「考えることをやめられない頭」(25)
やはり、自分の確固たる居場所や土台もなく、ぼくは町の中や、自分自身においてさえ流浪している。そして、はっきりとしたゴールも、当然のように見つけられないでいた。
兄の子供と遊ぶ数時間、それも終わると彼らは自分の家に戻っていった。ぼくも、常に自分の終着駅である落ち込んだ定まらない心に戻っていった。
ホテルで稼いだ金は、かなり量のCDと、数着の洋服と、何回かの美術館通いなどで消えていった。そうなる、運命をその金銭は持っていたように、いまの自分は思えたりもする。結局、自分の知りたいことや使いたいことはこうだったような薄い確信みたいなものまで芽生える。
だが、そろそろはっきりとした方向性を見出そうと、人生において舵取りだけはしっかり取ろうと思ったが、なかなかぼくの人生はゆっくりとしすぎ、そのスピードを上げなかった。
また、もう一度、東京を捨て、どこかで働こうと考え出す。以前と同じように履歴書が郵便で送られ、電話で答えがある。また、荷物をつくり、いくつかのものにさよならをする準備をする。今度は、きっちりと目的や居場所を何人かに告げ、すこし大きくなって帰ってこようと思っている。何度も、こうして何かから逃げ、いくつかのものを拾い、義理を避け、少数のこころに傷をつけてきたような気もする。だが、生きることは、つまり他人への迷惑で成り立っているのではないだろうか? そして、多かれ少なかれ自分のこころにも、傷をうみだし化膿する前に、大事になるまえに癒したりしている過程だけではないのか? いや、もうすこし地上はましなところだよな。
ダンボールに入った何十枚かのCDを梱包し、それをレコード屋に送ったら、いくらかの金が銀行に振り込まれた。それで、航空券を買い、目的地に向かう準備は整った。どんな運命が自分をまっているのだろう。
あさ、通常のように起きるが、これで東京で、それもかなり端で起きる最後の朝だ。荷物を整理し、そして点検し、家族が使い古したカメラを潜ませ、完全に荷物は整った。
最寄りの駅で電車に乗り込み、神奈川の方まで続く路線に乗る。すこし感傷的になる。なんだかんだ20数年も、この汚い空気の町で暮らしてきたのだ。心の痛みも許されるだろう。それから、乗換駅でモノレールに換えた。
チケットを握り、ラウンジで飛行機を待つ。観光シーズンでもないので、あたりは閑散としている。それでも、数人の忙しそうなビジネスマンは携帯でなにやら交渉し、小さな何も入りそうもないバックを持った女の子は、はしゃぎながらもお母さんのスカートのすそを真剣につかんでいた。これを離すと、すべての社会との関係が断ち切れてしまうとでもいうように。
そして、待っている。人間の通常の営みの「待つ」という出来事。ぼくらは、幸運を待ち、溶けた角砂糖のような小さな希望を待ち、来るかもしれないが多分、来ない確立のほうが多そうな勝利の女神の微笑を待っていたりする。
やっと、アナウンスの声が、そこにすわっているぼくの耳に響く。もしかしたら、ずっとここで座って、うなだれて待っていた方が良かったのか? しかし、腰をあげ、自分を幸福に連れてってくれる偽者の予感を服のポケットにでもしまうようにして、そこを立ち上がった。
飛行機内の座席に座る。新聞や雑誌に目を通し、ラジオの放送の曲を調べる。レイ・チャールズの特集があるようだ。
その狭い中を、人気のあった職業の女性たちが忙しそうに働いている。そうしている間に目をつぶっていたら、眠くなった。それから、気がつくとアナウンスがあり、すべての飛行機の蓋がしめられ、密室になった。自分には幸福がいつか訪れるのだろうか。安心して眠る猫のように、自分らしくいられる空間を逃さずにつかみ取れるのか。そもそも、自分の居場所は、この地球上にあるのだろうか。自分の象徴的にいって、居心地のよい座布団や、身体を伸ばせるソファはあるのだろうか。もし、あるなら抱え込んで離さないようにしなければ。
ある種の爆音が耳につんざく。もう、この物体は飛ぼうとしている。その準備は完了したようだ。手元には、イヤホンがある。もう少しで、視力は持たずとも、その唄で世界をとりこにし、自分の人生を表現できたソウルフルな歌声が待っている。自分は、健康なのだし、まだ年齢も限界にきているわけでも、まったくないのだから、この世界ともう少し格闘する勇気が湧く。そうしていると、不思議な重力の変化があり、ぼくを目的地まで運ぼうとする。
