爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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メカニズム(9)

2016年07月30日 | メカニズム
メカニズム(9)

 母の病状はそれほどでもなかった。その代わりというかひとみの仕事が問題になった。彼女は一時的に生活を立て直すために選んだだけだと言い、同棲相手が無職だとは告げなかった。染まらない無色かもしれない。

 ぼくは不在の間、言われた通りにゴミを出して、光熱費をコンビニで支払った。どちらかの口座に依存することもないが、その分の金額をひとみはテーブルに置いていった。ぼくはそのままレジの店員に支払用紙といっしょに渡しただけである。手数料を請求しない分、大人である。

 ぼくはとなりのコーヒーショップで買った持ち帰り用の容器をつかんで公園に向かっている。仕事をしない日がまた一日だけ増えた。転がる雪だるまのように段々と大きくなり、かさが増す。

 コーヒーを誰もが飲む。なぜ、この公園にも植えないのだろう? 豆粒を埋めたら咲くのだろうか? 苦みの良さに気付くのも大人である。大人の定義を考える。苦さや辛さと辛さ(からさとつらさ)を受け入れる。お金を稼ぐ。自分以外のものに躊躇なく使う。赤字にならないように努力する。納期までにきちんと終わらせる。いまのぼくには、どれもない。だからといって子どもとも言えない。責任感が生じる場所にいないのだ。

 ベビーカーを押す母親にポッとする。所有者がいる。すると電話が鳴った。最寄りの駅に着く時間をひとみは教えてくれる。ぼくの自由も終わりである。不自由は終わっていない。逆だろうか。

「あの、山形さんですよね?」きれいな母親に声をかけられた。チャンスはピンチである。
「そうですけど、どこかで会いましたっけ?」忘れるわけもない美人。話を聞くと、前の会社に出向いていた保険会社の女性であった。ラフな格好だと分からないものだ。
「いまも、あそこに?」
「いや、辞めてしまいました」無鉄砲の主張。

「あら、なんて、もったいない」古風な言い回しは前からの癖だった。「でも、もっと上のクラスの会社に転職されたとかですよね?」

「恥ずかしながら、無職です」もしくは、無色かも。ヒモにも似ている。言い訳はよそう。ひとつのウソが身を破滅する誘因になることもあり得るのだから。

メカニズム(8)

2016年07月27日 | メカニズム
メカニズム(8)

 どこで、どう伝わったのか分からないが、またお店に来てというお誘いのメールが来る。ひとみはひとの電話をいじらないタイプ(人類の確認好きの割合は未知数)だ。ぼくは数回、無視する。顔も覚えていない。名前も忘れていた。しかし、文字を読むことを止められない。

 無職という立場にいるとお金を貰える。ぼくは通帳を記帳する。ぼくの価値に見合ったお金が振り込まれている。パーティーなど開けない額だ。川べりで風を感じる。無償ということを考えていた。ポケットに本がある。そのポケットに小さな穴がある。人類には穴があり、全体の半数はひとつ多い。

 棒があるために、ぼくらは金をつかってしまう。もてるという優越感をくすぐられて、にやけてしまう。運命のひとりは誰かにモーションをかけているのだろうか。嵐にのってビニール袋が飛んでいる。意志もない。あのようになってみたかった。

 電話がなる。ひとみからだった。田舎の母の具合が悪く、急に帰省することにしたと言う。

「突然だな。送ろうか?」もしくは、いっしょに行こうか、だった。
「大丈夫だよ。することメモしたから、ゴミとか、集金とか入金とか」
「うん、分かった」

 ぼくは立ち上がり、見失ったビニール袋を探すも、どこにも上空にはなかった。あのようになれれば。

 家に着き、ひとみの筆跡を見る。冷蔵庫のなかはきれいになっている。浴室もトイレも同様だ。整頓の美学。ぼくは窓を開け、いくらか女性的過ぎるカーテンを揺らす。洋服と下着の数枚がこの部屋から減る。ぼくはそれを当てられるだろうか。

 いつか、全部なくなるかもしれない。反対におむつと小さな服とガラガラが増えるかもしれない。音の鳴る靴もある。満遍なき自己主張。ぼくは立って、トイレを汚す。不安定な棒。洞窟。ペーパーをカラカラと鳴らして。あたりを拭く。満遍ない掃除。現状維持もなかなかむずかしいものだった。

 風を浴びながら昼寝をする。ぼくに向いた仕事は夢のなかでもなかった。


メカニズム(7)

2016年07月24日 | メカニズム
メカニズム(7)

