繁栄の外で(14)
自分がなぜ、そんな選択をしたのか、あるいは選択をしなかったのかは、いまもって不明であり自分にとっても不可解である。
ある冬の寒い日のデートが終わって、明日には電話をしよう、電話をしようと毎日、思い続けていたのだが結局、自分からはしなかった。彼女からも、なぜか電話はかかってこなかった。そこには、ゴールを見逃さない典型的なストライカーのねじこみ(不幸という風呂敷をひっさげて)があったのだろうか?
季節的にもクリスマスで仕事の休みの日に、原宿と表参道をまわって彼女に合いそうなプレゼントを買って、その日のために用意したはずだが、その日はいつの間にか過ぎていた。しかし、なぜ連絡をしなかったのか? そればかりは、やはり解答が正式に与えられていない数学の公式のように、ぼくにも当然ながら分からない。最終的に分からないまま墓場までいくことは知っているのだが。
バイトはずっと続けている。飲食店で大晦日まで仕事はあった。その後は、飲み会のようなものを作ってくれ、その後も同年代数人とファミレスに行って、共通の話題でもりあがった。家に着くころは、もう翌日になっていたはずだ。
そんな連絡のつかない時期であったが、きっとぼくらはどこかでつながっているであろう、という無頓着な確信があり、ぼくを無駄に安心させていた。だが、電話の一本をするわけでもなかった。もちろん、そんな風に放っておかれて、女性が安心していられるわけもないことは、いまの自分は知っているが、その当時は無知であった。痛いほど無知であった。
「彼になんか失礼なことをいったか? 嫌われるようなことをしたか?」という心配がこころのどこかに入ってくるかもしれないだろうが、(そういうタイプか分からないが一般論として)それを解消することをぼくはしなかった。ぼくも一切、彼女に対してそんな気持ちはもっていない。短い年数しか生きていないが、その中でぼくを一番、幸せにしてくれ、もっとも好きな女性だったのだ。
それで、そのまま一月ぐらいが過ぎ、たぶん弟からだろう「ポストに手紙が入っていたよ」と言われ、それを受け取り開封してみると、彼女からの手紙だった。
簡単にいえば、いままでありがとう、でもこれからは違う歩みになってしまう、という別れの手紙だった。なにもしなかった自分にしたら都合が良いかもしれないが、それは驚きであった。いまでは当然の帰結以外のなにものでもないことは理解しているが、自分にそのようなことが訪れたことを受け入れたくはなかった。
でも、それほどショックを受けたことは弟の手前、見せたくはなかったはずだ。男女の機微など知らない年齢だが、どこでも表面的には装って、うろたえたくない自分というものをいつも作っておきたかった。
それから、数日間はバイトにいったと思ったが、なんだかなにもかもが厭になり、(彼女のいない世界は意味があるのか?)それも辞めてしまった。
年月が経っても、かさぶたはかさぶたである。はがす必要はないのかもしれないが、記憶の途中で忘れてしまったことも忘れなかったことも記録にとどめておきたい衝動のほうが、より一層勝っていた。
しかし、それですべてが終わってしまえば、ぼくの気持ちも簡単に決着がついたのだが、次があってもいいんじゃないの? という安易なかんがえのもといくらか似ている可愛いこを探す旅にでもでられたのだが、そうもいかなかった。なんといっても彼女は同じ町に住み、なんどかはすれ違うし、うわさも耳にするし、可愛い子であれば誰かは放っておかないものである。
それで、別れたということが最終的なショックで終わらずに、まだ自分に対する不幸は津波のように押し寄せるのだ。
しかし、自分は被害者という立場でいるわけには行かない。防波堤を決壊させたのも自分だし、気持ち自体を避難させなかったのも自分である。そもそも、彼女との関係を強いものに発展させなかった自分がきっかけを作ったのである。だが、まだ16歳で自分は夢見心地で世の中をわたって、また、そういう目でも世の中を捉えていたのだ。それでも、かさぶたを取り除くことはしなくても良いのかもしれない。
自分がなぜ、そんな選択をしたのか、あるいは選択をしなかったのかは、いまもって不明であり自分にとっても不可解である。
ある冬の寒い日のデートが終わって、明日には電話をしよう、電話をしようと毎日、思い続けていたのだが結局、自分からはしなかった。彼女からも、なぜか電話はかかってこなかった。そこには、ゴールを見逃さない典型的なストライカーのねじこみ(不幸という風呂敷をひっさげて)があったのだろうか?
