爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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最後の火花 99

2015年07月18日 | 最後の火花
最後の火花 99

 オレは駅で切符を買う。まだ早朝だ。スズメがホームと電線のうえを飛び回っている。のどかな一日のはじまりだ。

 車窓をぼんやりと眺めながらも気は焦っていた。だが、焦っても電車の到着は早まるわけでもない。オレはこころを静めるように悠然と新聞を広げる。前回、長い時間、電車に乗ったのはいつぐらいだったのか思い出そうとしていた。おそらく、あの町に住むと決めたときからだろう。

 昼飯用に駅弁を買った。オレは旅行など優雅な暮らしをしてこなかった。これから、あいつらをいろいろなところに連れて行こう。日常から少しだけ離れられる場所。工場での作業も、あいつにとっての家事も忘れられる数日。

 何度も乗り換えて目的地に着く。そこで病院の場所を訊く。歩いて二十分ほどかかるらしい。駅の前には数台のタクシーが停まっていた。やはり、見舞いに行くのだろうか数人が列車の到着とともに乗り込む。オレはバスの時刻表を確認する。トイレに行っている間に出発してしまったらしい。オレは歩くことにする。あと二十分の辛抱だ。

 その場所にふさわしくない大きな建物があった。オレは遠目に勝手にセメント工場かなにかだと思ってしまっていた。しかし、近付いてみると正面には花壇もあり、見事に治療の場ということが演出されていた。ひとはこういう場所で回復するのだ。

 オレは受付で友人の名前を口にする。となりは急患や通いの患者でにぎやかだった。訊いた女性は困った顔をする。いまさら、のん気にきてしまったという態度でオレは恥じた様子をする。

「小林さん、申し訳ないんですけど、数日前に……」

 オレは耳を疑う。だが、どこかでこういう状況になってしまうことも心の奥で予想していたのだろう。でも、オレは入院していた部屋の空のベッドを見ないことには納得せず、受け入れたくなかった。

 ある看護婦が案内してくれた。もうそこには何もない。ただすべてが片付いた後、隠すようにオレ宛ての封筒が置いてあったそうだ。オレはそれを引き取る。金銭であることは理解していた。

 遺体はもう荼毘にふされていた。いっしょに暮らした仲間のひとりがその役を担ってくれたそうだ。看護婦は連絡先を教えてくれる。あの小僧が大人になってそんな親切な一面を有していたとは驚きだった。オレは連絡をとって会いに行く。その費用も、その行いもオレがしなければならなかったのだ。彼はオレの不在のため肩代わりをしてくれた。最後の様子も訊かなければいけない。

 彼は事業で成功していた。あぶく銭のようなものをつかみ、オレの払いを断った。オレの身なりを見て、オレの過去を知って、金銭に恵まれなかったことも知っていた。

「いくらあっても足りない状況がいつか出てくるだろうから」と言って、遺骨が置いてある場所まで案内した。

 オレは線香をあげる。長い距離をたどってやってきたのに、オレにはこれしかできなかった。残念であるし、自分の不自由な状況も呪った。しかし反面、オレらの友情は消えることもないだろう。そう思いながらも十年も前にすべては終わっていたともいえた。別々の道を歩み、別々の苦しみを感じた。彼は病気で命を短くして、オレは世間のお荷物になった。どちらの生活がより豊かで、あるいはむごかったのかは判断できない。それぞれ思い思いのままに暮らした結果だった。

 夜は同窓会のようになった。オレたちは同じ場所で過ごして、ときには憎んで、ときにはケンカして、ある場合はひとつのものを分け合って暮らしていた。いまになればみんなが大人になって、癒しという過程を通過したようにあっけらかんとしていた。オレはカメラがあったことを思い出して、せめてもと思い彼らの写真を撮った。おそらく、もう二度と会うこともないひとが多いのだろうから。

 酒をたらふく飲んだ。羽振りのいい友人がいろいろと連れまわした。

「精進落としだから」と言い訳のように彼はその稀にしか使わないことばを繰り返し振り回した。そのために、ホステスたちは優しく応対してくれた。弱者はオレではなく、死んだ友人だったのに。

 また同じ経路を戻る。結局のところオレはなにもできなかった。ただある金額の札がカバンに増えただけだ。墓の心配もいらない。すべては昨日のあいつが段取りしてくれた。

 オレは見慣れた町に戻る。土産のことはすっかり失念していた。なにかで代用できないか考えるが、この町にはそれらしきものは見当たらない。謝って、別の機会を見つけることにしよう。オレだって動揺していたのだ。

 家の前につくもなかは閑散としている。出掛ける前の約束を実行することにしよう。役所に婚姻届を出す。あいつは用紙をもらってきているだろうか。

 その憧れた未来は一気に消える。戸を開けるとあいつが口から血を出して倒れている。なぜか英雄は手のひらを真っ赤にしてその横で遊んでいる。オレは流しで英雄の手を丹念に洗った。服を着替えさせて表に出す。何があったのだ。オレは旧友を亡くすだけでは社会は許してくれないのだろうか。

 オレは愛すべきものの変わり果てた姿を前に呆然とする。この場を取り繕うことなどできない。オレは確実に疑われるだろう、きっと。一度、同じ容疑があったのだ。いや、容疑では終わらなかった。そして、服役した。やはりオレは疑われるために生まれてきたともいえた。

(終)

2015.7.17

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最後の火花 98

2015年07月16日 | 最後の火花
最後の火花 98

 わたしは世界一の器量をもっているわけでもなく、世界一の親切さも身に着けていない。しかし、少なくてもふたりの男性には愛された。これも深くさぐれば勘違いで、ほんとうはたったのひとりかもしれない。ひとりには必要とされただけで。でも、これで充分だった。ジャンヌ・ダルクでもなく、マリー・アントワネットほど後世にのこる存在でもないのだから。

 いや、若いときにはこれでも淡い恋をしたのだ。目をみつめることも恐く、目が合えば卒倒しそうになるぐらいに純情だった。あの気持ちは体内にのこっているような気もするし、全部、どこかに流れ出してしまったかもしれない。子どもを産んで、どこにでも連れていける腕力をものにした。

 外国には多数の女性と関係をもったひとの本もあるらしい。うどんをそんなに食べないと満足できないのかとも思う。ひとには、そのひとに見合った数字がある。わたしは平均という考え方が好きだった。

 平均的な子どもの数からすればうちは少なかった。弟や妹がいない家庭で育つとどういう恵みがあり、反対にどういう後遺症があるのだろう。分け与える喜びは減少されてしまうのか。やはり、最終的にはその子の性質によるのだろうか。

 山形は旅の仕度をしている。古びたカバンに下着などを入れている。あのカメラもある。あんな素敵なものを個人で買える日がくればよいのに。英雄の成長の記録となる。入学式の彼。卒業式の彼。運動会や遠足。ひとは楽しいものを待っているその予感がいちばん素敵な充実した瞬間かもしれない。

 彼の旅は好ましいものが待っているだけではない。大病を患っている友人に遭うのだ。涙があり、衝撃があるだろう。わたしは後に話と写真で確認できるかもしれない。山形の過去のことを知りたい。その好奇心が愛情とも思える。寄り添うこと。寄り添われること。あの若い少女時代のわたしがもっていなかったもの。

 数日間だけまたふたりきりの生活になる。わたしは解放される気持ちと不安な気持ちの天秤にのる。

「英雄、しばらく家を空けるから、お母さんのこと手伝ってやれよ」
「分かってる。じゃあ、お土産買ってきてよ。よくできたら」
「買ってくるよ」
「どこで、そんなことば覚えたの? 病気のお友だちを訪ねるだけなんだから、お願したら悪いわよ」
「いいって。子どもは、そういうのを楽しみにするようできているんだから」

 食卓は和やかだった。英雄はなぜかいつもより甘えている。彼のひざの上にのり、後ろから話しかけられている。その様子は微笑ましいものであり、わたしが少女のときに期待した情景の実現の姿だった。

 わたしは誰かと比較することがクセになっていたのだろうか。その野心を見えないところに隠していた。しかし、いまはもう捨てる覚悟ができている。誰にとがめられることもなく、誰かに非難されることもおそれなくなった。大地にしっかりと立つことを希望している。わたしは個人的な勝利に酔いしれる。むかしの感激屋さんの自分がようやくもどってきた。

 外は雨が降りはじめたようだ。晴ればかりもつづかない。そうなれば野菜も育たないし、地球の裏側のみたこともない動物も身体を洗わなければいけないし、飲み物として口に入れなければいけない。空には無尽蔵の水があるのだろうか。いつか英雄にもっと勉強してもらってから教わることにしよう。彼は賢い恋人を見つける。わたしは、どこに長所を見出すのだろうか。せめて息子の恋人には限りない優しさを示せるようになりたい。きっとできるだろう。その小さな期待すら失ったら、わたしが生きつづける価値もなくなる。

 夜になる。わたしは横の男性の息遣いを感じる。もう他人と感じることはない。当然だ。はじめて男性といっしょに夜を過ごした遠い日を思い出そうとしていた。わたしは泣いた。痛くて泣いた。いつか歓喜となってしまった。もうあのことで泣くことなどできない。痛みは通過という儀礼にふさわしい。その痛みが最後の死という段階まで到達しなければの話だ。

 山形は何度も寝返りを打っている。気分が高揚しているようだ。旅というものから遠ざかっている。彼はまたひとりになることにも恐れているようだ。わたしは横に行き、ゆっくりと抱いてあげた。大きな子どもに対するように。わたしたちは唇を寄せ合う。この夜に自分は懐妊しそうな気が不意にした。わたしの身体にある命の種が宿る。男性から移行したもとがわたしの器官を通して成長する。ひとつの命のもとが生じる。小さな鼓動を刻みつづけ、わたしは苦しみながらそれをこの地上に吐き出す。痛みは一時的な恩恵だった。わたしは真っ暗な空を見つめながら、その映像と流れを頭に浮かべていた。