「そんなに本を読むんだったら、自分でも本、書いてみたらいいのに」

 簡単な論理。

「じゃあ、野球をたくさん応援したら、野球がうまくなる?」女性と討論などするものではないという提案を無視する青年。

「屁理屈。言い逃れ。無責任。逃亡者」起き抜けの女性はなぜか頬を掻く。そして、冷蔵庫からオレンジ・ジュースを取り出してコップに注ぐ。「自分の方が、よっぽど賢いと思っているくせに。顔に出てるよ」

「ま、否定もしないけど」では、なぜ、無職に甘んじてお金を稼げないのだ。「きょうも、仕事を探しに行くよ」それが仕事、とこころのなかで言う。
「いってらっしゃい。働かなくても済むようにしてみせるから」ひとみは力こぶを作る。柔らかそうな白い肌。

 直ぐに、自分に見合った仕事がないことを理解する。数駅、電車に乗って映画館に入る。暗闇は母体でもある。この日はフェリーニが特集されている。賢い人間は、フェリーニの世界観も理解しなければならない。

 しかし、眠気と戦っている。オレに、理解させないこの展開はなんなのだ? これは映画なのか? 地道にストーリーを追いたい。死にゆく女性を健気に看病する男性に感情移入して、完璧なまでに没頭してただ泣きたかった。女性の味方として。

 一本目が終わり、トイレに立つ。軽食も買う。時間は底なしにあり余っていた。

 二本目は「道」だった。手におえる。失くしたものは、なくなってはじめてね。ぼくは前の仕事について考えていた。未練はない。ただ、時間のやり繰りに困っていたころが懐かしい。

 夕飯をファーストフードで済ませる。合間に本を読む。読むのがなければ、いや、もしあったとしても、書いてもいい。世界に一冊、読まれない本が増える。フェリーニ並みに難解でもいい。たくましく育ってほしい。

 ぼくは、夜の道をとぼとぼと歩く。自分に向いている仕事か。油断していると客引きのお兄さんに声をかけられ、そのまま、研究と勉学のためにホステスの横にすわる。

 ひとみがいるところより二割程度、品性がないところであるのだろう。もっとか、四割ぐらいか。だから、となりの女性もそのマイナス分を請け負っている。引き受けている。誰も、アニタ・エクバーグでもなく、また誰もジェルソミーナほど純真でも、天真爛漫でもない。しかし、美女といる緊張感を強いられずに飲んでいると、ここも快適であり、品性の堕ちた竜宮城でもあった。ぼくも、黒い服を着て、客を招く才能があるだろうか? 気付けば、当面は、働かなくてもいい身分なのだと思い出す。ありがたし。また、うらめしい。


メカニズム(6)

2016年07月22日 | メカニズム
メカニズム(6)

 しかし、アイドルとしては成功しなかった。成功の定義とはなんだろう? 有象無象の輩からチヤホヤされる。幸せな結婚をして、子どもを複数人生む。雑誌の裏のきらびやかで薄っぺらなお金と色恋についての願望の広告の写真。ぼくは、つい、購入してしまった画集を熱心に見つめながら、いろいろと考えていた。

「絵、見に行ったんだ?」
「気分転換でね」

「言い訳はいいよ。気にしてないから。そのうち大きな人間になることは確信してるからね」ひとみのこの予測はどこから来るのだろう? 「それより、疲れたから足揉んで」偉大な人間になれるぼくに、こういう注文をする。ひとは矛盾でできている。「明日は?」
「とくに予定なし」
「給料出たから、おいしいものでも食べようか」

「悪いね」ぼくは主義として女性に財布を開かせることをしないはずだった。いまはせっせとポイントを貯め、いらないものを換金している。そして、生活費の心配も当面はいらない。ただ、ちょっと後ろめたいだけである。恥ずかしいという感情がのこっていれば人間はまだ魅力がある。すべては奪われていない。これも、また言い訳の一種類であった。

 一か月のご褒美。ひとみは銀行内の機械に向かっている。背中が見える。彼女の預金残高をぼくは知らない。自分のも働いていたころの分がまだ残っている。炭酸飲料のようにいずれ蒸発するだろう。そのころには、新しい仕事をしているかもしれない。彼女は別の仕事をのぞむだろうか。人気がでれば、どの世界も引き留められる。引き留められてこその値打ちの真価であった。

 ぼくは自由であった。拒まれもしなければ、誘われもしない。ただ、目の前にひとみがいて食事をいっしょにしている。店員は、ひとみに対して朗らかであった。ぼくのことを給仕の間にこっそりと盗み見て、この関係の等しさを比べているようだった。美人と、普通の男。いずれ偉大になる可能性を有している可能性がある。支離滅裂だ。しかし、味は分かる。五十も超えれば、味覚も劣化するそうである。料理人に定年はないだろう。だが、それはそれであり、恋人の定年退職などという問題をワインをすすりながら無心に考えていた。