季節的にもクリスマスで仕事の休みの日に、原宿と表参道をまわって彼女に合いそうなプレゼントを買って、その日のために用意したはずだが、その日はいつの間にか過ぎていた。しかし、なぜ連絡をしなかったのか? そればかりは、やはり解答が正式に与えられていない数学の公式のように、ぼくにも当然ながら分からない。最終的に分からないまま墓場までいくことは知っているのだが。
バイトはずっと続けている。飲食店で大晦日まで仕事はあった。その後は、飲み会のようなものを作ってくれ、その後も同年代数人とファミレスに行って、共通の話題でもりあがった。家に着くころは、もう翌日になっていたはずだ。
そんな連絡のつかない時期であったが、きっとぼくらはどこかでつながっているであろう、という無頓着な確信があり、ぼくを無駄に安心させていた。だが、電話の一本をするわけでもなかった。もちろん、そんな風に放っておかれて、女性が安心していられるわけもないことは、いまの自分は知っているが、その当時は無知であった。痛いほど無知であった。
「彼になんか失礼なことをいったか? 嫌われるようなことをしたか?」という心配がこころのどこかに入ってくるかもしれないだろうが、(そういうタイプか分からないが一般論として)それを解消することをぼくはしなかった。ぼくも一切、彼女に対してそんな気持ちはもっていない。短い年数しか生きていないが、その中でぼくを一番、幸せにしてくれ、もっとも好きな女性だったのだ。
それで、そのまま一月ぐらいが過ぎ、たぶん弟からだろう「ポストに手紙が入っていたよ」と言われ、それを受け取り開封してみると、彼女からの手紙だった。
簡単にいえば、いままでありがとう、でもこれからは違う歩みになってしまう、という別れの手紙だった。なにもしなかった自分にしたら都合が良いかもしれないが、それは驚きであった。いまでは当然の帰結以外のなにものでもないことは理解しているが、自分にそのようなことが訪れたことを受け入れたくはなかった。
でも、それほどショックを受けたことは弟の手前、見せたくはなかったはずだ。男女の機微など知らない年齢だが、どこでも表面的には装って、うろたえたくない自分というものをいつも作っておきたかった。
それから、数日間はバイトにいったと思ったが、なんだかなにもかもが厭になり、(彼女のいない世界は意味があるのか?)それも辞めてしまった。
年月が経っても、かさぶたはかさぶたである。はがす必要はないのかもしれないが、記憶の途中で忘れてしまったことも忘れなかったことも記録にとどめておきたい衝動のほうが、より一層勝っていた。
しかし、それですべてが終わってしまえば、ぼくの気持ちも簡単に決着がついたのだが、次があってもいいんじゃないの? という安易なかんがえのもといくらか似ている可愛いこを探す旅にでもでられたのだが、そうもいかなかった。なんといっても彼女は同じ町に住み、なんどかはすれ違うし、うわさも耳にするし、可愛い子であれば誰かは放っておかないものである。
それで、別れたということが最終的なショックで終わらずに、まだ自分に対する不幸は津波のように押し寄せるのだ。
しかし、自分は被害者という立場でいるわけには行かない。防波堤を決壊させたのも自分だし、気持ち自体を避難させなかったのも自分である。そもそも、彼女との関係を強いものに発展させなかった自分がきっかけを作ったのである。だが、まだ16歳で自分は夢見心地で世の中をわたって、また、そういう目でも世の中を捉えていたのだ。それでも、かさぶたを取り除くことはしなくても良いのかもしれない。