「帰ったら、きちんと公式なものとして届けもしよう」

 彼はむずかしいことばを使った。暗い中でも彼の緊張しながらの笑みも見えそうだった。わたしは小さくコクリとうなずく。その拍子にわたしのおでこが彼の胸にぶつかった。それが合図といえば正式な合図であった。合意というのはこういう形式で全うされるものなのだとわたしは理解する。

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最後の火花 97

2015年07月15日 | 最後の火花
最後の火花 97

 オレは見舞いのときのために社長からカメラを借りた。フイルムを昨日の仕事帰りに写真屋で入れてもらった。家族となるひとびとの、その決断に近い日の表情をオレは写し取っておきたかった。たとえ二枚でも、三枚でも。

 レンズのキャップを外してのぞく。金属の質感はずっしりとしていて重かった。オレはひとつひとつの部品の担う役割を考えていた。体内と同じだ。前後も長さもバラバラの骨が筋肉と連動して組み合わされてひとつの身体となる。表面にも二十個の爪があり、それ以上の歯がある。無数の髪の毛を刈り込んだり、結ったりして個性が生まれる。素材は同じだが、見た目は大幅にかわった。そして、変わっているからこそ特徴となり、写真にのこす価値も生じた。

 オレは首からそのカメラをぶら提げ山道を登っている。へびがいて無数の虫がいる。ここは彼らの世界なのだ。自分たちが闖入者であり、部外者だった。彼らのルールに則り、余計なことは省く。そう意気込まなくてもただ栗を数個とりにきただけだ。

 探す必要もないほどたくさん落ちていると思っていたがなかなか見つからなかった。まだ早いのだろうか。わずかしか手に入らない。それでも、一回分のご飯には足りるだろう。毎日食べたら飽きる類いのものだ。普遍性を得られず、年に数度だけ登場すればいいのだ。

 取った分だけ袋にしまう。オレらは丘の中腹のようなひらけた場所で弁当をひろげる。

「その前に写真を撮ろうか?」オレは英雄とあいつの写真を撮り、今度はそれぞれひとりに絞って撮った。赤いブラウスと赤い髪飾りのきれいな女性と、青い半ズボンのまぶしそうな表情の男の子。うまく写っているといい。次に英雄がオレとあいつの写真を撮った。使ったのは五枚ほど。あとは見舞いのときのために確保しておくことにしよう。

 秋の青空は高くなる。湿気もそれほどない。満腹になると芝の上でそのまま横になる。自由というのはこういう心持であったことを思い出す。目をつぶって鳥のさえずりを聞く。ふと仕事のことを思い出してしまう。雑音と機械の油のにおい。オレにしっかりと染み付いてしまっているのだろう。ひとは日常の多くの時間を割いたもので身なりも顔つきも作られる。オレは銀行でお客を待つのには不似合いの容貌だった。金の勘定を間違えると心配さえされる。遊園地で子どもの順番待ちをさせるのにも恐すぎるかもしれない。工場の機械を無言で動かすのが関の山だ。あそこがオレの居場所で、また個性を奪われることもない楽園だった。

 しばらく眠ってしまったらしい。三人とも。見知らぬひとが通りがかったらどう思うだろう。幸福な家族か。もしくは無理心中した一家とでも勘違いしてしまうだろうか。オレはポケットからタバコを取り出して下方に見える街並みを見ながら一服した。

「起きてたの?」

 あいつも目を覚まして髪を結い直した。
「ほんのちょっと前だよ」
「お茶、飲む?」

「うん」幸福な家族の会話は総じて短くなるのか。それとも反対だろうか。饒舌な家族というのはことばとして不釣り合いだ。オレらは無言でお茶をすする。しかし、この時間を共有しているという気持ちは確かに、濃密にあった。すると、英雄も目を覚ます。

 途中で肩車をして彼を高い木にのぼらせる。子どもに冒険はつきものだ。ひとりで、または友人をたくさん作ってもっと楽しい遊び方を発明するだろう。その際に、オレのうわさは漏れるかもしれない。オレはいまよりずっと健気に、まじめに生きなければならなかった。責任感がうまれ、それを継続してこそ父としての役割をまっとうできる。オレは嘲笑を無視する。葬ることにする。今後の人生はまじめさだけで生きようと誓う。

 夕飯は案の定、栗ごはんが出される。あれをいちいち剥くのはしんどかっただろう。オレはこの感謝の気持ちも教わってこなかった。戦うことを学習して、非難や罵倒をはねかえした。小さなものが愛情に恵まれて育ってこなかった環境を逃げ道と言い訳にして、自身の誤りを正当化した。常に自分を正しい側に置いた。神でもない自分がおごったまま暮らしつづけた。結果は災難に遭い、数年を無駄な時間として個性を喪失して生きてしまった。

 森の中にいて、オレは再生の何たるかを知る。秋になれば冬の予感を認識し、雪は春の到来をずっと前だが告げるものとなる。春は色とりどりの花を咲かせ、夏は木陰を作ってくれる。そのサイクルを毎年、飽きもせずに繰り返しつづけるのだ。オレもそういうものとなろう。一年一年幸福な歴史をレンガのように積み上げるのだ。そして、最後の日を迎える。英雄はどういう青年になるのだろう。賢くて見どころのある男の子だった。彼を愛することになる女性は損はしないだろう。ひとを傷つけもせずに、防御となってくれるだろう。オレはあと十数年そばで見守れる。栗をいっしょに拾うことなどいやがる年代が訪れるかもしれないが、きょうのこの口のなかで感じた味は忘れることは決してないだろう。結局はそれでいいのだ。充分すぎるほど、恵まれた一日となった。

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最後の火花 96

2015年07月14日 | 最後の火花
最後の火花 96

 英雄のために銀行の口座をつくった。わずかばかりの入金だが毎月しようと思う。別の個人用の印鑑を買い、袋に入れてタンスにしまった。誰かが誰かに示す確かな愛情の一部はお金をのこしてあげることだった。全部ではないが、一部であることは間違いない。大人になって感謝の気持ちをもってくれればいい。途中で育む必要がある。わたしは覚えるのも容易い額の数字を読み上げる。ほんとうにはじめはわずかだった。

 倹約と浪費の間に誘惑がある。わたしは倹約ばかりしてきたような気もする。どこかに社長夫人のようなひともいるのだろう。洋服にお金をかけ、おいしいものをたくさん食べる。それと引き換えになにを差し出さなければいけないのだろう。こういう性分だから貧乏に近い状態なのだろう。

 会社のお金を計算している。横領という事件の新聞の記事がきょうあった。度胸があるひとだ。わたしはそんな真似は絶対にできないだろう。そもそも、どこかで引き抜くほど会社の状態はよくない。わたしは几帳面に数字を埋める。恵まれるより、正しい記述の方が気持ちがよい。当然といえば、当然だ。

 魚や野菜の値段を気にする。世の主流となる立派な経済の本があるそうだ。しかし、どこかで誰かが儲けて、誰かが値切られている。わたしは勝手に値切られた言い値で魚を買う。二尾が三尾になる。魚屋さんは裏でさばいてくれた。生臭いにおいがする。それが魚屋さんであることの証明である。長靴を履いた店主から魚を受け取る。すこし天気の話をする。時化になると大変なのだろう。ネコが店の前で門番のような役割をしている。頭の部分をもらえるのかもしれない。家はどこにあるのだろう。神社の境内ではある時期になるとネコの子どもがたくさん生まれた。お腹の大きいネコをあまり見かけないのに。

 ひとというのは不思議なものだ。一年近くも母親の胎内にいて、きちんと成長するのは十代の半ば以降になってからだ。それまではご飯を与えられ、学校でいろいろなことを教えられ、やっと一人前になる。さらに一人前になってから少し経つと、彼らも同じ工程に入る。恋という美しい一段階があるが、もちろん見合いという方法もあるが、子どもが生まれ、学校に通うようになる。算数の得意な子がいて、絵の上手な子もいる。運動神経を身に着けて生まれた子がいて、静かに本を読むことが大好きな子も生まれる。学者になって、またある子はお相撲さんになる。胃の小さい子がいて、大食漢の子もいる。でも、誰も事前に察知できない。与えられたものを、与えられたもの以上にするだけだ。

 英雄は大根をおろしている。白いものが皿にたまる。それを焼き魚の横にのせる。香ばしい匂いがする。土曜は山形は残業をしない。たまにはということで英雄と銭湯にも行った。大きな湯ぶねがより疲れを取るそうだ。わたしもそれに合わせて食後にお風呂に向かう。着替えながらおかみさんたちと無駄話に興じる。小さな男の子もお母さんに連れられていた。異性に裸を見られることをまだ恥ずかしくは感じないのだろう。わたしたちもその小さな目をことさら意識しない。ただの男の子。英雄はもういやがるだろうか。

 まだまだ暑いと思っていたが風は冷たくなっている。わたしは洗面器をもち、サンダル履きで歩いている。目の前にはある夫婦が歩いている。新婚さん。肩を寄せ合うようにしている。楽しい時期なのだろう。わたしも前のひととそうした機会をもっていたのだろうか。もう思い出せなかった。思い出せないというより、思い出す事実を見つけられなかった。

 商店はすべてしまっている。わたしは夜の町を最近、歩いていなかった。月がのぼり、その明かりが足もとを照らす。ひとりで今後のことを考える。わたしはもう一度、結婚をするのかもしれない。もうその決定は自然な流れの範疇に入ってしまっている。