メカニズム(5)

2016年07月20日 | メカニズム
メカニズム(5)

 もし、ひとみが何らかの成功をして知名度が上がり、一定数の好奇心の目があったなら、ぼくは秘蔵の写真を売る誘いを拒めたであろうか。あの潔く交渉できるひとたちとは違って。関心をよせる民にパンとサーカスを与える満足感を一目散に得ようとしただろうか。同時に手っ取り早く、収入が確保される。粗利。濡れ手でアワ。そこまで自分は悪人(正直)にはなれそうにない。不向きである。道徳や倫理をうるさく言いたがる。楊枝をくわえた空腹の男である。高いびきの男でもあった。

 自分の恋人はたくさんの目の所有物でもある。そこに優越感があるのか、嫉妬があるのか分からない。もしかしたら、そうなってしまえば、やはり別の手に入らない偶像を探すことに専念しそうでもある。昨日の栄光より、明日への未熟さ。未完の大器。みかんの大皿。

 ぼくは職探しに飽きて、美術館に入っている。セザンヌのりんごを眺めている。おいしそうではない。みかんでもない。しかし、確かにりんごである。横にはピカソもある。女性を美化しがちな自分は、このように女性自身を、たとえ歪んだ形にならざるを得なくても正面から捉えていない。ある知人の弁。

「妹がおもらしして小学校から帰ってくるんですよ!」女の兄弟がいなかったぼくへの不当な当てつけであり、現実を受け入れられない男のウソ臭い生活の正しい糾弾だった。しかし、セザンヌやピカソのように、ぼくは風景や対象物や女性像を根源的に理解しなければならない。いくらか、いびつになったにせよ。

 そのひと個人の方法で世界を捕まえる。といいつつ捕まえるには取っ手も実体もなく、いたって、あやふやなものだった。セザンヌはしっかりとできている。ぼくは興奮しながら野外に出る。太陽がある。あらゆる偶像の輝きより直視できないものとして。

「聖なるものへの憧れ」ある作家が、とある作家を評していったことば。自分も聖なるものを求めながら、俗へと簡単に落下する。足を踏み外す。ピカソも幾分、俗でありながらゆらゆらと、そこはかとなく高貴であった。そのバランスの微妙な平均台が芸術というものの答えであろう。ぼくは時計を見る。ひとみはキャバクラにそろそろ向かう時間だろうか。ぼくは彼女といちばん話した人間になろうとしていなかったのか? もう、分からない。おそらく、きょう一日でも負けると認めるしかない。そこにファンがいる限り。


メカニズム(4)

2016年07月19日 | メカニズム
メカニズム(4)

「いま、手に入っているものだけじゃ、満足できないんでしょう?」
「向上心」
「違うよ。現状に対する不満。わたしも含めて」ひとみはふて腐れたように言った。「図星?」

 ぼくらは同棲するようになっており、詰問の投網から簡単に逃れられない。
「満足に居座ったら、なにも成長しないじゃん」

「成長って、成長って、そのことば好きね。いつも赤胴鈴之助のように振り回している」

 その不満が原因でぼくはいまの仕事を失う。上司とケンカした。今回も謝れば済む内容だったが、それを子どもっぽい態度で拒み、路頭に迷う。

 ひとみはキャバクラで働くようになる。また、不本意ながら順位をつけられるようだ。これが彼女のあるべき人生の姿なのだろう。ぼくは職を探すという名目でビルに入って脂じみた端末を動かし、そして、飽きると昼から酒を飲んだ。

 世の中のメカニズムや、成功に近付く方程式を探している。切羽詰まった職ではなく。

「好きなことに専念すれば」ひとみは気怠そうに言う。「当面は、生活費には困らないから」

 甘いことばが人間をダメにする。惚れるという最初の感動は失われ、日々の生活の継続に移行してしまう。ぼくは稼ぐ能力を持参のリュックに入れてもらえなかったらしい。美について考える。化粧を落としたひとみを無意識に採点している。

「うん、なにか?」化粧水をはたいているところを、まじまじと、凝視されている無防備さにようやく気付いたらしい。

「なにも」無口という丸腰は犯罪なのだ。ぼくは、そのまま立ち上がり、夜遅くにひとみが使った皿や箸を洗う。成功者について考える。原理というものにこころが奪われている。ぼくはベッドで読書をはじめた。シャワーを浴びた元アイドルもどきが布団をめくる。起立、気を付け、礼。反復という静かな心意気がひとを成長させる。朝になる。通うべき職場もなく、ネクタイも結ばない。歯ブラシをくわえ、冷蔵庫を意味もなく開ける。好物も、ないのに。いや、あのひとだけなのに。


