ケンのブログ

日々の雑感や日記

思い出ぼろぼろ

2020年12月11日 | 日記
いよいよ年末という感じになってきた。スーパーマーケットに行くと、もうしめ飾りや鏡餅がおいてある。早いなと思う。

冬でも窓を開けて走る電車、レジが混んでいてもお金は逐一トレーの上において受け渡し、レジにはビニールがかかっていて、こちらもそしてレジの向こう側の人もマスクをしている。

声は聞こえにくくなる。

先日ドラッグストアで3点くらい買い物をして買い物かごをレジに乗せようとしたのだけれど、レジにビニールがかかっていて乗せられない。よいしょとビニールの上からレジのお兄さんにかごを渡したらお兄さんは笑っていた。

レジをビニールで覆うって、誰かの飛沫がそのビニールに飛んで、他の人がそのビニールに接触したら接触感染になってしまうのではないかと素人は思うのだけれど、専門家の人はどのように考えておられるのだろう。

コロナが怖いのか、こういう不自然な生活スタイルのストレスが怖いのかもう今ではよくわからなくなってしまっているようにも思う。

先日、大阪でもディープな地域にあるカラオケ喫茶にいったら、僕と年が同じくらいの感じの女性が弟と思しき人を連れて入ってきて、僕の横のシートに座った。

「ここってタバコすえますか」と女性が言った。

「吸えますよ」と僕は言った。

そうしたら女性はママを呼んで灰皿を持ってきてもらってメビウスを吸った。

女性でメビウスって珍しい、何しろ昔のマイルドセブンにあたるタバコだから。

その女性は自分の番がまわってくると内藤やす子の「弟」を歌った。

うまい、これはうまいと思った。

しかし、うまいとは言わずに
「お姉さん、思い出ぼろぼろ歌ったらバッチリ決まりそう」と僕は言った。

「そう。私、思い出ぼろぼろすきやねん。どうして思い出ぼろぼろ知ってるの。私、私昭和42年生まれ。歳は何歳?」と彼女は言った。

「僕、昭和37年」と僕は言った。

「それって干支は何歳?」と彼女は言った。

「寅年」と僕は言った。

「私、羊やから、歳いくつ違うんや。えーと、寅 牛 うさぎ」と女性は指を折り始めた。

「42−37=5で五歳の年の差」と僕は言った。

「そうか、そうやって考えたほうが早いなあ」と彼女は言った。

「そうでしょ」と僕は言った。

「そうか、まあ同じ年代やから、思い出ぼろぼろ知ってるんやなあ」と彼女は言った。

その時、目の前では60歳をちょっと超えたくらいのおじさんが、任侠演歌のような歌を歌った。

おじさんの歌が終わると
「おじさん、歌、うまいなあ、私、歌では負けるわ。体重は私が勝つと思うけど」と彼女が言った。

おじさんは言葉を失って、笑って奇妙なゼスチャーでその言葉に応えた。

ママが僕にたこ焼きをお皿に2つ入れて持ってきてくれた。

「これ、彼女から」とママが言った。

初めて来る店に、たこ焼きを差し入れるってすごいなと僕は思った。

次に順番が回ってきた時、彼女は「思い出ぼろぼろ」を歌った。

いやあ、うまい。とおもったけれど
それは口に出さずに、うまいなあと思っているような顔をした。

「いやあ、やっぱりぱっと歌うと気持ちがええわ。あんたも歌い」と彼女は言って彼女の弟と思しき人の歌も入れた。

ところが弟はむずかって歌わない。

仕方がないので彼女が弟のために入れた歌を歌った。

途中でママが弟のところにマイクを持ってきた。

僕も、僕が見ていると歌いにくいのかなあと思ってステージの方から目をそらした。

するとその弟らしき人はステージに登って歌った。

たぶん谷村新司の歌だと思うけれど、またこれが結構うまい。お姉さんには負けるけれど。


次に60歳すぎと思しきおばさんが、山下達郎の歌を歌った。

すると思い出ボロボロを歌った彼女は、ステージの脇においてあった、タンバリンを手に持ってリズムを取り始めた。

これが、また、うまい。普通、馬鹿騒ぎでタンバリンを叩くときは四拍子なら単純に、1,2,3,4,と叩くだけだけれど、彼女のタンバリンの叩き方には4ビート 8ビート 16ビートなどいくつかのパターンがあって、曲想に合わせて、即興でタンバリンのリズムを叩き分けている。

いやあすごいと思った。

ちゃんとした音楽の教育を受けていれば、パーカッション奏者になれるレベルかもと思った。

でもそれを彼女に言って彼女がタンバリンを叩きすぎてもまずいかなと思って黙っていた。

山下達郎を歌ったおばちゃんは歌い終わると彼女に
「リズムをとってくれてありがとう」と言った。

「いや、歌が良かったから思わずリズム取りたくなった」と彼女は言った。

しばらくすると彼女は、他に行く店があるからと言って帰っていった。

「これ持っていってもいい?」と彼女はママに言ってまだ食べていない、サラダせんべいをかばんの中に入れていった。

やっぱり大阪の人は元はちゃんととるなと思った。

彼女は帰るときに「ほんじゃあ、また」と言って僕に手を差し出した。

僕も軽く彼女の手を握って軽い握手ということになった。