今日はみどりの日ということで祝日になっている。
一昨日お花やさんの前を通ったとき端午の節句には菖蒲を
というポップが出ていて菖蒲は勝負や武道を奨励する尚武に
通じる。だから端午の節句には菖蒲を飾ったり
菖蒲のお風呂に入ったりする習慣ができた。
という趣旨のことが書いてあった。
お花やさんの前を通るといろいろと勉強になるし
お花やさんってよく勉強しておられるんだなと思う。
昨日は夕方そとに出たらいやに寒いなと思った。
夜になるとかなり風が吹いていた。
僕はテレビをあまり見ないし天気のことはよくわからないのだけれど
まるで台風のようだと思った。
今日も風がやや強くさわやかといえばさわやかな陽気になっている。
町ではいろんなところで音楽の野外ライブのイベントが行われている。
隣町の市民交流センターに来た。
エレベーターに乗った。
エレベーターには70才以上と思われるおじさんの
集団が5、6にん乗っていた。
エレベーターのドアがしまると同時におじさんの一人が
ちょっとあきれたような顔をして
「ここの一階の受付の人、なんにも知らない」と言った。
「連休中だけの臨時雇いちゃうか」と他の一人のおじさんが
応じた。
たぶん社員と言えばみんな正社員で
まだ業務がそれほど細分化されていなくて
パソコンを使わなくても紙の上に書いてあるものを見れば
全体の概要がわかるという時代に人生の全盛期を謳歌した
おじさんたちなのだと思う。
今は業務は細分化され業務上の情報もパソコンなどで
デジタル化して管理され一人ひとりの担当者は
自分の担当以外のことはわからないというのが
むしろ当たり前の時代になっている。
ここの市民交流センターは基本的に
場所を貸すのが役目でその場所で何を行うかは
場所を借りた主催者の管轄になっていると思う。
それはセンターの一階の受付で聞いてもわからないのが
むしろ普通だと思う。
それにセンターのどこで何が行われているかは一階の
電光パネルにすべて表示されている。
逆に電光パネルが読めないと情報収集に困ってしまう。
もちろんどこで何が行われているかくらいは
パソコンから紙に一部くらいは印刷されていると思う。
しかし、ちょっとわからないからとあきれて見下してくる
おじさんといっしょに紙を見て考えようという気持ちには
ならないというのが受付の担当の方の人情と言うのもかもしれない。
確かに企業やお店の担当者もお客さんがネットで調べるのが
あたりまえという回答に終始することもある。
僕も最近はパソコンの画面をみるのが苦手で
そういう前提で対応されるとちょっと困るなと思うことがある。
本当に人工知能の台頭で私たちは幸せになるのだろうか
という思いにかられることがしばしばある。
先日もスマホのアプリで現金なしで簡単会計というような
宣伝が出ていた。
そんなのを見るとなんかスマホのアプリを管理するかたに
どこで何を買ったのかが全部わかってしまうのではないだろうか
と思ってしまう自分がいる。
なんとかならないだろうかと思うのだけれど
全体の世の中の流れには逆らいがたいものがある。
ある方の本を読んでいたら
なにも世の中を変えようなどど意気込む必要はないのです。
一人一人がたがいにやさしく声をかけあうこと
それしかないのです。という趣旨のことが書かれていた。
結局そういうことなのかなとしみじみと思う。
一昨日お花やさんの前を通ったとき端午の節句には菖蒲を
というポップが出ていて菖蒲は勝負や武道を奨励する尚武に
通じる。だから端午の節句には菖蒲を飾ったり
菖蒲のお風呂に入ったりする習慣ができた。
という趣旨のことが書いてあった。
お花やさんの前を通るといろいろと勉強になるし
お花やさんってよく勉強しておられるんだなと思う。
昨日は夕方そとに出たらいやに寒いなと思った。
夜になるとかなり風が吹いていた。
僕はテレビをあまり見ないし天気のことはよくわからないのだけれど
まるで台風のようだと思った。
今日も風がやや強くさわやかといえばさわやかな陽気になっている。
町ではいろんなところで音楽の野外ライブのイベントが行われている。
隣町の市民交流センターに来た。
エレベーターに乗った。
エレベーターには70才以上と思われるおじさんの
集団が5、6にん乗っていた。
エレベーターのドアがしまると同時におじさんの一人が
ちょっとあきれたような顔をして
「ここの一階の受付の人、なんにも知らない」と言った。
「連休中だけの臨時雇いちゃうか」と他の一人のおじさんが
応じた。
たぶん社員と言えばみんな正社員で
まだ業務がそれほど細分化されていなくて
パソコンを使わなくても紙の上に書いてあるものを見れば
全体の概要がわかるという時代に人生の全盛期を謳歌した
おじさんたちなのだと思う。
今は業務は細分化され業務上の情報もパソコンなどで
デジタル化して管理され一人ひとりの担当者は
自分の担当以外のことはわからないというのが
むしろ当たり前の時代になっている。
ここの市民交流センターは基本的に
場所を貸すのが役目でその場所で何を行うかは
場所を借りた主催者の管轄になっていると思う。
それはセンターの一階の受付で聞いてもわからないのが
むしろ普通だと思う。
それにセンターのどこで何が行われているかは一階の
電光パネルにすべて表示されている。
逆に電光パネルが読めないと情報収集に困ってしまう。
もちろんどこで何が行われているかくらいは
パソコンから紙に一部くらいは印刷されていると思う。
しかし、ちょっとわからないからとあきれて見下してくる
おじさんといっしょに紙を見て考えようという気持ちには
ならないというのが受付の担当の方の人情と言うのもかもしれない。
確かに企業やお店の担当者もお客さんがネットで調べるのが
あたりまえという回答に終始することもある。
僕も最近はパソコンの画面をみるのが苦手で
そういう前提で対応されるとちょっと困るなと思うことがある。
本当に人工知能の台頭で私たちは幸せになるのだろうか
という思いにかられることがしばしばある。
先日もスマホのアプリで現金なしで簡単会計というような
宣伝が出ていた。
そんなのを見るとなんかスマホのアプリを管理するかたに
どこで何を買ったのかが全部わかってしまうのではないだろうか
と思ってしまう自分がいる。
なんとかならないだろうかと思うのだけれど
全体の世の中の流れには逆らいがたいものがある。
ある方の本を読んでいたら
なにも世の中を変えようなどど意気込む必要はないのです。
一人一人がたがいにやさしく声をかけあうこと
それしかないのです。という趣旨のことが書かれていた。
結局そういうことなのかなとしみじみと思う。