メカニズム(3)

2016年07月19日 | メカニズム
メカニズム(3)

 ぼくはネットの世界を知る。

 孤立した、かつ、ワールドワイドな。

 アナウンサーが、「オカモトリケン」が守る突入隊の薄い皮膜での防衛の箱を手にしてほほ笑んでいる画像を目にする。コマーシャルに出たのか? いや、世界は底を見たのだ。日経平均一円の世界である。自分発信のニュース。言葉が武器でありながら無言を強いられる。

 しかし、バトンを受け継いだアナウンサー(就職前)はこけし状のアメちゃんを丹念に、丹念になぶっていた。生きるのは苦だった。または、情痴だった。ことばを口で。

 シンデレラはネットの世界で生きることを覚悟していなかった。ぼくは余生を恥じる。山口百恵と共に、この社会に終わりを告げるべきだった。別のマイクを握ることを拒否する女性を知りたかった。

 ぼくは自称アイドルと親しくなる。彼女をたくさんの目が見つめる。彼女はぼくを見る。この好意はどこまで真実であり、どこからが営業目的なのか分からなくなる。ぼくの実験がはじまる。ぼくはサンプルを貯め込むことに夢中になる。

 歌をうたう。振り付けを覚える。汗が流れる。そして、見守る無数の男たちの汗も出る。

 ぼくらは西郷隆盛のしたで待ち合わせをする。犬もいた。名前は知らない。彼女は今月いっぱいで稼業をやめるそうである。ファンは失望し、ぼくは集団のひとりではなくなることに安堵している。

 ぼくは彼女の売り上げに貢献しなくてもよくなる。その節約できた分をほんものの彼女につかう。カラオケ屋で歌を聴く。うまい方だ。そして、きれいな方だ。圧倒的なものをもっていない。そのことが悲劇でもあり、ぼくのよろこびの源泉ともなる。

 独占する。それを望んでいたのかもしれず、ライバルが多いことを求めていたのかもしれない。


メカニズム(2)

2016年07月18日 | メカニズム
メカニズム(2)

 秋葉原にいる。アイドルと宣言するにはクオリティーという及第点にはいささか未到達であり、ファンという立地点を目指すならば、総数のひとりとしてだけでは合格に達し、専属の何かになるには社会的地位も金銭も長所もすべてに欠けていた。その両者のせめぎ合いが穏やかに営まれている。

 70億の69億9,950人はここにいない。魅力を感じていない。表皮でも内面でも。ここに不満がなければ天国の永住許可証を手に入れたことになる。不老や容貌の崩れは免れないが。

 アメ横に移動する。両親と二人の子どもが同じTシャツを着て観光に明け暮れている。中国人のようだ。アメ横を介しての米中(中米)友好の一幕だ。衣服によって同じチームであることが一目瞭然だ。ここにも天国があり、地獄がある。ただ、こんなことばを使ってみたいだけの気分だ。

 ぼくは売れようとして駄文を書き、たとえ売れなくてもセンスの良さを分かってもらおうと努力している。作為は善だった。かまってちゃんは、かまってちゃんだ。確かに。

 アイドルを追う彼らも、もしかしたらアイドル自身も、月曜から金曜までの期間は普通の会社員なのだろう。休日と切り分けた生活がある。何かを売り、何かを発注する。社会の一員として。

 ひじかたさんは現在なら何をしているのだろう? 正す世も見いだせないならば。

 役所で急に印鑑を求められ、売り場に自分の三文判が見当たらず、途方に暮れているのだろうか。反対に憤っているのか。ヒーローは時代に関わりなくヒーロー性を有しているのだろうか? 秋葉原でアイドル予備軍と過ごしているのか? ポッとされる。

 架空の世界が現実にせまってくる。地下アイドルと話す。クオリティーに達していないとの評価をするのは一体、誰なのだ? ぼくはあの女性を探している。妊娠もしない。においもしない。それは人形と、どう違うのだろう。


メカニズム(1)

2016年07月13日 | メカニズム
メカニズム(1)

 ひとがひとに対して、ポッとする。何かが流れる。

 明治前のひじかたさんの弁。

「もてて、もてて、困るんだけど」実際は、困っていないだろうが。百年以上のへだたりがある現代人のささやかな敵意ある嫉妬。

 彼の証言によって、ひとは上辺の外見の良し悪しで作用される生き物だとの仮定が成立する。

 仮定をふくらませる。実験。

 では、自分が誰かにポッとされた稀有な機会が生じたとき、あるいは、ポッとした変化の理由がただの表皮一枚上のことだと判明されたら。仮定に基づいて。

 いや、男性は纏足気味のシンデレラを探し、女性は理屈っぽい童貞のハムレットを探すという人類壮大な計画にすべてが足を踏み込んでしまっているのだ。

 すると、ぼくはサッカーのミスキックによって存在を見出された審判の背中と等しい小石であり、金魚鉢に浮くわき役の水草だった。レギュラーでも主人公でもない透明人間。自論をむりやり展開させる孤独な科学者。データは多い方が良い。

