爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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存在理由(50)

2011年01月18日 | 存在理由
(50)
 
 ふたたび、みどりとの関係は安定され良好なものになっていく。もちろん、大幅に下向をしていくというふうなことはなかったが、ぼくの気の多さをとがめるようなこともなかった。彼女は空いている時間があると、友人に最近、赤ちゃんができたとのことで、そちらに行くことも多かった。自分は、その当時は、家庭的なことに一切興味が涌かなかった。それで、その家に何度か誘われたこともあるが、三回に二回は断ってしまう。

 それでも、写してきた写真をみれば、それなりに可愛いものだとは思う。思うが、自分の家に、その存在がいることは、理解できなかった。それよりも、その年齢としては当然のことかもしれないが、仕事で成果をあげることを最前に考えていた。
 徐々に紙面で自分が関わることも増えていった。圧倒的な正解がないことにより、よりこちらの方がよさそう、よりこうすれば良くなると思案すると、時間はいくらあっても足りなかった。みどりも違う会社で、同じようなことをしているはずだから必然的に、お互いが提出しあう時間は、少ないものになっていく。

 それでも、お互いの性格を理解し始めるという段階ではないので、直ぐに関係が薄らいでしまうということはないかもしれないが、長期的に考えれば、隙間の予感のようなものが訪れるかもしれない。しかし、若さという結果を心配しないものは、いまが上手くいっていれば、このまま継続するものだ、という浅はかな考えに包まれるものだろう。

 だが、彼女に合わせることもした。自分でもその頃は、休日の一部にもなっていたが、一緒にサッカーを観戦した。彼女は、横にいるぼくのことを忘れてしまうほど、熱狂した。その熱狂の気持ちは、客観的な視線につながるのかは理解できなかった。しかし、そのような熱中のモーターがなければ、みどりの仕事の維持は難しかったのだろう。

 会っていないときには、どこかにみどりの存在を意識していることがある。それで、目の前に表れると安心して、かえって話さなくなることもあった。それは、もう劇的な変化を通過する時期でもないので、仕方のないことかもしれないが、女性にとっては不満の残ることもあるだろう。彼女は、ぼくの言葉数がすくないと言った。

「それは、いまはじまったことじゃないのは、知っているだろう?」と返答するしかなかった。女性は、急に改善要求を突き付けることがある。自分としては、なりたくてなったわけでもない自分の性格を、変えろといわれても、どうすることもできなかった。生まれてくる前に、母親の胎内にいる少年にプログラミングしてほしいところだ。

 と、いいつつも普段は不満など、お互いにもっていなかった。ぼくにとっては、身体に馴染んでしまったようなジーンズを新品ととりかえる必要も感じていなかったし、多分、みどりも同様なことを考えていただろう。

 雑誌社が突然、いそがしくなる時がある。

 ある男性の歌手が死んだ。若い気持ちをとりこにしたその歌手は、その若さの代表の潜在的な気持ちに足元をすくわれるように自分の命をおとした。自分としては、同世代だが、共感したことはなかった。それでも、学生時代のまわりの友人たちはよく聴いていた。そのことで利益を得たのであれば、その代償もとうぜん支払わなければならない、とその時の自分は考える。だが、彼の歌を別の人がうたうのを聴けば、やはり魅力があるものだと感じる。

 20代半ばで亡くなる人がいる反面、まだ、ほとんどの人は、なにひとつ成し遂げていないだろう。そのことでは大変、立派でもある。しかし、時間の経過と淘汰がなければ、なにも結論付けてはいけないと、いまの自分は考えたりもする。

 そして、その時期の自分はなにひとつ成し遂げていなかった。いくつかの人間関係ができあがり、それを維持したり、別のものとつないだりして、ものになる何かを探していた。

 みどりの部屋のラジオから追悼番組と称して、その永遠に若さをとどめた歌手の切なげな歌が流れていた。ぼくは、テーブルに座りながら、意識もせずに聴いていた。彼女は茹でたスパゲティを手にして、そのラジオからの音楽を一緒に口ずさみながら、テーブルに近づいた。なかなか会えなかった日々を埋めようと、彼女は優しさを全面にだした日だった。冷えたスパークリング・ワインを開け、グラスに注いだ。その歌を聴くと、自然にその日の情景がうかんでくるようになった。
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存在理由(49)

2011年01月13日 | 存在理由
(49)

 ある日、才能が勝手に溢れ出てしまうような人間を見つける。その人に注目し、自分もああなりたいとも思うし、見習うべきなにかを嗅覚で感じ取り近づいたりもした。仕事で知り合った、デザイン会社の人にそうした男性がいた。ぼくと、同年代で物知りでもあった。世の中のさまざまな経験を通して成長する人間もいれば、才能のつまったスーツケースを絶えずズルズルとひきずるように生まれながらにして、もっている人もいる。うらやましい反面、厄介なものを与えられてしまったものだな、といまの自分は逆に思ったりもする。

 雑誌のデザインを刷新するよう前々から検討中でもあったのだが、ずるずると伸びていた。そのことを頭の片隅に置いておくようにとの命令があり、手垢のついていない人間を探すプランがあった。自社には、そうした人材がいなかったので、他社の人間にも視界は広がる。ある日、デザインを専属とする会社に出向いた。たぶん、その会社の違う人に用があったはずだが、忙しい人間の代わりに丁寧に応対してくれた人と話すことになった。

 出会いというものは、分からないもので、どのように大きく転ぶかは不透明なものである。その前の本来の用件である仕事は片付いたのだが、表紙の件は社内の中でも思案中であった。山本さんという丁寧な応対をしてくれた人とは、友人関係になり、いっしょに仕事が終わったあとも過ごすようになった。彼の夢は、絵をかいて生計をたてることだったらしいが、デザインでも優れていたので、仕事も数回依頼した。彼の仕事ぶりをみに、家まで行ったこともある。デザイン帳のようなものを見せてもらい、その溢れ出す才能に唖然とした記憶がいまでも鮮明にある。

 彼の近い将来の活躍を応援したくもあったが、こちらも自分が関わっている雑誌の体裁のことも念頭にあるので、彼のデザインを社内にもちかえり、相談することになる。会議でも検討され、それで見事に納まった。

 仕事をしてもらったことは嬉しかったが、彼のような才能は、そんなに日常的なことに追われなく、ゆとりの時間を多くつくってもらい、ゆっくりと仕事をしてもらいたいものだと考えた。考えて当人にも言ったりしたが、生活の心配や面倒にかかわらない自分にとっては、どうとでも言えたことだった。

 こうして、蹴落とすということなどはまったく介在しないライバル関係のようなものをこちら側で作り上げ、彼に張り合うような仕事を、いつか自分でもしてみたいものだと、単純に考えた。考えてみたが、もちろん、それは、机上の空論で急に変化が訪れるわけでもなかった。それより、人間に囲まれ、良い面や愛おしむべきもの、卑怯な面やたくさんの愛や悪意を知ってしまいたいということも、自分には強かった。つまりは、簡単にいえば人間の標本のようなものを作りたかったのだろう、自分の脳内と記憶の中でだが。

 ふるい考え方かもしえないが切磋琢磨のようなものがあり、彼を尊敬した。いつか成功が約束され期待されている人として彼を見た。

 そのころ、みどりと一緒に会ったりもした。彼女の誘いで、山本さんの友人も連れて行き、4人でサッカーを観戦したりもした。天候は晴れで、思いっきり声を出して応援し、その後、近くの店でたくさんのビールのジョッキを空けたこともあった。

「気難しいような人じゃない?」
「ぜんぜん。さっぱりとしている人だよ」
「だと、いいけど」と、会う前に彼女はいくらか心配した。決してそんなことは、いままでにはなかったのだが、自分があまりにもほめるものだから、警戒の気持ちが浮かんだのだろう。人は、将来の未知なるなにかに対して臆病になるときもある。

