爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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「考えることをやめられない頭」(25)

2006年12月13日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(25)

 やはり、自分の確固たる居場所や土台もなく、ぼくは町の中や、自分自身においてさえ流浪している。そして、はっきりとしたゴールも、当然のように見つけられないでいた。
 兄の子供と遊ぶ数時間、それも終わると彼らは自分の家に戻っていった。ぼくも、常に自分の終着駅である落ち込んだ定まらない心に戻っていった。
 ホテルで稼いだ金は、かなり量のCDと、数着の洋服と、何回かの美術館通いなどで消えていった。そうなる、運命をその金銭は持っていたように、いまの自分は思えたりもする。結局、自分の知りたいことや使いたいことはこうだったような薄い確信みたいなものまで芽生える。
 だが、そろそろはっきりとした方向性を見出そうと、人生において舵取りだけはしっかり取ろうと思ったが、なかなかぼくの人生はゆっくりとしすぎ、そのスピードを上げなかった。
 また、もう一度、東京を捨て、どこかで働こうと考え出す。以前と同じように履歴書が郵便で送られ、電話で答えがある。また、荷物をつくり、いくつかのものにさよならをする準備をする。今度は、きっちりと目的や居場所を何人かに告げ、すこし大きくなって帰ってこようと思っている。何度も、こうして何かから逃げ、いくつかのものを拾い、義理を避け、少数のこころに傷をつけてきたような気もする。だが、生きることは、つまり他人への迷惑で成り立っているのではないだろうか? そして、多かれ少なかれ自分のこころにも、傷をうみだし化膿する前に、大事になるまえに癒したりしている過程だけではないのか? いや、もうすこし地上はましなところだよな。
 ダンボールに入った何十枚かのCDを梱包し、それをレコード屋に送ったら、いくらかの金が銀行に振り込まれた。それで、航空券を買い、目的地に向かう準備は整った。どんな運命が自分をまっているのだろう。
 あさ、通常のように起きるが、これで東京で、それもかなり端で起きる最後の朝だ。荷物を整理し、そして点検し、家族が使い古したカメラを潜ませ、完全に荷物は整った。
 最寄りの駅で電車に乗り込み、神奈川の方まで続く路線に乗る。すこし感傷的になる。なんだかんだ20数年も、この汚い空気の町で暮らしてきたのだ。心の痛みも許されるだろう。それから、乗換駅でモノレールに換えた。
 チケットを握り、ラウンジで飛行機を待つ。観光シーズンでもないので、あたりは閑散としている。それでも、数人の忙しそうなビジネスマンは携帯でなにやら交渉し、小さな何も入りそうもないバックを持った女の子は、はしゃぎながらもお母さんのスカートのすそを真剣につかんでいた。これを離すと、すべての社会との関係が断ち切れてしまうとでもいうように。
 そして、待っている。人間の通常の営みの「待つ」という出来事。ぼくらは、幸運を待ち、溶けた角砂糖のような小さな希望を待ち、来るかもしれないが多分、来ない確立のほうが多そうな勝利の女神の微笑を待っていたりする。
 やっと、アナウンスの声が、そこにすわっているぼくの耳に響く。もしかしたら、ずっとここで座って、うなだれて待っていた方が良かったのか? しかし、腰をあげ、自分を幸福に連れてってくれる偽者の予感を服のポケットにでもしまうようにして、そこを立ち上がった。
 飛行機内の座席に座る。新聞や雑誌に目を通し、ラジオの放送の曲を調べる。レイ・チャールズの特集があるようだ。
 その狭い中を、人気のあった職業の女性たちが忙しそうに働いている。そうしている間に目をつぶっていたら、眠くなった。それから、気がつくとアナウンスがあり、すべての飛行機の蓋がしめられ、密室になった。自分には幸福がいつか訪れるのだろうか。安心して眠る猫のように、自分らしくいられる空間を逃さずにつかみ取れるのか。そもそも、自分の居場所は、この地球上にあるのだろうか。自分の象徴的にいって、居心地のよい座布団や、身体を伸ばせるソファはあるのだろうか。もし、あるなら抱え込んで離さないようにしなければ。
 ある種の爆音が耳につんざく。もう、この物体は飛ぼうとしている。その準備は完了したようだ。手元には、イヤホンがある。もう少しで、視力は持たずとも、その唄で世界をとりこにし、自分の人生を表現できたソウルフルな歌声が待っている。自分は、健康なのだし、まだ年齢も限界にきているわけでも、まったくないのだから、この世界ともう少し格闘する勇気が湧く。そうしていると、不思議な重力の変化があり、ぼくを目的地まで運ぼうとする。
(終)
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「考えることをやめられない頭」(24)

2006年12月11日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(24)

 もうひとつの方面、車を買うことについて考えてみる。
 その地区では遅めに、19才のときに免許を取った。本当は、どうでも良かったのかもしれないが、ある面接に行き、何度も断られたが、またその回数を増やすときに、会社からのお断りの電話をうちの父が取った。理由は、免許をもっていないということにされていた。
 そのことがあってか、父親の知り合いのいる教習所で免許を取ることになった。だらだらと、時間をかけそれを取得した。家には兄が、車を持っていたが、一度も運転させてくれることもなく、毎日のように乗り回していた。もちろん、非難の余地もなく彼自体がローンを払っていたので、文句のつけようもない。
 ある日、母のこれまた知り合いの人は、車を買い替えるらしく、必要なくなった車を安く下取る話が計画されたが、いつの間にか泡のように、その話は消えた。
 こうして、あまり縁もなく、車を所有できずにいた。自分が育った近辺では、例外的に珍しいことだった。年齢がくれば、バイクに乗り、またある年齢に届けば、車に乗り換えるような場所だった。
 しかし、本当のことをいえば、あまりエンジンがついているものに興味がないのも事実だろう。それより、運転もしないで酒も飲みたかったし、電車内でもいいから本を耽読したかった。もっと深く言えば、一緒に乗って空間を共にする人も、ある時期にいなかったのも大きいのだろう。
 そうして、一人暮らしもかすかにあきらめ、じゃあ、ということで車に乗ることを考える。安いワーゲンなんかおしゃれで良いかもしれない、と考えていた。だが、駐車場代や家の近くに場所を確保することもなかなか難しかったらしい。それにしても、そんなに乗らないのだろうか?
 まだ、もっと若かった数年前、友達はすでに免停になっていた。しかし、朝まで飲み続け、明るくなった空の下、その友人の兄の車を勝手に持ち出し、結構遠くまで乗り回した。警官に見つかることもなく、第一、そんなことを思いの端にも浮かべなかった。少し残った酔いが自分の気持ちを大きくし、自由な気持ちを持っていた。
 計画ということが、すべて叶わないようなあの一時期。本当に所有したいものも見つからず、将来の足がかりも探せず、迷っていたような数年だった。だが、ある日、ふとした幸運で、自分の才能が花開き、誰かの目にとまり、自信と勇気を勝ち取れそうな予感はあったはずだが、それさえも汚い川に浮かぶ洗剤のあぶくのように、いつしか消滅しそうになった。
 合宿で免許を取りにいけば、彼女を作ってきた友人。自分は、どうしても一人の幻影から離れられなかったのかもしれない。ある夜、友人の家で寝ていた。その時に、うなされて女性への懇願の言葉を吐いていたと言われた自分。大体は、誰のことを指しているのか、自分が一番よく知っていた。そんな亡霊から逃げ惑い、だが振り切れずにもいた。
 友人たちの車に乗り、家まで送られ、その代償としてなのか、彼らには、それ相応の女性たちがいた。自分は、やはり、芸術とかをあきらめられずにいた。近くの公園に、ジーンズの後ろのポケットに文庫をいれ、そこまで歩く。強い日差しのときもあれば、曇りのときもある。犬を散歩させている人もいれば、鳩にえさを投げ与えているお爺さんもいる。自分もいつしか、過剰な欲もなく、そういう存在になれればいいが、と本気で願ったりもした。だが、そう簡単には、こころの奥の曲がった野心を打ち消せずにもいた。荒みはじめた自分がいる。あきらめかけた自分がいる。絶対的な知識を渇望している自分がいた。そこには、神という存在が手を差し伸べてくるのか。
 真面目な考えの昼間とは別に、夜は、あまり腹の割れなくなった友人たちに電話して、つかまえようとしたが、それぞれ違う道を進んでいるようだった。誰も止められないものが、自分にも訪れようとしていた。
 使いたくなくても、金はいつしか目減りしてくる。お金のないときの発想。こつこつとではなく、大金をということか。自分もある種、不安な将来と、薄い財布を心配し始める。家族の中で、とびきり強く感じる孤独。自分の才能の片鱗に気づかない人たち。
 そんな時に、まだ若い兄に子供が出来たのだろうか。それにつられて、我が青春も終止符を打とうとしているのだろうか。すべてが、自分の奥からの発動ではなく、他者との関係で成り立っているのだろうか。
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「考えることをやめられない頭」(23)