 自分も実験に加わるか。挑んでみるか。

 また、意味もないことを書きはじめてしまった。ゴールの設定もまだない。馬主は愚かである。浮くのか、沈むのかも分からない。発泡酒はときにはビールに勝てるのか。宣伝を鵜呑みにするのか。では、広告代理店の役目は何なのか? ぼくはもてない男の代弁者なのか。第三のビールにも似た男なのか。

 そこそこ、うまい出だしではないのか。来週の事件の期待と、爽快な解決は鉄腕アトムだけの専売特許なのか。次回を待ち侘びる少年をぼくも手に入れられるのか? 知らない。ただ、またはじめてしまった。快楽の秘密を覚えてしまったサルなのか、オレは? 書いている。書いている。

リマインドと想起の不一致(49)

2016年07月11日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(49)

 君もここにいた。

 三十年後の世界にも。

 ぼくは実家で父の遺品の整理をして、あの当時の古い通帳を思いがけなく発見する。毎月の光熱費が行ごとに引き落とされている記し。電話代もある。ぼくがひじりにかけたものもその一部に含まれているのだろう。だが、金額はあまりにも安かった。一万円にも充たず、五千円にすら達していない月もある。ぼくはひじりと本当に夜を徹して話していたのだろうか。もっと、頻繁に天文学的な数字になるほど話せばよかったのだ。親の労働の過酷さを無視しても。子どもの無知な特権を振り回して。

 君もこうしてこの町にいた。君が確かにこの数字の中にもいた。

 感慨は甘く、現実は苦かった。ぼくは取り戻せない過去に拘泥している。同時に、あの過去はぼくだけのもので、誰も奪えなかった。奪うほどの価値がないと敗者のように認めることもできない。そして、各自に似た過去はみんなのこころに積まれ、世界中で集めれば山積みとなってしまうのだろう。

 ぼくは翌日、仕事ではじめてのお客様に会うために外出していた。近くに小さなレストランがあり、そこで簡素に結婚式が挙げられていた。ぼくは色とりどりの花で飾られている門を見る。すると、奥でにぎやかな声がした。何気なく目を凝らすと、妻になるであろう女性側の名前がひじりと同じものだった。彼女が今日ここで結婚式の片方の当事者になっていることはない。彼女はぼくと同じ年だ。もう今頃は数人の子どもの母となっていることだろう。時間の経過を分析しなくても。それでいながら、彼女はもうぼくの中で成長を止めている。ホルマリンに浸けられたように年老いることもなく、また若返ることも許されない。あの日々と一体化してしまっているのだから。ハリウッドの往年の名画の位置付けと等しく。

 仕事が終わる。また同じ道を歩く。レストランの入口にひとの姿はなく、ただ片付けにいそしむ音が奥から聞こえて来るだけだ。ぼくも何かを片付けなければならない。未練でも愛募でもない形ちのないもので、形ちがないからいつまでも新鮮でありつづけるものを。

 ぼくはしばらくその前に意識もせずにたたずんでいた。すると、町の情景に不釣り合いな数人の小学生らしき子も前を通りかかる。係りの黒い服装の女性が目立った汚れもない店の前の道を掃き出した。

「この花、もういらないの?」ランドセル姿のひとりが勇気をだして訊いた。
「そうね、いらなくなりそうね」
「少し、もらっていい?」

 問いかけられた彼女は誰かに確認するように優雅に振り返った。そこには責任あるひとは誰もいなかった。

「特別にだよ」と言って、そのフォーマルな服装がとても似合う女性は数本の花をきれいに抜き取って手渡した。

「ありがとう」と言って、少女たちは一目散に駆け出した。あとに残された女性はぼくにも目を向けて、
「どうですか?」と花とぼくを交互に見比べて訊く。

「仕事中だから」と変な言い訳をして、ぼくは片付け中の女性のテリトリーから距離を置いた。

 君は、どこにいる。ぼくのこころ以外の地上の領域では。その花を手向けるにふさわしい唯一の女性は。

(終わり)

2016.7.10




リマインドと想起の不一致(48)

2016年07月10日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(48)

