最後の火花 99
オレは駅で切符を買う。まだ早朝だ。スズメがホームと電線のうえを飛び回っている。のどかな一日のはじまりだ。
車窓をぼんやりと眺めながらも気は焦っていた。だが、焦っても電車の到着は早まるわけでもない。オレはこころを静めるように悠然と新聞を広げる。前回、長い時間、電車に乗ったのはいつぐらいだったのか思い出そうとしていた。おそらく、あの町に住むと決めたときからだろう。
昼飯用に駅弁を買った。オレは旅行など優雅な暮らしをしてこなかった。これから、あいつらをいろいろなところに連れて行こう。日常から少しだけ離れられる場所。工場での作業も、あいつにとっての家事も忘れられる数日。
何度も乗り換えて目的地に着く。そこで病院の場所を訊く。歩いて二十分ほどかかるらしい。駅の前には数台のタクシーが停まっていた。やはり、見舞いに行くのだろうか数人が列車の到着とともに乗り込む。オレはバスの時刻表を確認する。トイレに行っている間に出発してしまったらしい。オレは歩くことにする。あと二十分の辛抱だ。
その場所にふさわしくない大きな建物があった。オレは遠目に勝手にセメント工場かなにかだと思ってしまっていた。しかし、近付いてみると正面には花壇もあり、見事に治療の場ということが演出されていた。ひとはこういう場所で回復するのだ。
オレは受付で友人の名前を口にする。となりは急患や通いの患者でにぎやかだった。訊いた女性は困った顔をする。いまさら、のん気にきてしまったという態度でオレは恥じた様子をする。
「小林さん、申し訳ないんですけど、数日前に……」
オレは耳を疑う。だが、どこかでこういう状況になってしまうことも心の奥で予想していたのだろう。でも、オレは入院していた部屋の空のベッドを見ないことには納得せず、受け入れたくなかった。
ある看護婦が案内してくれた。もうそこには何もない。ただすべてが片付いた後、隠すようにオレ宛ての封筒が置いてあったそうだ。オレはそれを引き取る。金銭であることは理解していた。
遺体はもう荼毘にふされていた。いっしょに暮らした仲間のひとりがその役を担ってくれたそうだ。看護婦は連絡先を教えてくれる。あの小僧が大人になってそんな親切な一面を有していたとは驚きだった。オレは連絡をとって会いに行く。その費用も、その行いもオレがしなければならなかったのだ。彼はオレの不在のため肩代わりをしてくれた。最後の様子も訊かなければいけない。
彼は事業で成功していた。あぶく銭のようなものをつかみ、オレの払いを断った。オレの身なりを見て、オレの過去を知って、金銭に恵まれなかったことも知っていた。
「いくらあっても足りない状況がいつか出てくるだろうから」と言って、遺骨が置いてある場所まで案内した。
オレは線香をあげる。長い距離をたどってやってきたのに、オレにはこれしかできなかった。残念であるし、自分の不自由な状況も呪った。しかし反面、オレらの友情は消えることもないだろう。そう思いながらも十年も前にすべては終わっていたともいえた。別々の道を歩み、別々の苦しみを感じた。彼は病気で命を短くして、オレは世間のお荷物になった。どちらの生活がより豊かで、あるいはむごかったのかは判断できない。それぞれ思い思いのままに暮らした結果だった。
夜は同窓会のようになった。オレたちは同じ場所で過ごして、ときには憎んで、ときにはケンカして、ある場合はひとつのものを分け合って暮らしていた。いまになればみんなが大人になって、癒しという過程を通過したようにあっけらかんとしていた。オレはカメラがあったことを思い出して、せめてもと思い彼らの写真を撮った。おそらく、もう二度と会うこともないひとが多いのだろうから。
酒をたらふく飲んだ。羽振りのいい友人がいろいろと連れまわした。
「精進落としだから」と言い訳のように彼はその稀にしか使わないことばを繰り返し振り回した。そのために、ホステスたちは優しく応対してくれた。弱者はオレではなく、死んだ友人だったのに。
また同じ経路を戻る。結局のところオレはなにもできなかった。ただある金額の札がカバンに増えただけだ。墓の心配もいらない。すべては昨日のあいつが段取りしてくれた。
オレは見慣れた町に戻る。土産のことはすっかり失念していた。なにかで代用できないか考えるが、この町にはそれらしきものは見当たらない。謝って、別の機会を見つけることにしよう。オレだって動揺していたのだ。
家の前につくもなかは閑散としている。出掛ける前の約束を実行することにしよう。役所に婚姻届を出す。あいつは用紙をもらってきているだろうか。
その憧れた未来は一気に消える。戸を開けるとあいつが口から血を出して倒れている。なぜか英雄は手のひらを真っ赤にしてその横で遊んでいる。オレは流しで英雄の手を丹念に洗った。服を着替えさせて表に出す。何があったのだ。オレは旧友を亡くすだけでは社会は許してくれないのだろうか。
オレは愛すべきものの変わり果てた姿を前に呆然とする。この場を取り繕うことなどできない。オレは確実に疑われるだろう、きっと。一度、同じ容疑があったのだ。いや、容疑では終わらなかった。そして、服役した。やはりオレは疑われるために生まれてきたともいえた。
(終)
