爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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問題の在処(16)

2008年12月21日 | 問題の在処
問題の在処(16)

 幸太が靴ひもを結ぼうとしている。そのたどたどしい素振りは、まだまだ上達していないことの証しだった。代わりに妻がいつものように、幸太の小さな靴を引き寄せ、きれいな形に結び直した。その様子をみている自分は、誰かの援助がない世の中のことについて考えだす。

 A君は遠くの場所にいた。その頃を振り返ると、もう少し緊密に連絡をとっておいたら、といくらかの後悔をいだく。その後悔はもちろんあとになって分かるわけだが、多分、いま進行中のことに頭は占領されるように人間は、できているのだろう。

 人類の一部であろうとする自分も、そうした無責任であり盲目的な選択に日々、追われる。

 たまみの天真爛漫なところに影響されないように、ぼくは規律よく生活したいと望みはじめていた。勤勉に大学で授業を受け、家でシナリオの真似ごとのようなものを書き、夜は飲食店でバイトをした。

 そのようなバイト先で働いていると、自然と交友関係が広がることがあったが、それでメリットがあるようなことはなかった。そんなに夢中でなかったはずのたまみとの生活も勤勉さの一部として、壊さないようにしたかったのかもしれない。それでも、彼女は、ときにはどこかに飛び立っていたのだろう。そうした事実があろうとなかろうと、ぼくは運命的なものなどは、必ず手からこぼれおちるような印象を抱きだしていた。もし、道が2つ目の前にあるのなら、必ずメリットがない方向を選ぶだろうことぐらいは、自分の運命の予感を肌が知っていた。

 それで、なにがあっても、彼女の生活の部分を追求しつくすということがなかった。彼女は、絵を描き、たくさんのデザインを考えだした。生活も自分のデザインの現れであるということを象徴するように、楽しく過ごせればよいとでも考えているらしかった。そんな彼女なので、うまく自分の生活が回らないときは、当然のようにいらだった。たまみの家に住んでいた時分だが、彼女は時折帰ってこないこともあった。はじめは心配したが、ときにタイヤの空気をいれるかのように定期的に彼女は、いなくなった。

 最初のときに、彼女の家に電話をした。彼女の両親の行動様式として、しつけというものがないらしかった。それなので、心配しすぎるぼくのことを奇異な感じで見ているらしいことが分かった。それ以来、そうした経験もしたくなかったので、焦って彼女の家族に連絡することもなくなった。

 かわって彼女の大学のともだちに、こっそりと居場所ぐらいは知っているのかと質問した。彼女は、知ってはいるらしいが、教えてはくれなかった。そのうち、戻ってくるから心配しないでいいよ、といった。実際に、そうなることにはなったが、人生を共有しているという感覚は、次第に薄れていく。

 たまみの、その友達は大学でカメラを専攻していた。

 父親が有名なカメラマンで、母は、もともとそのモデルになっていた人ということで有名なひとでもあった。なので、彼女も、とてもきれいな容貌を有していた。ぼくのバイト先にもたまに寄り、バイト先の友人たちは、誰もが彼女を紹介してもらいたがった。だが、彼女は、そのことを告げても、なにも関心がないように2度と、その話は持ち出してくれるな、という顔をした。従順な番犬のように、ぼくはそのようにした。ぼくも、働きながら、そのようなきれいな人を見られる誘惑は、けっこうあったのだと思う。たまみからぼくがシナリオを書いていることを教えられ、それも読んだらしく、能力を伸ばすようにアドバイスもしてくれた。彼女の母は、仕事がらか出版社にも顔が利き、優秀な若い子を探すのが趣味ともいった。

「一度、会ってみるのも悪くないかもよ?」とある日、彼女は言った。

 誰かが、自分の生活に入り込み、力になってくれるということを幸運か、それとも過剰な関係か判断はしかねていた。しかし、段取りさえ上手くいけば、車輪は転がるようにも出来ている。

 幸太は、結ばれている靴でボールを蹴っている。

 ぼくもその相手をしている。芝生には、きのうの雨の水滴が残っていて、すこしぬかるんだ箇所もあった。妻は離れたベンチで、本を広げていた。独身時代から、祐子は、それが好きだった。

問題の在処(15)

2008年11月24日 | 問題の在処
問題の在処(15)

 幸太の具合の悪さもいつの間にか治っており、いつものように元気よく遊び始めている。心配していたのが嘘のようだった。そうなってみれば、多少都合よく、もう少しだけ大人しくしてくれたら、とも考えていた。

 彼の小さな手には、これまた小さなミニカーが握られていた。その座っている前にも数台の車があった。

 その一つをぼくも手に掴みながら、B君が同じような車に乗っていたのを思い出していた。

 B君の家にはお金があった。彼の兄弟にも車が一台ずつ与えられていた。それで、ぼくも遊びに連れて行ってもらったし、大学に送ってもらった事さえあった。

 たまみはB君のことを最後まで好きになることはなかったように思う。そのことを悲しく感じるほどには、もうそれほど子供でもなかったのだろう。多分、誰からも好かれることはないことなど知っていた。もちろん、すべての人に嫌われ続けることもないことも、その頃は知っていた。

 ぼくとたまみと、B君とその彼女は、彼の車に乗ってファミリーレストランに来た。ぼくは、もう何人も彼のガールフレンドの存在を見てきた。どの娘も、ぼくにとっては手の届かない存在のようでもあったし、また人形みたいな感じがして、実際にもあまり興味をそそられなかった。彼女らは変わっても、頭の中はどの人も一緒のようだった。

 そんな感じでいれば、会話もそれほど弾むこともなかった。B君は、決まったように「今度の子はどう?」と訊いたが、彼の標本集めにつきあう必要も感じていなかったので、「良さそうな子だよね」と言葉を濁した。たまには、不満の顔つきをB君はすることもあったが、自分の気持ちに浮かれていることも多く、大して気にも留めていないようだった。

 食事が終わり、ぼくとたまみは後部座席にすわり、ぼくらの家まで送ってもらった。彼とそのガールフレンドにお礼を言い、部屋にはいった。

 たまみは、案の定、記号としてのお人形のような女性が好きではなく、ぼくも同意見だが、楽しい会話が交わされなかった時間を過ごしたことを悔いた。ぼくも、同じような気持ちだが、同調したのは少しだけだった。それでも、彼女は不満の言葉をだすことを続けた。ポットから水がなくなるまで押すようにしないと、止まることもないことを知っていたので、ぼくはそのまま聞くような聞かないような立場に自分を置いた。

 A君からは、電話ではなく手紙がくることもあった。学生時代の少なかった彼は、いやでも自身で訓練しないと文字を書くこともないので、無理でもつきあってくれと書いてあった。それは、実際にぼくが読まなかったとしても、彼にとっては完了されていた訓練課程なのだろう。しかし、ぼくも当然のように読み、返事もかえした。文章であらわすことによってのみ浮かび上がることも、この狭い地上にはあるのではないかと考えはじめていた。これだけは、たまみの眼には触れないようにし、あまり期間があかないうちに実家の自分の机の中にしまった。

 直接的な会話と対面で起こることしか信じていないたまみにとっては理解できないことかもしれなかった。ぼくにとっても、そのようなたまみの考え方につられることも嫌いではなかったが、言わなかった大切な言葉もありつづけるし、それは、どこかを2、3周して自分のところに戻ってきたときに、自分でも理解できることもあるのだろう。