2006年12月04日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(23)

 多少、手元にホテルで働いたお金が残ったので、一人暮らしの資金にしようか、それとも安い中古車の元手にでもしようかとの、どちらかで迷った。せっかくなので、何かのきっかけを生み出すように、その金銭を使いたかった。
 目星はついているのだろうか? 東京だと家賃も高くなるので、住まいのことを優先するなら千葉方面を考える。柏あたりは、どうだろうか。駅前も、賑わっていることだし、都心に出るのも、もうそんなに憧れを抱いてもいなかったが、まあこの辺りが妥当かなとも考える。
 もう一つは、手賀沼というところへ、子供の頃に釣りにいったが、あの辺も良いかな、と候補にあげる。なんだかんだ自然にも触れた帰りなので、いくらかでも自然の名残みたいなものを掴みたいとも思っていた。
 散策がてら、一つの不動産にはいる。予算などを相談し、忙しそうにも見えなかったが、鍵と地図だけ渡され、そこに行くよう言われる。その地図を頼りに迷いながらも、我が新居になるかもしれないところを見つける。鍵をあけて中に入る。そこの部屋の真ん中に風呂のボイラーのようなものが陣取り、くつろげるような雰囲気は皆無だった。部屋と呼ぶにはあまりにも、みすぼらしく、また不動産屋の自分にたいするあつかいも邪険だったので、その間取りの載っている書類を部屋に置き、トイレに入り用を足し、また鍵を閉めて出てきた。今度は迷うこともなく、不動産に戻り鍵を返した。
「ちょっと、違うみたいでしたね」
「そう、東京の人は離れないほうがいいよ」と不動産の店主はぼくに声をかけ、その関係は終わった。
 もう少し不動産を廻ってみた方がよいのかもしれないが、なんとなくその気が失せていく。また、あのような部屋に自分の身体を持っていきたくもなかったし、その部屋に首を突っ込みたくもなかった。
 まあ、ここまで来たので、そのあまりきれいでもない沼でも見て帰ろうと思い、また電車に数駅のる。子供たちの成長を祝う儀式のシーズンだったのか、きれいな服につつまれた子供が近くの神社にいた。すこしばかり微笑ましく感じた。
 なだらかな傾斜のある道を歩くと、子供の頃に感じたより長いような気がしたが、目の前に水面がひろがる。それを見て、こころの中の憧れの箱のようなものが開いて、自己を解放したような気がした。なんだ素敵な場所ではないか、との箱の中味が喜びの声をあげる。でも、もしかしたらたまに訪れるから、こういう場所は居心地がよいのかとも思い出す。一人で自分を主人に暮らしてみたかったが、その気持ちが減少しはじめる。いくばくかの新鮮な空気を胸に取り込み、包み、いま通った道をあとにする。
 途中に落花生を売っている店がある。母親が夢中で食べることを思い出し、なぜかお詫びのように買っていこうと考える。親の感情を喜びで満たすのも、たまには必要だよな、とあまり自然に湧きあがった気持ちでもなかったが、なんとなく納得する。拘泥しすぎる肉親との関係。
 家も決まらず、冬の日は傾きはじめる。
 自分を慰めるように、もと来た駅に戻り、時間を潰そうと映画館にはいる。どのような未来を作りたいのか、自分でも謎だった。もしかしたら、自分はものにならないまま、この人生を終えるのだろうか。自分が生きようともがいたりすることには、なんの価値もないのだろうか。暗い映画館を出て、冬の到来を待ち望んでいる外気にさらされても、自分の頭脳は火照ったように、その価値のない生涯を思い描き、さらに必死におぼれる人のように空中をかき乱したいような気がした。
 電車に乗る。大きな幅の川を越える。そして、東京の端。メキシコとカリフォルニア。南米と北米。その一本の川を、自分はそのように大層にかんがえているのだろうか。東京の落ちる滝の手前のような場所に住んでいる自分。そこで、自分の頭脳とわだかまりと、煩悶をこしらえた自分。
 来たときと落花生の分だけ荷物が増えた自分だった。そして、少しだけ普通に生活をするだけで、金は消えていく。自分の成長のために使いたいが、どうなるのだろう。目減りしていくのか。
 家に着き、ちょっと千葉の方に行ってきたよ、と告げ、部屋を探したことは言わずに、手にもった袋を投げ出し、「好きだと思ったので」と母に投げた。
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「考えることをやめられない頭」(22)

2006年11月27日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(22)

 雑踏にいつものようにまぎれる。東京の夜の風は暖かかった。そして、少し薄汚れていた。
 家に着いて、先に宅配の荷物が届いていたので、自分が戻るのは知られていたようだ。玄関の扉を開けると、そんなに長い間、留守にしていたとは思えないほど、直ぐにそこの住人に返った。犬も自分を覚えていた。
 荷物をほどいたり、整理をしていると、やはり自分の部屋は多少、くつろげることに驚いたりもした。だが、いない間に物事は、すこしばかり移ろっていくのも事実だ。図書館で借りたものを返却したはずだが、戻っていないとのことで督促があったりした。直ぐに電話をかけ事情を話し、あちら側のミスということで解決した。
 自分宛に写真や手紙もあった。ぼくの最初に深く知った女性、彼女からも一通の封書が来ていた。さらっというが、いつの間にか結婚していたらしく、その日の写真も同封されていた。その相手は、ぼくも知らないが、うまく隠されていたような背中や、腰元の写ったものが、まぐれのように一緒にあった。もちろん、いくらかの動揺が自分には、自然と訪れた。
 そして、雑踏にまぎれようとしている。ずっと、映画を見ていなかったので、あの薄暗い環境に自分を置いてみたかった。中味は、どうでも良かったのかもしれない。ただ、これまでの自分を振り返ってみたかったのだ。反省と判断の刻印をあの場所でしたかった。
 冷たい空気から戻ってみると、東京の温度は生易しかった。すぐに、自分を前の自分にからめとるような暖かさだった。
 向こうでは、テレビでフランス映画の「幸福」という作品を、小さなテレビで見たことが印象に残っている。とても、幸福とは呼べそうもない内容だが、不思議とずしりと自分に襲い掛かった。
 やはり、都会の映画館は、自分を深く追求することができないほど、その他多数のエキストラのような個性を埋没させてしまうような雰囲気だった。人気のある女性が主演だったが、その時の民衆の総合的な評価はどこにあるのだろう。不特定多数の偶像。最大公約数てきな人気。自分は、もうそういうものから遠くなってしまったことに気づく。
 映画も終わり、タイトルも流れ、再び町の中のひとになる。いつものざわめき。いつもの酔っ払い。普段のサラリーマンの集団。もう、自分がすっかり安心する場所など、この地上にはないような気がしてきた。しかし、直ぐにその問題も忘れる。
 憶えている電話番号。なんだかんだ彼女を永久に失ったこと。そんなに自分のこころに長い間、住むとも存在しつづけるとも予想だにしていなかった。
 久し振りに友人に電話をかけ、彼の仕事終わりに会うことになった。待ち合わせ場所に随分遅れて、彼はやってきた。
「ごめん、あんまり自由になる時間がなくて」と彼は、言った。一緒に遊んでいたことを懐かしむこともなく、彼は遠くに離れてしまった感じを受ける。
 飲みながら、最近読んだ本の話でもしようとしたが、彼は、もうそんな所にはいなかった。そのことを後悔するわけでもなく、謝るわけでもなく、価値を認めていないような口ぶりになっていた。それで、なぜか、いや当然だが、もうこうした関係は終わったことに、もう戻れない過去が、きつく袋に閉じ込められたような気がした。
 後味が悪くなりながらも、どこかで爽やかな風も感じる。自分には、もう友人など必要ないのではないだろうか? 成長するのには、ある種の犠牲がつきまとうのか。知識を蓄えたいと再びのように思った。それには、個ということしか、自分との競争としか考えられなくなった。そのことを実証しようと、熱心に車内で本に読みふける。
 地元の駅に着く。絶対的なものについての探求。ふらふらと彷徨う頭ながらも、これからの自分を夢想してみる。理想の自分になれるか。それを誰かが認めてくれるのか。
 コンビニでビールを数本買って、家に着く。それを待っていたように犬が吠える。今まで寝ないで待っていましたという虚飾の顔をしている。実際は、何事よりも寝ることの好きな犬なのだ。部屋に入り、ビールを開けた。彼女の写真を引き出しから取り出す。なぜかその日の勢いで、両手で破ってしまった。それを繋げて、また彼女に戻そうとするが、その行為はどう考えても無理であり、また無駄だった。後ろめたい気もしたが、それをゴミ箱に入れ、その日の疲れで身体は転がった。
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「考えることをやめられない頭」(21)

