Untrue Love(8)
「その髪型似合ってるじゃん。なんだか、落ち着いてきたら」
「そうですか。良かった」ぼくはそこにあることを確かめるように髪を右手でいじった。
「誰が切ったんだろうね、いったい。腕のあるテクニシャンは」ユミはふざけたように言う。今日も奇抜な格好で美容院のチラシを配っている。ぼくにその紙切れを差し出す必要はもうなくなっていた。
「誰だろうね」ぼくもとぼけた愛想のない返事をしてバイト先に向かった。
次の日も会う。
「その洋服、まじめすぎない?」
「そうかな」ぼくは自分の服を引っ張るようにして眺めた。「これから遊びに出かける訳でもないし、ただの重労働をするだけだから」
「じゃあ、今度、服でも見に行こうよ」
「うん、いいけど・・・」
「そういう煮え切らない態度は未来の約束につながらない。いま、決めちゃおう!」彼女は日にちを提案する。妥協案がなんどか示され、そこまでされると断るのは困難だった。ぼくらはふたりが暇な時間を見つける。「じゃあ、待ってるからね」と言ってそのことを既に忘れてしまったかのように街のひとりに戻った。
その日は彼女が休みだった。ぼくらは昼に代々木公園で待ち合わせをした。ユミをいつもの場所と違うところで見るのは新鮮だった。彼女は待っているといいながらも少し遅れてやって来た。そして、意外なことに少し見慣れない態度ではにかんでいた。
「こんなの作ってきたよ」公園のなかを散策しているとユミが言った。ベンチに座ると袋をひろげ、なかを見せた。「わたし、料理が得意なんだ。それを食べて証明してくれない?」
なかにはサンドイッチがある。母が作るような実用的なものではなく、両脇にはカラフルなピンが刺され、見た目にも華やかなものだった。
「うまそうじゃん」
「おいしいから、食べてみなって」
ぼくはそっと指でつまんで取り出す。彼女も横から同じものを取り上げた。しかし、直ぐには口にしない。ぼくが食べるのを横で見ていた。
「おいしいじゃん。でも、そんなに横でじろじろ見られると、食べづらいよ」
「そうでしょう。わたし、何やらせても器用なんだ」と、もうひとつの意見にはお構いなしに自分のことを述べた。「さ、もうひとつ食べて」ぼくの手が空になると、彼女は楽しげにすすめた。
食べ終わると、ぼくらは公園のなかを歩いた。秋が終わる時期だったが、その日の太陽は元気だった。そういう場所にいるとユミは自分のステージに立つかのように目立っていた。ぼくは約束をないがしろにしなかったことで、この楽しい日を迎えられた。それに、女性からにしか与えてもらうことのできない喜びが確かに存在することも実感していた。ぼくは高校時代の交際相手を簡単に忘れてしまった。その女性がぼくにのこした些細な痛みもいつのまにか取り除かれてしまったようだった。
「これから、洋服見て、わたしCDを買いたいから付き合って」とユミは言い、通りに向かって歩き出した。同じような若者がたくさん通りにいたが、彼女のような個性をもつひとをぼくは見出せそうになかった。それは世間とのずれとも違う。ただ作為のない無邪気さとしかぼくは呼べない。檻とか柵とかに固定できない無邪気さだった。
「よく来るんだ?」ぼくは普通のデートがどういうものか定義ができていないのかもしれない。日常のそういう行いをまだそれほどはしてこなかった。
「順平くんは?」
「大学に行って、バイトして、それから寝て、大学行って」
「つまんないね。順平くんの恋の話でもしてよ」
「まだなにもない。真っ白なTシャツみたいに、真っ白」
「じゃあ、何をしても新鮮で喜んでくれるね」
「今日のサンドイッチだけで充分、満たされた」
「簡単すぎる。もっと、大人の女性は恐い一面もあるんだよ。わたしには、ないけど。だから、気をつけて」とユミは言うが、彼女がどれほど正しいことを知っているのかは謎だった。
ぼくらは洋服屋の隙間のある陳列を見て、彼女が猫を撫でるのを眺め、すれ違う男女の印象を話し合い、最後に渋谷に抜けて、CD屋へはいった。
「家でどういう音楽を聴いてるの? そうだ、ひとりで住んでるの?」
「うん、ひとり」
「じゃあ、あとで連絡先教えて。それに、どんな音楽が好き?」ぼくはこれといって好きな音楽が思いつかなかった。
「ラジオで普通にかかっているような。ユミさんは?」
「こういうのだよ」彼女が手にとってかざすのはぼくが見たこともないようなジャケットだった。「これ、欲しかったので買って来る。待ってて」彼女はレジに並び、ぼくはその後ろ姿と目の前の棚を交互に見た。この数坪の土地だけでも、自分の知らないものがたくさんあるということに単純な驚きをもった。すると、彼女は黄色い袋に変わったものを手に提げ、こちらに歩いてきた。
「用事は済んだ・・・」
「今日、バイトないんでしょう。これ、うちに聴きに来なよ」
「いいの?」
「いいよ、もちろん。誰が来ても歓迎。でも、まだこっちにあまり友だちもいないんだけどね」彼女はぼくの手を握る。ぼくはその手に髪の毛を切ってもらったことを思い出す。加えて、サンドイッチもつくることのできる手でもあり、縄跳びでもまわして、ぼくを号令とともにくぐらすこともできそうな手の平の力だった。
「その髪型似合ってるじゃん。なんだか、落ち着いてきたら」