 このように、太陽のしたで、時間を過ごすことが好きなみどりは、同じことができる彼のことを気に入ったが、もっている才能までは理解していなかったかもしれない。

 そのように才能がある人なので、その後はたくさんの仕事の依頼があって、少しずつ疎遠になってしまったのだが、その時の自分はかなり心酔していたのだろう。その後も、美術館に出向いて彼の解説をききながら絵を見る楽しみが増えていったことも覚えている。だが、誰が現世的に成功するか、成功しないかの判断なんか、自分たちにはできないことだと身をもって知る。しかし、才能のスーツケースにものが詰まっているのならば、それを引き摺っていくしか方法はないだろう。
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存在理由(48)

2011年01月12日 | 存在理由
(48)

 春になって、仕事も一年間が終わったことになる。同時に、新入社員も入り、後輩ができることになる。一年前の自分はあんなにもオドオドしていたのかと思うと、慣れというものが、世の中の全てのような気がした。それと、自分の継続した仕事もあり、辞めた人の仕事の引き継ぎもあって、さらには、新しく入った社員をひきつれて取材に行ったり、急に忙しくなってしまった。

 忙しくなれば、自分の余暇の時間が削られていく。外国ではきちんと休暇という制度が確立されている、とよく耳にする。耳にするが日本人には縁のないものらしい。それで、精神も乱さずに日常をやり過ごさなければならない。

 何人かの後輩を目にする。性急な判断というのは無意味なのかもしれないが、直ぐにでも役に立ちそうな人もいれば、どういう人事の判断があって入社したのか分からない人間もいる。それで、詳しく知らなければ、深く付き合わなければ理解できないなにかを持っているのだろう、という期待をもって見ることにする。

 期待をもつが実際の時間は、とれずにいた。だが、誰かに誘われれば極力、その誘いにはのることにしていた。米沢さんの部署にある女性が入った。数人の内輪での飲み会なので、盛り上がりが期待できないためか、ぼくにも声がかかった。自分には返事の決定権がないらしく、すでに行くことにはなっていたが。

 米沢先輩の目から見れば、ぼくだっていつまでも後輩であることには違いがなく、静かな瞬間を迎えたときに、ぼくの失敗を語って、笑いにつなげられた。とくに嫌でもないが、彼らの目から見れば、頼りない男性という目で見られてしまうのだろうかと、少なからず心配した。だが、覚えてもらうという点からみれば、成功なのだろう。彼女の目論見もそこらにあったのかもしれない。

 帰りが一緒になった彼女と久々に話した。
「ごめん。さっきは」
「なんですか、米沢さんが謝るなんて珍しいですね」
「あの子たち、なんか覇気がなくて、あんたの失敗の話でもしたら、自分たちもそんなことが許されると安心するんじゃないかと思って言ってみただけ。あとね、あんたのこと頼りにしてもいいよ、という売名行為でもあるし、自分の名前じゃないけど」
「へぇ、意外ですね。ぼくって頼りになるんですか」

「この会社の期待の星でしょ。社長と部長と気安く話せる人なんか、ここにいないじゃない」

 と、言われれば、さすがにそうかもしれないと考えるしかない。「このまま、もう一軒付き合わない?」と誘われた。かなり酔いは回っていたが、彼女とともにする時間は快適な刺激があるので、一緒にいると楽しいし、またとても勉強になった。そのような理由がもしなかったとしても、多分、いっていたのだろうが。

 米沢さんは先輩風を吹かせて、黙って私についてこい、という空気を出していた。それに付いてこない後輩に、ちょっとやる気が失せているのだろう。指示待ち症候群という言葉のようなタイプの人間に魅力を感じられないらしい。そのことを少しだけ愚痴りだした。このことも珍しいことだった。自分に後輩ができた面倒より、彼女の変化に驚いた。だが、すべての困難をいつか平らにならしてしまう彼女のことだから、いずれ解決するのだろう。ぼくは、となりに座って、ただうなずいたり、相槌をうったり、ほほ笑んだりしていればよかった。

 こうした具合だったので、彼女はおもったより自分の酔いに気づかなかったらしい。

「わたしの家まで送って行きなさいよ」という命令のもとタクシーに乗せ、米沢先輩のマンションまで連れて行った。今度は、「わたしが眠るまで、見届けなさいよ」と言ったが、すぐに寝た。電車もないので、ソファをかり、明日までの仕事を急に思い出し、ネクタイを緩め、それに取り掛かった。カバンから資料をとりだし、8割がたまとめたところで、記憶がなくなっていく。

 翌日、カーテンが開けられ、陽がさしている窓の眩しさを感じた。先輩はいつもの先輩にもどり、ぼくらの関係もいつもの関係に戻った。またもや、新しいYシャツがでてきて、「それ、あげるよ」と言われ一緒に出社した。コーヒーを片手に会社に早めに入り、残り2割分の仕事をかたづけ、採算はようやっとあった。そろそろ、24歳になる直前のある一日のことだった
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存在理由(47)

2011年01月09日 | 存在理由
(47)

 子供が、なんでも手に取るものを欲しがったりする。そこには、道徳観もモラルもない。ただ、性急な解決したい気持ちがあるだけだ。大人は、そうはいかないだろう。こうすれば、結果はどう転ぶか、簡単な計算をする。計算をして、それでも進んだり、計算の結末をおそれ、躊躇してしまうこともあるだろう。

 目の前に素敵な女性があらわれる。ただ、順番の問題だけは考えなければならない。もう片手には、離せないものをつかんでいる。さらに別の手が空いているからといって、その両方を所有することは無理だろう。

 さゆりさんという、今までに会ったことのないタイプの女性があらわれた。彼女は、自分の内面をすぐにさらけ出すようなことはしない。だから、彼女が自分のことを、どう思っているかは分からない。分からないので、そこには焦燥の気持ちが付け込んでくる。それに捕らわれると、逃げられなくなる感情がある。うまく切り出すこともできない。

 自然と、何度か会社への往復で会うことがあった。未知なる人ではなくなったので、話しかけたり、また話しかけられたりする。彼女も、単純にそのことを嬉しがっているような気もする。3度目に帰りが一緒になったときに、駅前の飲食店にさそった。それで、彼女も同意した。普段は、こまめに料理も作るそうだ。性格的にいっても、栄養のバランスのことを熱心に考えたり、カロリーの計算のことも念頭にいれてするそうだ。そういうことに無頓着である自分は、そのことを告げると軽く注意される。そこが、また彼女らしかった。

 今日も、お互いが手持ちの笑える話をもちあって話すということはなかった。職場の昼休みには、そうしたブームがあって、いくらかは人に話せるような話を収集していた。しかし、彼女の前で話して、気に入られようというような気持にはならなかった。
 それでも、気まずさみたいなものは一切なかった。かえって、言葉に頼らないところに緊密さのようなものが生まれる。不思議なものだ。しかし、そう思っているのはもしかして、ぼくだけだったかもしれない。

 ご飯を済ませ、別の店でお茶を飲んだ。彼女も甘いものが好きだった。ぼくは、それにはつきあわずアルコールを飲んだ。
「おいしそうだね?」と、ケーキを食べる彼女を前にして話す。
「食べる?」
「いや」
「ほんとにお酒が、すきなんだね」
 と、言われて今更ながら否定のしようがなかった。

 彼女は、最近あつかっている仕事の話をした。それを聞くと、彼女のもつ勤勉さや、まわりと調和した関係のことも見えるような気がする。それで、このような会話はとても、ぼくに満足感をあたえ、それを永続させたいような気分にもさせる。そのことが、確信を先延ばしにさせる余裕をあたえるのかもしれない。

 このようなことがあって、ある日、駅前のスーパーの前で袋を抱える彼女を目にした。声をかけようかと近付くと、彼女の前に同じ袋をかかえている男性が寄り、親しげに話し合いだした。その会話は聞こえなかったが、さゆりさんの暖かい笑い声と、うきうきした気持ちのあらわれが聞こえるような気がした。それで、ぼくは自然と後ずさり、声をかけるのをためらった。

