ラクリマ・クリスティ
いつ、人見知りという鉄壁の要塞を跳び越えて、あるいは最高の防寒具を脱ぎ捨ててしまったのだろう?
短い連休をむりやりつくりツアー旅行の一員になる。
ローマにいた。男性が三人であった。
ふたりは別行動をして、ぼくはポンペイという埋もれた街のオプションに参加するため、同じホテルの新婚さんと、さらに出発地のホテルのロビーに向かうため、タクシーに乗っている。
寡黙とか物静かということが許されない環境である。
お荷物になってしまう。まあ、過剰に自意識過剰なのだが。
ほぼ他人に等しい新婚さんはタクシーの後部座席。独り身はドライバー横の助手席へ。
ローマではじめてシート・ベルトをつかった人間かもしれない。
「乱暴な運転だな!」とこころのなかで思いながらも無言のまま身体は左右に揺られている。それでも、ローマの早朝の街並みは驚くほどきれいだった。すこぶる、アメージングとか形容詞を順番に頭にうかべる。
バスに揺られ、南下する。ナポリに寄って海をバックの坂道で写真を撮る。新婚さんの美人妻ともパチリであった。後々、このときの写真を郵送し合う間柄も構築したが、それ以降の関係性を深めることをためらった。
いろいろ、がんじがらめの世の中である。
ポンペイに向かう前だと思うがランチになった。三人でテーブルを囲むといういびつな関係である。
夫も痩せ型で姿よろしく、その常でガッツクという無様な振る舞いをしたこともなさそうだった。
せっかく輪に入れてもらったのだから、それなりに会話でサービスをしようと決める。
お道化、幇間。
やれば、できるものだった。
そして、ワインはラクリマ・クリスティというその辺りでは定番のものを頼んだ。
このときの会話が楽しかったので(もちろん、お世辞分を差し引く覚悟)、また東京でも会いましょうという手紙が写真に同封されていた。住所は練馬だった。
どのぐらいの割合でひとびとは離婚をするのかも分からないが、初々しいふたりはとてもお似合いだったので、あのままずっとつづいてくれたらいいなと願う。
ひとり、おじさんは誰かの涙を飲む。
ローマの駅前で別れ、ふたりはおそらく夜のオプションに向かい、自分は止まってしまった地下鉄に戸惑うのだった。
だが、なんとか帰って、また男性三人で夕飯を食べることになりました。
途中、「タクシーひろってあげようか?」との親切な兄さんとも会う。
その善意の行為もむなしく、混雑した道路は空きのタクシーなどない。少しすると、電車はゆるゆると再開したようでもあった。
自分はイタリア語などには無頓着だが、どうにかこうにかやっているみたいだ。
こうしたツアーの連続で、人見知りも消えたように思う。
最近は初対面のひとに会うたびに、「人見知りでちゃうんだけど……」と言うが、自分自身で信じられなくなっている。コルクを抜いたワインと同じで、もうフタは戻らないのだった。
いつ、人見知りという鉄壁の要塞を跳び越えて、あるいは最高の防寒具を脱ぎ捨ててしまったのだろう?
短い連休をむりやりつくりツアー旅行の一員になる。
ローマにいた。男性が三人であった。
ふたりは別行動をして、ぼくはポンペイという埋もれた街のオプションに参加するため、同じホテルの新婚さんと、さらに出発地のホテルのロビーに向かうため、タクシーに乗っている。
寡黙とか物静かということが許されない環境である。
お荷物になってしまう。まあ、過剰に自意識過剰なのだが。
ほぼ他人に等しい新婚さんはタクシーの後部座席。独り身はドライバー横の助手席へ。
ローマではじめてシート・ベルトをつかった人間かもしれない。
「乱暴な運転だな!」とこころのなかで思いながらも無言のまま身体は左右に揺られている。それでも、ローマの早朝の街並みは驚くほどきれいだった。すこぶる、アメージングとか形容詞を順番に頭にうかべる。
バスに揺られ、南下する。ナポリに寄って海をバックの坂道で写真を撮る。新婚さんの美人妻ともパチリであった。後々、このときの写真を郵送し合う間柄も構築したが、それ以降の関係性を深めることをためらった。
いろいろ、がんじがらめの世の中である。
ポンペイに向かう前だと思うがランチになった。三人でテーブルを囲むといういびつな関係である。
夫も痩せ型で姿よろしく、その常でガッツクという無様な振る舞いをしたこともなさそうだった。
せっかく輪に入れてもらったのだから、それなりに会話でサービスをしようと決める。
お道化、幇間。
やれば、できるものだった。
そして、ワインはラクリマ・クリスティというその辺りでは定番のものを頼んだ。
このときの会話が楽しかったので(もちろん、お世辞分を差し引く覚悟)、また東京でも会いましょうという手紙が写真に同封されていた。住所は練馬だった。
どのぐらいの割合でひとびとは離婚をするのかも分からないが、初々しいふたりはとてもお似合いだったので、あのままずっとつづいてくれたらいいなと願う。
ひとり、おじさんは誰かの涙を飲む。
ローマの駅前で別れ、ふたりはおそらく夜のオプションに向かい、自分は止まってしまった地下鉄に戸惑うのだった。
だが、なんとか帰って、また男性三人で夕飯を食べることになりました。
途中、「タクシーひろってあげようか?」との親切な兄さんとも会う。
その善意の行為もむなしく、混雑した道路は空きのタクシーなどない。少しすると、電車はゆるゆると再開したようでもあった。
自分はイタリア語などには無頓着だが、どうにかこうにかやっているみたいだ。
こうしたツアーの連続で、人見知りも消えたように思う。
最近は初対面のひとに会うたびに、「人見知りでちゃうんだけど……」と言うが、自分自身で信じられなくなっている。コルクを抜いたワインと同じで、もうフタは戻らないのだった。
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