2006年11月21日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(21)

 自分が働いているところに、同じような年齢の男性が、もう少し山よりの系列のホテルからこちらに移ってきた。業務はいくぶん楽になったが、自分の存在の意味がいくらか軽くなった。もう、違うステップに移行するべきではないのか? いつも、自分の思考を悩ましてきた問題。もう一回り大きくなれるならば、今の境遇を後にするべきだという観念。それに突き上げられて、頭がそのことで占領してくると、留まっていられなくなる。絶対的な、不安定志向。
 新しい人は、段々と仕事に慣れてくる。そう難しいことが含まれる仕事でもないので当然だが。やはり、次の月の半ばあたりでここを去ろう、と決意する。そうして、人事を担当している人に相談する。多少、引き止められたが、東京から来ている人は、東京に戻るべきだというニュアンスの言葉を感じる。
 でも、学生時代にも寮などで生活したこともなかったので、それはそれで楽しい共同生活を送れた。自分を管理しすぎる人間もいないので、自由な時間は、ある程度自分で決めないとなにも進まないという当然の事実も明らかになる。
 振り返ったように、年齢のいくらか離れた男性や女性ともなかなか上手くやっていけた。友達も、こちらから心を開くなら、意外と簡単に作れるものかもしれない、という結論も得る。意中の女性への接し方は未解決かもしれないが。
 そろそろ荷物もまとめようと、フロントの人からダンボールを貰ってきて、必要なものを詰め込む。そうすれば自分より先に、この箱は自宅に到達する。何枚か買った絵葉書。一枚は、事情を知らせるために、うらに簡単な状況を書いて家に送っていた。その残りが、まだ数枚残っていた。それを見つめる。本当に景色も空気も良いところだったな。
 最後の日も、いつものように働き、風呂に入って爽快な気持ちになる。温泉の大きな鏡に自分の全身を映してみると、来た当事よりいくらか筋肉もつき、身体も締まっていた。この体型を維持したいな、と考えた。
 自分の部屋に戻り、残っていたビールを飲み干し、いつものように布団にはいる。文庫も数冊買い、読み終えると重くなるので、うらのホテルのゴミ捨て場に捨てた。あの知識も、あたまの片隅に居場所を見つけてくれれば安心だが、そう思い通りにも行かないだろう。
 最後のあさ、あまり親しげに別れのあいさつをしたことがないので、躊躇していると仲の良かった友人が、
「あいさつもなしで、帰る気じゃないだろうな」と言い、ぼくをひっぱった。
 そこで、いつものように裏から、ホテルの厨房を抜け、皆の前で最後のあいさつをした。また、機会があれば来たい、というようなことも語った気がするが、それは実現するのだろうか。
 ホテルの玄関を通り、駅に行くバスを待つ。人生のほとんどは待つことに費やされる。自分の期待の実現は、いつごろ叶うのだろう。そもそも、一体、自分は何になりたかったのだろう? だが、この時は、自分は深い気持ちと格闘する気分でもなく、表面にあらわれやすい軽やかなセンチメンタルとたわむれていた。
 バスに乗る。来た日のことを思い出す。雨が降っていた。バスの運転手は、新たな地に来たぼくを祝福した。まさに祝福という言葉は、このような機会につかうのだろう。それに効き目があったものか、自分はさまざまな出会いや感情を手に入れる。いつもの湖畔をとおり、目の前には冬が、せっかちな老人のように、融通のきかない態度で待ち構えていた。
 駅につく。乗換駅までの切符を買う。銀行の支店がなかったので、かなりの金額の札が封筒にはいったまま、カバンに無造作に詰め込まれていた。ここで得た最後の収穫。それを、置いたまま急いでトイレに行った。ドラマでは、ここで盗まれたりした方が展開としては面白いが、当然のようにそんな事件はなく、そこに置いてあった。
 電車が来る。それに乗る。地方の人ではなくなる。カバンから文庫を取り出し、新たな自分がつかめたようで嬉しかったが、家にかえれば、また元のような少々自堕落な自分の戻りそうで恐かったのも、揺るぎのない事実だ。
 何が待っているのだろう。両親と、どんな顔をして会おう。風景は過ぎ去る。自分のこころも風にはあたっていないものの、なぶられているような気持ちを全身に受ける。
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「考えることをやめられない頭」(20)

2006年11月16日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(20)

 田舎の小さなレコード店の品揃えは、都心の大型ショップの棚を見慣れた目には、いくらか淋しく映った。それも仕方がないのだろう。圧倒的に需要がないのだから。
 それでもCDを手に入れないことには、好きな音楽には近づけなかった。また、音楽の趣味が凝り固まってしまうほど、聴き込んでもいなかった。まだまだ、幅を広げるチャンスも、心意気もあった。さあ、町へ。
 まず、最寄りの店に、といっても、バスに20分ほど乗ったと思うが、その頃デビューしたてのキューバのミュージシャン、ゴンサロ・ルバルカバの最初のアルバムを買った。行き詰っている世界に風穴を開けるほどの勢いがそこにはあった。赤いジャケット。そこには、ほかに目ぼしいものがなかった。それで、帰りのバスを待っていると、非道い夕立があり、でもそれが急激にすぎると、あたりは新鮮な日差しで、包まれた。そのことに見惚れていると、あまり便がないバスを一本やりすごしてしまった。
 電車に乗り、隣町のいくらかましなデパートとレコード屋に、休日には向かうようになった。そこで結構な枚数を買うので、ぼくが入ると店員が寄ってくるようになる。その網を繰り抜け、自分の気に入ったものを探す。ビーチ・ボーイズのレアなベスト盤を買った。車やサーフィンだけじゃない、世の中のちょっとした絶望感とあいまみえる楽しみがそこにはある彼らのバラード。波の音とは程遠い場所だが、原始的な哀切を感じさせるほど、ブライアン・ウイルソンの声には力がある。
 トランペットとサックスとピアノのありがちなオムニバスのジャズのCDも買う。その三枚には、本当にきっかけとしては、たくさんの良い曲がつまっていたので、その曲を頼りにバラバラになっていないオリジナルのCDも欲しくなった。ケニー・ドリューや、バリー・ハリスというピアニストとも、それで親しみを覚える。ジャッキー・マクリーンのセンチメンタル・ジャーニーは、そこでもっとも聴いた曲のひとつになった。
 コール・ポーターの曲をジャズ・マンが演奏したものも購入する。作曲家の偉大さと、ジャズの変換したフレーズの美しさを知る。原曲を作った人への敬意をいまだに持ち続けるようになったのは、その面でのメリットかもしれない。オリジナルの素晴らしさ。コピーや複製文化への嫌悪。でも、リメイクやパロディーと言葉を変えるならば、それはそれで気に入るのだが。
 その頃に、マイルスやアート・ブレーキーが死んだのだと思う。個人的には後に起こるベルリンの壁の崩壊より、自分のこころには大きかったかもしれない。少したち、レコード屋にマイルスの追悼盤が並ぶ。そこで買った4枚組みのコロンビア時代のベストを、秋の晴れた日に自分の部屋で聴き、とてつもない衝撃があったのも偽りのない事実だ。衝撃という言葉では伝わらないかもしれない。それは一瞬のことだが、地球創生以来の音楽や宇宙の影が、自分の背中に飛び込み、音楽の持つ素晴らしさを理解させた。それは、マイルズ・デイビスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」という楽曲だ。疲れを取り除き、神秘をのぞき、自分の持つ、過剰な自意識もその瞬間は失った。ああ、こんな音楽とめぐり合えたなんて、という感動が確かにあった。その音楽を聴く場所としては、地球上で、あそこの場所が自分にとっては、一番ふさわしかったスペースだろう。余計な雑事もなく、過剰なほどの娯楽もないシンプルな器で。そこで、数は少ないけれども渇望したこころには、砂漠の数滴の水のように、自分の感情は瞬時に取り込んだ。
 しかし、それを買って、数回聴いてしまった後に、そこには長く留まらなかった。やはり、もっと強い好奇心や探究心が自分を動かしたのかもしれない。
 家に残っている、CDも聴きたくなった。生のコンサートにも出掛けたくなった。家では、リー・モーガンの好きなアルバムが自分を待っていそうな気がした。
 でも、これも音楽を聴く旅の、ほんのスタートだったのかもしれないが。
 ジャンルに拘泥しないこと。もちろん当然のようにもつ先入観をいくらかでも薄めること。それらが大切に思える。
 使っているのは、CDウォークマンを小さなスピーカーにつないだだけの安上がりの装置だが、ぼくにとっては充分だった。人間は、小さなきっかけさえ与えられれば、大きな無尽蔵の倍率で、喜びという感情に変換できるものだと思う。銀の10数センチの円盤。それと共に暮らした日々。ある音楽家が、この世にいなくなってから感じる強い憧憬。
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「考えることをやめられない頭」(19)