 その様子をみてから、なんとなく顔を合わす機会が減ってしまった。わざと、自分で時間をかえてしまったのか、今になると覚えていないが、もし、みどりという存在がなかったら、どのように変化していたのだろう、と空想する時もある。しかし、失った以上のものが絶えず見つかるわけでもない。それでも、ならなかった自分ということが考えから離れずにつきまとってしまうこともある。さゆりさんのことも、こころの中のそのような引出しのひとつにしまってある。時間が経てば、自分がそのような経験をしたのか、それとも、自分の脳が勝手に作りだした空想の女性か判別できなくなってしまうような誤解もあるが、不図似ている女性にあうと、やはりたくさんの言葉を費やしても理解できない関係の虚しさを思い、磁力のように結びつきあう関係があっても良いかとも感じだす。恋愛という土俵にはあがらなかったが、自分では、ささやかな失恋のような軽いうずきと甘酢っぽさを思い出させる不思議なひとだった。それ以来、会うこともなくなってしまったが、同期からさゆりさんのこと好きだったろう? あの子、結婚したよ、と何年後かに言われた時はすぐに思い出せない自分がいて、自分自身の気持ち自体に戸惑ったことを思い出す。
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存在理由(46)

2011年01月06日 | 存在理由
(46)

 何日か経つ。また、日常に戻る。誰にも会わず、のんびりとした日曜を迎える。シャワーを浴び、クリーニングを出し、喫茶店で時間を過ごす。それにも飽きて、本屋で立ち読みをしている。これ以上ない、非生産的な休日だ。新刊本を読んでいると、肩をたたかれる。後ろを振り返ると、さゆりさんがいた。

 彼女もカジュアルな服装をしていた。いつもと違っているのは、メガネをかけていることだった。普段は、コンタクトをしているのだろう。それで、印象が変わっていた。その彼女は、駅の反対側に住んでいることは知っていたが、大型書店は、こちら側にしかないので来たのだろう。

 本をもとの棚に置いて、世間話をする。それでも、物足りないので一緒に外に出る。寒さの薄らいでいる日だった。長く外にいる予定はなかったので、重い服装はしていなかったが、それでちょうど良かった。横に女性がいると、歩くペースに注意をはらう。それぞれ、彼女たちはリズムが違う。さゆりさんは、何事もゆっくりしているようだった。

 また、店にはいり紅茶を頼む。前を通ったことはあるが、一人ではなかなか入れそうもない様子の店だったが気になっていたので、今日はちょうどよいタイミングで店内もそう混んでもいそうになかったので、二人で入った。
「いつも、この辺をぶらぶらしているんですか?」と、問われた。

「どっかに出掛けることは多いけど、今日はまったく予定もみつからなくて、のんびりしちゃった」と、答えた。
 人を前にすると、空間がこわくて話し過ぎてしまうことが多々あった。しかし、さゆりさんの不思議なところは、そうした感情を人に与えないところだった。それで、自分の本来の静かなブルーに沈んでしまう気持も押し込めずに、素直にあらわすことができた。

 なので会話が飛び交って理解が深まるようなことはなかったが、それでも底辺では理解ができているのではないか、という安心感と気持ちの安定というものがあった。このような体験は、まれというか恐らく初めての経験だったので不思議な感じが自分でもした。

 夕方の時間は徐々に延びていたが、それでも、暗くなるのは早かった。財布には、ぎりぎり心配がないくらいの札が入っている見当だったので、勇んで彼女を誘った。それで特に予定もないとのことで、彼女は、一回帰ってからでもよいか、と聞いたので、それを断っても仕様がないので、了承した。

 入った店には、その頃の特徴のリズムばかり目立った音楽が流れていた。人の体内に自然に出来上がって調和するというより、わざと高揚させるような音楽だった。そればかり聴いていると疲労が蓄積されそうだが、少しの間であるならば、そう有害になりそうもなかった。しかし、はっきりいえば、今日の気分とは相容れなかった。

 ここでも、お互いが少しでも分かり合おうとして手の内を見せあうという関係ではないが、それでも、互いを水槽の中の熱帯魚を眺めるような自然な観察はできた。その慌てないところが、日曜の夜にはあっていた。そもそもの元気は、明日からの頑張りに譲ってしまおうと考えていた。

 こうして近所に、手近なところに話し相手がいるということは、こんなにいいものだと思っていなかった。そのことを言うと、彼女も暇なときは、気軽に声をかけてください、と言ったが、このような言葉をどこまで本気と考えていいのだろう。しかし、彼女は作為というものがまったく見えず、彼女の発する言葉は等身大の、そのままの大きさのような気もした。

 夜はすっかり夜としての正体をあらわし、乾燥した空気と多少のネオンを道ずれにあらわれた。簡単な挨拶を交わし、食事を終え、それぞれの家路についた。

 ひとりで歩いているときに、そのままの余韻にひたり、のんびりとした休日が、楽しい日に化けたことが嬉しかった。その原因でもあったさゆりさんに感謝するしかなかった。そして、みどりのことを、つかの間でも忘れてしまう時間が多くなる自分にも多少の愛想をつかした。
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存在理由(45)

2011年01月05日 | 存在理由
(45)

 仕事が手につかず、はかどらない数日があって、やっと週末になった。土曜は早めに起き、昨夜、仕事帰りに借りたレンタカーに乗って、みどりの実家に向かおうとしている。このような予定は、嬉しい期待感に満ちたものではないが、他者との関係で人生を成立させる以上、だんだんと増えてくるものなのだろう。

 誰かの結婚式があり、誰かはどこかで亡くなり、それを見守るための視点が必要である。そのために現場に居合わせて、見届ける時間がいる。そう、常に冷徹な考えでいるわけでもないが、学生時代のように、自分の受験があるので、かかわらずにいてくれ、と強く突っぱねることなどは出来そうにない。そして、そのようなこともしたくはないが。

 運転していると、窓外の景色はかわるが、頭の中は常に一定のところにとどまっている。みどりは、母親の病気という経験に耐えられるのか? そのようなときに、どのようなものが頼りになるのかは、自分にとっても不鮮明である。不確かなものでもあるが、実際に直面すれば、自然と解決するものでもあると安心してもいた。

 一般の道が国道になり、高速に変わったりしている。いくつかの音楽をきき、ラジオでその日の混雑具合や、ニュースや天気などもきく。そのような声の伝達者に生まれてくるひとの魅力を感じる。また、ソウル・ミュージックの甘い雰囲気も大好きだ。車の中は一瞬にして、なごやかなムードに包まれる。そう、がつがつ生きたり、努力という言葉を使ったりすることもないではないか、と不思議な安心感とここちよい倦怠がある。

 サービスエリアで朝食を食べようと車をとめた。思ったより早く着き、ゆっくり行動できそうだ。たくさんのテーブルがあったが、なかは閑散としている。広いスペースがあることを喜んでいる子供が、うれしそうに走り回っていた。いつもより、元気であることの望ましさを自分は感じていた。

 また車に戻り、高速道路からも降りた。みどりに聞いていた病院の場所を、再度、地図と照らし合わせて、そこに向かった。遠くからでも大きな建物は目立ち、そこに向かったが、しばらくするとようやく辿りつけた。車のドアを開けると新鮮な空気が流れ込んだ。

 部屋の番号を確認し、ノックしてなかに入った。直ぐにみどりの顔がみえた。そのことで自分もいくらか安堵した。横には、みどりの母親が寝ていた。しかし、その顔色も良かったし、病人にはまったく見えなかった。弁解のように、
「来てもらってごめんなさいね。主人が大げさに考えて入院までさせられてしまって」と言った。その横で、みどりの父は難しい表情をしていた。それでも、やはり大きな問題にならずにすんだという軽くなった気持もみえた。

