終わり。

 イタリア人にもなりたかった。電話のオペレーターの仕事もした。言葉を介在させなければ世界は暗闇と等しかった。無言で理解し合えることなど決してなく、伝えることは正確な大きさで伝えるべきであった。それができるのが大人であり、社会人であり、人間であった。

 遂に終わる。最終局面。

 あるリゾート地で人見知りの水着を脱ぎ捨てた。暖かい陽気のなか、屋根のない座席があるレストランにいる。夜空は雨が降りそうもない。となりで女性たちが食事をしていた。ぼくも友人とともにいて、それとなく声をかける。海外での最後の日で、両替したお金もほとんどなかった。合流してから使った代金ののこりをカードで払った覚えがある。そのひとりの女性は、ずっと、「ストリップ」に行きたいと言っていた。北陸とか、もう少し東北寄りのあの辺りのふたり。だが、そうはしなかった。横にあるぼくらのホテルで飲み直した。事件は未遂で終わる。人見知りだけが完了した。

 別の友人のエピソード。

 多分、こういう暖かい地でのストリップとか、そういう類いの場所であろう。オプションを追加するか交渉の機会が訪れ、結果として、ぼったくられる。やはり、人見知りであることも利益があるのだ。

 次第に度を越す。

 迷惑がられなければ誰とでも喋れる。酔いを含めば、急速に長所か短所を発揮する。向こうの迷惑のサインも見逃す。わざとか、正直にかの分岐点は不明だ。最終的に、自主的(ときには、やんわりとイエロー・カード)出入り禁止の警告に及ぶ。常連の仮の立場もさらば。

 とある横浜方面の酒場。入口に明確に、「他のお客様に話しかけるのはお止め下さい」と条例文のように書かれていた。ぼくもその気持ちで入る。ノドが渇いていた。もとの人見知りの衣服をタンスの奥から引っ張り出す。だが、直ぐに話しかけられる。テレビで高校野球が放映されていて、震災のあとということもあり、福島の高校を応援する一致した気持ちが、なによりも室内を和やかな状態にする。用事で出てこなければならなかったが、名残惜しい気持ちでいっぱいだった。会話とか声援で、グループは共同体として機能する。

 サービス。してもらいたいこと。ちょっとした優しさ。心遣い。それはにこやかな表情とか、軽い触れ合いとかでも表現できる。しかし、本当のところ、ことばとか、優しさに適した声量とかで満たされるのではないのだろうか。ぼくは、ぼく自身を肯定する。常に肯定する。冷たく無視しても、ぼくが正しく、反対に、つっかかるように、挑むように話しかけたとしても、ぼくは正義の側にいる。むずかしかった漢字がいつの間にか書けてしまうように自然な移行だったのだろう。そして、被害者がでる。クールなハンサムという役柄も素敵だ。同時に、快活な落語家も魅力的だ。程度というものがある。その線引きをまた忘れてしまう。後戻りできない。今日も、下品のトンネルを通過する。

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2014年10月28日 | 悪童の書
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 ひとりで釣りざおをもって数駅、電車に乗り、国府台で降りた。江戸川の河川敷に向かう十才前後の自分。振り返ってみてもあれが自由というものの偽りなき、正真正銘の正体であるようだ。

 この駅はソロバンの試験を受けるときに利用した。もちろん、自由の反対にいる。やるべきことをやり、期待通りの評価を受ける。だが、環境の変化に不慣れな年代の自分はいつも自分の相応の力を発揮できずにいる。普通、この状態を「内弁慶」という名称で一般的にくくるらしい。

 荷物も目立つので、こっそりとという訳にもいかず、加えて行き場所も明瞭であり、多少のお小遣いをねだったことも考えられる。なけなしの小遣いを貯めていたのかもしれない。

 それでも、責任もなく、疲労もなく、ただ、自分で計画を立て、実行するだけでよかった。誰かに愛想笑いする必要もなく、おべっかもいらない。要求もなく、大それた期待もない。数尾だけ、魚がかかればいい。運の悪い魚たちが。幸運に見放された。望みは、それだけ。単純にそれだけ。

 あの日にふたつの映像を目にする。ひとつは、ボラの大群、または別の種類かもしれないが大量に水中からジャンプしてぼくを驚かせた。水中を拒否した魚の鱗やひれ。世界は奇跡が起こる場所なのだというぼんやりとした予感を抱かせる。

 もうひとつは、仲が良さそうな高校生ぐらいのグループがいて、そのひとりの竿がリールで餌と針を投げる際にまっぷたつに折れてしまったことだ。ぼくは、思わず吹き出してしまう。これも、奇跡の部類だろう。滑稽な結末。

「笑われちゃったよ!」と、とがめるでもなく彼は言う。その後、親しげにぼくに接してきてくれた記憶もあるが、それ以上は思い出せない。私語も会話もなく、ぼくは糸と浮きをしばらく眺めているだけでよかったのだ。

 この釣りというイベントは、「待つ」という行為なのか、それとも、「挑み」ということに果敢にこだわっている姿なのだろうか。これも大人のぼくが意味付けして解釈しようと、こんがらからせているだけなのだ。外は気持ちよいぐらいに晴れて、眠さも宿題もまったくない、ほがらかさが生む奇跡の日中だった。ぼくは奇跡も多用することにより軽んじている。

 その土地に引っ越した友人がいた。小さな子だった。プロレスにも興味があった自分は友人という範疇を越え、技をかける練習の対象にもした。未来のいまの自分には負い目があるが、その当時は、親しいということを全面に出していた。彼といっしょに釣りにも行った。まだ移転前で近場の大きな池のある公園に。彼の父親の車で往復のどちらかを送ってもらった覚えもあるが、真偽は思い出せない。彼は魚が釣れないことイライラして、場所を変えることを目論んでいた。ぼくは実際にはどちらでもよかった。竿やリールという部品も好きだし、何より、水辺にいることがここちよかった。誰にも命令されず、ただ空気や風を感じるだけでよかったのだ。

 結局、場所を変えても釣れなかった。もっと、早朝か夜に魚は活発になる習性があるのかもしれない。ぼくらにはそれほどの自由はなかった。

 大人になりその場所でバーベキューをした。外で食べる肉もおいしいものである。

 ぼくの身長は急激に伸びたと思ったら、急に止まった。そして、いまは平均に近い姿だった。その途中で、別の友人たちとここに釣りに来た。真冬の朝に、友人を迎えに行く。家族間で甘やかされるというのが、どういうことか具体的に目にする機会にもなる。タナゴという小さな魚を網で大量に捕る。寿命の短いものをもっと短くすることなど、大人になれば悪事でしかない。かといって胃におさめることもできない類いの小さな淡水魚たちだ。それぐらいのささいな生殺与奪の権利しかぼくらは有していない。

 その後の彼らをあまり知らない。引っ越した子は当然のこと、ひとりは私立の中学に行き、ひとりは中学で記憶が終わる。成長の過程で個性が芽生え、それを維持したのか、依怙地な方向に発展させたのか何も分からない。新聞やニュースを通して目にしないだけ、ありがたいことなのだろう。

 その池は映画のロケ地に選ばれたため、古臭い木造の大きな橋が一時的にかかっていた。ぼくはこの映画を目にしていない。大人になり、巨大なセットとして映画を模したアトラクションが各所にできる。ぼくもLAでそのひとつに行く。遊ぶという自由の権利が大幅に増える。飛行機に乗り、夜も昼も自分の自由でありながら、どうしようもない運行のなかで埋もれる。ロベルト・クレメンテという野球選手の人形が売っていた。自室にあったら楽しいだろうなと思うが、買わなかった。別の友人は、ぼくらの青春時代に強かった、オークランド・アスレチックスのグッズを入手した。ふざけて楽しんでいる途中で、彼は外国の大男に打つかってしまい、とっさに拝むように両手を合わせ詫びていた。ことばより一瞬の作法にも似た謝罪が真っ先にでてきた。ぼくの記憶もそろそろ、真っ先という部位を切り取ってしまっている。いま、思い出さなければ、今後も思い出さなかっただろう。あの川を通過する風と、放射能の恐怖を内包した風は、どちらに分があるのだろうか。答えは分かっているのだが、すがすがしい方は手元にはもうない。

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悪童の書 bw

2014年10月26日 | 悪童の書
bw

 日曜の夕方へと向かう正しい序章。

 テレビは競馬とゴルフで成り立っている。遅くまで寝て過ごし、まだベッドのなかにいた。どちらかの番組の解説者が、「脇が甘い」と言った。となりにいるぼくより髪の長い生物が反応する。