 電話が鳴る。ひじりの声はこういうぬくもりある音だったのか。いや、片時も忘れることもないはずなのだが。

「相談にのってもらいたいことがあるんだけど……」すこし不安げな声の響き。
「相談?」
「相談というのかな、お願いなのかな」

 ぼくらは翌日に会う約束をする。一日は、その不安定な拘束を予想させる事柄だけで異常に長くなった。

 ひじりの過去の振る舞いを総ざらいする。しかし、濃密であっても親しくしていたのは一年とわずかである。そのなかで記憶に順位をつける。ぼくが幸せの絶頂だと当時は気付いていない日々。もどれないと思っていた。カンガルーの母のポケットであり、割ってしまった皿だった。手は滑り、人間はうっかりとミスを繰り返す。

 別れた日以来、ぼくの目を真正面で見ることのなかったひじりが、いまは、ここにいた。印象がすこし変わっている。だが、すこし話せばもとのひじりが帰って来る。ぼくはこの日を待ち望んでいた。彼女のお願いというものを、この一日で何度あれこれと考えただろう。疑問は悩みでもあり、同時に無限のよろこびでもあった。ひどいことは言われないだろう。わざわざ、会ってまで憎しみを告げることもない。わずかな希望がぼくを新しくする。刷新ということばが自分にあらわれる。

「彼女と別れたんだってね。聞いたよ。残念だね、どう、辛い? 訊くまでもないか」
「まあ、普通には」
「わたしとのときは?」
「どうかな。ごまかせないけど辛かったし、信じたくなかった」
「そうなんだ。うれしい。あ、別れたことじゃないよ」
「知ってるよ」
「わたしも自分のこころにウソをついているようだった」
「どうして?」
「言いたくない」

「あせって言わなくてもいいよ」沈黙というのは限りない破壊だった。そして、同時に修復の過程ともなった。でも、ぼくは自分から何かを促したり、率先して口を開く気を失っていた。その沈黙をひじりが終わりにしてくれた。勇気があるのだろう。

「ね、もう一回、わたしにチャンスをくれない。くれるかな?」とひじりが心細げに言った。それはぼくが言うべき唯一のセリフだった。主演とかエキストラとかの役柄を無視して挑む格好つけずに正直に語るべき生涯一度の本気の問いかけになるはずだった。こころの底からもれる本音の響きの振動だった。ぼくの答えは、もしくは何層にも塗り重ねたぼくの空想の中で繰り返した問いに対するひじりの答えは漆黒の闇にどう反響したのだろう。

 ここに君がいる。過去で終止符をつけたつもりの曲に、つづきの楽章のファンファーレが鳴る。フォルテ。ピアニッシモ。ひじりの表情は、ぼくの胸を強く叩く。ふたつの身体が連動しているように同じ左右の動きを両者が示す。影絵にでもなったみたいに、ライトに灯され。

 君がぼくの胸のなかにいる。もう一度いる。おそらく偽物でもなく、夢でもなく。

 のちにシャガールという画家を知り、幸福なふたりをモデルにしているが、あの夜のぼくとひじりであっても間違いはないであろうと勘違いをする。そのキャンバスのなかでぼくとひじりは手をつないでいる。どこにも飛ばされないように。


リマインドと想起の不一致(47)

2016年07月09日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(47)

 多分、間違った選択をしようとしているのだろう。ぼくは、あゆみと別れる決意をする。突然に降って湧いた予想もしない言いぐさに不信感をあらわにしたあゆみは当然のこと理由(細分化された理由)を訊ねる。ぼくは、何度も組み立てては壊した、それでも一方的であることを否めない内容を真剣に説明する。言葉はすべてにおいて過剰であるのか、長くもない言い訳を聞き終えたあゆみはしばらく放心したような様子をしていた。

「ずっと、二番目だったんだね」ぼくは自分では決して受け入れられない、容認を拒む立場をひとに押し付けていた。「いいよ、わたしを一番にしてくれるひと、探すから。うん、大丈夫」

 別れ話を切り出したぼくを責めるわけでもなく、反対にいたわってくれて、この状態を軽いものにしてくれたことばである。なじることや、追求や反論もできた。受け入れないという最後の抵抗を示すこともできた。ぼくは完全な悪人になれないことによって一層、辛さが増した。ぼくは、この優しい女性を捨てるべきではないのだ。後悔が未来に待っているだけだ。だが、しないことも正しくないと内なる自分が言った。できれば、奈落に突き落とされるようなことを言ってほしかった。せめてもの悪行の報いとして。対価として。

 だが、平穏に終わりが決まった。

 その場をあとにしたぼくは、間違って裏返しにして着てしまったTシャツのような違和感を覚えた。直すのは簡単なことだった。一度、脱いで、きちんと表側を確認して、再度、首を通す。プリントや柄が鏡に映る。