 そのような間接的な応対が、たまみにはなかった。言わなかった言葉など、彼女には存在するはずもなかった。

「パパは、どれが好き?」と、幸太は目線を上にあげ、ぼくに訊いた。
「どれかな、ぼくはこれかな」
 手にしていた、B君の車に似ていたものではなく、いかにも建築現場でつかうようなダンプカーを遠くから引っ張り、彼に見せた。

「ぼくも、それが好き」と言って、ぼくの手から奪った。
 遠くで紅茶のにおいがする。そちらを見るとリビング越しに窓の向こうにきれいな青空があった。幸太が病気になった後のシーツが洗濯され、かすかに風になびいていた。

問題の在処(14)

2008年11月22日 | 問題の在処
問題の在処(14)

 帰りを急ぎながら、家に向かった。鍵を入れ、ドアを開けると人間が動いている気配がなかった。奥にすすむと子供の横で妻も寝ていた。完璧らしさを求めている彼女には、あまり見られないことだった。それで、またリビングに向かい、やることも見つからず無造作に新聞を広げた。

 数分たって、祐子が部屋に入ってきた。
「ごめん、気付かなかった。ご飯、どうする」テーブルや台所を見ると、作った様子もなかった。
「どうする?」と自分も同じような質問をした。
「わたし、お腹空いていないんだ」

「そう、なら独身時代に戻って、ささっと定食屋にでも寄ってくるよ」と、そのままの格好で家を出ようとした。ついでなので、なにかいるものがないか訊いた。

 学生時代の同棲中にもこのようなことがあった。完璧さなどいらず、ただ自由や本能しかなかったようなたまみの存在があった。ぼくが、大学やバイトから戻ってくると、そのまま何もかけたりもせずに眠っていることがあった。ぼくは、文学や映画のシナリオなど文字に対することを学んでいた。どこか冷静でもあり、また自分の中では熱中していることも感じられたが、ほかの人から見れば、それはどう映ったのか知らない。

 たまみのいない間にシナリオの原案のようなものを書いた。書いてたまれば、隠していてもそれはいずれ明らかになっていくものだろう。ある日。それはごっそりなくなっていた。たまみに問い合わせると、それは、いくらかの現金になって戻ってきた。

 彼女は、なぜか知り合いが多く、そちらにも顔が利き、有望な若者を知っていて、その子はシャイだから私が代理で持ってきてと言って、無理やりに読ませたらしい。それが、どういう具合に転んだかは分からなかったが、彼女は、ぼくに対して悪気もみせずお金になり変ったことを、喜ばないぼくを少し責めた。

 最初は、いやな気もしたが、なにかタンスの奥に書いたものが貯まると、数か月に一度は、それが現金になって戻ってくるという仕組みが、その後三年間続いた。

 いま考えると、多分、ぼくの書いたものに価値があったのではなく、彼女の魅力に多くのものを負っていたのだろう。なにか不思議な取引があったかもしれず、その結論はでないかもしれないが、それが深夜のドラマに、僕以外の名前で、放送されたこともあった。いくらかぼくの意図したものと変わっていたが、まぎれもなく僕の頭の中から発した物語だった。

 その頃A君は、地方の建設会社にいた。ほんのたまにだが、電話で話すこともあった。元気にしているようだったが、遠くにいることには違いがなかった。ぼくにどんな大学でも卒業できるよう頑張るように言った。それを、ぼくは適当に受け流した。

 彼は、仕事にたいして器用な分だけ、うまく立ち回り、逆にそれでいろいろなものを頼まれてもいく。景気の良いときはお金をつかめるのだろうが、将来の設計が頭の片隅によぎる時は、自分のことのようにぼくは心配した。しかし、手助けなどはできないところに、彼がいることもまぎれもない事実だった。

 ひとりで夕飯を食べたのは久しぶりだった。息子に本を読む約束があったことも忘れかけていた。学生時代に現金に化けた才能は、その後なくなってしまったらしかったが、他人の本を息子に読んであげるのも、そう悪くない生活ではないかと考えた。

 その現金は、たまみと一緒に風船が割れるように使ってしまった。彼女は、外見とか振る舞いとは別に、古風な内面をもっており、貯金でもしろと絶えず言った。しかし、彼女がヒナに餌を持ってくるように代えたのだから、それにあるべき才能が残っているなら、直ぐにお金など稼げるものだというつまらない自信もぼくにはあった。

 そんなことを考えながら家に着いた。妻はいつものように働き出していた。
「ごめん。なに食べたの?」
「いつもの独身風のカロリー多めのいつもの」と言って、コンビニの袋を彼女に渡した。

問題の在処(13)

2008年11月12日 | 問題の在処
問題の在処(13)

 幸太は、昨夜から具合が悪くなった。出勤前にも治った気配はなく、午前の仕事が終わった時に家に電話をして様子を訊いた。

「あんまり、よくなっていない」というのが妻の返事だった。
「なんか、必要なものある? 元気づけるような」

「パパに本を読んでもらいたいと言ってるよ」と思いがけない言葉が返ってきた。いつも、そのようなことをしていた覚えはないが、たまにはそれでも本を読んであげることぐらいはしてあげていた。

 それで、昼食を済ませた後、近くの本屋に寄って、小さな頭でも理解できそうな冒険物語を探した。

 ぼくは、大学に入り講義で必要な本を探していた。地元では、ここ以外には大きな書店もなかった。インターネットで簡単に家まで運んでくれるというシステムなど、想像もしていなかった時代だ。すべては、現場で手づかみにして確証をする時代だった。

 そこで、A君と久々に会った。
「お、久しぶり」と声をかけられ、A君の外見が大人びていることを先ず感じた。
「大学で必要になる本があってね。Aは?」
「これから、地方にある建設会社に移ることになって、あまり本屋がないかもしれないので、その前に買いだめしておこうと思ってね」と、言った。彼は、学校を辞めたことで勤勉になるようなタイプだった。ぼく自身は、これは矛盾の言葉ではないのだが、世間はそうは思わないかもしれない。しかし、ぼくとA君の間には世間などは入り込んでもいなかった。

「そうだよね、みずきの父親の会社がぽしゃっちゃったんだよね。ごめん」ぼくは、紹介した手前、あやまった。
「あやまることないよ。たくさん、良い経験もしたんだぜ」と、彼は大人びた笑い方をした。

 二人ともレジで精算を済ませ、外に出た。ぼくは、たまみとの約束があり、A君と簡単にそこで別れた。みずきとの関係が終わってしまったことは、そこで告げた。彼は、「オレの所為で?」と心配げな顔をしたが、そんなことはあり得ないことだと、ぼくは言った。

 ぼくは、家での生活に飽き、たまみが一人暮らしをしている部屋に転がり込むように、そこの住人になった。彼女は、そのことを、とても喜んだ。人との接触をとても愛している人間だった。お金はいらない、と言ったが段々と自分が払う量だけは増やしていった。彼女の実家から親が訪ねてくるときだけ、ぼくは実家に戻った。ぼくが、肉体的にいないとしても、たくさんの生活用品がぼくの存在を浮かび上がらせることは、いまの自分は知っているが、その当時は無頓着だった。

 みずきの父親は紳士的な外見と素振りとは違い、裏ではかなりあくどいことをしていたのが、噂でぼくの耳にも入ってきた。それを、敏感すぎる彼女のこころは、受け止めることが出来るだろうかと心配した。その心配は、ぼくのこころにあるだけで、それ以上、広がることもなかった。

 ぼくは、本を抱えそれを少し読みながら、たまみが来るまで喫茶店で待った。彼女は、不思議な服装で戻ってきた。大きな袋の中には、いま買ったばかりのさらに輪をかけた不思議な洋服が入っていた。
 彼女は、ぼくの全身を数回、眺めまわし、「もう少し、今風の格好をしたら良いのに」と言った。

