昨日行く予定だったコンサートがコロナウイルスの感染拡大の影響で中止になったので今日、西宮のホールに料金の払い戻しをしてもらいに行った。
郵送手続きで料金払い戻しをしてもらう方法ももちろんあったけれど僕はこういう場合しばしば直接コンサートホールに行ってしまう。
払い戻しが終わり、さて、お昼はどこで食べようかと思った。西宮で食べようか、それともいっそここまで来たなら久しぶりに神戸まで行ってしまおうか。
ちょっと迷ったけれど思い切って神戸に行くことにした。西宮北口から神戸方面の電車に乗車。程なくすると車窓に山が迫ってくる。山に向かって坂道が走っている。ああ、神戸に向かっているんだなあと思う。
車内を見渡すと同じ阪急電鉄でも神戸線と京都線ではずいぶん雰囲気が違う。明らかに神戸線のほうが雰囲気がよいように感じられる。乗っている人の感じがなんとなく違う。僕の向かいの席に若いお母さんと3歳くらいの娘さんが座っていた。
親子でビーズをいじって遊んでいる。京都線でビーズ遊びをする親子を見た記憶が僕にはない。やっぱり神戸線やなあと思う。僕の通っていた大学の先生が「俺は、阪急沿線に住んどる言うても宝塚線や。それは神戸線には負けるわ」と時々言っていたけれどその気持ちわかるような気がする。
時々ケースの中からビーズが床に落ちてそのたびに娘さんが拾いに行っていた。次のビーズが落ちたときそれは車両の一番はしまで転がっていってしまった。さすがに娘さんはそこまでは拾いに行かずお母さんも諦めたようだった。
さらに次のビーズが僕の座席の方向に転がってきた。娘さんが僕の座席の方にビーズを拾いに来て僕も下を見てちょっと探したけれど見つからないようだ。お母さんが「ビーズはあとからにしましょ」と言った。
それで娘さんとお母さんはまた僕の向かいの座席にもどった。しかし、母娘は僕の向かいの席から僕の座席の下を眺めている。二人の目線を見ると母娘で同じところを眺めている。つまりそこにビーズがあるんだと僕は悟った。
「ビーズどこにあるかわかってはるんやったら拾っていただいていいですよ」と僕は向かいのお母さんに言った。「じゃあ拾わしてもらい」とお母さんが言った。すると娘さんは僕の方に向かってきて僕の足元で腹ばいに近い格好になった。
僕が足を開くと、その足の間から娘さんは手を伸ばして座席の下に潜り込んでいたビーズを拾った。やれやれよかったと僕は思った。電車が王子公園の駅に近づいた。「王子動物園」と娘さんが言った。「今日は動物園に行く時間ないよ」とお母さんが言った。
僕も子供の頃、何度か王子動物園に連れて行ってもらった。懐かしいな。母娘でしばらくお猿さんの話をしていた。お猿さんという言葉、京都線の車内では聞いた記憶がないなと思う。母娘は三宮の手前の駅で降りていかれた。
お母さんが降りるときに「ありがとうございました」と僕に声をかけてくださった。僕は軽く会釈した。やった、神戸の奥様に車内で挨拶してもらえた。これで運がつくといいのだけれど、と思った。
追記
阪急の阪神間と京阪間の相違について谷崎潤一郎は昭和7年(1932年)に発表された蘆刈という小説でこのように書いている。
‘’げんざいではその江口も大大阪の市内に入り山崎も去年の京都市の拡張以来大都会の一部にへんにゅうされたけれども、しかし京と大阪の間は気候風土の関係が阪神間のようなわけにはいかないらしく田園都市や文化住宅地がそうにわかにひらけそうにも思えないからまだしばらくは草ぶかい在所のおもむきをうしなうことがないであろう。
忠臣蔵にはこの近くのかいどうに猪や追い剥ぎが出たりするように書いてあるからむかしはもっとすさまじい所だったのであろうがいまでも道の両側に並んでいる茅ぶき屋根の家居のありさまは阪急沿線の西洋化した町や村を見慣れた目にはひどく時代がかかっているように見える。‘’
谷崎潤一郎がここで書いていることが今日でも本質的な意味においてそれほど色あせていないことを考えると、その慧眼につくづく恐れ入る気持ちになる。