2006年11月13日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(19)

 自然のことについても触れなければならない。だが、どこから始めよう。
 ここに来たのは、初夏の日差しのころ。それと緑の季節。目にうつるものは、すべてきらきら輝いていた。陳腐な表現かもしれないが、すべてが新鮮で都会のスモッグ越しに見る緑とは変わっていた。空気や温度は、山の下とは違い、乾き、かつ、熱すぎなかった。その中で座っているだけで、汗もかかなかったが、身体の色だけは黒くなる不思議な経験もした。
 友人の車に乗り、少し離れた湿原に向かう。カメラを手に風景を撮ろうとしている人も点々といた。しかし、その存在はいささかも邪魔になることなく、目の前に広がる景色は広大だった。
 そして、滝。水しぶき。水をたどって坂道を歩いて降りて行ったときに、表れる水の音と、滝つぼ。時間が過ぎるのを忘れてしまうほど、ぼうっと見惚れる。あの時は、未来も過去もなにもなく、没頭していた。
 まだ、夏が残っている頃、従業員の数人で、ホテルの裏の芝生で、サッカーボールをひとつ持ち出掛けた。ただ夢中になって、ボールを追っかけて時間を忘れてしまうほど、まだ体力のある若者にとって有意義なことがあるだろうか。午後の仕事が多少、きつくなってしまっても。汗をかいても、きれいで新鮮な外気が、すぐに身体を乾かせてくれる。
 秋になっていく。その前にきれいな池があった所為で、大量のトンボがいきかった。簡単に洗ったタオルを干している場所があったが、そこにも無数のその昆虫が飛んでいた。どこかで子孫を残すプログラムも働いているのだろう。
 長く暮らせば、髪も伸びる。定期的に切らなければならない。直ぐ近くにはないので、バスに乗って、中禅寺湖の湖畔で降りる。髪を切ってもらい、その途中で雑誌を買ったり、喫茶店でコーヒーを飲んだりもしたが、その後によく湖畔のふちを歩いた。水は、透明で近くに泳ぐ魚をつかめそうなぐらい、すべての影が明らかだった。眺望のもっとも良い場所は、どこかの国の別荘として所有されていたはずだ。その付近は、本当に美しいスポットだった。
 秋も深まる。休日にはバスに乗り、電車に乗って今市という所で過ごしたりした。その往復に見たいろは坂の紅葉は、人生のなかで見たカラーの集大成のように感じたりもする。壮大すぎて言葉にならないかもしれないし、もう今後、紅葉が見られなくなったとしても後悔がないくらい、自分の目と感情は堪能した。右に左にバスは揺れ、自分の視線が向かう先のどこを見ても、がっかりすることなどありえない景色が、喜ばせてくれるのを待っている。
 自然ではないのかもしれないが、もう来ることも、もしかしてないのかもしれないと思い、東照宮に行ったりもした。小学生の時に行った以来だ。地元の人たちは、あまり興味もないらしく、ホテルの従業員にもあまり言わず、そっと出掛けた。やはり過剰なまでに豪華な気がする。過去の繁栄。そして、現在の収入。カメラがあったら良いかとも思うが、不確かすぎる記憶にも、微かだが確かに残っている。そのいくらか揺さぶられた気持ちを大切に尊重しようと思う。その近くにある神社の朱色。胸の中の静かな気持ち。動揺もない世の中。不安も感じることなく、一切の平穏をつかむ。
 思いがけなく早く雪が降る。従業員の中でも、クロスカントリーに夢中になっている人がいて、その人はシーズンが到来する前に、コースを整えるため働いていた。終わると、寒そうな姿で戻ってきた。冬が苦手な自分は、そろそろ東京の冬というか、その明かりのある雑踏に恋焦がれたりもしてきた。
 充分、樹や空気、緑や赤や黄色の混じり合いを楽しんだろうか。そういうものを慈しむ気持ちが芽生えたことは確かだ。
 陽が落ちることが早くなり、そとで文庫を読んでいたりすると不安な気持ちになったりするようにもなる。都会のことを考えると、取り残されたような気もしてきた。そろそろ潮時か。タイミングが分からなくなってきた。
 一日の仕事を片付け、奥にある温泉に向かう。日本の山が作るぬくもり。その匂いが自分の衣服にも染み込んできた。最初は気づかなかったが、Tシャツや作業のときに着るズボンなどにも着いてきた。浴槽の窓から外の景色を見る。すっかり来た頃とは印象が変わり、秋の寂しさが充満していた。風呂を出ると、直ぐに冷たい風が自分に押し迫ってくる。
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「考えることをやめられない頭」(18)

2006年11月07日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(18)