「そうですか。良かった」ぼくはそこにあることを確かめるように髪を右手でいじった。
「誰が切ったんだろうね、いったい。腕のあるテクニシャンは」ユミはふざけたように言う。今日も奇抜な格好で美容院のチラシを配っている。ぼくにその紙切れを差し出す必要はもうなくなっていた。
「誰だろうね」ぼくもとぼけた愛想のない返事をしてバイト先に向かった。
次の日も会う。
「その洋服、まじめすぎない?」
「そうかな」ぼくは自分の服を引っ張るようにして眺めた。「これから遊びに出かける訳でもないし、ただの重労働をするだけだから」
「じゃあ、今度、服でも見に行こうよ」
「うん、いいけど・・・」
「そういう煮え切らない態度は未来の約束につながらない。いま、決めちゃおう!」彼女は日にちを提案する。妥協案がなんどか示され、そこまでされると断るのは困難だった。ぼくらはふたりが暇な時間を見つける。「じゃあ、待ってるからね」と言ってそのことを既に忘れてしまったかのように街のひとりに戻った。
その日は彼女が休みだった。ぼくらは昼に代々木公園で待ち合わせをした。ユミをいつもの場所と違うところで見るのは新鮮だった。彼女は待っているといいながらも少し遅れてやって来た。そして、意外なことに少し見慣れない態度ではにかんでいた。
「こんなの作ってきたよ」公園のなかを散策しているとユミが言った。ベンチに座ると袋をひろげ、なかを見せた。「わたし、料理が得意なんだ。それを食べて証明してくれない?」
なかにはサンドイッチがある。母が作るような実用的なものではなく、両脇にはカラフルなピンが刺され、見た目にも華やかなものだった。
「うまそうじゃん」
「おいしいから、食べてみなって」
ぼくはそっと指でつまんで取り出す。彼女も横から同じものを取り上げた。しかし、直ぐには口にしない。ぼくが食べるのを横で見ていた。
「おいしいじゃん。でも、そんなに横でじろじろ見られると、食べづらいよ」
「そうでしょう。わたし、何やらせても器用なんだ」と、もうひとつの意見にはお構いなしに自分のことを述べた。「さ、もうひとつ食べて」ぼくの手が空になると、彼女は楽しげにすすめた。
食べ終わると、ぼくらは公園のなかを歩いた。秋が終わる時期だったが、その日の太陽は元気だった。そういう場所にいるとユミは自分のステージに立つかのように目立っていた。ぼくは約束をないがしろにしなかったことで、この楽しい日を迎えられた。それに、女性からにしか与えてもらうことのできない喜びが確かに存在することも実感していた。ぼくは高校時代の交際相手を簡単に忘れてしまった。その女性がぼくにのこした些細な痛みもいつのまにか取り除かれてしまったようだった。
「これから、洋服見て、わたしCDを買いたいから付き合って」とユミは言い、通りに向かって歩き出した。同じような若者がたくさん通りにいたが、彼女のような個性をもつひとをぼくは見出せそうになかった。それは世間とのずれとも違う。ただ作為のない無邪気さとしかぼくは呼べない。檻とか柵とかに固定できない無邪気さだった。
「よく来るんだ?」ぼくは普通のデートがどういうものか定義ができていないのかもしれない。日常のそういう行いをまだそれほどはしてこなかった。
「順平くんは?」
「大学に行って、バイトして、それから寝て、大学行って」
「つまんないね。順平くんの恋の話でもしてよ」
「まだなにもない。真っ白なTシャツみたいに、真っ白」
「じゃあ、何をしても新鮮で喜んでくれるね」
「今日のサンドイッチだけで充分、満たされた」
「簡単すぎる。もっと、大人の女性は恐い一面もあるんだよ。わたしには、ないけど。だから、気をつけて」とユミは言うが、彼女がどれほど正しいことを知っているのかは謎だった。
ぼくらは洋服屋の隙間のある陳列を見て、彼女が猫を撫でるのを眺め、すれ違う男女の印象を話し合い、最後に渋谷に抜けて、CD屋へはいった。
「家でどういう音楽を聴いてるの? そうだ、ひとりで住んでるの?」
「うん、ひとり」
「じゃあ、あとで連絡先教えて。それに、どんな音楽が好き?」ぼくはこれといって好きな音楽が思いつかなかった。
「ラジオで普通にかかっているような。ユミさんは?」
「こういうのだよ」彼女が手にとってかざすのはぼくが見たこともないようなジャケットだった。「これ、欲しかったので買って来る。待ってて」彼女はレジに並び、ぼくはその後ろ姿と目の前の棚を交互に見た。この数坪の土地だけでも、自分の知らないものがたくさんあるということに単純な驚きをもった。すると、彼女は黄色い袋に変わったものを手に提げ、こちらに歩いてきた。
「用事は済んだ・・・」
「今日、バイトないんでしょう。これ、うちに聴きに来なよ」
「いいの?」
「いいよ、もちろん。誰が来ても歓迎。でも、まだこっちにあまり友だちもいないんだけどね」彼女はぼくの手を握る。ぼくはその手に髪の毛を切ってもらったことを思い出す。加えて、サンドイッチもつくることのできる手でもあり、縄跳びでもまわして、ぼくを号令とともにくぐらすこともできそうな手の平の力だった。
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