 家の戸を開ける。ふたりは寝そべり、あお向けの姿勢で本を読んでいた。狭い室内に身を固めて暮らしている。美しい情景。神々しさすらある。わたしは裸足でその空気を乱すことに関与してしまう。

「どうだった、混んでいた?」
「それほどでも」
「牛乳、飲んだ?」と、英雄も訊く。わたしは返事をしないでただ微笑む。

 わたしは手拭いを干す。急に風が雨戸に激しく当たる。そろそろ台風の時期になるのだろうか。毎年、忘れずにどこから来るのだろう。いつか文明がすすんだら、壁のようなもので防いだり、あるいは爆竹の大きなもので中心をこわしてくれるだろうか。しかし、来るものはなにがあっても来るしかないのだ。それが宿命であり、それぞれの命の生甲斐でもあった。

「明日、なにする?」とわたしは英雄に訊く。
「山ん中に入りたい」
「どうするの?」
「たくさん栗をひろう」
「じゃあ、栗ごはんだ」と山形が言う。

 それも悪くないとわたしは思う。結局、わたしにとって悪いことなどひとつもなかった。わたしは明かりを消す。暗闇のなかで鼻は前触れのように栗の素朴なにおいを感じてしまう。

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最後の火花 95

2015年07月13日 | 最後の火花
最後の火花 95

 残業がつづき、疲れがたまる。しかし、仕事があることは良いことだった。オレは満腹になり居眠りしてしまう。畳のうえに横たわり、その身体に毛布がかけられている。オレは目を覚まして風呂に入った。

 喉がかわいたので風呂上りにビールを飲んだ。コップがふたつ。オレらは今後のことを話す。世界に生きているのはこのふたりだけのような静けさのなかで。実際にはそばに子どもが寝ている。あと七時間や八時間は確実に目を覚まさない。オレは一晩中、目を覚まさないことなど年に一度か、二度しかない。心配と不安は確かに減った。過去の悔いは完全には消えないだろう。もう既にそれはオレの一部と化していた。

 余った漬け物を食べる。食感がここちいい。ビールを飲み干して布団に入る。オレは隆起したふたつの物体に触れる。この凹凸を誰が作り、誰が最初に発見したのだろう。オレは吐息を感じる。一体になるという喜びを知る。

 朝になる。天気は晴れていた。作業着を着て靴のひもを結ぶ。昼の弁当を手にして、職場に向かった。これがずっとつづく。あと三十年ぐらいは待っているのだろう。それが人生のすべてだった。不満もない。この段階までいけない日々があった。オレは隔離され、名前より番号がオレを示していた。

 学校ではみんなが母の弁当をもっていた。オレらは似たような用意された弁当を順番にもたされた。そこに個性もなく、ただ空腹をみたすということが最優先された。空になった弁当箱を各自で洗い、次にその容器をつかうか分からないまま濡れた布巾で水気を取った。

 何度か学校をさぼって弁当だけ食って帰った。しかし、ズル休みは絶対にばれる。オレは内面は置き去りにして、儀礼的に頭を下げた。それで罰があるわけでもなく、さまざまな悪事は結局は自分に帰ってくるという方針で放置された。

 友人とふたりで電車を乗り合わせ、海に行った。帰りは夜の九時ごろになった。そのときだけはさすがに心配された。いっしょの彼は不治の病いでいま入院している。もっとズル休みでもなんでもして彼をいろいろなところに連れて行けばよかった。これもできなかったことによる後悔のひとつになる。オレは彼の顔を見たい。是非ともこのオレの脳裡に刻み付けたいと願っていた。

 してしまったことで後悔して、しなかったことでも同じように悔いた。人間というものは不思議なものだ。オレは生産量というノルマを考えながら、午前の時間を計算した。機械の不具合で思ったようには捗らなかった。その整備に時間を追われ、あっという間に昼になった。昨日の夜からおかしかったのだが点検を怠ったツケがきょうになって現れる。しかし、もういまはスムーズに動いている。午後には挽回となるだろう。

 オレは焼いたしゃけを食べる。飽きることのない味。何事にも飽きた自分だが、意外と味覚は保守的にできているのだろうか。お茶を飲んで、新聞を読んで午後の仕事となる。また長丁場になりそうだった。

 機械は調子を取り戻したが、三時の休憩前になにかが切れる音がした。間もなく機械はとまった。ファンのベルトがぺたぺたと何かにぶつかる音がする。これでは手に負えそうになかった。オレは電話を借りて業者を呼ぶ。修理に直ぐにかけつけてくれるそうだ。

 長い休憩になり、仕方なくできる範囲の作業に取り掛かる。それでも、四時過ぎには直った。ベルトを新しいものに取り換え、回転させると以前より軽い音になった。ずっと負荷がかかっていたのだろう。オレはまた仕事にもどる。焦って却ってこじらせてしまう場合があるので、慎重にする。オレはこのベルトをなぜか友人の命と結びつけてしまう。途端にいやな汗を感じる。あともう少しで休みがもらえる。しばらくは耐えてくれるだろう。

 残業を依頼されて受諾する。猫の手を借りたい、と無邪気にひとりごとを言う。オレは一服のために、五分ほど持ち場を離れた。外は電灯がつき、夜をそろそろはじめている。腹が減る。オレはタバコを揉み消し、いつもの工程にもどった。

 今日は給料日だった。帰る間際に封筒を受け取る。オレは中味を確認する。札を数枚抜き、このまま手渡そうと考えていた。しかし、月末の旅費のため、もう数枚さらに抜いた。

 オレはそこから酒とタバコを帰りに買った。呼び込みのいる酒場の前を通りかかった。若いころ、いや、ちょっと前まではたまに訪れていた。あのなかで浪費した時間と金がどれぐらいだったのか想像する。

 家の前まで着く。夕餉のにおいがする。戸を開くと新しい絵が目の前に飛び込んだ。タバコを吸っているオレの姿だった。英雄にはこう映っているのだろう。

「よく描けてるな。指名手配なら直ぐに見つかる」と冗談をいう。
「いやなこと言わないで」とあいつはエプロンで手を拭きつつ、にこやかに言った。

 オレは弁当箱を取り出して手を洗って食卓につく。茶碗の前に給料袋を載せる。「旅費のためにちょっと多く抜いた」と付け加えた。
「もう充分、もらっているわよ」と彼女は言ってタンスのうえに供えるようにうやうやしく置いた。

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最後の火花 94

2015年07月11日 | 最後の火花
最後の火花 94

 一日一日と三人で暮らした日が増える。加算される。どれぐらい経ったら知り合う前と同数になるのだろう。英雄は十才ぐらいで迎える。わたしは五十才を過ぎてしまうだろう。五十才。そこで見る景色はいったいどういうものだろう。

 英雄はその間に五回の夏休みを過ごす。どの年がいちばん楽しい記憶となるのだろう。海に行き、山に行く。泳ぎが得意になり真っ黒に日焼けして、誰かを好きになる。彼を補ってくれる性質をもつ女性はどこにいるのだろう。わたしは小さな少女に嫉妬をするかもしれない。採点を辛くするかもしれない。実際の親子に似た、義理の間柄を超越する関係になるのかもしれない。

 わたしは隣の家に生まれた赤ちゃんを抱っこする。新米の母親。そして、新米の父親。ベテランの母親などどこにもいないのかもしれない。いつまでも子どもは子どものままでいてくれないのだから。

 英雄は絵を描いている。ネコを描き、魚を描いた。魚はどうしても寝そべった姿で描かれる。泳ぐ姿など水中のことなので、具体的に、さらには立体的にはむずかしいだろう。

「上手だね」
「だって、好きだから」

 好きだから得意になるのか。得意なことは誰も好きなのだろうか。苦手なことをするのは苦痛だ。好物ばかりを食べては栄養が偏るが、こうした分野は長所として伸ばしてあげる方がためになるのか。わたしも新米の母親に近い。
「お母さんも描いてみれば」そういって英雄は鉛筆を差し出す。
「ダメだよ、下手だから」
「上手になるよ」

 わたしは色鉛筆でへのへのもへじと書く。わたしにできる精一杯のことだった。わたしの長所はどこにあるのだろう。自分自身で点検する。なにも思い浮かばない。わたしは鉛筆を戻す。窓を開けて空を見る。青と決められたから空は青いのか。わたしはぼんやりと考えながら、空を見る。今後ずっと雨など降りそうもない快晴だった。どこかから布団を叩く音がする。幸福の太鼓。あれを敷いてぐっすりと眠れば、直ぐに疲れなど吹っ飛ぶだろう。

 新聞の集金のため若い男性が玄関にやってきた。わたしが財布を探している間に、英雄はその男性に自分の絵を見せていた。上手だと誉められて、頭を撫でられている。今度、景品でペンをくれる約束をしていた。大人はつい約束を忘れてしまう場合があった。破りたくて破っている訳でもなく、うっかりと忘れてしまうのだ。彼がその約束を簡単に忘れなければいい。しかし、一か月もそのことばかり考えてもいられないだろう。

 英雄はラジオを描きはじめる。ある日、学校で両親の絵を描くようにすすめられるかもしれない。残酷なことだ。英雄はどう反応するだろう。素直さと真実の板挟み。しかし、未来にはほんとうの夫婦になっているかもしれない。可能性は潰えていない。開花のまえのつぼみのように膨らんでいる。

 わたしはお米をとぐ。将来の女性はいくつもの家事から解放されるのだろうか。しかし、そうなったら余った時間をなにに使うのだろう。それでも、やっぱり忙しいのだろうか。英雄もこれぐらいできた方がよいのだろうか。料理する才能などやってみないと分からない。わたしはラジオから流れる音楽に合わせて唄った。