 競争社会。他の人より、出来るだけ一歩でも半歩でも先に抜き出ること。胸の差の勝負。とくに、若い男性なら女性関係でそう感じることも多いだろう。ちょっとした躊躇。そして、チャンスの喪失。
 そこのホテルには若い男性も多かったので、若いバイトの女性が来ると、いろめきだつ。当然の成り行きか。悲しく、夢中に追い掛け回すように創造された仕業か。
 自分好みの女性を見つけた喜び。仲の良かった男性は、営業に長けている。一瞬にして垣根を壊す。その恩恵で夜の仕事が終わった後に、ボーリングでも行こうという約束をして、ぼくもその日はそわそわしながらも、なるべく早く勤務が片付くように急いで働きまわった。その結果か、いつもより、15分ぐらいは早く、自由の身となった。
 でも、なにかの不都合で突然、そのボーリングはキャンセルになり、いつものように食堂で一日の最後の食事をとった。すこしだけ憂鬱な気持ちを噛みしめて。
 それから、何日ぐらい経ったことだろう? フロントに立っている、格好良い男が、その彼女と友人と出掛けたとのことだ。話が面白く、ぼくも好きなタイプの男性だったが、女性との関係でも手が早いというもっぱらの評判だった。まあ、そういうことか、じゃあ仕方ないな、と直ぐにあきらめの気持ちに切り替える。競争社会。
 さらに数日は経ったのだろう。特別な関係は作れなかったが、その女性と自然な形で親しくなり、一緒の夕飯の時刻にでもなれば、食堂で楽しく話もするようになった。
 ある日、彼女は非常に酔っ払い、その従業員の全員が知ってしまうぐらい、陽気になり多少荒れた。ぼくも、その声を自分の部屋で聞いた。女性に手の早い彼は直ぐに飽きてしまったのだろう。どちらのことも責めたような文章にならなければ良いのだが。半時間ぐらい過ぎたのだろうか、一帯はいつもの静かな夜を取り戻し、なにごともなかったようになった。
 だが、彼女は次の日に、昨日のことで面映い表情をして、皆の前に姿を表した。そのことを、ぼくはちょっと離れたところで二人になり、からかった。それで、彼女はいくらかいつもの素直そうな笑顔を取り戻し、誰にともなく「うるさくしてすみません」と言った。その痛々しそうな顔もまた可愛かった。
 時は流れ、フロントの彼と彼女が話すことも見かけなくなり、そんな関係があったのすら誰もが忘れているような雰囲気になった。あの年頃の女性の、選択の幅など、とても狭いものかもしれないし往々にして間違えることも多々あるだろう。でも、あの年代に失敗しなくて、人間なんていつしくじったりしたら良いのだろう。転べば、起き上がればよいだけだし、多少の膝の擦り傷なんて、いつの間にか本人も忘れてしまうことだろう。
 いくらかの時が過ぎ、彼女がその場所を去ることになった。その頃までには、ぼくも楽しく話すようになっていた。絶対的な人見知り。今後も競争社会を生きていくのに。
 立ち話程度だったが、いつも会話すると楽しい気分になった。彼女もよく笑った。女性の快活な笑い声ほど、若い男性を勇気付けるものがあるだろうか。
 その最後の日、午前の仕事が終わり従業員の寮に戻ると、荷物をカバンに詰め込んだ彼女が立っていた。
「これからも、頑張ってください」と彼女は、ぼくに言った。
 いつも、そんな言葉を聞いてきたような気がする。頑張ってください。卒業式にも、同級生の女性に言われた覚えがある。その当時も今も、もっと違ったニュアンスの言葉を欲していた。女性に、そのような励ましの言葉をかけられ、うれしいだろうか? まあ、少しぐらいは気分も上がるが、愛情により近い言葉の方が、もっと喜びも大きいはずだし、実際の活力にもなるだろう。
 そうして、彼女は消えた。その場で気になる女性が現れることは、もうなかった。
 しかし、今の自分は、彼女の笑い声は覚えていたとしても、名前の片鱗すら思い出すことができない。残酷な時が、渡れない川幅のように、あいだに挟まっている。
 競争社会を渡ってこれて来ただろうか? うまく行ったとも思えない。でも、まあ自分の能力程度にはやってこれたのではないだろうか。そう考えないことには、自分自身への辛い採点のために悲しい気持ちになるかもしれない。
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「考えることをやめられない頭」(17)

2006年10月30日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(17)

 同じ時間を共有し、適度な暇な時間さえあれば、同性の友人など春の蕾のように簡単に生まれるのかもしれない。そこで、ぼくにもそのような人が出来た。
 彼は、主にそのホテルの営業を担当していたようだ。東京にある営業所か、本社に出掛け、新しいお客を開拓したりしていたのだと思う。月の半分ぐらい出張し、そのような業務がないときには、そこのホテルに戻り、裏方として働いていた。
 東京にしょっちゅう行くこともあり、また会話の技術にも長けているので、好きになっていったのだと思う。でも、実際はただ一緒にいれば楽しかったのだろう。また、ちょっとした生活観の軽味みたいなものも持っていた。
 仕事が終わって、その人の部屋(同じ階の奥にあった)で多くの時間を過ごしていった。テレビやビデオを見て、他愛もないことも話し合った。ビデオの中の女性が、知り合いにそっくりだと熱中して話したこともあったっけ。仕事の手があいた昼間も、多分その人は車を2台持っていたように思うが、それに乗せてもらい自然の中も探索した。
 夜は、ちょっと離れた宇都宮まで車を飛ばし、夜のドライブも楽しんだ。途中の坂道には、車にお金と情熱をかけた連中が集まり、その腕を見せ合っていた。小さな社会の名声。自分の名をあげる方法がその土地によってかわる。ぼくの育った小さな町も多少の腕力さえあれば、受け入れられるようなところだった。そして、女性の視線もそのような方法で掴むのかもしれない。
 彼が、言ったこと。東京に一軒家を持っているなんて、凄いことだよ。と感嘆の声をあげる。自分の父はそうだった。その時、はっきりと自分の父を客観視してみた。自分はそこにずっと住んでいたので、あって当然だと思っていたのかもしれない。
 休みになると、彼は交際していた女性とどこかに出掛けていく。ある時、ふいに受話器を渡されその女性と電話で話したような気もするが、一体そのような状態で電話をかわり、突然、会話など弾むだろうか? 適当な言葉でお茶を濁し、その会話は終わったはずだ。
 そのような小さな関係を暖めていき、でも、そこから何も産まれないのが、もしかしたら友情なのかもしれない。その時間が快適に過ぎるならば、それ以上期待することはいけないのかもしれない。多くの、きしんだ関係を過ごして、ある時は逃げたり打ち切ったりしたこともたくさんしたのだから。
 たくさんの守らない約束。その場限りの固い握手。彼は、その女性と真剣に付き合っていたらしく、もし、結婚するようなことになったら、ぼくにも出てくれと言った。でも、実際のところ、二人ともどれほど確信があって、そのような言葉を呟くのだろう。彼が、その女性とどうなったかは一切知らない。だが、それで良いのかもしれない。その時は、嘘になるとも、守らないはずもないと、まじめに考えていた。
 その当時、たくさんの回数でCDプレーヤーに挟まった山下達郎の「職人」というアルバム。自分の部屋で聴くより、彼の音質の良い車で聴いたほうが心地よいので、その車に入れっぱなしになっていた。彼は、デートのときにもよくかけたそうだ。そして、ぼくがその地を離れるときは、その似合いの場所に置いておこうと思った。そして、実際にそうした。あと、もう一枚もぼくの手から離れた。
 ふと、現在に彼の車の中で聴いた音楽を耳にすると、その情景がすぐに思い浮かぶ。すがすがしい森林の空気。夜の道中。楽しかった会話。
 人生で何人か友人ができたけど、どこかで身体の成長にともない洋服を買い換える子供のように、取り替えてしまったことも否めない。でも、それぞれ、その時はとても大切で、信頼し、なにか心の奥の一端をみせたような気もする。
 みな、それぞれの立場で幸せになってくれてたらよいのにと思う。それを、確認する手立てもなく、思いの中でそう願うだけだが。 
 熱い関係を作ってこなかった。意図したのか、しないのかは分からない。でも、いま振り返ってみると、彼とは、どこかでまた会っても、とても楽しく会話ができるだろうな、と感じている。こころや記憶って不思議なものだ。さまざまなものが浄化され、一片のにごりもない透き通った水や空気のように、痛々しいほど美しいものが飛び出したりする。
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「考えることをやめられない頭」(16)

2006年10月23日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(16)