「脇って、すっぱいよね」

「え?」池に入った小さなボールを茫然と眺めている姿を思い出している。ある選手は靴下を脱ぎ、池に入る。美学より勝利を。「すっぱい?」
「そうだよ。試してみるから」

 彼女の首がこじ入れられてぼくの腕の下にある。体温をはかるようなときしか、この格好をしない。

「やめろよ」
「ほら」

 ぼくはシャワーを浴びるのも面倒だった。昨日は彼女の記念日だったため、遅くまで飲んでいた。明け方に家に着き、ぼくらは戦った。共同でなにかをするということを大人になるまではしてはいけなかったのだ。いや、知らなかったのだ。直ぐに泣く存在だった少女たち。ドッヂ・ボールで逃げ惑うスカート姿。

「正確にはすっぱいじゃなくて、しょっぱいじゃないの。確認するよ」

 彼女のつるりとした脇。身をくねらせる。

 ピーマンが食べられるようになる。山盛りのサラダすら苦手の範疇から逃げ出す。苦味もうまいというジャンルに入ってしまう。臭い食べ物も好物として取り込む。大人になること。

 ビールも苦くなく、塩辛も生臭いものではない。

「ばかみたい。やめて」
「すっかい」
「なに、それ?」
「言わない?」
「言わないよ」

 ぼくらは誇らしげになったり、美しく外見を装ったり、着飾ったり、見栄を張ったり、これらのときには総体をどうでもよくないことと決めて行動した。そのゴールが脇を舐めあうことに通じた。財布をカードで満たして、幅が太くなるよう努力して勤勉に働いた。その最後が、髪のセットを崩して、まどろむことだった。目の周りの化粧も落ち、ひげも多少のびた。

「昨日は、ありがとう。楽しかった」と彼女は言う。ぼくらは動物ではない。互いの身体から小粒なのみやしらみを取り合うような段階にはいない。感謝を告げ合うこともできる。最上の言語を用いて。

 記念日が増える。日付けやスケジュールを管理する。動物は手帳をもたない。目の前にないことをどの程度、把握して、かつ過去や未来の一部を再現しているのかも謎だった。ぼくは昨夜の時間の流れをもう一度、頭のなかで組み立て直していた。

「夜景がきれいだね」と、彼女は言った。髪はふんわりとしている。彼女はいつその言葉を最初に使ったのだろう。黄色い帽子をかぶっているときに、その事実を知っていたのだろうか。海は確かにきれいで、山もすがすがしく、きちんとその評価と誉め言葉に値した。しかし、人工のものがきれいという境地にいくまでには、迂回しなければならない問題が多数、存在する。

 皿やグラスも用途以上の役割を押し付けられていた。きゃしゃであること。彼女の靴もそういう面から検討すれば、デザインに傾いていた。そして、指を染め、指輪をはめる。

 あれから数時間後。口説くという行為が遠退き、継続という段階に入る。車ならガソリンの消費が減るころだろう。人間はそうもいかない。続ける意志がある限り、記念日や副次的なものを設定して、それをなぞる。

 コマーシャルでは胃腸薬の宣伝がながれていた。ぼくはあまりお世話にならないが、かれこれ数十年も見せられていることになる。食指が動かないということでもなく、ただ不必要なだけだった。購買意欲をそそられるひとも不機嫌な顔をしながら、どこかにいるのだろう。

「手、冷たいね」と、ぼくは言う。触れた瞬間に熱いと寒いの境界線が直ぐに分かる。

 彼女はぼくの首筋にその手をつけた。皮膚という繊細な衣服は敏感である。敏感というものを鍛えたいようにも思うが、鍛えれば次第に摩耗して鈍感になるような類いかもしれない。とくに、男性の側に立って主張するなら。

 彼女の大元の匂いはおなじだが、たまに違ったものが入り混じるときがある。今日は、そんな日だった。

 ぼくは、今週分の欲を彼女にもう一度、受け取ってもらう。あるいは、先週分。在庫一掃。閉店セールを、定期的に。

 受け取ってもらえる状態は長持ちしなかった。むかしの映画はこの辺でタバコを口にくわえるころだろう。現代のぼくは冷蔵庫からスポーツ・ドリンクを取ろうか迷っている。このベッドにぼくの永続する時間のすべてがあるように感じられる。

 でも、いつまでもこうしていても仕方がない。彼女は横になった状態からはなれそうになかったが、同時に空腹も自分の居場所を伝える。腹に大したものを入れていない一日。

 笑点がはじまって終わる。笑いの商店。焦点をさがす。

 ぼくらは同時にシャワーを浴び、ぼくは彼女の髪を洗う。服を着て、近くの店で夕飯を食べる。明日からまた仕事だ。彼女は化粧をする。いまより、もっと化粧をする。素肌を最近、見たのはぼくぐらいかもしれない。無防備と防御の境目。休日が平日に取り替わる時間。サザエさん。あわびちゃん。アクビちゃん。

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雑貨生活(6)

2014年10月25日 | 雑貨生活
雑貨生活(6)

 ぼくは彼女が書いたドラマを見ている。最初はうれしい気持ちでいっぱいだったが、そのうち、その気分は干潮の浅瀬に打ち上げられた流木にでもなってしまったようだった。

 主役もいれば脇役もいる。主役といっても栄光を帯びないことを知らされる。その駄目な主人公はまるでぼくのようだった。彼女の目を通して映るぼくはこのようなものなのだろう。しかし、嫌いであるということでもなさそうだった。どこかで愛着も感じられる。しかし、こころのどこかで自分をハンサムだと定義した感覚は猛スピードで振り落とされる。高速道路に散らばったぼくの自尊心。そして、通行止め。回収中。

「あれ、ぼくなのかね?」
「さあ」

 第一話は終わったところである。ぼくはつづきが気になる。

 発注や依頼があるので、工場の機械は作動する。職人が積み重ねた経験と、長年で培った勘が、思い通りの品々を完成させる。納期までに。多少の欠陥品を取り除いても、満足いく数は充たされたのだ。

 ひとの頭脳もこういう作業に向いているのだろうか。彼女は、とっくに書き終えて、製本された台本として俳優さんの手にも渡っている。言い間違いや読めない漢字の暴露で、リハーサル中に失笑も起こる。もう一回、やり直せばすむ話だ。ひとは台本のもとに行動する。

 その滑稽なヒーローのふるまいが相変わらず、引っかかっている。彼女を引き留める会社と、独立を願う意識が拮抗して、彼女をイライラさせている。しかし、まだ出社のしがらみを断ち切れないで、彼女は化粧をくりかえす。カバンを持ち、玄関でふりかえってキスを強要する。いや、要求する。

「ね、今日だけは、丁寧にひげを剃ってね。それで、待ち合わせに絶対に遅れないでね」

 念を入れる。念入りに。彼女は自分のものを売り込む力より、ぼくを後押しすることに必死と呼べるまでのエネルギーを注いでいる。ひとは、どんなことより身だしなみが重要なのだ。笑顔で相手のこころを勝ち取り、その恩恵で作品もやっと手にされる。出来具合いなど二の次なのだ。見栄えの良いもの。立派に見えるもの。価値がありそうなもの。エッフェル塔のようなもの。

 ぼくは横になり、豆をつまみながら昨夜のドラマを見ている。ぼくは徹夜気味の彼女の姿がまず浮かんでしまう。時間は限られていて、日中の仕事を終えて、眠くならないよう軽めの夕飯ですませて、机に向かっている。女性のお尻など、長時間、椅子にすわるようには作られていないのだ。

 ぼくは一日、仕事をしていた。仕事のようなことをしていた。周辺には誘惑が多かった。爪切りは伸びる量と切れる量のせめぎあいで汲々としており、鏡は自分の顔にできた微細な変化を見逃さない。眉と眉の間の適当な距離をはさみで調べる。犬が眉毛を描かれている。あの心細そうな表情を思い出して、ひとりで笑う。

 ぼくも机に向かう。男性が指先の動きだけで稼ぐには、どこかで不正があるような気もしていた。重い荷物を汗水たらしてかつぎ、昼飯はどんぶり飯をがっつく。ものの数分で食事も終わり、新聞紙をひろげただけの固い床で昼寝をする。胃薬も程度の良い枕も必要ない。安楽な感触。考え事は無数にあった。