 ぼくは、その点ではずぼらだった。余ったお金はCDや映画をみて、消費したかった。バイトで入ったお金は、それらですべて消えてしまっていたのも事実だった。

 もう一杯、コーヒーを飲み、彼女は、ぼくの手をひき、さっきまでいた洋服屋が並んでいる通りに戻った。そこの一つの店で、ぼくに新しい服を試着させ、代金を払ってしまっていた。ぼくは、また元の服装に戻ろうとしたが、彼女は許さず、そのまま店をでた。何回か信号を渡り、小さな汚い川を渡っているときに、ぼくの前の服を川面に投げ捨てた。ぼくは、小さな「あっ」という言葉を呟いてはみたのだが、もう手から離れたものが戻ることはないのが事実であることを理解することは意外と簡単だった。熱がある幸太は、どうしているだろうと思いながら1時には、いつものデスクに座っていた。

問題の在処(12)

2008年11月11日 | 問題の在処
問題の在処(12)

 仕事から帰宅すると、幸太がテーブルに座って、横には妻が小さなノートをのぞきこみ、なにやら教えているようだ。幸太は、こちらを見て、その場から逃げだせるチャンスが到来したかのような表情をした。

「勉強してるの?」
 妻に訊いたようでもありながら、幸太にも返事を求めていたような質問だった。「まだ、早すぎないかね」

 妻は、いつものように自分の計画には狂いなど生じないかの如く「小さい時から、机に向かう訓練が重要なのよ」と、言った。

「そう、こっちもお腹がすいて、机に向かいたいけど」
 ぼくら学生時代の友人たちも進路を変えたり、そのまま進んだりしながら成長をしているように見えた。ぼくは、誰も学問では評価してくれないであろう大学に行った。一般的に4年間を適度に遊び、そのあとやりたい仕事でも見つけられれば良いと思っていた。

 交際相手のみずきは誰もが羨むような大学に進んだ。彼女には、その選択がとても合っているように思えた。彼女の付き合う範囲は変わり、多分だが、ぼくのことを愛していた事実は変えようとも思っていなかっただろうが、環境が彼女の選択を自然に違くした。

 ぼくらは、自然に壊れるかのように、歩みを一緒にしなくなった。彼女は、すこしリッチな人々の中に入り、その中のある魅力溢れた男性に迫られることになる。その攻撃は見事に実り、ぼくはその列から自然に消えることになる。

 その頃に、彼女の父の仕事は全盛期を過ぎ、下降に向かっていることを、もっと深く理解したのはその後だろうが、知ることになる。

 それで、彼女の父の関係していた会社で働いていたA君も仕事を変える必要が生まれた。A君はなにも言わず、自分に訪れる幸も不幸もあるがままに受け止めていたような気がする。

 自分は、もっと確信的に不真面目になりつつあり、それでも、A君の境遇には多少の肩入れもしたくなった。だが、経済的な援助ももちろん出来るはずもなく、声援をおくるような無邪気さも、もうなくしつつあった。

 B君は、いつも勉強ができ、そこそこ以上の大学が彼を待っていた。その車輪は、路線を踏み外すこともないようだった。

 ぼくも大学で美術を専攻している風変りな子と知り合った。わたしと付き合うとメリットがあり、楽しい生活が送れると何度もぼくに言った。ぼくは、その言葉の信ぴょう性だけを確かめるかのように交際をはじめた。彼女は、たまみと言った。西の方の出身で、ぼくより一学年先輩だった。どうでもよい映画のサークルで何人かが話しているのを部屋の隅でぼくは聞いていた。芸術の美学の甘い汁を求めているような人たちが、自分だけが理解していると思っている映画監督の話をしていたのだと思う。ぼくは、はっきりと飽きていて、ここからは多分、なにも学ぶことはないだろう、失敗したとひねくれた考えで、終わってから外に出て歩いていると、たまみが追いかけてきて、ぼくに声をかけた次第だ。

 ぼくは、実入りの良さそうなという理由で、ワインと軽食をだすような店でバイトをはじめた。そこに行かなければならないと、彼女を振り切ろうとしたが、わたしも行ってみる、と行ってそのまま付いてきた。

「未成年だとまずいんじゃないですか?」
「それって、脅迫?」と分からない返答をされながら、ぼくは軽く無視した。
 着替えて、テーブルに向かうと、幸太も手を洗って、食卓についた。
 勉強は、そう大事なものなのだろうか、とぼくは常に感じている疑問を出さないように彼をみた。

 自分に似たものは、自分と似たような境遇しかおくれないのだろう。それならば、幸太も、もう少しだけ辛抱する理由も責任もあるのだろう。だが、好きなものを見つけられない、他人の判断だけを基準に生きることだけが正しいのであれば、それも偏った人生と呼べるかもしれない。

問題の在処(11)

2008年11月04日 | 問題の在処
問題の在処(11)

 仕事を終え、帰ってくると風呂がちょうど沸いていた。服を脱ぎ、ひとりで湯につかっていると、扉が開き、これまた裸になった幸太が妻に背中を押され入ってきた。

「たまには、パパと一緒にお風呂に入りなさい」
 と、軽快な口調で言われると、はずかしながらも快活になった幸太は、うつむきながらも笑っていることが分かった。

 自分の膝の上に座り、一緒に暖まっている。最近、あったことを他人に理解し得る言語で彼は、話すことができるようになっていく。

 その、小さな背中とすべすべした肌を見ていると、何人かの生まれるべき子供のことを思い起こすことになった。当然のことだったのかもしれない、B君はある日、交際している女性が妊娠していると言った。もちろん、生ませるつもりなどないと言った。だが、なんらかの処置をしないことには時間だけが過ぎて行ってしまう。彼は、あまりお金をもっていなかった。実際は、親にでも頼めばいくらでも出たはずなのだが、そんなことは出来るはずもなかったのだろう。

 何人かが、かれの状況を心配し、お金をかき集めることになった。4、5人で堕胎できるぐらいのお金はできあがった。だが、もう少しだけ足りないということで自分にも誘いがきた。ぼくは、そんなことには加担はしたくはなかったのだが、無理やりに押し切られるような形で数万円を出した。そのお金で、ひとつの命が消えてしまったことを、いまではとても残念に思ったりもする。

 そのお金は、戻ってきたのかはもう知らない。多分、そのことは考えたくもなかったのだろう。B君と交際相手は、B君にしてはその後も長続きをした。しかし、傷を舐めあうような関係は、いずれ破たんが来るのだろう。遠からず、それはやってきた。だが、新しい女性を見つけることはB君にとって、そう難しいことでもないらしかった。

 こんな風に書いている自分も、そう清廉潔白な人生ではないことぐらいは、自分自身がいちばんよく知っている。みずきという女性と、とても親しい関係だった。彼女には、なんでも話したいとも思っていたし、完璧な形ではないにせよ実践もした。B君には子供が出来そうになっていたとは、確か言ったと思う。しかし、自分がお金を出してまで、その生命を絶ったことまでは言わなかった。ただ、単純に嫌われたくないとでも、考えてのことだろう。

 さらに、みずきには言わなかったことだが、ある女性とながい間、肉体だけの関係をもっていた。それは、ある意味、日常からの息抜きのようなものであったかもしれないし、成長過程に起きる少年の膝の痛みのように、通過しなければならない儀式のようであったかとも思う。多分だが、どれも言い訳の層をかさねるだけのことだろう。

