爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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メカニズム(25)

2016年09月12日 | メカニズム
メカニズム(25)

 満期になったぼくのノートがどこかに消えた。すると、次のノートが与えられる。

「前のは?」ぼくは、微々たる才能を掻き集めて、定期預金に預けているような心持ちだった。

「あれ、売ったから。いくらかお金になったよ」

 あらましを説明される。彼女は店の常連の出版社のひとにぼくの作品を提供した。利益は百万。ぼくに八十万円で、彼女の手数料が二十万円。無料奉仕というのはお互いのためにならないとの一方的な潔癖な理由で。

「じゃあ、これで有名になっちゃうかもね」左団扇の予感。
「ならないよ」
「なんで?」
「だって、どこかのタレントさんの名前で売られて、そのひとが多少の評価を加えるだけだから」

「詐欺じゃん?」寝耳に水。
「詐欺じゃないよ、正当な資本主義」
「なんだ、損した」

「まだまだ、これからでしょ」ひとみは微笑む。「それから、わたし、そのひとと住むことになったから。その八十万円で引っ越しの準備をして」
「ほんとに?」
「悪いけど、ほんと。善は急げ」

 ぼくはアパートを探す。ひとりということは大体、半分のスペースで済むのだ。仕事はまだ決まっていない。不良債権のような自分の立場。ところで、彼女は天使だったのか、悪魔だったのか。これも、また天使の一形態なのだろう。ぼくの前に表れたエンジェル。もしくは、ぼくの筆が作り上げた愛しい天使。

 ほんとうはひとみがアイドルで成功したら、ぼくの秘蔵の写真を売るつもりだったのに、反対にしてやられた。一枚、上手。堕天使にしてやることもできなかった。非情というものが欠けていた。ぼくはひとつの部屋を不動産屋の担当者と見に行く。決めるのを拒むことすら不可能な欠点もない部屋。保証人と急に言われた。ひとみは、まだその責務を負ってくれるだろうか。天使にそこまで望むことを許してもよいのだろうか。ぼくの売り上げ。彼女の取り分。歯がゆい夕暮れ。迷える山羊。



2016.9.10


メカニズム(24)

2016年09月11日 | メカニズム
メカニズム(24)

 ノートの最後のページ。学生時代にも使い切ったことがない。もちろん、手元にもうない。学んだことは脳のどこかにある。楽観論や性善説にむりやり結びつければ。引き出しのレールは錆びて、かなり開けづらいが。

 区切りとなるようなもの。ひとは節目とかゴールとかが大好きだ。いったん終わらせて再出発。しかし、転職をよしとしない社会でもある。奉公は一社のみ。大家族。生き様としての第三セクター。

 みなしご。最後の打席をホームランで飾るという誘惑にかられる。毎日行っていたことを確実に今日もするというのが、正式なプロだった。身だしなみ程度の熱量で。アマチュアの分際での大風呂敷。その確実さが失われたら引退だ。引退もなにも、まだ何事もはじまってもいない。

 なんとなくひとみのワードローブを見る。知り合ったころといささか違う。職業があるひとの振る舞いや容姿を規定する。柔道家は柔道家のように。警察官は警察官のように。ひとみはひとみのように。ぼくはぼくのように。

 腹が減ったので、インスタント麺に湯を適量だけ注ぐ。もっとましな生活を望んでいたが、三分ではその希望も叶わない。これが高望みを許さない社会だ。

 満腹になってペンを握る。チェーホフ。トーマス・マン。ひとの名前が何かしらの意味をもつ。自分の名前を筆圧を込めて書いてみる。これに意味はない。ただの四つの漢字。森鴎外。下呂温泉。

 ホームランを狙うというこれ見よがしの態度が悪かった。こつこつと塁を埋め、こつこつと点を入れる。義務的に投げ、義務的に抑える。プロの責任の終局の歓喜と報いの対価として得られる証しは、ただ陽気でいられないという事実で、まさしくこれが人生のようだった。

 初恋。という最後の缶詰を開ける。その用意をする。どこの時点の? という客観的な視点の問題が起こる。寝る前に必ず考えた異性(あるいは同性。差別撤廃)に決める。自分には見当たらなかった。缶詰の賞味期限は切れていたのか。

 いや、これは隠そうという秘めたる思いからであった。ひとつやふたつという大まかな愛のかけらがある。ふたを開ける。みずみずしい桃のようなものがある。別れが来ないように願っているが、新しい恋は苦しい走者の息切れのあとに訪れる。


メカニズム(23)

2016年09月10日 | メカニズム
メカニズム(23)

 ぼくが発泡酒を飲み、ひとみはビールを飲んでいる。家庭内格差。稼いでくるのがいちばん偉いのだ。だが、つまみは平等だ。

「最近の話、全部、面白いね。その調子」誉められ、おだてられる。会社員時代の叱咤もどこかでなつかしい。ぼくを叱る人間などどこにもいない。つまりは愛情の対象から除外されている。望んだ結果なのか。

 大人は個を大事にするといいながら、結局は群れたがった。多数決という簡単な答えもある。民主主義。大勢が王様を望めば、それもあり得る。ぼくらはすることもなく選挙の特番を見ていた。

「お店では、いちばん人気のある子が、成功者」
「単純な人気投票で明快で、分かりやすくていいね。根回しもいらない」
「陰の実力者もいない」
「送りバントもいらない」
「それは、たまにいるよ」

 世界にはあらゆるシステムがある。古びるのもあり、刷新するのもある。貴族院議員だったうちの祖父というデタラメを考える。ひとつずつ、ボードに花が飾られる。

「受かったら、なにするんだろう? なにしたいんだろう?」

 ビールがワインになる。肝臓を休めた方が良いのかもしれないが、仕事と普段用では気分も違うのだろう。
「先生と呼ばれたいんだろう」
「お客さんにも、いろいろな先生がいるね」
「いろいろな社長も」