 なぜ、書いているのか。ぼくにある闇は、ひとりになり、発表できる範囲というのを自分のなかでぎりぎりに設定して、その許す半ばあたりのことを書こうとしている。闇は深いのだ。反対から見れば、とても浅いのだ。

 ぼくは立ち上がり、クローゼットのなかで着られることもなくぶら下がっているスーツを見つける。外に出して風に当てる。今日は出番だ。しかし、ネクタイがない。引き出しを開けると器用に丸められ、柄だけは分かるように入れられていた。巻きずしを選ぶようにぼくはそのひとつをとる。わさび色。

 なぜ、面接時のような不安な気持ちでいるのだろう。

 その不安感を忘れるように、追及をかわすように、ぼくはコーヒーを入れ直して、また昨日のドラマを再生した。

 さすがに見せることを求められている俳優が演じているのだから当人よりいくらかまともに見えるが、いつもの定番のよれよれの服装で、靴もかかとをおさめることもなくだらしなく履かれている。それが許されるのはいくつぐらいまでなのだろうか。

 ぼくが言ったであろうひとこともセリフとして成立している。ぼくは観察者だったのだ。圧倒的なまでに無言のメモが支配する頭首だったのだ。あれ、当主だ。主だ。違うか、党首だ。ことばは多過ぎる。

 だが、いや、だから、ぼくは自分の素行を観察されているなど思ってみなかった。視線はこちら側からの一方通行で、自分の振る舞いには無防備だった。だが、こうして、それらしき人物が作られて、演じられてしまっている。

 素行を注意、指摘されることなど、とっくに終わっている事実のはずだった。きょう、会うべきはずのひとは、あのドラマを見てしまっているのだろうか。「あ、こいつが、あのダメ人間のモデルか?」と、思ってしまうのだろうか。ぼくはドラマを見ながら段々とその主役をマネしはじめている自分を感じる。これは、マネか、それとも、原型の模倣か。鋳型はどちらなのだ。丹念な仕事を売りにする職人なら直ぐに見分けられるのだろうが、ぼくにはそこまでのゆとりはない。ぼくはひげを剃る準備をしなければならない。犬のように、愛らしく見える眉も描かなければならない。

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雑貨生活(5)

2014年10月24日 | 雑貨生活
雑貨生活(5)

 ぼくは万引きを常習とする。

 私の家の玄関にきれいなパンプスが置いてある。
 黄色と黒のリボンがついている。

 彼女の部屋にそのような靴はない。これは現在のことではないのかもしれない。しかし、趣味からいっても、彼女がそのようなタイプの靴を好んで履くようにも思えなかった。

 別に自分自身のことしか書いてはいけないという法則などないのだ。ぼくにもオリバー・ツイストが書けるのかもしれないし。

 ぼくは彼女が録りためたテレビのドラマを見ていた。俳優論。俳優というのはどこかにいる誰かになるべきだというのがぼくのつまらない持論だった。海での生活が舞台であれば漁師になり、山ならば木こりになる。もちろん、それらのひとが主人公になるドラマをぼくは急に想像できない。誰か、もっと機転の利くひとがいつか作ってくれるのだろう。「あまくん」

 オマージュ。リメイク。むかしの着物はきれいに洗って仕立て直したらしい。ぼくは彼女の無数のメモを、引き出しごと抜き取り、床に置いた。紙片はカサカサとしている。自分で書きのこしたものでありながら、日が経つと客観的な隔たりもできる。芸術への奉仕への快感と同時に、冷静な審美眼も求められている。だが、それは共存するのだろうか。

 彼女が書いたドラマが今度、一回だけ放映される。評判が良ければ次があるそうである。試写の段階ですでに内定のようなものが出されているそうだ。よく聞けばそこには政治のようなものがある。政治というのは内密と多数派の派閥に気に入られるという大雑把なぼくの印象で、そう表したに過ぎない。

「どういう話?」
「復讐と気付かないで、潜在的な復讐する原動力に支配される話」
「え?」

「あなたみたいに」
「ぼくみたい?」
「前の女性を美化して忘れられないフリをしているけど、正反対にいる私を選ぶということで、きっちりと復讐しているのよ」
「好みが変わるだけだろう」
「変わらないよ、そんなの」
「変わるよ」
「たけのこが好きなひとは、ずっと、たけのこが好き」

 ひとの目に触れる。その第一段階がそもそも難しかった。ゼロからイチ。それを二にするのは簡単な気もする。永続して三十や四十にするのもまた難しい。枯渇。干上がった井戸。ぼくは一匙の水も得ないまま、将来を心配している。

 翌朝、彼女は出勤する。寝不足気味でも元気があった。

「仕事が終わったら、ちょっと、打ち合わせがあるから遅くなる」

 政治。段取り。票数。経費のやりくり。ひとは参加した場合は、勝たなければならない。アマチュアでも。

 ぼくは自分のスニーカーを天日に干した。殺菌にでもなるという漠然とした予想とともに。となりに彼女の分もそろえて置いた。足のサイズが分かる。だが、なかまで見ない。サイズというのはなんなのだろう? 胸のサイズ。美しいことばの数々をぼくは声に出す。第一位は、「勇敢」のようにも思えた。つづいて「柔らかい胸」も候補として首を長くして待っているのだ。

 玄関の戸を閉め、「柔らかそうな胸」という。そこには期待値があるため、より美しくなる。短いスカート。短くなったスカート。ネクスト。未来に向かって書きながらも、それは過去の集積の美しい沼、たまった澱みのなかから選ばなければならない。ひとはどういう風に行動するのか? なにを怒りにして、どう優しさを際限もなくあらわすのだろう。

 ぼくは復讐をもとにして物語を書こうと挑む。ふたつに対しての挑みだ。新たなものを書き、フッタ女性を冒涜できる機会として。愛が憎しみに転換する分岐点はあそこだったのか。しかし、中間地点もある。なぐさめを要する時間。考え直してほしいと要求できる波打ち際。その浅瀬は絶えず形を変える。そして、いまいる場所と違うところにすすんでしまった錯覚を与える。夕日が落ちる。朝の鮮烈な太陽が新たな一日をためらうはずもない。柔らかそうな胸。柔らかそうな日差し。強烈な紫外線。

 ぼくは彼女の化粧品のうらの小さな文字を読みはじめてしまっていた。文字を読むという病気なのだ。文字がなくなるという強迫観念とも戦っている。

 冷蔵庫を開ける。昨夜のたけのこののこりがラップの下で冷たくなっている。レンジで温め直すこともできるし、その冷たい感触も捨て難かった。ぼくのあの恋の再燃も、このように簡単に保温できればよいのにと思うが、脳の奥にしまわれているタンスの引き出しの取っ手は、もうボロボロになってしまっているらしい。なかなか、開かない。

 労働しなくてもお腹だけが空く。考えることが、すなわち仕事なのだ。

 彼女は帰りが遅くなると言っていた。手渡したものが読まれて結果がでる。書き直しを命じられる。期限がある。反響や、反対の侮蔑があり、投票らしきものもある。ゴー・サインが出る。黄色の信号や赤が青に変わる。黄色と黒のリボンがついている靴と彼女は書いていた。それは通行止めのときに横たわる棒と同じ色だった。その靴はこれ以上の侵入を防ごうとしている。あるいは、もっと時間をかけてという懇願のサインでもある。

 柔らかそうな胸と、ぼくは何度も頭に浮かべている。期待値を越えるものはこの地上にないと自分を慰めようとしていた。まだ見ぬ土地のために冒険者があらわれ、未開の地の草をなたのようなもので切り開きすすんでいく。

 ぼくの書くものが袋とじのなかにある。みな、一刻も無駄にしたくないようにあわてて切り裂く。その為に、文字の途中で分断され、読みづらくなる。読みたい本。読みたそうな本。立派そうなひと。遅くなりそうな帰り。

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雑貨生活(4)

2014年10月23日 | 雑貨生活
雑貨生活(4)

 ぼくはカンニングを繰り返している。

 きれいな女は妊娠している
 クリスマスの半年後に妊娠している
 細い腕と細い足と大きなお腹で妊娠している
 きれいな女はにんしんしている
 クリスマスの半年後に、にんしんしている。