 バイト先のレコード屋の奥さんが妊娠した。そこの女の子は、自分に弟か妹ができるという思いに喜びを感じていた。自分のおもちゃ箱に、新しい人形が現れるという感じに近かったかもしれない。

 お腹の膨らみはピークになったように思えた1月頃、ぼくはバイトを辞めた。もう高校生活も終わりが近づいていた頃だ。店長の、「辞めても見舞いにいってやれよな、お前のことを大切にしていたのは、知っているだろ」
 と、いつものようにつっけんどんな口調で店長は言った。

「はい、そうします」と、いいながらも僕は実行しなかった。卒業式の前の日に彼女に新たに男の子が生まれたそうである。あることから卒業しながらも、永遠になにかに拘束される事実もあるのだ。

 幸太の身体を丁寧に洗い、その後タオルで拭いていると、ドアが開いた。
「ちょっと、長くない? ご飯冷めるよ。あれ、ビール冷やしてたっけ」
 と祐子は独り言のように言い、急いでドアをしめた。

「パパ、ありがとう」という言葉を、ぼくは過去の亡霊の声を聞くかのように、おそろしい気持ちになって聞いた。

問題の在処(10)

2008年10月13日 | 問題の在処
問題の在処(10)

 家に帰ると、広げた新聞紙の上に虫かごがのっている。なかで、なにやら動く気配がした。覗くことはしなかったが、息子が大切にするのだろう。そこに閉じ込めてしまえば、寿命などそう長くないことなど、まだ知らないのかもしれない。

 A君はすでに社会に出ていた。出ていたといえば格好もつくかもしれないが、閉じ込められていたとも言えるのかもしれない。

 A君とは週末に会うことも多かったが、仕事がら日曜を休むという訳にもいかず、それでも若いので睡眠時間を減らせばなんとかなったが、だんだんと昔みたいに会う機会も減り、疎遠になっていく予兆のようなものがあった。そのようなときには、ひとりだけ違う服装、スーツにネクタイ姿であることもあった。ぼくらは、だらしのない普段着でいた。そこの線には、越えられない何かがあった。溝とでも名付けられるかもしれない。彼にしてみれば、ぼくらの会話が子供じみていると感じることもあっただろう。しかし、そんな素振りは、一切表面には出さなかった。

 ぼくは、みずきと多くの時間を過ごした。彼女といて、飽きるということがなかった。しかし、彼女が過ごした幼少期と、自分のそれとでは違ったものも、当然ながらあった。その差異を、ぼくは楽しんでいた。

 みずきは、本人には言わなかったが、A君のことを心配していた。自分の父の勧めで会社に入ったこともあるが、それよりも自然の優しさが、彼女を覆っていた。その点が、ぼくが好きになっていくことを深めていったのだろうとも思う。彼女は、いくらか冷然とした態度を表面上には感じてしまう。しかし、知れば知るほど、それは表面にあることだけだと思う。

 ぼくといれば、前のボーイフレンドであるB君とも会わなければならない。ぼくらの友人関係は、以前より親しさは薄くなっていたかもしれないが、それとは逆に、水面下では密になっていたともいえるかもしれない。その証拠を提出しろと言われれば困るが、お互いが言葉には出さないが、それぞれの可能性を信頼し、また心配もしていた。それを、たまに感じて嬉しくなることも少なくはなかった。

 B君と、みずきは会っても、親しすぎにもならず、よそよそしくもなかった。B君はぼくに敬意を払っているようにも感じ、みずきもぼくの友人として大切に思っているという様子をした。

 それで、ぼくは2つの関係で困惑するという経験はなかった。ただ、B君の恋人は日々かわり、こちらが名前を憶える努力をしていることも無駄になるほど、新しい名前は常に更新された。それも、若い時だけであってほしいと、ぼくは他人事ながら思った。

 レコード屋でバイトしている時間も、ぼくは大切にしていた。店長は大まかなことは言いつけるが、細部にはあれこれ注文をつけなかった。彼は、現在売れている音楽に理解は示すものの、(人助けやボランティアでミュージシャンは存在しているわけではないからね)こころの中では妥協していなかった。みずきの友達たちが売れ線の音楽を買っていくと、途端にうらにひっこみ、ぼくにやりとりを任せた。そのような時にだけ、うらから自分の娘と遊ぶ声が聞こえた。

 バイトを終え、経済的理由と父親の方針でバイトをする必要もないみずきが迎えにくることも多かった。季節により、彼女の服装や髪形は変わっていった。ぼくは、上着が増えるか、それを脱ぐかという違いしかなかったように思う。

 暖かい缶コーヒーを抱え、公園のベンチに座っていた。目の前には、ぼくらの2台のスクーターがあった。どこからか猫があらわれ、彼女の足に体を寄せてきた。それは、安心しきっている姿であった。ぼくも、その猫と同じように感じていた。

「あの、虫かごどうしたの?」現実にもどって、ぼくは妻に訊く。
「なんかね、どうしても取りたいっていってきかないので、急に買ったのよ」
「そう? 虫、大丈夫だったっけ?」との質問に妻は、苦いような顔をした。

問題の在処(9)

2008年10月05日 | 問題の在処
問題の在処(9)

 子供が質問をするようになる。すぐに回答を与えられるようなものもあれば、答えを見つけづらいものもある。それに似ているものを探し、代替させてしまうようなこともあるのだろう。

「ぼくの名前は、どうやってつけたの?」

 と、息子が妻に訊いていた。現状で分かる範囲で祐子は答えていた。
 新聞を読みながら、そのことが耳に入ってくる。ふたりで考えてつけたはずだが、その名前を付けるという作業自体を、彼女の説明では神聖なものとし、また神秘化されてもいた。

「あなたの名前は、そういう意味でつけたのだから、是非ともそうなってね」と、優しい口調で語った。

 ここで、B君の彼女に名前を与えなければならなくなる。彼女は、みずきと言った。なぜ、名称が必要なのかといえば、その後にぼくと交際することになるからだ。彼女は、B君と別れ、ぼくが和代とも別れて傷心していると思ってのこともあったのだろう。それから長く時間が過ぎ、そのことを振り返って思い起してみると、ぼくと和代が別れるよう仕向け、そのきっかけを作ったのもみずきだったかもしれない。もう解明することもできないかもしれないが、判断する材料は、そうも少なくはなかった。

 B君は痛手をこうむらずに、厄介払いができたとでも思っていたのだろうか。ぼくら二人のことを、上手く行くようアドバイスをすることもなければ、彼女の良い面や悪い面も教えてはくれなかった。ぼく自身も聞きもしなかったし、友人のあとに付き合うことにはなったが、そもそも彼女は魅力的なひとだった。誰かを傷つけないように注意はしながらも、失敗を前もって考慮に入れ行動することなど、まだそのときのぼくは学べてもいなかった。

 彼女の家にもよく行った。原付で20分ぐらいのところにそれはあった。両親とも気さくな人で、自然と親しくなった。彼女は一人っ子で、親は、男の子も欲しかった、とたびたび言った。B君も彼女の家にいったが、飼い犬がなつくようにはならなかった。疑り深い猫のように遠目に挨拶することぐらいしかしなかった。
 両親は、ぼくに気をつかいながらも、そのように言い、ぼくが遠慮をしないところを、わざとのように嬉しがった。わざとではなかったかもしれない、ぼくは彼女の家にいて、こころが安らいだ。