 わたしも洗濯物を取り込む。乾いた厚手の作業着。たたんでいると英雄の絵が完成される。
「なんに見える?」
「ラジオでしょう。そこに貼って置けば」わたしは壁を指差した。殺風景な壁。お米屋さんの名前が入ったカレンダーがあるだけ。その上には時計がある。夕方になるころだ。日は夏に比べると短くなる。やるべきことは、まったく同じなのに。

 山形の職場の事務の男性がやってきて、外にいる英雄になにかささやいていた。
「どうしたの?」
「おじさん、ちょっと遅くなるって」
「そうなの。たいへんね」

 わたしは味噌汁を用意する。大根を切って入れる。味見をする。満足なできだ。
「お腹すいた? 先に食べる」
「待ってるよ」
「ちょっと、そこ片付けてね」

 紙や鉛筆がまだ床に散乱していた。英雄は静かに後片付けをする。わたしは机の脚を出して、布巾で拭いた。食器を並べる。疲れて帰ってくる。毎月、この近辺は忙しい。わたしの身体は意図せずに覚え込んでしまう。

「ただいま」
「さっき、おじさんが遅くなるって言いに来たよ」
「こっちに用があるっていってたから。うまそうなにおい」

 わたしはご飯をよそう。味噌汁を温めなおした。これぐらい食べるという量を覚えてしまう。いつもよりすくなかったら健康ではないというサインになる。滅多にない。いや、ほとんどなかった。
「ラジオ描いたんだ」山形は壁の絵を見ていた。
「新聞屋さんが、今度、もっといっぱいの色をくれるって」
「そうか。じゃあ、もっと上手になるな」

 ひとは約束をする。小さなものや、大きなものまで。結婚も約束だ。子育ても二十年近い約束だ。いったん生まれたら放棄はできない。新米の夫婦。新米の子ども。描いたばかりの壁の絵。空になったお茶碗。満腹になったのか男と男の子があくびをする。まるで双子のように同時に。

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最後の火花 93

2015年07月10日 | 最後の火花
最後の火花 93

 オレはいったい女という明らかに自分以外のものを何人ほど好きになったのだろう。自己愛を離れて。免れて。

 もちろん、あるものは終わってから次の誰かが生まれる。卵の殻が割れるようにして。意図もしないのに勝手に好意は芽生えている。誰がオレにその感情をインプットしたのだろう。しかし、詳しく考えてみればそれぞれがきっちりと終わってもいなく、指揮棒を置くような完全な解決も終止符もなく、次がはじまっている。アンコールを頼んでいないのに。ただビールのグラスに注ぎ足すように、過去をいくらかずつは引き継いでいる。それも正解ではない。どれも完了という境地には到達しない。まだ直らない傷のようにじくじくと生きつづけている。これが男性の性なのだろうか。あるいは自分だけなのかもしれない。

 恋という感情をもてあまして意地悪をする。なぜ、あんな可哀そうなことをしなければならなかったのか。いたいけな少女に対して。あるときからは正反対の守る対象になる。そして、涙をはじめて見る。唇を触れ合わす。身体を重ねる。それ以降、関係性は変わる。

 何人とそういう関係ができたのだろう。先輩に連れられて、とある場所まで行った。泥酔していた記憶しかない。名前も顔も思い出せないひとり。あの金は先輩が払ってくれたはずだ。誕生日か新入社員として働きはじめたころのことか。あのころはまだ未来を大きく感じ、茫洋としてだが希望をもっていた。いまは限定されてきている。現実はより身近に感じ、濡れたシャツのように肌に密着している。これ以上、大きくなることはないだろう。

 オレは働き、子どもを可愛がった。妻となるべきひとも見つかった。相手がそう望んでいるかまだ確証はない。彼女は一度、失敗している。不幸な決断だっただけだ。オレがひとの不幸な決断をとがめる権利などない。オレこそが間違った歩みをしてきたのだ。償いはきつかった。オレを根本的に曲げてしまった。しかし、仕方がない。身から出た錆だ。

 オレは信頼を取り戻そうとしている。誰かが親身になって自分を引き留めてくれていたら、あの時どうなったのだろうか。やはり、片意地張って反抗をつづけただろう。それがあの時のオレだった。味方と認めていた人々は自分の身の回りから一目散に逃げ去り、そして、現状は磁石のようにこの家族をひきつけた。好きとか嫌いを超越した責任があった。そもそも大人はもう好悪などの下卑た感情で一喜一憂してはいけないのだ。好きも仮面の下に隠し、嫌悪もまったくの能面のような無表情でやり過ごす。オレの感情は冷え切った鉄のようなものとなる。しかし、冷酷な尖った物質となれば自分自身をも傷つけてしまう可能性があった。

 オレはほんとうは池の鯉のように口を大きく開けて愛を感じ、なまけものの犬のように小屋でのんびりと寝そべりたかった。オレを脅かすものはなにもなく、オレから奪うものも誰もいない。しかし、そうした境遇に甘んじられるのは一部の裕福なひとのみだった。オレは今後もその側にいけないだろう。いけないからといって悲観はしない。この場をすこしでも安らかなものとするのだ。

 オレは昼休みに新聞に目を通す。世間というものがようやく分かりかけてきた。遅いスタートだった。平均所得という記事がある。オレのところに統計を取りにはやってこない。しかし、この記事はただしいものとして読まれている。オレはその額との差を自分の価値と認める。英雄には高等な教育を受けてもらおう。実力が実力として認められる世の中の一員となってもらおう。

 工場の機械は午後になってまた動き出した。オレは満腹になって眠気を感じる。数か月前はもっと飢えていて、何かを希求してギラギラしていたつもりだった。いまのオレは去勢されてしまっていた。望んでそうなった。もうオレの内部の危険な衝動は消滅してしまったのだろうか。それとも、目を覚める機会を狙ってぐっすりと休んでいるのだろうか。オレを許さないひとがいて、オレを許そうとしているひともいる。その先頭にいるのがあの家族であり、ここの社長でもあった。

 午後の休憩はのこりの仕事量を再計算するときでもある。このままなら少しばかり残業を頼まれるだろう。このいくつもの部品を使い尽くす次の工程も数日後には同様に忙しくなるのだろう。さらに先があって、また先がある。その完成品をオレは見ることがない。いつか自分でも購入できる資金がたまるだろうか。しかし、まだまだ先だろう。

「山形くん、悪いな、きょうもまたお願いできるかな」社長は首にタオルを巻いて、その裾で汗ばむ額を拭きながら訊いた。
「いいですよ」
「ちょうどあっちに用があるから、英雄くんにそう伝言しておくよ」
「ありがとうございます」

 オレはまた黙々と作業をする。ひとりで頭のなかだけで語っている。オレは過去のオレと対峙し、未来のオレに打ち明けた。未来のオレは白髪が増え、相変わらず痩せたままだが幸せそうにしている。ああなるために、いまのオレは働かなければいけない、稼がなければいけない。過去を償わなければいけない。未来に贈り物を届けなければいけないのだ。

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最後の火花 92

2015年07月08日 | 最後の火花
最後の火花 92

 英雄はもう元気いっぱいな様子で、いままでのように飛び回っている。わたしの心配もウソのように霧散した。

 山形の献身的な様子をみて、わたしはそれとなく未来を賭けようと思いはじめている。信頼が原動力となって車輪はまわっていく。まわりはじめたら車輪は普通の力では止まらない。また止まらせる必要もない。衝動がひとつもない人生など、いったいどこがおもしろいのだろうか。否定する材料があるとも思えない。

 来年のいまごろのことを想像する。英雄は学校に順応している。わたしは山形と授業参観に行っているかもしれない。奇異な視線というおそろしいことばを思い浮かべる。仲間外れにされてはならない。しかし、いろいろな不安を跳ね返すのが強い子の資質でもあった。

 英雄には負けん気がすくない。よくいえば協調性がある。悪くいえばひとを信用しやすい。すると信用というのは欠点なのだろうか。そうとはいえない。確かにある面では減点だ。衝動と同じように信頼も信用もなければ人間とはいえない。動物以下だ。いろいろ傷つきながら学習するしかない。その面では親は全面的に防御も応援も後押しもできない。身勝手ではなく、子どもは監視下から離れていくものだ。

 ふたりは釣りに行く。鮎がいて、他にも川魚がいる。外で焼いて香ばしいにおいのまま口にする。わたしはその準備のための用意をして遅れて行く。長い竿と短い竿の二本が川の流れのうえにあった。わたしは橋のうえからその動きを眺める。周りの樹木は夏の生い茂るみどりを幾分うしなっている。だが、水の温度はまだまだ高そうだ。わたしは彼らの横に着き、確かめるために水中に手を入れた。実際はずっとひんやりと冷たかった。上流はもっと冷えているのだろう。

 数尾だけだったが小さな魚が釣れた。山形が腹を割き内臓を取り出して串を刺して、熾した火に斜めに串を並べた。彼は川の流れで手を洗って、確認するようににおいを嗅いだ。そう簡単にはにおいはとれないだろう。

 わたしたちは石にすわって各々頬張った。わたしはおにぎりを握って来ていて彼らの空腹をみたした。外は晴れていて雲はゆるやかに流れている。煙のにおいを感じ、川のせせらぎを聞く。休日にできること。いつもの曜日にたまった疲れが遠退いて行く。わたしは水筒からお茶を出す。中は空になった。

 三人でそれから買い物に行く。きょうの献立は魚は抜きで考える。英雄は柿の木のしたで手を伸ばして、オレンジ色の果実を取った。ひとつで充分らしく、そのままお手玉のようにして交互に受取り歩いている。