 彼女の机の引き出しを漁っている。それは隠す意図ではなく、見るかもしれない可能性を含んでの秘蔵だった。別に秘密でもなんでもないのかもしれない。総じて家にいる時間の多い自分は、書きかけのものを暴かれる必要もない。そもそも頭のなかにしかないものたちだった。乳は牛から出た時点で、牛乳になるのか? 搾り出される前のものは、何と評するのか? その安楽な状態は次のヨーグルトの地点まで運んでくれない。

 ぼくは、ぼんやりと窓の外を見る。散歩して誰かに会わないと、さらに会話でもしないとヒントも与えてもらえず、このささやかな思考のともしびを抱え込んでいる脳をゆすって、燻りだすこともできない。

 歩いている。サンダル履きではなく、きちんと靴下を履き、スニーカーに足を突っ込んでいる。

 彼女は妊娠したいのか? あの膨らんだ腹の状態を見せびらかして恥かしげもなく歩けるのは女性だからなのか。実践者であることの証拠。ぼくは、自分の生み落した数々の作品を見せびらかしたくはないのだろうか。

 カウンターでコーヒーを待っている。健気に働く女性。このウェイトレスも妊娠したいのか? 将来の痛みを、激痛を待ちうけるほど、女性たちは愚かなのか。その愚かなものを追いかける自分は、愚かさを何倍しなければならないのだろう。

 カップから湯気が出ている。注文の品の名前と、ありがとう、とお持たせしました、しか会話は成立しなかった。ぼくの壮大なるベン・ハーはどこに眠りつづけているのだろう。

 ぼくはゆったりとしたソファにすわる。ひとは書類を横から運ばれ机のうえに乗せられる。それに目を通して、チェックしたり、出金のデータを作ったり、お客さんの問い合わせで意志疎通のむずかしさを嘆いたりして一日を終えるのだ。この過程を明日も繰り返して、来週も一年後も大幅に狂いのない人生を積み上げていく。それが生きるということの経常的なまっとうな立場だった。ぼくは足を踏み外している。平日の昼間に妊婦の女性の姿をあれこれと考察している。

 すると、奇跡が起きる。病院で知り合ったのか妊婦のふたりが親しげに会話をしながらとなりの席についた。病院? そこは病気を治療する場所だった。他にふさわしい名称はないものなのか。病院は幸福と歓喜のステージにもなるのだろうか。

 ぼくはちらっと彼女たちの腹の膨らみ度合いを確認する。そして、いらぬ計算をする。洗濯機のようにスイッチを入れれば数十分後に終わるという簡単なものではない。オーブン以上に時間をかける。圧力なべ。

 だが、脱水はされる。

 ぼくの仕事は思考を紙に刻みつけること。いや、もう紙ではない。空想と現実との摩擦を圧力なべに入れて、温度を高める。電子レンジでの保温よりまともなものをぼくは作っているのだ。いいや、作る過程にまだいて、ベルトコンベアーに流そうとしている。コーヒーを飲みながら。妊婦にあたたかい世界に紛れ込みながら。

 だが、ぼくらに共通項は一切ない。

 空想という油断がまかり通る世界にいると、突然、音がした。妊婦のひじが思いがけなくコーヒーのカップにあたる。午前中の静かな店内では意外と大きな落下音がこだまする。ぼくの足元に液体は流れ込み、その数滴の余波のようなとび跳ねたしずくがぼくのズボンの裾に移動した。母になるひとは気付かない。自分のお腹の大きさほどに気にもかけない。

 ぼくは店を出てズボンのしみをアヴァンギャルドの画家が筆を叩き落とすようにして描いた絵のようだと思った。彼らは全身に絵の具を付着させている。それが仕事なのだ。その汚れこそが労働をした証しだった。

 ぼくはノートすら付けていない。日記も、もうとっくに書くことすら念頭に浮かばない。すべては頭にしまわれている。今日、交通事故にでも遭えば、ぼくの未完の傑作は産声をあげることも許されない。早産。それすらも幸運なのだ。

「やだな、これ、どうしたの? ズボンのしみ」彼女は洗濯するものを選り分けていた。
「ちょっと、外でコーヒーを飲んだときに、カップを落としたひとがいて、その影響」
「影響じゃなく、被害」

 彼女は採点をした。いや、添削をした。

「どんな状況だったの? 自分で落としたの?」

 彼女は、お話をききたがる。眠い目をこすりながらも、つづきを期待するベッドのなかの少女のように。ぼくは、その要望に見事に応えたいと思っている。

「ものの値段だけど、一杯のコーヒーは何と比較して高いとか安いとか考えるのが妥当なんだろう」
「電車で三十分ぐらい乗った区間の料金と。それぐらい、ゆったりするものでしょう?」

 ぼくは想像する。田舎の電車の向かい合う座席。窓辺の台にコーヒーを乗せて、外の景色を見ている。それがいくらぐらいなのか自分には想像もつかない。

「結局ね、妊婦は、もう一杯、無料でもらってた」
「その無料分がズボンの汚れなんだ」

 ぼくはふたつの事実を一致させるのを困難に感じる。また、絶対に一致させなくてはならない理由もひとつもなかった。

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雑貨生活(3)

2014年10月22日 | 雑貨生活
雑貨生活(3)

 終わらない物語というのは言い訳で、そもそも、はじまってもいなかった。

 どこからかスタートしなければならない。きっかけが与えられれば、自転車の車輪のチューブは膨らみ、どこにでも走りだすことができるようになるのだ。
 参考書に目を通さない受験生に油断はないだろうか? 真摯さに欠けているのではないのか。

「ここは、テストに出る」という教師のアドバイスに耳を貸さないことも正当化できるだろうか。賢さをみすみす捨てる覚悟ではないのか。

 ぼくは彼女の留守の隙に、彼女の日記をこっそりと手にする。そこからヒントが得られると願って。藁をもつかむ気持ちというのは、こういう状態のことなのだろう。

 扉
 私は扉
 私は扉を開く、扉を開く
 私は人生の扉を開く
 私は何度も、何度も
 人生の扉を開く

 ぼくは彼女をまったくの他人と感じる。ぼくが知っている人間ではない。詩的な一面がどこかに隠れている。寝ながら腰のあたりをボリボリと掻いているのはこの詩人の卵だったのか。しかし、ぼくはなにかを生み出さなければならない。傑作に近付くなにか。分担作業にするのだ。彼女はお椀を削り、ぼくは漆を塗る。彼女は木材を組み立て、ぼくはペンキを重ねる。どちらが制作者なのか?

 彼女はドラマの脚本を書いている。どこかに応募する算段らしい。ぼくは、その書きかけのものを見つけられない。いや、在処は知っているのだ。そこには頑丈なカギがかけられている。本気を出せば簡単に壊せそうな小さな金庫なのだ。しかし、本気になるまでもない。ぼくの才能は溢れているが蛇口を取りつけていないだけなのだ。

 ぼくらは趣味が合い、気も合うらしく会話が弾んだ。それも遠い話だ。いまのこの部屋にはふたつの机が背を向いて設置されていて、お互いのこつこつした作業の間は黙っているのがルールだった。たまにコーヒーのカップが机にドンと置かれた。飲みたいときは二杯いれるというのもルールだった。

 彼女はいまは普通の仕事をしている。みんな空想や夢でご飯を食べることはできないのだから。別の才能を、通常の時間に持ち込む必要がある。

 おそらく今日も仕事を終えた後にスーパーに寄って食材を調達する。調理をして味付けをぼくに確認させる。その際、決まって、「居ない間、仕事、はかどった?」と訊くのだ。
 ぼくはなりたくもないが「ヒモ」の初段ぐらいになっている。

「まあまあね」
「じゃあ、そのあらすじ、食事しながら、話してちょうだい。わたし、お話し、大好きなの」

 彼女がむりやりぼくの扉を叩いているのだ。トイレット・ペーパーがなくて困難を感じている状態と近いのに。ぼくは、どうやってこの場を乗り切ればよいのだろう。窓のうえから誰か紙のロールを投げ入れてくれないだろうか。親切なひとはいないのか。

 水が湧くので、水を汲む。新鮮な清涼な水が滲み出てくるので、喉をうるおすことができる。

 反対に、温泉となる源泉を探し出し、井戸のような穴を掘る。あれは、何と表現したのだったか? ぼくは言葉を操る魔術師となるよう訓練したのではなかったのか。手品師と言い換えてもいい。だが、タネは確実に入用である。