「まあ、来てもらったんだから、ゆっくりして行きなさい」と父は照れ隠しのように言った。
 世間話をし、盛り上がったついでにみどりの小さなころのエピソードを聞いて、午前中には病院をあとにした。みどりと父親も実家にもどり、簡単な軽食をいただいた。
「これから、どうする。また荷物をもって病院に向かうけど」
「適当に時間をつぶすよ。夜は空いているんだろう?」
「うん。今夜はどうするの?」
「ビジネスホテルにでも泊まって、明日はどこかぶらぶらするよ」

 時間が作れないことを彼女はあやまり、それに対してぼくは、そんな心配はいらないと言った。たまには、のどかな環境に囲まれて、自分の体内に風を通すのは気持ちの良いものだ。東京で暮らすようになって、考えかたが矮小化されていくように感じた。また、昔のように時間にも拘束されない子供時代の記憶と追憶が、自分自身につよく襲ってきた。

 さびれたホテルを探し、泊まれるか尋ねると、何の問題もなく低料金でとまれることができた。散歩がてら、方々を歩き回った。小さなカメラで景色を切り取り、どうでもよいお土産屋にはいったり、夕飯がとれそうな場所をみつけたり、まったくの非日常の気持ちになった。

 夜には着替えたみどりと待ち合わせ、病状などもきき、大したこともないので、彼女も東京に来週早々には帰れると言った。だが、戻ってしまえば、そうゆっくりと時間もとれないことはお互いが知っていた。
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存在理由(44)

2011年01月04日 | 存在理由
(44)

 家に近づくと、見馴れない車がとまっていた。多分、みどりが乗ってきたのだろうと予測した。案の定、玄関の戸は鍵がかかっていなかった。中に入ると、あきらかにいつもとは様子が違うみどりが、そこにいた。

「どうしたの? 急に」とぼくは声をかけた。なにかに動揺しているような表情をみどりはしていた。

 少しの間隔があって、口を開く。彼女の母親は、今日倒れたという電話があり、とりあえずぼくに連絡したのだが、つかまらなかったので、実家に帰る途中に寄ってみたのだと言う。ぼくは、素直にあやまった。浮かれて過ごしていた間に、彼女はやきもきしていたのだろう。

 彼女は、それで数日の有給をとり、実家のそばの病院で看病にあたるそうである。前にあった時の印象は、元気そうな人だったので、ぼくも心配ですぐに駆けつけたかったのだが、そう予定を急に変更するわけにもいかず、彼女を見送ることしかできそうにない。

 ぼくとのふたりの関係ははじめのときと違い、会う回数など密度が減っていることは確かだった。彼女は、そのことを気にして、いま言うことではないかもしれないが、ごめんなさい、とも言った。ぼくは、
「別に、ふたりとも仕事で成果をあげようとしているのだから、仕方のないことだよ」と、自分にも言い訳しているようなことを言った。彼女はすぐにでも出かけたそうだったが、また逆に、少しの間だけ落ち着いて話していきたいようにも見えた。ぼくも、動揺した気持ちをもって運転しても良くないことが起こりそうなので、熱いコーヒーをいれて、ふたりで飲もうとした。

 彼女は、テーブルの向こうでコーヒーカップを両手でつつんでいる。いつもより薄い化粧だった。何度も見た顔だったが、相変わらずきれいな顔立ちだと思った。そして、彼女がぼくを選んだことや、いままでの楽しかった経験を思い返した。その彼女に悲痛なことが起こってしまったことを、いまは残念に感じている。それとともに、自分の両親のことも考えないわけにはいかなかった。誰しも年をとり、全盛期を自分自身で作ったり、編み出したりして、次の隊列に席を譲らなければならない。彼らはもう、そういう状況をそれほど遠くない未来に待ち構えているのだろう。

 そのようなことをみどりと話した。いつもは、彼女の方が包容力は大きいのだが、今日の彼女は小さく見えた。コーヒーを飲み終えると、彼女は脱いでいたコートをまた着た。そして、ぼくの首に両腕をまわし、抱きついた。いつものみどりの匂いがした。多分、いずれ街のどこかで、この匂いをかいだら、直接ぼくの脳は、みどりの姿を立体的に思い浮かべることになるだろう、と予想した。

 彼女は、玄関から出て行った。ぼくも上着も着ずに、一緒に部屋を出た。車のエンジンがかかる。窓を開け、彼女はにっこりと笑った。

「じゃあ、行ってくるね」
「気をつけて。ぼくも、今度の週末に行くよ」と、考えていた言葉を出した。
「ありがとう。無理しないでね、仕事でも」

 車は出て行った。ぼくは突然、薄着であることを実感した。部屋に入り、暖房を強めた。コーヒーをさらに入れ、すでに酔いは醒めてしまっている頭をさらに、はっきりさせようとした。それから、目をつぶり、圧倒的な存在にすがって祈るように小さく呟いた。今日みたいな日は、誰もが小さな存在だと、力が無いものだと感じてしまうだろう。ふと目を下に向けると、みどりが、ぼくがいない間に書いていたメモが落ちていた。そこには、彼女が自分の母親と過ごした日々がつづられていた。彼女は、考えをまとめるときによくそのような形式をとった。

 ぼんやりとして、みどりの20数年間の人生のことを考える。もちろん、勝手に大きくなったわけではない。彼女の幼少のころは、どんな子だったろうか、と想像してみる。想像より、当事者に直にきいた方が良いことは決まっている。それで、週末にあった時にでも、みどりの母親にきいてみようと決心する。それより、そう大した症状でなければ良いが、と今更ながら人生という薄い塀を落ちないように歩いている人々に同情を寄せた。
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存在理由(43)

2010年12月30日 | 存在理由
(43)

 人との出会いで自分の枠がいくらか広がる場合がある。ぼくの同期は、季節ごとに洋服を替えるように女性を替えた。自分は、そうした努力を怠ったのだろうか、いつも最前列にはみどりがいた。しかし、聖人でもない自分には、2番や3番にも誰かが出てくる。卑怯なことは、分かっているが、自分でもどうしようもなかった。だが、先頭にみどりを置くことを辞めるつもりもなかった。

 待ち合わせて4人で、居酒屋に行った。同期は、かなり親しげに付き合い始めた女性と接し、知り合ってから十数日しか経っていないとは傍目には思えなかった。彼のいつも大らかな態度に自分は圧倒された。自分は、あのぐらい親しい関係になるには、数カ月や数年をふつうに要した。

 ぼくの家にも近い場所に住むさゆりという子は、その年代の女性としては、おとなしい印象を与えた。自分のことをあけすけに何でも話すようなことはなかった。そのことでかえって話を引き出したい気持ちにさせた。また、自分のオフィスに戻った時には、あのようなおとなしさで、きちんと自分の意志を伝えて仕事ができるのだろうかと、いくらかの心配も自分にさせた。その気持ちがあって、頼りなげな表情を眺めながら、話をすることに熱中していく。多分、他の人にインタビューしないことには、仕事にならない自分には、いくらか訓練されてきたのだろう、それを使って情報を引き出していく。

 彼女は、24歳だった。いまの会社に4年間も働いている。もう一人の子が言うには、とても業務において優秀なのだそうだ。優秀というのは、完成に近づくために段取りがきちんと把握できているのだろう。そして、失敗する要素の芽を摘み取っていくのだろう。

 ぼくの周りには、しっかりした女性が多かった。そのためか、そうした女性の美点を当たり前のように考えていた。さらに、自分はそれらを愛していた。しかし、目の前にいる女性は、いかにも頼りなげでやさしい気持ちを自分に付け加えた。

 それぞれが満腹になり、酔いも手伝って開放的なきもちになった。同期の失敗を忘れさせ、元気づけるという名目であったが、彼にはそうした計画も実際には必要ないようであった。逆に、自分は元気をもらっていた。