 八百屋の品揃えはなぜだか良くなかった。カボチャと大根だけ買う。これだけでも何とかなりそうだった。ふたりは飽きたように前を歩いている。わたしはその背中に向かって歩いている。目印がある。そこに向かって行くだけだ。彼らは誰かに挨拶している。その姿はここからでは見えない。数歩近づくと山形の職場の社長さんが奥さんと歩いていた。作業着ではなく普段の私服。個性というものがそのまま分かる洋服。わたしも会釈する。彼らはどこに向かっているのだろう。

 家に着いて食事の準備をはじめる。山形は柿の皮を剥いている。器用なものだ。するすると一枚の皮になって下に落ちた。さらにふたつに割って、それぞれ食べている。看病を通してふたりの仲はより緊密になった。つかわなかった薬を戸棚にしまう。ひとつひとつ免疫が増えて大人になる。汚れを内包して大人になる。潔癖さなど大人には不似合いだった。

 ご飯の炊けるにおいがする。安らかな気持ちになり、そして空腹感が増す。わたしの食べる量などすくないものだ。だが、つくるのは大勢の分をまかなうほうがより楽しいだろう。子どもが五人も六人もいたら、そのことだけに引っ張りまわされるかもしれないが、忙しくしている期間もなかなか楽しいのかもしれない。

 食卓におかずが並ぶ。もう三人で食べるようになってからどのぐらいが経つのだろう。カボチャと大根。世界にはたくさんの料理があるのだろう。ご飯を素手で食べる地域もあるそうだ。タコやイカを毛嫌いするひともいる。ただ、ラジオで聴いただけの情報で、実際に目にしたことはない。いつか英雄は世界一周旅行をするかもしれない。ならば好き嫌いは少ないほうがよいだろう。しかし、それも自分では決められないのだ。味覚自体を当人が受け付けない。解消されるものもあるし、ずっと居残るものもある。カメラで写真にのこしてわたしはそれらを見ることを楽しみにしよう。文明は発達して進化する。この国もいずれ裕福になるかもしれない。

 わたしと山形はここで年老いる。もしくは、別の居心地のよい場所で暮らしているかもしれない。そのときに、きょうのこの団欒を、なにも劇的なもののなかった通常の一日を思い出すことになるのだろうか。きっと、そうしている。おそらく、忘れない。わたしは空いた皿を洗う。虫の音がする。これらの虫は春はどこにいたのだろう。トンボと同じようなものだろうか。わたしは手を拭いてラジオのスイッチをつけた。

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最後の火花 91

2015年07月07日 | 最後の火花
最後の火花 91

 英雄が風邪を引いた。ひとりで生きているときは自分の身体だけを労わっていればよかった。資本でもあり、唯一の財産でもあった自分の身体。オレはたらいに氷を入れ、ぬるくなった手拭いをしぼって、また額に載せた。
「ありがとう」と小さな声で英雄は感謝を述べる。そんなお礼などいう状態でもないのに。

 しばらくすれば元気になるのは分かっているが、それが心配感を軽減させるわけでもない。いま、損なってしまえば永遠に後悔することも考えられるのだ。だからといって身代わりになれるわけもなく、たっぷりと愛情を注ぐことしかできない。そのあらわれが冷たいタオルとなっている。

「どう、落ち着いた?」あいつは医者のところから帰ってきた。
「先生は?」
「同じような病気が流行っているらしいので、もう一軒よってから、こっちにも廻ってくれるって」
「そうか」

 あいつは英雄の額に手の甲を当てた。「まだ、熱いね」それから、体温が下がるおまじないのように自分の額を当てた。「やっぱり、同じか」
「先生がくるまで少し休めば」彼女は、昨夜、ほとんど寝ていないはずだった。
「でもね」

 間もなく医者がきた。医者というより地域の世話役のような風貌だった。科学に命を捧げたというより町の調停をはかるひとのように。
「どれどれ」台所で手を洗ってから英雄の横で正座をして、聴診器を取り出した。
「どうですか?」

「あと二、三日はこのままですが、それが過ぎればピタッと熱は引きますよ」
「じゃあ、それまで待つだけ?」
「そういうことですな。汗をかいたら身体を拭いて、着替えをして、水分を与えて」
「ご飯は?」
「これじゃ、お腹は空かないでしょう。本人が食べたくなるまで控えても」

 彼の仕事は治療というより声を通して保護者に安心感を与えることが使命のようだ。彼はふたたび手を洗い、お茶をすすって世間話をした。オレの過去をどことなく知っているようだ。そのことによって偏見をもっているようでもなく、ただもう悪いことには戻るな、と静かに懇願している目を向けていた。

「守るものがあるっていうのは大切なことだよ。医者の仕事は、そのお手伝いに過ぎない」
「いいえ、ありがとうございます。料金は?」
「明日、うちに薬を用意しておくから、そのときにいっしょに。朝一でもかまわないよ」
「分かりました」オレとあいつは同時に返事をした。

 オレは仕事前に小さな医院に寄った。消毒くさい独特のにおいがする。玄関脇の花壇には花が咲き、狭いながらもよく手入れがなされていることが彩りで理解できた。オレはベルを鳴らして、老齢の看護婦から薬を受け取った。専属の看護婦なのか、医者の妻がその制服を着ているだけなのかは不明だ。

 オレは家に戻り薬を置いてから工場に向かった。あいつは仕事を休む。一日休んだからといってその会社が転覆するわけでもない。翌々日に遅れは完全に挽回できる。

 大人は頑張ったり、手を抜いたりとうまいこと調整ができた。子どもは突然、倒れる。前例というものがない状態で生きているのだ。ある時期まで保護と諭しが必要だ。しかし、その期間もあと十年ぐらいかもしれない。十代の半ばになれば反抗期を迎えるだろう。正しいことにも、正しいという理由だけで背を向け、間違えた結果すらも跳ね返す力があり、すべてに歯向い自力で育ったような気持ちになって、それでも未来を独自に切り開いていく。いまの経験でオレは語っている。当時のオレはなにも知らなかった。未経験と率直さの合間で大人になるのだ。しかし、一旦大人になったら、変更は利かない。本の途中まで読み進んでしまったのだ。そこから、後半部分を自分の望んだように書き直す。書き直すといっても、前のページと内容を踏襲しなければ筋が通らない。オレは孤独な幼少時をあたたかな大人となってと書き換えようとしていた。その為に働いて看病をした。

 昼休みになっても容態は分からない。家にも電話が引かれていれば直ぐに最新の情報が加わるが、夕方まで待たなければいけない。不便なものだ。オレは恨めしく職場の黒い電話をにらんだ。にらんだからといって、それがあいつの声を耳にまで運んでくれることもなかった。

 オレは家に着く。昨日と大して様子は変わらなかったが、昼におかゆを食べたということだった。健康というのはつまりは食欲の有無で計られるべきものだろうか。その通りだろう。オレは疲れていて空腹だったが、いつもより飯は不味かった。ふたりだけで味気ない飯を片付け、オレは風呂に入った。

 窓の外で秋の虫の声が響く。姿が分からない。どこで彼らは演奏方法を学習するのだろう。オレは学校では音楽がもっとも苦手だった。ある賢そうな少女は金属製の横笛を流暢に吹いていた。オレは手品以上に驚いている。いくつかの穴をふさいで息を吹き込んでいるだけなのだ。自分の身体がそのような運動に向いているとも思えない。オレの身体は棒で力いっぱいにボールを叩き付け、ときには同級生の顔や手足にあざを作ることぐらいしかできなかった。不器用で、無様で、愛情にも成長にも縁遠く、すべての事柄に対して無頓着だった。

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最後の火花 90

2015年07月06日 | 最後の火花
最後の火花 90

 彼の友人をひとりとして知らない。同じようにわたしの友人、過去のどこかで気付かないうちに葬り去られたひとびとも含めて、彼はひとりも会ったことがない。だが、突然、手紙がきた。彼の過去のある日が一枚の紙によって明瞭になる。

 しかし、わたしは会うことができないのかもしれない。随分と病状が重いそうだ。その男性も両親がいなかった。完全にいないのか、育てるのを放棄したのかわたしには分からない。でも、分かったからといって何かが解決することもなく、子どもには同じ結果としてのしかかるのだろう。いや、のしかかった。

 わたしも夫に捨てられたようなものだ。愛情があるものとして信頼していたのに、結論は断絶。捨て子。わたしは英雄をどこまでも守るだろう。せめても大人になるまでは。

 彼は暗い、沈んだ顔をしている。自分の幼少時の環境をなかなか話したがらない。理由として口にすればするほど、忘れていたものが現実にもどってきてしまうと言った。お化けに実体を与えてしまう行為のようだ。いないと考えればいなく、話せば話すほどリアルなものとして現在にまで、未来を歪めてしまうほどの影響を及ぼしてしまう。ほんとうはお化けなどいないのかもしれないが、ひとりで自分を守ることしかしてこなかったならば、無意味だとしても揺れる白いカーテンを恐れてしまう。他人が説得して変更させる領域外のことだ。

 時は一定のはずなのに遅くなったり、すすんだりする。じりじりと待ち侘びたり、あっという間に過ぎてしまう楽しい時間もある。ベッドで彼の到来を待つ病人には長い時間が流れていると予想される。痛みがあればなお酷だった。長引く痛み。彼はどれほどの悪事を働き、どれほど罰せられなければならない運命にあるのか。ほとんどわたしと同じぐらいの親切なことをして、同じぐらいの回数、悪いことをしたのだろう。普通の人間として。不公平の如実としたあらわれ。見離された病人。

