ケンのブログ

日々の雑感や日記

五月九日

2018年05月09日 | 日記
朝のうちは結構肌寒かった。お昼になると太陽が照ってきた。
そんなに気温が高いわけではないけれど太陽の光が
白い舗道に反射してまぶしい。
太陽の光が反射してまぶしいと思うことは今年初めて。
空を見ると太陽の高度がずいぶん高くなっている。
あと40日ほどで夏至なんだなとしみじみと思う。
一日一日の積み重ねだけれど時が流れるのが早いと思ったり
遅いと思ったり。
友達からメールがきて退職まであと四年ほどになったと
書いてある。
つい先日友達は就職したような気がするのに、、、。
そういう観点で見ると時は早いなと思う。
どういう観点で見るかで感じ方が変わってくる。
100円ショップでクリアホルダを探したけれど見つからない。
店員のお姉さんにクリアホルダはどこでしょうと聞いてみた。
あれこれ表現を変えて説明するのだけれどとうもピンと来ないご様子。
でもあれこれ説明しながらいっしょに探しているうちに見つかった。
これクリアホルダと僕が言ったときお姉さんはクリアファイルと言った。
商品にはクリアホルダと書いてある。
以前にも僕がクリアホルダと言ったとき店員さんが
クリアファイルをイメージして探しておられて
なかなか見つからなかったことがある。
それで100円ショップのお姉さんに
「クリアファイルの方が分かりやすいですか」と聞いたら
「私はそれで覚えています。ややこしくてすみません」とおっしゃった。
それでどうなのだろうと思い、あとになって
Googleにクリアホルダとはといれて調べてみると
一般にはクリアファイルと言うと書いてあった。
なんだ、僕の覚え方が一般的てはない方の覚え方だったんだと思った。
次からはクリアファイルはどこですかと聞くことにしよう。
会社に勤めているときにクリアホルダを発注するとき
間違えてクリアファイルと書いたら上司に
「クリアホルダやがな、この書き方間違っとるで」と注意されたことがあるので
頭が頑なにクリアホルダで反応するようになってしまった。
松屋でカレーを食べていたら隣で牛飯を食べていた
おばさんがはしを床におとした。
おばさんはそれを拾おうとするのだけれど
なかなか手が届かなくて大変そうだったので
僕が拾った。
おばさんの牛飯はまだ半分近く残っていた。
おばさんははしを取り替える様子がない。
「違うはしにしはったらどうです。ここにはし入ってますよ」と僕が
はしの入っている箱を指差した。
おばさんは隣のご主人に
「はしって二種類あるんかなあ」と言って不思議そうな顔をしておられる。
言葉の意味が通じてないと思って
「したに落ちたはしで食べても別に死なんとは思いますが
念のためはしをとりかえはったらどうですか」と言い換えた。
するとおばさんは「もう私食べおわりました」とおっしゃった。
僕は吉野家や松屋に入って食べ物を残したことが
35年このかた一度もないので牛飯を残すという選択肢が
頭の中になかった。
やはりお互いが自分の物差しでものを考えていて
それで言葉が通じないことってあると思う。
なんで通じないんやという発想も大切かもしれないけれど
まあ、少しでも通じるようにという考え方も大切と思う。
日常的なことならばいろいろ言い換えれば通じることが多い。
目には見えないもの、抽象的な事柄はどう言い換えても
通じないこともあるけれど。
そういうときは通じないものは通じないと
諦めることもまた、大切と思う。