 店を出ると、コートを着ていても何の役にもたたないような寒さに包まれた。同期は、すぐに消えた。明日の朝は、元気な顔で出社してくれればいいと思った。

 ぼくは、さゆりさんと地下鉄の入口に向かった。空席がみつかり、そこに座った。話をきくと彼女にも学生時代から付き合っている男性がいて、その関係はいまでは最初の高揚はすでになくなっているようだ。それで、二人が一緒にいることが自然なことだ、という境地にもいかず、ちいさな不満が彼女にはあるらしい。あるらしいが、彼女はそのことを堂々と言えることはできないみたいだった。変えてほしい部分も口にだせないまま、また、最終的に関係を打ち切ることもないようだった。すべては、静かな流れに漂っている葉っぱのように、水面をぷかぷか浮いているような関係性だった。

 それをきいて、自分も同じようなものではないかと考える。愛しているのは確かだし、だれよりも大事に温めていきたい関係だが、とくに手を入れなくてもうまく動いている機械のように歯車もかみ合っていた。しかし、もっと能率を高める余地もありそうだった。かといって、具体的な対策は、戦況を見極めることのできない一兵士のように先延ばしにする。弾もそれなりに拳銃にはつまっているし、食料も確保できている状態だ。

 このように同じ共有することを並べたて、感情移入することによって、防御の壁を打ち壊し、親しさを深めていくことが自分の方法であるようだった。30分間ぐらいの地下鉄の車内で、行われた小さな奇跡だ。

 誰かのこころが、自分を信頼し、なんでも話せるようになり、友情がうまれ深まっていくことに、それが学生時代の延長ではなく、社会に足場をつくった人間としての嬉しさに、このころは敏感になっていたのだろう。それは、自分にとって、とても栄養になり、人生をカラフルにさせるものだと気付き始めた。

 駅に着いた。改札を抜け、ぼくは南口に向かった。彼女は、北口に行った。休日に暇なときには、一緒にコーヒーでも飲もうという、不確かな約束をとりつけ、自分の気持ちにちいさなさざ波がたち、それでも、暖かな気持ちをもって、家にむかった。自分のアパートには思いがけなく電気がついていた。鍵をもっているみどりが来たのかな、と彼女の不定期な休日のことと照らし合わせて考えた。
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存在理由(42)

2010年12月28日 | 存在理由
(42)

 一年近く、同じ駅を使っていると、なんどか見かけた顔があるものだ。同期に誘われ、となりのビルに入っている、とある生命保険の会社のOLと飲み会をすることになり、席に座って、その顔を眺めると、何人かはそれらに属している顔だった。

 それで、不特定多数の顔が、組織に含まれた一員の顔になり、それを手がかりに話し始める。そうすると、相手も何回かぼくの顔を見て知っていたらしい。

「ときどき、サッカーの本や、ファッション誌を持っていますよね」
 と、言われた。実際にそのとおりだった。
「なんだ、今度みかけたら声をかけてね」と伏線を引いた。

 話は、それぞれのグループが出来て、それなりに盛り上がっていく。なかでも賑やかなのは、ぼくの同期が入っているところだ。彼は天性の明るさがあり、その人柄に触れるとだれもが暖かな笑顔を浮かべる。だが、その反面なのか細密な仕事には向いていない。時々、注意をされているときも見かけたが、直ぐにそのことを忘れられるらしく、ストレスをためないで暮らすことができた。怒っている人も彼に対すると、怒りの持続が保てないようで、結論として「まあ、いいや。今度から注意深くしてね、」という解決になった。

 その人柄は、今回もまちがいなく発揮されている。彼のまわりには笑いの渦があり、その中心に彼が存在する。こころとこころの垣根がないのか、それとも低いのか、彼からは見習うべき美点が多かった。

 ぼくは、小さなグループで喋り、それから一対一で会話することになる。こうした中では、自分のありのままの姿を示せることができるが、生まれついてのリーダーには決してなることがないタイプだと、自分で分析していた。

 雑誌社のなかでの仕事を面白おかしく説明し、いくつかの成功体験と失敗した話をした。ぼくと話した子は、人の話に熱心に耳を傾ける子で、そういう子に対すると夢中で話してしまう瞬間と衝動がある。彼女たちは、その話を胸にしまい、きちんと折りたたんで整理する。あるとき、再び持ち出す要求がある場合は、劣化もせずに再構築することができた。自分は、そうした会話上のテクニックや術を有していないので、単純にあこがれてしまう。

 数時間が経ち、それぞれの疲れと酔いが深まり、それでも二次会にはカラオケに行った。自分は、片隅で酒を飲んでいる。華やかな歌がうたわれ、バラードで場が静まり、そろそろ電車の時間を心配するころが迫っていた。

 電車内でぼくを見かけた子が、よくきくと家も近いので、一緒の電車に乗り込んだ。いつもより、社内は混んでいて揺れも大きかった気がする。自然と手すりをつかんだ手に力がはいり、弱々しげな細い身体の彼女はぼくにもたれた。冴えない頭だった一日は、このようにして終わっていく。

 次の日は、社内であるテーマによるコンテストの発表があった。文章の能力のアップと潜在能力の見極めが必要らしく、毎年、行われているらしい。入社して数年のみの人間が参加できるが、ぼくは、そのコンテストで2位になった。そのことは嬉しかったが、問題は、昨日の同期が他の人の文章をそのまま使ったらしく、そのことがバレて小さいながらも問題になっていた。その後何日か彼はさまざまなところに呼び出され、注意されたり説明や弁解を要求されたりもした。しかし、思ったより罰は大きくなく、処遇も悪くないようにされた。甘いといえば甘いのだが、それも彼がふりまく人徳なのだろうかと、彼をよく知る人物は話し合った。

 とりあえず、ここしばらくは紙面に文章を載せることはなくなったが、営業的な面は人並み外れて能力があるので、その方面で活躍すればミスはなかった話になるとのことだった。それで、同期入社のものは一同ほっとした。仲間が、競争社会でふるい落とされるのは、あまり気持ちの良いものではなかった。

 何日かして、彼はとなりのビルの子と交際をはじめていた。社内で多少、元気がなかった彼を心配して自分はその子を誘い、仕事が終わったあと、彼を連れ出した。お互い、欠点があるものだ、という共通認識もあったのだろう。彼と交際している女性は、その日、ぼくと電車が同じ方面だったさゆりという子も連れてきた。自分には、真剣に付き合っている女性がいるという空気は、外面に出ないのだろうか。それとも、多くの人は、そんなことも関係なく生活しているのだろうか。今日は、彼に元気を取り戻してほしいという大義名分があるので、いそいそと仕事も早めに切り上げ、誰に呼び止められる隙もチャンスも与えず、冷たい空気の中に出た。ビルとビルとの間では、さらに冷気はつよく襲ってきた。
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存在理由(41)

2010年12月28日 | 存在理由
(41)

 寒い日が続いていたが、春や初夏をたのしむ記事を掲載すべく会議をおこなっていた。日中の脳の空白の時間があり、そのときもそのような隙間に頭を突っ込んでいた。

 窓の外には、ビルの隙間から青空がみえ、またその間をぬって飛行機雲ができていた。実現化をせまられている問題もあることにはあったが、ぼんやりとした未来を空想のゲームとして、考えている状態だ。

 何本かの電話をする。外見を、美しさを保つことによって、仕事にありつける人たちがいる。自分は、そうしたギフトを与えられないでいる。しかし、多くの人はそのようなものは与えられないで、生活している。拠り所としては、小さな掛け金と、自分の能力の度合いによって得られた努力のかけらのようなものをかき集めて、自分の生活を組み立てていく。
 必然的に、幸福は自分に見合った大きさになる。

 だが、電話をかけている相手は、雑誌を美しいものにするには欠かせない人たちだ。彼らのスケジュールを確保し、それ相応の報酬をはらい、彼らのある一日を切り取って、紙面に象徴的にのり付けをする。