 ボーリング? それは黒い重たい球をツルツルの床のうえをすべらせ、十本の不可思議な置物のどてっ腹に叩きつけることではなかっただろうか。

 ぼくはテーブルを前にして座っている。彼女が働いている間に生み出した物語を、この場で披露しなければならない。ぼくは爪の先をみる。暇な一日だったのできちんと切れている。
 彼女は少女のように瞳を輝かせている。彼女にとって、チョコレート以上のものであり、アルコールの酔いも同時に得られるものが「お話し」だった。

「それでね」自分の第一声。声の質と音量でごまかそうとしている。声をコントロールする。これこそが文明人の証しだった。甲高くてもいけない。低音やこもった声もダメ。ボソボソも、浮ついているのも不合格。ぼくはしかし自分の顔の骨格と合った音を出す。不似合いではない。

 彼女はスプーンを持っている。いまは空中で停まっている。次のつづきを待っている。「次のつづき?」ぼくは頭のなかに、いままさに生み出されようとしている言葉も採点している。

 昨夜、彼女は友人と電話をしていた。次から次へとことばがとめどなく出ていた。それを会話と評しているのだが、ふたりのそれぞれの互いのモノローグともいえた。口に出る前に、思考の壁を挟むこともしない。そのおしゃべりに興じる女性が、無言で文字が浮かぶ画面を見ている休日がある。ぼくは肩をもむふりをして、その画面をのぞきこもうとするが、彼女は瞬時に別の画面に入れ替えてしまう。

 ぼくは彼女のお手製のスープを飲む。カボチャの味がする。ぼくは彼女と自分の母との年齢の差を考えることになる。カボチャの形を失うなど、母の頭にはなかったはずだ。ごろっとしたカボチャの煮物。ぼくも自分の作品を濾したカボチャにしようと、またもや無意味なことにつなげだした。

「それで?」

「母と買い物に行き、スイカを購入した。ぼくは荷物をもつ係りに任命され、ブラブラと前後に揺すりすぎてスイカの表面をブロックの壁にぶつけて傷つけてしまう。ぼくは絆創膏で応急処置されたひざを見て、スイカにも同じことをしたいと思った」

 彼女はつづきを要求する。

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悪童の書 bv

2014年10月21日 | 悪童の書
bv

 無料でも迷惑。

 ヨシュア・トゥリー。1987年の発売。名盤。とある雑誌のランキングでも歴代のアルバムで二十六位という快挙。自分も実際に何度、聴いたかも分からない。その後もリリースされた新盤も、発売とともに買った。二十七年後の世界。音楽配信のサイトで新しいアルバム全曲が無料でダウンロードできる。儲けを度外視した世界に彼らはもういた。左団扇。

「知らないアーティストの曲が勝手に落とされ、容量くって困るんだけど…」
「え?」

 あの可愛かったアイドルも毒舌タレントに「ババア」呼ばわりされている衝撃。まさに。アイルランドの英雄も過去の遺物。

 ただでも迷惑。

 自分を可愛がってくれたひとがいる。過去に部長までいったひとだが、退職したあとも働いている。偉そうな素振りもまったくせず、滑稽というか洒脱というか、そういううらやむべき地位にいる。ああなりたいなとまで思わせる軽みがあった。

 たまにいかにも手作りのお弁当を食べていた。妻は亡くなっている。金曜の勤務時間が終わりそうなときに、そわそわしだして、ネクタイを別のものに取り換えている。あそびがあるという自信。

 ぼくのことを誉めてくれた幾人かのひとり。その職場を去るときにランチをおごってくれた。優しいひとである。処分に困ったのか分からないが、やらしい映像の銀の円盤も多数くれた。家に帰り、再生させると、最初の主題になる。遠回り。「趣味が合わなくて、全部、つまんないんだけど。ただでも、いらないよ」とひとり言。即刻、ゴミ箱に放り込んだ。むずかしいものである。ストーリーが好きな自分。試合だけを見ても、なんとなくがっかりで、例えるなら、相撲の塩をまいている瞬間が好きであった。

 このひとのエピソードでいくつか覚えているものがある。

 六十代。帰り道のレンタル店でやらしい映像を借りようとしている。

「あと、一本足すと、割引になりますよ」と、若い女性店員にアドバイスされている。

「まさか、探しにいったりしてないですよね?」と、ぼくは質問した。

「いや、そこに置いて、もう一本、どうでもいいのをもってきたよ」赤面地獄。

 さらに、同年代のひとと週の半ばあたりに半分ずつ交換して見ていた。男性の持続力を求める社会である。

 若いころ、かなり遊んだらしい。天罰という大げさなことばを信頼していないのに持ち込む。

「娘三人が年頃になって、暑いさかりにクーラーでガンガン冷やした部屋で、彼氏を呼んで、みな大合唱だよ」
「注意しないんですか?」でも、どうやって?
「しないよ。あの夏の電気代、ものすごい高かったんだけど」

 家を買ったが、日本の土地、家信仰のピークのときで、ローン代がもっとも膨らんだ時期に購入を決断したそうだった。やっと、終わるとも言っていた。孫があそびにきて、余計なものを発見してしまい、娘におこられている。大合唱後の世界でもある。

 いっしょに外回りをしている。役目もすめば喫茶店でぼんやりである。カバンもちのような位置にいるが、かといって威圧的なところがまったくない。世の中、楽しく過ごそうね、という無意識のこだわりがある。こういう主義をつらぬくには、仕事ができてこそといまの自分は知っているが、当時は、その軽みだけをありがたかっていた気もする。

 先輩受けするひともいるし、上司にいたく可愛がられるひともいる。ぼくは、そういうタイプでもないが、まれにぼくという犬のあたまを撫でてくれるひとも出現する。尻尾をふる。そういう単純な行為にも疑問を感じるタイプでもあった。もっと素直になれば良かった。

 音楽もやらしい映像も、自分の好みや嗜好に応じたものを、きちんと選んで鑑賞するのが最善であるのだろう。

 仕事で外出した。クレームの解決も師匠のおかげで片付いて、どこかの居酒屋で飲んでから帰るかということになった。ぼくは先に店を探し、料理も注文しておく。

「オレ、固い鳥、ダメなんだよ!」と悲しそうに彼は言う。

 むかしの歯科治療の不備で、直ぐに歯を抜いてしまい、結果として焼き鳥が苦手だった。ぼくの気転は自分の胃袋におさまった。その店を出て、彼は近くの目に付いたうなぎ屋に行き、ぼくは可愛い店員がいる居酒屋に行った。汗をながす時間をショートカットして眠りにつく。

 他人との触れ合いでイライラがまったく生じないことなどないと思っていたが、この日々をふりかえってみると皆無であり、和やかな自分しか再発見できない。会うべきときに、会うべきひとと、会って生じた思い出。円盤がなくてもぼくのあたまのなかで再生され、何度かリピートも加える。感謝を告げる機会がいつかもてればいいが、わざわざ刻印を押すようなことを避けたいとも願う。これが軽みの究極的なあるべき形でもあるのだろう。重厚さ、きらびやかさ、ヴェルサイユ宮殿的な威光。そんなことよりも、日本の書にも似たささいな筆の薄いかすれのようなモーメントや体験を大事にしたい。

 これはお金を払ってでも、味わうべき事柄だった。こんな四十代の最初の日々。ウイズ・オア・ウイズアウチュー。

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悪童の書 bu

2014年10月20日 | 悪童の書
bu

 ラッファー曲線。

 過ぎたるは及ばざるが如し。

 労働。すべて自分のお金にしたいが、税金や保険があるのは、ある程度、理解できる。大人なので。八割も、九割も取られれば、そりゃ、働く意欲自体がなくなる。それをカーブであらわした経済学者がいるそうである。着地点。

 体質。税金は目に見えないところで巧みなスリのように抜いていてほしいと思うこと。納税という視点から見れば落第だ。「どうぞ!」これで、もろもろの運営をなさってください。合格。

 近代化文明は間接税に傾くそうである。さらに、働いていないひとが半数近くを占め、すなわち所得税をはらっていない。ならば、消費税以外あるの? という答えになる。リタイア後。子ども。一部の女性。ヒモ。ここからも財源として確保すること。

 司馬さんのエッセィ。

 むかしの私小説作家。なんの訓練も社会の一員としてもちよるテクニックも有せずに、田舎からでてきて自堕落な生活を書いたひとびとと、もっと柔らかな表現だが書いていた。簿記とか電気技師という技の取得を通じて、はじめて都会で暮らす身分を手に入れよう、ということらしい。あらゆる芸術家は、この範囲のそとにいるのかもしれない。ヘミングウェーが投資する会社の財務状況など調べてほしくもない。釣りでもして、どっかで冒険して、乱雑に書きのこせばいいのだ。しかし、ちまちま文を刻みながらも、ぼくは自分なりの経済の感覚を手に入れたいと願っている。お金儲けではなく、数学の一部のジャンルのようなものとして。机上の空論から一歩もはずれない分野として。

