メカニズム(11)
仕事というのは労力が金銭的な価値に相応するものとして化け、生活が潤わなければならない。赤字は、だから仕事ではない。単なる仕事に似せたもの。
ぼくは以前の職場の同僚の結婚式の案内を手にする。その同僚の相手の女性は医者だった。ぼくは、彼女の職業を訊かれたらきちんと答えるだろうか。貴賎はない、と胸を張って言い退けられるだろうか? いや、おそらく。
だが、幸せだった。ぼくはカフェで古びたノートを開く。小さな辞書も用意した。言葉の魔術師になるのだ。
ノート・パソコンでは動画の誘惑に負けてしまうかもしれない。突然、音量ボタンを誤って操作して、部屋中にあえぎ声が響き渡る可能性もある。ぼくは、赤面するだろう。自主的な出入り禁止を自分に命じる。
まじめなヘルマン・ヘッセのような物語を書くつもりだったが、あたまのなかを取り換えないと、その命題は失われる。ぼくは、今日の分を仕立てあげなければいけない。のこされた時間は数時間。約束は約束だ。すると、ベビーカーの美女がやってくる。
「となり、いいですか?」
「もちろん」
「お勉強?」
「ま、そんなものです」
「うちの子、起きて騒いだら迷惑になってしまいますね」
「まさか。泣くのが仕事だから」金銭的な価値に直結という自論を簡単に捨てる。
ぼくはずるずると会話を引き延ばしてしまい、きょうの達成すべきノルマを早くも忘れようとしている。そもそも、わざわざ外でしなければいけないことでもない。たくさんの気をそらすものがあるのだから。
「あのときの保険、まだ入ってます?」
「解約してないから、そのままだと思いますよ」
「あれ、お得なんですよ。いまでも、お勧めだけど。もう、扱ってないんじゃないかな」
「子どもがいるのが、いちばんの保険ですよ」と、ぼくは思ってもいないことを口にする。足かせ。足手まとい。ぼくは、ひとりで世界中を旅するのだ。現実逃避のみがぼくの当面の仕事だった。
http://snobsnob.exblog.jp/
仕事というのは労力が金銭的な価値に相応するものとして化け、生活が潤わなければならない。赤字は、だから仕事ではない。単なる仕事に似せたもの。
ぼくは以前の職場の同僚の結婚式の案内を手にする。その同僚の相手の女性は医者だった。ぼくは、彼女の職業を訊かれたらきちんと答えるだろうか。貴賎はない、と胸を張って言い退けられるだろうか? いや、おそらく。
だが、幸せだった。ぼくはカフェで古びたノートを開く。小さな辞書も用意した。言葉の魔術師になるのだ。
ノート・パソコンでは動画の誘惑に負けてしまうかもしれない。突然、音量ボタンを誤って操作して、部屋中にあえぎ声が響き渡る可能性もある。ぼくは、赤面するだろう。自主的な出入り禁止を自分に命じる。
まじめなヘルマン・ヘッセのような物語を書くつもりだったが、あたまのなかを取り換えないと、その命題は失われる。ぼくは、今日の分を仕立てあげなければいけない。のこされた時間は数時間。約束は約束だ。すると、ベビーカーの美女がやってくる。
「となり、いいですか?」
「もちろん」
「お勉強?」
「ま、そんなものです」
「うちの子、起きて騒いだら迷惑になってしまいますね」
「まさか。泣くのが仕事だから」金銭的な価値に直結という自論を簡単に捨てる。
ぼくはずるずると会話を引き延ばしてしまい、きょうの達成すべきノルマを早くも忘れようとしている。そもそも、わざわざ外でしなければいけないことでもない。たくさんの気をそらすものがあるのだから。
「あのときの保険、まだ入ってます?」
「解約してないから、そのままだと思いますよ」
「あれ、お得なんですよ。いまでも、お勧めだけど。もう、扱ってないんじゃないかな」
「子どもがいるのが、いちばんの保険ですよ」と、ぼくは思ってもいないことを口にする。足かせ。足手まとい。ぼくは、ひとりで世界中を旅するのだ。現実逃避のみがぼくの当面の仕事だった。
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