 となりのデスクには、音楽について詳しい知識をもっている同僚のデスクがある。その上にはCDが山積みになっている。日に日にその高さも伸び、たまに座席の下の段ボールに無造作に放り込まれていく。

 彼のために月に何回かコーヒーを買ってくるので、そのCDの山から無断で家に持ち帰っても良いという契約を結ぶ。ときには、彼の簡易な記事のためのメモが入っていて、それも勝手に読み、自分の音楽という広大な砂漠に水を与えるような状況が生まれる。知らないことは、誰かに頭を下げて覚えるほど、簡単なものはないだろう。

 自分には、人にたいして、参考にできるような何かを有しているのかが疑問になる。それは、「流行の先取り」という架空の見えないゴーストに縛られている場所に存在しているからには、消えない疑問でもあった。

 みどりには、はっきりとした目標があった。これから、成長が望まれるサッカーという分野での陰ながらの後押しと、純粋な気持ちでの応援。自分は、あるべき何かが常に揺らぎ、目標も定まらないので軸足はぶれ、その途中での努力も一時的なごまかしのような形のものになっていく。

 歴史のなかで古びない何かを生み出せる表現者になるというのが、最終的な目標といえば、それが目標になるのだが、そのためには、時には人生の中で挫折をし、幸運は、するりと手の平から抜け、やることなすこと裏目になってしまうような場面に遭遇しなければならないとも考えていた。その面からいえば、自分の境遇は幸運でありすぎるともいえた。

 こうして、ぼんやりと自分の人生の設定のあれこれを考えていると、コーヒーでも飲みに来い、という社長からの内線があった。彼は、たまに自分の立場をとびこえて、あまりにも無防備に行動をおこすことのあることが知られていた。その、無茶に付き合わされるのに自分はもってこいなのか、作戦も考えられずに、社長の部屋のドアを叩いた。

 最近のぼくの仕事ぶりをほめ、ほめられると浮足立ち、そこで注意を喚起されるというのが定番だったが、この日は、ただ、ほめられただけだったので、いささか拍子抜けもした。あとは、ニューヨークに消えた由紀ちゃんの現在の生活をいくらか教えてもらった。

「君も、それぐらいのことは知っているのか?」
「いえ、ぜんぜん連絡もとっていません」という事実だけを述べた。
「君は、ああいう子のことに関心はないのかね」
 返答を待つのでもなく、自分の若い時はああだった、というある年代の特徴のはなしをした。それには、頷くだけしか出来なかった。それ以上に、自分にはなにができるだろう?

 頭がはたらかない一日だったなと、軽い反省をしながら、となりの部署の同期に声をかけられた。用件は、となりのビルのOLたちと仲良くなり、飲み会をするので、お前もくれば、ということだった。断る理由もセリフも自分は浮かばず、言われたままに寒い戸外にでた。
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存在理由(40)

2010年12月23日 | 存在理由
(40)
 
 最初の仕事が経済関連だったので、向き不向きがあるかもしれないが、こつこつと個人的に経済も学んでいった。しかし、そのことは確たるゴールがないまま、世の情勢を掴むことにも繋がっていく。みどりがスポーツ関連に熱を入れている会社に勤めているので、その面でも知識を増やしていきたいとも思っていた。もし、会社という組織に将来的に属さない未来があるなら、一定の量の基礎知識と、また別の一点に集中した深い知識の両方とも必要だと思っていたからだ。

 スポーツという面では野球という競技がある。自分も学生時代に一時、打ち込んだことがある。前にもいったが、PL学園のあの二人の存在が、ある人々の希望の象徴になったのも事実だし、またある方角から眺めてみると、挫折感のきっかけになったのも否定しようがなかった。そうだ、自分は才能をもたずに生まれてきたのかという確かな証明でもあった。

 みどりは、日本のサッカーが将来、世界的に通用するスポーツになるのかの証拠を求めていようとした。日本人が力をいれてきた野球ですら、世界に名をとどめはじめる選手はまだ先の話だった。

 2月には、野球という競技が本格的に始動をする時期でもある。大勢の新聞記者や雑誌社の面々もそこに集まる。まわりの視線が集中するところにスターも生まれるのだろう。

 それなりの記事も雑誌にのることはあったが、本来はまだ入りたての青二才でもあった。人手が足りなくなると、ただの雑用として、それらの人々の運転手として行動したこともあった。沖縄や九州に行き、機材を運び、さまざまなものをセッティングし、また逆のことをして日々が吸い取られて行くことも多々あった。面倒だと思う間もなく時間だけが過ぎていった。

 そうしながらも、自分の頭と足を使った行為を通して、考えることも訓練していく。野球を見れば、この競技でメジャー・リーグに通用する選手は、そう遠くない時期に出てくることは分かった。多分、それは野手ではないはずだった。投手という孤立した存在で、颯爽と日本人も活躍するはずであった。それは名もなき、まだ見たこともない聞いたこともない人間であると予想した。しかし、実際は、牛を象徴としたチームの投手が、このあと活躍し出した。

 その選手の存在をそう遠くない地点でキャンプで見る機会もあったはずだが、疲れてホテルで寝ていたのだろうか、それとも、その地域の名所でも歩き回っていたのだろうか? 惜しいことをしたものである。

 学校で学んだ知識がある日、自分の知り得た情報を通して更新しなければならないと思ったのもこの頃のことだ。冷戦ということばですべてを表せる状態が、ぼくの学生時代には確かに存在した。しかし、その片方は、消えつつ運命になり、片方は異常なまでにその後、肥大化していく。そうした均衡が必要だったのか判断したこともなかったが、ソビエトは解体していった。ある政治家は、自分の言葉で西側に敬意を示し、そのことで過去の情報も世の中に流通し、より良い世界を求める希望を与えた代わりに、国自体が崩壊していった。世界は、より機動力を求めていくように見えた。

 知識が増えれば、幸福になれるという訳でもなかった。疑問は、執拗に存在し続け、それらは解決をもたらす力が世界にはないことをアピールし続けた。

 その頃の自分の生活は、長いこと続けているみどりとの関係を軌道から逸らすことを絶望的に恐れていることをひしひしと感じていた。そう必死になっていたわけでもない。休日には、仕事とは関係なく、そんなことは可能なのかどうか説明できないが、サッカーを観戦したり、ぼくの希望として、映画にもいったりした。数年も付き合えば、それを壊して、よりよい何かを求める気持ちもなくなっていったりする。その時の自分も女性に対してはそうだったのだろう。仕事では、少し進めば、自分には足りないことばかりで、責任もそんなにないことを知り、決定するのも誰かに任せていることが不甲斐なくもあり、わずらわしくもあった。

 煮詰まって来ると、いまの環境とは違う場所に存在する自分を確かめたくなるという発想が出たのもこのときだろう。休みをとって、友人と南国に行った。たくさんの太陽を浴び、潮風をかんじ、水着の女性に見とれ、夜はたくさんの酒を飲んだ。その開放感を通じ、また違った空気が抜けることを喜んだ。

 日本に戻ってくると、この夏にはじまるオリンピックの競技に出る選手の予選や、注目を浴びるだろう人々が紹介されていく。自分のピークをある日に設定することが目標となり、その自分の目標が他の人々の期待と直結し、それが裏切られると反省と釈明を求められてしまう人間のむごさの祭典だ。

 みどりもサッカーの情報収集をしている。現地に行って、取材をすることが決まっていた。若い人たちは、自分を市場に売り込むチャンスの場でもあり、そのことを証明すると、たくさんの金銭が動くことになる。

 自分も仕事をしながら、たくさんの人と接しながら、もまれて大きな人間になろうとする時期だった。多くの対向車とすれ違いながらも、接触事故も起こさずに、エンジンを駆動しながらもガソリンをなくすこともなく、ただひたすらに走ることが必要な期間だった。
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存在理由(39)

2010年12月21日 | 存在理由
(39)

