八王源先生の最晩年に先生と金華山に
登ろうということになった。
金華山は長良川から見ると絶壁の山だけれど
それほど高い山ではなくハイキング気分で
一時間もすれば登れる山だ。
僕が先生に「ふもとから歩いて登りましょう」というと
先生は「なあに、わしはもう年やでね。歩いては登れんの
ケンちゃんロープーウェイで登ろまい」とおっしゃった。
そのときもその言葉には感動したけれど
自分もだんだん年を取ってきて、また、公民館などに
来ても回りにおられる
高齢者のことが気になるようになってきて
そういう状況であのときのことを振り返ってみることがある。
自分が高齢になって若者から
山に登ろうと誘われて
あそこまでまともに素直に
わしはもう年やから登れないと言える方が
どれほどの割合でおられるだろうと思う。
きっとそんなにはおられないような気がする。
ロープーウェイで金華山の頂上付近まで登り
山の岩場に二人で腰かけたとき
先生は
「ケンちゃん、祈るのは寝床に入ってからでも
構わんでね。私の手足が人の役に立ちますようにと祈るの」とおっしゃってくださった。
あのとき祈るのはどこでもいいんだと思った。
忘れられないなあと思う。
登ろうということになった。
金華山は長良川から見ると絶壁の山だけれど
それほど高い山ではなくハイキング気分で
一時間もすれば登れる山だ。
僕が先生に「ふもとから歩いて登りましょう」というと
先生は「なあに、わしはもう年やでね。歩いては登れんの
ケンちゃんロープーウェイで登ろまい」とおっしゃった。
そのときもその言葉には感動したけれど
自分もだんだん年を取ってきて、また、公民館などに
来ても回りにおられる
高齢者のことが気になるようになってきて
そういう状況であのときのことを振り返ってみることがある。
自分が高齢になって若者から
山に登ろうと誘われて
あそこまでまともに素直に
わしはもう年やから登れないと言える方が
どれほどの割合でおられるだろうと思う。
きっとそんなにはおられないような気がする。
ロープーウェイで金華山の頂上付近まで登り
山の岩場に二人で腰かけたとき
先生は
「ケンちゃん、祈るのは寝床に入ってからでも
構わんでね。私の手足が人の役に立ちますようにと祈るの」とおっしゃってくださった。
あのとき祈るのはどこでもいいんだと思った。
忘れられないなあと思う。