 彼はそこに行く。歓喜があるのだろうか。安堵だろうか。共通の過去を共有できたよろこびなのか。わたしがもし最後の日になったら、いったい誰に会いたいと思っているのだろう。ひとりとして浮かばない。母でも父でもなかった。わたしは死を忘れられることと同義語だと思っていた。だから、誰にも会う必要がない。その道中でわたしは徐々に死んでいるのだ。

 わたしは勝手にひとの生死を決めている。委ねられる権限もまったくないのに。老衰というものがご褒美のように感じられる。わたしは自分のその地位を考える。英雄には子どもがいる。孫というのはどういう感じがするのだろう。無条件の愛情を捧げる対象なのか、それとも、子どもよりいくらか他人としてすき間をつくって接してしまうのだろうか。わたしはもうひとりぐらい子どもを生む余力があるだろうか。わたしは事務机を前にして、さまざまな空想をしていた。

 わたしは職場のひとにお茶を入れた。誰に教わったわけでもないのにわたしが入れるお茶はおいしいのだそうだ。お世辞に過ぎないと分かっていても、いやな気持ちはしない。わたしは自分の分をもって、机に向かう。出納ということばをたまに不思議に感じる。今月は余り、先月は足りなかった。家と同じだ。最近はちょっとだが貯金もできるようになった。子どもの学費がどれほど重くふりかかるのか自分には分からない。

 鉛筆をけずって帳面に数字を書き込む。それをまた点検してもらう。点検がすむと銀行に向かう。きっと銀行の方も同じことをするのだろう。数字を獰猛な動物として畏敬し、さらに飼い馴らさなければいけない。入金したものが支払で減り、その隙間にわたしのお給料があった。わずかばかりのもの。山形が入れてくれるお金と、前の夫がくれていたお金の差はなかった。女性というのは依存から抜け出せないものであろうか。わたしにもし女の子がいたとしたら、どういう未来を提示できるのだろう。

 音楽を習わすことは可能だろうか。きれいな華やかなドレスを着て発表会をする。大人になるにつれ料理も覚えてもらおう。だが、味覚は遺伝するのだろうか。わたしは答えをすでに知っていた。英雄と前の夫の好物はほとんどが似ていた。嗜好は変えられない。彼はその事実を知らないまま成長する。いつか、ふと不思議に感じたりするのだろうか。鏡に突然、自分の顔が映り込んでしまったように。

 会社の机をきれいにして、全部のゴミ箱を空にしてから外に出た。にわか雨が降っている。しかし、間もなく止んだ。空に虹が出た。わたしは何度、虹を見ただろうか。一年に一度は見たことにしても、三十回もない。だが、そんなに少なくても虹の名前も忘れないし、大体どういう映像か、自分のこころが不思議とあたたかくなることなど知っている。わたしはしばらく佇んだまま空を見上げる。束の間の存在でしかないことも知っている。永久に虹という現象はあるけど、わたしが見ている虹はそのうち消える。山形の友だちはどうなのだろう。子ども時代の親友もよくよく考えれば虹みたいなものだった。あるいは蛍のようなものかもしれない。水たまりをよけて歩き出す。

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最後の火花 89

2015年07月01日 | 最後の火花
最後の火花 89

 思いがけなく手紙が届いた。良い報せであるとは思えない。新しいものは常に不安感を与えた。

 裏の名前を見ていくらかだが安心する。兄弟のようにして育ったあいつの見覚えのある筆跡で名が書かれていた。だが、いまごろになって何を書いてきたのだろう。結婚でもしたのだろうか。

 正直にいえばオレはここ数年、彼のことを考えることもなかった。冷酷なもんだ。あんなにも毎日、遊んだ仲なのに。

 読み進めてオレは不快な汗をかく。手紙の内容は病気の告白だった。治る気配はもうなく、あとは死を待ち侘びるだけのようだった。彼は遠い病院にいる。そこの住所も書かれている。最後の願いとして簡素な葬式をあげ、余った金をオレに譲ると告げていた。凡その金額が書かれている。少なくない金額だった。

 どうしてこの手遅れの時期になってやっと書く気になったのだろう。もっと早めにできなかったのだろうか。しかし、これは彼の直るという信念が今さらという段階にまで達してしまったからかもしれない。

 オレは先ず見舞いに行くことを考える。数日の休暇をもらわなければならない。明日、社長に頼むことにしよう。できるだけ早いうちに行かないと病状は悪化してしまう。のこされた具体的な日数は分からない。容態も分からない。特効薬はないのだろうか。若いほうが、かえって命を蝕む威力に自身で加担してしまうこともあるのだろう。

 オレは彼の人生を考えながら飯を食った。身寄りのないオレたちだが、遺産をオレにのこすほど彼には親身になってくれる家族や友人、恋人、妻を見つけられなかったのだろうか。オレはもう十年近く会っていない。どうして、住所も分かったのだろう。

 オレは布団に入る。横に寝ているあいつが話しかける。
「手紙、良いこと? それとも、悪いこと?」無言というのは心配を助長する。オレはそういう普通の営みすら忘れていた。
「いっしょに育った仲間が、手遅れの病気にかかってしまったらしい」
「そんなに若いのに?」
「無理をするやつだし、我慢強いやつだったから、気付かなかったんだろう」
「どこにいるの?」

 オレは場所を言う。そこにある病院。近いうちに休みをもらって見舞いに行くことを考えているとも付け加えた。
「早いうちに行った方がいいよ」

 彼女はそう言うとオレの手をにぎった。直ぐに寝息が聞こえる。オレはひとの命の代償としてもらえる金のことを考えた。いまの生活を抜け出せるほどの金額だ。魅力がないとはいえない。しかし、生きつづければそれは永遠に彼のものなのだ。オレにはもらう資格などない。彼が貯めたものだ。彼はその金で病気を根絶させ、楽しみの在処を思う存分に堪能する。それで使い道としては充分だった。

 翌日の昼休みにオレは社長に願い出た。彼の口は、生産量と取引先の納品日をもらした。カレンダーをにらんで、月末近いある日に丸をする。

「ここらあたりなら余裕があるな。そこで、大丈夫か?」
「平気です。ありがとうございます」
「その前日までにあちらさんに届けてくれよ。失敗なしで」
「分かりました」
「元気になってればいいな」
「そう思っているところです」

 オレは休みが取れて安堵するかと思っていたが、反対に気が気ではなくなっている。頭の片隅にベッドで苦しむ彼の姿が映る。白い床には看護婦さんの足がある。点滴を取り換えている。オレは見舞いになど行ったこともないはずだが、不思議とそうした映像がリアルに浮かんだ。

 三週間ばかり時間がある。毎日、汗だくになりながら働いた。何年も考えていなかった相手を、毎日、思い出す不思議な日々だった。一日一日が過ぎるのが遅く、顔を見れる日が待ち遠しかった。

 オレは毎日、もうひとりでいるのはよそうと願っていた。いや、願いでも願望でもなく、自分の奥から湧き出す叫びであった。宣言ともいえる。オレはそれとなくあいつに訊く。躊躇はあるようだが、断固とした反対ではない。オレはまた金のことを考えてしまう。その誘惑が忍び込んできて、魅力を一方的に振り撒いた。

 小さな指輪を買おうか。もうすこしまともな家を見つけようか。転職先を考える。しかし、オレの過去の振る舞いが未来を不自由にしている。オレは、そのことをもっと前に気付くべきだったのだ。

 仕事の仲間は親しくなれば、みな優しく親切だった。オレの過去のことを考えてみれば天国に近かった。あそこでもっと頑張り、給料があがることを願うしかない。

 彼は死ぬかもしれない。オレは断じて望んでいない。しかし、そうなった場合にのみ、オレの未来の一部が切り開けるのだ。いや、自力で強引に開けるしかないことは理解している。

 油断していたのか指先をすこし切ってしまう。オレは機械から離れ、絆創膏を探す。こんなに小さな傷なのにズキズキと主張する。彼の病気はこれぐらいではないだろう。生活環境にも恵まれず、健康にも見離され、命を縮めることしか彼には贈り物がなかったのだ。オレは憐れんでいる。自分の境遇も同じスタートだったのに、紆余曲折をしながらも幸せに近付いている。彼にも元気になって再起の機会を与えたい。だが、オレには力がない。あのふたりしか守ることは許されていないだろう。

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最後の火花 88

2015年07月01日 | 最後の火花
最後の火花 88

 なんだか分からないものに対してわたしは祈っている。手元にきた幸福の予感の風船に息を吹き込んで膨らませるように、そっと。力いっぱい入れれば破裂してしまうかもしれない。徐々に、ゆるやかに大きくするのだ。祈りに効果があるのかも分からない。しかし、しないわけにもいかない。やっと、手に入れたものでも、このものの状態よりすこしでも大きくなってほしいのだ。

 期待と呼ばれるものは良いものだ。失敗を考慮にもいれないのどかな気分。だが、実際には小さな障害はどこにでもある。仕事のささいなミスでイライラして、指摘されて焦ってしまい、家での料理の味付けにも失敗する。鍋ごと捨てるほどでもないが、手直しが利かないところまでいってしまう。この日常のやりくりが生きていることの証しなのだが。

 ポストに郵便物が届く。最近になって山形という名前も表札の横に並べた。今日は二通あり、わたし宛のものと山形宛てにそれぞれ一通ずつ入っていた。わたしは片方をテーブルに置き、自分の名前の分の封を開いた。親戚のおばさんからの手紙だった。内容はわたしの新しい関係を心配しながらも、本音ではよろこんでいるようだった。どこからうわさが耳に届いたのだろう。わたしは親戚たちと密な関係がなかった。それでも、分かるときには分かるのだ。主に、男女関係のことであれば。

