ケンのブログ

日々の雑感や日記

教えられること

2020年12月04日 | 読書
芹沢光治良の「人間の運命」という小説に次のような記述がある。

“”八時半起床。
朝食後、十時から一時間散歩。
十一時から昼食まで書斎で勉強。
一時から二時間仰臥(ぎょうが)療養。
三時から三十分散歩。
三時半から夕食まで、書斎で勉強。
夕食後は七時半に書斎に上り、十時半就床。

次郎がスイスの高原療養所を出て、日本へ帰る時に、十年間遵守するようにと、主治医から命じられた生活処方箋を、東京で実行すれば、右のようである。(縦書きの本なので右となっているが横書きでは上である)

午前一時間と午後三十分の散歩は、日本人に散歩の習慣がないから、次郎にもつらことだ。東京の街は散歩のできるようにつくられていないからだか、決まった時間に、毎日欠かさず散歩に出る次郎に、近所の人が目を見張るからである。
(現在の日本では散歩は珍しいことではないが、この場面の時代設定は満州事変の当時である)
中略
こうした処方箋に従った次郎の生活も、本人には生きるための必至のあがきだが、端の者には、怠け者のようで、理解できるものではない。特に、活動家の有田氏には、議会の開会中、東京で起居をともにしていると、知らず知らず次郎が目ざわりになり、その生活態度がしんきくさく感ずるらしかった。

顔色もよく病人でもなさそうなのに、うろうろしているのは、ちゃんとした職業がないために、小説書きなどしているからだと考えた。次郎の就職について多くの人に頼んだが不景気のこととて東京では満足な就職口もないので、苦慮しているのに、本人が落ち着き払っているようで、不甲斐ないことだと、歯ぎしりしたいが、婿であるから、あからさまに口に出せない と焦慮があった。(有田氏は次郎の義理の父で鉄道会社の経営者かつ国会議員である)“”

※引用中の()は僕が入れた注です。

次郎が散歩や仰臥を含めた規則正しい生活に努めたのはフランスに留学中に当時は死の病と日本では恐れられていた結核になって、スイスの高原で療養したときに主治医から指示をうけたからである。

僕はこの場面からはいろいろ教えられることがあるような気がする。

今はともすると、薬や手術で病気を治そうとするけれど、本来は、このように養生をして自然治癒に任せるのが望ましい病気との向き合い方ではないかということ。それを一つ教えられるように思う。

病気なのに周りからは理解が得られず怠けていると思われるのは、例えばうつ病の人が、これと言った病気ではないのに怠けているように周りから思われるしんどさと共通するのもがあるように感じる。

努力しているのにその成果があるのかどうか、あるいは何のための努力なのか周囲の理解が得られない人のしんどさもここでは表現されているように思う。

そして、なによりも、教えられるのは自分の信念に従って、やると決めたことは周りから何と思われようとやりぬくという真摯な態度。

様々なことを教えられるように思う。

僕が若い頃、八王源先生が「作家は小説という名を借りて結局は自分のことを書いているの」と口癖のように僕に話してくださった。そのときは義務教育しか受けていない八百屋のおじさんが何を言っているんだと少しは思ったけれど、この歳になって、八王源先生からあの話をきいておいてよかったなあとしみじみと思う。