 人の気持ちを置き去りにして、日々の生活は過ぎていく。小さな土砂は、いつのまにか歴史の層になり、将来の歴史に興味がある人の目を通してしか、それらは注目されなくなっていく。ぼくのこころも、日常の忙しさに押し流され、自分自身でも忘れがちになっていった。

 それで、みどりとの関係性を、再度深めようと考えた。なんだかんだいっても、自分にはみどりがいるじゃないかとの安心感もあった。彼女は、相変わらず忙しくしてはいたが。

 日本にもサッカーのプロ・リーグが出来上がることが決まり、その考え方として企業中心というより、地域に根付いたものになるらしい。そのことを知ったのは、もっとあとになってからだろうか。

 それは、学生時代に能力を見せた選手たちには、将来の目標と選択肢が増えることになり、誰にとっても良いことのように思えてきた。かといって、それらは蹴落とす戦いでもあり、能力の見せられなかった選手たちは消える運命を甘受し、自分の存在を明らかにした人たちでも、40、50歳までそのことだけで生きられないことも確かだった。

 スポーツの印象を文章として記事にすることは、可能か、それとも正しいことなのだろうかと考える。それは、自分の肉眼で確かめることが最善であり、その場に居合わせて熱狂を共有することも楽しいのだろう。その次に、テレビで見ることも応援の一部であり、ラジオでも、楽しさの一環は感じられるだろう。だが、文章は、いったいどういう立場をとるのだろう。

 それは、その選手の考えかたや、生い立ちやエピソードや付加価値がないと成立しないのではないのか。自分では、それらのことができるとは考えられなかった。

 だが、みどりの生活はそれだった。それらの連続と繰り返しの毎日だった。なので、自然と選手たちに肩入れする時間が増え、エピソードを拾い上げる会話とメモに頼る日々だった。そして、その努力と満足感に満ち足りた表情を見ていると、自分のしている仕事が、一部のひとの繁栄に乗っかっているだけの、ある意味他の人を排除したうえで成り立っていると考えてしまうこともあった。しかし、そちら側に席を作ってくれるならば、自分もそちら側に行きたい気持ちがあるのも確かだった。

 これらのことは二人になっても話すことはなかった。話さなくても、自分の気持ちというのは外面にも出てしまうものだろう。みどりは、最近ぼくが変わり始めていると言った。学生時代から、知っているみどりにとっては、当然だろう。ぼくも、直ぐには否定できなかった。その変化が、良い方向に向かっているのか、悪い方向に向かっているのかは自分でも分からなかった。しかし、変化のない人生なんて、当然のようにありえないのだろう。

 寒い風が吹くなか、まだお台場といわれる前の多分、13号埋立地と呼ばれている場所に車を借りて、出かけた。そこは、人目をたえず感じている都市生活者にとっては、ひとまずの逃げ場のような場所だった。そこにはバイクが宝物でしかたがないような人間たちもたくさんいた。彼らの競争心とスリリングな運転に感心し、自分の暮らしてきた田舎でも、そのような若者がたくさんいたことを思い出した。思い出すことによって感傷も当然のように芽生えてきた。

 こうして、みどりが横にいる生活が戻ってきたわけだ。だが、こころの隙間には絶えず部屋にしのびこむ夏の虫のように油断できないものが存在した。
「仕事どう? そういえばこの前の雑誌読んでみたよ。あの記事書いたんでしょう」
 みどりは最近のぼくの働きぶりを雑誌の内容で知るのだった。そして、客観的に、どこが良いのか説明した。それは、いつものように的確であった。

 冬の空は、すぐに夕暮れになるが、春の前兆のようなひかりもそこには含まれていた。たぶん、人間は、その新しい予兆のようなものを感じさえすれば生きていけるのだろう、とその日の自分は考えていた。
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存在理由(38)

2010年12月20日 | 存在理由
(38)

 それから、自分でも思いがけないことに喪失感が襲ってきていた。その思いをこころに隠しながら、日常の仕事をしてきていた積もりだったのだが、その積もりだけで終わっていたのだろう。

 社内の廊下で米沢先輩に会った。こちらを凝視している。

「どうしたの? 最近うかない顔をして。大切な人がどこかに行ってしまったみたいな顔だよ」
 素早い適切な対応もできず、そのことを米沢先輩にはよく注意されていたのだが、このときばかりは、そのことにも触れられずにいた。

「どう? 今日、たまたま私、飲む相手が見つからないのだけど、久しぶりに付き合わない?」
 と、誘われた。もちろん、過去にお世話になっているし、ぼくにはその誘いを断れるわけもなかった。
「はい、大丈夫です。終わる頃、内線をかけます」

「じゃあ、そのときまた」と、たくさんの荷物を抱えたまま、来たエレヴェーターに乗って彼女は消えた。先輩を見るたびにこの世には、試練もストレスもない錯覚に陥る。もちろん、それは錯覚にすぎず、常人は、ある種のピリピリした感情や、トラブルに包まれて暮らしているわけだ。

 この日は、週末の男の料理という記事のための取材をしていたはずだ。連絡を取って、いつものようにコンビを組んでいるカメラマンとセットで、とある専門家の先に向かった。その人が食材と、それに合うお酒を用意して、その過程を写真に撮った。その工程をメモしておき、同じような具材をそろえ、男性モデルを用い見栄えの良いものにしていく。別のカットでは、その料理を待ち望んでいる家族の写真が加わって終わりだ。

 あとは、それにあう文章と会話を作り上げ、雑誌の数ページを埋める。

 喪失感を内在している人間には、それなりの仕事だったと思う。家庭で、実際はどのような会話が営まれているか知らないわけで、そのことが嘘っぽく響き、真実味に欠けるということでチェックを入れた部長にその後注意されるわけだが、この雑誌の存在していること自体が嘘っぽいものだと、当時の自分は考えていた。

 とりあえず、その日のやるべきノルマはこなし、米沢先輩に電話をかけた。
「ちょっと、待って。化粧を直す時間ぐらい、あんたもくれるでしょう」
 という言葉とともに電話は切れた。

 会社から少し離れたところで待ち合わせをした。そこに着いた先輩の顔をまじまじと見た自分には、どこに修正が必要かはわからないほど完ぺきな表情だった。自分の顔を食い入るような視線で覗き込んでいることに気づいたのか、彼女は怪訝な顔をした。しばらく言葉もなく歩いた。歩いた先に店が見えてきた。そこは彼女が最近、開拓した店らしい。そこに連れて行ってもらった。
「あんた、彼女もいたんだよね」

「いまでも、いますよ。ここ最近あうことは少なくなっていますけど」
「その淋しさをなにかで埋めなければいけないわけだ」
 学生時代以来、そんな酩酊はなかったはずだが、何杯かのお酒を飲み、何回かトイレに通い、何回か米沢先輩のことをほめ、酔いかどうか分からないが目の前の女性は常にきれいな女性に見え、そのあと突然に記憶がなくなっている。

 記憶がよみがえるのは、夜中の米沢先輩の家のソファで、すぐにはどこにいるのか分からなかった。スーツがハンガーにかけられ、頭の上にぶら下がっている。頭にうかんだのは、「やばい、迷惑かけちゃった」ということだ。

 流しに置いてあるグラスを勝手に使い、水を飲んだ。となりの部屋に寝ているらしい彼女を起こしてしまう心配のため、気配をけして歩いた。と、横を見ると、その部屋に通じている横にスライドをするドアは、ほんの少しだけ開いていて中を見ると、暗くてなにも見えなかった代わりに、彼女の小さな寝息がきこえた。いつも完ぺきな昼間の姿とちがい、それはぼくにとってもか弱いような印象を与えた。

 またソファに転がり、つぎに気づいたのは朝だった。カーテンは開けられ、身支度も整えている米沢先輩がそこにいた。目をあいているぼくに気づき、
「早くシャワーでも浴びて、こざっぱりしなさいよ」