 潜在的な無職。顕在の現実の無職。ひとからチヤホヤされることも忘れた。いや、これまでもあったのだろうか? テストで良い点を取り、みんなのまえで誉められた気もする。過去の武勇伝を語った時点で男は終わりであった。むかし、きれいでしたでしょう、と訊かれる女性も現役ではなかった。歴史上の人物として追放される。

 有利と不利が判定される。明日の朝刊はこちら側のトップの笑顔になる。造花のバラを背にして。次の面は、反対の党の苦虫を噛み潰した顔。ぼくは、ライバルに負ける男の物語を構想する。それは漱石先生のこころではないのか。ひとみはうとうとしている。寝ている間に、ぼくは働かなければならない。時計を見る。腕時計の電池は切れた。無職の証拠。明日、どこかで交換しようと思う、政局や政権が変わるように。


メカニズム(22)

2016年09月04日 | メカニズム
メカニズム(22)

 会話が減る。肉体の交渉も減る。不満が増える。愛の供給量が減る。

 愛は枯渇するが、どこかに潤沢にある。湧き上がるのを待っている。最初のドキドキが成長して大人になる。きっかけが必要だ。

 交際前の自分の水増し分をなつかしむ。ひげをきちんと剃り、服にはアイロンがかかっている。いまは、いつひげを剃っても自由であり、よれよれの部屋着を着ている時間が多い。居心地の良いことを最重要視して、性欲を殺す。いや、削減する。予算も潤沢にあった。動画を見る。日本のすべての女性が一度ずつ、映像に撮られているような錯覚をもつ。反面、似通った男性ばかりが背中を撮られていた。打率。振り逃げ。

「ノートも半分を過ぎたね。ラスト・スパート」

 この面では、持続を強要された。自分勝手は許されない。相手の満足を。
「次は?」
「それは自分で決めて」

 と言われても、最近のぼくには決定という条項もスイッチもない。ただ、罪悪感なのか、わずかばかりの高揚感のためなのか、ひとみに読み物を提供している。彼女は幼き頃、眠る前に物語を読んできかせるというスイートな親を有していた。ひとは甘美な記憶のぬくもりからなかなか抜け切れないものだ。

 彼女は出掛ける。ぼくは汚れが目立ち始めたノートを開く。コーヒーのしみがあった。そのしみに具体的な物体を何かの試験のように当てはめてみる。蝶々。かたつむり。金魚。ぼくもまた過去の記憶の異物だ。

 金魚を飼っていた自分。そのような物語を探す。浴衣姿の女性が登場する。ひとは同年代しか意識しない。子どもが接する大人は、先生か医者か床屋さんぐらいだ。子どもぎらいの床屋さんも困ったことになる。ぼくは髪を切られる前に待ちながら漫画も読まずに水槽を眺めている。優雅な尾びれ。子孫というものを想像できない孤独さ。すると、順番になって呼ばれる。ぼくは男前になる。簡単に。

 ひとみの浴衣姿を思い出す。首というのは魅力的なものだ。髪と汗。それを加えても優雅さは目減りしない。

 ノルマを達成してビールを開ける。ぼくもきれいな女性のとなりで快活に酔ってみたかった。しかし、テレビでアイドルのふわふわした音程の歌を聴き、静かに杯を重ねる。等身大の甘さ。

メカニズム(21)

2016年09月03日 | メカニズム
メカニズム(21)

 サッカーにはサッカーのルールがあり、ラグビーも同様だ。ふたりで暮らせば自ずとルールができる。破れば不満であり、また反対にルールというのは設定の限界ではないということがあらためて浮き彫りになる。

 ひとみはいつもの時間に帰ってこなかった。はじめてのことだ。事故とか、いやなことを想像する。しかし、文字が送られてきて、心配は不要とのことだった。そうはいっても心配するのが人情である。友人の家に泊まるとのことだ。友人というのも、いかにもアバウトな表現だった。

 読まれない物語ができる。一夜だけ生き延びたアラビアン・ナイトである。猶予というものは良いものであった。眠れなかったので急に思いつき、浴槽やトイレを掃除した。汚れというのは至るところにあった。世界で最も力を有しているのは、何らかの菌のようでもある。有用なものをいくつか発見すれば有名になれるのかもしれない。しかし、もちろんそんな才能には恵まれていない。蛇口をきゅっと強く閉め、いったんは掃除を完了させる。これも、完了というものは本質的に生きている間はない。そっと、棚上げだけだ。

 いつも見ない時間帯のテレビを流す。夜にいろいろなものを売りたがっていた。こちらは買いたがっているという共通条件があるようだ。腹筋をして、肌を整える。いくつかの健康食品を飲み込み、身体は痩せる。世界はブ男のままでいさせてくれない。

 すべては電気があるお陰だ。ぼくはスイッチを切り、ベッドに入る。気付きもしなかった時計のチクタクという音が耳のそばで反響する。敢えて、擬音を使ってみる。そんなことを考えていると引っ込み思案の眠りの入口はさらに遠くなる。しかし、いつの間にか寝入っている。

 目を覚ますとひとみがいる。卵を割っている。かき混ぜる音がして、フライパンのうえにジュッと勢いよく放り込む音もした。香ばしい匂いもした。腹が空くから食べるのか、食べたいから腹が空いたような錯覚がするのか、どうでもよいことをベッドのなかで考える。大人の男性は追求をどこまですることが許されているのか分からない。ひとみはノートを開いて、昨夜の分を読みはじめてしまったので、一夜の猶予も同時に消えてしまった。