 15、6の東京の片隅に住む少年を、紳士になる潜在能力があるかのように大切にしてもらった記憶がある。そのみずきの家は、A君の職場からも近かった。ぼくは会話の途中でA君のことも話した。みずきの父は、親身になって話をきき、もう少しまともな所で働く気はないか? それならいくらでも世話をすると言ってくれた。ぼくは、その言葉を受け入れ、彼に告げた。迷惑をかけたくないと返答されたが、本当にそんな言葉だけの人ではないことを説明し、偉そうにならずに説得もした。

 多少の時間はかかったが、みずきの父の関係している不動産の会社の一員にA君はなった。通うのには自宅からでも行けたはずだが、もっと便利な場所で一人暮らしをはじめた。そうしたことをするのにも、先を越された感じが自分にはあった。

 みずきの家には、彼女が幼い時から触れていたピアノがあった。それをたまに、家族がいない時にぼくの前で弾いてくれた。幸せの一つの映像として、ぼくのこころにはその情景が残っている。

 彼女の母も、同じようにそのピアノを演奏した。その姿と似ていて、とてもエレガントな音がした。ぼくのバイト先のロック好きな店長が聴いたら、どのような感想を言うのだろうか興味があったが、そのようなことは話もしなかった。

 こうして振り返ると、小さな世界だが、人に恵まれてきたのだな、と感じ入る。勉強もそこそこにして、普通よりちょっと上ぐらいの成績にいた。みずきは、とても賢い人間だった。春風のように必至さもなければ、意気込みも感じずに自然と行くべき方向に流れて行った。成績も優秀で、大学も良いところに行けることは分かっていたし、両親も期待していた。ぼくとの差は、はっきりとあったが、そのことは彼女の両親は素振りにもださなかった。ただ、確実に生活する能力を男の子には求めていたのかもしれない。ああいう様子のみずきの父親のような人間になりたいと、いつもこころの中で思い、またひっかかってもいる。

問題の在処(8)

2008年09月29日 | 問題の在処
問題の在処(8)

 仕事を終えて、家に着く。いつもの日常の繰り返しだ。妻が玄関に出てきて、「今日はどうだった?」と尋ねた。あとでゆっくり話すよ、と言って奥に歩いて行った。クローゼットに向かって、ネクタイをはずしていると、妻がいつになく厳しい口調で、息子に「明日は、ちゃんとあやまれる?」と訊いていた。なんどか、無言の抵抗がありながらも、その防御は強固なものでは決してないので、いつかは泣きべそが混じった声音で、うんと小さく言っていた。

 息子も寝入ったところで、先ほどの詰問のことをきいてみると、ある女の子にいじわるしたことが見つかってしまい、幸太は何も悪いことをしていない気だったのだが、女性的な観点から見ると、許しがたいことがあるのだろう。

 自分にも罪という意識があった。和代というきちんとした交際相手がいたのに、自分は無頓着に別のこころが伴わない契約をしていた。それを悪いことだとは思っていたのだろうが、ものごとを白黒と決めかねない態度で肉体の交渉をしていた。いずれ、ばれてしまうのも時間の問題だろうとは思っていたが、その時になってしまわなければ自分は辞めないだろうとも、自分自身にあきらめていた。それで都合が良いのかもしれないが、そんなには責められずに、うまくやり過ごせるのではないかとも考えていた。

 それで、なんの拍子かは分からないが、いま考えるとB君の彼女は、しきりに店に寄っていたので、ぼくと店長の奥さんの不自然な関係を見抜いてしまい、告げ口をしたのだろうとも考えられる。違っているかもしれない。

 そういうことを、B君の彼女にそれとなくきかれたこともある。ぼく自身は、B君の女性関係に辟易していたので、お前も自分のことをもっと心配した方が良いだろうに、と思って適当に対応していた。その、いつにない投げやりな態度が、女性同盟の反発をくらったのかもしれない。

 和代は、その問題をうまく切り抜けることは出来なかった。学校を休み、誰とも連絡を取らなくなってしまった。ぼくは和代の親に呼び出され、長い時間、説教された。苦痛に感じた太股の痛さをいまでも思い出すことがあるが、多分、和代の認めている痛さというのは数千倍もあったのだろう。

 ぼくは、それでもある関係をやめなかった。仕方のないことだったかもしれないし、ただ意地になっていただけなのかもしれない。

 和代の父親は、すすんでかしらないが、ある企業のいい立場にいた人間なので、転勤も多かったが、その時にアメリカに移動になった。和代もそれについて行った。それ以来、和代の存在は頭の中にありながらも、肉体という形では見ることがなくなった。誰かを徹底的に傷つけた、という嫌な後悔まみれの印象だけが自分に残っている。

 自分が生き抜くには、多少の悪影響を与えてしまうことはあるだろうが、恐らく、あれはやりすぎだったのだろう、と今では考えるが、そのあと、自分は一切手を汚さなかったなど、ありえないことだとも思う。

 幸太の寝顔をみる。泣きながら母親に謝っていた。ぼくの悪い一面を信じていない祐子が横にきて、「ぐっすり寝たみたいね?」と言った。

 あの時に、しばらく経って、A君は長文の手紙を和代に送っていたことを知る。返事は、もらえたのだろうか? ぼくのことを恨むのは間違っていないかもしれないが、良いところのある奴だから、いつか時間が経過したら、許してやれよ、という内容だったらしい。そんな表面的な言葉は、いつもむなしかった。

問題の在処(7)

2008年09月22日 | 問題の在処
問題の在処(7)

 息子は、ある女の子と遊びたくはないと言う。そのことを訊くと、嫌いな子ではないそうで、逆に好きなはずだと妻はいった。この小さな個体のなかにも、いろいろな判断がうまれるのだろう。

 その小さな存在が、誰かのこころを傷つけることがないといいのだけれど。
 ぼくら友人たちも違ったかたちで、女性を知ることになる。

 B君は、きれいな彼女と順調に交際を続けている。傍目から見ても、それは素敵な関係だった。彼女は、週に一度ぐらいは、ぼくがバイトをしている店に寄ってくれる。普通の子とは、音楽の趣味が異なっており、それもまた彼女の存在を魅力てきにしているものかもしれない。

 軽く受け答えをしているときに、ぼくに見せる仕種のひとつひとつに女性らしさが表れている。天性にもって生れたものを評価する社会と、後天的に努力して勝ち取った能力を評価されるのは、どちらが正しいのだろう。彼女は、その時点では生まれながらにして優しさが溢れているような人だった。いつも、帰りがけにはぼくに励ましの言葉をかけ、今日は会えて良かったな、という印象を抱いた。

 ぼくに対してそうなのだから、本物の彼氏であるB君は、とても幸せであると想定される。しかし、若い男性のこころが動かないなど、誰も考えていないかもしれない。そう作られていることを残念に感じたりもする。直接、交際をやめてしまうようなことはないが、B君のまわりには不特定の女性がいた。そのことを、真の友人は責めたりした方が良いのだろうか。ぼくには分からなかった。

 A君は勤勉な労働者になっている。学問自体が嫌いなわけではないので、そうした人の遠回りの特徴として、本を手にすることになる。それ以外に確実な方法などあるのだろうか? と彼は言っている。本を読むことに没頭すると、頭の中で理想を追求することが生まれる、と彼は言った。すべての理想には、出来損ないである現実という名前の弟が備わっている。その二つは、距離をある程度とりながら宿命的に一致することはないだろう。

 それで、不思議な結論になるのだが、A君の頭の中には理想の女性というものが生まれてしまったらしい。それが舞台袖から登場するのか、それとも、やはりそんな人が表れないかは分かるわけもない。だが、ぼくとしては登場することを望んでいる。