 と、言われるままぬるいシャワーを浴びた。喉もとには、小さな気持ち悪さがつまっていた。乾かない髪をタオルでこすっていると、新品のワイシャツが用意されていた。

「ワイシャツぐらい、きれいなもの着たいでしょう?」
 それに腕を通しながら、彼女の何人かの男性を想像してしまう自分がいた。そして、それにかすかな嫉妬を感じている愚かな自分がいた。米沢先輩に見合うような人は、このような気持ち悪い朝を迎えることもないだろう、と自嘲し、靴に足を突っ込み、先輩よりいくらかさきに外出し、会社に向かった。
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存在理由(37)

2010年12月16日 | 存在理由
(37)

 朝、由紀ちゃんは女性らしい素敵な服装であらわれ、ぼくを間違いなく魅了したのだった。昨日のうちに友人に話し、ぼくは別行動をとることを告げていた。彼らは、それで問題がないようだった。

 実費の分だけ精算し、ぼくは荷物を抱え、駐車場で待っている由紀ちゃんのところに行った。車のドアを開け、となりに座りこんだ。彼女は、パット・メセニーが好きで、その一瞬やわに聞こえるギターが車内に流れていた。
「友だちは変に思わなかった?」

「いや、ひとりで運転するより、同乗する人がいた方がはるかに楽しくなるよ、と言って賛成してたよ」
 車は走り出し、まわりの風景も適度に変わっていった。冬の樹木から、海岸線に変わり、すこし窓を開けると、潮のにおいがいくらか漂ってきた。そして、そのことは開放感につながった。

「いいにおいだね」と彼女は、横目でちらとこちらを見て、ささやいた。
「そうだね」とぼくは、いくらか眠たい体を深くシートに沈めながら、また、窓を閉めた。

 海岸線のお土産屋を何軒か通り過ぎたが、自分にも必要だったことを思い出し、どこかのひとつに寄って、とお願いした。
 典型的な干物を店先に並べている前に車を着けてもらった。これなら、配っても誰も嫌がらないだろうということで、小さな瓶に入っているものをいくつか物色した。

 そこから、家まで何事も起こらないだろうと安心していたのだが、急に由紀ちゃんはまじめな顔つきになり、言い出しにくいことなんだけど、と言って少しの間だけ黙った。

 その間に、パット・メセニーは、やわな音楽ではなくある面ハードな音楽なのだなと、考えをあらためる時間があった。
「ニューヨークに留学することになった」
 ぼくは唖然とし、「えっ」という言葉を、ふと出してしまったと思う。

 前の彼氏ともそのことは話しており、そのことが二人の溝を作ってしまったとも語った。「そうなんだ、それなら仕方ないよね」と理由を聞いた自分は言った。その理由とは、彼女も遊んでばかりいたわけではなく、雑誌社を仕切る立場に参入するため、コネと語学を身につける必要と、兄からの命令があったらしい。この辺は、自分ひとりで、生き方の判断をすればよいだけの自分には分からなかったが、違うよその国には、それに見合った違うルールがあるのだろう。

「空港まで送りに来てくれる?」
「もちろん、行くよ」と、平然とした顔をつくり、口調にも気をつけ答えた。ぼくは、このことにいたくショックを受けていたのだろうか。

 それから数日して成田にいる。いくつかの荷物のまわりにぼくは陣取った。彼女の友人も何人かいたので、親密に話す時間はあまりもてなかった。この前の車内での会話が、遠い記憶にかわっていく。彼女の様子は、さびしい気持ちがないといったら嘘なのだろうけど、そうした素振りはあまり見せなかった。それより、若い女性に特有なものだと自分は考えている、この後の未来に焦点があっているような、後戻りはできないという印象的な表情だった。そして、しばらくたって彼女は手を振り、ぼくも手を振った。

 職場に午後にもどると、部長の視線とあった。いつも怖いが、きょうはそんな表情より、いたわりの方が強いような目だった。たぶん、ぼくの行き先を知っていたのだろうか。ぼくは、わざと聞こえるような声で、取材先の名前を口に出し、疲れたという嘘の告白までした。
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存在理由(36)

2010年12月15日 | 存在理由
(36)

 その年の仕事も最後の日になり、たまった書類や、投げ込んだだけで終わっている引出しの中の荒療治的な片づけをしながら、なんとなく安堵したり、この9か月間のドタバタを振り返ってみたりしている。さっそく、飲み会に変わってしまいそうな予感がありつつ、半分ぐらいの社員はすでに姿を消してしまっていた。そこで、いつも後方から突然あらわれる我が部長は、今日も防犯センサーに引っ掛かることもなく、ぼくに近付いていた。

「おつかれ、君は正月はなにをするんだ?」
「全然、決まってませんけど」
「帰省は?」
「しないつもりです」

「それなら」といって、ポケットから封筒を出した。中身は部長の家族が行けなくなってしまった豪華な旅館の宿泊券らしきものが入っていた。ぼくの給料では、到底、手もあしも出ないものだ。それを頑張りにむくいると称して、ぼくに譲ってくれた。使わない手はないので、数人の学生時代の友人に電話をすることが、今年最後の仕事になった。

 何人にも断られたが、車を出してくれる男性と、暇をもてあましそうな予感だった女性ふたりが話にのってくれた。
 ひさびさに学生時代の気持ちを取り戻し、車の中で騒いだり、ホテルに着く前に現地のおいしいものを探していた女性のアドバイスに従った食事を楽しんだり、埒が明かないお土産を買う時間に付き合ったりしながら、夕方になった。

 温泉にも入り、やはり豪華な食事に恐れ入りながらも食べたりした。「あんたのところの部長って、気前がいいんだね」と、女性たちはいたく感心した。ぼくは、その恩恵にむくいるための人質のような気分になって来る。そして、そのことを発表する。しかし、彼らもそれぞれの会社で同じように働かされていた。自分の人生のマニュアルのなさを痛切に感じながら。
 ふた部屋借りていたので、男性と女性でちょうど分かれた。そこにフロントから電話がかかってきた。ぼくを名指しで誰かが訪ねて来ており、それを不可解な気持ちながら、ラフな格好でロビーに向かう。

 思いがけないところで知り合いに会うと、その存在が際立って見えることがある。そこには、なぜか由紀ちゃんがいた。
「どうしたの?」
「お兄ちゃんにきいたから」

 お兄ちゃんは、わが部署の部長である。彼女には兄弟であるが、ぼくには怖い存在である。何事も裏表を知っていないと気が済まない人なのだが、このことに何の意図があるのか、自分には判断できないでいた。
「それで?」と何か続くべきはずだという確信を持っている自分は、そうたずねるしかなかった。
「もっと、嬉しそうな顔をすればいいのに」
「いや、びっくりしただけだから」

 と答えになっていないような言葉が自分からもれる。きけば、彼女はおどろかそうと、わざわざ車を飛ばして来たそうだ。それで、当然以上に自分は驚いていた。それにしても、こんなにきれいな女性がいたのか、といままでの自分の目の不確かさを再確認しただけだった。
「これから、どうするの?」
「知り合いのおばさんの家が近くにある」

 今日は、そこに泊まるらしい。会う要件もあったし、ついでに来たのとも言った。「じゃあ、せめて、明日一緒に東京に向かおうよ」とぼくは提案した。彼女はうなずいた。

 本当は、ぼくにとって、この時期のみどりは、いかに素晴らしい存在だったかを残すために書き始めたのだが、ちょっと脱線しはじめている。そのことを上手く表現できていないもどかしさもある。だが、どうなるにせよ、これも真実なのだと思うしかない。

「じゃあ、明日迎えにくるよ」といって、由紀ちゃんはロビーから消えた。しかし、ぼくのこころからは簡単には消えなかった。それを振り払うように、部屋にもどり、グラスに残っているビールを飲み干し、またもや温泉に入ろうと、生渇きのタオルを手にして、階段を降りた。
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