昨日の雨模様の天気とうって変わって今日は晴れている。
夏のカッターシャツというかブラウスというか上着の
ボタンが取れかかっていたのでお直しの店に持っていった。
「ボタンの取れかかっているところ直してください」と僕は言った。
「ああ、取れかかってますね。これ機械でやるからこんなんなるんですよ」と
お直しの方が言った。
「そうですね」と僕は言った。
前回やっていただいたときの値段を思い出して
「料金は200円ですよね」と僕は言った。
「ボタンによっては300円のもありますけど、これは200円です」とお直しの方は
言った。
「そうですか」と僕は言った。
確かに同じボタンでもコートのボタンをつけるのと
ブラウスのボタンをつけるのでは手間が違うような気がする。
でも「200円ですよね」と言わすに
「おいくらですか」と聞けば
「200円です」とすっと答えていただけたけも知れない。
あるいはなしくずし的に300円になっていたかも知れない。
そこは可能性の問題だけれどおいくらですかと聞いた方が
会話がすっと通ったような気がする。
ここ、大阪は商人の町だからちょっとした言葉遣いで
会話の流れが違ってしまう。
先日の歌声サロンである女性に「ズボンがよくお似合いですね」と言ったら。
「いえ、最近私太ってただズボンがピチピチになっているだけです」と女性は言った。
そういわれてみればちょっとお腹の辺りがぽっこりでているような気がする。
いわなきゃわからないのに。
なんか大阪での会話はえてしてこういう風になりがちだ。
お直しの係りのかたに
「自分ではボタンがなかなかできないので
こうして気楽に持ってこれるところがあるとありがたいです」と僕は言った。
「最近女の人でもできない人が多いんですよ
女性のかたも持ってこられる方がけっこういます」とお直しの係りの方が言った。
なんか係りのかたの口調から察するに
女性がボタンを付けられないことを嘆かわしく思っておられるような
気配が感じられた。
それは布施明の昔のヒット曲の歌詞の一節に
君にできることはボタンつけと掃除 だけど満ち足りていた
とあるくらいだもの。
布施明と同じくらいの世代かそれより上の世代の女性ならば
女性はボタン付けくらいと思われるかたもいるかもしれない。
女性もいまやもっと社会に出て働けと言われ
ボタンもつけられないのという目で見られたら
しんどいだろうなと思う。
男もイクメンとか家事をとか言われてもしんどいだろうなと思う。
男の家事や育児って生理的にもう女性にはかなわないもの。
いつか3才くらいの男の子が電車から降りるとき
「はいピョンして」と子供に声をかけていた女性がいたけれど
そんな声のかけ方、できる男はそんなにいないと思う。
でもスーパーマーケットなどで小さい子供に
「あんた、そんなとこにおったら邪魔」と子供に声をかけている
お母さんを見ると
この子供もやがて成長して他人に、邪魔や邪魔やと言うように
なるのかなと思うとなんだか悲しくなってくる。
やはり幼い頃に脳細胞の奥の方に刻まれた言葉って
なかなか消えないことが多いもの。
できればいい言葉をかけていきたいなとは思う。
夏のカッターシャツというかブラウスというか上着の
ボタンが取れかかっていたのでお直しの店に持っていった。
「ボタンの取れかかっているところ直してください」と僕は言った。
「ああ、取れかかってますね。これ機械でやるからこんなんなるんですよ」と
お直しの方が言った。
「そうですね」と僕は言った。
前回やっていただいたときの値段を思い出して
「料金は200円ですよね」と僕は言った。
「ボタンによっては300円のもありますけど、これは200円です」とお直しの方は
言った。
「そうですか」と僕は言った。
確かに同じボタンでもコートのボタンをつけるのと
ブラウスのボタンをつけるのでは手間が違うような気がする。
でも「200円ですよね」と言わすに
「おいくらですか」と聞けば
「200円です」とすっと答えていただけたけも知れない。
あるいはなしくずし的に300円になっていたかも知れない。
そこは可能性の問題だけれどおいくらですかと聞いた方が
会話がすっと通ったような気がする。
ここ、大阪は商人の町だからちょっとした言葉遣いで
会話の流れが違ってしまう。
先日の歌声サロンである女性に「ズボンがよくお似合いですね」と言ったら。
「いえ、最近私太ってただズボンがピチピチになっているだけです」と女性は言った。
そういわれてみればちょっとお腹の辺りがぽっこりでているような気がする。
いわなきゃわからないのに。
なんか大阪での会話はえてしてこういう風になりがちだ。
お直しの係りのかたに
「自分ではボタンがなかなかできないので
こうして気楽に持ってこれるところがあるとありがたいです」と僕は言った。
「最近女の人でもできない人が多いんですよ
女性のかたも持ってこられる方がけっこういます」とお直しの係りの方が言った。
なんか係りのかたの口調から察するに
女性がボタンを付けられないことを嘆かわしく思っておられるような
気配が感じられた。
それは布施明の昔のヒット曲の歌詞の一節に
君にできることはボタンつけと掃除 だけど満ち足りていた
とあるくらいだもの。
布施明と同じくらいの世代かそれより上の世代の女性ならば
女性はボタン付けくらいと思われるかたもいるかもしれない。
女性もいまやもっと社会に出て働けと言われ
ボタンもつけられないのという目で見られたら
しんどいだろうなと思う。
男もイクメンとか家事をとか言われてもしんどいだろうなと思う。
男の家事や育児って生理的にもう女性にはかなわないもの。
いつか3才くらいの男の子が電車から降りるとき
「はいピョンして」と子供に声をかけていた女性がいたけれど
そんな声のかけ方、できる男はそんなにいないと思う。
でもスーパーマーケットなどで小さい子供に
「あんた、そんなとこにおったら邪魔」と子供に声をかけている
お母さんを見ると
この子供もやがて成長して他人に、邪魔や邪魔やと言うように
なるのかなと思うとなんだか悲しくなってくる。
やはり幼い頃に脳細胞の奥の方に刻まれた言葉って
なかなか消えないことが多いもの。
できればいい言葉をかけていきたいなとは思う。