 優しさや、暖かさに包まれること。年上の女性。
 徐々に生活や環境になれてくると、思ったより自分の時間が見つけやすくなる。朝の食事をして、すこし午後までの空いている間に、おいしいコーヒーを飲みたくなると、ある女性の部屋でくつろいだ。そこで、ラジオや少ないカセットなどの音楽をかけ、会話を楽しむ。それぞれの生い立ち。過ごした時間。それを理解し合おうと、話すときぐらい楽しいことがあるだろうか。
 拒絶されない安心感。無防備なこころ。その部屋のなかでは、自分はそのような状態になれた。思ってもみないことだった。
 時間があると、そこにいくのが習慣化し、あたりまえのようになっていく。時には晴れた日で、カーテンをしめない窓からここちよく陽射しが侵入したり、また時には、小さな雨粒が窓の模様のようにくっついたりもした。
 コーヒーを、そう何杯もおかわりできる訳でもないが、そのくつろいだ時間を伸ばすため、わざとゆっくり飲んだ。
 逆に、職場内では夏休みの多忙のため、若い女の子を接客のために雇ったりもした。仕事をしているという感覚ももっていないらしく、彼女らは楽しそうに数人で話しながら、適当な気持ちで働いていた。そのことを、多くの男性たちは大らかに許していた。自分へしわ寄せが来るからだけではないが、自分はあまりいい気持ちがしなかった。
 そんなある日、仕事を終えて大きな風呂に浸かり、さっぱりした後、偶然に年上の彼女と一緒になった。いつもは、いつ入っているのだろうと思うぐらい遅い時間に利用していたらしいが、今日は、みんなと同じような時間に入っていた。だから、彼女のまだあまり乾いていない髪や、そこからただようシャンプーのにおいに吸い寄せられるような気がした。
 それから、どちらから誘うわけでもなく、ぼくも自動販売機のビールを買い、なくなってからは彼女の部屋の冷蔵庫に入っている数少ないビールを飲みつくし、遅くまで話した。
 人生が、安全さを探す過程なら、本来の自分にたどり着く途中の道筋なら、その瞬間だけは、限りなくそんな欲求にもっとも近づいていたような気もする。彼女もそんな気持ちを持ってくれていたのならいいが。
 誰にも傷つけられないこと。疎んじられないこと。はっきり自分だと認めること。やっぱり、いま振り返っても、そんなに多くはなかったような気がする。
 年上の女性。彼女が言ってほしいと思っていることを頭の中で絶えず探した。それは、見つかったり、空中に逃げ出したりもした。彼女が、若いときのことを思い出させること。こころの中に眠っている初恋の男性のように、自分がなったり振舞ったりする姿勢。
 ぼくも、そのような多少の演技で大人になったような気もするし、彼女にもいくらかの満足感を与えられていたらいいが。フレッシュでもなかったが。
 だが、彼女はそれから半月ぐらいで、ずっと交際をしていた男性のもとに行くため、そこから離れていった。うわさでは一緒に働いていた女性のもとに二人の写真が届いたと聞いたが、なぜか見そびれてしまった。
 美味しいコーヒーを飲んだり、多くはその匂いを感じるだけで、あの人のことを思い出して幸せな気持ちを抱いたりもするし、もっと数倍もその匂いとともに喪失感も浮かんできたりする。でも、誰かにあんなに優しくなれた自分がいたという記念で、たまにコーヒーを飲んだりもする。
 心の中で言ってもらいたいと願っていること。ぼくはそれが言えただろうか。そして、自分に圧倒的に自信をつけてくれた彼女の言葉と、小さなささいな仕草。
 これからも、そのような言葉を口から出したいと思っている。冷たい要素なんかもういいじゃないか、と決意を固めたいところだが、やはり人間。ときには後悔するような、ぞっとする発言もする。しかし、あの時自分はあんなに優しくなれたのだ。もう数回ぐらい出来ないはずがない。
 いままで言わなかったが、本当にあんな人がいたのだろうか、と記憶というのはとてもやっかいで心配になってくる。記憶の集大成。濡れた窓。コーヒーの湯気のたつ感じ。彼女の濡れた髪。そして、自分の口からでた優しげな言葉。
 だが、結局見ることのできなかった彼女と、ある男性の写真に、ぼくのこころは動揺したりする。
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「考えることをやめられない頭」(15)

2006年10月16日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(15)

 ある観念や理屈が先行しないと、先に進めなかったりする。年上の男性との付き合い方。友人たちは学生時代に簡単に先輩の懐に飛び込んでいったが、自分には恐い存在の兄がいたので、それが邪魔して、他の人のようには振舞えなかった。
 知らない場所に来て、尊敬できそうな男性に会う。そこのホテルの料理長をしている人。彼は、ぼくに優しく接してくれ、いろいろ思い出すことも多い。ぼくが来る前は、どうだったか知らないがお客さんが食事をしている間に、寮に戻り簡単に食事をとることもあったが、その姿を見ていたのか、見ていないのかは知らないが、その料理長がわざわざみんなのためにまかないを作ってくれ、ぼくらにも食べさせてくれた。それは、お客のためにきちんと用意されたメニューとは違い、とてもシンプルで美味しかった。思いがけないものが出てくるという喜びも大きかったかもしれない。
 このようなこともあった。ある日、ホテルの車が鹿をはねた。その車はあっけなく廃車になったが、その鹿を仕事の合間を縫って、ワゴン車に乗せて持ち帰った。それを、やはり調理に長けている人たちが捌き、鍋を作ってくれた。その大量に入った肉をおそるおそる食べてみた。驚いたことに、そんなに堅くもなく、寒い身体を真底から暖めてくれる食べ物だった。あのように食事をして体内が暖まるような経験をしたことがない。身体の中が妬けるようだった。でも、連れてくる最中、車の中で風が逆流し、死んでしまった動物のにおいも強烈だった。
 ほかにも、庭に無造作に生えている舞茸の味噌汁も作ってくれた。彼の手にかかるとすべてが美味しくなった。
 夜は、ホテルの地下にあるバーを経営していて、具体的にどういう形態だったか分からないが、そこでぼくも仕事が終わった後、お酒を飲ませてもらった。時には、ウイスキーの飲みすぎのため、二日酔いで次の日が辛かったこともあったりしたが。
 ある日、彼が車を出してくれ、(とても乗りやすかった外車)いろいろと近辺を回ってくれた。ランチや夕食のテーブルのサービスを担当している女性たちも混じり、買い物をしたり、気に入ったものをつまみ食いしたり、とても面白い一日だった。その帰り、日が落ち始めたいろは坂を、車から流れる井上陽水さんの音楽をBGMにすべるように走る車中で聞いたことを、いまでも忘れられずにいる。
 彼が言ったこと。ぼくを見ると、自分の若い頃を思い出す、とぼそっと語ったのが耳に入った。頑張っている姿。そして、年上の男性に接するときは、その人の若い頃を思い出させるように、反省点や、失敗や助けたいといういろいろな気持ちもあるかもしれないが、そういう思い出をふたたび浮かばすようなことが必要なのではないかと、その時のぼくは思った。そして、いまも変わらず念頭にあるのかもしれない。
 あの時のぼくには、ああいう理想ともいえる存在が必要だったのかもしれない。もっとたくさんのことをしてくれたはずなのに、少しの食べ物と楽しい経験でしか語れない自分。こころの奥の深い部分に刻み付けられるように、たくさんのことを学んだと思っていたが、この場に出すのは早いのかもしれない。でも、ああした男性になってもいいよな、と今でも考える。人から頼られるような存在。
 一度だけ、強く怒られたような記憶もあったはずだが、さっぱり思い出せずにいる。あれは、なにをしたときだろう。まあ、いいや。いつか、長い時が解決してくれるかもしれない。もちろん、解決しないかもしれない。
 ときに父で、兄でもあり、理想でもあった人を見つけた。そういう存在に飛び込めた自分。あれ以来、もう表れなかったかもしれない。
 本や、映画などの手本ではなく、目の前にいて、貴重なことを教えてくれる人たちなんて、そうはいないだろう。ぼくは20代の前半にそのような模範を見つけた。忘れられない人々。記憶の逆転勝利。
 そのような人に似てきているのだろうか。結論はまだ早い。だが、あの時の食事がぼくの一部を作っているとしたら、そこであった人たちのもろもろの過程も、自分の一部に確かになっているのだろう。今のところ、表面に出て来なくても。
 若い人に影響を与えられる存在を見つけたことを、幸福だとも気付かないぐらい自分は若かった。
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「考えることをやめられない頭」(14)

2006年10月10日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(14)