2015.7.17
オレは駅で切符を買う。まだ早朝だ。スズメがホームと電線のうえを飛び回っている。のどかな一日のはじまりだ。
車窓をぼんやりと眺めながらも気は焦っていた。だが、焦っても電車の到着は早まるわけでもない。オレはこころを静めるように悠然と新聞を広げる。前回、長い時間、電車に乗ったのはいつぐらいだったのか思い出そうとしていた。おそらく、あの町に住むと決めたときからだろう。
昼飯用に駅弁を買った。オレは旅行など優雅な暮らしをしてこなかった。これから、あいつらをいろいろなところに連れて行こう。日常から少しだけ離れられる場所。工場での作業も、あいつにとっての家事も忘れられる数日。
何度も乗り換えて目的地に着く。そこで病院の場所を訊く。歩いて二十分ほどかかるらしい。駅の前には数台のタクシーが停まっていた。やはり、見舞いに行くのだろうか数人が列車の到着とともに乗り込む。オレはバスの時刻表を確認する。トイレに行っている間に出発してしまったらしい。オレは歩くことにする。あと二十分の辛抱だ。
その場所にふさわしくない大きな建物があった。オレは遠目に勝手にセメント工場かなにかだと思ってしまっていた。しかし、近付いてみると正面には花壇もあり、見事に治療の場ということが演出されていた。ひとはこういう場所で回復するのだ。
オレは受付で友人の名前を口にする。となりは急患や通いの患者でにぎやかだった。訊いた女性は困った顔をする。いまさら、のん気にきてしまったという態度でオレは恥じた様子をする。
「小林さん、申し訳ないんですけど、数日前に……」
オレは耳を疑う。だが、どこかでこういう状況になってしまうことも心の奥で予想していたのだろう。でも、オレは入院していた部屋の空のベッドを見ないことには納得せず、受け入れたくなかった。
ある看護婦が案内してくれた。もうそこには何もない。ただすべてが片付いた後、隠すようにオレ宛ての封筒が置いてあったそうだ。オレはそれを引き取る。金銭であることは理解していた。
遺体はもう荼毘にふされていた。いっしょに暮らした仲間のひとりがその役を担ってくれたそうだ。看護婦は連絡先を教えてくれる。あの小僧が大人になってそんな親切な一面を有していたとは驚きだった。オレは連絡をとって会いに行く。その費用も、その行いもオレがしなければならなかったのだ。彼はオレの不在のため肩代わりをしてくれた。最後の様子も訊かなければいけない。
彼は事業で成功していた。あぶく銭のようなものをつかみ、オレの払いを断った。オレの身なりを見て、オレの過去を知って、金銭に恵まれなかったことも知っていた。
「いくらあっても足りない状況がいつか出てくるだろうから」と言って、遺骨が置いてある場所まで案内した。
オレは線香をあげる。長い距離をたどってやってきたのに、オレにはこれしかできなかった。残念であるし、自分の不自由な状況も呪った。しかし反面、オレらの友情は消えることもないだろう。そう思いながらも十年も前にすべては終わっていたともいえた。別々の道を歩み、別々の苦しみを感じた。彼は病気で命を短くして、オレは世間のお荷物になった。どちらの生活がより豊かで、あるいはむごかったのかは判断できない。それぞれ思い思いのままに暮らした結果だった。
夜は同窓会のようになった。オレたちは同じ場所で過ごして、ときには憎んで、ときにはケンカして、ある場合はひとつのものを分け合って暮らしていた。いまになればみんなが大人になって、癒しという過程を通過したようにあっけらかんとしていた。オレはカメラがあったことを思い出して、せめてもと思い彼らの写真を撮った。おそらく、もう二度と会うこともないひとが多いのだろうから。
酒をたらふく飲んだ。羽振りのいい友人がいろいろと連れまわした。
「精進落としだから」と言い訳のように彼はその稀にしか使わないことばを繰り返し振り回した。そのために、ホステスたちは優しく応対してくれた。弱者はオレではなく、死んだ友人だったのに。
また同じ経路を戻る。結局のところオレはなにもできなかった。ただある金額の札がカバンに増えただけだ。墓の心配もいらない。すべては昨日のあいつが段取りしてくれた。
オレは見慣れた町に戻る。土産のことはすっかり失念していた。なにかで代用できないか考えるが、この町にはそれらしきものは見当たらない。謝って、別の機会を見つけることにしよう。オレだって動揺していたのだ。
家の前につくもなかは閑散としている。出掛ける前の約束を実行することにしよう。役所に婚姻届を出す。あいつは用紙をもらってきているだろうか。
その憧れた未来は一気に消える。戸を開けるとあいつが口から血を出して倒れている。なぜか英雄は手のひらを真っ赤にしてその横で遊んでいる。オレは流しで英雄の手を丹念に洗った。服を着替えさせて表に出す。何があったのだ。オレは旧友を亡くすだけでは社会は許してくれないのだろうか。
オレは愛すべきものの変わり果てた姿を前に呆然とする。この場を取り繕うことなどできない。オレは確実に疑われるだろう、きっと。一度、同じ容疑があったのだ。いや、容疑では終わらなかった。そして、服役した。やはりオレは疑われるために生まれてきたともいえた。
(終)
2015.7.17