 脱線する。過ぎたるは。兄の部屋には、同じ区のすべての卒業アルバムが揃っていた。どこで入手したのか、業者や下請けは? という問題は謎である。彼はあとは簡単なスカウトマンである。ページをパラパラとめくり、美女を探せばよかった。個人情報もばっちり。そういう社会であった。ときは、その美少女たちに計半世紀の風化を与えた。

 弟は運命を信じている。信じたばかりに独身である。完璧な理想の具現化など、世の中にはあらわれないことを知っている。いまとなっては。エネルギーや男性としての発展途上が見込める段階でのピークに会ったひとと結婚すればよかったのだ。しかし、タイムマシンもない。むかし見た楽しい映画と同じである。あの楽しさが、もう一回見たからといって戻ってくる確信はない。それが、人生だといえばその通りであった。

 いちか、ひゃく。

 どこかに妥当なカーブの頂上があるのだ。

 さらに、脱線する。公共放送の夜のふたりの討論。「机上の空論くんたち」と酔いのピークが下がりはじめた自分は冷ややかにそう語っている。酔いにも理想のカーブがあるのだろう。それも手に入れたい。毎日。

「むかし、人足さんたちで繁盛したのよ、この店も」と高齢の女性ふたりが営んでいる酒場で、ぼくは生きたことばを聞く。ビルが建つ。羽田空港が拡がる。空論ではない社会。ピンマイクをつけて上っ面を優しく撫でればすむ社会。ぼくは両方にいる。

 やっと、本音がでてきた。長い序章である。誰かをおとしめたいだけであった。

 鏡を見る。メガネをしている。もし、視力の矯正が必要なくても、風塵からの保護だけのためにメガネは重要なアイテムなのだと考える。しかし、どうすり抜けたのか分からないが、小さな虫が目の中に入ってしまう。小さいということもメリットになる。セミやカナブンは、目にまでは入ってこない。書く題材が尽きている。自分は悪童からも落第になってしまうのか。

 空論と砂上の楼閣だけが正しいと仮定する。やろうと思っていた。そのつもりだった。計画はすすんでいた。運に見放された。

 第六感というアバウトな固まりを空気のように袋のなかに取り込む。ここに第六感がつまっている。宝くじというものが究めて当たらない確率の商品であることを見抜く。馬券も似たようなものである。しかし、つっこまなければ災難も少ない性質だった。

 株。情報はたくさんある。だが、元手がある程度なければ、ふくらみも少ない。この国を株式会社と考えること。あるいは自分という存在も。集金して、それを活用して成長させる。誰かに分配する。若さというのが限りない財産としか答えはでてこない。お金が集まったとしても伸びないものは、もう伸びないのだった。ブリーフの腰のゴム状のひもだけが緩む。

 下着の捨て時の曲線。あと一回。見極め。

 別れのタイミング。甘さを吸い取った。あのひとの貯金もなくなった。高級車も手放す羽目になった。魅力という外周。世界はたくさんの曲線でできている。若さの曲線。若い女性は鎖骨の直ぐ下に胸がある。

 チャンネルという円が、リモコンという直線になる。手の平から放たれる見えない直線の指示。きょうも机上の空論を聞く。彼らの満足と不満の分岐点を考える。行動をうながしもしない。かといって各自の手にある媒体が数行の意見を伝える。これも机上の空論だった。手の平からの空論。自分の賢さという幻を手放した時期。ゆるやかなカーブ。棺桶という直線。木魚というカーブ。坊主は今朝まで憎かった。明日は神のみぞ知る。経済学者も明日を知る。

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悪童の書 bt

2014年10月19日 | 悪童の書
bt

 ユトリロとだけ書く。

 モーリス・ユトリロ。あの静かな絵。その反対にある生活。すでに十代でアルコール依存の治療を受ける。

 牧水と記す。若山牧水。

 死んでも、長年で蓄積したアルコールが大量にあったためか、身体が腐敗しない。

 現実の作品と、実生活上でのエピソード。酒はひとに迷惑をかける要因にもなる。だが、誰が後世のひとびとが見て(読んで)感銘をあたえる作品をのこしたのだろう。逆に、後世になにものこさないのもいさぎよい。

「道楽」という表現が無限の生命力を帯びる。辞書では本業以外と書かれていた。

 結論を急ぎ過ぎないこと。酔いと同じで最初の快楽を持続させること。結論ありきで物事がすすんでしまいがちになる。ぼくは、結果をどうするかなど、あらゆる意図的な振る舞いを、この部分では入り込ませないことにする。

 自分の父も酒を飲んだ。美人な妻にお酌されて数杯という美しいものではない。大量消費ということばがふさわしい。ある日、「あれ、もしかしたら、あの量を抜いてしまったんじゃないの?」という疑問が子どもに生じる。自慢ではない。ただの哀しみである。別に誰が記録しているわけでもない。本業以外の楽しみ。これが、最前列にいる。

 お金をもらう拘束下にいるうちは当然のこと飲まない。飲めない。夕方以降に許される自由であった。寸暇を惜しんで本を読まなければいけない。本業以外の何番目かの楽しみとして。映画も網羅したい。音楽もコレクションしたい。それらを差し置いても酒であった。

 何を追い求めて飲んでいるのだろう? 疑問はある。反対に、あらゆるものから追い駆けられないために飲んでいるとも言えた。自分という気ままでありながら、たくさんの枠組みを有したがる傾向を手放す必要もあった。翌朝に杓子定規への憧憬はきちんと戻ってきている。賢い犬のように。

 散歩前の犬のような歓喜、と書いてみる。段々とよろこびの源泉が枯れる。大人は病気の話題が大好きになる。長命という観点を欲しがらない自分は、病気をおそれていないが、痛みはいやだった。

 酔って転んだりもしている。愚かさしか生まない状況の必然の結果ともいえた。貯蓄という将来のうまみ成分より、このいまの自由を欲した。そして、見知らぬ駅で終電後の改札口にて困惑している。

 漫画喫茶で夜を明かそうと願う。

「ベロベロじゃないですか!」と店員は不快な表情と声音をつくる。

「いいよ、ほか、探すから」と、いいつつも周囲に一晩明かせそうな店もない。

 自分は二十数年も吐いていなかった。その自信を店員は分かってくれないのかもしれない。

 始発から数本、時間が経ったころ、見知らぬ駅のホームにひとりたたずむ。昨夜の楽しさは、今日のむかつきを呼んだ。すべて、自業自得の世の中であった。

 ぼくは、同じ路線で女性を駅まで送っている。下心もなく、心配だけがぼくの動機だった。彼女は、倒れそうになりながらもハイヒールで走った。追いつきそうになると、また逃げた。妹のように慕っている、というのは表現としてどうかと思うも、こういう感じでしか例えられない。

 駅に着くと、走るように去った。翌週、ぼくの親切心は彼女の記憶から抹消されている。ディレートとエンターの世の中でもあった。ぼくらの子犬のじゃれ合いのようなののしり合いを、本気の仲違いの決定的瞬間と判断を誤るひとも多くいた。

 ぼくは集団のなかで真っ先に酔わなければならない。その座を簡単に奪われている。職場のひとがマリオネットのようにカクカクと動いている。ぼくの酔いは遠退く。ひとの心配をする了見などない。

 ひとりでぼんやりと酔いが発生させる状態でまどろんでいると、いくつかのスイッチが動くのが分かる。マジンガーZの発進である。ぼく自身が、ぼくを操縦させ、ぼくの過去の行いが遠いときを経て、恥辱とともに戻ってくる。

 酒も旅行も気が置けない友人と無駄話をしながらした方がこころも快適であるそうだ。ひとりというのは単位として、窮屈すぎる。ぼくは、ひとりになったために見知らぬ駅にいるのだ。「ベロベロだ」と指摘される憂き目にもあうのだ。

 映画や本のなかでアルコール類の断酒を誓い合うグループがでてくる。みな、ときに誘惑に負ける。その愚かな振る舞いを同じ痛みを有するひとびとの円に向かって語り合う。結果として、一滴も飲まないというのが最初の一歩であり、ゴールへの近道であった。もしかしたら、唯一の道かもしれない。