 そういう頭の中のモンスターがありながらも、実際の愛のない関係は、やはりしていたのだと思う。働いて余ったお金は、どこかで流通させなければならない。それが下水に流れても、水は水である。もとはきれいな山頂の清流であったかもしれないが、下流にいけば生活用水などで汚されている。どうして、人間の営みが汚れから影響されずにいられるだろうか。

 ぼくは、レコード屋のバイト先で知り合った店長の奥さんと、そういうことになる。それは安易と呼べるものなのだろうか、それにしてもぼくにとっては幸福の象徴のような出来事であり、またゴールの幕は切れてしまったという実感でもあった。そのことを、定期的に行うようになり、ぼくの女性観の一部が作られていく過程でもあった。

 もちろん、ぼくには和代という同級生だった女性とも交際していた。彼女は、ぼくの行動を疑うようなことはまるでなかった。ぼくも後ろめたい気持ちも少なかった。

 こうして、ぼくら友人は、なんでも話せるような仲には終わりを告げ、それぞれの秘密を自分の身体に宿しながら、会うようになっている。

 ぼくは、試験前になるときだけ勉強するようなタイプになり、A君は学校での勉強を捨て去ってしまったが、なにかを学ぼうとすることは熱心であり、B君はなにごとにもうまく振舞っていた。バイトをしながらも、いつも成績は優秀で、服装なども洗練されていった。彼には、輝ける何かがあり、将来的にも社会てきに有能な人材になりそうだった。

 こうして、数か月で、それぞれきちんと整備された高速道路の入口にはいったようなB君がいて、平均的な田舎の道路を走っている自分がいて、険しいながらも見晴らしの良い場所にたどり着けるかもしれないA君がいる。それにともない、思い出というものは子供好きの両親のアルバムのように、記憶の中に増えていった。それが甘い分量のが多ければいいが、そうならないものがあるのも、これまた10代なのだろう。

問題の在処(6)

2008年09月19日 | 問題の在処
問題の在処(6)

 息子がいつもの昼間、遊んでいる場所に行きたくないと言った。
 家に帰ってから、妻がそのことを話した。なにか心配になることがあったのか尋ねたが、別に大きなトラブルはないようだった。そのことを息子という脳の中にあるファイルにしまいこんだ。それを再び、引き出して考えることがあるかは、また別の問題だった。

 A君のことをたびたび考えている。彼は、夏休みが過ぎたころ、急に学校を辞めると言った。自分としては、学校にいるより、なにか職業を早く自分のものとして身につけ、ひとりで生きていけるようになりたいと語った。それは、ぼくの側から客観的にみれば、無鉄砲のような気がした。しかし、このような問題でも相談にのることはできるが、決定を覆すようなことはできないし、しないつもりだ。

 ぼくは、そんなに真剣にものごとを追及して考えるようなことはしなかった。大体の流れにのれば間違ったところには到達しないだろう、という認識でいた。それで、制服に身をつつみまた学校に通い始めた。そこを見渡せば、欠けた椅子があり、A君と同じように途中で学業を辞めたひとも何人かはいた。しかし、彼らは机の上の学問ではなく、実践で大まかなことを学んでいくことになるのだろう。その後、机の上の学問が好きになるのならば、再チャレンジができる仕組みになっているのか、それとも、もうベルトコンベアに乗ることはないのだろうか、その当時のぼくは知らない。

 ぼくは、部活をしないで知り合いのレコード店で店番のバイトをした。いまのような大型店舗が全盛の時代ではなく、小さな町に小さなレコード屋がある、という風景が残っていた。そのような店のひとつだった。店長は若いころにバンドをしており、いまでもそのような風采が抜けきらないような人だった。経営にそう熱心でもなかったが、奥さんがよく頑張っており、なんとか軌道にのせているような状態もみられた。それで、ぼくにも自由な裁量が後々に与えられることになった。

 その奥さんは優しい人で、よく食事も作ってくれた。小学生の女の子があり、その子と暇なときには遊んだ。彼女はなぜ、あんなにも慕ってくれたのだろうか。一人っ子というものはさびしいものなのだろうか、といまになっては考える。

 その店で働きだしてB君の彼女がよく遊びに来てくれた。小さいときにピアノを習っていたらしく、いまでもその外見とは別に、静かな音楽を求めていた。店に在庫がないような音楽なので注文し、それが入荷して、また彼女に連絡するというようなことも多くした。彼女は、どこで買っても同じだろうが、ぼくとしてはあまりにも暇だと退屈するので、そんなときに彼女の要件に対応すること自体が楽しかった。そのうち、彼女は学校の友達も多く連れてきて、その時に流行っているCDがかなり売れるようになった。

 売れ行きが上がれば、店長はなおさら店に居座らなくなり、どこかでギターの練習でもしているようだった。たまに、ぼくを外食に誘ってくれたが、いまの音楽の軟弱さをいつも憂いていた。店長にとってみれば、音楽とは、ストーンズであり、ジミー・ペイジであるようだった。ぼくにも聴く音楽に気をつけるように何度も講釈した。それは参考になる意見だったし、当然受け入れる必要のある言葉だった。
 売れ行きに合わせ、注文するリストを書き込んでいると店長は急に顔をだし、聴くべき音楽はあまりない、というような表情をしたが、実際のところは、どの音楽のことも詳しく知っていた。いつ、そんな時間を捻出しているのかは分からなかったが。

 給料が入れば、和代とどこかに行ったり、またA君やB君とも遊ぶことが多くなる。B君はガソリンスタンドでバイトをしていた。ぼくも原付を買い、彼のスタンドで給油した。B君はプロフェッショナルな態度を覚え、去年までの陸上部にいた彼より数段大人になっていた。

 A君は、すぐに調理の学校にでも入りたいと言ったが、その費用を稼ぐためにとりあえず運送屋で働くといって近くの会社で勤め出した。

 それで、A君はぼくらより社会を知ることになり、ぼくはなぜかいつも暖かな環境に恵まれ、バイト後は、店長のいない家庭で、奥さんと、話すことが好きな小さな女の子と御飯を食べている。テレビの下には古いレコードが依然としてあり、それを借りる権利を手に入れた。それだけでも充分すぎるほど幸せだった。

問題の在処(5)

2008年09月18日 | 問題の在処
問題の在処(5)

 息子が公園で転んだようで、ひざを擦りむいている。本人は、もうぼくが帰宅する頃には眠ってしまったらしく、布団をそっとめくり、痛々しげなひざを見た。すでにカサブタになりかけており、数日もすれば、そんな痕もなくなってしまうのだろう。

 子供のうちの小さな傷など、何事もなかったように失われた記憶となっていく。

 15、6歳の別れや傷はどうなのだろう。

 この前の6人での学生時代のグループのデートの帰り、A君とガールフレンドの喧嘩はこじれ、解消しないまま数日が経った。お互いにあやまることもなく、こういったことが過去に何度かあったので、二人の仲は戻ることはないと彼は言った。しかし、お互いの感情を知っている友人たちは、なんとか可能性があるのならば、よりを戻すように働きかけた。それでも、当人たちは乗り気でもないので、そのまま発展しなかった。

 多分、それでも両者は好きだったのだろう。それを認めてはいるのだろうが、へんな意地の張り合いでまとまるものもまとまらなくなる。だが、一回の別れで、すべてが終わってしまうわけでもないのだろう。

 当然といえば、当然なのだろうがA君はそれから落ち込み、なんどか話もきいた。しかし、簡単に打ち明けることもなかったが、お酒がはいったついでというような形で、話してくれることもあった。その時は、やはり彼女のことが好きなのだろうな、ということを再確認するだけで、これといった進展もなかった。やはり、当人がなんとかしないことには、物事がすすまないこともあるのだ。

