拒絶の歴史(120)
そのようにして他の友人たちの活躍を目にして、自分も頑張ろうと思うのだが、普段の仕事の成果というものはそう簡単に計れないものである。数字として目に見えるものもあれば、いまはまだ準備期間なのだから、大した成果を上げていないように見えるものも、あとでどう化けるものなのか分からなかった。
日常は、もうそう大幅に変化することもなかった。日々の積み重ねがあるだけだった。ぼくは、さまざまなひとと会い商談をし、雪代とテーブルに向かい合ってご飯を食べ、暇な時間がとれなくても短い時間を活用して勉強した。
知り合いのひとの顔は増え、何人かとは没交渉になり、深い関係になれそうな友人たちと会えそうなチャンスはめっきり減った。それでも、何人かからは電話がかかってきて会うことになる。友人たちは地元から去ったひともいれば、まだまだ残っている人も多かった。
ぼくは友人の松田に誘われ、彼のサッカーのコーチ振りを久し振りに見に行った。彼はその役割を充分に楽しんでおり、誰かに与えられたということではなく、生まれついてそれに向いているような感じがした。
小さな子どもたちは彼を慕っており、ぼくが知らない子どもたちも当然のことながら増え、その子たちの注目を集めていた。彼の子どもは、まだチームには入っていなかったが、隅の方でひとりでボールを蹴っていた。となりには彼の奥さんがいた。ぼくは手持ち無沙汰になり彼らのそばに寄った。
「ひろし君」と彼らは言った。
「こんにちは、那美ちゃん」とぼくは奥さんの名前を呼び、男の子の頭を撫でた。そして、彼からボールを奪い取り、足をつかって戯れた。ぼくにもまだその年代なら、ボールを器用にあつかってあしらうことはできたのだった。
20分ぐらいそうしていただろうか、松田は休憩を取り、こちらに近寄ってきた。
「なんだ、練習に参加してくれると思っていたのに」と笑顔で言った。
「もう無理かもしれないね」
自分はブランクが空いてしまった時間を恐れていた。いつも最上級の自分をもってこないことには、相手に負けてしまうという考えがあって、中途半端な自分が嫌いだった。ただ単にスポーツを楽しめることができればそれに越したことはないが、いまは考えが違った。また未来のある日には、普通に楽しめるようになるのかもしれない。
松田は、意図しない子どもができて学校を辞めており、そのときの楽しい機会を取り戻すかのようにグラウンドで楽しそうに走っていた。それを見ると自分も快活な気持ちになった。
「練習が終わるまで待っててくれるだろう?」と言い残し、またグラウンドの輪に戻っていった。
後半もぼくはベンチに座り他の父兄たちに混じって、その様子を見た。何人かは顔見知りで彼らと話した。ぼくを何かに当てはめて判断するようなことはなく、以前のサッカーが好きなお兄さんというような感じで接した。ぼくもそれに普段とは違う入れ物のようで、居心地良く感じた。
練習がすべて終わり、ぼくを知っている小さな子どもたちやもうひとりのコーチと楽しく話した。彼らは、ぼくの体内にある小さな悩みの数々を払拭してくれるほど、温かなひとたちだった。ぼくは普段の仕事を忘れ、そうした時間がもてることに感謝し満足していた。
ぼくは松田の車の後部座席に乗り込み、男の子と話していたが、かれはいつの間にか眠ってしまった。家の前まで着いても目を覚まさないので、ぼくは彼を担ぎ上げた。
「悪いな。いつもこうなんだ」と松田は言った。もう抱っこするには大きくなりすぎたその身体をぼくは落とさないように固く抱いた。
部屋に入り、松田はシャワーを浴び、那美さんは料理を作ってくれた。目を覚ました松田の息子は美味しそうにジュースを飲んでいた。風呂場から出てきた松田の手にはビンのビールが握られ、ぼくらはそれを飲んだ。
料理ができると那美さんもいっしょにすわって、ぼくらはビールを飲み、美味しい料理を堪能しながら楽しく話した。女性は女性がどう扱われているかに関心があるらしく、雪代のことを聞きたがった。
ぼくは問われるままに、その題材を無視しなかった。彼女はささいなことで驚き、時には感心し、またときにはぼくの対応への不満を漏らした。ぼくは酔った記憶でありながらもそれを覚えておこうと努力したことを思い出す。だが、覚えていたとしてもそれを実行できるかはまた別問題だった。
楽しい時間は過ぎ、朝の早い彼の仕事の関係からもぼくはさよならを告げる。家は歩いて20分ぐらいかかったが、ぼくはその間に考え事をしたくて、ひとりで歩いて帰った。
ぼくは、いままでいたあそこの部屋の暖かさを感じている。自分にも子どもがいて、雪代が料理を作っているイメージを思い浮かべようとした。だが、なぜかそれは現実味を帯びず、よその世界の話のようにも思えた。また、何人かの女性の顔が浮かび、ぼくはそれをトランプを裏返して確認するかのように、それぞれの美点を思い浮かべるのだった。
