本当に今年も残り僅かになってきた。
コロナということで何かと不安な気持ちになることも多く、これまでの僕がそうであったように音楽に心の救いを求めようとする気持ちもいろいろと湧いてきた。
僕のブログに何回か書いていることだけれど、長年一貫して聴くと心が落ち着くという音楽は僕にとってはベートーヴェンの交響曲第5番。
曲がとても緊密に書かれているので、その緊密さが心の隙間を埋めてくれて心が落ち着くということなのだと僕は自分なりに理解している。
会社に勤めていて、周囲からの圧力のようなものに悩んでいたときはショスタコーヴィチの音楽がとても救いになった。
やはりショスタコーヴィチは共産主義という権力からの圧力、社会的圧力に屈せずにやってきた人なのでその音楽に見られる暗さ、しかし、ただ暗いのではなくその暗さの中にある、負けてたまるかという壮絶な気迫、というのはとても救いになった。
そして今回コロナということになったら、ブルックナーの音楽が、恋しくなってきた。
やはり、懐の深い、広大な音楽に抱かれたいという気持ちが強くなったためと思う。
それで、従来、持っていたオイゲン ヨッフムのブルックナー交響曲全集を引っ張り出してきて聴いたのだけれど、どうも、こういうときになるとヨッフムの演奏はちょっと物足りないように思えてきた。
ちょっと走り過ぎかなと思う部分が多いのがその一因なのだと感じた。
それで僕なりに考えて、ベルナルト ハイティンクの演奏を聴くようにしたらこれはかなりいいと思えた。
それと並行してずっと以前、カラヤン生誕90年のときに出たブルックナーの交響曲第4番の廉価版CDを久しぶりに出してきて聴いたら、やはり音の響きという点では他のほとんどの演奏を凌駕するほど美しい。
カラヤン生誕90年のときは、まだ、まだ僕もそれほどブルックナーに惹かれていなかったし、まあCDを買ってちょっと聴いただけで長年カラヤンのブルックナーのことは意識から遠ざかっていた。
しかし、いざ、ブルックナーを聴きたいと思ってカラヤンが指揮した交響曲第4番を聴くと響きは美しい。
いや、これは、カラヤンも4番だけではなく全曲聴いてみたいという気持ちがふつふつと湧いてきた。
幸い、今は、CDは全集でそろえると価格的にはお得な時代だし、また売る方も、全集でセットで売ってお得感を出すという売り方が結構クラシックのレコードでは多くなっている。
そういう流れで、かなりの廉価でカラヤンのブルックナーの交響曲全集の輸入盤をネット通販で買って聴いてみた。
やはり、4番に限らず、どの曲も響きは無類に美しい。
特に5番 7番 8番 など広大、長大なブルックナーの交響曲のなかでもひときわ大きい規模の曲でその美しさが顕著であるように僕には思える。
その響きの美しさは、カラヤン独特の柔らかさと繊細さのある美しさであるように思える。
そういう響きの美しさに身を任せるというのもブルックナーを聴く時の醍醐味だし、それは心に落ち着きを与えてくれるものだと気づいた。
やはり、その時々の気持ちに応じて、美しいと思える音楽、演奏というものがあるのだなあと改めて思う。
そして、カラヤンというのはやはりすごい指揮者だったんだなということも改めて感じる。