 翌日、妻は念入りに息子のひざを消毒していた。ぼくは、そんなに気にすることもないよ、と言ったが、彼女は、自分の心配をなくすように、その作業をやめなかった。

 いつものようにマンションから駅に向かった。

 また、A君のことを考えている。

 A君のガールフレンドは、可愛い子だったので、直ぐに新しい代りをみつけた。それを咎めるほど、誰も幼稚ではなかった。しかし、ぼくの恋人の和代が同じことをするならば、気持の良いものではないだろう。そのことをぼくらは話したような気もする。それで、永遠の可能性に話は解決したのだと思う。

 A君のこころは、そう簡単に、そして素早く変化するようなことはなかったように思う。本人は、そのことを忘れているような振りをしているが、彼女についてのあれこれを触れないようにすればするほど、かえって鮮明にその存在が浮き彫りになったりもする。

 そのことを女々しいとも誰も思っていなかった。自分も同じような境遇になれば、受け止める態度はそうは違いはないだろう。

 同じ歩みをしてきたと感じていた学生時代の友人も、物事の対処の仕方を通してだと思うが、その様子はじょじょに変わってくる。

 A君とはべつにB君は、いさぎよくガールフレンドを取り換え、いまの彼女の容貌は、誰もがうらやむような人だった。高校で一緒になったクラスメートだが、会ってみれば気さくで優しい人でもあった。よく彼女はスクーターに乗って、B君の家の途中にあるぼくの家の前を通った。わざわざ止めて、ぼくに話しかけてもくれた。自分の恋人の友人たちとは仲良くしたいと常に考えているような子だった。それにつられて、こちらも同様の感情を抱く結果になる。あの子には、優しくしてあげたいというふうに。

 こんなことをぼんやりと頭の片隅で考え、一日が終わった。

 一日が終わると、風呂に入った子供は、ひざがお湯にしみて昨日は痛かった、と言った。だが、もうその痕も痛さもなくなってしまったようだ。

 A君は、その後、女性観というものに影響が出たのだろうか。出ない訳はないだろう。どこかで、不自然さと不器用さが生まれていくものだろう。それを克服したり、眠らすようにこころの奥に押し込め、大げさにいえば生きていくことになるのだろう。

 息子はいつものように夕飯を終え、しばらくするうちに気づくと眠ってしまっていた。彼を抱え、ベッドにつれていった。その後、妻は一日にあった出来事をとりとめもなく話した。A君の過去と現在の自分は、どちらがリアルなのかは分からなくなっていた。

問題の在処(4)

2008年09月17日 | 問題の在処
問題の在処(4)

 自分の子供が、出勤前と帰宅後で違い、ある事柄が出来るようになっていて驚くことがある。客観的な判断が難しいこともあるが、絶えず息子と接している妻は「そうかしら」などと言い同意するのも多くはないが、それが事実であるのは間違いない。

 中学を卒業して、制服も変わり急に大人びた女性として目の前に現れる女性がいる。通学も同じルートを使っていたので、1、2か月のブランクがありながらも、自然とまた話すようになった。変化をしてしまった日常だが、同じ基盤を確認して、凧のひもを強く握って飛ばないように交際がはじまった。

 週末には、中学の同級生ともまだ会っていた。それで、交際相手を紹介するような形になるが、その以前知っていた女性が、より洗練された姿で目の前に現れるのを見る喜びは、その年代特有のものだろうか。

 匿名性を帯びたいので、ずっとA君とB君とすることとする。彼らは、ぼくと同じ陸上部だった。彼らと学生時代の多くの時間を共有していた。今後、離れるのか、くっつくのかは誰も分からなかった。そして、それは前もって決めるようなことでもなかったし、成り行きまかせにするのが一番だった。

 彼らにも、それぞれに合ったガールフレンドが作られていく。好みの違いがあるので、自分は恋心などまったく抱かないようなタイプだったが、彼らの決定を否定することもなく、純粋にそれらのことを同じこころで喜んだ。それが、友情であるとも思っていた。

 ある日、夏になる前の一日、それでも天気が良く暑い一日だった。6人でそろって遊園地にいった。女性たちは一様に着飾り、気分的にもいつもより楽しそうだった。自分は、そういうことが表面にあまり出ないらしく、待ち合わせのときに、和代に攻められた。しかし、楽しくない訳はなかった。

 園内にチケットを買ってはいり、いくつかの乗り物をチョイスして乗ったりもした。気の強い和代は意外なことにスピード感のある乗り物がダメであるらしかった。彼女は口数が少なくなり、ぼくの手を握った。その暖かさを、今になってもまだ覚えていたりもする。

 お腹が減った十代の6人は、手頃な店にすわりゆっくりと食べた。女性と食事の早さが違うことも、習わなければならない一つのように感じていた。

 その後も、遊園地の中をはしゃいで回り、時間は急速に過ぎ、まわりも暗くなっていった。それぞれ、6人で来たことも忘れ、ぼくも和代とふたり並んで歩いた。その時は、まわりの一切のものが自分に味方をし、また一切のものが自分の視野からは消えていた。

 暖かい言葉を口に出す能力を和代は持っていて、自分を不思議と勇気づけるような気持ちになった。それで、彼女と居ると、自分も優しい人間になろうとか、一人前の人間になろうとか、そうした向上を考える一面を植え付けてくれた。それは、16歳の男の子には、とても必要なものだったのだろう。それを永続させるかは自分にかかっているのだが。

 また、駅前で彼らと合流し、数駅離れた賑やかな町に行こうという計画になり、電車にのって繰り出した。暑い車内は、日曜の終わりのさびしさを見せはじめ、明日からの日常のちいさな心配をポケットにしまい、出すかどうするか躊躇しているような雰囲気だった。

 駅について、その頃の年代の学生が行けそうな店を探し、みんなで夕御飯を食べ、時間をずらして帰った。A君のガールフレンドはなぜかつまらなそうな顔をして、そのことを責められて二人は喧嘩になりそうになっていた。

 それを尻目にぼくらは、店の階段を急ぐように降り、平和な空気が充満している場所にでた。ぼくは、彼女の手を握りながら、この手の持ち主を一生守ることになるのだろうと、ぼんやりとした予感を感じた。その時は、正しかったことも、時間の経過とともに忘れてしまうことはあるだろう。だが、その考えた気持ちは、こころのどこかに残っていて、忘れたり、消してしまうことのできない感情の痕跡を残した。

 彼女の家の前まで送ったが、あっという間に着いてしまった。もう少し、遠くにあっても良いぐらいに思っていた。別れの言葉を口の中でもぐもぐ言い、彼女のにこやかな顔も電柱の明りの下で確認でき、幸せの感情に満たされ、自分の家に向かった。いまだったら友人たちに携帯で連絡でもするのだろうが、しかし、この空白はいろいろと考える時間に充てることができ、有意義であったのは間違いないだろう。

問題の在処(3)

2008年09月08日 | 問題の在処
問題の在処(3)

 こんな日もあった。

 会社での仕事がひと段落つき、休憩室でコーヒーを飲みながら携帯電話をチェックしていると、妻からのメールが届いていた。内容はというと、彼女の姉の娘、妻にとっては姪だが、その子が高校が決まったので何かお祝いの品をあげたいと思っているが、どんなものがいいだろうということだった。自分はいくつかのものを思い浮かべながらも10代の子がなにに興味を持っているのかということに、気持ちを変えていってしまっていた。そして、買えそうな店は、今日の帰りにあるだろうかとも同時に考えていた。