(終)
やはり、自分の確固たる居場所や土台もなく、ぼくは町の中や、自分自身においてさえ流浪している。そして、はっきりとしたゴールも、当然のように見つけられないでいた。
兄の子供と遊ぶ数時間、それも終わると彼らは自分の家に戻っていった。ぼくも、常に自分の終着駅である落ち込んだ定まらない心に戻っていった。
ホテルで稼いだ金は、かなり量のCDと、数着の洋服と、何回かの美術館通いなどで消えていった。そうなる、運命をその金銭は持っていたように、いまの自分は思えたりもする。結局、自分の知りたいことや使いたいことはこうだったような薄い確信みたいなものまで芽生える。
だが、そろそろはっきりとした方向性を見出そうと、人生において舵取りだけはしっかり取ろうと思ったが、なかなかぼくの人生はゆっくりとしすぎ、そのスピードを上げなかった。
また、もう一度、東京を捨て、どこかで働こうと考え出す。以前と同じように履歴書が郵便で送られ、電話で答えがある。また、荷物をつくり、いくつかのものにさよならをする準備をする。今度は、きっちりと目的や居場所を何人かに告げ、すこし大きくなって帰ってこようと思っている。何度も、こうして何かから逃げ、いくつかのものを拾い、義理を避け、少数のこころに傷をつけてきたような気もする。だが、生きることは、つまり他人への迷惑で成り立っているのではないだろうか? そして、多かれ少なかれ自分のこころにも、傷をうみだし化膿する前に、大事になるまえに癒したりしている過程だけではないのか? いや、もうすこし地上はましなところだよな。
ダンボールに入った何十枚かのCDを梱包し、それをレコード屋に送ったら、いくらかの金が銀行に振り込まれた。それで、航空券を買い、目的地に向かう準備は整った。どんな運命が自分をまっているのだろう。
あさ、通常のように起きるが、これで東京で、それもかなり端で起きる最後の朝だ。荷物を整理し、そして点検し、家族が使い古したカメラを潜ませ、完全に荷物は整った。
最寄りの駅で電車に乗り込み、神奈川の方まで続く路線に乗る。すこし感傷的になる。なんだかんだ20数年も、この汚い空気の町で暮らしてきたのだ。心の痛みも許されるだろう。それから、乗換駅でモノレールに換えた。
チケットを握り、ラウンジで飛行機を待つ。観光シーズンでもないので、あたりは閑散としている。それでも、数人の忙しそうなビジネスマンは携帯でなにやら交渉し、小さな何も入りそうもないバックを持った女の子は、はしゃぎながらもお母さんのスカートのすそを真剣につかんでいた。これを離すと、すべての社会との関係が断ち切れてしまうとでもいうように。
そして、待っている。人間の通常の営みの「待つ」という出来事。ぼくらは、幸運を待ち、溶けた角砂糖のような小さな希望を待ち、来るかもしれないが多分、来ない確立のほうが多そうな勝利の女神の微笑を待っていたりする。
やっと、アナウンスの声が、そこにすわっているぼくの耳に響く。もしかしたら、ずっとここで座って、うなだれて待っていた方が良かったのか? しかし、腰をあげ、自分を幸福に連れてってくれる偽者の予感を服のポケットにでもしまうようにして、そこを立ち上がった。
飛行機内の座席に座る。新聞や雑誌に目を通し、ラジオの放送の曲を調べる。レイ・チャールズの特集があるようだ。
その狭い中を、人気のあった職業の女性たちが忙しそうに働いている。そうしている間に目をつぶっていたら、眠くなった。それから、気がつくとアナウンスがあり、すべての飛行機の蓋がしめられ、密室になった。自分には幸福がいつか訪れるのだろうか。安心して眠る猫のように、自分らしくいられる空間を逃さずにつかみ取れるのか。そもそも、自分の居場所は、この地球上にあるのだろうか。自分の象徴的にいって、居心地のよい座布団や、身体を伸ばせるソファはあるのだろうか。もし、あるなら抱え込んで離さないようにしなければ。
ある種の爆音が耳につんざく。もう、この物体は飛ぼうとしている。その準備は完了したようだ。手元には、イヤホンがある。もう少しで、視力は持たずとも、その唄で世界をとりこにし、自分の人生を表現できたソウルフルな歌声が待っている。自分は、健康なのだし、まだ年齢も限界にきているわけでも、まったくないのだから、この世界ともう少し格闘する勇気が湧く。そうしていると、不思議な重力の変化があり、ぼくを目的地まで運ぼうとする。
(終)