 きまじめなひとから見れば同程度であるかもしれない。ぼくは、ひとをからかう。口喧嘩ぐらいにならないかなと酒を飲んでからの無意識で望んでいる。でも、ここ止まりだった。暴力への道もあるようだし、痴漢に似た行為も生じる。ぼくには、なぜだか訪れない。歓迎もできないのだが。躊躇なく。

 翌日の自己嫌悪があまりにも多過ぎ、すべて河川に流してしまった。しかしながら、治療の必要性も感じていない。偉大なパリの風景も描かず、俳句も歌の趣味もない。そもそも本業というものもない。この地球に置いても日雇いの身分でいる。今日の酒の銭だけあれば、もう充分だった。格好良い結末を考えすぎている。だから、失敗だった。失敗を元手に今日も楽しく飲める。勝利者のビール掛けという美酒の横で、同じ量を敗者のために飲みたいと思う。つまりは、自分自身のために。過去の偉大な才能のためにも、不本意ながら。

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悪童の書 bs

2014年10月18日 | 悪童の書
bs

 成功というものがもし将来に訪れ、その名誉のあるべき姿をあらわす明確な形として、ふたつの方法でしか具現化を思い浮かべられない。

「いいとも」という番組でタモリさんの横にすわっている。たとえ、ビール瓶がいちばん似合う顔と評されながらにしても。

 もうひとつは、「ぴあ」という雑誌の表紙を飾ること。このふたつを両方とも叶えたひとが、成功者の証しだった。ぼくは八十年代を生きている。

 ぼくは自転車に乗り、閉店後のシャッターで閉ざされたとなり町の本屋の店先にある「ぴあ」の広告のポスターを拝借する。賞味期限が二週間ほどの見事なアート。多分、イラストで描かれたアイドルの肖像だったろう。

 ひとはポスターというものを自室の壁に飾るようになる。まだ、小学生。薬師丸ひろ子さんが、その役目の先頭にいる。勉強机の真正面にマグネットで押さえられるひとつの素朴な笑顔。その後、現実の女性の写真を挟みながら、健康な自分はわざわざ風邪薬を買い、おまけでくれたキョンキョンのポスターを貼る。永遠のアイドル。古着のジーンズが似合う男性になったり、カリフォルニアかどこかの日焼けしたのびやかな姿態のショート・ヘアの外国人になったりもする。覆う面積を限りなく少なくするビキニ。壁の一角を陣取るのは最終的に、ジャズ・ドラマーのマックス・ローチになる。知的な行動者。静かな闘志。キープ・リズム。

「この、黒ちゃん」と同居している父は、それを見て言う。世界から除き去れないもの。そういう社会にいる。優越感と劣等感。そういう社会にいる。しつこいようだけど。無知でいられる凄み。サッカー選手にもバナナを一房。おかわり。

 その父は、「ハイライト」というタバコの銘柄を長年、愛用していた。机に無言で置かれている。存在感のある色合い。大人になり、和田誠さんというひとがデザインをしたパッケージであることを知る。同じひとは、小泉今日子さん主演の「快盗ルビィ」という映画を監督している。世界はつながりを求めている。シナプス。音楽は、大瀧詠一さん。テレビに出なくても、成功するという存在が確実にいることも知るようになる。八十年代もいずれ終わりになる。

 成功とは、誰も見向きもしない地点でも種がまかれ、勝手に発酵すること。

 死後の名声が、人間の貴さのクラスとして最上級の誉れとすること。経済学者という「再読」に値せず、レンジでの再加熱もしないですむ、作りたてというファスト・フードの耐久力に甘んじるべき事実の学説。ぼくは、ゴッホやフェルナンド・ペソアがいる世界に生きることを望む。すなわち、生きることを成功前に絶たなければならない。未然に。永続性を、もし得たいならば。

 隠れた名曲やヒット・チャートを駆け上らなかったシングル曲にも魅力を感じる。誰も見向きもしない映画だって面白いものがあるのだ。興行というお金儲けがより重要視される。九十年代になる。

 コメディというのは大真面目にふざけるのが仕事だった。いいとものひとつの映像。アルゼンチン・タンゴを習っている。あまりにもふざけすぎ、本物の外国の先生が放った「ノン・コメディコ」ということばが耳から離れない。医者に、「治すな! 処方箋を書くな!」という類いの発言である。成功もまたむずかしい。

 雑誌も廃刊になる。スケジュールを調べて、予定をつくる。時間をつぶすために、渋谷のパルコの地下の本屋にいる。あるいは東急ハンズで商品の数と量に驚いている。

 はったりなのか、見栄なのか、音楽番組に出ないことで、自分の虚像を守ろうとしているひともいる。音楽にランクもない、という主張もあるらしい。その通りである。ぼくは沖縄の三線の響きを求めるようにもなる。

 音楽は、アマチュアのバンドが深夜にテレビで演奏して認められることに移行する。「ぴあ」の表紙を飾る面々ではなくなった。

 ベスト盤という入口があって、そのアーティストのすべてを網羅したいという情熱がでてくる。さらに、ビートルズはレアな音源を発掘される。成功というのが進行形にならなくても、過去の遺産でもろもろの財布を潤す。ひとは似たものを作りたい衝動にかられる。

 成功というのは好きなことができる環境と等しいことを知る。手に入れるのは困難だが。みな、発注があって受注があって、それから利益の分配があった。そこから漏れるのは生活ができなくなることになる。詩人や哲学者という頭脳労働者への発注を誰がしているのだろう? 世の中はまだまだ謎だった。

 成功には、スポンサーがついた。その成功には税金の納付が含まれるようになる。息を吸うだけで、かかるのが税金だった。免除のやりくりを教えると、スポーツ選手がねらわれる。結果、追徴される。成功にも納付にも期限があった。

 成功はマンネリと戦うことになる。ミック・ジャガーは何度、「サティスファクション」と叫んだのだろう。アレンジを変えると、不満になるのが声援を送るひとたちのモラルである。

 追及すると、一時的な栄光を受け、あとは気にもされないのが成功のあるべき姿のようにも思う。

 しかし、形などない。八十年代の名誉もどちらも不可能になった。生まれて、借金もない状態で死ぬぐらいが、大成功のようにも思う。

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悪童の書 br

2014年10月17日 | 悪童の書
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 誰が発起人だったのだろう。制服を愛用するなど趣味ではない。アウシュビッツの記憶。支配する側と、される側。長いブーツと縞模様の普段着。ハイル・ムッソリーニ。

 陸上部でお揃いのウインド・ブレーカーを着ている。勢ぞろいした写真もどこかにあったはずだ。物事の常として上手くいった場合、経過を忘れられる運命にある。誰の手柄も、反対の責任も必要ない。すでに、そこにあったのだ。

 先輩がそれを着ていたイメージはない。試合のユニフォームはあった。シックな色合い。原風景。だから、ぼくらの代からの発案だった。

 ちょっと離れたスポーツ・ショップでデザインを伝え、人数分のサイズを確定して発注する。定かではないが、顧問の分を割り勘で作ってプレゼントした気もするが、歴史の美化かもしれない。もし、したとしても100円程度の出費で賄える計算になる。所属するグループの一員として、それを着てトレーニングをしていた。

 先輩が卒業を控え辞める際に、ぼくはキャプテンに任命される。自分としては、もうひとりが選ばれると勝手に思っていた。自分という存在と十五年ほど付き合っていたので、オーガナイズする能力も付与されていないのは自分のなかで確定ずみで、この任務や責務に向いていないことは把握できていた。組織力が完全に欠落している。その後も芽生えることもなかった。だが、そこそこチームはまとまっていた。他の部活のキャプテンや主将がどう知恵を働かせていたのか知ることもない。リーダーとしての能力があったひとも確かにいた。でも、十五歳。あれが、限度だろう。

 いまになれば、自分たちがいなくなったときまで、きちんと舗装をしてこその先輩だと考えられる。風雨に耐え得る。賢いひとは有能な弟子をひとりでも発掘して、伝授することも不可欠だと思う。あくまでも理想論に過ぎないが。ぼくは、破壊に傾いている。その部活がその後、どのような運命をたどったか知らない。そして、責任があったのかも理解の範囲外にある。