 もちろん即決するような件でもなかったので、そのことは自然と脳に占める比重が減っていった。それに比べて、自分のその年代の頃のことが浮かんできはじめた。

 それぞれ程度の差はあれ、自分の行く学校を目標設定として決め、その学力になるよう勉学に励んだ一時期をもつ。塾に熱心に通う友人もいれば、家でこつこつ将棋の歩をすすめるような仕方で学力をあげる友人もいた。絶対的な方法などないかもしれないが、幼いうちに自分の進み方やものごとの運び方を習得してしまうことは、とても良いことなのだろう。

 自分は塾で勉強の基礎を習ってからは、その重機を使って強引にならすように勉強といういびつな道路を作っていた。ソフィスティケートもされていないが、自分にはその方法しか思い浮かばなかった。

 それで、いくつかの行けそうな高校を見つけ、最後は一つに絞り、それに焦点を合わせて、勉強していった。そのプランは思ったより上手く進んだようにも見えた。しかし、15歳はどう転んでも15歳である。それで、完全な未来などが決定するわけでもない。

 友人たちも彼らに合ったような学校を見つけた。自分より幾分高めの学校に行った人もいれば、スポーツに秀でた学校に決めた生徒たちもいた。だが、同列に並んでいたと思っていた友人たちも、学力の差というふるいにかけられ、最初の淘汰をされていく。そうした仕組みになっている以上、それは仕方のないことだろう。ただ、自分はそんなことには影響されないと誓いはするが、それを守れたかどうかは知らないし、たぶん、小さな自分から見たら、そんなことは問題にされて証言を迫られるようなこともないだろう。ただ、簡単に誓っただけだ。

 気がつくと休憩は終わっていた。もう一度、軽くメールの本文を見直し、帰ってから話し合おうという返事をかえした。彼女は、早急さを求めてもいないかわりに、返事がないことにもたまにいらだつ性分だった。

 部屋に戻り、となりの座席の若い女子社員に、こんなメールが来たのだけど、最近の子はどんなものを喜ぶのかね? と解決を欲しがっていたわけでもないが、たずねてみた。

「なんか私にも買ってほしいな。でも現金がいいですけど」
 と、言ってまたパソコンに向かった。
「そうかもしれないよね」訊いて損したような気持を持ちながらも、無言が続く室内の環境を上司が嫌がるので、たまには自分からも能動的に話さないわけにはいかなかった。

 時計を見ると4時に近づいていた。残業にはなりそうもない一日だった。自分の息子が、そういう環境の中に10数年後に入り、揉まれていることに対して、想像ながらも憂鬱な気がした。そして、その年代に選択や決定を迫る世の中を醜く感じた。しかし、誰もが通る道なら、その醜さを少なくない程度に愛する方法を教えないことには駄目だろうとも思った。

「ノートパソコンとかが実用的なんじゃないですか。あとは、いくらかの旅行券でごまかすとか」
 急にとなりの子が話し出した。それは自分に向かっているようだった。気を取り直して、
「高校前にも卒業旅行とか行くのかね?」と自分は言った。
「さあ、どうでしょう」と彼女はまたもや他人事のような返答をした。長い爪は不自然ながらも、上手にキーボードを叩いていた。この時間になると西日がまぶしいらしく、彼女はブラインドをスライドさせに立ち上がった。

問題の在処(2)

2008年09月03日 | 問題の在処
問題の在処(2)

 翌日は適度に晴れた日曜だった。

 公園のベンチに座りながらも、すこし離れたところで妻と息子が砂場でしきりに話しているのが見える。その声はここまでは聞こえなかった。多分、平日にはよく会うのであろう、数人の子供たちが息子に近づいて共通の何かしらのルールのもとに遊びだした。それを見て、妻は(祐子という名前だが)ぼくの方を見てにっこり笑い、ぼくも笑いかけ彼女はこちらに歩みだした。

 息子にも友人たちと呼べるものが出来はじめ、彼らと遊ぶことを学んでいることに少しばかり感動していた。それと同時に、自分の過去にも思いを馳せる。

 ぼくにも友人たちがいた。同じような土地に生まれ、いま考えれば両親の教育プランや収入は多少こそ違っているだろうが、スタートはほぼ同列だったはずだ。中学は部活に多くの時間を費やした。カール・ルイスという大スターが出だした頃で、世界的な名声を目前にしている時期だった。ぼくも同じようにトラックの上を走った。あんな人間には、どう転がってもなれないことを理解することは、そう遠くない先に待っていることはまだ知らなかった。知らないだけに走ることはやめなかった。そのグラウンドで行われている競技は違うが、その場で同じ汗をかいていることが理由だったためなのか、何人かの友人は自然発生的にうまれてきた。

 長い練習の末、湿ったユニフォームから制服に着替え、帰り道にちかくの店により、買い食いをしたりもした。異性に対しての興味も覚え、意見を交換したりもしたし、それが実らない恋につながったり、実際的な道のりに歩みだすこともあった。しかし、いま考えればすべてオママゴトのような内容だ。

 だが、その放課後のひとときに象徴される関係は、確実に誰に評価される必要もないほどの友情のはじまりだった。

 練習の続いたあとは、結果を確認する義務があった。区内の陸上競技大会にでかけ、思ったような勝利を得ることもあれば、つまらない失敗を実感するときもある。個人てきな意見を言うならば、スポーツの効用は、どんなに練習しても上には上がいるという事実と折り合いをつけることだ。

 決定的な敗北や不甲斐なさを受け止め、それにめげることもなく、すべてを投げ出してしまうこともなく、次回はそれなりの練習を積み重ね、もしかしたらライバルを追い越せるのではないかという偶然を信じ、それでも敗北が待っているという隠せない事実があるのが本当だ。それこそが、スポーツから学べることだ。世の中の勝利など一瞬のことで、あとはすべて地下の報われない頑張りがあるだけだ。

 しかし、そのことを学ぶのはもっとずっと先のことだ。学校があり、放課後のスポーツを通して今後生きていかなければならない世界での社会性を身につけることもできた。そのときに、話せる、または同じことに打ち込む友人がいて、まだ世間との大きな壁を作る前に、そうした時間がもてたことは素晴らしいことだった。
 いつのまにか祐子がとなりに座っていた。

「どうしたの? むずかしい顔をして。考え事?」
「そう? あいつにも遊んでくれる友だちが出来たんだ」
「そうだよ。たまにはおもちゃを取り合いっこしたりするけどね」
 息子(幸太という名前だ)も遊びつかれたのだろうか、頼りなげな足取りで、ぼくらの方に向ってきた。祐子は彼の手を取り、近くの水道で手を洗わせていた。それが終わると、ぼくが見ていた一部始終を幸太はしゃべりだした。それに、自分はいちいち頷いた。ほかの家族も同じようにいつの間にかいなくなり、誰もいなくなった砂場には持主の分からないスコップが置いてあった。

 公園をでると、急に日が傾きはじめ、夕暮れが足早にやってきた。妻は、夕飯の心配をいつものようにした。外食でもと自分はいったが、祐子は冷蔵庫に入っている食材を頭の中に並べ、それに合いそうな料理のうちどれが良いかと尋ねてきた。自分は、それに答え、三人で足りない材料を買いにスーパーに立ち寄った。

 そこは混んでいて、ぼくと幸太はそとで待っていて、その間に彼女は店内に入って行った。戻ってきたときは数袋ぶんだけ荷物が多くなり、それをぼくは彼女の手からもらった。