これだけ連休が続くとなんだか曜日の感覚がなくなってしまう。
今日は日曜日。きっと連休は今日で最後だと思う。
隣の町の劇場の和室で催されたお茶会にいく。
茶室の床の間のお軸にわからない漢字が書いてあった。
ご亭主の説明ではホトトギスと読むとのこと。
漢字だと崩し字なのでよくわからないけれど
一声鳴鳥と書いてあるように見える。
なにしろ崩した字なのであっているかどうか自信はないけれど。
しばらくして隣に座っていらしたお茶の先生とおぼしき女性が
あのお軸の字はなんと読むのですかと僕にお聴きになった。
「ホトトギスと読むそうですよ、さっきご亭主が言ってはしまりた」と僕は言った。
「そうですか」と女性が言った。
「僕も知りませんでした。勉強になります」と僕は言った。
「そうですね」と女性は言った。
「あの床の花はなんでかねえ。次々と話が進んでいくうちに
聞きそびれてしまったんですよ」と僕は言った。
「私も聞きそびれました。またあとで聞きましょう」と女性は言った。
あとできくと三つで岩がさという名前の花とのことだった。
女性が覚えといてくださいというので何度も三つで岩がさと
唱えていた。
「ところでもうひとつしたの小さいはな何て言うんでしたっけ」と女性が言った。
「なんども三つで岩がさと唱えているうちに忘れました。
短い名前だったんですけどね」と僕は言った。
本当になんども唱えているうちにもうひとつの短いはなの名前を忘れてしまった。
一つ覚えるとひとつ忘れてしまう。
今日は着物の方は薄い色合いのものが多く
季節を感じることができた。
話は変わって。
ふとしたことがきっかけで例えば病気の検査とか
自分だったら受けるだろうかと思った。
僕の実家の近くにK医院という内科の医院があって
そこは僕の母の同級生が医師をしておられた。
その医師のことを母は常々A ちゃんと呼んでいた。
「私、A ちゃんの手に負えん病気になったら
もうそれであきらめるわ」と言うようなことを
若いとき母は常々言っていた。
この母の口癖は結構僕の心に焼き付いている。
今は母も年をとって考えが変わっているかもしれないけれど。
僕も何か重い病気にかかったら考えが変わるかもしれないけれど
いっぱい検査してわざわざ病気を見つけるよりも
日頃から病気にかかりにくいと言われている食べ物
をできるだけ食べるようにして
あとは運を天に任せるという考え方の方が気が楽のような気がする。
今日は日曜日。きっと連休は今日で最後だと思う。
隣の町の劇場の和室で催されたお茶会にいく。
茶室の床の間のお軸にわからない漢字が書いてあった。
ご亭主の説明ではホトトギスと読むとのこと。
漢字だと崩し字なのでよくわからないけれど
一声鳴鳥と書いてあるように見える。
なにしろ崩した字なのであっているかどうか自信はないけれど。
しばらくして隣に座っていらしたお茶の先生とおぼしき女性が
あのお軸の字はなんと読むのですかと僕にお聴きになった。
「ホトトギスと読むそうですよ、さっきご亭主が言ってはしまりた」と僕は言った。
「そうですか」と女性が言った。
「僕も知りませんでした。勉強になります」と僕は言った。
「そうですね」と女性は言った。
「あの床の花はなんでかねえ。次々と話が進んでいくうちに
聞きそびれてしまったんですよ」と僕は言った。
「私も聞きそびれました。またあとで聞きましょう」と女性は言った。
あとできくと三つで岩がさという名前の花とのことだった。
女性が覚えといてくださいというので何度も三つで岩がさと
唱えていた。
「ところでもうひとつしたの小さいはな何て言うんでしたっけ」と女性が言った。
「なんども三つで岩がさと唱えているうちに忘れました。
短い名前だったんですけどね」と僕は言った。
本当になんども唱えているうちにもうひとつの短いはなの名前を忘れてしまった。
一つ覚えるとひとつ忘れてしまう。
今日は着物の方は薄い色合いのものが多く
季節を感じることができた。
話は変わって。
ふとしたことがきっかけで例えば病気の検査とか
自分だったら受けるだろうかと思った。
僕の実家の近くにK医院という内科の医院があって
そこは僕の母の同級生が医師をしておられた。
その医師のことを母は常々A ちゃんと呼んでいた。
「私、A ちゃんの手に負えん病気になったら
もうそれであきらめるわ」と言うようなことを
若いとき母は常々言っていた。
この母の口癖は結構僕の心に焼き付いている。
今は母も年をとって考えが変わっているかもしれないけれど。
僕も何か重い病気にかかったら考えが変わるかもしれないけれど
いっぱい検査してわざわざ病気を見つけるよりも
日頃から病気にかかりにくいと言われている食べ物
をできるだけ食べるようにして
あとは運を天に任せるという考え方の方が気が楽のような気がする。