 ホテルのとなりに従業員の宿泊施設があり、そこに案内される。ひとりひとりに個室が与えられ、部屋の広さは、6畳ぐらいだろうか。狭すぎもせず、広すぎもしない、その部屋に入り、ドアを閉めた。その片隅に荷物を置き、ベッドに腰を下ろす。窓の外には、美しい緑が見える。まわりの自然が音を掻き消すのだろうか、あたりは静かだった。その風景と心が一致し、やっと、ほっとする。だが、これからどうなるのだろう。
 少し休んでから、3時くらいになり、皆に紹介されるのをかねて、ホテルの厨房に案内される。そこで、お客さんのテーブルをセットしたり、夕食の時間になる前に、さまざまなことを準備したりした。
 食事が終わると大量の皿が運び込まれ、大型の洗浄機と、細かい部分は手で簡単に洗ってから、そこに突っ込んだ。それが終わると自由になり、ホテルの奥にある温泉を使った。はじめての日に鏡に自分の全身を映すといくらか贅肉が目立った。
 温まった身体を外に出し、すこし廊下を歩くとロビーでお客が読み終えて、ほぼ一日の仕事を終えたハンガー状のものにぶら下がっている新聞を手にした。ささいな記事も活字が好きな人間にとってはご褒美になる。
 何回か、そのような一日の行程をすごして、その夜のロビーで暗い中庭に目を凝らすと、自然の鹿が跳び回っていた。ほんとうの躍動感というのは、こういうものだったのか、と都会暮らしの人間はいたく感動する。
 朝は、7時半ぐらいに起き、簡単に洗顔を済まし、やはり朝食の後片付けをする。それが終わると食事になり、なかなか美味しい料理が出され、ご飯も労働の後はたくさん食べられ、でも直ぐに腹はこなれていった。
 食事が終わると、3時ぐらいまで暇になり、近くのキャンプファイヤーが出来そうな場所で本を読んだり、近くの牧場でアイスや新鮮な牛乳を飲んだり、部屋で音楽を聴いたりした。小さいCDプレイヤーを買い、好きになり始めていたジャズも聴いた。
 外の日差しは強いが、標高が高いせいなのかまったく汗もかかず、ただ身体だけは黒くなっていった。環境に順応し、本と向き合ったり、自分のこころを覗き込んだりする生活が戻ってきた。馴れ合いだった友達もいなくなり、自分の存在のつまらなさや、小ささも感じることも多かったが、それは、今の自分なのだから仕様がないし、見せ掛けの自分ではない、本来の自己を取り戻せそうな気もした。それより何より、自分のことを自分が好きにならないでどうなのだろう、と当たり前の考えに到達する。でも、大半は、身体を動かして作業をしている間は、もろもろのことを忘れていた。
 休憩時に飲むコーヒーがうまかった。水のせいなのだろう、こんなに美味しいコーヒーが飲めるなんて、といたく感動する。
 時間がある時は、ちかくの小さな池がある場所に足を向ける。ほんとにきれいな透き通る水で、そのまま口に持っていけそうな、新鮮そうな色や、手触りだった。そこを、ぼんやり足の向くまま、小さな坂や、見たこともない木の実をみつけながら歩くのが段々と好きになってくる。天気の良いときは、週に3、4回もそっちの方面に足が向いた。
 爪が伸びると、爪切りを持って行き、外で切った。耳障りな音もなく、都会のノイズもほとんど耳に入らない。数週間で、その環境に安らぎを覚えていく。
 働き始めて、夜の風呂場で鏡に身体を写すと、徐々に肉体労働の成果が出て来ている。ある作家の言葉を思い出す。哲学者の顔に、肉体労働者の身体。自分も、そのようになりたいと、少しだけ思ったりした。
 もちろん、自然もよかったが、気になるのは、人間のこと。良い人たちとも今後会っていく。その影響を受けたことを、残してもみたい。ある関係を断ち切ったが、でも絶対的に人間を信頼しようとしているのだろうか。年上の男性。年上の女性。友人。同年輩の女性。ここで形作られたことも多かったかもしれない。
 人間と触れて、その摩擦やぬくもりが、まあとにかく生きているってことになるのだろうね。本や音楽を、すこしだけ横に置いて。
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「考えることをやめられない頭」(13)

2006年09月20日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(13)

 巷での夏休みを直前に控え、暑くなる前に履歴書を郵便でやりとりし、日光のホテルで働くことになった。その日になって地元から数駅で電車を乗り換え、あとは段々と停まる駅が少ないものに乗り継ぎつつ目的地に向かう。風景は、徐々に緑色の率が増えていく。その分、期待も高まっていく。本も手にしていたはずだが、そのような心の状況では、あまり理解もできないだろう。そして到着。小学校の林間学校以来のその場所。
 駅前には、どこも似たような観光地のお土産屋がある。今回は、そうしたものには見向きもしない。
 なぜ、そこを選んだのだろう。分からないが自然の雄大さを理解するには、東京から近いこともありながら、その割りに自然度にはまっていくメリットが多いからだろうか。だが、本当のことは分からない。ただ旅行をするだけでは見えてこないものを、掴みたいのか。
 駅で、ガイドになるようなものを探したが見つからず、結局バス会社のカウンターで相談し、その場所に行く路線バスのチケットを買った。そこに乗り込み、あとは身を任せるだけ。とうとう東京を離れたのだ。とにかく、うるさい関係性を絶ったのだ。だが、人間関係はどこでも繋がらなければならない。まばらなバスの中で運転手と話す。その日は雨が降っていた。日本特有の霧雨なのか。大して降っていないような感じはするが、いつのまにか服がしっとり濡れていくような。
「そこのホテルで働くんですよ」
 どこで、降りたらいいのか訊いたときに、運転手はぼくを旅行者とでも思ったのか、質問したときの答え。
「そう、良かったね」と愛着のある笑顔で運転手は言った。
 バスは揺られる。前に見たときのあるような眺め。赤い橋。そのきれいな欄干。風流な名前のついているバス停たち。
 さらに急な坂を登り始め、右に左に車体は傾いた。同じように自分のこころもいくらか動揺した。バスは、きれいな湖の横を通り、よりいっそう険しい道に入っていきそうな気がしたが、特別そのようなこともなく、安定性のある運転を続けた。
 バスは、目的地の前まで行くコースと、そこまで入らない大通り止まりのコースがあったが、ぼくの乗っていたのは、前までは運んではくれなかった。途中でも乗客はあまり乗らず、少ない乗客のまま、そのバスから降りしなに、「じゃあ、頑張ってな」と優しく、なおかつ威勢のいい掛け声を後ろに浴び、運転手とも別れた。不思議なひとときだ。
 そこから、10分前後の舗装はされているが、森のような中を歩いた。風景が変わらない所為か、こころもち長く感じる。でも、高原特有の、静かなきれいな、ちょっと湿っぽい空気が流れている。左右を見回しても、人工的なものは少なくなり、そのためか自分をちっぽけな存在と感じる。いくら勉強したって頭の中の問答ではなく、こうした適切な環境に入れば、役に立つことと、また無駄なことの判別がつくような気もする。
 地図もなく、標識もなく、ただ運転手から聞いた、まっすぐに道沿いに歩くことという言葉だけを信用し、向かっていくとやっとホテルらしきものが目の中に入ってきた。その前には、牧場があり雨の降っているせいなのか数頭の牛が、ひっそりといるだけだった。彼らの現状を甘んじている態度だけが目立った。
 ホテルの正面にいる。ホテル名を見る。そうだ、ここだ。だが、間違えようもない。数件が並んでいるようなところでもなかった。ただ、大きい建物だったが、この地域の忘れ物のような印象もあった。まだ、駐車場にも、そう車は多くなかった。
 傘をたたみ、ロビーに入る。カウンターに向かう。従業員が2名いた。両方とも男性で、ここら辺りの出身の顔つきをしていた。地元の採用が多いのだろうか。とりあえず一月ちょっとの約束だし、適当に環境にも馴れ、すこしばかり金をためて帰ろうと思っていた。そんな自分には、彼らと関係を作っていくのか、違うのかも分かるはずもなかった。
 用件を言い、きちんと話は通じているのか心配したが、ほんの少し待ち、そして裏から呼び出されたのは、カウンターに立っている者より、もう少し年配の男性が出てきて、こちらの用件を理解した。
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「考えることをやめられない頭」(12)

2006年09月13日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(12)