 いったいどちらが表だったのだろう? ひじりか、いま去りつつあるあゆみか。あゆみが正解だとしたら、ぼくは完全な失敗につながる道に自分自身に縄をかけて導こうとしていた。ひじりだったとしても永久に手に入らない存在へと変化していることも否定できなかった。盲目なバカな自分が際立つ。しかし、自分でサイを投げ、賭けの対象である数字を選んで、汗まみれの手で強く握りしめてしまっていた。涙も浮かべなかったあゆみを犠牲にして。

 ぼくは、どうしようもない阿呆であり、証明に足りない勇気があった。無鉄砲であり、かなり計算高かった。傷つけることを厭わず、自分にだけ幸福の線路を敷こうとした。あゆみの柔らかなこころを枕木にして。

 ぼくは泣く。あゆみのために泣く。代償など求めずに二番目に甘んじた健気な女性。最良のものをいつも提供してくれた女性。ぼくのために時間を無駄にしてしまった。しかし、失ったものを取り戻したいという感情に負けただけで、あゆみも同じ立場に置けば、やはり、失うべきではなかったといずれ気付くのだろう。時間が解答を出し、おそらくぼくを拘束して責めつづけるだろう。

 だが、スタートラインにもいた。確実にレースは行われる。ぼくはフライングで失格になったのだ。予選も決勝もないあのレースで。勝利が確実視され、世界記録を挑めるレースで。

 ぼくは自分に酔っていた。ひじりはもう好きな相手を見つけているのかもしれない。女性は過去になど甘い幻想を抱かないのだ。ただ世界中でぼくだけが、その愚かな永続性の呪いの信奉者であり、継承者だった。

 しかし、ぼくがあゆみを簡単に捨てられたことを知ったら、ひじりはどう思うだろう。ぼくの主眼にはひじりしかいない。ぼくの銃口は、スナイパーとしての目はひじりにだけ向いている。それが無理なら、もうずっとひとりでいようと浅はかに誓う。

 空想にふけっていると、あゆみの妹がぼくに電話をかけてきた。はじめてのことだ。姉が悪いことをしたなら許してくれないかと述べた。油断していたのか、ぼくはニヒルにもなれず、体内を切り刻まれたようだった。しかし、仕方がない。ぼくは悪いことと知ってて行ってしまったのだから。

「悪いのは、ぼくなんだよ。あゆみちゃんはずっと可愛くて、優しかった。悪いところなんか、どこもない。まったく」

 本音は、どうあがいても通じない場合があった。真実だからこそ、相手には伝わらない。平行線。交差しない会話。すると、妹は大げさに電話を切る。その甲高い響きが終わりの簡素なる合図となった。


リマインドと想起の不一致(46)

2016年07月07日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(46)

 ひじりが数日前に別れたという噂を耳にする。ぼくは動揺する。液状化現象。彼女は悲しんでいることだろう。反面、同情しながらも一方でぼくはその事実を喜ぼうとしていた。利己的ということが事実として分かる。立体的に、否定できない自分の胸に鋭利な刃が突き刺さる。どちらにしても幸福を招けない原因と結果。

「もう一度、告白してみれば?」噂を運んできた女性の友だちが気軽に言った。
「どうして?」
「どうしてって、まだ、好きそうだから」
「どっちが?」

 彼女はぼくを指差す。そして、「ひじりもなんじゃない」アナウンサーのニュース原稿であれば失格という声音で言い足した。「本気かどうかは分からないけど」

 君はぼくの胸から消え去ってくれなかった。ぼくは可能性を天秤にかける。現在、自由ではないことがもどかしかった。ひじりの前に正々堂々と出るには、ぼくにはたどらなければならない道がある。ひとつ解決すべき問題があった。

「本気にしないでね。あゆみちゃんがいるんだから……」
「本気、本気って、いろんな意味で多用しすぎだよ」
「どっちにしろ、応援するよ」

 意味合いがどちらにもとれ、曖昧な範疇にただよっている。

 ぼくは自室でこれからのことを考えてみる。それは今後という時間ではなく、過去の楽しかった思い出を再確認する行為に集中することだった。そして、最後は別れてジ・エンドだ。ぼくはその後、あゆみで救われた。また楽しさの何たるかを知った。

 するとあゆみから電話がかかってくる。ぼくは演じる。醜さや作為をひた隠しにして応対する。日曜の映画の待ち合わせを再確認する。予定というのは大事なものだ。ふたりの間で無効にするのは裏切りである。いや、裏切りというのは片方の側のアプローチであった。もう片方は、常に受け身である。

 ぼくらは悲恋の映画を見る。あゆみは泣いている。ぼくは、この作りものの物語をあゆみを通して実話にしてしまう。そうした恐れを抱きながら物語の進行を追っている。耳の奥では、「もう一度、告白してみれば」というメローなささやきが生まれては消えた。鼓動のようにそれ自体が中心を離れて意志をもつ。