 わたしはもう一度封にしまい、引き出しの奥に突っ込んだ。文字も紙も廃れ行くものだ。記憶はどれほどの永続性をもつのだろう。わたしは古い記憶の引き出しを手探りする。手紙をくれたおばさんが桃を剥いてくれたことがそのおばさんの最古の思い出だった。あの桃はみずみずしかった。わたしは転んでひざを擦りむいていたはずだ。わたしは自分のひざを見る。もうあの傷はない。あのときに感じた痛みも、流したかもしれない涙の痕跡もない。なくなるというのは蒸発と近いのか。わたしはただぼんやりと遠い過去の映像をあたまのなかで追った。

「手紙がきてるよ」とわたしは彼に言う。首にタオルを巻いている。後ろで英雄が背中に腕をまわして何かを隠しているようだった。

「どうしたの? なにか、もってるの?」
「これ」前に腕を差し出す。手には梨が三つあった。これから秋がくるのだろう。山形がいるはじめての秋。そして、はじめての冬になる。
「剥いてあげようか?」
「うん」

 わたしは台所で包丁を取り出す。後ろを振り向くと山形は手紙を読んでいる。いつになく神妙な顔をしていた。彼の過去を凡そにしか知らない。その凡そは大変な事件でもある。だが、もっと細々としたことや、桃を剥いてもらったような思い出の細部、ディテールを知り尽くしたいと思った。しかし、本人でも思い出すことがむずかしい場面も多いのだから、簡単には共通のものにすることなどできない。

 梨はぬるかった。それでも、甘味が減ったわけでもない。果実のもつみずみずしさと似たものが少女たち、若い女性たちにもあった。わたしにはどれほどが残されているのだろう。貯えることもできない一時的なもの。銀行ではなく、小さな小銭入れのようなもの。取り出してしまえば直ぐになくなるもの。わたしは自分の頬を触る。肌こそが唯一の女性の価値のようにも感じた。値打ち。特売品。

 山形が手紙の返事を書いている。ここで書いているぐらいだから秘密でもなく、隠す必要もない類いのものだろう。内容を説明してもらいたいと思うがねだることもできない。個人というものは大切な単位だ。いくら家族に近付いたとはいえ。わたしは洗濯物をたたむ。いつか英雄もこれほど大きくなるのだろうか。三分の一ほどの面積の下着。この大小、長短の比較で算数の計算にも役立ちそうな大きさの相違だった。

 わたしは英雄と連れ立って魚屋に行き、八百屋に寄った。ふたつの店は近く、威勢のよい声を互いに張り合っているような大きさだった。元気がある証拠。どちらもおまけをしてくれた。家族が増えたことを知られている。

 家に着くと入れ違いに彼は出ていった。
「どこ行くの?」
「そこのポストまで」
「だったら、ついでに行ったのに、ね」と英雄に向かっても言う。
「いま、書き終わったところだし、切手もないし、タバコも買いたいから」

 彼はそう言うと背中を丸めて歩いて行った。英雄は家に入らず外でそのまま遊んでいた。わたしは夕飯を用意する。味噌汁にさいの目に切った豆腐を入れておしまいだった。

「できたよ」と外に声をかける。山形は切り株にすわって悠々とタバコを吸っていた。それを足の裏で揉み消し、ふたりは部屋に入った。

 山形の顔も幸福の予感があるようだった。そういう尺度でわたしが見ているだけだからかもしれない。部屋にお味噌の匂いが充ちる。幸福って、結局はこういう一場面のような気もする。金ぴかのお皿や調度品もなければ、顔が映り込むほどの輝くナイフやスプーンもない。贅沢には切りがない。際限がない。だが、多少のそれを味わってもみたかった。英雄はいつかそういう社会に組み込まれていけるのだろうか。

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最後の火花 87

2015年06月29日 | 最後の火花
最後の火花 87

 なぜこんなにも反抗的だったのだろうか?

 素直さ。聡明な少年。そうした性質を生まれつき発揮する友だちもいた。自分はその友情関係に対して居心地が悪いわけでもなかったが、簡単に手放してしまった。それより、狡猾さ、ある種の先見性や抜け目のなさ、間違った方法だったが自分は澱んだ側に足場を置いた。

 仲間の所為にする気もない。自分が悪影響を受けたと告白するのが一般論では正しく、悪影響を与えたことは自分のなかで揉み消してしまう。その狡さは捨てようと思う。自分はわずか数人でも間違った道を歩まそうと促したのだ。大分すくなく見積もってだが。結果として、自分は市民という意識しないで楽に享受できる資格を失った。だが、それももう数年前のことになった。

 オレはこれから良い影響、正しい模範しか与えたくなかった。そもそも、最初からレールを外れているので、この目標も設定として高すぎるのかもしれない。ただ、なにものにも見つからずじっと息をひそめて生きていることだけが唯一の未来として得られる姿なのだろう、本来は。しかし、関係性がもう生まれてしまった。生まれた卵は無惨に割ることもなく、丁寧にあたためて育てるしかない。オレは覚悟する。

 オレにも世帯というものが吹きかける染みがくっついてくるのかもしれない。厭なことばかりではなく歓迎すべきことがらだった。オレは得られなかった普通という範疇にふり幅をもどす。ここからの揺れは小さくして、枠のなかを越えないようにする。

 それとは別にオレが育てられた環境での物語の渦があった。これを吐きだしたいと思っている。オレには神秘も畏敬も恐れもいらない。日常の営みで頂けるものが誇りとなり感謝につながる。オレは英雄を相手に一方的に物語を口にする。ただの物語。アドベンチャーと途中報告。終わりなど決してこない物語の連鎖。

 良い聴衆は合いの手や拍手がうまいのだろう。子どもは疑問でできている。オレが口にすることばの数々に熱心に耳を傾けている。クジラに呑み込まれる男。兄弟で争う面々。どこかに売られ高い地位になって戻ってくる男。オレは幼少時に話してくれた人々を思い出す。彼らにも幸福な未来が待っていたのだろうか。オレの落ちぶれた事件や、このオレ自身の存在にがっかりしたのだろうか。いまでも、できるならば手を差し伸べたいと願っているのだろうか。だが、オレの未来はこの町での、この家族とのささやかな暮らししかのこされていない。王冠もないが、まったくの裸でもない。高貴なマントもないが、素足で歩きつづけるわけでもない。この普通さと俗さをオレは愛していた。

 オレは捨てられたのだ。この家族もほんとうの夫や血縁の父から捨てられたのだ。捨てられたもの同士の密着。そこにもきれいな花が咲くべきだった。踏みつけられても、どうにか逃れるようにしよう。

 オレの酒の量は減る。うさばらしで飲むこともすくなくなった。喜ばしいときの酒の味は格別だった。手料理もうまい。オレは彼女を尊敬してしまう。そんなつもりもなかったくせに。なぜ、前の夫はこの女性に不満をもち、どこが納得できなかったのだろう。だが、そいつがいたらオレの幸福はなかったのだ。いつものように鼻先で戸を閉められ、恩恵にあずかることもなかった。

 喉がかわいて夜中に起きる。流しでコップに水を注ぎ、そのまま飲んだ。オレはまた部屋に戻る。あいつと英雄がぐっすりと眠っている。オレはどこまでが当事者で、どこまでが他人であるのかその境目が分からなかった。また分かる必要もない。徐々に版図をひろげていけばいいのだろう。強制でも侵入でもなく、交渉と合意をたずさえて。

 朝をむかえる。飯の炊き上がる匂いがする。オレの腹はその匂いで空腹であることを理解して主張の音を発する。英雄はおかわりをする。オレは集団の一員として競い合うようにご飯を食べた。もちろん、常に満腹になるとは限らない。それでも、分け与えることは悪であり、平等という観点も大まかには憎んでいた。強いものだけが優秀であり、弱者は淘汰される要員のひとりだった。だから、オレはなつかしむことさえできない。自分のたったひとつの過去なのに。オレがなつかしがらなければ、誰も同じ感情を抱けないのに。

 職場に向かう。川の水量は上がっていた。雨が降ったわけでもないのに濁っていた。上流のどこかで、あるいは数日後には災難が待っているのだろうか。予兆というものを敏感な動物たちは感じるらしい。オレは段々と幸福にともなう鈍感さに包まれていく。

 職場の大きな時計を目にする。始業まで数分前だ。社長は不機嫌な顔でタバコを吸っていた。きれいだった灰皿にはもういくつもの吸殻が押しつぶされていた。オレはかかわることを止め、静かに挨拶だけして素通りする。外をみると猫が自分もこれから働くとでもいわんばかりに準備運動のように身体を伸ばしていた。だが、直ぐに消えた。もう一度、寝床に戻るチャンスがあるのかもしれない。オレは機械のスイッチを入れる。一週間、この機械とともに暮らす。学者とか博士という架空にしか過ぎない存在の一日のはじまりを空想する。しかし、なにも生まれてこない。オレには社長の顔色を測るぐらいの能力しかないのだろう、きっと。

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最後の火花 86

2015年06月27日 | 最後の火花
最後の火花 86

 得意分野と不得意なこと。分岐点。子どもが成長するごとに段々と明瞭になった。運動する能力はあるのだが、水泳は苦手らしかった。このまま学校に上がっても同級生は二十人ほどしかいないだろう。過酷な競争、熾烈な戦いに巻き込まれる状況にはない。そのなかでトップにならなくても、ビリに落ちなくても半ばぐらいで充分だろう。大人になったらここではなく都会で住むことになるのだろうか。そこはライバルたちが大勢いて、大変な事態もあるかもしれない。そのようなときに親身になってくれる友人が作れるだろうか。優しい恋人を見つけているだろうか。ひとは愛される権利があるのだ。