 いま、その学校の野球部はとても強いそうだ。

 そうした父母たちのいくらかの出費を各自で交渉することが生徒の裁量で許されるほど、実力があった。短距離も強く、中距離にも秀でたひとがいて、長距離(大人の観点にたてば、ここもはっきりと中距離)にも数々のタレントがいた。みな、小柄であった。長く走らせるにはエンジンも小さく、躯体も小さい方が向いているのかもしれない。アフリカの勇者と競い合う世界でもなかったので。

 強豪校がいる。すると二番目に甘んじるという悲哀が生じる。越えられない壁として他校の先輩に憧れる。その足腰の強さを生かして、競輪の学校にすすんだといううわさを聞いたが、その後の活躍は伝わってこない。上には上がいるというのがスポーツを選んだ人生の物の見方のメリットであった。当時は無性に悔しくても。人生は、負けが付き物なのだ。いつも勝利者でいることなどできない。まれに、できるひともいる。沖縄のアフロ・ヘアのボクサーとかが。だが、テレビでは滑稽な部類に役割がある。片時も揺るがずに、勝利者ではいられない。

 陸上部の顧問は狂気をひめたひとだった。エピソードは割愛する。カタカナもしばしば誤っていた。ソニー製の携帯音楽プレーヤー「ポークマン」や大塚製薬の「ポカリット」などなど。そういうものを試合の際に注意するように、ということだったと思う。苦悩も知らない年代のぼくらは笑い転げる。抱腹絶倒。さよなら、大好きなひと。

 別の映像。

 卒業も間近になる。別のクラスを受け持つ先生の家で食事をしている。その前に、夜間の先生の時期もあったらしくその実りある実生活の誇らしさ(当然、光だけの世界でもない)を熱弁に至らないかすかな熱さで、ぼくに伝えた。職業としての選択肢として、こういうのも悪くないと言った。もし、君が望めば。ぼくも、悪くないと思っている。できない子ができる、というのを手助けする作業こそ、もっとも貴いのだとの事実を疑うこともできない。

 妻と子どもがいたはずだが、記憶からまたもやこぼれる。ぼくらは小遣いを合わせ、先生の自宅に向かう前に手土産を買った。ああいう利得を度外視した優しさをぼくはどれほど受けたのだろう。これも、書類にはならない心温まる記憶であった。

 だが、反抗することもやめない。怒りはいつまで保てるのだろうか。このひとつの小さな誤りを正さなければ、明日も来ないのだという無意味な正義感。打算も妥協も、相容れない。

 同級生の母たちは、この十五年しか生きていない生意気なぼくをどう見ていたのだろう? 組織という観点がなくても、ささいなリーダー・シップを有していたと認めていたのだろうか。自分の息子や娘が付き合うには相応しいのか、害はないのか、と判断をして考慮する時間もあるのだろうか。そこは、空気には微量な不純物があり、水道水ももっともまずい地域の住人なのだから、適度な悪も許してくれていたのだろう。

 その少年が記憶して、文字を打っている。自分を美化する傾向に陥ることは正しいのだ。反論がなければ、議会を通過してしまう。多数決も、相手がゼロなら簡単だった。確実に一票は手元にあった。買収も賄賂もなく。

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悪童の書 bq

2014年10月16日 | 悪童の書
bq

 思い込み。

 上野から銀座線で渋谷という路線に慣れ親しんでいる。

 住む場所が変わる。駅伝の一区間ぐらいだが。違う色の地下鉄に乗車して、表参道で乗り換える。やはり、渋谷に行く。必ず、銀座線を選んでいた。

 ある日のこと。半蔵門線もあるんだと気付く。途中まで並行している。改札から地上への出口って、どの辺なんだろう? と、確かめる。自分の行動範囲は、わざわざスクランブル交差点を通過する作業を省いたこの辺りの方が、確実に便利であることを知る。疑うということを間に挟まないと、こういう結果になる。ハチ公がぼくの帰還を無言で待っているわけでもなかった。

 地下鉄が空を通過している。この状況にもなじんでいた。電車も途中で一瞬、必ず照明が消えた。銀座線の突き当りは浅草だった。ここから国道六号線をたどれば、子どものときの住まいに通じる。水戸街道と呼んだりもする。

 繁華街といえば、浅草や上野だった。浅草寺を中心とした町ではカツサンドを食べ、すき焼きをつついた。父は博打をしなかった。だから、競馬場の思い出もない。後に一世を風靡する漫才師は、ここで研鑽をつんでいたのかもしれない。ギャンブルに興じる面々の記憶が、浅草の景色ともなっている。身近になるもの。川崎の野球場でとなりの敷地の歓声がきこえた。ロッテはきょうも弱かった。その付近に父の妹がいた。山下公園で遊んでいる写真がある。別の妹は横浜にいた。母の兄がいる曳舟という地と交互に遊びにいった環境のずれが、ぼくを作ったともいえる。海外へと通じる文明と長屋にも似た暮らし。ペリーと落語。

 道は限りなく曲がって狭かった。向島や京島というローカルな名称。整備というのは昭和二十年の三月の空襲を免れたとしても手入れをやめたような地である。

 もう片方には海がある。レンガの倉庫がある。なるべくなら山より水が豊富な地域に住みたいと思っている。坂道とフラットな地の戦いともいえる。

 横浜まで長い距離を車内で過ごす。父のいちばん嫌いなもの、という質問があれば、間違いなく公衆のなかで子どもが騒ぐということに尽きた。だから、靴を脱ぎ、黙ってひざ立ちで車窓を見ている。観察の訓練にもなった。子どもにも修行を。

 一度だけ、このふたつの父の血とつながる家族と大勢で岩手に帰省した記憶がある。父は、ここの出身であるらしいが、あとにも先にも来たのは一度きりなので、感慨ももてないままいまに至っている。ただ、海がきれいだった。神奈川や千葉の底が見えない海水に慣れ親しんだ自分には、その無防備な透明度は不安にも似たものを与えた。

 父は大型の車にも乗れる免許を有していた。そもそもバスの運転手として生計を立てていた。定年後に、幼稚園の送迎バスの運転手として再就職したと思ったが、ガンが見つかり、あっさりと役目から退いている。あの威圧感で構成されている人間が、園児やその母たちとどう接していたのか、ぼくには映像として結びつけることが困難だった。

 レンタカーを借り、長い道中を走ったはずだが、もう記憶は断片しかない。普段は仕事以外で運転することを拒んだため、車で移動した思い出など皆無なのに、この少ない機会のことすら失っている。

 自分の運転の能力というものを知らないままで終わる。となりや後部座席に座る。スピードを出すから怖いのではなく、コントロール下に置いていない不安定要素が雰囲気としての恐れを与える。事故というのを経験する機会も確立として少なくてすむし、実際にそういう状況になったこともない。電車の脱線という最大の事故のニュースを目にする。場所もインプットされる。有楽町の家電量販店で福知山のニュースをたくさんの画面で見る。同じ映像が複数の異なる大きさで放映されている。あの日に、どこにいるか? ということが即ち運命のようでもあった。

 海でおぼれる。つかんでいたビーチボールが波の力で跳ね飛ばされた。母の兄であるおじさんに助けられた。クラゲという存在が凶器に化けることも体験する。夏も終わる。二十数回の夏も終われば、若さは滅亡した。ホワイトニングの世界である。

 美術館以外には、もう渋谷に用事がなくなってしまった。これも若さの終わりである。竹下通りにも用はない。しかし、冒険をやめた時点で、老いはさらに加速する。新橋と各地のガード下で、煤けていく。

 浅草からの景色も変わる。大きな車輪が回転する。うちなるレーニンが体内の中心で微動だにしない為、ひとを家畜の代替品として設定できない。主人を作らない。雇われない。人力によって運ばれない。だが、商売はどちらかの役割を引き受けることなのだろう。

 バスでひとを運ぶという行為と使命に準ずる父は、限りなく奴隷という立場に近くなる。この述べてきた論理によれば。ぼくは、奴隷の子孫になる。すべての乗り物の運転手に栄光あれ。

 渋谷にいる。はじめてデートをしているような若い男女に声をかけられる。道案内。「原宿に行くには、どこを通れば?」

 ぼくは、ありったけの親切をみせる。「でもね、ここから一駅乗るのが、いちばん簡単で、近いと思うよ」ぼくのその勧めに同意しない。ぼくも、そうなってほしくなかった。明治通りを歩き、原宿に行く。ある日のぼく。数十年前のぼく。乗り換えの複数のプランなどもっていないころの輝ける時代としてのぼく。まっすぐにすすめ。君らも。

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