 バイトをしては、やめての繰り返しで食いつなぎ、それでも親元にいたので、今までなんとかなった。そのことがいい加減、父親の目に余るようになっていき、きちんと就職するように強要された。父親は、倒産しないような会社に勤めていた。あの頃は、倒産とかリストラとか、あまり現実味を帯びた恐怖でもなかったような時代だが。
 自分は、この世の中でなんとかなるような存在だと思っていた。ある日、なにかのきっかけで、誰かの目に留まり、ちょっとした幸運をブレンドすれば、新しい未来が予想されるような気でもいた。すべてが、人任せのような、手を汚さない幸運でもあった訳だが、もちろん、そう望み通りに性急に訪れないのが、幸運の正体かもしれない。
 なんとか、すり抜けるように誤魔化していたが、ようやく決心して、就職試験をうけようとも思った。コネもあるし、そこそこの点数と面接をクリアすれば、合格だと思っていたので、もう開放的な青春期に、きっぱりと別れを告げる時期が来たとも思っていた。そこまで、あきらめの状態に、たどり着くのにも簡単ではない、さまざまな内なる声と格闘した。もしかして、文章を書いて生活をするとか、発行部数の少ない雑誌の片隅にでもある、人にも読まれない記事でも書くような、プライドの持てないような仕事でも、回ってこないかなとも、こころのどこかで考えたりもした。しかし、実行されないのが、空想の決まった形。
 そして、その日が迫ってきた。早めに起きて、ある程度、きちんとした服装をして出掛けた。まあまあの筆記テストと、面接はあったのだろうか? もう思い出せずにいる。空いた腹を道連れにして、そこを出た。清々したと同時に、きちんと会社勤めだというある種の暗い気持ちも抱く。それを解くように、帰りにCDショップに寄り、エリック・ドルフィーのアルバムを買う。
 家に帰って、それを聴くと、やはり心底から力のある芸術って、人を変えてしまうような力を有している。自分の、潜在的な力を信じること。思っていることを実現させることに、意識を集中させたくなる。
 それから、何日ぐらい経ってからのことだろう? その試験に自分は全力を出したつもりで、親のコネもあったし、受からないことなどは、考えてもみなかったのだが、実際の結論は落ちていた。そのことに、自分でも、逆にショックだった。さまざまなことを投げ出しての決意だったのに。
 その気持ちを知らない父は、自分が適当な気持ちで、よりいい加減な力でテストを受けていたとも思っていた。普段は、温厚な静かな父だが、酔うとそのことを持ち出し、自分のことをチクチク責めた。もちろん、大人になっている自分はそのことに対して正当な責め方だと認めざるを得ないが、若い自分は腹立たしさのあまり、口も閉ざしたし、それ以上にこころの奥を完全に閉ざした。そうした二人が同じ家に住んでいて楽しいわけもなく、ぎくしゃくした関係は、かなり長く続く。それでも、心を正直に音に乗せたジャズなどを聴くと、いくぶん救われた気持ちになる。
 あの頃の自分は、一体なにになりたかったのだろう? 大向こうの反抗ではなく、いつもささやかな抵抗。負けることがわかっていながらの地下からのレジスタンス。
 気分をひっくり返すほどの圧倒的な楽しみもなく、それでもいろいろ学びたいことはたくさんあった。仕事の合間に、その限られた小さな時間に、ひとは楽しみを見つけ、費やし、育んでいるのかもしれない。だが、自分はそれでは嫌だった。もっと、多くの時間を、もっと多くのレコードを耳にしたり、読んだり心を豊かにさせる時間がほしかった。
 でも、ある時期の日本という経済的に繁栄させた世の中に住んでいる人間だけが許されたことかもしれない。今日一日のパンのため、あくせく努力している国々だって大勢あるだろう。
 自分のちからを信じたかった。自分の天分を伸ばしたかった。もっと簡単にいうと歴史に自分という存在がいたことを、かすかでも残したかっただけなのかもしれない。
 その、他者との違いを、自分でも不安視していたのに、他の人が分かるはずもなく、一緒に住む家族にももっと理解されるはずもなく、家からも、周りからも、世界からも、一員として認められていないような気がしてきた。
 ある日、またもやつまらない説教をきかされ、過去の失敗を蒸し返され、自分も虫の居所が悪かった所為か、この場所から逃げ出そうと思った。多少、金を稼ぐには、ちょっと離れたところで働いてもいいかなと考えた。この辺が潮時だ。
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「考えることをやめられない頭」(11)

2006年09月08日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(11)

 過去のわだかまりが気になり、それを一つでも解消したいと思っていた。その一番大きかった原因が溶けていく角砂糖のように、形ちを失っていく。
 あさ、目覚めて最初に思い浮かぶことが、その人の信仰である、と言った人は誰だったろう。再び彼女を取り戻そうとしている自分が眼を覚まして思い出すことといったら、まず彼女の顔だった。そして、街中でも似ている髪形の女性や同じサイズの背中を自然と探す。
 また、電話の前で時を過ごすようになる。そして、会うようにもなる。別れることが、切なくなることもある。たまに彼女の家に寄った。小さかったがきれいに片付いている、井の頭線で数駅のアパートだった。
 だが、こうなれば上手く行くはずだと、頭の中で何回もイメージした事柄が、実際そのような状況に自分の身を置いてみると、しっくりいっていないことに気付く。気付かないように何度も、その気持ちを打ち消したが、以前に彼女と過ごした魔法のような瞬間が消えていきはじめていることを、ある日、動かない事実として、目の前に提出された。前には考えられなかったことだが、些細なことで喧嘩した。謝る回数もめっきり減った。彼女からも、自分のこころから素直に謝罪したり、不快な隙間があることにに後悔したり、それを埋め合わせることもなくなっていった。
 そういうことが何度も続き、結局、二人は距離を置くことになる。冷静になったら、またやり直そうよ、という軽い感じで。それから、電話の回数も減り、会うこともそれ以上になくなり、朝起きて、彼女の存在を真っ先に念頭に置いたり、最前列に並べたりすることも消滅した。
 会わないでいたときの方が、どんなに好きだっただろうか。彼女を苦しめたかもしれないと、反省していたときの方が、どんなに大切に思っていただろうか。
 もっと若いとき、世の中には選択の問題などありえないと考えていた。すべては、運命の扉を開く、イスラエルの預言者のように海も割れるような気がした。しかし、今の自分はすべてに戸惑っている。
 連絡も取り合わなくなって一ヶ月ほど経ち、手紙が来た。今まで、また会ってからも含めて、とても楽しかった、と書いてあった。そのフレーズが、この関係を過去のものにしようとしている具体的な証拠に見えた。そして、彼女がいなくなった。こころの空洞は、また一つかわりに増えた。
 物事を失っていく人たちに興味を持っていく。また、それを克服しようとしている人々には、さらに憧憬の思いを抱く。肉体的なハンディ・キャップをものともしないスポーツ選手。理想的な仲間と別れてしまった人。
 ジャズ・ドラマーのマックス・ローチという人。天才的なトランペット奏者と堅実なピアニストの二人のメンバーを車の事故でなくし、バンドも解散してしまった。
 マーヴィン・ゲイというシンガー。パーフェクトな関係だった女性歌手とのデュエットを、やはり女性が亡くなったため解散してしまった。そうしたことに感情移入しないわけにはいかなくなってしまった。
 だが、こころのどこかで再生しなければと必死に願う。このまま、ずるずるとその痛みを引きずって生きていくには、あまりにも人生の先は長すぎる。
 彼女からの手紙を捨て、残っていた写真も燃やしてしまった。その行為が、すべての解決の糸口のようにして挑んでみたが、そう簡単にこころの荷物などなくなるわけでもなかった。
 彼女とまた会った秋の初めから、冬になり、よく風邪をひくようになった。上手く行かなかったことを何度も頭の中でリピートをしては、自分で採点した。そして、そのことはいつも合格点を与えられず、進級できない学生のように、ある日、見かけより年寄りくさくした。
 頭の中から追いやれず、それでも時間だけは過ぎ、木々も芽生え春が近づいていった。もうあまり悩みたくないとも思っていた。だが、こうした頭や思いの巡りは、生まれつきなのかもしれないと、なかば明るい思考を発展させることは不可能だとあきらめかけてきている。
 ニューヨークのユダヤ人。とくにマラマッドなどに興味をひかれるのは、時間の問題だったのだろうか。選択を信じているのか? 運命の扉が開くのを待ち望んでいるのだろうか? もうあまり人生に期待しなくなっていた。その代償としての喪失に嫌気がさしてきた。
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