そのようにして他の友人たちの活躍を目にして、自分も頑張ろうと思うのだが、普段の仕事の成果というものはそう簡単に計れないものである。数字として目に見えるものもあれば、いまはまだ準備期間なのだから、大した成果を上げていないように見えるものも、あとでどう化けるものなのか分からなかった。
日常は、もうそう大幅に変化することもなかった。日々の積み重ねがあるだけだった。ぼくは、さまざまなひとと会い商談をし、雪代とテーブルに向かい合ってご飯を食べ、暇な時間がとれなくても短い時間を活用して勉強した。
知り合いのひとの顔は増え、何人かとは没交渉になり、深い関係になれそうな友人たちと会えそうなチャンスはめっきり減った。それでも、何人かからは電話がかかってきて会うことになる。友人たちは地元から去ったひともいれば、まだまだ残っている人も多かった。
ぼくは友人の松田に誘われ、彼のサッカーのコーチ振りを久し振りに見に行った。彼はその役割を充分に楽しんでおり、誰かに与えられたということではなく、生まれついてそれに向いているような感じがした。
小さな子どもたちは彼を慕っており、ぼくが知らない子どもたちも当然のことながら増え、その子たちの注目を集めていた。彼の子どもは、まだチームには入っていなかったが、隅の方でひとりでボールを蹴っていた。となりには彼の奥さんがいた。ぼくは手持ち無沙汰になり彼らのそばに寄った。
「ひろし君」と彼らは言った。
「こんにちは、那美ちゃん」とぼくは奥さんの名前を呼び、男の子の頭を撫でた。そして、彼からボールを奪い取り、足をつかって戯れた。ぼくにもまだその年代なら、ボールを器用にあつかってあしらうことはできたのだった。
20分ぐらいそうしていただろうか、松田は休憩を取り、こちらに近寄ってきた。
「なんだ、練習に参加してくれると思っていたのに」と笑顔で言った。
「もう無理かもしれないね」
自分はブランクが空いてしまった時間を恐れていた。いつも最上級の自分をもってこないことには、相手に負けてしまうという考えがあって、中途半端な自分が嫌いだった。ただ単にスポーツを楽しめることができればそれに越したことはないが、いまは考えが違った。また未来のある日には、普通に楽しめるようになるのかもしれない。
松田は、意図しない子どもができて学校を辞めており、そのときの楽しい機会を取り戻すかのようにグラウンドで楽しそうに走っていた。それを見ると自分も快活な気持ちになった。
「練習が終わるまで待っててくれるだろう?」と言い残し、またグラウンドの輪に戻っていった。
後半もぼくはベンチに座り他の父兄たちに混じって、その様子を見た。何人かは顔見知りで彼らと話した。ぼくを何かに当てはめて判断するようなことはなく、以前のサッカーが好きなお兄さんというような感じで接した。ぼくもそれに普段とは違う入れ物のようで、居心地良く感じた。
練習がすべて終わり、ぼくを知っている小さな子どもたちやもうひとりのコーチと楽しく話した。彼らは、ぼくの体内にある小さな悩みの数々を払拭してくれるほど、温かなひとたちだった。ぼくは普段の仕事を忘れ、そうした時間がもてることに感謝し満足していた。
ぼくは松田の車の後部座席に乗り込み、男の子と話していたが、かれはいつの間にか眠ってしまった。家の前まで着いても目を覚まさないので、ぼくは彼を担ぎ上げた。
「悪いな。いつもこうなんだ」と松田は言った。もう抱っこするには大きくなりすぎたその身体をぼくは落とさないように固く抱いた。
部屋に入り、松田はシャワーを浴び、那美さんは料理を作ってくれた。目を覚ました松田の息子は美味しそうにジュースを飲んでいた。風呂場から出てきた松田の手にはビンのビールが握られ、ぼくらはそれを飲んだ。
料理ができると那美さんもいっしょにすわって、ぼくらはビールを飲み、美味しい料理を堪能しながら楽しく話した。女性は女性がどう扱われているかに関心があるらしく、雪代のことを聞きたがった。
ぼくは問われるままに、その題材を無視しなかった。彼女はささいなことで驚き、時には感心し、またときにはぼくの対応への不満を漏らした。ぼくは酔った記憶でありながらもそれを覚えておこうと努力したことを思い出す。だが、覚えていたとしてもそれを実行できるかはまた別問題だった。
楽しい時間は過ぎ、朝の早い彼の仕事の関係からもぼくはさよならを告げる。家は歩いて20分ぐらいかかったが、ぼくはその間に考え事をしたくて、ひとりで歩いて帰った。
ぼくは、いままでいたあそこの部屋の暖かさを感じている。自分にも子どもがいて、雪代が料理を作っているイメージを思い浮かべようとした。だが、なぜかそれは現実味を帯びず、よその世界の話のようにも思えた。また、何人かの女性の顔が浮かび、ぼくはそれをトランプを裏返して確認するかのように、それぞれの美点を思い浮かべるのだった。