 わたしは誰もいない部屋で本を読んでいた。ある男性の悔恨のような文章だ。数人の女性はこの不甲斐ない自分、愛される価値の少ない人柄を本気で愛してくれたのに、その見返りに自分はいったい何を与えただろうか、と悔いていた。冷たい態度、連れない対応、素っ気なさ。その男性はお酒に酔うと、その亡霊が訪れるが、また飲まないわけにはいかないと書いた。

 逃げた夫にはそうした類いの気持ちはないだろう。後悔があるだけまともなのだろうか。後悔するぐらいなら、はじめから優しくすべきなのだろうか。後悔や失敗があってこその人生だろうか。わたしは何も分からなくなる。

 ひとはひとりになる時間も必要なのだと改めて思った。ラジオを聴き、図書館に行った。この町の財政のことなどまったく分からないが、新たに図書館が建った。山ほどの本があって、それを書いたたくさんのひとが世界中にいて、それを読む大勢のひともいる。わたしはキョロキョロと好奇心で辺りを見渡す。ひとは会話もするが、ひとりで根気よく本も読むのだ。不思議といえば不思議でもあり、なかなか不可解な性質だった。

 帰り道の橋を渡ると下で遊んでいる英雄と山形がいた。彼らは本当の親子に見えた。そして、この場のわたしはまったくの他人のようだった。ふたりはふざけ合い、大声で笑っていた。わたしはしばらくぼんやりとしてその姿を眺めていた。夫はなぜあんなに簡単そうなことができなかったのだろう。彼も失敗したからこそ、新しいものを発見できたのだろうか。ひとは居ないひとのことも想像できる。本の主人公のように、いや、脇役ぐらいだろうか、わたしは客観的に、まったくの愛情も欠けたものとして、彼のことを思い浮かべていた。

 英雄が橋のうえのわたしを見つける。手を振って、大きな声で呼ぶ。自分を知っているひとがいる。この日本に何人ぐらいいるのだろうか。わたしは悔いという感情がないのかもしれない。現在にも固執せず、薄ぼんやりとした未来に目を向けがちだった。

 それから、親子三人のようにして連れ立って歩き出す。

「あの本、あった?」と山形が訊く。わたしは布の袋から頼まれていた本を取り出す。息子の分もある。合計三冊の重みが幸福の分量のようだった。

 家に着くと、山形は薪を割った。都会には電気もガスも下水道も捨てるほどあるのだろう。英雄はそこの住人になってたまに誘ってくれるだろうか。いつまでも母親思いでいられるのだろうか。妻となるひとはわたしに冷たくあたるだろうか。勝手に愛情があることを理由に横取りするくせに。わたしは架空の嫉妬をしている。だが、いまはまだまだ早い。もっと成長を見守る機会があるのだ。

 わたしはご飯の用意をする。日曜というのはあっという間に過ぎ去ってしまう。明日から彼はまた働く。お金を運んでくれる。そうした契約も義理もほんとうはないのかもしれない。わたしたちは生きなければいけないのだ。すすんで良い場所にここをしなければならない。

 三人で食卓に向かう。彼は明日の仕事の話をした。お得意様に車でできあがった製品を配達するらしい。彼は自分のうわさに怯える一面があった。だが、そのマイナスを補うほどの解放感が、うるさい工場から逃れる魅力として溢れているそうだ。
「今度、乗せて!」と、無心に英雄が言う。

 わたしは免許があることすら知らなかった。

「取り直したんだ」と引け目があるかのように語った。そして、英雄の方に向かって、「格好悪い三輪車だよ」と付け加えた。
 英雄は困惑した顔をする。車に三輪車などあることを知らなかったのかしら。わたしは説明する。だが、百聞は一見に如かずらしく、彼は配達後、ここに寄ってくれるそうだった。

 翌日、英雄は横にすわって彼の職場まで乗った。もう夕方だったので、そこからふたりで歩いてきた。社長がジュースをくれたということでとても喜んでいた。人間らしく振る舞えば、きちんと人間らしくなるということを社長さんは信じているらしい。疑おうと思えば、どこまでも疑える世の中だった。また反対に信頼しようと誓えば、どこまでも信頼できる世界だ。わたしも最初はそう願って結婚をした。信頼に値しないひともいるが、そう簡単に割り切ることも、捨て去ることもできない。わたしはこの小さな家のなかの日々を信頼している。完全でも偉大でもないけれど、一心に刻々と信頼していた。

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最後の火花 85

2015年06月25日 | 最後の火花
最後の火花 85

 職場の昼休みに食事を済ませ、一服しながら新聞を読んでいた。紙面に絶対に自分が載らないと思って読むのが新聞だった。オレは一度、載ってしまった。好奇と軽蔑の文字。隠ぺいと露出の掛け合い。

 ある高名なひとの記事があった。晩節を汚す、という見本のようなものだった。ひとの目に触れないところで大量の金品が移動していた。税も通帳への記帳も必要ない宝たち。彼がした数々の成功が泡となす。もうこの不名誉をぬぐうチャンスは与えられないだろう。あと数年で彼の人生は終わるぐらいに充分に生きていた。

 すると若いときの不名誉のほうがいくらかましかもしれない。絶対に浴びないのが理想だが、思い通りにもいかないならば。辛酸をなめる期間が短いほうが幸福とも思えるし、そこから抜け出した(抜け出す保証はどこにもないが)あとの快感を得られるならば、若いときの不名誉は勝った。

 休憩は終わる。機械はふたたび作動する。いくつかの欠陥品が生まれる。百パーセントの完成品など人間が作るもののなかにはない。はじかれるものが絶対的に生じる。その埋め合わせのために数個だけ余分に発注する。

 仕事になれてくると付加的な仕事が追加された。総合的にこの場の流れや利益を俯瞰するには、いろいろなところに踏み込んだほうがいい。株式などない小さな工場。儲かるのか、あるいは傾くのか世の中は二者択一しかない。現状維持は理想であり、夢でもあった。自分は力まないように、溺れないように、軽やかに泳ぎ切ることだけを覚えようとした。

 三時の休憩時につけたラジオの続報のニュースでも同じ話題が取り上げられていた。マスコミは生け贄を探す。普段だったら、揉み手をして卑屈に応対していた相手だろう。そもそも近寄ることもそばに接近することもできないひとだったろう。あるきっかけで立場が変わる。野性の動物が遠い世界の裏の動物園の檻のなかで縮こまるように、マイクという餌を横柄に放り投げられていた。あるいは突かれていた。

 社長も事務員も、ここぞとばかり喝采している。自分たちには生涯かかっても手に入れられない地位やお金を有していたひとなのだ。どうやっても同じ地平線に立てないが、この瞬間だけはその境界がうやむやになった。

「山形君はどう思う?」

 社長の問いかけを合図にみなの視線が向いた。自分は簡単に証拠をもっていないことに対して裁かないことを誓ったはずなのだ。
「晩節を汚したようで、もったいないなと」
「もう少しで乗り越えられたのにね。うまいこと見つからずに」女性の事務員のことばにみなが笑った。それを機に休憩は終わる。あと三時間できょうも解放される。

 そう終わりを予想していたが、急な納品の約束で残業になった。社長は勝手にかつ丼を頼んでいた。オレはそれを夕飯にして、九時近くまで汗まみれになった。

「ご飯は?」
「食べたけど、食べるよ」冷えたご飯でも家族とともに過ごす時間は貴重だった。英雄は横になって寝てしまったようだ。ずっと、この子も不名誉から逃げ切れればいい。その網は突然、頭上を覆う。走り回っても、真っ黒な雨雲のように執拗に追い駆けてくる。服をびしょ濡れにしない限りは仕事を中断させない。完遂させることだけが望みなのだ。
「無理しなくてもいいよ」彼女は茶碗に軽めにご飯をよそった。

「無理じゃないよ」オレは沢庵をもちあげる。毎日でる漬け物に飽きることをしない。飽きるということはいったいどういうことだろう。白米も納豆もその不名誉を負わない。醤油も味噌もその地にいない。卵も飽きることはない。普遍的な関係を保ちたいと思う。それに比して、オレという存在は突飛過ぎた。内なる野蛮さは完全に消えたのだろうか。オレはこの家族にも飽きてしまう時期がくるのだろうか。

 彼女は後片付けをしている。オレは英雄を抱えて布団のうえに載せた。まだまだ軽かった。オレは風呂に入り、一日の汚れを落とした。こんなに簡単に不名誉も洗い流れればいい。しかし、しばらく湯につかり考えを訂正する。不名誉というのは、自分に責任がないことにも思えた。不本意とか不注意とかの、一歩はなれた距離にあるものとして。加害者とか、同罪という観点では当てはまらない。オレは、オレの存在を無心に受け入れる彼女や英雄を同じ低みまで引っ張ってこようとしているのだろうか。否定と肯定を頭のなかで繰り返すなか、風呂の戸が開いた。女神という安っぽいことばを敢えてつかってみる。黒い髪に、白い肌。黒い瞳に白い歯並み。赤い部分。彼女は器用に足先からオレの横に入り込んできた。湯は浴槽からこぼれ出す。オレの不幸も幸福もいずれこのようにこぼれ出してしまうだろう。少なくなった湯の底にはどんなものがのこっているのだろう。砂粒だろうか。ダイヤモンドだろうか。栄誉だろうか。過去の失跡だろうか。だが、オレはすべてを忘れてしまう。オレの思考は身体の九十八パーセントぐらいしか占めていない。そののこりの数パーセントは主張をはじめると、全部を一網打尽に覆い尽くしてしまう。

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