「可哀そう過ぎない?」あゆみは主人公に肩入れしている。そして、優柔不断な俳優を役柄を度外視してなじっていた。ぼくは過剰に感情移入しないよう努力していた。あれは、明日のぼくだった。ぼくの萌芽があれだった。

 あゆみの食欲。彼女がどの程度食べ、好みがどういうものかも知っている。ぼくらは共通に好きなものを投げかけ合い、一致するものを当てた。苦手なものもある。ふたりとも嫌いなものはなかった。

 目の前にあゆみがいる。日常になってしまった事柄。緊張もなく、自分自身でいられる。美化も、虚栄も虚勢もない。等身大の自分とあゆみ。この年月がぼくだった。ぼくは、これをこわすことなど望んでいるのだろうか? ひじりの今回の、二度目の別れとなってしまった本当の原因はどんなものだったのだろう。知る理由もない。ぼくらはもう既に他人なのだ。一線を越える、と口にしてみる。それは良いときに限定して使用するようにも思われた。ならば悪いときにふさわしい表現はなんだったのか? ぼくの内部に悪がある。出口を求めて、うごめいている悪がある。


リマインドと想起の不一致(45)

2016年07月04日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(45)

 自転車にふたり乗りをしているところを警官に注意される。あゆみは後ろから降りた。しばらく歩いて死角となる壁を曲がったところでまた乗った。ぼくらは注意をされることを鬱陶しく感じながらも、段々とその機会が減っていくことを実感していた。いくらか時間が遅くなってもあゆみの親はぼくらを理解してくれる。寛容さ。ぼくはそこにあぐらをかく。

 自転車はいずれ車になったり、遠くへ旅立つ飛行機になる。あゆみは修学旅行で飛行機に乗った。ひとを距離として近付ける物体は、遠くへ連れ去ってしまうことも可能だった。ぼくは勉強をする。未知なる質問も解答を出してしまえば、それで終わりだった。

 煎じ詰めれば自分なんか無のようだった。計算をしても、いたずら書きをしても、切れた蛍光灯を取り替えても自分の存在が有意義なものと一気に変化することもない。知らない場所に行く。無数の知らない人々が、別個の生活を営んでいる。ぼくは、あゆみの何を知っているのだろう? 姿や形。好み。洋服の趣味。ぼくについて感じている好きな部分と直してほしいと思っているところ。両方。それを直す気などまったくない自分。ぼくは、これでも無でないといえるのか。

 勉強に疲れて土手を歩く。あゆみの犬がいればなと考えていた。お気に入りのボールを放り投げると、リバウンドの名手のように颯爽と口にくわえて戻ってくる。その単調な行為に時間を忘れて没頭したかった。

 また妹とバスケの練習をしてもいい。ぼくは数回負けて、数回引き分けになんとかもちこむ。あゆみと組んでふたりになっても、なかなか勝てない。

 友だちがバイクで通りかかった。ぼくに気付いてヘルメットを脱ぐ。エンジンの音が地響きのように身体に伝わる。そいつの彼女はひじりと同じ高校のはずだった。なにか訊いてみたい気もするが自然と躊躇する。いったい、いまのぼくとひじりには互いに共通するものなど見いだせそうになかったからだ。

 彼は走り去る。これも彼の日常なのだ。バイトをして貯めた金。ぼくらに無限の裕福さなどない。あゆみの世界はちょっと違っていた。

 ぼくは嫉妬という感情があまりないと仮定を立てる。すぐに自身で却下する。ぼくはひじりの相手になる資格の再取得を何度、夢見たであろう。再帰のチャンスをかんがみ。いまは誰かがそこにいる。ひとはある地位を欲する。権力でも、お金でもなく、ある女性の横にいられるということだけだ。

 ぼくはひとりで居過ぎた。風呂に浸かる。これからの勉強の予定を組み立てる。進学には試験がある。あゆみはそのまま大学へとすすめるのだろう。少し差ができる。ぼくは勉強に時間を奪われる。なんだか、言い訳を探しているような気もしたし、ひずみを生み出そうともしている。

 誰もどうしても合わなければならない理由などない。必然性はある。そして、そんなことに理由などむりやり付与させることもない。衝動と理性の間で悩みもせずに選んでいるだけだ。ぼくは夕食後、長年つかっている机に向かう。本の感想の答えがひとつだけという窮屈な状態に甘んじる。日本の高校生の誰が読んでも、そう思わなければならないと指示される。支配というのは、結局、こういう単調なものであるのだろう。ぼくは、空想する。逃げるように、あゆみからもひじりからも逃げるように、どこかに羽ばたき空想する。